28話-「問いの窟」
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***side”チロタ”***
「――――待機だ」「……機だ」「…だ…」
闇の中、ぶ厚く漂う霧。 孵ノ鉱窟の天井の高い広間 、俺はやたら木霊が騒ぐポイントで足止めを喰らっちまった。霧が肺に入るたび心臓がバクバクいいやがる。
松明を割れた岩に立てた”灯の結界”の中、大剣を抱いてしゃがむ俺。ヤマセンドウの”旦那”は俺の様子がおかしいことを気遣ってか、剣と懐の隙間に挟まりこんで、俺をあっためはじめた。
”旦那”の体温が遠く感じる。目をつぶり、耳を塞ぐ。くるな…。今は…。霧よ晴れろ。
――「お兄ちゃん」
――「いっちゃやだ」
バカだった俺の記憶。家族たちは、家族たちと一緒にいれば…俺は…。いや、後悔したって始まらないじゃないか…。
頼む。俺はこんなところでへたってる場合じゃねぇんだ、この行軍には後続がいるんだ。”お嬢様”が、俺を頼って、こんな薄気味わりぃ洞穴を、たった一人で追いかけてきてる途中なんだ。
動悸の中。俺は汗びっしょりの手で旦那の頭を撫でながら、
「旦那…もしものことがあったら、嬢を…」と。
”旦那”は、ふるると息を震わせ、聞いてるか聞いてないかわからない返事をした。
とぎれとぎれの意識の中、霧の中、もやの中。遠くかすむ島の輪郭が視える。あれは、俺の故郷…。
――靄の中の桟橋。
やめてくれ…。誰か…。松明が闇で爆ぜる音に混ざって、俺の歯ぎしりが妙にでかく響いていた。
ここはどこだ。こいつは誰だ。そうだこいつは、青臭い面、16歳の俺。傭兵として派遣される出発の朝。
ここはどこだ。ここはそうだ。美しい宝石の海、東金珠海域。
ぽっかり浮かぶ”さや”みてぇな3つの島と8つの入り江。俺の故郷ユーハルディア諸島、プラミオネ島。文水望鉱山のたもと、小さな鉱山集落だった。
俺の手をとって泣きじゃくる黒髪の小さな妹。少し遠く、親父の車いすを押すおふくろの姿。
おふくろはどこから金策したのか、俺たちの生活ではなかなか食べられねぇ高級品。兎幸牛の青空チーズが丸ごと1塊入った弁当を差出し、こういった。
「つらくなったら逃げ出しておいで」「命があればどこだってやっていけるんだから」と消えてしまいそうなほど細く小さな手で、俺の手を取って泣いた。
弁当には他にも、袋一杯の山莉杏の実と、誕生日にしか食べられねぇ香煮パンがぎゅうぎゅうに詰まってて、俺はバレねぇように、こっそりと目をぬぐった。
――「大丈夫だ、すぐ終わるさ」
俺はこらえて精一杯間抜け面して笑って見せた。これから最低2年は離れる家族に、心配なんかかけられねぇ。
――「お兄ちゃん、センソウなんていっちゃやだ」
マチルカはくりくりの黒い目からぼたぼたと涙を流しながら、小さな手で俺のマントの裾を握って離さなかった。もう片方の手には、餞別で渡そうと摘んできたと思しき、雪里草の白い花が握られていた。
――マチルカの話を、おふくろ、親父の話を、素直に聞けばよかった。
――俺は…。
ヘンなところで話を聞かない癖があった。
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霞む意識の中。どこかからそそのかす。くすくすと笑う、なにかのささやき。
**傭兵さん、そこのなまちょろ。傭兵さん**
**ようこそ**
**どうして、どうして、ここへ?**
「…な、んだこりゃ……?」
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***side”ミカダ”***
ぽんぽつり、碧い光を、闇の中、割れた岩の道なき道。辿る…。まるで、童話の主人公みたいだ。冷え切った湿度の中、漆黒を松明の橙で撫でながら、分け入って泳ぐみたいだった。
チロタが≪こっちだ≫≪転ぶなよ≫とでも言ってるかのような碧いひかりの道しるべ。必死で辿って歩くうち、体温もあがってきた。
松明は勢いよく私の周囲を照らしていた。助かる事に、この辺には光々苔が棲んでいて、遠くうっすらと黄緑に光っていた。
明かりというのは、セカイの彩をつかさどる神なのだ。
太陽の金色を筆にとって、この星の最初の光を塗ったのが彩神さまで、わたしたちが目指す智慧のカシは、彩神さまの”絵筆”を預かる大賢者が眠る大木とされている。
「彩神さまの”絵筆”を預かる大木かぁ…」
智慧のカシ。こんなわたしが神話に出てくる木に届け物だなんて、どう考えても分不相応だ。この依頼自体あやふやで疑わしいけど、今はこの闇の中の碧と橙を信じて抜け出すしかない。
余計な事を考えて歩いてる暇はなく、大きな布ものでパンパンのザックは軽いがバランスをすぐ壊す。 すべりやすい岩の上、手を付きながらほとんど四つん這いになって歩く。
そうこうしてるうち、5つ目の分かれ道のど真ん中の大岩、錨台岩が道を分けている地点までやっと着いた。
「…これが…この星の錨…」
”地球”の歴史の単元で、よく出てきた名前だ。岩肌が薄く白く光ってるよう感じる。知ってる名前の地点に着くと、少しほっとする。
「この”航海”の水上に祝福を…」祈りの印を切って、チロタと”旦那”の分もお願いすることにした。
目を瞑り祈りをささげているとき、闇の中、この星を構成するさまざまな音が色になって視えた。何かの地底生物が飛びたつ木霊は消炭色、風だまりの対流は藍。遠くで水の流れる音は白群 。
色を自ら彩れるうちは黒界の門は迎えに来ない。大丈夫だ…。わたしは闇に飲まれないよう、心のどこか、必死で律していた。
「あれ?右?」
ぼろぎれとしるべは右の道を指していた。
わたしは、チロタに渡した地図に、さしあたっての進路の指定をしてあった、左の道を覗きに行った。やはりこっちにはしるべが置いてない。まぁ、どっちに向かっても一本道だそうなんだけど。
左の道は、時の岩盤――。壁面に貴重な古代からの化石が埋まってる地点で、羅針盤の儀式以外の時も学者たちがたびたびやってくる関係で、道も多少は歩きやすいはずなのに…。
「…なにかあったのかな?」
少し不思議だったけど、わたしは碧い光を信じて、右の道をよたよたと進み始めた。
「もしかして…」
(化石、怖かったのかな?)
わたしは、大男が文化財を見て震えてる姿を想像して、少し笑いそうになった。右の道は険しかったけど、おかげであまり怖くなかった。
「あ…」
右の道の途中で、また少し霧が出てきた。さっきまでと違い、どんどん濃くなる。
このまま霧が濃くなったらどうしよう。 笑ったりしてる場合じゃなかった。わたしは出発前の打ち合わせを思い出し、焦りはじめた。
――「濃霧になったら、絶対うろちょろすんな。待機だ」
今はまだ松明の先、碧いしるべが見える。
よたよたと大きなザックをかろって這いつくばって、急ぐ。慌てちゃだめだ、しるべを見落としてしまう。ヤマセンドウの光るフンの方を落としながら進む。
どうしょうもなくなったら、フンの黄色を辿って入口の藪に隠したザックの近辺まで、自力で戻らなきゃいけない。 ひとつひとつ。黄色く光る命綱を張るように、ぽん、ぽとり。
”道”が見えている間に、きりのいいルートまで急ぐことにした。途中でしゃがむと、次に立つとき右だか左だかわからなくなって、来た道を戻ってしまうことがよくあるからだ。フンの蓄光時間は短い。道を間違えてる暇はないのだ。
ぼんやりと白く濁る道の途中。次第次第、足元の岩は大きく割れ。急に天井が下がってきた。勾配もついてるみたいだ。光々苔は道が険しくなる都度、姿を消していった。
霧は少しずつ、足元からわたしをすくい上げる様、濃さを増してきた。
(……この辺から…”名もなき石塊の試練”か…)
一瞬進むか、待機か悩むぐらいの霧の濃さだった、が。わたしは「待機」を選択した。霧が晴れてから落ち着いて追った方がいい。道がでこぼこしてて、しるべを見落とすかもしれない。視界がはっきりしてる状態じゃないと危ない。
こんな真っ暗闇の中、たった一人でしゃがんで待機だなんて。。
(……光々苔がこの辺に生えててくれたらよかったのに…。)情けないけど、どうしても震えてしまう。
わたしは、一番近くのチロタが縛ったぼろぎれがついてる岩を探して、後ろを取られないようぴったりと背をつけた。何かあったとき、護ってくれそうだったからだ。 櫂を抱いて座る。
その辺にあった石で、出口の方向”石塊の試練”の方角に、ガリリと矢印を書いた。書いた石をよく見たら、太陽のような藤黄色。グース群島でもあまり見かけない”黄水晶”だった。
ミシミシと染みる闇を小さく照らすような”黄”だった。握ると何故だか掌が温かく感じた。
(大丈夫だ。本当に困ったら、きっとチロタが…)
…いや。人の善意というのは、期待するものじゃないのだ。
せめて”石塊の試練”は抜けておきたかったけどしょうがない。 岩に立てた松明はまるで”永遠”を燃してるようだった。
霧の中、視界に映る空気が、次第に、近く近く、松明の範囲内に、白磁に、鉛色に立ち込め、わたしを取り囲みはじめた。
――「霧が晴れるまでどこかにしゃがんで体力を温存するんだぞ」
「……うん 」
独り言が、闇に溶けてにじんでいく。わたしは心細い暗黒の世界の中、出発前のチロタとの会話を何回も反芻していた。いつも大きな体を折りたたんでわたしの目線に合わせて話してくれたっけ。
――「武器は体から離すな」
「……うん」
櫂をぎゅっと握る。
――「鉱窟内は特に寒いから、ちゃんと腹巻するんだぞ?」
「……うん… 」少し笑ってしまう。
我ながらムシが良くて嫌になるけど、この状態で心を落ち着けるには、これしかなかった。
霧の鉛色を視ていると、何故か頭の芯がブレてくるので、つい目をつぶってしまう。そのうちどこかから、ちいさなささやき声が、わたしを囃したてはじめた。
**あらあら。ずいぶんご執心**
**そこの可愛い舟守さん。**
**チカチカ光るオトモダチ**
**すっかり忘れてしまったみたい?**
「…誰……!」
櫂を構えて、迎え撃とうとするも、くらくらとしゃがみこんでしまった。
(…なん…だ…。?)
なんだか、この声は、そこにいない、ような、
わたしは背を護らせている”ぼろぎれ”が撒きついた岩に、いっそう背中を張りつかせ、さっきから持ったままになっている黄水晶を握りなおした。
(チロタ…)
鉛は、白磁は、暗黒は、漆黒は、そろりそろ、そそのかすようにささやきはじめた。
***あなたは、どうしてここへ?***
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