19話-「おはようって難しい」【一休み回】
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トオイトオイ島二日目の朝。薄紅の空。明けの明星とともに白い月。また来ます。といった風貌で、森の輪郭の縁で名残惜しそうに浮かんでいた。
まとわりつく湿度の中、木立を抜けるたび、朝露が雨みたいにふってくる。
日が昇るごとに、シィシィ…ショショショ。どこかから不思議な音色が聴こえる。
持参した小型の野草辞典を開くと。この音色はトオイトオイ島の朝の風物詩。ツユウケカズラの花が開く音だそうだ。このカズラの葉の上の露は少し甘いんだそうで、カズラにお願いして露と葉を少しだけ分けてもらうことにした。
(朝食に出そう…)
ツユウケカズラの唄に交じって岩場のだいぶ向こう、大男の豪快ないびきが聴こえてくる。
(…………………………違う…違う違う…)
あれから、ひと眠りしたら、 すっきりと心が戻ってきて、そのまま沢に身を投げたくなってきた。絶対にどうかしていた。チロタのすぐ横にいるまま朝を迎えるのが耐えられなくて一人でかごを持って逃げ出してきてしまったのだ。
露をカップにおさめ、朝食用の木の実を物色しながら、わたしは次第に顔が熱くなってくるのを感じて、溜まった清水を見つけては顔を洗う作業に追われていた。
沢に映るわたしは、年齢のわりに、まるっきり少年だな、と、顔を洗い終わるたび思う。チロタからすると妹というより弟みたいな感じだろうか。
(…………………… ……)
気づくと見もだえしてしまう。もう少し顔を洗って行こう…。
結局、わたしは、こんなに摘んだり拾ったりしてどうするのだろう。というような大量の朝食の材料を抱えて帰る羽目になった。
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野営地に戻ると、寝袋が散乱するなか、頭全体が寝ぐせみたいになってるチロタがその辺の岩場に足を乗せた体勢のまま、半裸で腹筋を鍛えていた。大きな山みたいだ、何クムロンあるんだろう。登れそうだ。
「おっ!はよーす」眠そうに笑う。
チロタは特にからかう様子もなく平常心なようだったが、わたしは少し焦ってしまった。何故この寒い中、脱ぐ必要があるのかと、やめて欲しい。
ほっ…23 ほっ…24
ほっ…25 はっ…26
別に気にしてないけど。わたしは視界をそちらに合わせないようにあわせないように沢の方を向いたまま横切る。
「おっ、朝飯 ほっ…28 作ってくれるのかーー ほっ…29 」
「こりゃー ほっ…30 腹減らしとかないと… ほっ…31 」
後頭部の方から俄然楽しげになった腹筋のカウントが聴こえる。
ほっ…はっ…43
ほっ…ほっ…53
なるべく意識をそらして、木の実をナイフで処理したり、野草を沢で洗ってるうちにうちにがんがんカウントがあがっていく。
「…… … … せ…精が出ますね……」大丈夫、もう平常心だ…。上品にいこう。
「俺にはこーゆーのしかとりえがないからな」ほっ…ほっ…61
「嬢、あんた武術の覚えはあるかい?」ほっ…ほっ…73
わたしは、心を落ち着けつつ、
「か、櫂術なら…」
「へぇ、あとでお手合わせ願おうかな」
「女の棒術系は小回り効くし、いると結構やなんだよなーー」
ほっ…ほっ…85
ほっ…ほっ…98
「…行きは日程が厳しいので…」「帰りの行軍で…」
「…へぇ嬢自信ありそうだなぁ」 「よーしちょっと楽しみにしとくわ」ほっ…ほっ…100!
「よっしゃ次腕立てーー」
正直言って会話は全く耳に入ってこず、たしかに腹筋はバキバキだった。
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沢べりの平らな岩をテーブル代わりに、干しパンと、もいできた果物や木の実をならべ、朝食の準備をする。どんな風に話したら相手が楽しいのかもよく分からない。給仕の仕事とは違う。問屋さんとも違う。どうすればいいか分からない。
おいしいのをだせばいいのだろうか。 モーヌの実の酸味が丁度いい朝の目ざましになるから、こっちはクムの葉サンドにして……。今日は厳しい行軍になる、体が温まるスープも必要だ。
摘みすぎたなんて言って、捨てたりするのは言語道断なので、道中の軽食に加工した分以外は、全部食べてから出発しなくてはいけない…。じゃあ、もう一品、金杏はしぼって砂糖水であえて、デザートにしよう…。
なんだかヘンな感じだ、よく考えたら赤の他人と冒険に出て、一緒の朝ごはんを食べるなんてこと、いままで一回もやったことがなかった。
そういえば…。
―――今までわたしは、どうやって一人でここまできたんだっけ。
ズクンと頭が疼きはじめたので、すぐさま頭を振って考えを追い出してしまった。
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チロタは食後の果実茶の皮まで全部喰い、ごっそぉさーん、んまかったーなどといつまでも指をなめていた。
「………… 宿屋に通ってた時から…思ってたことだけどよ…」
「………… 嬢は飯作るのほんっとーにうめぇよなぁ…」
腹をさすりながら、放心しているようだった。大げさにいっておだててるんだな…とわたしは、気にしないようにして軽く返す。
「フ、フツーです…」何故かうつむいてしまう。
「… 今日の行軍は厳しいので、腹ごしらえをしっかりしないといけませんし」
「た、旅先は体調を壊しやすいですし」
「栄養、気を付けないといけませんからね」
視界の端に、真顔のチロタが見える…気がして落ち着かない。「食器を沢で洗ってきてください」わたしは調理道具の数を点検をしながら、後片付けをする。
チロタは極限まで皿をなめて綺麗にしてから。オイシカッタ オイシカッタ オイシカッタナーみたいな自作の唄を不安になるような音階で、遠くの方で歌っているようだ。
少し間を置いた後、素に戻ったような様相で、気づくと横に立っていた。
「俺、朝からこんなあったけぇスープとか作ってもらったのガキの時以来だわ」
「…いいもんだなぁ」
「ありがとうな」
ザックに食器を詰める。
わたしは、まさかこんなに丁寧に感想を言われると思ってなかったので、すっかり動転してしまった。
「た、た、………旅先は体調を壊しやすいですから」
「……栄養、気を付けないと、い、い、いけませんからね」
頭が真っ白になってしまい、台詞がまったく思いつかない。さっきとまるっきり同じことをいってしまう。どうしてだろう。混乱してきた。きっとこれは罠だ。ここでペースに乗せられたらきっと負けなんだ。平静を装いつつ、格調高い感じでふるまう。
視界の端、チロタが不思議そうな顔をしている…気がする。聞かれてもないのに、そのまま続けてしまう。
「だ、だって!」
「え、栄養取らなきゃ!だめでしょ!」
「旅ははじまったばかりだし!」
「え、栄養!大切でしょ!!」
へーぇという顔。わたしは深呼吸して、トオイトオイ島の湿気がそのまま飲めそうなひんやりとした空気を大きく吸った。これ以上横顔を見られたくないのでポンチョのフードを深く深くかぶりなおす。
「た…た……旅先は特に体調を壊しやすいですから!!!」
「……… 今は特に気をつけているだけです!!!」
「体調!壊さないように!」
「し、し、し、してるだけです!!!」
この台詞は約分したら1になる…。そんなことをぽーっとした頭でめぐらす。チロタはくっくと笑いをこらえながら。
「俺は嬢を思い違いしてたみてーだ」と幸せそうな満面の笑みで、ザックを、ドン、と陣の端に移動させた。
「お、思い違い!?」
にっと笑って「褒めたんだよ」
「仏頂面も可愛かったけどな」
「…………………………………………………… ……は?」
こういうところで隙を見せてはいけない。わたしは乗らない。後ろの方で、くっくっくとまだコケコーのような声が聞こえる。わたしは気にしないし気にしてない。
パンパンと手を叩きわたしは顔付近の熱気を吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。
「早く片付けて、ルート説明に入ります!」
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