第七十話「元老院」
帝都での話です。
トリア歴三〇一八年十一月五日の午後一時頃。
カエルム帝国の帝都プリムスに一騎の伝令が到着した。
宰相アービング・フィーロビッシャー公爵は概要を秘書官から聞いた後、直接伝令から報告を受けることにした。
伝令は若い騎士で、宰相に直接報告するということで緊張しきっている。
「て、帝国北東部、ロ、ロックハート騎士爵領に、アンデッドを主力とする魔族軍が、し、侵攻しました。その数は一万以上。カウム王国軍千五百が協定に従い、出陣しました」
「ご苦労。その情報の信頼性はいかほどか?」
宰相に慌てた様子は全くなく、落ち着いた声音で伝令に問い質した。伝令は想定された質問だったが、灰色の鋭い目に見つめられ言葉が出ない。
「誰が報告した情報か。それを問うておる」
伝令は「し、失礼いたしました」と言って、大きく頭を下げると、
「ロ、ロックハート家の従士がカウム王国黒鋼騎士団の将に伝えた情報を、アルスにて入手いたしました。また、冒険者ギルドによる情報も加味されているとのことです。カウム王国政府の公式発表になるとのことです」
「こちらが公文書になります」といって秘書官が蝋で封印された封書を手渡す。
宰相はその文書を確認していく。
(鍛冶師ギルドの施設を守るために出陣したとある。しかし、アンデッドが一万以上だと……辺境の村では半日ももつまい。だとすれば、アルス街道にアンデッドが溢れることになる。これは由々しき事態じゃ……)
更にその文書にはロックハート家の従士シム・マーロンがバルベジーの黒鋼騎士団に伝えた第一報に加え、キルナレックの冒険者ギルドが確認した第二報も添付されており、情報の確度は非常に高いと思われた。
宰相は「ご苦労であった」といい、伝令を退出させた。その直後、若手の文官に指示を出す。
「直ちに元老院を招集せよ。議題は魔族の侵攻への対応とルークスへの懲罰出兵に関する協議じゃ」
文官が一礼して出ていくと、秘書官に「陛下に報告にあがる」と告げ、足早に後宮に向かった。
皇帝ジークフリード二十一世は後宮でゆったりとしたソファと豊満な肢体の側室に身を預け、赤ワインの入ったグラスを傾けていた。
そこに宰相が入ってきたため、露骨に顔を顰める。
「今日は政務がない日のはずであろう。余のささやかな愉しみを邪魔せんでくれ」
宰相はその言葉に「申し訳ございません」と頭を下げるが、
「緊急事態でございます。カウム王国の北の国境付近に魔族軍が現れました」
それでも皇帝は「カウムの連中が何とかするであろう」と言ってグラスに口をつける。
「此度は我が国の領土への侵攻でございます。また、敵はアンデッドを主力とする一万以上の大軍であり、アルス街道において大混乱が起きる可能性がございます」
皇帝は煩わしげに「その方に任せる。よきに計らえ」と言って犬を追い払うように手を振った。
宰相は「小職が責任を持って処理いたします」と言って後宮を去った。
(陛下の言質は取った。これは一刻を争う案件じゃ。政争の具にされては堪らぬ)
宰相は心の中でそう呟きつつ、元老院に向かった。
午後三時。
元老院には既に元老と呼ばれる帝国の重鎮たちが集まっていた。その数は十二人。円卓に座り、宰相の到着を雑談しながら待っていた。
主要なメンバーは前皇帝の弟であるトリストラム・ラングトン大公、現皇后の実兄であるチャールズ・インゴールスロップ公爵、皇太子ジギスムンドの正妃の父エドモンド・ギャビストン公爵、第五軍団長ローレンス・ケンドリュー公爵、第四軍団長のアレクシス・エザリントン公爵だ。
宰相が席に着いたところで、ラングトン大公が口火を切った。彼はお気に入りの若い秘書官――二十代半ばの美男子――と爛れたひと時を過ごそうとしていたところで呼び出され、不機嫌さを隠そうともしていない。
「緊急の用件と聞いたが、カウムに魔族が侵攻した程度では緊急と言えんのではないか」
「通常の侵攻であれば小職もこのような形で招集はいたしません」
宰相は冷たい声音で招集の趣旨を話し始めた。
「此度の侵攻の矛先はトーア砦ではございません。辺境とはいえ帝国の領土に対して行われたのです。その地の名はロックハート騎士爵領ラスモア村。そのラスモア村なる地に一万を超えるアンデッドが襲来したのです……」
ロックハート領ラスモア村という固有名詞に反応できた者は少数いたが、それ以上に一万以上のアンデッドという規模に元老たちは驚愕する。
「一万以上だと! 誤報ではないのか」
ケンドリュー公が宰相の説明に口を挟んだ。発言を止められることになった宰相だが、気にすることなくそれに答える。
「カウム王国の公式発表と冒険者ギルドの情報が整合しておる。実際、カウムはその情報をもって救援の軍を出しておるのだ。小職は誤報でないと確信している」
その言葉に全員が押し黙った。
「では続けさせていただきます。カウム王国は七月に結んだ協定に基づき、黒鋼騎士団千五百をロックハート家救援のために進発させております。ああ、ちなみにお忘れの方がいらっしゃるかもしれませんので、ロックハート家とラスモア村について説明しておきましょう……」
宰相はロックハート家がスコッチなる蒸留酒の生産者であり、ラスモア村は世界唯一の蒸留酒の生産地であり、更に鍛冶師ギルドの研修所があると伝える。
「スコッチについてはご存知だと思いますが、ドワーフたちが目の色を変える酒です。光神教の前総大司教サンティーニが失脚した原因となった酒。恐らくこの情報を聞いたドワーフたちは皆ラスモア村に向かっておることでしょう」
スコッチの話で全員がロックハート家とラスモア村のことを思い出した。
「ドワーフたちが大宴会を行った場所ではなかったか」というエザリントン公爵の独り言が聞こえる。
「その通り。春に行われ、“ドワーフフェスティバル”と呼ばれておるらしい。帝都の鍛冶師たちも参加しておる」
「それは分かったが、もう一つの議題、ルークスへの懲罰出兵の話はどうなのだ」
インゴールスロップ公が不機嫌そうに伝える。彼は商業ギルドからルークスからの早期の撤兵を要請されていたため、その議題にしか興味がなかった。
「それにもこの話が関係しておる。いま少し小職の話を聞いていただきたい」
宰相はそういい、再び話を始めた。
「アンデッドは一万以上。ロックハート家の戦力は村人を入れても二百人程度。恐らく数時間でアルス街道にあふれ出ることになります……そして重要なことは、奴らはアクィラを越えてきたということです。つまり、魔族と関係があると言わざるを得ません。恐らく、早晩にカウムから救援要請が届くはず……」
宰相は一万を超えるアンデッドに対し、数名の従士しかいないロックハート家では太刀打ちできず、アルス街道がアンデッドで溢れかえり、大混乱が生じると説明した。そうなれば、対魔族協定に基づき、帝国だけでなく、ペリクリトルやフォルティス、ラクス・サルトゥース連合王国、そしてルークス聖王国にも救援要請がなされるだろうと断言した。
「この状況でルークスに出兵したままというわけにはいきませぬ。撤退を視野に入れておくべきではないかというのが、小職の提案です」
ルークスからの撤退と聞き、対ルークス強硬派でありレオポルド皇子派のラングトン大公とケンドリュー公が反対の声を上げた。
「ルークスは我が帝国に謀略を仕掛けてきたのだ。それをこの程度のことで取り止めれば、奴らは更に付け上がる」
「一万程度のアンデッドならば一個軍団を派遣すれば済む。その程度ならば撤兵させる必要は感じん」
ケンドリュー公の戦力分析は的を外しているものではない。帝国軍の一個軍団は二万名の職業軍人からなる強力な戦力だ。騎兵が主戦力であるため、攻城戦は苦手だが、野戦には滅法強く、ラクス王国軍が相手でも同数なら圧倒、倍の戦力に対しても互角以上に戦えると言われている。
今回の相手はアンデッドということで当然野戦になる。一万程度のアンデッドに対し、一個軍団を当てるというのは過剰戦力と言われてもおかしくない。
しかし、それは純軍事的な見方でしかない。
「対魔族協定はアクィラの西側の諸国が一致団結して魔族に当たるというものだ。その中には戦争状態であっても即刻停戦するという条文がある。それを無視するわけにはいかぬ」
宰相の言葉にインゴールスロップ公が賛同する。
「確かにそんな条文がありましたな。即刻ルークスから撤兵すべきでしょう」
先ほどまでの不機嫌さがきれいに消えている。
「しかしだ。アンデッドどもが魔族であるという証拠はないのであろう。儂には魔族がアンデッドを使ったという記憶がない。カウムからの要請もないのに停戦の必要はないのではないか」
その言葉にギャビストン公が反論する。
「魔族でないという証拠もない。それに今回の侵攻先は帝国領だ。カウム王国が救援要請を行えぬのではないか」
その言葉にインゴールスロップ公が同調する。
「しかり。辺境とはいえ帝国領なのだ。我が国が率先してことを起こさねば魔族の思う壺になる」
ギャビストン公、インゴールスロップ公の二人は皇太子派の重鎮であり、ルークスに出征しているレオポルド皇子が手柄を上げることを恐れている。現状では大きな手柄は上げておらず、早急に撤兵させたいと思っていた。
また、二人は共に商業ギルドとの関係が強い。
商業ギルドはルークス聖王国が決定的な損害を受ければ国自体が崩壊すると考えており、そしてその次は自分たちの番だと危機感を抱いている。しかし、今回はルークスを非難せざるを得ず、非公式に最小限の支援を行うことしかできていない。ギルドはルークスが限界であるという情報を掴んでおり、これ以上の戦闘継続を望んでいなかった。
一方、ラングトン大公とケンドリュー公はレオポルド皇子派で、今回の出征で評判の悪い皇太子を廃嫡しようと考えていた。しかし、思った以上にルークスの抵抗が強く、レオポルド皇子が苦戦していることに焦りを感じていた。今の状態で撤兵することは敗北に等しく、皇太子派に付け入る隙を与えることになる。
宰相であるフィーロビッシャー公はいずれの派閥にも属していないが、両派閥の思惑を正確に理解していた。しかし、魔族の侵攻を放置することはできないと考えていた。
(アンデッドというのが始末に悪い。食料は要らぬし、住民を殺せばそれだけ戦力が増大するのだ……)
そして、アンデッドがラスモア村を越え、アルス街道に進むことは確定事項として捉えている。その上でどちらの方向に向かっても危険であると考えていた。
北に向かった場合、ペリクリトルと周辺の町や村が蹂躙されれば、アンデッドの戦力は優に十万を超える。ペリクリトルには多数の冒険者がいるが、一戦士としての能力は評価するものの軍隊としての能力には疑問を持っていた。
(腕のよい冒険者が必ずしも優秀な兵士になれるわけではない。第一、率いる指揮官がおらぬのだ。そのような軍が死を恐れぬアンデッドの軍を抑えられるはずがない。儂は文官だが、その程度のことは分かる。恐らくアンデッドの波に飲み込まれ、あの辺りは死の国と化すだろう……北に向かえばよいが、西に向かえば帝国北部。北部総督府軍のほとんどがおらぬ状況でファータス河を渡られたら帝国北部が壊滅してもおかしくない……)
更に南に向かった場合についても考えていた。
(カウムが初戦でアンデッドを葬ればよいが、梃子摺れば王都すら危うい。どこかで街道を封鎖すれば時間は稼げるが、友好国を見捨てることは外交的に外聞が悪すぎる……)
皇太子派、皇子派が激論を交わしている間、フィーロビッシャー公は黙っていた。自分の考えがまとまらなかったことと、両方のガス抜きをした後で建設的な話し合いに持っていきたかったためだ。
今まで黙っていたエザリントン公が発言を求めた。宰相はそれに頷き、発言を許可する。
「今は情報が少なすぎる。レオポルド殿下にはルークスからの撤退の準備を進めるようお願いし、こちらではカウムへの出兵の準備を平行で進める。その上で続報を待ってはいかがか」
それに対し、両陣営から反対の声が上がった。
皇太子派はカウム王国が単独で魔族を食い止める可能性は低いため、準備ではなく即座に撤兵すべきといい、皇子派は準備とはいえ撤兵の可能性が兵士に伝わると士気に関わると反対する。
エザリントン公は皇太子派に対しては、
「魔族に対しては帝都で準備を行えばルークスの撤兵が影響することはない。即座に撤兵といっても、あれほどの軍が動くには十日は掛かる。その間に新たな情報が入ってくるはずだ」
と言い、皇子派には、
「兵たちには大規模な侵攻作戦の準備であると言っておけば問題はない。その旨を殿下に徹底していただけばよい。」
と言って反論する。
宰相はこの辺りが落としどころだろうと考え、
「エザリントン公の考えが最も現実的であろう。元老院としてはこの方針でいくことにする」
ラングトン大公は「多数決を採るべきだ」と迫ったが、
「既に陛下より小職に一任するとの勅命を拝しております。更にエザリントン公の言う通り、今は情報が少なすぎるかと。この程度の方針で採決せねばならぬとは考えませぬ」
大公も即時撤兵でないため、引き下がるしかなかった。
会議が終了し元老院を出ると、エザリントン公が待っていた。
「ご一緒してもよろしいですかな」
「もちろん、構わぬよ」
そう言って馬車に乗り込む。
馬車の中に入ると、宰相がエザリントン公に「先ほどは助かった」と軽く頭を下げる。
それに対し、エザリントン公は「大したことでは」といって笑顔を見せる。二人は共に中立派と呼ばれ、帝国の行く末を真剣に考えている同志だった。
「今回の件で商業ギルドが動くかもしれん。そちらはクレメントに監視させるが、アレクシス殿には軍の方を抑えておいてもらいたい。ラングトン大公はともかく、ケンドリュー公が暴走せんとも限らんからな」
エザリントン公は「承りました」と答えるが、クレメント・シーウェル侯爵が商業ギルドを監視することに疑問を呈する。
「シーウェル侯爵家は商業ギルドとあまり接点がなかったのでは?」
「早耳のアレクシス殿も知らぬことがあるのだな」と宰相は微笑む。
「クレメントはシーウェルワインの販売に力を入れるらしい。ガラス業者と交渉をすると言っておった」
エザリントン公は「ほう」と感心したような声をあげ、
「あのワインを。そう言えば、ラドフォードがロックハート家と何やら情報交換をしているという噂を聞きましたが、その一環ですかな?」
「さすがじゃな。そちらは既に知っておったか」と宰相は笑い、
「最近流行っておる料理を知らんかな。“ジェラート”とかいう冷たい菓子じゃ。あれもロックハート家から仕入れたネタじゃ。まあ、あれは余興のようなものじゃろう。本命はワインの品質向上だそうじゃ。そなたも飲んだことがあろう。あの特別なワインを。あれはラスモア村で手を加えたものだそうじゃ」
「あのような辺境で……」と絶句する。
「あれは素晴らしいワインでしたな。しかし、蒸留酒といい、ワインといい、ロックハートには謎が多いですな」
「貴公は覚えがないか、ロックハート家の次男が魔術学院の首席で卒業したことを。確かザカライアスとかいったと思うが、彼の者がドワーフたちから何と呼ばれておるか知っておるか」
「いえ。寡聞にて」と首を横に振る。
「“酒神の申し子”と呼ばれておるそうじゃ。まだ、十五、六の子供があのドワーフたちに酒で一目置かれておる。末恐ろしい天才じゃな」
エザリントン公は「ドワーフたちが酒で一目置く……」と再び絶句するが、すぐに表情が沈む。
「その天才を失うことになるのですな。ドワーフたちの慟哭が聞こえてきそうです」
「しかり。ロックハートは武骨者と聞く。その次男であれば領地領民を捨てて逃げることはあるまい。惜しいの」
二人の認識ではラスモア村が持ちこたえることはありえないということで一致していた。
元老たちの反応は至極もっともな話かと。
常識的に考えれば、1万数千対300ですから、ロックハート家が勝利するとは誰も思わないですよね。




