16話-「天にはモーヌの実」
*.
****
トオイトオイ島に渡航して、さんざんだった一日目の日暮れ。
わたしは、己への屈辱に震えつつもチロタの地形読み取り能力に助けられて、なんとか意味が分かる地点、暮れなずむ川沿い、山吹色の木の葉舞う大きな樹の下まで連れてこられた。
少し考えて岩場の奥まったところに野営することに決定した。ここなら少しは安心して夜を過ごせそうだ。松明を陣の目印で立てる。紫苑に染まる沢を照らす暖かな炎。
持参した松明は長くよく燃える大切な冒険の道具なので、本当は節約したかったのだけど、湿地が近くのせいか、燃やせる木っ端があまり見つからず、いきなり2本も消費してしまった。朽葉蠟のランタンも併用でこの闇の中をしのがなくてはいけない。
虫の声に混ざって、遠く近く、トーポポルル…と”ヤマセンドウ”みたいな鳥の声が聴こえる。暗い岩場の向こう、しゃらしゃらと流れる清水の音が聞こえる。大自然の夜の演奏会だった。
全体的に湿気を帯びた島で、体に張り付くような”寒い”だった。モカモイ島なんか序ノ口だった。わたしは防寒装備を沢山持たせて下さった道具屋の旦那さんに心の底から感謝した。
この湿気なので、火を起こすのも一苦労だったが、どうにかこうにか、コリコリ草のスープだけ作れた。こうやって定期的に体を温めておかないときっと二人ともすぐに体調を壊してしまう。カシの木までは短いようで結構長い。
*.
「やーーー。んまかったーー」
トオイトオイ島は、羅針盤の儀式が開かれる橙晶月以外は、基本的に”ニンゲン”は立ち入らない。
「ごっそさん!」
あとひと月ぐらい待つと、儀式の準備などで、各地の海語商工会のお偉いさんや、舟守、水上守。モカモイ島と連携して、たくさんの人々が来訪する賑やかな島になるのだけど、今は何が起こるか分からない無人島、力をつけておかねば。
「しかし、さ、傑作だったな…」
この、山と間違えられて登山客までやって来そうな図体のなんとかさん、もといチロタとかいう蛮族は、やっぱり渡航証なんかとっていなかったので、わたしの仕事の同行人が増えます。という感じの手続きを、あわててしに行かなくてはいけなかった。
わたしが、食後に暖かい果実茶を作ろうと、モーヌの皮をぼんぼこと鍋にほうりこんでると、しきりにチロタが焚火の向こうから囃し立ててくる。
「俺が付いて来てて良かったなぁ…はっは」
「嬢ときたら、顔真っ赤っかにして、あっはっはっはっは」
あれからいったい何時間経ってると思ってるのだろう。なんてしつこい人狼なの…。
聞こえないふりをして焚き木でお湯をわかしてると、視界から外れた向こうから、―うひゃひゃ…。手帳とにらめっこしててさ。じーってさ 。おもしろいのなんのって…。みたいな声が鳴り響く。
*.
最初は耐えてたのだけど、だんだん怒りを我慢するのに疲れてきた…。人の失態をこんなに笑うなんて絶対よくない。そう思う。
「もういいじゃないですか!」
わたしは耐えられなくなって、出来た果実茶をカップに注いでバンと土の上に置きながら叫ぶ。
「ありがとうございますっていってるじゃないですか!」
「もういいじゃないですか!!!!!」
つい乱雑に鍋を置いてしまう。いけないけない…鍋もカップも別に悪くない。
「――…お、お水を汲みに行ってきます!」怒りにふるふると震えてるのを気づかれないようその場を逃げるように立つ。
「おい!一人じゃ危ない」
「…………… … ついてこないでください!」
*.
****
気づけば完全に夜の帳がおりていた。この辺は日が落ちるのが本当に早い。そういえばいつの間にか晴れたようだ。鉄紺の天蓋に金糸雀色のモーヌの実みたいな、少しかけた上弦の月が遠く遠く浮かんでいた。
(わたしだって…)
海の上だったら、太陽も見逃さないし風を読めばいい。方位を阻む障害物もほとんどない。長年のカンも使える。なのにわたしときたら、もっと長いはずの陸、まともに陸も歩けないんだ。
みじめな気持ちを、空の桶に投げ込んで清流のポイントまで力なく歩く。
(もしかしたらわたしはトオイトオイ島で…)
(…な、何も出来ないかも知れない。)
ひんやりと湿気た、苔蒸した風がまとわりついて、棘になって胸を突く。水を汲むついでに、 誰にも見られないよう、顔を洗いゴシゴシぬぐう。
そういえばニンゲンってこんなだったっけ。人の失敗を、世界の終末みたいに笑う。悪意がなかったとしてもわたしの中では同じこと。ジルバはこんなに笑わない。
川の流れは、心の腫れを少しだけひやしてくれた。
気づくと少しだけ離れたところにチロタがいた。果実茶のカップを軽く持ち上げ、ごちそうさま。というようなジェスチャーをした。
「嬢…その………………」
「…―――何か用ですか。」冷徹に返答する。
わたしはチロタと目を合わさずに野営地の方に向かう。松明を持った蛮族が後ろをのっそのっそと、胸当ての毛皮をむしりながら 尻に敷かれたハガネグマみたいについてくる。
「いや…えっとさ」
「…俺、嬢になんか…したかな…?」
「いやさ…今日は…特に機嫌悪ィ気がして…」
きまり悪そうに頭をかきながら桶を横から持とうとするチロタを阻止するように桶を持ちかえ持ちかえする。
「…― もういいですよ。」
「…わたしがまともに陸地も歩けないのが原因ですから」
「…その節はありがとうございます。」ポンチョの裾をつまんで正式な会釈をしてみせる。こういう時は品よくいこう…。
「あれっ、方向音痴のこと!?」
「―――……そういうことじゃないです!!」
拍子抜けしたように言われるとさらに腹立たしい…。
最初のきっかけは、たしかにそれだ。でもわたしが怒ってるのはそういうことじゃなく、失敗した人をしつこくしつこく あげつらうという、無神経な行為そのものについて怒りを感じているのだ。
「いや、あんた、そりゃな、俺もしつこかったかもしんねぇよ?」
「でも、だってさ、嬢にこんなところあるんだって、俺、なんか嬉しくて…」
「怒ってる方が、見てて安心出来るなぁって…」
「…それに…ほら、抜けてるぐらいの方が可愛…」
「――いいかげんにしてください!!」
死にたくなってきた。 もうニンゲンは嫌だ…。こんな時ジルバがいてくれたらどんなに癒されるだろう。
「難しい年頃なんだなぁ…」後ろから、チロタのやれやれみたいな声が聴こえる。顔が熱いな。なんでだろう。
*.
いらいらしながら闇の中。足元にぽつりぽつ、碧く光る三角錐の光が落ちているのが見える。”ヤマセンドウ”の巣を指し示す光だ。
ヤマセンドウはメスに帰巣本能がない珍しい鳥で、オスが巣に道案内する時、この碧い光の小石を生む。この嫌な時に出くわしたくなかった。
「へぇーー」
「方向音痴鳥こっちにもいるんだ………。」
「―――………………………………………………………………。」
あ”~。いや。その。ゴホンんっんっ。嬢は方角がヤバくてもちっこいし肩に乗せやすいから大丈夫だ。飯もうまいし大丈夫だ。後ろから慌てたように何が大丈夫かさっぱりわからない話が続く。
(…こんな行軍、早く済ませてしまおう…)悔しいけどこいつはもう冒険の仲間なんだ。
――わたしはやむにやまれずこの蛮族に案内係を正式に依頼してしまったのだ。――*.
チームワークみたいなのもちゃんと高めなきゃいけないのに、わたしは全然ダメだった。考えたくないぐらいダメだった。
―――本当は、わたしは、この人に「助けてくれて、ありがとう」って伝えなきゃいけないというのに…。こういう時どういう顔をすればいいんだろう…。胃が痛くなってきた。結局一回も目を合わせず、野営地に戻り早々に寝袋にもぐりこむ。
(そういえば今までは、配達で困った時は、ジルバが道案内してくれてたんだったな…)
寝袋の中、小瓶のペンダントをぎゅっと握り、頭をブルブルと振る。
(やっと目的の島…)
多分空は、おいしそうに浮かんでいるモーヌの実がそろそろ西の方に少し傾いている頃で、きっとここぞとばかりに美しい星空なんだろうと容易に想像出来たのだけど、空を見上げる気が起きないまま、寝袋にもぐっているうち、すぐに眠気が襲ってきた。
*.意識が飛ぶ直前。焚き木の向こう岸の寝袋からゴウゴウと大きないびきが聴こえてくる。
どこかの峠から、オーオーと、ナニカの遠吠え。トーポポルル…ヤマセンドウが後を追う。森に清水に、藍に紺に漆黒に。苔に岩に。ここにいるぞと、ここにいるぞと、響いて、響いて、いつの間にか吸い込まれ、闇のまにまに、消えていった。
*.
****