03話‐「チチカ島市場にて」
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チチカ島は市場がたいそうにぎやかで、わたしは通り抜けながら少しだけ心が躍った。あとで買い出しだ。
港から続く目抜き通りは、見事なグムソテツの並木道だった。港通りは島の玄関だ。だいたいどこの島も綺麗な並木道が出迎えてくれる。美しい星だと思う。
焼けたような木漏れ日の向こう、地図通り一本道を入り込む。オレンジの花咲く白い石畳の路地をすり抜け、届け人のもとに走る。ふいに往来を海からの風が抜けていく。
風をはらんで洗濯物がはためく。白いシャツの間から、さも幸せそうに蒼が吹く。
――今日もどこまでも海がそのまま映ったような空だ。どっちが空で、どっちが海だろう?もしかしたらたまに入れ替わって遊んでるのかもしれない。
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「モルタ島図書館司書ジナル・カーンさまから、お手紙を預かっております」
ラブレターの配達の場合は、分かりやすくハートのシールを貼るのが、決まりだったりするのだけど、今回のハートはでかかった。封筒からはみ出すサイズだ。どんだけなんだろう。
「ま、まぁーー!」「ジナルったら…」
栗色の美しい髪の、少しふくよかで優しそうな女性が、顔をゆでだこみたいにして笑う。
わたしからも、途中の道端で可愛いお花を摘んであったので、一緒に添えて渡す。これは女性宛のラブレター配達の時いつもやる。こういうことをしてるとたまにお得意様になって下さる方がいらっしゃるのだ。もしかしたらわたしはちょっとズルいのだろうか。たまに悩む。
「可愛い舟守さん、ありがとうね。ありがとうね」
お花を見て、とけたチーズみたいに笑う。わたしの手をとり、ぴょんぴょん跳ねながら笑う。こういうのを”カワイイ”っていうんだろう。やわらかい手が気持ちいいな。
「お名前を教えて」天国みたいな笑顔で、お茶でもと、麻羽根で編まれた風通しのいい居間に通された。棚の上には、ジナルさんとおぼしき二人の写真が飾ってあった。
「……ミ…ミカダです」
ついうつむいてしまう。いただいたモモ茶はあったかくて、潮にあてられてすりむいた心にしゅわしゅわ染みて、心臓の重量が軽くなるような味だった。
「下のお名前は?」
「……い、いえ」
下の名前は…。なんだかてれくさいし、柄じゃない。お母さんにしか呼ばれた記憶がない。伝票にはちゃんと担当舟守の署名が書いてるので、あとで読んで下さい。両手いっぱい手を振られて送り出される。どんな手紙だったんだろう。今回の仕事もつつがなく終えることが出来た。
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もう一回ちゃんとジルバ号を舫ってあるか確認してから、わたしは久しぶりの大地を満喫していた。ジルバ用ににいい”琥珀草”を仕入れないといけなかった。
ジルバはチチカ島に来てからずっと黄色くチカチカ点滅している。うれしいのだろう。またたきがひりついた心を包む。人ごみをすり抜け、二人、あれこれと探しまわった。
遠くから焼けた曉々《ぎょうぎょう》饅頭の香ばしい匂いがする。ココル桃が揃ってる市場は珍しく、しっかりとした”大きな船”が介入している、堅実な港町だという事が分かる。一瞬買おうかなと魔がさしたけど、やはり干しパンをかじってその分貯金に回そうと思う。
(いい仕事が出来たな…)
余韻にひたりながら、市場を散策した。毎度のことながら床が揺れてないことに慣れるまでしばらくかかる。
市場のどんづまり、奥まった位置に大きなガジュロのシンボルツリーの琥珀屋を見つける。山吹色と白のテントの下、カップにそそがれた綺麗な色の琥珀をたしなむお客さんが何人か、本を読んだり、暇そうに道行くお姉さんを口説いていたりした。
ここにはニャーも通ってるようで、テーブルの上の特等席の日陰でのんびりひげを風にゆらしていた。ジルバを一目視て、耳を立て「シャっ?」という顔をして、じっと視た後、また寝てしまった。動物はよくジルバに気づく。
「…琥珀草はありますか?」
ジルバは翠の光なのでたまに琥珀草で”光黄”分を注いでやらないと、アオグサレ病にかかって光が枯れてしまうのだ。このことが分かるようになるまで、何回も枯らしかけた。
普通の土の上の生活だと、そこかしこ、雑草からも、光黄分を拾ってこれるので、たまに気をつけてあげればいいだけだったのに対して、蒼と翠分がほとんどである海の上では、こうやってわざわざ”黄”を与えないとジルバは枯れてしまう。
「琥珀ならあるよ」マスターのつややかな”ひげ”はいかにも琥珀屋ですといった様相で、しゃれていた。見ていて個人的にイライラしてしまう。
「………それが、草の状態じゃないとダメで…」
「…草ァ!?」
琥珀は嗜好品の一種で、普通、ニンゲンは醸成したものをたしなむ。醸成は手間がかかるので、琥珀液に加工したものを買ってくる琥珀屋も多かった。醸成する時抜けてしまう成分が光黄なのだ。
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結局、問屋さんを教えてもらう。町外れに行くまでに、だいぶ迷ってしまった。今日はチチカ島に停泊だな…。涼しい風がスイと抜けていく。倉庫を改修したそ雑な店構えだったが、山吹と白のテントですぐ琥珀を取り扱ってる店だという事が分かる。
ふとっちょで気のいい感じの問屋の旦那はぽかんとした顔で、こう言った。
「じゃあ、50荷重からになるね」
「…20荷重分お支払いいたしますので…5小荷ぐらいで…なんとか」
「…5ってお嬢さんねぇ…」
ジルバが琥珀草から「食べる」光黄の成分は、吹いてくる風の成分も影響するし、あまり長持ちしないのだ。
困ったなという顔をしながら、倉庫の奥に居る人にあれこれ声をかける。奥から瓶に詰められた琥珀草がいくつかかき集められてきた。
「問屋でもないのに、草こんなに買って何につかうんだい、変わってるなぁ」
「トモダチの…ごはんで…。いえ、なんでもないです」
わっはっは。挙動がおかしかったようで、無意味に笑われる。なんとか今回もジルバを枯らさずに済みそうだ。
いつも琥珀草を入手しようとするとこう言われる。
「変わってる」
一人で本を読み、舟守の勉強をしていた時も同じレッテルを張られた。
「変わってる」
このくだらないレッテル。
ニンゲンには色んな目的があって「変わってる」と感じるのは、自分と比べて「違う」と思った時や「普通こんなことはしない」と感じる時なのだと思う。
じゃあ「普通」ってなんなんだろう。わたしから言わせたら、ジルバがいない人生は普通じゃない。
「普通」「変わってる」比べる視点によってころころ変わる、不確かな決め付け。
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「よし。」
舟底のひんやりとした食料庫の樽の中。さらに厳重に印を結びながら、小瓶に分けて琥珀草を積み込む。やれやれ、今日は泊まりだ。
ここ最近、仕事仕事で、ガリガリしてたので、久しぶりに舟を停めてぐっすり眠れるのはよかった。海語商工会のチチカ支店を訪ね、ジナルさんに完了伝票をお渡しするのが1日遅れると無線を飛ばしてもらう。
夕暮れの橙に染まるグムソテツの並木道が、次第次第、浅紫の衣をまとい、たなびきはじめる。
暮れなずむ港町。まるで、異世界への次元でも口を開きそうな雰囲気だった。往来の勤め人は、家路に急ぎ始めていた。
「ジルバ!影踏みドンドンでもしようか?」
影が長く長く、海岸線を闊歩していた。
「それとも琥珀草を買ったばっかりだし、ちょっと今日はちゃんとした食事にしようか?」
チカチカチカ…。
ジルバは3回点滅したあと、大きな大きな青翠の輪を作り。わたしを包んだ。
――ジルバが放つ大きな青翠の光の時は、この意味だ。
≪≪ありがとう≫≫
「……」
ジルバのありがとうは、浄化する癒やしの色。わたしは、ジルバを手につつみ。軽く頬ずりして、こう返す。
「…こっちこそ」
この”小さな地球”を大切にしなくては。手のひらでふわりと笑うジルバを眺め、心の底からそう思った。
天の橙が西の海に沈みかけ、周囲は朱から藤鼠色に移り変わっていた。そういえば、グース大陸で呼ばれている”色”の名前は古くからどこの国や島でも共用語として通じるのだけど、どこの国の言葉が元になってるか、語源がよく分からない物が多かった。
「―――う、う、美しい青翠…。」
ふと気づくと、もう宵闇も間近。後ろに私と同じような墨色の髪の少女が立っていた。同い歳ぐらいだろうか。なんだか薄く光って視える。
いままで見たこともないような異国の装備だ。一瞬下は、何も穿いてないのかと思い目を疑った。短い、腰巻?ずぼん?雨装備みたいな上着のフードをまぶかにかぶった、少女は、こう続けた。
「…ふ 双葉…」
「 この翠の光は地球の種なんですね」―ゆらり、空気が揺れる。
――彼女にはジルバの姿が、視えていた。