第二十六話「スモーキー」
タイトル通りのお話です(笑)。
トリア暦三〇一八年四月二十日の正午頃。
カウム王国の王妃カトリーナ・ブレントウッドがお忍びで随行するというハプニングがあったものの、鍛冶師ギルド総本部の鍛冶師らは無事ラスモア村に到着した。
祖父と兄は館ヶ丘に王妃を迎え入れ、傍目に見ても安堵していることが分かる。安全な領地とはいえ、一国の王妃を僅か三十名の自警団員で護衛したのだから、これが普通の感覚だろう。
父や母を含め、館ヶ丘の主要なメンバーに王妃を紹介すると、全員が唖然として言葉を失ったが、最近こういった突発事象に慣れてきたのか、ホスト役の父と母以外は意外とあっさり受け入れている。これもドワーフたちのお陰かもしれない。
カティだが、官僚を引き連れてきただけではなかった。
グレンジャー伯事件のおり、彼女の実家であるロージングレイブ子爵家の甘口ワイン――貴腐ワイン――を一樽と、カウム王国特産の最高級りんご酒一樽が俺への賠償と決まった。今回、その酒も運んできている。
宴会で出すつもりだが、一部は瓶熟成に回すつもりでいる。貴腐ワインはもちろん、りんご酒も数ヶ月程度ボトルで寝かせたものの方が好みだからだ。
ちなみにアルスでの宴会でも出されており、メルがりんご酒を気に入り、シャロンが貴腐ワインを気に入っている。リディとダンはどちらも気に入っているが、ベアトリスは甘口の酒は好みではないようだ。
今日の予定だが、到着が昼頃ということで、昼食の後は蒸留所と貯蔵庫の見学をし、夜にザックコレクションの試飲と歓迎の宴を予定している。
本来の目的であるウェルバーンの鍛冶師たちの技能評定会は明日の午前中に行われ、各支部が持ち寄った酒の飲み比べ大会は午後になる予定だ。
キルナレックに宿泊していたペリクリトル、ドクトゥスの各支部の鍛冶師たちも昼頃に到着し、ラスモア村のドワーフ率は一気に上がっている。
これだけの人数なので、昼食は工房の集会室で摂ることになっている。一通りの挨拶を終えると、すぐに工房に向かった。工房に着くと、ラスモア村の鍛冶師ベルトラムとデーゲンハルトらウェルバーンの鍛冶師が待っていた。
匠合長のウルリッヒがベルトラムに近づき、「久しぶりだな」と肩を抱きながらバンバン背中を叩いている。ベルトラムも「伯父貴も元気そうで何よりだ」と言って顔をほころばせている。
最近知ったのだが、ベルトラムはウルリッヒの弟の息子、つまり甥に当たり、若い頃はウルリッヒの工房で修行していたそうだ。
ウルリッヒだけでなく、ゲールノートもベルトラムの肩を叩き、再会を喜んでいる。ゲールノートもベルトラムの師匠の一人だそうだ。
「お前がこの村の鍛冶師でよかったわい。他の者じゃ、これほどの酒を飲めるようにはなっておらんかったじゃろう」と満面の笑みで褒めている。
スコッチの生産開始直後、ベルトラムが試供品をアルスに送っている。その当時の匠合長がゲールノートであり、彼が総会を開いて全量買い取りを承認したことがスコッチの増産のきっかけになっている。
この時の話にはオチがあり、十本しか送らなかったサンプルのうち、一本をゲールノートやウルリッヒら五人で飲んだことから、他の親方から吊るし上げられ、三日間の禁酒をさせられている。
たかが三日の禁酒と思われがちだが、ベルトラムに「三日くらいなら我慢できるんじゃないか? それほどのことか?」と聞くと、物凄い勢いで首を横に振り、「ドワーフにとって酒が飲めんというのは息をするなと言っておるのと同じだ!」と叫び、「もし、俺なら、いっそ殺してくれと言ったかもしれん」と恐ろしいものでも見たかのように僅かに震えていたのだ。
ちなみにその禁酒はデーゲンハルトたちが行った“酒断ち”とは違い、完全な禁酒のことだ。
昼食だが、もちろん、酒は必須で、スコッチが二樽用意されている。
アルスや既にこの村で飲んでいるウェルバーンの鍛冶師たちには余裕があるが、僅かに流通しているペリクリトル、更にスコッチが全く流通していないプリムス、フォルティス、ドクトゥスの三支部のドワーフ三十人の視線が二つの樽に集中していた。
ドワーフたちに混じり、なぜか王妃カティが総本部の席に座っていた。随行の官僚たちは別の場所で食事をするようで、俺たちロックハート家の者以外でドワーフでないのは彼女だけだ。
それでも女王の貫禄により――実際には王妃であり女王ではないが――、違和感を全く抱かせない。事情を知らない支部の鍛冶師たちも、総本部の関係者なのだろうと気にしていない。まあ、スコッチの樽に意識が行っているだけかもしれないが。
全員が座った後、いつも通り、すぐにスコッチを配っていく。
「最初はジョッキではなく、配られたグラスでお願いします!」と俺が言うのだが、誰一人疑問に思うことなく、素直に従っていく。この辺りの情報はウェルバーンやアルスから伝わっているのだろう。
一杯目のスコッチをいつものように簡単に説明した後、試飲させる。ザックコレクションほどのリアクションはないが、それでも大声で満足であることを表現し、昼食が始まった。
昼食は商人たちが売り込んできた腸詰やハム、チーズなどに加え、村の名産マスの燻製などのつまみをたっぷりと出していく。
ウルリッヒたち総本部のドワーフたちを含め、聖地ラスモア村に到着した高揚感からか、テンションが異常に高い。食べ始めて十分もしないうちに大宴会に突入し、父と俺は挨拶責めにあっていた。ちなみに祖父と兄は警備を理由にこの宴会を断り、蒸留職人のスコットたちも午後からの蒸留所見学に支障が出るからと断っている。
スコッチでハイになったドワーフたちだったが、二個目の樽が半分ほど無くなったところで様子が少し変わってきた。蒸留所と貯蔵庫の見学が気になり始めたらしく、落ち着きがなくなってきたのだ。こうなると、父から“お前が仕切れ”という無言の指示が飛んでくる。
「スコッチは夜の歓迎の宴でも飲んでいただけます! この後、うちの村にある三つの蒸留所を見ていただき、最後に館ヶ丘にある貯蔵庫を見学します……」
見学に行くドワーフは八十五人。さすがに一度に見るには人数が多すぎるので、三つの班に分ける。ウルリッヒら総本部の二十人にプリムスの十人を一班、デーゲンハルトらウェルバーンの鍛冶師二十五人を二班、そして、ドクトゥス、ペリクリトル、フォルティス支部の三十人を三班とし、一班をベアトリス、二班をダン、三班を俺が引率して各蒸留所に向かう。
蒸留所では蒸留責任者が説明してくれるため、引率者が説明することは無いが、ベアトリスはウルリッヒたちと意気投合していたし、ダンはウェルバーンのドワーフたちに気に入られていたので指名した。
現在ある三つの蒸留所はそれぞれ“ラスモア蒸留所”、“フィンサイド蒸留所”、“シェハリオン蒸留所”と名付けられている。
一つ目の名は村の特産品ということで村の名を冠し、二つ目はフィン川の横という意味で“スペイサイド”をイメージした名にした。三つ目は近くの山の名を冠しており、これもスコッチウィスキーの蒸留所でよくある“ベン○○”のようなイメージで付けた。
これは今後のブランド戦略を考えたもので、“ラスモア”は正統派スコッチ、“フィンサイド”は香り豊かなスコッチとブランデー、“シェハリオン”はライトなスコッチとカルバトス――蒸留職人カルバートの名を取ったアップルブランデー、カルヴァドスではない――という感じで、名前で味のイメージが分かるようにするためだ。
といっても今のところ、ブランド名をつけたものは出しておらず、すべてスコッチ、ブランデー、カルバトスという括りで出荷している。これは一般名詞としてのスコッチなどを浸透させることが目的で、下手にブランド名をつけると消費者が混乱すると思ったためだ。
本当に消費者が混乱するかは分からないが、カクテルでよく使われる“コアントロー”という酒を思い出したためだ。コアントローは“ホワイトキュラソー”というリキュールの商品名だが、コアントローとホワイトキュラソーが同一の酒だと認識されないことが多い。
今でこそ、同一の酒だと認識されているが、昔はカクテルを飲まない人に別の酒だとよく勘違いされていた。特に洋菓子のレシピでコアントローと書いてあったり、ホワイトキュラソーと書いてあったりすると混乱するらしい。
これはコアントローという商品名が非常に有名であるため、ホワイトキュラソーという酒の名が浸透しなかったのではないかと思っている。これと同じことがスコッチやブランデーで起きないとも限らない。今のところ、他の土地で蒸留酒が作られるようになるまで、ブランド名はあえて付けないつもりでいる。
俺が率いる三班はシェハリオン蒸留所からスタートする。
ここでは今、りんご酒の蒸留を行っているため、甘い香りが立ち込めている。ここの責任者であるカルバートが鍛冶師たちに蒸留の基本を説明していく。
「蒸留で大切なのは如何にうまく酒精を取り出すかということです……温度が高すぎても、低すぎてもいけませんし、最初と最後の旨みのない部分を排し、どれだけうまいところだけを取り出すか、そこに全神経を集中するのです……」
ドワーフたちは神妙な面持ちで一つ一つの説明に頷いている。時折、質問が飛ぶが、カルバートは丁寧に答えていく。
「では、出来立ての蒸留酒を試飲してみましょう」と言って、蒸留器から流れ出る酒をガラスのボトルに注いでいく。目一杯入ったボトルを掲げ、「このように出来立ての蒸留酒は無色透明です。これを木の樽で寝かせることにより、琥珀色の美しい液体に育てていくのです……」と説明する。
更に台の上に置いてあるテイスティンググラスに注いでいく。
「それでは皆さん、一つずつお取りください」というカルバートの言葉にドワーフたちは順序良くグラスを受け取っていく。
こういうところを見ると、統制が取れていると感心してしまう。現物を前にして混乱したことがない。俺も一つ受け取り、香りを嗅ぐ。
(これでも充分に売り物になるな。フルーツブランデーは熟成なしでもいいかもしれない……)
そう思っているが、この村では売り出す気はない。これは“ラスモア村=長期熟成酒”というイメージを定着させたいからだ。
ドワーフたちから「うめぇ!」という声が響き、「これが未完成なのか」と嘆息が聞こえてくる。
その後、フィンサイド蒸留所、ラスモア蒸留所と見ていき、午後四時頃に館ヶ丘の貯蔵庫に到着した。三つの蒸留所を二時間半ほどと割りと駆け足で見学したが、ドワーフたちの顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
合流した後、ウルリッヒに感想を聞いてみた。
「これほどの拘りを作り手が見せておるんじゃ、こいつは飲む儂らも気合を入れねばならんと思えたわい。職人たちには気合を入れておいたぞ、ガハハハ!」
俺の知らないところで、アルスから来ている蒸留職人たちに気合を入れていたようだ。プレッシャーになり過ぎねばと思うものの、戻ってからもプレッシャーが掛かるから、今から慣れておいたほうがいいだろうと思い直し、何も言わなかった。
貯蔵庫では百人近い人が集まっており、一班ずつ説明し、他の二班は自由に見学してもらう予定でいる。一度に見るには人数が多すぎるということもあるが、それ以外にも理由がある。
今回も貯蔵庫で試飲をしてもらい、熟成による味の変化を見てもらうつもりでおり、そのために人数を絞る必要があるためだ。更に今回は特別なスコッチの味を見てもらおうと思っている。
それは半年前から蒸留を開始した“ピート”を利かせた“スモーキー”なスコッチの味だ。
先日、味を確認したが、ピートはうまく利いており、独特のヨードのような香りが充分についていた。ただ、熟成期間が半年と短いため、まだスモーキーさが勝ち過ぎており、美味いかといわれれば微妙だ。それでも、ドワーフたちにこれが本物の味だと認識してもらうため、試飲してもらう。
スコットにそのことを話すと、彼自身、スモーキーなスコッチの美味さが理解できず、「もう少し様子を見た方がいいのでは」と遠慮気味に提案してきた。確かにピートの利いたスモーキーなスコッチの本当の美味さを知っているのは俺だけだから、本来ならザックコレクション並に十年程度寝かせた方がいいかもしれない。
それでも俺は取りやめるつもりはなかった。その代わり、少し趣向を凝らしてみることにしていた。実際にスコットに試してみたが、彼も「こんなに味に深みが出るんですね」と感心し、試飲に賛成してくれた。
一班から試飲を始めるのだが、この班にはカティと官僚たちも同行している。スコットはアルスでカティと会っており、最初に蒸留所で彼女の姿を見た時にすぐに気付き、思わず跪いたそうだ。
事前に説明しておくのを忘れた俺のミスだが、「心臓に悪いですよ」と愚痴られてしまった。確かにその通りなので謝罪したが、それを言うなら王妃本人に言ってほしいものだと思ってしまう。
スコットがウルリッヒやカティたちに、熟成や樽の違いでどのように色や香りが変わっていくか説明していく。
「熟成させればいいというものではありません。樽の特性に合った熟成期間があるのです……」
その説明の途中から、グラスに五種類のスコッチが注がれていく。注がれたグラスには金属製の蓋が被され、木のプレートに置かれていく。そのプレートには一から五の数字が書かれており、そこにきれいに並べられていく。
「今用意しているスコッチは同じクォーター樽ですが、熟成期間が半年、二年、五年、八年の物です。もう一種類ですが、これはまだ半年しか経っていないスコッチです。但し、いろいろな樽のブレンドになっています」
ウルリッヒたちはスコットの説明を聞き漏らすまいと真剣に聞いている。
「では、お一人に一セットあるはずですので、私の言う順番で口に含んでください。蓋は飲む時にだけ開けて、すぐに閉めてください。香りが移るのを防ぐためです。では、一番をどうぞ」
スコットの合図と共に一斉にグラスが持ち上げられ、蓋が開けられる。ドワーフの動きは相変わらず一糸乱れぬ動きだが、さすがに官僚たちはその動きについていけない。もちろん、魂がドワーフであるカティは鍛冶師たちと全く同じ動きをしている。
俺も同じように飲んでいく。
(一番はやはり若いな。まだまだ荒々しさが前面に出ている……)
誰一人しゃべることなく、スコットの合図に従い、無言のまま、試飲が続いていく。
三番でドワーフたちの表情に変化が見え、四番では満面の笑みに変わっていく。三年物すら飲んだことがなかった帝都プリムスから来ている鍛冶師たちは、涙を流しながら小さなグラスを傾け、「もう少しくれんか」と目で訴えてくる。
「後ほど十年物がたくさん飲めますので」と言ってなだめ、本題の話に戻る。
「八年くらいですと、年数が経った方がおいしいと思います。では、最後の五番を飲んでみてください」
ブレンデッド・ウィスキー――シングルモルトウィスキーをブレンドしただけなので、昔の言い方なら“ヴァッテッド・ウィスキー”――を口に含んだ時、ドワーフたちの表情に大きな変化が見られた。今までは全て同じように満足げな表情になっていったのだが、様々な表情が浮かんでいたのだ。ある者は満面の笑みを浮かべ、ある者は首を傾げ、渋面を作っている者すらいた。
「このスコッチは今まで飲んで頂いたものと大きな違いがあります。恐らく皆さんも感じていらっしゃると思いますが、焦げ臭いような、煙のような香りがしたと思います。ウルリッヒさん、いかがですか?」
スコットはウルリッヒに感想を求めた。
「スコット殿の言う通りじゃ。最初は何だ?という感じがしたな」
スコットはその言葉に頷くと、「おいしかったでしょうか?」と更に質問する。
「儂の好みとは微妙に違う気がするが、最初に飲んだ一番よりは確実に美味い」
スコットは次々とドワーフたちに質問していく。二割くらいが絶賛、四割が肯定的、三割が否定的で、残り一割は不味いと言い切った。
「今回の物は試作品です。先日、アルスを訪れた際に見つけた泥炭を使ったものです。私自身、まだこれが美味いとはいえないと思っています。ですが、皆さんのようにスコッチを愛してくださる方々がいる限り、今の味に満足することなく、進化させなければなりません。このピートを利かせた物ですが、もう一つ、飲んでいただきたいと思います」
その間に注がれていたグラスが配られていく。
「これは八年物のスコッチに極少量、ピートを利かせた半年の物をブレンドしたものです。どうぞ、飲んでみてください」
ドワーフたちがグラスに口をつけた瞬間、周囲の空気が変わった。先ほどのブレンデッドでは否定的な表情だった者までも、恍惚といえる表情に変わっていたのだ。
「先ほどの八年物より味に深みがあるのではないかと思います。私も、そして、ザック様もこれにはまだ全く満足しておりません。ですが、このブレンデッドには限りない可能性があるように思えるのです……」
普段物静かなスコットが熱く語っていく。ドワーフたちも同じ思いなのか、スコットの言葉に涙を流さんばかりに頷いていた。
「王妃様……いえ、カティさんにお願いしたいことがあります」
スコットが突然、カティに向かって話し始めた。
「今回、蒸留酒の品質に関する法律を定められると伺いました。蒸留酒造りには譲れない部分があります。そこを法律で縛ることは構いません。ただの職人である私には難しいことは分かりませんが、職人たちの創意工夫を束縛するような法律にしないでください。蒸留酒はまだ発展途上なのです……」
その時、カティは感極まっていたのか、涙を流していた。
「ええ、分かりましたわ。スコットさんのおっしゃったことは私が責任をもって法律に反映させます。これだけのお酒を作って、なお前に進み続ける。アルスの職人たちも是非とも見習ってほしいと思います」
その言葉にウルリッヒたちが「そうじゃ!」と同意する。
「儂らも同じ思いじゃ! ザックコレクションで満足しておらんとは……さすがじゃ! 儂もまだまだ新しい物に挑戦する! 三属性で満足などできん。今以上の防具を作ってみせるぞ!」
ゲールノートの言葉に「儂もじゃ!」という声が上がる。スコットの決意に職人魂に火が着いたようだ。
今回用意したブレンデッドははっきりいって未完成だ。ピートを感じるように若いスコッチを混ぜているため、バランスが悪く、俺には安物のウィスキーという印象しかない。それでも、スコットが言ったように可能性は充分に感じられる。飲んだ後に上がってくるスモーキーな香りがスコッチを飲んでいると感じさせるのだ。
ドワーフたちにピートを利かせたウィスキーを認知させることに成功した。この先、アイラ島の“ヘビーピーテッド”のようなガツンと来るスコッチができることだろう。




