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夏休みは残酷である。朝起きて、学校に出かけ授業を受ける。そして家に帰ってゲームをして寝る。その繰り返しの形式化された、小学校の時から既に自らの血肉となっている生活のパターンが破壊されるのである。さらに最悪なのは、その崩壊の影響が他者にまで及ぶということだ。様式化された生活の中では、健太が休日、一日中テレビの前に張り付いてゲームをしていたとしても母は何も言わない。だが、夏休みは違う。昼間にゲームをしているだけで小言を言ってくる。高校生らしく外で遊びなさい。だが、外とは何処であろうか? もちろん、家の外ということではあろうが、健太が考えるに遊ぶ場所は外には存在しない。駅近くのゲームセンターが外であるのだろうか。中学生の時から新台機が入荷されないアーケードゲーム機でいまさら遊ぶ気にはなれない。むしろ、そんなオールドファッションなゲームで遊ぶよりは、新作が次々と出る家庭用ゲーム機で遊んだほうが良いではないか。
この寂れた町で、健太を満足させる娯楽はゲームだけだった。健太のクラスメートのように、何かの部活動に属し、夏の県大会だとかコンクールだのを目標に掲げていれば別であったかも知れない。
「母さん、飯まだ?」健太の声が居間から響き、その声が台所と縁側を抜けて庭へと響く。そして外で鳴き続けている蝉の声に溶け込んでいった。健太がゲームの中で遭遇したモンスターを倒している間、母からの返事は無かった。
「あんたの分はないよ。適当になんとかしなさい」
暫くして、台所から母の声が居間に届いた。その声もまた、縁側を台所から居間を通り抜け、縁側に消えていった。
朝にバナナを一本、そしてゲームをしながら麦茶を飲んだだけであった健太にとって、昼飯を抜いてそのままゲームを続けるのは嫌だった。空腹で胃がキリキリするし、健太が現在行っているのは、ゲームの主人公のレベル上げという単調なものであった。このまま夕食までゲームを続けるのはキツイ。
健太はゲームのコントローラーを畳の上に置き、伏せていた体を起こし、台所へと出向く。
「なんだよ、あるじゃん」
「これはダメよ。町内会への差し入れだから」と母は梅干しを握り飯の中に入れながら言った。取りだされた梅干しの種が、丼ぶりの中に入っている。
「町内会? あぁ、あの老人会ね」
町内会と言っても、健太の父や母が若者といった年齢層で、町内会の寄合に集まってくるメンバーは、健太の祖父母の年齢以上の人たちであった。健太も父親に連れられてその集まりに顔を出したことがあったが、極めて居心地が悪かったのを憶えている。胡坐をかいて座っている老人たち、そして正座をしている自分。説教されるのかと思ったくらいだ。
「一個くらい、良いじゃん」と健太は、直径三十センチほどの平らな丸皿の上に並べられているおにぎりを一個手に取り、そのまま半分だけかじった。
「そういえば、吉崎さんの所の恵子ちゃん、今日も来るみたいよ。灯祭の時に、汁物手伝ってくれるのだって。感心よねぇ」と母が言った。灯祭というのは、八月の第四週の土曜日に行われる由来のはっきりとしない祭りだ。提灯を持って町中を歩き回るというだけの特に盛り上がることのない祭りだった。さらに言えば、この町の神社やお寺とも無関係な祭りのようで、屋台や出店なども出ることはない。恵子が汁物を手伝うというのは、提灯を持って歩き回る人達に振る舞われる豚汁のことであろう。日が沈んでからその祭りは始まり、提灯を持って町を数時間練り歩いて終わる。それだけの祭りだ。
「あんたも手伝いくらいしたら?」
「嫌だ」
健太は、灯祭の手伝いを中学生の時にしたことがあった。しかし、もうこりごりであった。町内会の倉庫に収納されている提灯を出し、そして提灯に張られている障子紙を全て剥がし、新しい障子紙を張るのである。しかも、提灯の数は百を超える。前年の灯祭で雨でも降らない限りはそのまま使ってもよいはずなのに、わざわざ張り替える必要性が健太には分からなかった。そして極め付けは、老人たちは障子紙の貼り付け方に関して一家言があって、健太の一挙手一投足に対して口うるさく指導をしてくるのである。竹ひごへの糊の塗り方の指導が始まると思いきや、そもそもの、糊を竹ひごに付けるための箆の持ち方から指導が始まる。そして、糊の作り方についてなどへ話も脱線し、作業は一向に進まない。健太はその指導を我慢し、やっと一張りの提灯に障子紙を張ったところでもう嫌になった。灯祭の準備は、伝統的に八月の第二週目の土曜日から始まり、各土曜日に町内会館に集まって進められる。中学の時、健太は第二週の土曜日の準備だけで、今後は行くまいと決意した。そして実際に行かなかった。それ以降、毎年行われている灯祭にも参加してはいない。
「恵子ちゃんの話し相手になってあげたら? 先週の恵子ちゃん、ちょっと気まずそうだったわよ」と母が言った。健太はそれはそうだろうと思った。自分だって、あの老人会と一緒に提灯の張り紙作業をするのは苦痛だった。汁物は女性たちが作るという役割分担だが、祭りの当日以外に集まる理由がないように思われる。世間話をするために集まっていると言っても過言ではない気がする。それに、母だっておにぎりという極めてシンプルな料理を持っていくのにもそれなりの理由があることを健太は知っている。というのも、煮物や漬物を老人会に持っていこうものなら、それに対して大御所たちから味付けなどに関する指導が入る可能性が高いのだ。それに、沢庵は誰々さんが持って来て、ぬか漬けは誰々さんが持って来るという不文律も存在して、それを勝手に犯すと顰蹙を買う。母もそれを知っているから、おにぎりというシンプルな料理を差し入れとして選んだのだろう。
「中学の頃は仲良かったでしょ?」と黙々と二つ目のおにぎりを食べていた健太に母が話しかけた。丸皿に乗っているおにぎりを健太が失敬しても母は何も言わない。どうやら最初から健太の昼飯分も計算に入れてご飯を仕掛けていたようだ。炊飯器の内釜の中にまだご飯が入っている。健太の分の昼ごはんがないというのは、母の、町内会の集まりに健太を連れて行くための口実であったようだ。
「恵子とは、高校に入ってからほとんど話してないし」
「真面目で可愛い子じゃない」と母は言った。
「そんなんじゃないし」
「分かった。町内会の集まりに行ったらお小遣いをあげるわ。千円。提灯を倉庫から運び出すのに人手が必要らしいのよ」どうやらそれが母親の本題だったらしい。
「二千円」
「はいはい。じゃあ、これもあんたが運んでね」
母はおにぎりの乗っている丸皿にサランラップをし、食器棚の引き出しから風呂敷を取り出した。




