第二十四話「神官長レーア・ガイネス」
神官長レーア視点です。
この創造神神殿に島の外の人が来たのはいつのことだろうか。今回と同じく学術都市の研究者が来たのが最後だから、既に百年ほど昔の話だ。
その時は差し障りのない話をするだけで神殿内に立ち入らせることなく帰ってもらった。
別段、神殿を見せても問題はなかった。恐らく研究者たちに神が語りかけることはないのだから。
許可しなかった理由は私のわがまま。万が一、研究者たちに神が語りかけたらという思いがあったから。
もし本当にそんなことが起きたら、私は落胆のあまり自らの命を絶ったことだろう。
神に見放されているという事実を突きつけられることになるのだから。
私が命を絶ったら神官たちを取りまとめているアトロ・カヤンが私の跡を継いだはず。でも、彼に神官長が務まるとは思わない。能力ではなく性格によって。
神官長は孤独な存在。何年も、いいえ、何十年、何百年と祈り続けてもクレアトールはもちろん、十一柱の神々からも反応はほとんどない。
以前なら私たちに頻繁に声を掛けてくださったというのに……。
そんな状況に彼が耐えられるわけがない。私の前任者もその孤独に耐えられず、自ら命を絶っているのだから。
この神殿はクレアトール神殿だが、ここには三主神、八属性神の神々も昔は頻繁に姿を見せてくださった。しかし、虚無神の侵攻への対応を失敗してから、ここに姿を見せることは稀だ。
神のために作られた私たち“神人”が真っ先にヴァニタスの策略に嵌り、文明の崩壊を防ぐどころか逆に助長してしまった。巧妙な罠とはいえ、神々が失望したことは間違いない。
ちなみに神人という名は前文明の人々が付けた名だ。私たちはそんな大仰な存在ではない。人より身体が丈夫で寿命がなく、魔力が強い程度だ。精神に至っては人と何ら変わりがない。
今日、久しぶりに神から啓示が下りた。クレアトールではなく、天の神からだった。
神々に祈りを捧げ始めてすぐであったから、驚きが大きかった。
受けたメッセージは『訪問者に対応せよ』という短いものだった。
「どのような者なのでしょうか? 私にどう対応せよとおっしゃるのでしょうか?」
私の問いにカエルムは答えることなく、姿を消された。
やはり見限られていると落胆する。私たちに期待しているのなら、神々は望みを伝えてきただろうから。
見限られていようと、神の命令に逆らうわけにはいかない。私たちは神のために、神殿を管理するためだけに作られた存在なのだから。
地下神殿から出ると、アトロが出迎える。
「お早いお戻りですね」というが、すぐに私が出てきた理由を察し、訪問者について説明を始めた。
「学術都市の研究者と護衛だそうです。エルフが二人、獣人族が一人、人族が三人です。人間の若い男は全属性が使えるようですね」
全属性持ちの人族とは初めて会う。
人族はヴァニタスの攻撃から身を守るために、魔法を使えないように調整された種族だ。“マナ”、今では“精霊の力”と呼ばれる存在を介して文明が破壊されたため、魔法を使えない種族を作って眷属とし、その信仰を糧に神々は存在している。
もっとも今では血統によって魔法を使える者も増えているが、それでも全属性が使えるということに驚きを隠せない。
彼の言葉に驚いたものの、それは一瞬で、その後は事務的に話を進めることにした。
「どのような用件か聞いていますか?」
「神官長と話をされたいとのことです。あとは神殿を見せてほしいとも言っておりました」
「その人たちはどの程度知っていそうですか?」と聞くと、アトロは僅かに表情を硬くする。
「ヴァニタスの存在と世界への関与について知っていました。それ以上に驚いたことは、前文明の崩壊の原因と、ここがそれ以前から存在することを知っていたことです。他にも光神教がヴァニタスと関係があるのではと疑っていることにも驚きました」
アトロの言葉が信じられず、「それは本当のことなの」と聞いてしまうほどの衝撃を受けた。
前文明とヴァニタスの関係を示す資料はほとんどないはずだ。ヴァニタスが引き起こした情報改変によって失っているから。
光神教のことも信じられなかった。
光神教を作った者はヴァニタスに操られた哀れな存在だった。そのため、この神殿に近づくことすらできず、村の周囲で喚き散らすことしかできなかった。
その後、フィニス島に渡ったと聞いているが、どうなったかはほとんど知らない。神々は何も教えてくれなかったから。
「どうなさるおつもりですか?」と聞いてきた。
「もちろん会います。どうするかは会ってから考えますが、神殿への立ち入りを許可するつもりはありません」
「なぜでしょうか? 神官長が瞑想を止めて出てこられたのは神からの啓示を受けたからではないのですか? ならば神との会話を妨げるべきではないと考えますが」
彼の言っていることは正しい。しかし、天の神からは具体的な指示はなく、対応は私に委ねられている。
「可能性は極めて低いですが、虚無神の影響を受けた者かもしれません。その疑いが払拭されるまでは神域に近づけるわけにはいかないということです」
アトロは何か言いたげだったが、何も言わずに頭を下げてから立ち去った。
恐らく私が保守的過ぎると思っているのだろう。
この神殿に近づけた時点で、ヴァニタスの影響を受けていないことは証明されている。ヴァニタスと同格のクレアトールがそのようなことを許されないからだ。
アトロは我々神人のあり方に疑問を抱いている。ヴァニタスによって世界が滅びに向かおうとしているのに、神殿に引き篭もっていることが我慢ならないのだ。
彼はもっと積極的に行動し、世界を守るべきだと考えている。それだけの力が私たちにはあるのだから。
私自身、同じ思いがないとは言わない。ヴァニタスに関する情報を持ち、神々が何を望まれるかも知っている。だから、何も知らない者たちより適切に動けるだろう。
しかし、私たちは神に命じられたことしかできない。そういう定めなのだ。
神人は神殿を守護するために生み出された。その務めはここクレアトール神殿以外では失敗したものの未だに有効だ。
この神殿を守るには可能な限り、外の世界と接触しないことが必要となる。ヴァニタスの影響を受けないために。
そして、神から新たな命が下されなければ、今の務めを放棄することはできない。
私たちはこの神殿から離れられず、神殿を訪れる者もいない。この状況でできることはほとんどない。
アトロの言っていた研究者たちが現れた。
彼らを見て私は眩しいと感じた。魂が磨り減った私とは違い、人生を謳歌していることが輝きとして見えたから。
特に唯一の男性は特別な力を感じた。恐らく神と何らかの関係がある。そう感じさせる何かがあった。
挨拶を交わした後、キトリー・エルバイン教授が話していく。
助手と紹介されたザカライアス・ロックハート殿やシャロン・ロックハート殿は何か言いたげな雰囲気を感じたが、何も言わずに私たちの会話を聞いていた。
エルバイン教授から聞かされた話は既にアトロから聞いており驚きはなかった。しかし、ヴァニタスとは何者かという直球の質問には答えに窮した。
もちろん答えることはできる。しかし、知りすぎることがいいのかという疑問が残る。
ヴァニタスは世界を崩壊に導くためにさまざまな策略を巡らしている。利用できる者はどのような者でも利用するから、下手に興味を持つとヴァニタスに取り込まれる恐れがあるのだ。
私は言葉を濁した。彼女が知っていること以上は知らないと告げたのだ。
ザカライアス殿が私の目を見つめていることに気づく。冷たいサファイヤのような瞳が私の嘘に気づいていると言っている気がした。
私はその無言の主張に、笑みを返すことしかできなかった。
その後、前文明崩壊当時の資料を見せてほしいと言われたが、既に失っているといって断った。これは偽りで資料は完全な形で保管されている。それも神々を通じて得られた正確な情報が残されているのだ。
この嘘にもザカライアス殿は気づいていた。しかし、何も言わずにこちらを見ているだけだ。
その視線に耐えかねて視線を外しそうになったが、精神力を総動員して笑みを絶やさないようにした。
その日はそこで終えた。エルバイン教授はまだ話したそうにしていたが、ザカライアス殿が日を改めてはどうかと提案したためだ。
私はその言葉に安堵した。
あの視線に耐え続けることは強いストレスを感じる。恐らく神々から何か力を得ているのだろう。
翌日の午前中にザカライアス殿が一人で現れた。
「神官長にお話があります」
その表情は自然体で特に気負ったところはない。
「何でしょうか? エルバイン教授はいらっしゃらないのですか?」と聞いてみた。
「少し込み入った話になりますので、私だけが参りました」
そう言った直後、私の笑みが凍る言葉を発した。
「私が神々と会ったことがあると言ったら、信じていただけますか?」
神々から力を得ているとは思っていたが、会ったことがあるという言葉に驚きを隠せなかった。四千年以上生き、クレアトール神殿の神官長である私でも声しか聞いていない。
「あなたが私に嘘をいう理由はないと思います。ですから信じますわ」
精神力を駆使し、何とかそれだけを口にした。しかし彼は更に恐ろしい言葉を発した。
「直接ではありませんが、ヴァニタスにも会っています。あの恐ろしい力は世界に終焉をもたらす神と言えるでしょう」
「ヴァ、ヴァニタスにですか」と声を上ずらせてしまう。
「ええ、神々はヴァニタスと明言しませんでしたが、神でも対抗できない存在と言っていました。そうなるとヴァニタス以外には考えられません」
徐々に理解が追いつかなくなる。
ヴァニタスと遭遇したにも関わらず影響を受けているように見えない。更に神々とそのことを話しているという事実にこの人物が何者なのかと疑問が浮かぶ。
「あなたは何者なのですか?」
「世界を守るためにヴァニタスを封印する者を守り、教え導くという役目を与えられた者です。既にその役目は終わったと神々に言われていますが」
私は混乱していた。この若者は神々によって召喚され、更にヴァニタスを封印する者を守っていたと言っているのだ。そのような話は神域に最も近い場所である、この神殿ですら聞いたことがなかった。
「神々が顕現されたというは真なのですか! あなたは本当に神々に会われたのですか!」
この時、私は神官長という仮面を脱ぎ捨て、感情のままに問い詰めた。今の私は神に見捨てられた哀れな者でしかなかったのだ。
「ええ、アクィラ山脈の奥地で十一柱の神と会い、言葉を交わしています。ですが、それは私にとってあまりいい経験ではありませんでした」
苦笑に近い表情でそう語ると、
「この先、神々に遣わされた人物が二人現れます。彼らがここに来るかは定かではありません。ですが、神々がその二人に安全に会いたいと考えるなら、この場を選ぶはずです。恐らく世界で唯一、ヴァニタスの影響を受けない場所でしょうから」
「なぜそのことを……」
「単なる推論です。古代文明の遺跡を調べて、この場所が特別な場所であることは分かっています。そして昨日、古代文明の時代から続いていると伺いました。その際、過去の文献は劣化に耐えられず廃棄されたとおっしゃいました。古代文明の文献は条件さえよければ遺跡ですら見つかるものです。それが大切に保管しているであろう神殿で劣化させることはありえません。完全な形の文献が残っている、すなわちヴァニタスの影響を受けなかったということです」
「そ、それは……」と口篭るしかなかった。
「もし、ヴァニタスによる情報改変によって意味を成さなくなったから廃棄したとおっしゃっていたら、このようなことは考えなかったでしょう。ですが、あなたはそのことを一言もおっしゃっていない。エルバイン教授が情報改変という言葉を使っていたにもかかわらず……」
私の完全な失策だった。
確かに彼の言う通り、過去の文献は大切に保管してあり、充分に読める状態だ。しかし、私たちが使う一般的な紙では二千年程度が限界で、嘘がばれることはないと思っていたのだ。
「話を戻しますが、この先、いつになるかは分かりませんが、神々が遣わした者たちがやってきます。彼らに対し、支援をしていただきたいというのが、私の願いです」
そういって頭を下げる。
私は彼に対し嫉妬した。神官長である自分より神に近いことが許せなかったから。
「あなたがおっしゃっていることが事実であればお手伝いいたしましょう。ですが、今の話を鵜呑みにするわけにはいきません。あなたが神々によって召喚されたことを証明していただけませんか」
言った直後に私は後悔した。この人が神々に会ったかどうかはともかく、天の神が関心を示したことは事実。つまり、神と関係があることは疑いようがない。
「証明ですか……難しいですね」と考え込む。
「では、私に神々のこと、そして、これから起きるヴァニタスとの戦いについて話してください。私が納得できたら神殿への立ち入りと合わせて、その方たちに協力すると約束します」
私は自分の好奇心に負けた。本来なら即座に認めるべきだ。しかし、神々と直接言葉を交わした彼の話を聞きたかった。
「それでよければお話します。ですが、エルバイン教授の話も聞いてあげてください」
こうしてザカライアス殿との対話の時間が始まった。




