第七十七話「子爵との晩餐」
十二月十日の夜。
シーウェル侯爵家の重鎮、イグネイシャス・ラドフォード子爵は皇帝の勅使として、陞爵の伝達のために我が家を訪れている。
既に面倒な儀式や事務的な話が終わり、公衆浴場で汗を流したことから、子爵の機嫌はいい。もちろん、風呂上がりに冷えた麦酒――ラスモア村のピルスナータイプのビールを提供していることも機嫌が良い理由の一つだろう。
俺の方は風呂で聞いた宰相の話が気になり、少し気持ちが沈んでいた。しかし、子爵の屈託のない笑顔を見て、今は酒のことに集中すべきとさっきの話を一旦忘れることにした。
話をしながら屋敷に戻るが、子爵が気になっているのはやはり今夜の酒のことだった。
「今宵はあのワインを飲ませてもらえると期待しているのだが」
彼の言う“あのワイン”とはシーウェル侯爵領の最高の赤ワインを俺の収納魔法で熟成させたもののことだ。
シーウェルワインはカベルネ・ソーヴィニヨンのような優雅さとシラーやマルベックのような力強さを持ったワインだ。この潜在能力のあるワインをボトルで寝かせることで、更にまろやかさが増し、劇的に美味くなる。
「もちろんです。当家の発泡ワインとロージングレイブ家の貴腐ワインもちょうど良い熟成加減にしてあります」
発泡ワインは俺が作った物だが、貴腐ワインはカウム王国のカトリーナ王妃から贈られたもので、彼女の実家ロージングレイブ家の逸品だ。
昨年王都アルスでトラブルに巻き込まれた際の謝罪の品としてもらっているものだが、ドイツのアイスヴァインのような上品な甘さで、五年ほど寝かせたものをきりっと冷やすと、食後のデザートワインとしては最適だ。
「それは楽しみだ。余裕があれば、食後に例の“撹拌”した酒もあると嬉しいのだが」
“撹拌した酒”とは、今年の春に行われたドワーフフェスティバルの余興で見せたカクテルのことだ。九月にシーウェル侯爵と共にラスモア村を訪問した際に、ドワーフフェスティバルで出した酒や料理を再現したため知っている。
「準備はしておりますが、今日の料理はワインに合わせていますので、明日以降の方がよいかもしれませんね」
そんな話をしながら屋敷に戻る。
屋敷の調理場ではメイド長のモリーが料理を作っており、その芳しい香りが屋敷中に広がっていた。
「良い香りだ。食欲をそそる……今日も楽しませてもらおう」と子爵もご満悦といった表情でホールのテーブルに着く。
父や祖父たちは既にテーブルに着いており、すぐに歓談が始まった。
今日は祖父、両親、兄夫妻、俺、リディ、ベアトリスの八人と子爵側六人の計十四名で会食することになっている。
メルとシャロンだが、彼女たちのたって希望で、料理の手伝いをしている。今後のことを考えて、いろいろ勉強したいらしい。そこにはルナも一緒におり、ほとんどしゃべらないものの、味には興味を示していた。ここ最近はメルと一緒に料理を作っている姿をよく見かける。
歓談の間に調理場に行き、料理の進行具合と味を確認していく。
「そろそろなんだが……準備の方は大丈夫そうだな」
「はい。準備は終わっています」とモリーの娘トリシアが明るい笑顔で答えてくれ、「今日もおいしいですよ」とメルが胸を張りながら皿を見せてくれた。
今日の付き出しは香草の生ハム巻きだ。
ルッコラと少量のフレッシュバジルにフェンネル、それにチーズと少量のドライフルーツを生ハムで巻き、黒コショウとオリーブオイル、岩塩で味を調えたものだ。
前回はワカサギの揚げ物だったが、今回はあえて趣向を変えてみた。
テーブルに戻り、料理の説明をしていく。本来なら俺がすることでもないのだが、いつしか俺の仕事になっていたからだ。
「香草、チーズ、ドライフルーツを豚もも肉の生ハムで巻いたものです。香りづけにオリーブオイルも掛けてあります。発泡ワインに合わせてみました」
個人的にはゴテゴテとしたアミューズはあまり好きではないが、適度な塩分と上質なオリーブオイル、それに自然な甘みが加わると、ドライな発泡ワインにはよく合う。
この料理を出そうと思ったのは、生ハム、ドライフルーツ、オリーブオイルがシーウェル侯爵領の特産品だからだ。
子爵は「ほう。いつもと趣が違うようだが」と言いながら、一口大にカットしたアミューズを口に入れる。
最初はこの組み合わせに戸惑いがあったようだが、発泡ワインを口に含むとすぐに笑みが広がっていく。
「さすがはザカライアス殿だ。この塩分と甘み、そして、シーウェル領の香り高いオリーブオイルが、この発泡ワインに抜群に合う。この組み合わせはシーウェルや帝都で出すことを想定しているようだね」
さすがは美食家として名高いだけのことがあり、俺の意図を即座に見抜いた。
「この組み合わせはライトな赤ワインにも合うと思います。ですから、軽いつまみとして提案させて頂きました」
俺の説明に満足そうに頷いている。
父が何となく納得いかないのか、俺に質問してきた。
「しかし、生ハムとドライフルーツというのは意外な組み合わせだな。いや、不味いわけではない。私も美味いと思うのだが、甘みを加えるというのが意外だったのだ」
その問いに俺に代わって子爵が答える。
「そうでもありませんぞ、マサイアス殿。帝国南部ではフレッシュなフルーツと生ハムという組み合わせは、大して珍しいものではないのです」
生ハムとフルーツの組み合わせは“生ハムメロン”などでよく使われる。オレンジなどにも合わせるため、フルーツが多く取れる南部ではそれほど奇異な組み合わせではない。個人的には甘みがより強い、柿やマンゴーの方が好みだが、今回は輸送が容易で季節をあまり選ばないドライフルーツを使ってみた。
この後は前菜として鴨の肝で作ったパテとよく冷やした貴腐ワイン、ジャガイモとネギの冷製ポタージュ、いわゆるヴィシソワーズと地元のライトな白ワインと続いていく。
白ワインが続いた後、シーウェルの赤ワインが供される。
大ぶりのグラスに注がれたワインは濃いルビー色だが僅かにオレンジ掛かっている。子爵はそのワインを灯りの魔道具に透かしながら目を細めている。
「相変わらず美しい……この芳醇な香りもここでしか楽しめぬものだ……このワインこそ世界一のワインであろうな……」
彼の言う通り、俺もこの赤ワインはこの世界で一番だと思っている。
前にも話したが、この世界の赤ワインは瓶熟成を加えず、樽から出した物を陶器製のボトルに詰めてすぐに消費する。そのため、ここまでまろやかになることはありえない。
若い頃だが、一時期赤ワインに嵌ったことがあり、結構いいワインを飲んでいた。特にブルゴーニュの一級畑は給料が入ると飲んでいた気がする。本当は特級畑が飲みたかったのだが、当時からロマネ・コンティは言うに及ばず、ラ・ターシュやシャンベルタンなどの超高級ワインは手が届くようなものではなかった。
赤はボルドーのカベルネ・ソーヴィニヨンより、ブルゴーニュのピノ・ノワールの方が好みなのだが、それでもラフィット・ロートシルトやシャトー・マルゴーなどは何度か飲んでいる。
その経験から言っても、シーウェルワインは非常に出来がいい。樽に詰めて千キロも運ばれてきたとは思えないほどだ。
考えられる理由は二つある。
このワイン自体の出来が良かったことと、収納魔法で寝かせていることだ。
出来については子爵自身が当たり年だったと言っているので間違いないが、収納魔法の方は明確な根拠はない。
収納魔法はワインボトルが振動や光を全く受けることがなく、地下室のようなワイン貯蔵庫よりワインにストレスが掛かりにくいと言えるだろう。また、熟成後に荷馬車などで輸送する必要がないことも劣化しない要因の一つだ。
「いろいろ試してみましたが、この状態が一番いいと思います。なあ、ベアトリス?」
突然話を振られ、「あ、ああ」と慌てる。
「あたしの……私の感じじゃ、これが一番雑味がない……ありません。これ以上寝かせると味がぼやけちまう……ぼやけてしまうので……」
彼女はここ最近、母に言葉遣いを注意されていたため、一々言い直している。
「公式の場ではないのですから、いつも通りで構いませんぞ、ベアトリス殿。そのように気を使っておったら美味い酒も味がせんでしょう。ハハハ!」
俺も母に牽制の視線を送りながら、
「イグネイシャス様の御言葉に甘えよう。今日の料理とワインは心おきなく楽しみたいものだからな」
「ああ……そうさせてもらえると助かる……いえ、助かります。あっ!」
ベアトリスがやってしまったという顔をする。その表情に笑いが起きる。
彼女の名誉のために言っておくが、しゃべり方は男っぽくてもテーブルマナーはきちんと守っている。今日もドレスを着ているが、最近ではそれほど嫌がらなくなっているので、母の調教、いや、指導が上手くいっているのだろう。
「ベアトリスさんは今のままの方が魅力的だと私は思いますわ。イグネイシャス様もそう思いませんこと?」
義姉ロザリーがフォローするが、その仕草は上品で“姫様”と呼ばれただけのことはある。
「ロザリー殿も昔の騎士の姿でも良かったのではないですかな? 私は結構好きでしたよ、あの姫騎士の恰好が。ハハハ!」
ロザリーは一時期、騎士団の訓練に参加しており、会食にも騎士服で出席していたらしい。そのことを指摘され、彼女の顔が赤くなる。
そんな話をしていると、侍女のアンジーとエレナがワイングラスを配り始める。
「このワインの他にも?」と子爵が首を傾げたので、「メイン料理に合わせたものです」とだけ説明する。
その間にアンジーたちがワインを注いでいく。
今飲んでいる最高級のシーウェルワインと同じものだが、熟成年数が違うものだ。
俺はグラスを持ち上げ、
「これも先ほどと同じシーウェルワインです。違うのは熟成年数のみ。先に飲んで頂いたものが二十年熟成のもの、そして、これが五年熟成のものです。これから出す料理には五年熟成の方がより合うと思います」
俺の説明が終わったタイミングで、メインの料理が厨房から現れる。
今回は奇をてらわずに牛肉の料理を、それもオーソドックスなビーフシチューを用意した。
「牛肉のシチューですかな? これにも何やら仕掛けがあると……」
そう言いながら子爵がナイフを入れる。
よく煮込まれた柔らかい肉を口に入れるが、僅かに怪訝な顔をする。そして、俺が勧めた五年熟成のワインを口に含んだ。
「なるほど……」と唸り、更にもう一口、肉を口に入れる。
「この牛肉のシチューには、確かにこの力強いワインがよく合う」
その間に俺たちもビーフシチューを食し、ワインを含む。
牛肉とソースの旨味が口に広がり、更に脂がコクを出していく。そこに若くて力強い赤ワインが加わると、更に深い香りとなるだけでなく、肉に爽やかさすら感じてしまう。
「このシチューはごく一般的な物で、特別なことはしておりません。もちろん、イグネイシャス様に召しあがって頂くので、手に入り得る最高の食材は用意しましたが、今回は少し趣向を変えてみたのです」
俺の解説に兄が「趣向を変えたとは?」と聞いてきた。あまり食にうるさくない兄だが、最近は俺に感化されたのか料理や酒にも興味を持つようになってきた。
「ええ。もう一口シチューを食べてみてください。そして、今度は先に出した熟成された方のワインを飲んでみてください」
俺の言葉に全員がナイフを動かす。
俺も同じようにシチューを味わい、熟成された赤ワインを口に含むが、やはり少し合わない。
「なるほど! 確かに若いワインの方が美味い! ザック、これはどういうことなのだ?」
父がやや大げさな手振りを加え、解説を求めてきた。
「赤ワインと牛肉のシチューは相性の良い料理です。特にシーウェルワインのような果実香があり肉に負けない風味を持つワインは特に相性が良いのです……」
子爵は大きく頷いている。
「ですが、熟成させれば更に相性が良くなるかと言われれば、必ずしもそうではないのです。熟成によってワインのフルーティな香りや酸味が落ち着いたものになるためです。こういった熟成されたワインを料理に合わせることは非常に難しいと私は思います」
「シーウェルワインの販売戦略を私に伝えるつもりでこの組み合わせにしたということかな」
またしても俺の意図を見抜いた。
「はい。確かにこのワインは最高級のものです。二十年熟成させれば、これほどまろやかで香り豊かなものに変わります。ですが、長期の熟成は多くの在庫を抱えることになります。販売価格をそれに見合ったものにするとしても、現金化するまでに時間が掛かり過ぎます」
「確かに」と子爵が頷く。
「ですが、若いワインでも売り方を考えれば、このように付加価値を付けて売ることができるのです。そのためにはワインの特性を熟知した料理人、若しくは助言者が必要になります。帝都などの高級料理店にアドバイザーを派遣し、このような組み合わせを提案させ販路を広げれば、更にシーウェルワインの価値は上がるはずです。他にも若干品質が劣る中級品でも、同じように料理との組み合わせを提案すれば、充分な付加価値を与えることができるのです」
「なるほど。しかし、そのアドバイザーを育てるというのが難しそうだな。卿にやってもらうのが一番なのだろうが……」
そんな話をしながら美味い料理に舌鼓を打つ。
その後、チーズと二十年熟成のワインを合わせている。
残念ながら、この辺りのチーズはエメンタールやグリュイエールのようなハード系のチーズが多く、このワインに合うような熟成されたウォッシュタイプ――表面を塩水や蒸留酒などを定期的に吹きつけて熟成させるチーズがない。
それでもチーズの塩分と香りがワインの風味を更に強め、蜂蜜のような甘さを感じさせてくれる。
最後に貴腐ワインとドライフルーツの焼き菓子で締め、ロックハート家の晩餐は終わった。
「確かにこの後にあのシェイクした酒はいらぬな。折角のワインの香りが消えてしまう。もう少し何か飲みたい気分なのだが……」
子爵はそう言って残念そうな表情を浮かべていた。
本来ならここで“ブランデーでも”と言いたいところだが、残念ながら十年物のブランデーでは後味を台無しにしてしまう。
「残念ながら、今はこの後に飲むような酒はありません。今少し熟成が進めば、ブランデーやカルヴァトスが合うと思うのですが……」
子爵も「そうか。残念だな。では、貴腐ワインをもう一杯頂こうか」と言って空になったグラスを軽く上げた。
俺はその仕草に笑みを浮かべながら、別のことを考えていた。
(美味いブランデーを作らないとな……もう少ししたら、十年程度でも美味いブランデーができるんだが、今ある物は試行錯誤で作っていた時代の物だしな……後はポートとかシェリーだな。あれなら何とかなるかもしれないが、時間が掛かるし……)
ゆっくりとした時間が流れる中、再び子爵と酒談議に花を咲かせた。
全くの偶然ですが、今週末にいきつけのフレンチのお店にリードヴォ―を食べに行きます。
だから、この話というわけではないのですが、ちょっといいワインに手を出しそうな気がします(笑)。
(今回の話は次章の伏線です。そのはずです……)




