第三話 道往くもの
「これは三口という化生です」
それは、人の倍はあろうかという体に、三つの獣の頭を持ったものであった。猿を中心とし、左右に梟と狼の顔が生えたようになり、光っていたのはこれらの眼らしく、それぞれの額には剣が刺さっている。灰色の針のような毛が全身に立ち、十本もある腕は、長く、それぞれが仔骨に断たれた場所に伸びている。両脚は短く、これは猿のものであろう。腹が異常なまでに膨らんでいるのは、馬を呑んだせいだと、徐にもわかった。
「三口は、複数の獣が同じ場所で死ぬと、ごく稀にその霊と肉とが一つになって生まれるものです。三つの命を宿しているため、その力は非常に強く、苦手の熱で傷の癒合を妨げ、三つの命それぞれを仕留めないことには倒せません。――では、陽の暮れる前に山を下りましょう。最早あやかしの力は消え、道に迷うこともありません」
里へ帰り、一部始終を報告すると、皆は大いに喜んで、即席の宴が開かれることになった。
仔骨はすぐに発とうとしたが、強く引き止められ、夜通し酒と御馳走が振舞われた。
翌朝、宴に連なった一人が目を覚ますと、戸口の近くで紅服の姿がこちらを向き、静かに佇んでいる。急ぎ皆を起こすと、
「遅くなっては主に心配をかけますゆえ、これにて失礼いたします」
一礼し、戸口を出ようとした。しかしふと立ち止まって、振り返り、
「今日より数えて二十日後の夜は、決して外へ出ぬよう、里の者みなへお伝えください」
ぞっとするような眼で言う。そして出て行く背を、せめてもの礼にと里長が金子を持って追いかけたが、その姿は煙のように消えていた。
この様子と、徐より語られた人とは思えぬ戦いぶりに、あの男はきっとどこかの神仙が、魔物に悩まされる我々を憐れみ、遣わしてくれた者であろう――人々はそう肯き合った。
それから山で異変が起きることはなくなり、人々は元の生活に戻った。
やがて仔骨の言った二十日目が来る。彼の最後の言葉は里に伝えられてはいたが、ほとんどの者は忘れていた。
しかし、この日の早くに里長を訪ねたのは、あの徐であった。徐は例の言葉がどうしても気にかかり、改めて里へ注意を促すよう頼みにきたという。言われて里長も思い出し、恩人の言葉、守るに越したことはないと、これを引き受けた。
その日の夜、通達どおり盛り場は早くに閉められ、家々の門戸も固くされた。月の無い夜で、肌はじめつき、戸や窓が風にやかましく、犬の声にもどこか心騒がせられる気分で、人々は寝床に着いた。
夜半、これは里の端にある酒屋の主だったが、目覚めてかまどの始末が気になり、台所へ行った。確認して一息つき、瓶より水をすくってから眼を上げると、窓の外が明るい。
格子へ顔を持っていくと、夜闇に、輝くものがゆっくりと進んでいる。炎の塊のようなそれは、人の形を成していた。思わず息を呑むと、その後ろのほうから、今度は何か、途方もなく大きい、黒いもののやって来る気配があった。
黒いものは幾つもある短い足を重たげに動かし、しゅうしゅうと鳴きながら、蝦蟇のように腹をズズと引き摺って、道一杯の体を少しずつ移動させている。
やがて間近に来て、その丸く巨大な頭らしき部分に、大小無数の目が蠢いているのを見たとき、主は窓からのけぞったが、動けず、その場にうずくまって震えた。遠くには犬の激しく鳴く声が聞こえていたが、しばらくして、ぷつりと止んだ。
朝、街道にはたしかに痕跡があり、昨夜に見た数人によって様子が語られたが、あの家ほどもある、黒いものがなんであったか……、これを答えられる者はなかった。
しかし、黒いものを先導するように前を歩み、火の輝きを放っていたもの、その顔が、あの紅服の男であったことについては、目にした皆が口をそろえた。
また、外に犬や牛馬を繋いでいた者は、朝になり、変わり果てたその姿に愕然とした。家畜の体には傷一つなかったが、しかし目玉や臓腑、肉の全ては失われ、地にはその皮と骨だけが転がっていたという。
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