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 健太は町内会館の建物へ着いた。日差しの強い日だった。風呂敷に包まれているとはいえ、まだ熱を持っているおにぎりを抱えて歩いたせいで、健太は脇に汗をびっしょりとかいた。Tシャツもべとべとになっていた。この暑い中、重くは無いとはいえ、提灯を運び出す作業は二千円では割に合わないのではないだろうかと健太は思った。

町内会館は、畳二十畳の皆が集まる場所と、台所とトイレがあるだけの建物だ。畳の部屋は普段、ロの字型で脚の短いパイプ机が並べてあり、そこで会議できるようにしてあるらしいのだが、手前の机は折りたたまれ壁の所に積み重ねられていた。机を移動させたことによって空いたスペースで提灯の障子紙を張り替える作業をするようだ。


 母は、手早く健太が運んだおにぎりを机の上に出した。集まってそこに座っているのは十一、十二名の老人たちであった。一人の老人がおにぎりを出した母に対して「若い娘さんからの差し入れはやっぱりうれしいね」と言った。母も若いと言われて嬉しそうだったが、健太は世間一般で使われている若さという言葉との乖離に思いを馳せた。


 町内会館の玄関で一休みしようと思っていたところで、「提灯を倉庫から出しておいてね。食事が終わったら作業に入るみたいだから」と母親が健太に言った。

 健太は町内会館の縁側を通り抜けた、裏手にある倉庫に向かう。倉庫の裏側にはちょっとした小山があり、竹藪が広がっている。健太は受け取った鍵を使い、シャッターを開けた。これが開かれたのは昨年の灯祭で提灯を収納した時であろう。一年に数度しか開かれることのないシャッター。健太は照明を付ける。蛍光灯は切れてはいない。天井に付けられている八本全てが灯った。


 倉庫の中はかび臭かった。淀んだ空気の匂い。健太は鎧戸を開けた。窓を開けたことにより、倉庫の中がより明るくなった。うっすらと床には埃が積もっているのが見える。健太は一年に数度しか開けることがないのに、よくこれだけ埃が積もるものだと逆に感心してしまった。


 倉庫の中には、大型本を収納するような五段の棚が五架置いてある。そしてそこに提灯が乱雑に並べてあった。ほとんどの提灯は棚に入りきれていない。入りきらない提灯は、棚と棚の間に山積みされている。律儀に毎年障子紙を貼り替えるにしては、提灯の扱いが粗雑だなと健太は思った。床に置いてある提灯を運ばなければ倉庫の奥に入ることすらできない。健太は早速作業を開始する。入口の近くに置いてある提灯から順に、町内会館の縁側へと運ぶ。健太が汗を流しながら運んでいく度に聞こえて来る老人たちの笑い声。健太は何度も往復する。提灯を縁側に運び入れる度に、老人たちが談笑しながらもさり気なく健太を見ているような気がした。母親から二千円をもらったということを既に老人たちが知っていて、二千円分の労働をしっかりとしているか見張っているのではないか。健太はそう思った。健太は、来るのではなかったと後悔をした。


 何度目の往復となるだろうか。灯祭で使われる提灯は、火袋に対して横だけでなく縦にも竹の骨組みが入れてあり、折り畳みできないようになっている。提灯の上部にあるかんツルを持って運ぶから、両手に一つずつしか運ぶことができない。全てを縁側へと運ぶのには時間がかかる。老人たちの視線も気になる。居心地の悪い作業だった。


 吉崎恵子が彼女の母親と一緒に町内会館にやって来た。恵子は、白と青のチェックのワンピースを着ている。強い日差しの中で麦わら帽子が涼しそうだった。

 倉庫から二つの提灯を健太が縁側へ運んで来た時、恵子と彼女の母親は畳に上がって老人たちに挨拶をしていた。恵子は母親よりも少し後ろ、出入り口に近い場所で背筋をピンと伸ばして正座をしている。

 再び健太が倉庫に行って、提灯を二張り持って町内会館へと戻ってくると、恵子が縁側に立っていた。


「久しぶり」と恵子は口を開く。


「おう」と健太は答えた。恵子と会話をしたのは何時ぶりであっただろうか。少なくとも、春から一度も会話をしていないことだけは確かだ。


「手伝う?」


「汁物のほうはいいの?」


「うん。今日はすることないみたいなの」と恵子は小声で言って、苦笑いをした。困っているようでもあった。じいさんたちの輪の中に入って黙って正座しているか、台所でばあさん達の話を立ちながら黙って聞くか。恵子も健太と同じようにそれは苦痛なのだろう。


「これを奥に移動させてくれると助かる」と健太は事務的に言った。町内会館の縁側は、提灯で一杯になってきたところだった。縁側から畳に提灯を上げていかないといけない。健太としても、そのためには畳に上がらないといけないし、そうすると老人たちの視線を浴び続けそうなので、できれば避けたい作業だった。縁側が提灯で一杯になっているのも、畳の上での作業を健太が避けていた結果の現れであった。


「分かった」と恵子は答えた。

健太が提灯を倉庫から運ぶ距離と、恵子が縁側から提灯を部屋の奥へ移動させる距離に差があった為であろう。縁側で恵子は、健太が運んでくる提灯を待つようになった。


「私も倉庫から出すのを手伝うよ」と手持ち無沙汰であった恵子が言った。


 健太がその提案に頷くと、恵子は靴を履いて町内会館の縁側へと回ってきた。麦わら帽子も被って来たが、帽子は不要だと判断したらしく縁側にそっと置いた。その様子を健太は見た。健太は髪を伸ばした恵子を初めて見る気がした。中学の頃はショートカットであった気がする。今は鎖骨のあたりまで髪が流れている。黒い髪が太陽の光で艶光りしていた。


「上段は俺がやるから、下の方頼むわ」


「分かった。ここ、埃っぽいね。掃除しないのかな?」と恵子は窓から照らされる太陽光で映し出された埃を見ながら呟いた。


「たぶん、それを言ったら、俺たちが掃除することになるぞ」と健太は両腕を棚の上へと伸ばしながら言った。上段にある提灯は面倒だった。片手では取れない。両手で取り上げるしかない。一張りの提灯を取り出して床に置く。そしてもう一張りを棚から取り出し、そしてまた床に置く。そして、提灯の上に付いているかんツルを両手で一張りずつ掴んで縁側へと運ぶ。手間だった。


「折り畳んで収納できたら運ぶのも楽なのにね」と恵子は言った。その通りだと健太は思った。嵩張る。提灯保管専用の倉庫を建てなければならないほどに嵩張っている。そもそも、この提灯は倉庫を建ててまで保管するべきものであるのかと健太は疑問に思わざるを得ない。

 恵子は健太のペースに合わせているようで、一緒に倉庫から縁側へと移動する。


「この提灯って、どうして無地なんだろうね」と恵子は白い障子紙が貼られている提灯を運びながら言った。


「分からない。『ほっぴー』とか『御用』とか、文字が普通は書いてあるよね? それにこれだけたくさんの提灯があるなら、赤色とかあってもいいんじゃないかと思うけどね」


「駅前の居酒屋さんにぶら下がってるのは赤いよね。白い提灯ってなんだか葬式みたい」


「それにお盆って感じがするよな。お盆は先月終わったけど」


「不思議よね」


「不可解だよ。でも、どうしてなのかを聞いたら聞いたで話長いぞ。話す人によって違った話をするだろうし」


「お母さんも灯祭が何のお祭りなのか分からないって言ってたわ」


「由来とか起源って普通はあると思うんだよな。あそこの神社だと、川の治水と農作物の豊かな実りのご利益があるようにってことだろ?」


「氷川神社のこと? 川が裏手にあるものね。健太君、詳しいね。少し意外」


「中学の時の宿題で調べただけだけどね」


「もしかして郷土について調べるってやつ?」


「そう。吉崎は何を調べたの?」


「私は友達と郷土資料館に行った」と恵子は両手に提灯を持ちながら顔を空に向けて言った。

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