30話-「忘れ物の旅、どこかへ。」
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***side”ミカダ”***
霧の鉱窟から視界が一気にぐるんと開けた先。わたしは、どこかの荒れた灰色の海、夜の波。放りだされる寸前だった。周りを粉々に砕けた翠色の光の粉が舞っているのが視えた。
一瞬全てが止まって視えた。そうだ、この”光”は、嵐の日、砕けて散って天に還った…わたしの、大切な、大切な……。
――この光の粉を一片でも助けることが出来れば…。
刹那。霧をまとったわたしはざんばと海に放りだされていた。
もがいて連れてきた”霧”は、せらせらと笑いながら十重二十重に折り重なる泡にカタチを変えた。ごぼごぼと沈み、飲まれ、短い黒髪はぐしゃぐしゃに泡と一緒に上に上に乱していた。
ここは、ゴース・ゴーズと一騎打ちの夜?ここは、トオイトオイ…。わたしは、何をしに来たんだっけ。
気づけば…。落ちる寸前つかんだ一片の翠。 掌の中。体ごと手に握りこんで、護っていた。
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そうだ、これは”宝物”…――ジルバの欠片…。
――わたしは今度こそ、この手を開いては…いけない。決して、決して。
(そうか…)
(ここは…いつか視た…夢…)
ジルバの光の欠片を握りこんで、抱え込んで、護る。灰色の海底は、ゆっくりと落ちるわたしの指先、足先。背。首。順に体温を奪っていった。
――わたしは…。いままで、
――どうし、て、どうや、って”走って”、きたんだろう。
泡につつまれて、わたしは帰る。還る。幼いころ、お母さんがいたころ――
****忘れ物の旅****
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――気づけば わたしは、白い石畳の路地に、立ちつくし、陽炎のように揺れていた。見覚えのある風景。ここは…。
路地の上空をスコンと抜ける海色の空。三角に麻羽根を編んだ天井の高い家々が並ぶのが特徴のクムド島、その街並みの中、裏通り、一件だけぽつん、煉瓦造りの粗末な家。わたしの生家だった。
しばらくすると、目の前を頬が桃色の少女。―――ちいさな”わたし”がうれしそうに駆けていった。腰までの長い黒髪を大きな一本の三つ編みで編んでいた。そうだった。小さなころは、髪が長かった。
――大きな方のわたしは、なんとなくここが現実の場所じゃないことを、どことはなしに理解していたようで、あまり驚かなかった。
そっと続くと、台所には大きな鉄のお鍋に焦げたシチュー。通り抜けようとするとあちこちぶつかりそうなぐらいの狭さだった。
(こんなに狭かったっけ…)
違う、わたしが大きくなってるんだ。
土間を抜けると、新緑の庭。――”魔法の庭”。太陽の光といっぱいの恵み。ホースで作る雨に虹。
「お前たち、おはようー」
(…あぁ…!)
庭に出るといつもお母さんの笑顔で空が反射して見える。優しくて強かった、わたしの――(お母さんだ………)
ふわふわの栗色の髪を後ろで束ねた、わたしにちっとも似てない、綺麗なお母さん。
戸惑うわたしの横を、小さなわたしが、駆けて駆けて…。
「おかーさん!」じょうろをもって後ろから抱きつく小さな”わたし”
「よーしお母さんとどっちが早くみんなにご飯を出せるか競争だよ!」
――二人はわたしのそばをすりぬけ、大笑いしながら植物の家族たちに水をやりはじめた。
(…あ…)
どうやらわたしの姿は、二人に視えてないようだった。
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「ゴロータ。 ジロッタ。ラブッタ。ニック。おはよう今日もきれいだね。タロタロはなんか今日は元気ないね。おおよしよし。もう大丈夫だ」
お母さんは、庭の植物にすべて名前をつけていた。
――トモダチには、名前がないとおかしいだろ?―――
わたしはこの庭が、大好きで、いつか大きくなったら、こんな美しい友達がいっぱいいる庭を作るのだ。と胸ふくらませてたものだ。
お母さんの植物園の中で、わたしがひときわ気に行ってたのは、ちいさなテラコッタのバジルの鉢。
「おはよー!」
顔を真っ赤にして鉢に向かって笑うちいさな”わたし”。バジルも光にはじけて、なんだか笑ってるように見えた。
ある日なんとなく、鉢に顔を描いたら、お母さんがすごく褒めてくれた。
「ふふ、なんだか喋りそうじゃない、この子」
「バジルだから…ジルバ!」
そうだった、ジルバはお母さんが名前をつけたんだった。
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グース群島の西の端っこの方、クムド島は紅鳶海域にうかぶ、小さな島。
――張りぼての島。
マルタ浜海岸は”空海原”と通り名がつくほど、澄んでいた。
クムド島の島長一家は3代ほど前から観光開発に無駄に躍起になっており、島民は、裏では陰口を言いながら、結局迎合していた。――そうだ、この島は臆病者とめんどくさがりの島だった。
――皆 お母さんを「ヘン」だといってなんとなく遠巻きにしていた。お母さんだけ群れなかったし、媚びなかったからだ。
それでもお母さんは、町の人たちに笑顔で挨拶をする。おかしなことを言ってくる人には言い返す。自分がいいと思うものは一切曲げないような人だった。
――「別に悪いことしてないからね」
ごめんね。と心配そうなわたしを抱きしめながら気丈に笑う。
――わたしが町の子供たちに怪我をさせられてこらえながら帰ってくると…。
「もし、よっぽどのことをやったとしてもね。人に石を投げていいようなことなんか1つもないの」
加害者の子供たちを教会に連れて行って、懺悔させ、親のところまで首根っこをつかんで連れていったりして、町をよくひっかきまわした。
尊敬する反面。わたしも一緒に仲間外れにされてしまうので、もう少し大人しくしててくれないだろうか、とも思った。
――…わたしは次第に町の連中にされたことの話を、
――…お母さんにしなくなった。
お父さんが帰ってこなくなってから、庭の植物たちを捨てて出ていくか、この陰湿な島でわたしが大人になるまで耐えるかの二択だった。
――お母さんに、”トモダチ”を捨てて、島を逃げ出せるはずがなかった。
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―――「ジルバ」の鉢に2代目のバジルが入居したあたりだっただろうか。
―――そうだ、この日。金の匙座の柄の部分。西極星が、特に輝いていたのを覚えている。
夕飯の支度を終え、ちいさな”わたし”は「ジルバ」を連れ、内職道具の箱を持って、割れた天窓から星が見えるテーブルに座った。
蛍狐石のビーズを、脱穀し終わった稲穂に編みこみながら、最終的に腕輪の形に綴じる作業だ。
(…ああ、芒輪の下請け、得意だったな…)
――大きくなったら、何になろう?
わたしは、この頃からとっくに決めていた。お母さんを楽させてあげられる職業。誰かの大切な手紙を責任を持って運ぶ、この星の誇り。
――国家職。”舟守”だった。
お父さんは、わたしが生まれる前に、どこか遠くに行ってしまった。わたしが大きくなるにつれて、お母さんは港や市場、畑なんかで、朝も夜も働くようになっていた。
大きなわたしの方が煉瓦の土間の端っこで所在無く”小さなわたし”の内職作業を眺めていると、
ふと見ると、ジルバの葉の上に月の光みたいな大きなしずくが、
「――ぽわり。」と座っていた。
大きいといっても大人の薬指の爪ぐらいの径だった。ランプと星明りに灯され、透き通るそのしずくは、ジルバの葉の色を翠に反射し、夜の藍をかかえ、うるうると腰を休めていた。
ちいさな”わたし”はしずくに向かって、
「ようこそたびびとさん、どこからいらっしゃいましたか?」と、満面の笑みで頬杖をついた。
――そうだった。わたしは、このしずくを、長い旅の途中で寄った、旅人かなんかだって勝手に空想して…。
――何かねぎらわなくては。と思ったんだった。
「ジルバ」にいつもやってるように、霧吹きをかけてもてなすと、しずくが飛んで消えてしまう。ちいさな”わたし”は、ちょっと考えて、温かいお茶をお出しすることにしたみたいだ。
よたよたと小さな両手でカップを鉢の前において「どうぞ」「すきなだけ、いてくださいね」と満面の笑みで話しかけていた。
その日は、お客さんやってきたことがうれしくて、うれしくて、眺めながらテーブルに座ったままいつの間にか寝てしまった。
――いつまでも、いつまでもうちにいてくれたらいいのに、わたしのトモダチになってくれたらいいのに。そしたら、お母さんとわたし、庭の大勢のトモダチたち、きっとみんな笑って暮らせる…。
(小さいころ、わたし…)
(素直で可愛かったんだな…)
毛布をかけようとしたけど、わたしはこちらのセカイのものは、意図的に触れないようで、無意識に触ってしまうもの以外は、動かせなかった。触ろうとすると、自分の位置がスィと軽く移動して弾かれてしまう。
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――朝の光。
――気づくと、ちいさな”わたし”はベットに寝かされてて、台所に行くとジルバはいなくなっていて、”しずく”にお出ししたお茶は、からっぽになっていた。
(…飲んで行ってくれたんだ?!)
ちいさな”わたし”を追うようにわたしも慌てて庭に出ると、お母さんが仕事に向かう前、急いで庭の点検をしていた。
お母さんはちいさな”わたし”に気づくと、パッと花が咲いたみたいに笑って、「ありがとうね、お茶あったまったよ」ぎゅっと抱きしめながらお礼を言った。
――お母さんが飲んだだけだった。そうだった。そりゃそうか…。
わたしはちいさな”わたし”と一緒になって、少し顔を赤らめた。
「お母さん、昨日ね、ジルバのとこに、旅の途中のきれいなしずくが来ててね?」
「へぇ、ずいぶんと素敵なことが起こったんだねぇ」にっと笑う。「そういえば今日は、えらく葉っぱが元気だったね。”風休めの玉座”にいるよ」
小鈴々薔薇の囲いを抜け。お母さんが拾ったテーブルを工夫して作った小さなベンチの上、小さな鉢たちが並ぶ中。風をいっぱい受けて揺れるジルバの鉢がいた。
「おはよー!」
鉢の中のバジルは今までとは少し違う、翠を放ち…
…チカチカチカ。
またたいて、返事をした。
――「”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ」
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――わたしは”宝物”を見つけた。
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忘却の彼方。”忘れ物”のあれこれが、絵本のページをめくるように蘇る。――わたしは、どうして、今ここへ…。