20話‐「視える≒ラク?」
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――太陽の姿が、東の雲間から照らす。やけに輪郭だけははっきりとした雲の間々に透き通った青がちらり。
朝食の片付けを終え、今度はわたしの方が、毎日の武術の鍛練をこなしてる間「へぇ素速いな…。」みたいに言いながら、チロタは焚き木の後を片付ける分担をしてくれた。沙を重ねるごと、ツユウケカズラの白い花は開き、開き切り、朝露が降り注ぐような森の姿から、少しずつ温度を含み始めた。
風もやや強め。遠く離れた天が灰汁色にくすんで見える。雨が降らなければいいけど。後は出発するだけの野営地の落葉の下。わたしたちは水筒のお茶を少しだけ飲みながら、 ミーティングを開始した。
――今日の目標としては
●東炎炎森を午前中までに抜けて一回休憩。
●鉄ノ戸湿地を抜け、一回休憩。
●日暮れまで 孵ノ鉱窟の入口(南洞口)まで到着しておく。
●明日の単身鉱窟行動までに体力を十分回復しておくこと。
「………… と、手帳に……… 書いてあります」
わたしには書いてあることが音読出来るだけであって、陸地では実際の地形にあてはめて考えきれない。
チロタはしょうがねぇなぁなどと言いつつ 「ちょっと見して」とテイオウカエデのような手で小さな手帳をめくる。ふんふん。これなんて書いてあるの、ほうほう、んじゃこっち周りの方が楽そうだな。なんて、まるで古代文字を読み解く賢者にも見える。
(…それに引きかえ…)
わたしは方角も分からず、こんなに手帳に書きこんで、トオイトオイ島で一人で何をしようとしてたんだろう。遭難だろうか。死にたくなってくる。思い起こすと、みじめさに胸がつぶされそうだ。 しかも昨日迷った分、今日の行軍が圧してしまった。…ううん考えない考えない。
「嬢。これなんて書いてあるん?」
「『●明日の単身鉱窟行動までに体力を十分回復しておく』です」
チロタは何を言ってる、みたいな顔で、膝で立ちあがった。
「はぁ?」「単身!?」
―――やっぱり聞いてなかった。
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「嬢が?」「ひとりで?!」「なんで!?」
わたしはため息をつきながら、わたしは首をいっぱい上に向けて精一杯返す
「そういう窟なんです!」
「孵ノ鉱窟。ちゃんと説明したじゃないですか。モカモイ島出る前に…宿屋で!」ぼさぼさの頭をひねって、んーー?という顔。「行軍にいまさら口出ししないでくださいね」 この人と話してると首が痛くなる…。「いやさ…」「それとこれとは話が別だろ?」だんだん二人とも機嫌が悪くなってきた。
「何が別ですか?」「じゃあ話をもう一回しますので、聞いて下さい」
「こんなちまっこいの危なっかしくて一人歩きさせられるかよ…」「方角もアレなのに」
わたしは負けじと声をあげる。
「話し合いの意思を見せないのであれば、ここで解雇しますけど?!」
「馬鹿か!!!!」わたしの頭上はるか上空から怒号が鳴り響く。言ってる内容はどうあれ、大きな体で上空から怒鳴られると、悔しいことに、震えてしまうぐらいの迫力だった。
「とにかく一人歩きはダメだ」
水筒のお茶をぐいと飲みほし、獣みたいに口を拭いた。
話にならない…。悪漢なら櫂で急所でもついてやれば一発で沈められるのだけど、この蛮族は一応冒険の仲間なのだ。内心動悸をこらえながら、とにかく冷静に対応することにした。冒険の途中で仲間割れでタイムロスなんて、馬鹿げている。
イライラしながらザックの横ポケットから手帳の写しを引っ張り出す。
「……………………………… … はい」
孵ノ鉱窟近辺の地図と、簡単な注意点だ。読み書きの出来ないチロタでも意味が分かるように図示してある。 出発前に慌ててチロタの分も作ってきたのだ。なんだ?と写しを手にとって眺めてる間に、少しだけ場の空気も落ち着いてきた。
「…別行動っていうか、もともと一人で来るつもりだったから」「羅針盤の儀式の時も、この“窟”は一人で抜けないと通過したことにならないんだよ」
もしもの時の合図用の笛の説明に移ろうとするのだけど、山賊とかいたらどうすんだよ、だの、まるっきり女子供扱いが続く。一応わたしは櫂術3段なんだけどな。心配してくれるのはありがたいけど、信用がないのだと思うと腹立たしい。
―――チロタは存外しつこかった。
「ほんっとーにここは、一人じゃないとだめなのか?」
「儀式の時は、一人で鉱窟を抜けないとカシの木が答えないらしいですよ」
「おまえは薬を届けるんだろ?関係ねぇじゃねぇか」
「ここまで来て、もしカシの木が返事しなかったらいやでしょ!?」
「いなかったら根っこにぶっかけてやりゃーいいだろ!?」
「そんなの配達っていえないじゃない!」
「これは仕事なの!」
「どう考えても保護者同伴だ!」人狼が吼える。
「言い負けたからって論旨をすりかえないで!」踏ん張っていいかえす。
「とにかくダメだダメだダメだ!」吼える吼える吼える…。どうして話を聞いてくれないのだろう…。
「そ、そんな巨体で大声ださないでよ!」
「しゅ、出発前に日が暮れちゃうでしょ!」
わたしだって、勿論この陸地の方角が分からない病気で、単独行動なんて不安だ。出来たらチロタについていってラクしたい。でも、それじゃあわたしは…。
(………… わたしは、いままでちゃんとやってこれたんだから)
(………… もしカシの木が返事しないなんてことになったら)
(………… 仕事なんだから)
(………… こんなに言われたら)
(………… わたしが役立たずみたいだ…)
咆哮を喰らって、徐々に沈み始めたわたしを見て、少しはっとしたのか、
決まりが悪そうな顔をしながら、
「…………………… …… まぁ……その」
「……… アレだ… ……… …」
「 ………… ……わ… 悪かったよ」
「……そうだな……………… 」
「………………… 出たとこ勝負でいこうか」
―――絶対ついてきそうな顔だ。
「……………………………………… 」
「いい加減に出発しようか…」
「…………………………………… …」
わたしはなんとなくしゃべる気を失いつつ、目を合わせないように二人同時にザックを背負う。向かい風が吹いてきた。やっとトオイトオイ島の2日目がはじまる。
曇り空の中、進む。しばらくすると、チロタはあちこち指を差しながら、草笛を披露したり、木の実を拾ってきたりしていたけど、わたしの中では釈然としていないので、無言で進む。
道なき道を進み、やっと当初予定していた多少整備された道まで出れたので、少しほっとした。この道は羅針盤の儀式のとき、山頂から筏をおろす用のルートなのでこのまま進むと海に出てしまう。行きがけの行軍では2日目しか使えないのが残念だった。
そうこうしてるうちに、一番楽しみにしていた東炎炎森だ。木々はまだ半々で緑から赤銅色にうつりかけみたいな頃、足元に落葉の絨毯を敷いて迎えてくれた。
「へぇー。きれーなもんだな」ヒュゥと口笛がなる。
――わたしは、まだ意気消沈していた。どこかからの”黄”に染まった落ち葉がわたしの頭にとまる。
チロタは少し黙ったあと、決まりが悪そうに、ぼそり「……ついてるぞ。」と渡してきた。二つに割れた葉をくるりと回してしばらく眺めて、なんとはなしに、梔子色の別名が頭に浮かんだ。
(…… … … 不言色か…)
行軍の中で、一番美しい森なのに、こんな気持ちで、過ごしたくなかったので、わたしはやっと口を開いた。
「………… 羅針盤の儀式の月は……もっと輝くような金色と…」
「……… …燃えるような緋色の森になるそうです。」
「………………………… … そうか」
わたしを見て少し笑ったみたいだった。木々からは、ツンとした森特有の香りが鼻をぬけ、木の洞からは、小さな可愛らしい動物が顔をのぞかせて、すぐ引っ込んだりした。
木の葉香る森の中、でこぼこの二人が歩く。
「あともう少しで今よりもっときれーな真っ赤っかな森になるってこったな」惜しかったなーみたいに言いながら「嬢が羅針盤の儀式の時、観光ついでにもっかいこようかなぁ」なんてことをきょろきょろしながらのたまう。
わたしの羅針盤の儀式は早くても4年後だ。社交辞令だろうな。と思うことにした。
もともとお母さん以外のニンゲンはわたしにとって壁の向こうの違う世界の住人に感じてて、わたしは、どこに行っても疎外感を抱えて、どんな大勢の中に混ざってても一人ぼっち。
不思議だなぁ。わたしは、どうしてこの人と、こんなところで、無人島で旅をしてるのだろう。わたしに薬瓶の配達を依頼した、異国の少女から吹きこまれた、魅力的な”報酬”の話。もう封をされてて思い出せないのに、随分遠くまで来たものだ。
―――わたしは道中こんなことを頭の中で繰り返し繰り返し反芻した。
“信じる”ということは、目に“見え”ないものを、この身に変えて護るということ。
そして”見える”モノは信じるのが多少ラクなのだということ。
わたしは、ラクさに逃げるのを極端に避けてきた。
(……男の人の名前を覚えたのは、何年ぶりだろう)チロタの横顔というか下顎を斜め下からちらと見る。何故かこの人はいつの間にか視界に入ってきていた。いつからかはわからない。
(流されてるのかな…)
―わたしには、カシの木に、薬瓶を届ける、大きな任務があって――
(…今は多少ラクしてでも、進まなきゃ…)
――繰り返し繰り返し。誰に言い訳するともなしに。曇り空の中、進む。
「…トオイトオイ島では、どこかのポイントで必ず問答に答えることになるそうです」
「へぇ…?なぞなぞかね」
この件に関しては、文献などを読んでも、明記していない。口頭の言い伝えでしか、伝承の手段を使ってはいけないものなのだそうだ。いつの間にか東炎炎森を抜けていた。少し見晴らしのいい丘を超えて歩く。北西からの湿気た風。急がなくてはいけない。
ポンチョが風でひるがえる。胸で小瓶も揺れていた。
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