10話‐「浸水」
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ここはどこだ?暗い暗いどこか、荒れた花壇。小さなわたし、髪の長いわたし。大切なナニカを埋めていた。
ギィギィギィコ、土塊から軋む音が聞こえる。これはなんだ。耳を澄ます、いつの間にかここは舟底。
浸水してる。かきださなきゃ。
なんだこれは、気づけば大きな欠如欠落欠損欠損。なんだこれは、いつのまにか洪水だ。溺れる、おぼれる。おかしい、わたしは、いつ、どこで、どうして、舟底にこんな 欠点を、 不備を、隙を、 見落しを。修理しなきゃ。補修しなきゃ。このままじゃ沈没だ。
―――わたしは、うまく舟を操縦出来ていると思っていた。
わたしは大丈夫、いままで一人でやってきた、やれてきた。
大丈夫、大丈夫なんだ。
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「……う…… ん… 」
暗い暗い船倉の樽の影。胸に櫂を抱いたままの寝床。いつもわたしの眠りは浅い。攻撃されたら、すぐさま戦える様に。
――頭がむくんでズクズクと疼く。
わたしの人生で、気分がよかった朝なんか一回もなかったように思う。
「くしゅん!」
顔のあたりを触ってみると、鼻の先っちょがひやっと冷たかった。船倉の中でも、気温が”寒い”寄りになってきたことがわかる朝だった。
(そうか、こっちは雨季じゃなくて、”秋”がくるんだ…)つい毛布を合わせる。グース群島では、あと数週間で雨季がやってくるぐらいの時期。こちらの海域では”夏のオワリ”というやつだった。毛布を畳みながら樽の間をすり抜ける。
”大きな船”に牽引してもらう間、 ハンモックを1本あてがわれていたのだけど、わたしはハンモックで寝たことがなかった。こういう船では、どんな気のいい船だったとしても寝てる場所を固定してると危ないからだ。
(もうちょっと女の舟守がいればいいのにな…)
そっとハッチを跳ねあげて、デッキに出る。涼やかな風の中、遠く遠い彼方、朝日が赤橙にうるんでいる。燃えるような海。
(……………… …)
朱の空はわたしの心の表面をほんの少しだけ照らし、そのまま、体に溶けず、はじけて消えてしまった。ただ、遠くを反射して。
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「ゴォオオ。ガァアアア」
船倉のハッチを出てすぐのところに、どこかの乗組員がコンテナによりかかっていびきをかいていた。
違うかもしれないけど、この人は毎朝いる気がする。しかし、同じ人だとするとどうしていつもわたしの寝床のドアの前で毎回転がって寝てるんだろう…。持ち場にしてもばらばらだ。まぁどうだっていいんだけど。
わたしは、ちょっと考えた後、毛布を適当にかけることにした。
(毛布を返しに行かずに済むし…)(筋肉をいっぱい着てるから”寒く”ないんだろうけど…)。後にしながらそんなことを考えた。
「…んあ!?」
遠く後ろ頭の方で、声が聞こえる、何か大声で叫んでどったどったと追いかけてきてるみたいだ。別にどうだっていいのでそのまま厨房に急ぐことにした。どうしてこういう事をしてしまったのか、自分にもいまいち分らないので、知りませんで通すことにした。わたしは知りません。
(やっとこのむさくるしい船とおさらばできる…)
今日は、トオイトオイ島の直近の中継地点、モカモイ島に到着する日だった。
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――揺れない大地に降り立つ。
モカモイ島の第一印象は目に刺さる瑠璃紺、天を貫く快晴だった。空の色が違うな。どこか寂しげな風の中、ジルバ号を波止場まで誘導し、やっと舫う。
モカモイは大きな港町だった。遠くに教会や、しゃれた意匠の白い建物が見える。トオイトオイ島での儀式で人の入りは多い。代々栄えてきたのだろう。街路樹は初めて見る樹種だった。煉瓦畳に大きな幹、二股に割れた葉が特徴的だった、よく見ると「粉イチョウ」というプレートがかかっていた。
「…………お世話になりました」
小さな荷物ひとつ、桟橋に立つわたし。甲板長や水上守の方々が、口々に声をかけてくる。達者でなとか、遠くの方で、待ってくれ。俺も。早くしろ。みたいな声が聞こえる。
わたしにはこの手厚さが本心かどうかも分からない。ごめんなさい。しかし、”大きな船”で無事に数週間過ごせた。この事実は揺らがない。
(…気のいい船だった。)
今度会ったらもうちょっと元気な姿でお礼を言いたいんだけどな。
乗組員ABが雁首揃えてこういった。
「「最後まで愛想のねぇ娘っこだなぁ‼」」
「……………………………………そうですね………」
顔も覚えてない。
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1ヶ月ぶりの陸地だった。島々を結ぶ大きな橋が特徴のモカモイ島は、高台まで足を延ばすとトオイトオイ島の姿が見える。
(あんな小島なんだ…)
トオイトオイ島の伝承はかなりの数の書物がでていて、配達先の”智慧のカシ”にまつわる物語なんかも多かった。叡智をつかさどる神とされている。西の方には岬や家々が眼下に広がる。白砂の壁と煉瓦色の町。
(カシの木に届け物なんて、童話みたいだな…)
(どうして、わたしは…)
(こんなとこまで来たんだろう…)
ずんと胸に鉛。この先は考えないようにする。これは仕事なんだ。そう言い聞かせて。
ザックの底に厳重にくるんで保管してる「薬瓶」を上から触って確認する。あやふやな依頼の中、これだけは現実だ。市場で装備を整えよう。
モカモイ島の仕入は、市場というより、一件一件の店をきっちり回る感じだった。煉瓦と蔦の中、煤みたいな目玉で何も見ず歩く。ひとりぼっちで。ジルバと二人市場を廻った瞬くような幸せの記憶を頭の片隅においやって。
山吹色と白の縞々のテントを目指す 。東の海の港町でも、琥珀屋のシンボルは変わらなかった。
「……………琥珀草はありますか?」
「琥珀かい?」
「……………草の方です」
ヘンな客だな。亭主のそんな表情を受け流しつつ、別の商品を購入するおまけとして、ひとつまみの琥珀草を分けてもらう。
ジルバ号に据え付けてある”星守”の隅っこ。小さなガラス玉みたいな”光るカケラ”がみつかったのは、大きな船に繋がれての航海も終盤の頃だった。
太陽にすかすと、虹色の光彩を放つ小さなしずく型のカケラ。
(ジルバだったら、いいのにな…)
そんなことを思った。ジルバはそういえば、最初、バジルの上に乗ってたしずくで…それがどうして光りはじめたんだんだっけ。わたしは、店を出て、路地に座りこみ、さっそくちいさな瓶に琥珀草を敷き。”しずく”を寝かせた。
瓶の底、「ジルバの家」とシールに描きいれ、少し安心した。
やっとジルバの新しい「家」が出来た。ペンダントにして首からさげる。
――当たり前だけど光らない。
「墓」という言葉だけは使いたくなく、わたしは「これは新しいジルバの家なんだ」と心の中で何回も唱えた。
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ジルバ号の修繕を船大工に依頼して、わたしはトオイトオイ島の調査をはじめた。修繕が終わったらすぐに渡航だ。
異国の少女の不思議な低音が頭の中、響く。
≪…枯れそうな箇所があります…≫
カシの木は、まだ無事だろうか。
忙しく冒険の準備をしてる時は、気が紛れる。島民に聞いたり、役場に行って文献を読んだりして、手帳にどんどん書いていく。
「●トオイトオイ島は289平方Kの小さな小島」
さらさらと手帳に写す。あとで地図を取りに行こう。
ぼんやりしてると、すぐにゴース・ゴーズの鱗だまりの晩が脳裏に蘇る。
(あのときは、嵐で、しょうがなかったんだ…)
「●船着き場から、カシの木までは、歩いて3日~1週間ぐらい」
(… これは、仕事で…)
(……… しょうがなかった)
頭がぼーっとする。
「●どこかの地点で必ず問答に応えなくてはいけないという伝承が残されている」
(…… … 「ちいさなしずく」が見つかってまだよかった)
「●これは羅針盤の儀式の際の話であるが… 」
「●…ノ鉱窟… … …は一人で抜けなくては通過したことにならない」
(…… カシの木に薬瓶を届ければ)
「●トオイトオイ島は…木の実…が豊…」
(…… きっと次につながるし)
「・…………―― 注……て… ……」
(そうだよ、そうだよ)
「・…………―― ……………に」
(悪いこと、考えるより、今はきっとわからないなりに前に進んだ方が…)
(ジルバだって、安心してくれるはず)
(ジルバの家も作ったし)
(大丈夫)
……。
……―…。――…………―…――…ぶか?…―…………―い―…――……―…。おい…―…。
「おい!」
「そこの舟守さん大丈夫か?」
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気づくと、どこかの気前のよさそうな問屋の旦那さんが、怪訝そうにわたしの顔をのぞきこんでいた。もう西の海に日が沈みかけている。わたしは、たしか、朝から市場で渡航準備の途中で…。
いつの間にか町はずれの民家の前、手帳を握りしめて、地面をじっと見つめていた。
「えっと、えっとですね」
「……ちょ、ちょっと、旅に携帯していく糖分は何にしようかなって」
「と、とびきり甘いのがいいなって。そしたらずっと考え込んじゃって…」
問屋さんは一瞬きょとんとした後
「はっは。えらい真剣に考え込むんだな」
「2つ目の角においしいポンヌ屋があるよ」
じゃあな。というジェスチャー。
「あ、ありがとう」
ああ、わたし、やっとちょっと明るいこと、言えるようになってきた。これから冒険なのだから、たしかに糖分も携帯していきたいな。ちゃんと食べたら、きっともっと元気が出るだろう。
わたしは、問屋さんが教えてくれたお店で思い切って、星ポンヌを3つだけ買ってみた。きらきらと蒸栗色に光るざらら糖がたっぷりまぶった夢みたいなお菓子だった。
(本当にお星さまみたいだ…)
わたしは、この17年間こんなぜいたく品、一度も買ったことがなかった。たいした金額じゃない、ポンヌ1つ、パン3個分ぐらいの値段なのだけど、わたしの人生において、必需品以外はすべてぜいたく品だった。
(食べたら、無くなっちゃうんだ…)
わたしは、なんだか怖くなって、一つ返品してしまった。ほんとは、全部返品したくなったけど、とても切り出しきれなかった。
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