23話-「ひとりぼっちとひとりぼっち」
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「―――――誰、か…!」
伸ばした手をしっかりと握る大きな手。
「どうした?!ここにいるぞ!?」
トーポポルル…山の中、星降る藍の天蓋に大きな月。黄金 《こがね》に透けるぼさぼさの影がかぶさっていた。
「…ひっ…」
わたしは、とっさにごつごつとした大きな手を振り払う。振り払っても振り払っても掴まれてしまう。混乱して、震えるわたしに、大きな手の持ち主はもっと震えながらこう言った。
「頼む、落ち付いてくれ…」
「ごめん、ごめんな」
「俺が押しつけた」
血の気の抜けきったわたしの顔に、ぼたぼたと雨が降ってきた。月にかぶる、いかつい男の頭らへんから降っているようだった。手を包む大きな大きなフライパンみたいな手。これはなんだろう。随分とあったかい雨もあるもんだな。少しだけ動悸が治まってきた。わたしは、人狼の膝の上で毛布と一緒に、力いっぱい抱きしめられていた。
チロタは目のところが真っ赤だった。
「俺は…いつもこうで…」
「だから家族すら護れない」
――わたしは、喧嘩のあと、気を失っていたみたいだ。
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ぱちぱちと薪が爆ぜる。まだあまり時間が立ってないようだった。チロタは四苦八苦して、わたしに温かいお茶のような何かを作ってくれた。
「こ、故郷につゆ草茶っていうのがあって、真似してみたんだけどよ…」
カップをもてずにこぼしてしまいそうになってるのを、チロタが毛布ごと支えて、助けてくれた。
「……!!げほっ。ご」
飲んでみるとお茶というより草だった。
少し笑ってしまった。
「…お礼にわたしが淹れなおします…」
――”草”を飲むとやっと体が温まって、しばらくすると起きあがれるようになっていた。
湯気が藍の天に高く高く上っていく、温かな白い帯が星に届きそうだった。
「…冒険の仲間なのだから、ちゃんと話し合って行動を決めていきたいです」
わたしは、きっともう大丈夫だ。それよりチロタだ。
「………………」
「…………………気を付ける…」
見るも無残にしょげかえってしまった。
「ごめんな」
――わたしも昨日は意地を張りすぎた。
「………わ、わたしも…」
少し場の雰囲気が少しだけほどけたみたいだった。
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切り株に座り、わたしは毛布を寄せながら、
「”冷え込む”ってこういうのなんだね」
「…俺は嬢ほどぶるっとこねぇんだわ…なんでだ…」といいつつ、わたしの真似をして毛布をかぶって見せた。
鼻先を果実茶の湯気が温めていた。
「不思議なもんだな」「この島に来て」「いろんなことを思い出す」
飲み終わった空のカップをにぎったまま、話す。
「あんたは、ちょっと」「妹に似ててさ」
「……前もいってたね」
「うちは、ほんと、貧しくて…」ぽつり、ぽつり。
「俺は、キセキ的に、体がでかかった」
刺さっていた棘をひとつひとつ抜くように、チロタは昔話を始めた。
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――― 強くなったら、きっと金がもうかる。そんな気持ちで見よう見まねで剣術を覚え、体を鍛えた。
「親父とおふくろ、家族達にとびきりいい生活をさせてやって」
「妹にはいい学校にいかせてやろうと思った」
―――ある日、職場の採石場に”傭兵募集”のチラシが貼り出された。戦争の島に派遣され、剣をふるって働く。
―――楽な仕事じゃねぇってわかってた。が、報酬は俺達の生活からしたら目玉が飛び出るような額だった。
――― 前金+満期に成功報酬が出る仕事だった。前金で家を補強し、畑を買い。親父には車椅子を買い。銀行に貯金した。残りを持って帰る頃には妹は学校に。他にとりえのない俺が家族の役に立つには、これしかないと思った。
家族はお前が人を殺せるわけがないと反対していたが、俺は話を聞かなかった。殺さずになんとかしのぐ”盾”の心得があったからだ。
――― 鍛えておいてよかった。誇りに思った。―――
「……………… 採石屋のまま」
「地道にやればよかったな……… 」
チロタは、大きな体を、力なく小さく畳んで、情けなく笑った。続きがあるようだったけど、そこから話がぱったりと止まってしまった。わたしはなんだかこの人に温かいお茶をいれなくては、このまま凍えて氷の柱にでもなってしまうんじゃないかと思った。
鍋に水とモーヌを追加する。銀糖をもっといれようか…きっとこういう時はとびきり甘いものがいいだろう。いや、それなら、モカモイ島で買った…。
ザックの中から、潰れかけの小さな箱を出してくる。
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「もう十年以上前の話だ」
「…話し過ぎたわ」「あんたも色々かかえてるだろうに」
「ごめんな」うつむいて、はぁと一つため息をついた。
焚き火の前、チロタの空のカップをそっと交換し
「あの…」「これ…」
わたしはあたたかい果実茶のおかわりと一緒に、藤黄色のカエデの葉っぱに小さな”お星さま”を2つのせて、チロタの前に置いた。モカモイ島で買っておいた蒸栗色のざらら糖が輝くお菓子”星ポンヌ”だった。カエデも黄色いのでまるで大きな星に小さな星が手をつないで乗ってるように見えた。
――湯気が沈んだ空気をつれて、一緒にふわりと消えていく。
チロタは一瞬ぽかんとしたような顔をしたあと、黙ってしばらく目のあたりに手を当てたりしていた。どうしたんだろう。食べないのだろうか。それとも何かまずいことでもしてしまったんだろうか。黙って黙って、黙ったあと、ポンヌを酸味の効いたお茶と一緒にむぐりとほおばり、ぽつり。うめぇ。と呟いた。
ふっと笑って
「…嬢」おいでおいでをしたかと思ったら、ホイとわたしの口にポンヌをほおりこんできた。
「…………… … ちょっ」
わたしの分にするなら、もっと、こう心の準備をして…。
「…ちょっと!わたし、これ、初めて食べるやつなんだよ!!」
目を白黒させてショックをうけるわたしをみて、チロタはごめんごめんと勝手に安らかそうな顔で笑い、そんなん後で俺がなんぼでも買ってやるよ…ともそり呟き、 わたしのカップにも残りの果実茶を注いでくれた。
味がわからないまま、胃の中に転がっていったポンヌは、体の中で、少し光って瞬いて、溶けてしゅわりと消えていった。
「”大きな船”の甲板で、星を見ながら一人でパンをかじってる嬢をみて」「役に立てたらって」「なんか」「そんな感じだ」
わたしは口をもそもそと動かして、かすれた声でありがとうを言った。
「俺でよかったら、嬢の話も聞くわ」少し安堵した表情のチロタがくるまっていた毛布の前をあけて、おいでというジェスチャー。――単純にあったかそうだな。と思った。
「わ、わたしは…」
思い出そうとすると、途端、汗がつたう。
「いえ…」「………わ、わたしは…」
「特に…」
「はなしは…」
遠ざかるセカイから、わたしは、手を伸ばしつかんでしがみつくような気持ちで、チロタの隣に座って、少し考えて、
「…これだけで…いいです」ほてんと、肩に頭を寄せてしまった。
途端に隣の毛布の温度が上がったみたいだった。
見上げるとチロタは、首がつりそうなほどそっぽをむいていた。やっぱり不快だったのだろうか。離れようとすると、いいから座っとけみたいに言われてしまう。
「…い、いや~、あちぃな!」
?…この寒いのに、羨ましいな…。
慌てたようなチロタは懸命にわたしの方へ話を振り始めた。
「な、な、なぁ」「いつも寝言でいってる」
「ほら…」
「『ジルバ』って子は…」
ふいにずんと胸に錨が打ち込まれた。
「……………………………… ……………… 」
「…まぁ、話したくなった時に、聞かせてくれな」
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わたしの頭を肩に乗っけたまま、ばりばり隣からしきりに頭をかく音が聞こえる。トーポポルル……視線の先、点々とヤマセンドウのオスの生む光る碧のしるべが、山道から少し外れた木の葉の寝床に向って落ちているのが視える。
(…こんなに落ちてるのは、初めて見る…)
暗闇で光るヤマセンドウの碧いしるべは、人々に安らぎを与えるはずなのに、わたしはさっきのチロタの話を聞いてる間中、心のどこかで囚われてきた、打った錨にまとわりつく錆びの渦みたいな”ある感情に浸食されはじめていた。
わたしは…。いい子面して、チロタの話を聞きながら暖かいお茶を淹れてる間中――
(…―――何があったか知らないけど。)
(…――生まれた時から家族が全員揃ってて…)
”錆”は渦を巻き、胸の中の土呉に混ざり、徐々に黒く変色していった。わたしは、いつの間にか腐ってぐちゃぐちゃに臭気を放った、何も咲かない心の中の花壇を、そっと切り離さないといけなくなった。
(……――わたしよりマシそうだ。)
変な汗が、体中を伝う。意識がまた飛びそうになる中、わたしはたまらなくなって、チロタの毛布の端をつかんでしまった。
「どうした…?」
こんな清らかな心の人に、わたしがふれてしまったら、一緒に闇に腐らせてしまう。離さなきゃ。離さなきゃ…。わたしの手は意に反して、ずっとチロタの毛布を離さなかった。
「…な…んでも、ないです」
――目の裏に浮かんでは消えるチロタの笑顔と「おいで」のジェスチャー。
――わたしには、この暖かな毛布に入る資格がないのだと思った。
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トーポポルル、トーポポルル。光る山のしるべ鳥。
「方向音痴鳥…んっんっ。ごほんごほん、ヤマセンドウのしるべ」
「こんなに落ちてるの神話の中だけかと思ってたなぁ」
ヤマセンドウは帰巣本能が抜け落ちているメスに、オスが巣に導く光る”道しるべ”を生んで、物理的に道を教える不思議な習性がある。
色たちが還って生まれる世界、”白界”へ人々を導く使命だけを与えられた鳥で、メスはオスに”碧いしるべ”を生ませるために、不自由な体でこの星に派遣されたという言い伝えがあった。
「…そうか」チロタが隣でぽつりとつぶやく。
「……あ…」わたしも同時に同じことを思いついたみたいで。顔を見合わせてしまう。
単独行動で、出来るだけ安全に、暗い鉱窟を抜けるには…。
「ヤマセンドウに助けてもらおう!」
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