第五十六話「ロックハート家の方針」
マット視点です。
三月十二日。
私の下にダンからの手紙が届いた。その手紙の内容は驚くべきもので、あのアンデッドの王、ヴラド・ヴァロノスを遥かに超える魔物がいるというのだ。
この事実に私は父ゴーヴァンと協議を行うことにした。
「ダンからの手紙です」
そう言って父に手紙を渡す。既に日は傾き、外から夕日が差し込んできているが、既に灯りの魔道具を点灯しており、執務室は充分に明るい。
父は愛用の老眼鏡を取り出し、手紙を読み始める。
読み始めた途端、表情が強張っていく。
「あのヴラドを遥かに超える魔物じゃと……そのようなものを人が倒せるのか……」
父の呟きに思わず頷く。
あの戦いでの絶望感は何年経っても消えないからだ。
草原を埋め尽くすアンデッドの群れ。
見上げるほど巨大なスケルトン……人骨の坂を駆け上る首なし騎士……強力な魔法を操る死霊魔道師……。
しかし、それらをすべて合わせたよりも絶望感を与えた存在、それがヴラドだった。
“獅子心”と呼ばれた英雄である父が自らの命を賭けて動きを止め、我が家の主だった戦士が軒並み戦闘不能になりながらようやく倒せた敵だ。
いや、あれは運がよかった。一歩間違えば、我らは全滅していただろう。たった一体の魔物のために。
その魔物と戦ったダンがそれを遥かに超える力を持つと断言している。そして、この手紙は息子ザカライアスも確認しているとある。ザックが訂正や補足を入れていないなら、事実として捉えなければならない。
つまり、ロックハート家の総力を挙げて戦っても勝利はおぼつかない相手だということだ。
父が手紙を読み終えた。
「で、どうするつもりじゃ、マット?」
父の表情はいつも通りに見えるが、その顔色は夕日の温かい赤みを帯びた光を受けているにも関わらず、青白く見える。
「正直なところ、頭が追いつきません。気持ちとしてはザックを助けに行きたいと思ってはいますが」
「そうか……」
果断な父にしては珍しく、迷っているようだ。
「主だった者たちを集めて、今後の方針を決めたいと思います。ロッドには明日の朝一番で使いを出し、バイロンと共に来させましょう」
「そうじゃな。その前にここにおるウォルトたちには話しておいた方がよいじゃろう」
父の提案を受け、ウォルト・ヴァッセル、ニコラス・ガーランド、ヘクター・マーロン、ガイ・ジェークス、イーノス・ヴァッセル、ウィル・キーガンの六人を呼ぶ。
この者たちは我がロックハート家の宝と呼ぶに相応しい家臣たちだ。
ウォルトらが集まったところで、ダンからの手紙の内容を話す。
豪胆さでは父に引けをとらず、普段は滅多に表情を変えないウォルトですら、手紙の内容に驚きの表情を浮かべている。
「……ザックが言っておった神々の敵で間違いなかろう。ヴラドを超える敵、それに加え、ヴラド並みの魔族、地竜に一つ目巨人、更に大魔や妖魔までおる」
父の言葉に全員が表情を堅くする。
ニコラスが「御館様」と言って発言を求める。頷いて許可すると、いつも通りの静かな口調で話し始めた。
「ザック様はどのようにお考えなのでしょうか? あの方なら何かお考えがあると思うのですが」
「敵の行動を探るようだ。敵がどう動くかを見極め、迎え撃つか、打って出るのかを考えると書いてある」
「冒険者ギルドの情報は何か書かれておりますか?」
「ザックが聞いた話ではギルドは動かぬそうだ。今のところ、直接的な影響もないし、第一魔族が関与している証拠がほとんどない。私もギルドは動かぬと考えている」
その言葉にニコラスの表情が僅かに曇る。
「ということは、他国の支援もないということですか。厳しい状況ですね……」
ニコラスはそこで考え込む。
彼に代わりガイが発言する。
「リッカデールの東は深い森と険しい山が続きます。騎兵は役に立ちませんし、歩兵主体であっても補給が続きませんから、大軍をもって打って出ること自体難しいかと。ですので、仮に他国の援軍があったとしてもヴラド以上の敵には効果がないのでは」
ガイはロックハート家に仕えるまでペリクリトルで冒険者をしていた。私たちの中で唯一リッカデールに行ったことがあり、現地の状況を知っている。その彼が大軍は運用できないと指摘した。
「そうだな。その点は私も同じ考えだ」
そこでニコラスが再び話に加わる。
「ロックハート家がギルドに代わって、世界の危機を訴える方法も難しそうです。我々が下手に騒げばパニックを起こしかねませんから。他国に救援を求めるとしても、ザック様が得た情報を見てからの方がよいでしょうね」
「そうだな。その点は考慮しよう」
確かに武の名門ロックハート家の名は大きくなりすぎている。ニコラスの言う通り、ここで殊更に危険を訴えると逆効果になる可能性が高い。
その後、誰も口を開くことはなく、私は会議の終了を宣言した。
「ロッドたちを呼んでいる。明日の午後にもう一度会議を開くが、それまでにどうすべきか考えておいてくれ」
父たちと別れ、領主用の私室に向かう。
私の沈んだ顔を見て、妻ターニャが声を掛けてきた。
「何かあったのですか?」
「ああ、ダンから手紙が来た。恐ろしい敵が現れたらしい」
その言葉に妻の表情が強張る。
横にいた末娘のソフィアが「恐ろしい敵ですか?」と聞いてきた。
娘は今年十五歳になる。子供らしさも消え、身長は母であるターニャを超えている。
父に剣術を学んでおり、今では二十代半ばの自警団員を凌駕するほどの腕だ。私も時々手合わせするが、油断すると一本取られることがある。
「ああ、アンデッドの王を超える敵だそうだ」
「凄い敵なんですね。私もリッカデールにいきたいな」
ソフィアはヴラドと戦っておらず、アンデッドの王と言われてもピンと来なかったようで、能天気なことを言っている。
逆に妻の顔から血の気が引く。
「あれよりも強いのですか……それでどうするの。ザックたちは戻ってくるのよね」
普段は子爵夫人らしい口調で話しているが、今はその余裕がなく、昔の口調に戻っている。
「明日、ロッドも呼んでその話をする」
そう答えるが、ザックが戻ってくることはないと思っている。
村に戻るとすれば、ルナと一緒だろう。ここで彼女を守るために。
あれはこの村を愛している。村が戦場になる方策を採ることはない。最も可能性が高いのは自分だけで何とかしようとすることだろう。
だが、そのことは妻には言わない。無駄に心配させるだけだからだ。
翌日、夜明けと共にロッドに使いを出した。
使者の従士に手紙を託したが、詳細は書いていない。いや、どう書いていいのか分からなかったというのが正直なところだ。だから、ザックたちが強力な敵を見つけ、その対応方針について至急話し合いたいとだけ書いてある。
午前十一時頃、ロッドがバイロンとシムを引き連れて戻ってきた。
キルナレックにロックハート家の騎士以上の者がいなくなるが、そんなことを気にする余裕すらない。
「強力な敵が現れたとありましたが?」と馬を従士に預けながら話しかけてきた。その表情はいつも通り明るい。
「ああ、ダンからの情報では、あのヴラドを超える敵が現れたとある」
私の言葉に笑みが凍る。
「聞き間違いではないですよね。あのヴラドを超える敵と聞こえましたが……」
「ああ、そう言った。詳しい話は会議室でする」
私たちの会話に豪胆な元傭兵バイロンまでもが表情を硬くしていた。
久しぶりにロックハート家の主要な者たちが集まった。ここにいないのはザックたちとフォルティスに修行に行っているセオたちだけだ。
しかし、皆の表情は暗い。
「既に話を聞いている者もいるが、ロドリックたちが来たから確認の意味を込めてもう一度最初から説明する……」
ダンが寄越した手紙の内容について説明していく。十人以上の男たちがいるが、会議室には私の声だけが響いていた。
「……最後にもう一度言う。ザックがあのヴラドを超えると判断した敵だ。前回のアンデッドの大軍以上に危険な存在だろう。その敵に対して、今動くことができるのは我々ロックハート家だけだ。理由は神々の敵という存在を知っているのが我々だけだからだ。その上でどう動くべきか、忌憚のない意見を出してほしい」
十秒ほどは誰も話さなかった。その沈黙をロッドが破る。
「父上に確認したいことがあります」
「何だ?」
「魔族討伐協定が使えないことは理解しますが、カウム王国軍に救援を求めることはお考えではないのでしょうか? 鍛冶師ギルドを通じて救援を求めれば、王妃殿下なら必ず精鋭を送ってくださると思うのですが」
息子の意見は私も考えたことだ。
「お前の言いたいことは分かる。鍛冶師ギルドなら神々の敵という話をせずとも我らに協力してくれるだろう。その上でギルドの施設を守ると言う協定に基づき、カウム王国軍を派遣依頼すれば、実現することは間違いない」
「では、そうなさるおつもりなのですか?」
その問いに私は頭を振る。
「それはなぜでしょうか? 館ヶ丘を拠点として、カウム王国軍とロックハート家が協力すれば、ヴラドの時より有利に闘えると思うのですが」
このことは父とも話し合ったが、不可能だという結論に達している。そして、恐らくロッドもそのことは分かっている。
「あのヴラドですら、まともに戦えたのはここにいる者たちだけだ。それ以上の敵となれば、我がロックハート家といえどもまともに動けるのは三十人もおらん。カウム王国の黒鋼騎士団の精鋭といっても実戦経験が少なすぎる。足手纏いとまでは言わぬが、大幅な戦力増強とまではいえぬというのが、父上と私の見解だ」
私の横で父が大きく頷く。
六年前のヴラドの襲撃時に比べ、自警団の力量は格段に上がっている。
子爵への陞爵時に従士に採用したルーク・ウィルビーらはベテランの域に達し、レベル五十を超えている者もいる。
また、自警団員から従士に昇格した者も増え、ロックハート家の従士は三十人を超えた。そのいずれもがレベル三十五を超えており、更に父の厳しい試験を潜り抜けた強靭な精神力を持っている。
しかし、そうであってもヴラドを超える者が敵であるならば、戦えるのは昔からの家臣と中核となる従士のみだろう。
一方、カウム王国の黒鋼騎士団はアルス街道やトーア砦を守る精鋭と言われているが、近年トーア砦への魔族の攻撃はなく、実戦経験はほとんどない。また、上級貴族の縁者が指揮官になることが多く、軍としての能力にも疑問符が付く。
指揮官の件についてはカトリーナ王妃殿下主導による改革で徐々に改善されているが、それでもロックハート家の足元にも及ばないだろう。
私の説明に全員が納得するが、ロッドは更に提案を行ってきた。
「魔族が相手ならば、魔術師ギルドに協力を仰ぐという方法もあるのではありませんか? ザックの伝手を使えば、魔術学院の教授クラス、以前村に来たキトリー・エルバイン教授クラスの高位の魔術師が協力してくれるはずです」
「それは私も考えた。ザックに検討するよう指示を出すつもりだが、何も言ってこぬことを考えると、何か問題があるのかもしれん」
私はドクトゥスを何度か訪問しているが、魔術師ギルドに直接的な伝手はないし、実情も知らない。
ただ魔術師ギルドに詳しいザックやシャロンが何も提案してこないところをみると、何か問題があるのではないかと思っている。
ロッドが発言を終えると、バイロンが手を上げる。私が頷くと、重々しい口調で話し始めた。
「ザカライアス様がラスモア村を戦場にされるとは思えません。手を打つとすれば奇襲を掛けるのではないかと。ならば、我々にできることはそれに協力することではありますまいか」
「そうだな」
「あの方が明確な方針を伝えてこられないということは、我々を巻き込みたくないとお考えなのではないかと思われます。しかしながら、それほどまでの敵と戦うのであれば、最大限の戦力を投入すべきです。戦力があれば、あの方なら何らかの策を思い付かれるでしょうから」
バイロンの発言に多くの者が頷いている。特に若いロッドとシムはその通りだと口に出しているほどだ。
その中で唯一表情を硬くしている者がいた。それはニコラスだった。
「何か意見があれば言ってくれんか」と話を振る。
ニコラスは静かに頷くと、「ご不快に思われるかもしれませんが」と前置きした上で話し始めた。
「最大の戦力で勝てればよいのですが、敗れた時のことも考えておくべきでしょう……」
敗れた時という言葉に若いロッドの表情が硬くなる。ニコラス以外の者が発言したのならば、ロッドは口を挟んだだろう。
「……もし、我らが総力を挙げて戦って勝てるのであれば、ザック様がそのことを提案されないはずはありません。恐らくダンが提案し、それを押し留めたのではないかと……私の考えが合っているとすれば、その後のことも考えて動かねば、あの方に迷惑を掛けることになります」
「敗れた時のことか……」とヘクターが呟くが、誰もニコラスを非難するような表情はしていない。
「では、どうすればよいと考えるのじゃ?」と父が問う。
「再び戦いを挑むのであれば、我ら以上に腕の立つ者たち、例えばフォルティスの剣聖ギデオン殿、ラクス王国の赤腕ハミッシュ殿など一騎当千と言われる傭兵たちを当てねばなりません。そのためには彼らを束ねる指揮官が必要となります」
ギデオン・ダイアーはセオたちの師であり、彼を動かすことができれば傭兵の国フォルティスの優秀な傭兵を集めることができる。
また、ハミッシュ・マーカットはラクス王国一の傭兵と言われており、彼の傭兵団には一騎当千の傭兵が何人もいる。
「具体的には?」と父が更に聞く。
「御館様、ロッド様には残っていただく必要があります」
「それはできない!」とロッドが声を上げる。
「今はニコラスの話を聞け!」と父が叱責すると、ロッドは小さく頭を下げるが、納得した様子はない。
「先代様が私たちを指揮し、ザック様が考えた策を実行して敗北したという事実を、全世界に訴えるには御館様とロッド様でなければできません。武の名門ロックハート家のご当主、ご嫡男というお立場であり、ギデオン殿、ハミッシュ殿と面識のある方が必要となるのです。更に言えば、再戦の際にロックハート家が前線に立つなら、ロッド様は残るしかありません」
ロッドは以前、ザックコレクションの輸送時にハミッシュに会ったことがある。
「会ったといっても何年も前に立ち話をしただけだ。ロックハート家の当主である父上はともかく、私は何と言われてもリッカデールにいく」
私が残らざるを得ないことは分かっていた。再び戦う時にロックハート家の者が誰もいないという状況はありえない。そう考えると、ニコラスの指摘は間違っていない。
「ニコラスの言うことはよく分かる。だが、再び戦う時は私が前線に立てばよい。それに負けた時のことより勝つことを考えたい」
私の言葉にロッドが安堵の表情を浮かべる。
「では確認する。私を除き、ここにいる者全員がリッカデールに向かう。他には父上とウォルトが同行を許す従士のみを連れていく。父上、これでよろしいでしょうか」
「儂としては問題ないが、キルナレックの統治はどうするつもりじゃ? お前もここを離れるわけにはいくまい」
「ロザリーに任せようと思います。キルナレックの役人たちも信用できますし、ニコラスの部下を重点的に配置すれば短期間であれば問題はないかと」
領主代行がいなくとも問題は少ないが、主家や騎士爵が全く不在というのは何か起きたときに不安が残る。その点、北部総督ラズウェル辺境伯の娘で嫡男の妻と言う立場は役に立つ。また、ザックが提案しニコラスが育てた文官たちも着実に力を付けており、短期間であれば問題はない。
それにもしこの村に魔物が襲来し、私が命を落とすようなことがあっても、三男のセオフィラスがフォルティスに、孫のディーンがキルナレックにいればロックハート家を継ぐ者がいなくなるという事態は避けられる。
その後、ヘクターが指揮官クラスの不在に対し懸念を示した。
「御館様以外、指揮を執れる者が残りませんが、村の防衛は大丈夫なのでしょうか?」
それについて私が答える前に父が答える。
「連れていかぬ従士を隊長代行とすればよい。少々の敵ならば、館ヶ丘とこの城があれば戦えるじゃろう。昔のことを思えば、充分過ぎる戦力が残っておる」
父の言う通りで、私がこの村に来た頃の自警団は新兵にも満たない素人ばかりで、装備も貧弱だった。それに比べれば、残された者だけでも充分な力を持っている。
「現状では私が残れば充分だ。皆でザックの手助けをしてやってくれ」
こうしてロックハート家から父ゴーヴァンを筆頭に嫡男ロドリック、家臣である騎士ウォルト、ニコラス、ヘクター、ガイ、バイロンが、その嫡男であるイーノスとシム、更に従士長のウィルの十名がザックの下に向かうことに決まった。
その後、父とウォルトが主要な従士に声を掛け、ルークら十名の従士が加わることになった。
選んだ従士たちには妻帯者も多いが、今回ばかりはそんなことを言っていられない。選ばれなかった従士たちが不満を漏らすかと思ったが、祖父が直々に選んだということで不満が聞かれることはなかった。
唯一不満を漏らしたのは次女のソフィアだけだ。確かにレベルは四十に届こうとしており、実戦経験もあるから、一緒に行きたいという気持ちは分からなくもない。
しかし、今回ばかりは我がままを聞くわけにはいかない。
その日の夕方、リッカデールに向かうことを発表した。
しかし、ロックハート家の総力とも言える者たちが出征するということで、不自然にならないよう、ザックが見つけた竜を退治しにいくという話にした。
そのため、翌日の出発時には多くの村人たちが見送りにきた。その表情は明るく、中には「竜の頭を持って帰ってきてください!」などという者もいたほどだ。
私は彼らに交じって手を振りながらも、表情が曇らないよう努力をしていた。




