14話-「流れて散って、結んで光って」
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耳の後ろをひょうろろと風が通り過ぎるたび、わたしはぶるり、ポンチョのフードをかぶり直し、縮こまるようになった。宿屋のおかみさん曰く、東の海域の住人にとってこんなのまだ全然”寒い”じゃないんだそうだ。
モカモイ島におりたばかり時よりも多少体が慣れてきたのかなと思っていたのに、もう一回道具屋の旦那さんに相談しなくては。
飛ぶように忙しいなか、渡航資料集めもなんとか終え、舟の修理も終わったそうなので、あとは、ジルバ号の引き渡しと、ザックの中身の最終確認をするだけになった。
(――…やっとジルバ号で眠れる。)
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宿屋で働く最後の夜。 椅子を上げ、モップがけも終わった、狭い店内。
「………………… …お世話になりました」
わたしは舟守のニッカボッカのすそをかるくつまみ、深く会釈をした。
エプロンドレスの制服を洗って返した方がいいのかちょっと悩みながら、とりあえず畳んで後ろのテーブルに置いていたら、宿屋のおかみさんが横からひょいとつまんで洗濯かごに放りこんでしまった。
湯気の立つ厨房の奥から旦那さんの声が聞こえる。
「今度は葬式終わらせてから来いよー」はっはと笑い声。明日の仕込みに忙しそうなので、もう少しゴミだしなどを手伝ってからハネることにした。
――しょうがないな、みたいな顔をしておかみさん。
「ミカダさんは、ほんっとーに」「ほんっとーに愛想はなかったけど…」
「まじめにやってくれたからね。」
「ちょっと色つけといたよ」 ゆさゆさと笑いながら給料を支払ってくれた。
「あ…ありがとうございます!!!」
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店を出た坂の上、風は浪々と吹き渡っていた。少し離れた入り江を抱える様に家々の明かりが灯る。
(頑張ってよかった…)
――この辺の海域の人たちは気温と違ってなんだか暖かでいいな…。
わたしは宿屋の周辺の木々や浜たちにも挨拶をしようと、坂を下り、遠まわりすることにした。慣れない客商売でフラフラのわたしをだいぶ癒して支えてくれた奴らだ。
ざざざ。ざんざ。木々の唄。ざざざ、ざんざ。遠くの潮。
(…ありがとう)
(…助かりました)
この辺の代表っぽく見える大きな洞の木に軽く会釈をする。
今日は海方向からの軟風。菫色の空。 月はまるで咲いたみたいな、うるんだ菜の花色だった。
きっと南塩ヶ海も今頃碧い光がやまほど…。チカチカチカ…。脳裏に蘇る恥ずかしい思い違い、ニセモノの光。蓋をして視えないところにぐしゃぐしゃに丸めていた記憶。
―――逃げていく碧い光のことを思い出すと胸の底が、ぎゅうと軋む。
「……………あと数日でこの島とお別れ…」
モカモイ島の喧噪の日々。街並みも、木々も、初めて見る"秋”も。気が紛れて助かった思い出が蘇る。胸からさげてる小瓶をぎゅっと握る。「ジルバの家」に敷いた琥珀草は、とっくの昔に枯れていた。この数週間考えないように、考えないようにしていた。
――体の輪郭が透けそうな月夜。
(…なんだか月がセカイにプロポーズしにきたみたいな…)しばし目を奪われる。
「よし…」
思い切って浜辺の方に進路を変える。怖いもの見たさというか、ジルバのことがなければ、あの浜はきっとこの世の絶景なのだ。
「おーい」「おおーーい」
「お嬢ーーー」
後ろからどったどったと走る大男の野太い声が聞こえる。
Bだった。――帰ったんじゃなかったんだ。
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白い砂浜のあちらこちらに、ミチシロコミチとハマアオイがゆらりゆら。遠くによりそうように恋人同士かぽつりぽつりと咲いていた。月が近い浜。想像通りチカチカと、海からの風、無数の碧の点滅。
わたしは何故か大男とふたり、碧雁の河みたいな碧い光の渦の浜辺にいた。この人は何の用があって来たのだろう…。
「…なんだぁ?」「チカチカ祭りでもやってんのか?」
「…………… この浜の名物の…鉱物混ざりの…光る風です」
Bは碧雁の説明を聞くと、へぇえ。そりゃー風流ってやつだなぁ。と軽く鼻先をかきながら、意外なほどあっさり納得した。もっと大騒ぎするだろうと思っていたので、なんだか拍子抜けしてしまった。
今日は風が強く、浜辺には躍るように、はじくように、碧の光の帯が、風に乗って幾重にも折り重なって、エンノポプラの林に吸い込まれ、坂の地形ごと、仄かなオーラを放つ。
――碧雁の瞬きは、今のところ私の心を、毟ってこないみたいだ。
月に向かって石を投げながら、Bはいつもよりは、だいぶ落ち着いた感じで、ぽつぽつと話しだした。舟守の仕事で嬉しいのはどんな時だ。好きな花は。得意な手遊び歌の話。
「…………乗組員Bさん、そんなに暇なんですか?」
一瞬きょとんとしたのち
「ひでぇなぁ」わっはっは。
Bは空気が振動するぐらいわらいはじめた。ツボに入ったみたいだった。「色々とひでぇなぁ。嬢ーー。」わっはっは。「村人Aみたいなやつか」わっはっは。
――冷静に考えてもだいぶ失礼なことを言ったのに、こんなに笑い出すなんて不思議な人だな…。
「俺、名前、頑張って書いたのになぁ」わはわはわは。「メモ渡しただろー」腹を抱えて泣きながら笑っていて、わたしもつられて少し笑ってしまった。
「……ご、ごめんなさい」
わたしもなんとはなしに石を飛ばした。シャッ…パシャッ…パシャ…シャ。6回ぐらい波をはじいて消えていく。石飛ばし…水きりは得意だった。
「へぇ、お嬢、石飛ばすのうめぇんだ…なっ!」Bは私に続いてヤシの実投げみたいなポーズで石を投げる。大きく弧を描いて、どんぷと遠くの波に落ちた。これでは水きりじゃなくて、投石だろう…。
――不思議なことに、今日はあまりこの人といるのが疲れなかった。
(いつもこうしててくれたら楽なのに…。)
遠くの方で、海渡がヨーンヨーンと鳴いている。少し座り、Bは月明かりが透けた大きなたてがみを風に揺らし、遠くの雲を眺め、少し笑いながら 、ぽつり、呟く。
「俺もあんたみたいに読み書きが出来たら、舟守になれてたかもなぁ…」
「…………今からでも遅くないじゃないですか」
実際祝福の試練を受ける船乗りは、読み書きが出来なくても一生かけて語学を勉強して試練を通過するケースも多かった。国家職の免許取得者には、家族にも手当が出るからだ。
「……じゃあトオイトオイ島に渡って、何をするんですか?」
耳をくすぐり渡る透明な空気。いつの間にか月は陰っていた。
「妹の…。」
「いや、きっと笑うから…。」
真っ赤になって鼻をごしごししながらそっぽを向いてしまった。
何か違う目的があるのは、わたしと同じなんだ。手元にいい石が転がってたので、わたしだけ海に飛ばしにいく。雲の中。大きな月がうっすら透けて、まるで空の向こうに、どこか違う世界への入り口があるようだった。雲は形を変え、流れて飛んで。飛んで流れて。
「…あんたは…妹にちょっと似てて……」
パッ…パシャ…シャ…。
慣れた手つきのわたしの水きりが決まる。風に乱れた髪に碧雁がしゃらりとまとわりついてるのが分かる。帰って洗うのが大変そうだ。
「家族か、恋人か、ニャーか、何か」
Bは左腕の大きな刀傷を触りながら、もたもたと区切って区切って続けた。
「何か……心か」
海から吹き渡る大きな潮風が鼻先をくすぐって逃げる。
「な、何か……大切なものを…」
「その………。…置いてきたみたいな…顔をしてて…」
わたしが振り向くと、さっきまで陰っていた月が顔を出した。とたんに碧雁の群舞が始まる。チカチカチカ…頬を光が弾んで、かすめて、そのまま流れ、そよいでいく。
「そ、その………………………だから… 」
「………………………………………………… …… えっとだ………」
チカチカチカ…。チカチカチカ…。
目の裏に浮かぶ暖かな瞬き。目をそむけていた胸苦しさ、風にちぎれて、飛んで。流れて散って、結んで光って。チカチカと、像を結び。黄色く、はじけて――。
(………………………)
――”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ。――
ふと浮かぶお母さんの口癖。
「あ”~~~~!」
「…こーゆーのは慣れねぇな~~~!!」
「ダメだ!」
やおら音量大に切り替わった。遠くで寄り添っていた恋人同士が、驚いて振り向いてる。真っ赤になったBの顔に碧雁の緑が反射して、どうかしたら混色して黒色に変化して見えそうなぐらいだった。
「ダメだ!」
「あ”~~」
「…別に俺は何もすげぇこと言おうとしてるわけじゃねぇんだけど…」
「…えーーっと…」
虱を飛ばす勢いで、頭をかいている。ほんとにでかいヌーイみたいだ。
(…………… …… … …)
必死で、もどもどと何かを伝えようととするBを眺めていて、なんだかわからないけど、わたしの口をついて出た言葉はこうだった。
「……………い、……… 行きだけでも舟に乗って行きますか?」*.
ひょうろろと、風がちぎれてふたりの髪を乱して逃げる。
――B…じゃなくて。
「……………な… … なんとかさん!」
なんとかさんは少し驚いたような顔をして。顔いっぱい笑った後、また頭をかきながら、ぽそりと
「…俺は、チロタ」「元傭兵。」
「…力仕事なら出来ますよ~お嬢さん」ニッと片眉をあげ、大きな体をかがませて、フライパンみたいな手で握手を求めてくる。
「……………… それ…見た目で誰でも…わかります…。」わたしは目をそらし人差し指だけだした。
ははっと笑った後、親指みたいな小指が下からすくい上げる様に指切りのカタチで軽くふれて、すぐ引っ込む。
すぐわいてくるおかしな間に耐えられなくて、いつの間にか二人ともうつむいてしまった。
胸の小瓶が風に揺れて、わたしたちも、浜辺に咲く白と碧の小さな花も、光の帯も、天の藍も、波間で揺れる菜の花色も、一斉にゆうらり、ゆうらりと、たゆたっていた。
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