21話‐「でこぼこの二人」
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広々と視界の開けた鉄ノ戸湿地、ひたすら風が煽っていた。平原の途中途中、ぽんぽつりと点在する水たまりの表面を払って波紋を描いて吹きわたる。出発前の予感は半分だけ的中した。遠くの空、去ったばかりの灰汁色の雨雲が渦を巻いて見える。
歩いてる途中で降らなかっただけよかったが、この湿地は乾燥していれば、普通に歩ける植物の美しい地点なはずだった。
「………ったく…」
「………………………………」
わたしをちょこんと肩に乗せた、大きな大きな人狼。
わたしは冷たい風に当てられて具合が悪くなる寸前だというのに、チロタは途中で「あちぃ」とぼそり、呟いたあと、破けた黒の肌つきと毛皮の胸当て、上着の装備を全てはずしてしまった。
―――わたしたちの空気は最悪だった。
鉄ノ戸湿地では、わたしだけ、何度も何度も足をとられながらの行軍になってしまった。いいからおぶされ、肩に乗っかれと、チロタが横からせっついてくるのを、わたしはかたくなに拒んでしまった。拒んで拒んで、最後はひょいと問答無用でつまみあげられてしまった。
「だーかーらいったろ」湿地の泥を蹴散らしながら進む。チロタはずっと無表情だった。わたしは汗ばんで湯気を発してる大きな山みたいな肩の上に乗っかりながら、ただ装備を落とさないよう握りしめ、耐えていた。
「……………………………………………」
「俺にもうちょっと早くおぶされば、こんな何もかんもロスらずに済んだろうに」
わたしは、たまらなくなって、声を上げようとする。
「……………………だっ ………」「………」
「……意地っ張りなお嬢様だよ」
やれやれみたいなため息。
「………………だ……だって……」
――― 二人ともすでに大荷物を抱えてるのに、わたしもろとも荷物まで全部担がせるなんて、出来るわけない。
「かー!」とたん大きな声。
「こんなちっこいの1つや2つ増えたところで、俺っちにとっちゃどうってことねんだよ」「………… もっと頼れよ、まったく」
(……………………… 「こんな……ちっこいの」…か)今朝からずっと続く、動悸の中。反省という名の自分いじめがはじまっていた。
(……………………方角もわからない)
(………………………… 湿地では転ぶ…)
(……… これじゃ、仕事で来ました。なんて……)
わたしは情けなさのあまり、死にたいような気持になっていた。
「チロタ……湿地を抜けたら、おりて荷物を持つから」
「……………………今日中に鉱窟前に着きたいんだろ?」
ぶっきらぼうな背中。わたしは言い返せなかった。
湿地を抜け。次第に西の空が晴れてきた。澄んだ日暮れの藤の色。山道にさしかかると、コロロ、ロルルと川べりとは違う虫たちの唄に混ざって、ここにもヤマセンドウのトーポポルルという独特な歌声が聴こえた。
―――孵ノ鉱窟を中腹にはらむ、チカイチカイ山は、標高もさほど高くなく、儀式にはおあつらえ向きの山だった。山頂のカルデラ湖、”縁の湖”を渡り、護りの森を抜けると、すべての海を臨むと言われている岬に、配達先である智慧のカシが鎮座ましましている。
羅針盤の儀式の際は、縁の湖まで、儀式用の筏を自分で運ばないといけないのだけど、我々はカルデラの淵を歩くルートを進む予定だ。夕闇の中、だいぶ遅刻しながらチロタだけが山道の中、鉱窟入口を目指す。わたしはひたすら肩の上に飾りつけられてるだけだった。
自分が意地を張ったから、というのももちろんわかってるけど、それにしても問答無用すぎる。この体格差で力で押されたら勝てるわけがない…。もう少し話しあえたらいいのに…、と動悸をこらえた。
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もうそろそろ孵ノ鉱窟入口なのかなという蔦だらけの藪の中、人が過去何度も通った跡が残る、細い山道の端。
ふいに。「あー…」
チロタは急に立ち止まって、きょろきょろしはじめた。
もぞもぞと決まりが悪そうな感じの気配。いったん背中から降りようか?みたいなジェスチャーはまたスルーされてしまった。
「いやーしかしな」ちょっと赤くなる。んー。と一回天を仰ぎ。
「まーいいや」ぶつぶつと独り言を呟くチロタ。
「?」
うぉっほん。みたいな咳ばらい。
「えーーお嬢さま、しばらく目ェつぶっといてくださいよー」
どうしたんだろう。
「??」
「ちょっとごめんな…」といいつつ、大音量で例の子守唄を歌い始めた。
――ねむれ、まよいご 月に星にあーよいよい
割れるような短調の子守唄に混ざって聞こえる、何かの水を連続的に捨ててる音。水筒の水でも腐らせたのだろうか。
チロタの背中の上、わたしは、言われたとおり目をつぶりながら、頭の上にはてなマークをいっぱいくっつけて水の音を聞いていた。
「…チロタ、水を捨ててるの?」
「おーっとお嬢さま、まだ目を開いちゃだめですよー」ごそごそと服をいじる音のあと、
「ああ、すっきりした」わっはっはと真っ赤な顔で豪快に笑った。
「めんどくせぇし、鉱窟前まで我慢しようと思ってたんだけどよ」
(も、もしかして…。)
まさか、
ありえない。
わたしを背中の上にのっけたまま……た……立ち…。
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今日は、野営地を決定し、陣を作る間中、大ゲンカで過ごした。鉱窟の入口のすぐそばの岩の陰。松明の橙がわたしたちを照らす。
チロタ的には、目つぶらせて歌をがなっておけば、聞こえないし、見えないからいいじゃないかと思ったらしく、まったく気にしていない。一方わたしはこの、デリカシーがない行為に訳が分からないほど怒りを感じていた。
「…………ガサツにも程がありますよ!?」
「少し言ってくれたら席をはずすのに…!」
チロタは簡易の食事を終わらせて、焚き木の向こう、足を拭いて揉んだりしながら、一人だけ余裕が戻ったような様子だった。
「そりゃ悪かったけどさ…」
「おまえは一回肩から下ろしたら、また荷物持つだの、鉱窟を一人で歩きたいだの言いだして聞かないだろ」やれやれみたいな顔。
「だって、じゃあわたしは何なの、何にもやってないじゃない!」
「飯もつくってくれるし、頭がいい分担だろ~?」
「肩に乗って、ピヨピヨ鳴きにきたんじゃないですよ!?」
「ああーーもう、人と人って言うのは分担があんだよ!」また大きな声。
「それぞれ得意なのやりゃーいいんだ!」
「そんなのじゃなくて!」次第に膝が震えてきた。視界が灰色に狭まり、次第に表情筋がこわばる。
「…………話を…聞いてよ!」
どういう思いでここまで来たかとか、この仕事はなるべく自分の力で完遂したいとか、そういう話を朝から全然聞こうとせず、力まかせに行き過ぎた気づかいをしてくるこの状態に心を毟られそうだった。
「わ、わたしは!」「その…」「わたしにも……意思が…あって」
「……言わなくても嬢は意思とか根性のカタマリだろー」寝袋の準備を始めながら、背中で返事。朝から続いていた動悸が次第に強くなり、早鐘のように胸が急いている。わたしは何を言おうとしてるんだろう。
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――――時間がかかっても、わたしは出来るのだと、信じたい。
「ここまで、一人で、目的を…」
「カシの木にちゃんと薬瓶を」
「だっ…だって。わたしは、この」「依頼…」
「自分の都合しか……」
変な汗もかいてるみたいだ。どうしたんだろう。
――― チロタは最初、わかったよみたいな返事をして、寝袋の上に棒きれで簡易の小さな三角の天幕を作っていたけど、次わたしの方を見るとはっとしたような表情になった。
「や、やりとげ…なきゃ」
―――わたしは、何のために、ここまで来たんだって。
「わたしは、ほんとは…」「…エゴの…かたまり…」
どうしてこんなことを口が勝手に言い出すのかわからない。
「なんにも……」「…で、で、できてなくて」
―――わたしのために
「ここまで、ひとりで…」
立ってるのか座ってるのか、判別できなくなってるうち、次第に、心の底、ナニカがぐしゃぐしゃにつぶされてしまうような感覚が襲ってきた。
わたしは何で混乱してるか分からなくなりながら、澱んだ言葉をぶつぎれに紡いでいった。
「ひ、ひとりで」「ひとり…ひと」
ううん
「わたしの…わがままで…」
「と、ともだちを」
この言葉を放つと、目から大きな水が流れ出てくる、ぼたぼたと、大粒の滴を 、虚を見つめながら、ぼたぼたと、鉛の塊みたいな雨。
オロオロしたチロタが、ごめんなごめんな。俺がしっことか巻き散らかしたから、などとピントのずれた気のかけ方をしてくる。そういうのではなしに、自分のおかしな意地もプライドも、もうここまで来ると関係ない。
さまざまな感情の渦の中、昨日の明け方、子守唄を歌ってもらって楽しそうだったわたしが、今思うとバカみたいにも感じた。きっかけがくだらなければくだらないほど惨めだ。
「ど、ど、どうして。わた、し、は」こんな薬瓶を届けにきたかっていうと…、そうだ、ある町でどこかの異国の少女が、わたしの、ともだちを、みかけて…きれいだって…。
「わたしは…ともだちを……」なぜだろう。どうして、こんな言葉が出てくるのだろう。視界が、ゆがむ。 体が震えて、震えて。
「と、とも、ともだちを…こ…ころ」
「殺し……」
「ちゃ、ちゃんと、やらないと…」胸の小瓶が疼いたかと思った刹那、ズンと重量を感じ、首が、心がちぎれそうだった――― 。チロタが何かわたしの肩をゆさぶって呼びかけてるみたいだけど、気づけば真っ暗な洞窟に一人立ちつくしていた。何にも視えない、何にも聴こえない。孤独、孤独、ひとりぼっち。
(こんなで…)
(…取り乱して…)
(みっともない……)
そうだ、わたしは、ここにくるまでに、大切な大切な友達がいた。チカチカとまたたく、海の光。
――地表がゆがんでわたしを飲み込む寸前の風景が、視えた。