13話-「Bでいい」
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モカモイ島で初めてすごす”初秋”は、ささくれ立っていたわたしの心を、多少は癒す効果があった。
煉瓦畳の大きな町、なんとなく黄色くなった葉っぱがちらほら。空は高く、木琴みたいなだんだらの雲が遠く貫く。
(赤い木もどこかにあるはず…)
モカモイ島は、グース群島でよく見るテントの集まる市場とは違って街のほとんどが石造りのしっかりとした”建物”の塊だった。気候や風土が違うと町並みがこうも変わってくるものか。多分冬とかいうやつになったら”ダンロ”であったかくするのだろう。
大通りを一本脇に外れると、ごちゃついた石畳の路地が四方八方に伸びていて、まるで迷路みたいだった。
わたしはあえて狭い路地ばかり選んで歩いたりした。珍しかったからだ。飲食店の裏口からは、おいしそうな肉や魚の焦げた匂い。煮炊きする湯気なんかが漂い、嗅いでるだけで、胸がいっぱいになったりした。
おかげですぐ迷ってしまって、目的地にたどり着けなくて困ったりしたけど、今は何でもいいから忙しくあれこれ違う事を考えていたかった。
わたしはトオイトオイ島用の、防寒装備を選ぶのにだいぶ苦労していた。どの程度”寒い”とどのぐらい着ればいいか感覚でわからないからだ。
もう目的地を話して、プロに相談した方がいい…。
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「お嬢さん、カシの木って智慧のカシのとこかい」
道具屋然とした大きなひげをたくわえた旦那さんが、不思議そうな顔をして、装備を選んでくれる。奥の方には「銀砂糖入荷」「岩殺しの鎚あります」なんて張り紙がしてあった。
「羅針盤の儀式はもうふた月ぐらい先だよ?」
「……………… 仕事で」
低い山だけど、智慧のカシは一応山頂にあるから、寝袋もゴツイのもってけ。これもだあれもだ。とのことで大出費になってしまった。騙されたのでなければいいけど…。
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宿の飲み屋は大盛況だった。
「よっ!」「ちゃんと喰ってるか~~」
「………… …………… ………… …………い …らっゃいませ」
刀傷の大男の乗組員Bは、それから毎日うちの宿に飯を食いに来ては、あれこれ話していくようになった。
どうやらBはあの「大きな船」の乗組員というより、わたしと同じく、トオイトオイ島の近くまで、乗せてもらう旅費代りに働いてただけだったという無駄知識をわたしに植え付けていった。
顔を縦断する刀傷。 ぼさぼさの黄金色と炎色まざりのたてがみ。傷が走った片目はつぶれていた。 ぼろぼろの焼けたマントに、あちこち毟れてる安そうな毛皮の胸当てに、大きな剣を携えていた。傭兵上がりだろうか。
腰のところには藤色のチーフの下に同じ色味の、細かい刺繍入りの装飾布が巻いてあって、護りが硬い”盾”の称号持ちの戦士だというのが分かる。
――Bの様子はまるで人狼だった。
「なぁなぁ。お嬢ちゃん、名前教えてよ」
「――…… …………… ……… ………… 名札をご覧ください。」
仕事を辞めたばかりで暇なのだろう。
「おい!!!!!」
「てめぇら!!!」
――店中に鳴り響く轟音。 たてがみを逆立て、やおら立ち上がる。軋む板張りの床。揺れる店内中の樽のテーブルの上、暁麦酒の泡がぶるり、震えた。
「誰か!!!!!」
「どなたか!!!」
「お優しい旦那さま奥様!!」
「この子の名前なんて読むか!!なにとぞ俺に!!」
「俺”だけ”に教えてくれ!!!」
「いいか!?」
「”こっそり”だ!!!」
――読み書きが出来ないし、色々とよく分からない人みたいだった。
ミカダ。ミ、ミ…。ミカ?…ミ…ミカダだと思います。ミカダ。店中からおびえたような声が次々と届く。狭い店内なのだから、でかい図体はなるべく折りたたんでおいてください…。
「ミカダさんかーー」「んーー。」
「俺っち下の名前が知りたいの」無駄に屈託がない笑顔で頭をかいている。
「下の名前は?」「なぁなぁ」
「―――……………。」
わたしはイライラしながら、大きな樽ジョッキになみなみついだコル乳を「お待たせしました」と給仕する。これは仕事だ、上品にいこう。
「なぁ、なぁ、じゃあ勉強教えてよ。」
「……………… 仕事中ですので。」
「この字なんて読むの」
「……………… トカマグロ」
「あんた怒るとかわいいよなぁ」
「…… …………… …………… ……………… ………… ………… …………… ………………… ………………… ………… ……… ………」
―――空気も読めない人だった。
もう。なんなのだろう…。
Bが店にやってくるとイライラする反面、ジルバのことを思い出さずに済むのだけど、全然渡航の計画がまとまらない。何でこの巨漢は邪魔ばかりしにくるのだろう。
(誰か首輪で繋いでおいてください…)
見た感じよりだいぶ拍子抜けな感じの人物像なので、この様相は、見ようによっては散歩に行きたいだけの巨大なヌーイにも見える。
「オホン!オホン!」
急にかしこまったかと思ったら、Bはこんなことを言い出した。
「いやー奇遇だなぁ。お嬢さん…」「実は…俺もトオイトオイ島に渡るんだよ」
「…………… …… そうですか。」
冷徹な感じでコップの水を継ぎ足す。
「そうそう、舟…!」
「…たしか……?そこの可愛い舟守さんはいい舟を持ってたよね!」
「――マコル豆乳茶とワナワナ鳥の牛乳ボイルですね」
テーブルにワナワナならないように、華麗に置いてくる。Bは図体のわりに 乳製品ばかり注文する。まぁ図体でお酒を飲むわけじゃないけど…。
「なぁ、なぁ」
わたしはたまらなくなって叫ぶ。
「――――舟なら港に山ほど、停まってます!」
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今日もくたくた…。
遠くからの海風が疲れた夜を梳いていく。
(だんだん”寒い”になってくるな…)
道具屋の店主がトオイトオイ島用の装備として薦めてくれた、大きな肩掛けポンチョを今から使っていた。
ザックの上から羽織れるすぐれもので、冒険でも重宝しそうだった。結局、トオイトオイ島の渡航用資料は、朝早く起きて図書館でまとめたり、給仕中、用をたすふりをして裏庭で手帖に書きこんだり、なんとか時間を捻出して作り上げた。
これだけ調べ上げておけば、すんなり3日でカシの木のもとに辿り着けるだろう。トオイトオイ島に渡航するんであれば、役所で書面を提出して渡航証を取っておかないと、密航者扱いになってしまうのだけど、Bはそういう手続きのことを把握してるんだろうか?
――「…そこの可愛い舟守さんはいい舟を持ってたよね!」
「……………… …… 」
(……どうだっていい…)
どうせ渡航費用をケチりたくて、しつこくしてくるのだろう…。
胸で”ジルバの家”の瓶が、きらり、月明かりと藍とで、はじきあって遊んでいた。
――わたしは、この小瓶にかけてかならず仕事を完了させる。
そうでなきゃ、なんのためにジルバは…。
「……今は…、考えない……」
やるべきことだけみる。進んでから考える。
――ここで立ち止まったら、二度と歩き出せない気がするから。
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翌日心に鞭打って、モカモイ島役場にいって、渡航証の手続きと、神域に入る許可をとりに行った。
トオイトオイ島に渡航するんであれば、役所で書面を提出して渡航証を取っておかないと、密航者扱いになってしまうのだけど、Bはそういう手続きのことを把握してるんだろうか?まぁ、どうでもいいけど。
「智慧のカシに薬瓶の届け物があって」
本当は、他の言い訳をつけて、誤魔化したかったのだけど、神域に入るのに、嘘を付くなんて、恐ろしくて出来なかった。役場の受付で、すったもんだののち、奇跡的に彩神さまの司祭にとりつけてもらえた。
彩神さまの司祭は、主に彩に造詣が深い、画家や染織家などが務める。モカモイ島の司祭も、ご多分にもれず画家だった。絵の具だらけのスモック姿の司祭に、神域に入る作法や、道などを出来る限り教えてもらった。
司祭のアトリエに、印象的な絵。山吹色のベレー帽の可愛らしい少女の絵がかかっていた。
惹き込まれるような絵だったのに、司祭は気にいってないようだった。後で描きなおすそうだ。芸術家はよく分からない…。
この調子だ、少しづつでいい。一つ準備が進むごと、気が紛れた。
ギィギィギイコ。遠く近くナニカが軋む音が聞こえた。
わたしは大丈夫。
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