11話‐「お母さんの魔法の庭」
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ここはどこだ。
腰までの長い黒髪、大きな一本の三つ編みにしてる少女。大きな鉄のお鍋に焦げたシチュー。土間を抜けると、新緑の庭。お母さんだ。
「お前たち、おはようー」
お母さんが庭の植物たちに朝の挨拶をしている真っ最中だった。小さなアーチには、蔦が絡み、小鳥の水飲み場も用意されている。白い花の多い庭。
太陽の光といっぱいの水。庭に出るといつもお母さんの笑顔で空が反射して見える。お母さんは、栗色の髪、ふわふわの長い髪を束ねた、わたしにちっとも似てないきれいな人だった。
そうだった、うちは貧乏だったけど、庭だけはどこの家にも負けなかった。
月白色にはじける小さな花、ムドリ草の囲みを抜けると、道草瓜が鈴なりに生り、可憐ではかなげな草いちごが広がる。わたしは庭からよく摘んで食べていた。収穫時期前に食べると、お母さんが泣きながら怒るから、気をつけないといけなかったな。
お母さんの植物園の中で、わたしがひときわ気に行ってたのは、ちいさなテラコッタの鉢。中に入ってる植物は、カタカナのカッコいい名前だったっけ。
お花も咲かない地味な風貌の植物。どうしてこんなに気に入ってしまったかわからない。ただ、この鉢とはよくよく目があった。
ある日なんとなく、鉢に顔を描いたら、お母さんがすごく褒めてくれた。
「ふふ、なんだか喋りそうじゃない、この子」
「バジルだから…ジルバ!」
―そうだった、ジルバはお母さんが名前をつけたんだった。
「バジルは結構育てやすいんだよね。あんた、頑張ってみるかい?」
丁寧に水をあげること、話しかけること。部屋で一緒に寝た時は翌日忘れず庭に出して日光浴させてやること。たしかそんな条件だったと思うけど、
わたしはお母さんみたいにいつか庭にいっぱいの友達が欲しい。と小さな野望を抱きつつ、ジルバの世話を請け負った。何回か鉢の中のバジルは入れ替わったけど、翠の葉っぱが日を受けてもくもくと育って行く姿は、誇らしかった。
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ここはどこだ。
町の往来で色とりどりの灯明が燈る夜。そうか、これは芒語祭の夜。記憶の中、ちいさなわたし。得意げなわたし。
周りには近所の子供や、隣のおばあさん。遠くで楽しそうなコーディの音色が響く。ブンタカタ。ちゃっちゃっちゃ。旅の楽団が稼ぎに来たのだろう。
わたしは、少し緊張していた。そうだ、今日はわたしから発表があるって触れまわった日だった。
―――今日は、あたらしいお友達を、みんなにごしょーかいします!
こんな重大発表があるのに、わたしはあんまり注目を浴びてないようだった。まぁいいや、きっとこのぴかぴか光る美しい姿を見たら、みんな驚くに違いない。
―――おいで!
こら、ちゃんと整列。そうだよねぇ、お前だってドキドキするよね。
―――みんなーー!
―――このこ、このこです。
―――きれいでしょ。
―――ジルバっていいます。
―――きいろくひかってるのはうれしい時なんですよ!
にこにこしながら得意そうなわたしを見て「………は?」怪訝そうな顔をして通りすぎていく大人たち。
―――……?
3日後、麦の日読み書き会にいくと、皆がわたしの方を見て、にやにやしている。わたしはなんとなく、居住まいが悪くて、ほんのちょっとみんなから離れて座った。
――ミカダさんちの娘さんは大丈夫か。
――ついに気がふれたんじゃないかねぇ。
――お母さんもあそこは変わってるから…。
往来でそんな噂話を耳にはさむ頃、わたしは、やっと”こと”を理解した。
―ジルバは、皆に視えてないということ。―
読み書き会から帰ってくるたびに悔しくて震えるわたしの頭を、お母さんだけが撫でてくれた。
「どうしたの、あんた…顔が真っ青だよ…?」
「…………………………」
鈍いヤツらにちょっと何か言われたからって悲しいとか「泣く」だなんて、ただの敗北だ。わたしは、いつも無言で我慢する。わたしのそばで、ジルバが光る。チカチカチカ、海の色。「元気出して」の光り方。
「…………わ…たしは…ゲンキだよ…?… 」
お母さんがやれやれみたいな顔をして、温かいお茶を入れてくれた。
ジルバの姿はお母さんにも、視えてないみたいだったけど、わたしはなるべく考えないようにした。だって、ジルバはこんなにいいヤツだ。
「”セカイ”を決めるのって、他の人じゃなくてね、自分なんだよ」
お母さんはよくそんなようなことを言っていた。
細かい意味はわからないけど、わたしはわたしの目に映る物事を、一番に信じることにした。
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ここはどこだ。記憶の中、港で魚を器用に処理する10歳ぐらいのわたし。
今日は少し多く稼げた、もうそろそろ出場用の上着だけでも買えそうだ。再来年までには全部そろえて祝福の試練に出るんだ。
今日の夕暮れはおかしなぐらい深緋にぶるぶると揺れていた。まるで彩神さまへの供物みたいだ、なんてことを思った。
なんだか今日はジルバの光り方が、ヘンだ。ジルバも赤く光って家とは逆の方向に走ろうとする。全てが緋に染まる夕暮れ。
―――どうしたの?ちょっと待ってよ。
わたしは、多めに稼げた日は、お母さんに少しだけおいしいパンを買って帰ることにしていた。――家の前に、知らない大人が大勢、なんだろう。口々にああでもないみたいに話している。
「お母さんただ…い…ま…?」
わたしは(邪魔だな…。)と多少イラつきながら大人たちをすり抜けて家に入ろうとした。いつもこの町にはうちにまともな用があるニンゲンなんかいなかった。
「!…ミカダさん」
読み書き会の先生がわたしの姿を見つけ「しばらくうちで泊まりなさい」といって、手を引いて無理やり連れて帰った。困るよ、今日はパンが…。
数日後、先生から
「お母さんは、旅にでたんだ」
そんな話を聞かされた。
違う家のツンとする臭いのベッド、暗がりの中、わたしのそばでジルバが確かに大きく光って包んでいた。
「ねぇジルバ…」
「お母さんはいつ帰ってくるのかな!?」
ジルバは両手いっぱい光る。大きく、大きく。深くて清んだ、海の色だった。
「きっといっぱいおなか減って帰ってくるよね」
「食事を用意しておかなきゃね」
――わたしは、どんなことがあっても「泣く」ことはしなかった。
敗北感なんか、町のやつらが感じるべきだ。
――本当にそう思う――
わたしは、周囲の大人が醸し出してる、ちょっとおかしな空気を視ないふりをして、そっと蓋をした。
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