24話‐「蒲公英色の朝だった」
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空はまだ仄暗い鉄紺の空、トオイトオイ島の早朝。冷えた湿気の空気を分け入った先、緩やかに切りたった山の斜面の途中、森独特のツンとした芳香の中だった。
わたしとチロタは山中に落ちてるヤマセンドウの碧い光の道しるべの一つをたどり、山吹色の樹の上に作られた、一つの”巣”の前にいた。枝の分かれ目の付け根にまあるい洞のような穴が開いている。 ”ヤマセンドウ”。オスは別名オイデノ鳥と呼ばれる、”彩神さまの使い”とされている鳥の巣だ。
「…ヤマセンドウのおくさーん…」
他の動物を起こさないように、そっと声をかける。
「…旦那を一日貸してくれーい…」続いてチロタ。
トオイトオイ島の中で、唯一単独行動で乗り越えないといけないポイント、孵ノ鉱窟の道案内を、ヤマセンドウのオスに手伝ってもらおうという魂胆だ。この鳥はとても賢く、人語を解するとのことなので、用がある時はきちんと声をかけておくこと。と、どこかで聞いた。
しばらく待ったけど返事はなく、時間も下がってくるので会釈をし、葉っぱに乗せた”クミルの実”を巣の前に置き、次の作業に取り掛かった。
「ムリだったら”道案内”はフンの方で代用かねぇ」と顎の無精ひげをじゃりりとつまみながら、チロタは一発大きな欠伸をした。
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――ヤマセンドウのオスは光る碧い円錐型の”しるべ”を生んで、帰巣本能が抜け落ちたメスを巣に導く不思議な習性があるのだけど、”しるべ”の成分として”青”を使うため、フンは残りの成分”黄”の光を放つそうだ。
フンの方の蓄光時間はおよそ20沙。孵ノ鉱窟は、迷わず抜ければ10沙――小さな村を2往復する程度の面積の洞窟なので、理屈ではフンで足りる。
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しかし、もしわたしが絶望的に道に迷った時用に、蓄光時間が1週間はある生みたての”しるべ”を用意したい。というチロタの提案だ。
木の根折り重なる自然の階段の先。
クミルの実をぽつりぽつ。少し先まで撒き、木の枝で簡単な捕獲用の仕掛けを付けた大きな備品袋の中に、クミルの実を香りが広がるように砕いて置き、さらに離れた物陰に隠れて待つことにした。
チロタは何回も大欠伸をしながら、「寝ちまいそうだから俺はフンをもうちっと拾ってくる」と、もさっと笑って森の中に消えていった。
――どうしてこの人はここまでしてくれるのだろう。
この島に来て、どういうわけか揺さぶられるみたいに悪夢を見る。チロタも同じみたいだった。
わたしはこの島についてから、何について罪悪感を覚えていたのか、何がしたくてここまで来たのか、いままでどうやって生きてきたのか。目標はなんだったのか。ほんとは何が欲しいのか。
何もかもないまぜになってしまって、すっかり心に蓋をしてしまったみたいだ。
わからない。わからないけど、わたしは必ずカシの木に薬瓶を届ける。だってそれしか…。
――薬瓶の配達が完了したら、またグース群島に戻って…。
――わたしもチロタもそれぞれの”暮らし”に帰っていくんだ…。
トオイトオイ島は「彩神さまの宝石箱」という別名のほかに、「家路ノ黄島という愛称がついていた。誰もが”還る”場所を探していて、この島を目指し旅をする。というような少し不思議な民話があるのだ。
(帰る場所か…)
胸の奥底がちりちりと疼く。
(わたしにはないな…)
わたしは、少し前から、必死で張りつめ続けていた心の栓が抜けそうになるような感覚を、打ち消そうと必死だった。
―――冒険のおしまいは……。
(考えない、考えない…)
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がさ…。がさ…。
ふと気づくと、黄色い羽根に覆われた長い”頭”のようなものが、ひょっこり顔を出し、わたしの方をジーっと見ていた。
――多分、鳥だった。ちいさな点のような目。見えてるか疑わしいぐらいのサイズ。わたしと目が合うと、頭をゆっくり左右に2回揺らして、
「ポ?」と喋った。
「…………………………えっと」わたしが状況を把握できてなさそうなのを判断してか、首を揺らしてはジーっとみてくる。ほんの数秒の視線が痛い…。なんだろうコレは…?
「………え、…えっと」
「お、おはようございます」
空気に負けてつい挨拶をしてしまう。謎の鳥は、さっぱりしたような朝の顔をしてみせた後、手元に残っていたクミルの実をさも物欲しそうに眺めはじめる攻撃を開始した。
(ヤマセンドウにあげる分がなくなる…)と思いながら、わたしは次の瞬間やはり空気に負けて「た、食べますか?」と5つほど渡してしまう。謎の鳥は、悪いなぁ。みたいな顔をして、すぐに平らげてしまった。
謎の鳥は、わたしの顔と樹冠に抜ける朝焼けを遠い目で交互にみたあと、ぶるぶると震えてどうも感動してるようだった。なんだろう、このおかしな間は…。――……。黄色い羽根、しっぽは美しい碧で、あれれ…えっと神話に出てくるオスのヤマセンドウは…たしか、物語の最後で…彩神さまから…蒲公英色を…授かって…。
刹那、轟くような声で、非常に間の抜けた感じの顔をした鳥は
≪トーポポルルーー!≫と一言鳴いた。
「…ヤ……ヤマセンドウだ!」
神話の挿絵でしか顔を見たことがなかったヤマセンドウの本体は、この星のみんなに好かれるのがよく分かるような、よく言うと安心感のある顔立ちで、安心感があって、安心感がありすぎた。
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シィシィ…ショショショ…。ツユウケカズラの花開く声。森中の葉についた金天露が、朱の空と陽の輝きを全て抱えて反射する。
山あいから臨む水平線からチカイチカイ山の連なりまで、眼下すべてが宝物のようだった。
今日は全天突き抜けるような快晴、3日目の朝がはじまる。
ヤマセンドウは、そのあと、クミルの実をもう少し下さい。お願いします。後生です。みたいな顔をして始終おかしな間を作りながら、わたしにひょっことついてきた。どうも気に入ってもらえたようだ。
合流したチロタは、開口一番 「…とても道に詳しそうに見えねぇなぁ…」と一言。
野営地に戻り、わたしが大急ぎで朝食の支度をしてるうちに、チロタとヤマセンドウはいつの間にか意気投合してるようで、知らない間に”旦那”なんてあだ名を付けていた。
二人で水を汲みに行ったりしながら「ヨメはどんな子だ」「どっちが先に惚れた」「だよなぁ」などと謎な感じで会話が成立している。オス同士だからだろうか。漢の世界はよく分からない…。
栄養たっぷりのグリムラを拾ってきて、暖かなスープを作り、大きな干しパンに、とっておきのコル乳のチーズをとろりと焼いて乗せる。2度目の水汲みから戻ってきたチロタが、食卓代わりの岩の上を見るなり、雄叫びをあげ「嬢~~!」 わたしの方に大股で走ってくる。
「コル乳チーズじゃないか~」そのままの勢いで抱きつかれそうになるのを、持ってた桶でぼこんとガードした。だんだん馴れ馴れしくなってくる…。ほこほこしながらほおばるチロタ。あーうめぇ。幸せだ。と大喜びであっという間に全部食べてしまった。
「チロタさ…」
「……乳製品そんなに好きなんだ…」
口の周りにいっぱい食べカスをつけながら「へ?」と不思議そうな顔をしながら
「作ってくれたの全部好きだけど?」と一言。
まっすぐ言われすぎてどうしていいかわからず、わたしはポンチョのフードをかぶってうつむいてしまった。
隣で”旦那”が、ボクの分はないんですか。お願いです。後生です。というような顔をしていたので、わたしの分をちぎって渡すことにした。不思議な鳥もいるものだ。
今日の食後のお茶は、真っ赤なヌドコロ草を煎じたものにした。血行をよくする薬草だ。チロタ、一口飲んでウェエという顔。
「…果実茶のがいいよ」
「今日は行軍の中で一番体が冷えるポイントを通過しますのでしっかり摂取しておいてください」
続けてわたしも…「………う……」
ほーら今ウエェって顔しただろ、などと外野がうるさいのは一切聞かずに飲み干す。
”旦那”が鍋の中をあんまり興味深げに覗き込むので、少し手に汲んで「飲む?」とやってみた。たしかヌドコロが当たる動物はいなかったはずだ。
”旦那” は飲んでる途中でヴァアアアアとすごい声で一言鳴いた。思わず吹き出してしまった。
――笑い声が、森に、朝に、木霊する。
チロタが肩に”旦那”を乗せ、笑いながら水桶に入れたカップをがらがらと言わせながら帰ってくる様子を見て、わたしは多分今日の食事の風景は一生忘れないのだろうな、と思った。
(だって)
(冒険が終わったら)
(こんな楽しい食事は、二度と…)
頭をぶるぶるとふった、胸の上で ”ジルバの家”が朝の光を受け弾んでいた。
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――作戦はこうだった。
●チロタ→先にヤマセンドウを連れて入窟→しるべを生ませながら進む。
●わたし→きっかり7沙後に入窟。もしもの時用に、入口に戻れるようにフンの方のしるべを撒きながら進む。
単純だ。
何回か鉱窟の入口に確認しにいったけど、内部は狭いポイントも多く存在し、装備全部を持って入ると、チロタが身動きが取れない可能性があった。羅針盤の儀式の時は一人で儀式用の筏を運ばないといけないのだから、その分の広さはあるんだろうけど…。
最低限の野営道具を選別し、あとは入口の藪に隠していくことにした。
「体が小さいわたしがかさだかで軽い荷物を多めに持ちます」
「チロタは重たくて小さい装備をお願いします」
チロタは無言で無精ひげを抜いた後「…了解」とぼそりと一言。
少し離れた山あいから、ざぁあぁと川の唄が聴こえる。山の裂け目が眼前で圧倒する。入口だけは海語商工会が整備したようで小さな橋がかかっていた。針葉樹の太い幹が林立して、まるで鉱窟を外敵から護る檻だった。
ここは誰もが”還る”場所。家路ノ黄島、孵ノ鉱窟。墨を流したような亀裂が、わたし達の遥か頭上から「覚悟はいいな?」と問うているようだった。




