第四十四話「防壁での戦い」
リディの視点です。
トリア歴三〇一八年十月二十日、午後八時頃。
目の前に信じられない光景が広がっていた。私は思わず立ち尽くしてしまう。
これでも冒険者歴は四十年ほど。故郷に引き篭もっていた時期があるとはいえ、三級という自負があるわ。そんな私でもこれほど異様な光景は見たことがなかった。普段は長閑な草原が無数のアンデッドに埋め尽くされたおぞましいものだった。
アンデッドたちは醜い腕を振り上げ、蠢きながら防壁に向かって進んでくる。
「リディアさん! 魔法で攻撃を!」というダンの声で我に返った。すぐに“流星雨”の呪文を唱えていく。私が使える光属性最強の魔法を奴らに叩きつけるつもり。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の欠片、数多の星を我に授けよ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん……」
一分ほど掛けて精霊の力を貯めていく。
魔法の発動と共に、直径二十cmほどの光の球体が五十mほど離れた場所に次々と現れる。その数は百を超え、眩い光が暗闇を侵食していき、徐々に昼間のような明るさになり、最後には目を開けていられないほど眩しくなる。
光量がピークに達した時、一気に力を解放した。
「我が敵に神の鉄槌を! 流星雨!」
上空に浮かんでいた光の塊が流れ星のように次々とアンデッドの群れに落下していく。
落下していく光の塊は地面に達すると大きく爆発する。その爆発は連鎖的に続き、アンデッドたちを吹き飛ばしていった。
ダンや若い弓術士たちが「やった!」という歓声を上げるが、私の目には効果があったように見えなかった。流星雨が落ちた場所では百以上の骸骨や屍喰鬼が吹き飛ばされ、大きな空間を作っていた。それにも関わらず、全く減った気がしない。実際、すぐにその空間は埋められ、元の状態に戻ってしまう。
投光器の光が届いたことでダンたちにも効果が少なかったことが分かり、上がっていた歓声が一気に萎んでいく。
「魔法で殲滅するのは難しいですね」とロドリックの冷静な声が後ろから聞こえてきた。さすがに北部総督府軍で場数を踏んでいるだけのことはあり、冷静に戦況を分析している。
「私の魔法じゃ無理ね。ザックなら別だけど……どうするの?」
私の問いにロドリックは「弩で地道に減らすしかないでしょう。無限にいるわけではありませんから」と言い、
「伝令! 祖父に報告! 敵、大軍につき、魔法での殲滅は困難! 弩による攻撃に変更する。消耗品の補給と弩弓兵の補充が必要! 分かったな!」
彼の言葉に二十歳くらいの若者が「了解!」と言って屋敷に向かって駆け出した。ロドリックは伝令を一瞥すると、ヘクターとガイに指示を与えていった。
「ヘクター! ガイ! 弩弓兵たちの指揮を頼む! 弓兵は今のうちに休息を取らせろ。幽霊以外の飛行型が来ないとも限らん……」
ベテランの二人は「了解!」ときれいな敬礼で答え、それぞれ二十人ほどの自警団員の指揮を執り始めた。
私はその間、東の草原を見つめ続けていた。ダンが見たという黒マントの魔物を見つけようと思ったから。
横ではダンが私を守るように抜き身の剣を持って立っている。
肉眼では黒マントの魔物は確認できなかった。それでも死霊魔道師や首なし騎士より禍々しい魔力を感じていた。闇の精霊たちも恐怖と狂気を撒き散らしており、闇の神のもたらす安寧には程遠い。
「どう思いますか?」とダンが聞いてきた。その目的語を省いた言葉に「何が?」と聞き返すが、彼が言いたいことは分かっている。
「ザック様があれほど警戒していた敵です。それに僕が見たあの魔物は人が倒せるようなものではないと思いました。本当に守りきれるのかと……どう思いますか?」
真面目な彼は私の意地悪な問いにきちんと説明してくれる。私は「そうね」と呟き、壁の外からダンに視線を移した。
「ザックが考えていた中で最悪の状況かもしれないわね……」
私の言葉にダンは落胆の表情を浮かべる。
私はそれに構わず、「でも大丈夫だと思っているわよ」と笑いかける。ダンは「しかし……」と口にするが、それを遮り、
「ウェルバーン城の時より状況はマシよ。ここにはゴーヴィたちがいるし、自警団のみんなもいるわ。それにこれくらいのことはあの人の考えの範疇よ。だったら何を心配することがあるのかしら?」
私の言葉にダンの顔にも笑みが戻る。
「確かに……あの時は騎士団が襲ってくるなんて思っていませんでした。でも、今回はしっかり準備してあるし……すみません。あの魔物を見てから弱気になっていたようです」
そう言って私に頭を下げる。
その間にもヘクターたちの指揮の下、弩弓兵たちがグールやスケルトンに太矢を撃ち込み続けている。しかし、押し寄せるアンデッドの数は全く減らず、ゆっくりとしていながらも確実に防壁に迫っていた。
堀にはグールやスケルトンが後ろから押されて次々と落ちていく。最初は立ち上がり、よじ登ろうとしていたけど、立ち上がる前に次の仲間が降ってくるから、徐々に堀が埋まっていく。
私と同じように防壁の外を見ていたロッドが「不味いな」と呟いた。そして、すぐに伝令を呼び、
「伝令! 堀が埋められつつあり。このままいけば一時間程度で防壁に到達する恐れ大。ザックとともにこちらに来ていただけないかと祖父に具申してくれ」
伝令が走り出すと、門を守っているバイロン・シードルフを呼び、ヘクター、ガイ、そして私と協議を始めた。
「この状況は不味い。アンデッドは痛みも恐怖も感じなければ、仲間意識も皆無だ」というロッドの言葉にヘクターが大きく頷く。
「太矢の効き目もあまりありません。リディアさん、魔法で吹き飛ばすことはできそうですか?」
私は即座に「無理ね」と頭を振る。
「空気の槌で一時的に吹き飛ばしても、堀の中に広げるだけね。ザックかシャロンなら何かいい手を思いつくかもしれないけど……」
私は歯痒かった。あの人はともかく、シャロンに頼らなければならない自分が。それでも今はこのアンデッドたちを防ぐことが重要だと頭を切り替える。
「いずれにせよ、防壁を乗り越えてくるのは時間の問題ですな」とバイロンが重々しく言い、ガイが「確かに」と同意する。
「飛び道具より槍で突き落としたほうが登ってくる敵に対しては有効でしょう。先代様にお願いして、槍術士を集めた方がよいかもしれませんな」
話しているうちにも徐々に堀は埋まっていく。防壁の前の堀は幅三十メルトほどが地面と同じ高さになっていた。
十分ほどでザックとゴーヴィがやってきた。ゴーヴィの後ろにはウォルトが、ザックの後ろにはシャロンが付き従っている。
ゴーヴィは「ご苦労」と自警団員に声を掛けながら防壁を登り、「確かにこれは不味い状況じゃな」と堀を見ながらと言い、「で、何か案はあるか」と私たちを含めた全員に確認する。
ロッドが「槍術士を集めて上がり切る前に突き落としてはどうかという案しか思いつきませんでした」と悔しそうに報告する。
ゴーヴィは「うむ」と頷いたけど、何も言わずに黙っている。
堀を覗いていたザックが「これはいい状況かもしれません」と笑顔を見せた。そこにいた全員が彼の顔を見つめていた。
「どういうことじゃ」とゴーヴィが言うと、「ここから防壁を越えさせましょう」と言い、更に私たちを混乱させる。
「防壁を越えさせるじゃと……折角の防壁を放棄するというのか?」というゴーヴィの問いにザックは小さく首を横に振る。
「越えてくる敵の数を制限しながら中に引き込むのです。奴らが上がってくる場所だけを空けておいて、横に広がらないように守ります。後は後ろから押されて勝手に内側に落ちていくでしょう。高さ五メルトもあるんです。ここから落ちればアンデッドといえども身体に不具合が出るでしょう。そこで待ち構えて各個撃破すれば、問題は無いと思います」
「しかし、敵を中に引き込むのは危険ではありますまいか」とバイロンが反対した。
「無制限に入れるんじゃないんだ。見たら分かるけど、アンデッドの身体でできた坂を走って登るなんてできない。それに防壁の外側で守ろうとしてもいつかは押し切られてしまう」
ザックの説明にゴーヴィが頷き、
「良かろう! ザックの策でいく! 防壁の上はロッド、お前が指揮を執れ! ザック、ガイ、お前たちはロッドの補佐をせよ」
ザックたちが了解と言うと、私とバイロンの方を向く。
「内側は儂が指揮を執る! リディアとバイロンは儂の補佐じゃ。ヘクターはシャロンとともに屋敷に戻り、ベアトリス嬢と交替せよ……」
ベアトリスたちが屋敷から呼ばれ、代わりにヘクターたち弓兵隊が屋敷の防御につくことになった。私はゴーヴィの班の支援だ。シャロンはヘクターの支援に回るため、屋敷に戻っていく。
バタバタと自警団が動き回る中、堀はゆっくりと埋まっていく。既に壁の半分ほどの高さまでアンデッドで埋まり、骨がこすれるギシギシという耳障りな音とグールが時折上げるうめき声だけが響いている。
壁の内側に行き、ザックに「本当に大丈夫なの」と小さな声で確認すると、
「グールとスケルトンだけなら勝機は充分にある。だが、デュラハンやリッチが入り込むと厄介だ。俺が防壁の上で奴らを食い止められればいいんだが……」
さっきまでの自信たっぷりな言葉から、不安げな言葉に変わる。
私を抱き締め、耳元で囁く。
「リディも気をつけろ。おじい様やウォルトの傍を離れるな……」
「大丈夫よ。こんなところで死ぬ気はないわ」と言って彼にキスをし、ゴーヴィのところに走っていった。
午後九時過ぎ、遂に防壁の上にアンデッドの醜い手が掛かった。
「敵が登ってくるぞ! だが、不用意に近づくな! 敵は放っておいても勝手に潰れてくれる! 登ってくる奴だけを倒せ!」
ロッドの落ち着いた声が防壁の上に響いていた。防壁の内側ではゴーヴィがアダマンタイトの剣を持って正面で待ち構えている。
この場所はちょうど東斜面の林と蒸留酒の貯蔵庫の間くらいで、比較的広い草原になっていた。
塔の上からはザックの作った大型の灯りの魔道具が忙しなく地面を照らしている。何本もの光の柱が動く様は少し不気味な感じがする。
防壁の上ではロッドのミスリルの剣が灯りの魔道具の光を受けて煌いている。彼の横にはダンが同じように抜き身の剣を持ち、その後ろには槍術士たちが控えている。
二十メルトほど離れた場所にはザックがいた。彼の横にはメルとガイが控え、後ろには槍術士が数名槍を構えて待ち構えている。メルは志願して防壁の防御に回っている。彼と一緒にいられて嬉しそうにしている姿が少しだけ羨ましい。
私はゴーヴィの後ろに控え、弓を構えていた。私の斜め前にはウォルトがミスリルの槍を構え、ゴーヴィを守っている。
右手側にはベアトリスが、左手側にはバイロンが部下と共に敵が来るのを待ち構えている。
ゴーヴィが突然振り向き、「そう言えば何十年ぶりだ? リディアと共に戦うのは」と笑顔で聞いてきた。ウォルトもいつものようにニコニコとしており、訓練が終わった後の世間話のよう。
「四十年ぶりくらいかしら? ペリクリトルの頃を思い出すわね」
私の声を聞いた若い自警団員がにこりと笑った。時々忘れるようだけど、自警団の誰よりも年上で、母親というより祖母と同じ世代に近い。そのことを不意に思い出したらしい。
「もうそんなになるか。では昔と同じように背中は任せた……」と言ったところで、防壁の上から「敵が上がるぞ! 構えろ!」というロッドの声が響いた。
ゴーヴィが「さて、久しぶりに暴れるとするか」と言い、
「すぐに敵が来る! ベアトリス嬢! バイロン! 横に逃がすな! 正面は儂が何とかする!」と叫び、ゆっくりと前に歩いていった。
最初の十分ほどは倒された敵が落ちてくるだけだった。ロッドとザックがうまく連携して敵を内側に追い込みながら斬り殺していく。しかし、敵の数が増えたのか、“生きたまま”落ちてくる敵が増え始める。アンデッドを“生きたまま”と言えるならだけど。
ザックの言ったとおり、落ちてきたスケルトンは骨を折って動けなくなるものや持っている剣を手放してしまうものが続出した。グールはそれほどダメージを負っていないようだけど、下にいるスケルトンの剣に突き刺さるものや、味方同士で絡み合って動けなくなるものが結構いた。運よくすぐに立ち上がった者たちも、ゴーヴィの剣に斬り伏せられていく。
ゴーヴィの活躍は圧巻だった。
灯りの魔道具の光を受けて虹色に輝くアダマンタイトの剣が無造作に振られる。彼の前に立ち塞がったグールの身体が真っ二つに斬り裂かれ、その横にいたスケルトンは頭蓋骨を砕かれ、糸が切れた人形のように崩れ落ちていく。
ベアトリスやバイロンどころか、すぐ後ろに控えるウォルトすら槍を振るう機会がないほど。防壁の下に立ち、ほとんど一人で敵を葬っていた。
突然、防壁の上が騒がしくなる。
「死霊魔道師が魔法を使うぞ! 火属性だ! 全員いつでも伏せられるように準備をしておけ!」というザックの叫び声が聞こえた。下にいた人たちは一斉に防壁を見上げた。
「兄上! そちらに魔法が! 伏せて!」という声が闇を斬り裂いた。
その直後、ロッドたちがいた場所が真っ赤な炎を上げて爆発する。
近くにいた自警団の若者が「ロッド様が!」と悲痛な叫び声を上げた。
「落ち着きなさい! ロッドは大丈夫よ」とその声に負けないように叫んでいた。その時、ロッドの姿は見えていなかったけど、私には確信があった。
「あの爆発は防壁の胸壁に当たったものよ。ザックの造った防壁ならあの程度の攻撃は間違いなく防げるわ」
私がそう言い切ったところでロッドが立ち上がった。横にはダンも無事な姿を見せており、槍術士を含めて全員が無事だったみたい。そう言っているうちにザックが魔法を作り上げていた。
彼の手から眩い光が漏れ、すぐに鳥の形になっていく。
「ザックが逆襲するわよ。ここから見えないのは残念だけど、きっとリッチを倒すわ」と誰に言うでもなく、自信満々に話していた。
光の鳥は徐々に隼の形になっていく。距離が離れているから呪文は聞こえないけど、間違いなく輝ける隼の魔法だ。
光の隼は飛び立ったかと思うと、あっという間に見えなくなった。すぐにメルの「やった!」という歓声が聞こえてきた。恐らく敵に深刻なダメージを与えたか、倒したのだろう。
安心したのもつかの間、すぐに「首なし騎士が突っ込んできたぞ! ダン! 気をつけろ!」というロッドの声が聞こえてくる。敵はリッチの魔法でロッドたちを排除し、その隙を突いてデュラハンを突入させようとしたみたい。
蹄が骨を砕くゴリゴリという不快な音が響いてくる。
「ガイ! 弓で馬を!」とロッドが叫ぶが、その直後、漆黒の馬がロッドたちの頭上を飛び越えた。
「迎え撃て!」とゴーヴィの声が聞こえる。私も即座に矢を放った。
私の放った矢は漆黒の馬の頭に突き刺さった。嘶きは聞こえないものの、両前脚を振り上げて立ち止まり、ゆっくりと倒れていく。ミスリル製の鏃の物を使って正解だった。
デュラハンは馬から飛び降り、左手の盾を前に突き出して突っ込んできた。
ゴーヴィが立ち塞がるように前に出る。後姿だから表情は見えないけど、きっと「久しぶりの大物じゃな」とか言って不敵に笑っていると思う。
それに戸惑ったわけじゃないけど、デュラハンは突進を止めた。そして、ゴーヴィの前に立つと右手の漆黒の長剣を振り上げる。
ゴーヴィは無造作に近づいていった。実力を知っている私でも不安になるほど緊張感を感じさせない。
一方のデュラハンはゴーヴィに警戒するかのように盾を身体に引き付けながら慎重に近づいていく。三メルトほどの距離で二人は立ち止まった。
先に動いたのはデュラハンだった。
電光石火という言葉が思い浮かぶほど鋭い動きでゴーヴィに斬りかかった。キンという金属音が聞こえ、ゴーヴィがデュラハンの長剣を弾いたみたい。私には剣の動きが全く見えなかったから音でそう判断した。
デュラハンは薙ぐような斬撃を連続で繰り出していく。その都度、キンという金属音が響き、ゴーヴィが弾いていく。
数合の斬り合いは唐突に終わった。
ゴーヴィが裂帛の気合と共に剣を袈裟懸けに振り下ろした。デュラハンはそれまでの激しい攻撃の手を止め、左手の盾で受けようとする。
それはデュラハンにとって致命的なミスだった。盾はゴーヴィの剣を受けきれず、パンという軽い音と共に割れ、その直後にデュラハンは頭の無い体を半ばまで断ち切られ、ゆっくりと倒れていく。
「さすがはデーゲンハルトの剣じゃな」と言って剣を上げ、それに呼応するかのようにウォルトたちが歓声を上げる。
「まだ終わってはおらん! 戦いに集中するんじゃ!」と苦言を呈するが、「儂も少し楽しんでしまったがな」と笑う。それに釣られて私も自然と笑い声を上げていた。
私はこの時、この戦いは絶対に勝てると確信した。




