第十五話「エザリントン公の考え」
三人称です。
一月二十三日の夜。
ロックハート家との晩餐の後、アレクシス・エザリントン公爵は自らの書斎にクレメント・シーウェル侯爵、アドルフ・レドナップ伯爵、イグネイシャス・ラドフォード子爵を招いた。
公爵家の城の一室にしてはやや狭い書斎だが、壁際にある書棚には古い革の装丁の本が並び、歴史を感じさせる光沢のある革張りのソファと磨き上げられた黒檀のテーブルがこの部屋の主の財力と上品さを醸し出している。
テーブルの上には水晶を切り出したかのような美しいボトルがあり、琥珀色の酒が揺れる暖炉の炎に煌めき、幻想的とも言える光景が作り出されていた。
四人は座り心地のよいソファに掛けながら、酒を傾けている。しかし、その表情は硬く、晩餐の後に寛いでいるようには見えない。
エザリントン公はロックハート家から贈られたクリスタルガラス製の美しく重厚なブランデーグラスに口を付けると、真剣な表情で話し始めた。
「少なくともロックハート家はいずれの陣営にも加担しない、真の中立派ということでよいな。宰相閣下にもその旨をお伝えし、今後の方針を決めねばならん」
シーウェル侯ら三人は即座に頷くが、レドナップ伯が深刻な表情で口を開く。先ほどまでの豪放なイメージは微塵もなく、悲壮感すら漂っている。
「あの者、つまりザカライアスがいる限り、どのような手を打とうとも、皇太子派、レオポルド皇子派のいずれにも加担することはありますまい。懸念があるとすれば、逆にいずれかの派閥と敵対すること……」
「敵対か……確かにありうる」とシーウェル侯が呟く。
ラドフォード子爵が主君の呟きを補足する。
「確かに。特に皇太子殿下とラングトン大公閣下は物事を深く考えぬ方々。権威をかざして引き込もうとする程度ならよいですが、ロックハート家の誰かに危害を加えるようなことがあれば、家族想いのザカライアス殿がどのような手を打つことか……普段の彼は若いながらも強い自制心を持っております。しかしながら、手を打つと決めたら我らが思いも寄らぬような大胆な手を打ってくることでしょう。最悪の場合、ルークスの二の舞になる可能性すらございます」
「総大司教の首を挿げ替えた話か。確かにあれはあの者の策であったな」
エザリントン公が確認するかのようにそう言い、
「帝国中のドワーフがアルスに引き上げるようなことになれば、帝国の権威は地に落ちる。それを機にルークスが勢いづくことは必定……今は敵が多すぎる。何としてでも世継ぎ問題を良い形で終わらせねばならん」
深刻な話題に、ブランデーに口を付けるものの、その強い酒精すら感じていなかった。
シーウェル侯はこの話を続けると深刻になると思い、話を元に戻す。
「まずはロックハート家への無用な干渉を防ぐことが肝要かと。ご息女をお連れしたのも、その一環ではありますまいか」
「うむ」と公爵は頷き、
「ラングトン大公には十三歳の直系の孫娘が、インゴールスロップ公には十八になる息女がいる。いずれも婚約者がいたはずだが、ザカライアスにその者たちをあてがおうとすることは間違いない。その前にこちらが動いていると知れば、横槍は入れにくいだろう」
レドナップ伯が大きく頷く。
「ローレンシア様は初等科を含め、学術院では常に首席の才女。プリムローズ様は帝都の甘味に詳しく、美食家のザカライアスと気が合いそうです。更にお二人ともお美しく、歳も近い。大公閣下もインゴールスロップ公爵閣下もプライドの高いお方たちですからな。負けると分かっている勝負は挑まぬでしょう」
帝都にある高等学術院はカエルム帝国の最高学府である。三年制で十五歳から十八歳までの貴族の子女が学び、ローレンシアは現在三年生、プリムローズは一年生だ。
なお、十二歳から十五歳までの子女が学ぶ三年制の初等学術院がある。
今回、エザリントン公はザカライアスを取り込もうとしていると見せかけるため、二人の娘と共に領地に戻っている。これは皇太子派、レオポルド皇子派の貴族たちが同じようにザカライアスを取り込もうとすることを未然に防ぐためだ。
更に彼はシーウェル侯らを使い、ザカライアスは美女を四人も娶り、その美女たちはいずれも一騎当千の強者で、自分の背中を任せられる女性でなければ、歯牙にもかけないという噂を流していた。
その上で自らの娘を接近させ、ザカライアスが興味を示さなければ、それを噂として流すつもりでいた。
ローレンシアは才女として名高く、その彼女ですら断られるのであれば、自分たちの血縁者では更に難しいと考えることに期待しているのだ。
「実際、我が娘たちでは歯牙にも掛からぬだろうな。あの四人の美女が相手ではレンシアやローズでは分が悪すぎる」
エザリントン公は二人の娘の愛称を口にしながら、苦笑いを浮かべる。
「確かに四人とも堂々としておりましたな。初めて会った時は緊張していたようでしたが、晩餐の時には別人のようでした。さすがは一流の冒険者。閣下を前にして笑みを浮かべられるほど、肝が据わっておりましたな」
レドナップ伯がリディアーヌたちの姿を思い出し、感心している。
「ザカライアスがどう思うかはともかく、本当によろしいのですかな?」とシーウェル侯がエザリントン公に問い掛ける。
「よいとはどのような意味かな、クレメント殿」
「もしもでございますが、ご令嬢たちがザカライアスに想いを寄せたら厄介ではありませんか」
エザリントン公はその問いに対し、小さく首を横に振る。
「レンシアもローズも公爵家の娘としての自覚はある。此度のこともしっかり言い含めてあるよ」
「しかし、相手は“全方位のハーレム王子”なる二つ名を持つほどの男ですぞ。ヒューバート殿が零しておりましたが、彼の者が侍女を指導した際、そのすべてがロックハート領行きを希望したとのこと……」
シーウェル侯はザカライアスがラズウェル辺境伯家の侍女たちに給仕の指導を行い、その指導を受けた侍女たち全員が辺境であるラスモア村行きを希望したと説明する。
「その話は聞いているよ。もし、娘たちが本気になったのなら、自らの力で振り向かせてみせよと言うだけだ。それで振り向かせることができるのなら、我がエザリントン家にとっては願ってもないこと。鍛冶師ギルドとの強いパイプを手に入れられるのだからな」
エザリントン公は公爵家の当主にしては家族思いだが、それでも皇室に連なる名家の当主としての義務を忘れることはない。当然、娘たちは政略の貴重な道具であると考えている。
「いずれにせよ、二人にはザカライアスとよい関係に見えるようにせよと言い含めてある。後は我が家と取引のある商人たちに帝都で噂を流すように誘導すれば、大公たちも手を出しにくいはずだ」
それにシーウェル侯が頷く。
「確かにそうですな。この後、ロックハート家は我が領内に十日ほど滞在いたします。帝都の方々もさすがに我が領内まで手を回すことはできぬでしょうし、私がさせません。私の方からも我が家に出入りする商人たちにもそれとなく、ご令嬢たちとザカライアスのことを話しておきましょう」
エザリントンから先のロックハート家の予定だが、直接帝都プリムスに向かうのではなく、シーウェル侯爵領に向かうことになっていた。これは行程に余裕があり、ロックハート家が帝都でのしきたりや貴族間の関係について、シーウェル侯爵家から指導を受けたいと申し出たためで、出発前から予定に組み込まれており、その情報は皇太子派、皇子派の双方に流してあった。
本当の理由は帝都にいる時間が長くなると様々な勢力から勧誘されるためで、それを可能な限り減らすために滞在期間を短くしている。村からの出発を遅らせるという方法もあったが、真冬の山岳地では遅延のリスクが付きまとうため、このような方法を取ったのだ。
今のところ陞爵の式典は二月二十日に予定されており、十日前に帝都に入れば十分だ。シーウェルから帝都までは余裕を見ても三日で移動できるため、二月八日までに帝都に向けて出発すれば問題はない。
その間、ローレンシアたちはロックハート家に同行する。
更にシーウェル侯爵領の領都シーウェルは比較的小さな街であり、侯爵の家臣も長年にわたり仕えている者ばかりであるため、大公たちの手の者が入り込む余地はほとんどなかった。
「イグネイシャスには悪いが、卿は帝都に急行し、勅使の任を全うした後、シーウェルへ向かってくれ」
シーウェル侯がそう言うとラドフォード子爵は「御意のままに」と答えるが、
「蒸留所建設の話になる前に必ず戻ります。できれば醸造所の改善案も聞いておきたいと思っておりますが、こちらは部下でも何とかなるでしょう」
子爵の言葉にエザリントン公が「やはり酒の話になるのか」と呆れるが、シーウェル侯爵家の主要産業の話であるため、それ以上は何も言わなかった。
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エザリントン公らがロックハート家についての協議を行っている頃、ローレンシアは妹のプリムローズを自室に呼び、ロックハート家について話をしていた。
「あなたはお父様のお話、どう思って?」
ローレンシアにそう問われたプリムローズは晩餐のことを思い出し、僅かに頬を赤くする。
「私は特に……でも、あの方が冷菓を考えられたんですよね。ラドフォード子爵様のお話だと、もっといろいろな甘味を知っていらっしゃると……何か新しいお菓子を作ってくださらないかしら……」
妹の的を外した答えにローレンシアは「あなたね……はぁ」と大きく溜め息を吐きながらこめかみを押さえる。
「相変わらず甘いものに目がないのね……そうじゃなくて、ロックハート家を守るために私たちがあの人に魅かれているように見せるってことよ。私は納得できないけど、あなたはどうなの?」
プリムローズは「お姉さまも納得されたのでは?」と小首を傾げる。
「お父様の命令だから仕方なく了承しただけよ。納得なんてしていないわ」
「どうしてですか? 別に十日くらい一緒にいるだけのことではないのですか? ラドフォード子爵様がおっしゃるには、あの方と一緒にいると美味しいものが食べられるそうなので、私は嬉しいのですけど?」
妹の天然さにローレンシアのこめかみに青筋が立つ。
「いいこと! 私たちはエザリントン公爵の娘なの! それが騎士の、それも次男に、け、懸想しているように見せないといけないのよ! そ、そんなことに納得できるわけがないわ!」
ローレンシアは自分で言っている言葉が恥ずかしくなり、顔が赤くなっていく。
彼女は公爵家の令嬢にしては珍しく、学術院での勉学に真剣に取り組んでいた。これは彼女の生来の生真面目さがそうさせたのだが、その結果、実力で首席の座を勝ち取っている。
学術院の成績は身分が高いほど加算されるシステムで、皇室との縁戚でもあるエザリントン公爵家は最大級の加算がなされている。しかし、彼女はそれを除いても首席の座を得ており、自身の学力に自信を持っていた。
その反面、恋愛に関しては非常に奥手で、同級生たちが熱を上げる恋愛の話についていけなかった。
そんな彼女に対し、父親であるエザリントン公は“女”を武器にしろと言ってきた。そのことに彼女は憤慨していた。
もちろん、彼女もロックハート家の政治的な立場や帝国の将来への影響については、父の説明を聞いて納得している。それを踏まえても、若い彼女は納得し難い気持ちを抑えることができなかった。
納得しがたい理由はまだあった。
それは自分より年下のザカライアスが既に二人の妻を持ち、更に二人の婚約者がいる点だ。
彼女はザカライアスのことを“女好き”と認識しており、そんな彼に想いを寄せているように見せることは潔癖な少女である彼女には納得しがたいことだった。
身分の話を出したが、彼女自身、その点はあまり気にしていない。エザリントン公は優秀であれば平民を登用することが多く、生まれた時から彼女の周りには平民や騎士階級の者たちが多くいた。そのため、学術院では下級貴族の先輩から教えを受けることに抵抗を感じなかったし、富豪ではあるが平民の友人もいたのだ。
「少し傲慢な感じがしたわ。あなたもそう思わなくて?」
突然話が変わり、プリムローズは一瞬首を傾げるが、姉の性格は分かっているので戸惑いはない。
「そうでしたか? はっきりおっしゃる方だとは思いましたけど?」
プリムローズは晩餐の光景を思い浮かべながら、そう答える。
「エザリントン公爵であるお父様の誘いを断ったのよ! それも破格の条件を提示したのに!」
「でも、それはお父様がザカライアス卿をお試しになられたからでは?」
「そんなことは分かっているわ! でも、お父様のお誘いを断るなんて……それにお父様に意見もしていたし……」
プリムローズは姉が何を言いたいのか分からなくなってきた。それでも長年の付き合いから、それを口にすると大変なことになると知っており、何も言わない。
ローレンシア自身、自分が何に憤っているのか分からなくなりつつあった。
「もういいわ。明日からのことを話しましょう」と突然話を変える。
「明日は朝食の後に街にいくのでいいわね。行き先はどこだったかしら?」
「食料を取り扱うパストン商会に行くことになっていますよ。どこかのレストランで昼食を摂った後は、街を自由に見て回ると、アドルフ伯父様はおっしゃっていましたけど」
姉の問いに即座に答える。
「エスコートは私がロドリック卿で、あなたがザカライアス卿だったわね……ねぇ、ローズ、代わってもらえないかしら?」
プリムローズはなぜ代わる必要があるのかと思ったが、すぐに「はい、いいですけど」と答える。
「ありがとう」と笑みを浮かべる姉に疑問が口をついた。
「でも、どうして代わる必要があるのですか?」
その何気ない問いにローレンシアは「えっ?」と声をあげ、「と、特に理由なんて……」と一旦否定しかけるが、すぐに言い直す。
「い、いいえ、お父様のお命じになったことを考えれば、これが一番いいのよ。私がザカライアス卿と一緒の方が」
プリムローズはそんなものかなと思いながらも、それ以上疑問を持つことはなかった。
妹が自分の部屋に戻った後、ローレンシアは侍女を呼び、明日の準備を命じた。
「明日は“恋する乙女”をコンセプトにコーディネートをお願いするわ」
侍女はその要望を聞き、困惑する。その表情を見たローレンシアは言い方を間違えたと思ったが、それを顔に出すことなく、指示を与えていく。
「ザカライアス卿は黒色の衣装を好まれると聞いたわ……あの方に合わせるにはどんなドレスがいいかしら? 奥方たちは決まった色があるみたいだから、それと被らないように選んで頂戴……」
侍女は困惑しながらも「かしこまりました、お嬢様」と言って退出した。
その時のローレンシアからは戸惑いを隠している様が見え、やや紅潮した顔をしていた。もちろん、本人にその自覚はない。
その後、侍女は同僚たちに相談し、更にロックハート家の侍女であるアンジェリカ・コールリッジとエレアノール・メイスフィールドに意見を聞きながら、衣装を準備していった。
「ローレンシアお嬢様がザカライアス卿に恋をしたみたいよ。きっと初恋ね。凄く楽しそうに見えたわ……」
侍女の一人が語った話により、侍女の間にあっという間にその話が広がった。そして、それは出入りの商人や兵士たちにも広がっていく。
翌日、エザリントン公はその噂を聞き、「レンシアはよくやってくれている」と満足げだったが、彼の妻メルセデスは「本当にお芝居なのかしら」と微笑んでいた。
「どういうことかな?」とエザリントン公が尋ねるが、メルセデスは「さあ、どうなのでしょうね」と言ってはぐらかす。
エザリントン公はあるキーワードを思い出す。
(“全方位のハーレム王子”か……しかし、会って数時間だぞ。あり得ぬな……)
そう思いながらも、妻の微笑を見ると、途端に自信が持てなくなった。




