第十九話「到着」
奴らが来た!
トリア暦三〇一八年三月二十一日の午後二時頃。
ラスモア村に二十輌にも及ぶ馬車の列がやってきた。どの馬車にも金槌と金床の紋章が付けられており、鍛冶師ギルドに属する馬車であることは一目瞭然だ。
村人たちが農作業の手を止めて、その馬車の列を眺めている。最近では鍛冶師ギルドの馬車に慣れているはずだが、さすがにこれだけの数の馬車、それも荷馬車だけでなく、乗用の馬車が含まれていることに驚きを隠せないようだ。
既に先触れの使者が館ヶ丘に到着しており、俺を含め、ロックハート屋敷に混乱は見られない。そう、今日はウェルバーンを始めとする鍛冶師ギルド支部の代表者が村に到着する日だったのだ。
先頭の馬車にはラスモア村に派遣されているギルド職員、ジョナサン・ウォーターが乗り、乗用の馬車と荷馬車の行き先を指示していた。彼は前日から鍛冶師たちを迎えるため、キルナレックの街に行っていたのだ。
荷馬車は北ヶ丘の手前で東に逸れていき、一輌の乗用馬車だけが館ヶ丘に向かってくる。
館ヶ丘の門の手前で、兄ロッドと俺、更にザックセクステットのメンバーで出迎えると、懐かしい顔が馬車の中から現れた。
「元気そうだな!」と鍛冶師ギルド・ウェルバーン支部長であるデーゲンハルト・グラブシュの割れ鐘のような大声が響く。すぐに彼と同じドワーフの鍛冶師五人が馬車から下りてきた。そのいずれもウェルバーンでの宴会で顔を合わせていた親方連中だ。
兄が「ようこそ、ラスモア村へ」と歓迎の声を掛けると、場は和やかな雰囲気に包まれる。ひとしきり旧交を温めた後、俺が「立ち話もなんだ。屋敷に向かおう」と言うと、デーゲンハルトと五人の鍛冶師は馬車に戻らず、そのまま歩いて屋敷に向かおうとした。
馬車で屋敷に向かってもいいのだが、さすがに領主の館に馬車を乗りつけるのは拙いと思ったようだ。昔はこんなことはなかったのだが、最近では丘の麓に立派な門ができたことから、丘全体が屋敷だと認識されるらしい。
俺が「馬車で登っても構わないぞ」と言うが、「それほどの距離でもない」とそのまま歩いて屋敷まで登っていくことになった。
雑談をしながら門をくぐるが、やはりドワーフには赤レンガの建物が気になるらしい。まだ何も説明していないが、恐らく匂いでそこに酒があることを察知しているのだろう。
最近ではドワーフたちが酒のことで何かしても、驚くことが少なくなっている。
(何にでも慣れるってことはあるんだな。前だったら、“何で分かるんだ!”って聞いたはずなんだが、今は“そうだよな”としか思わない。メルたちもみんな普通の顔をしているから、俺と同じ思いなんだろう……)
丘を登りながら、四棟ある貯蔵庫について簡単に説明するが、スコッチが二千樽近くあると聞いた瞬間、ドワーフたちの目が輝き出す。輝くという表現はやや正確性が欠けるかもしれない。ドキュメンタリー番組で見た、猛禽類が獲物を見つけた目にそっくりだったからだ。
(ウサギを見つけた大鷲、それも飛び立つ直前の目にそっくりだ……それにしてもドワーフたちはここに来るたびに、こんな目をするんだろうな……それより、あの大量の樽を見たら、どうなるんだろうか……)
目はしっかりと貯蔵庫を見据え、横を通り過ぎても歩きながら見続けている。
(器用なものだ。太い首だがどこまで回るんだろうな……転ばなきゃいいが……)
フクロウのように首を回していたが、さすがに屋敷が近づくと諦めたのか、ようやく前を見る。
「後で貯蔵庫を見せてやるよ。スコットも呼んであるし、他の鍛冶師たちも呼んでおいてくれ」
デーゲンハルトたちは「おお!」と歓喜の声を上げ、その横でジョニーが慌てることなく「承知しました」と言って頭を下げる。ジョニーのことだから、既に手配している気はするが、それは聞かないことにした。
屋敷の前では父や祖父を始め、ロックハート家の主だった者たちが出迎えに出ていた。
父が「ようこそ、我が領地へ」と気さくに歓迎の言葉を掛けると、デーゲンハルトは「よろしく頼む」と殊勝にも頭を下げる。
何をよろしく頼むのか気になったが、これも聞かない。
そんな中、祖父ゴーヴァンがデーゲンハルトに近づき、「久しいな。元気そうで何よりじゃ」と笑顔で肩をバシンと叩く。その仕草は騎士というより一介の兵士か傭兵のようで、弟や妹たちは目を丸くしていた。俺も少し驚いていた。祖父がここまで気さくに出迎えたのは、リディ以外知らないからだ。
(じい様の古い馴染みなんだろうが、ウェルバーンの話はほとんどしないからな……ベルトラムといい、デーゲンハルトといい、どんな過去があるんだろうな……)
祖父はウェルバーンで騎士に叙任されてから貴族たちのやっかみを受け、ここラスモア村に引きこもった。一応、父や従士たちからその話は聞いているが、詳しくは聞いていない。従士たちはもちろん、父も祖父が自ら話さないことを教えるつもりはないようで、詳しいことは母も兄も知らない。
デーゲンハルトたちを屋敷に招きいれ、ウェルバーンの話などをしていくが、ドワーフたちに落ち着きがなく、祖父も父もここに来て何が原因か気付き、苦笑いを浮かべる。
「デーゲンハルトたちに貯蔵庫を見せてやってくれ。気になって仕方なさそうだ」
父の言葉に大きく頷くと、「とりあえず、スコッチを拝みに行こうか」と言ってデーゲンハルトの肩に手を置く。「拝むだけなのか」と情けない声で呟いていたため、噴き出しそうになるが、それを何とか堪える。
「ザックコレクションの試飲は夜だ。あと二、三時間で宴会だから、ザックコレクションはそこまで我慢してくれ」
俺の言葉にドワーフたちは一斉に立ち上がり「オゥ!」と叫んで両手を天に突き出す。その表情の変化にアルスでの出来事を思い出した。
(全く同じだな。まあ、待ちに待った長期熟成酒だからな……)
気持ちは分からないでもないが、この先、ペリクリトルやドクトゥスのドワーフが来るたびに同じことが繰り返されると思うと、自然と笑みが浮かんできた。
屋敷の外に出ると、ドワーフらしき二十人ほどの集団が館ヶ丘に向かって歩いてくる姿が目に入る。距離があるため分かりにくいが、短く太い脚がやたらと速く動いている。歩くというより、小走りに近い。やはり、ジョニーが事前に手配していたようだ。
後ろから袖を引っ張られる。リディが心配そうな顔で「大丈夫よね」と小声で聞いてきたのだ。リディだけでなく、ベアトリスもダンも心配顔だ。そんな中、なぜかメルとシャロンだけはニコニコと笑っていた。
「何を心配しているのかは分からないが、多分大丈夫だ」
そう言った後、なぜか不安が過ぎり、ブルッと身震いをしてしまった。
「今日は大丈夫なはずだ。いや、今日も大丈夫だと思う……」と徐々に自らの言葉に自信を失くしていく。
(たかが貯蔵庫の見学だ。何といってもドワーフは酒に対しては真摯な種族だ。勝手に飲むこともないだろうし、不安な要素は何もないはずだ……)
自らにそう言い聞かせると、「みんなも向かっているようだし、貯蔵庫で合流しようか」と言って、丘を下っていく。
貯蔵庫の前に二十五人の髭面の男たちが集まった。
俺とスコットが前に立つ。なぜかリディたちは少し離れた場所でこちらの様子を窺っていた。
「彼が蒸留責任者のスコット・ウィッシュキーだ」と俺が言った瞬間、デーゲンハルトたちが「オオ!」と叫び、スコットの周りに集まっていく。そして、彼に向かって一斉に跪く。
その速度は魔闘術を使った俺の最高速度を凌駕していた。恐らくベアトリスに匹敵する速さであり、一般人では目で追うことすら難しいだろう。
しかし、俺にはまだ余裕があった。こうなることは想定の範囲内だったからだ。
デーゲンハルトたちが「お会いしたかったですぞ、スコット殿!」と口々に叫んでいる。その姿は教祖と熱狂的な信者のそれだった。
(ある意味、宗教みたいなもんだからな。生きる目的、何物にも代え難い神聖なもの、世界を敵にしても守るべきもの……こういうと過激な宗教みたいだな……)
スコットも最初は面食らったものの、アルスでの熱烈な歓迎を経験していることから、すぐに我に返り、「皆さん、ようこそおいでくださいました」と頭を下げ、「皆さんが私の造った酒をこれほどまでに評価してくださることは大変励みになります」と笑顔を見せる。
そして、「それではこうしていてもなんですので、貯蔵庫の中に向かいましょう」と言って、ドワーフたちを立ち上がらせる。
一斉に立ち上がると、先頭に立つスコットに続き、きれいな列を作って貯蔵庫に向かう。スコットとドワーフたちでは身長差があることから、一瞬、その姿が小学生を引率する教師のようにも見えた。もちろん、髭面のごつい身体の小学生などいないから、すぐにそのイメージは消えたが。
貯蔵庫の重厚な扉を押し開けると、ドワーフたちの溜息にも似た声が漏れ、すぐに「これが全部スコッチなのか!」とか、「どれほどあるんじゃ!」という声が上がる。それでも、樽に駆け寄るようなこともなく、スコットの後ろで大人しくしていた。
(樽に近づくと思ったんだが、さすがは酒に真摯な種族だな。それとも“教祖”スコットがいるからか……)
ドワーフを微笑ましく見ながら、俺とスコットが貯蔵庫の説明を簡単に行っていく。
説明を聞いているはずのドワーフたちだが、彼らの視線は目の前にある樽に釘付けになっていた。視線だけで飲まれてしまうのではないかと思うほど、真剣な目だった。
(この辺りの樽の天使の分け前はいつもより多くなりそうだ。いや、天使たちを押し退けて飲んでいるのかもしれない……)
ウィスキーは熟成に伴い僅かずつ目減りしていく。このことを“天使の分け前”とか“天使の取り分”――Angel’s share――と呼ぶが、今日に限っては天使たちも遠慮しそうだと思うほど、強い視線を樽に注いでいた。
特に“ZL”のイニシャルが入った樽を見つけると、「あれがザックコレクションか」と囁き、視線だけで樽に穴が空くのではないかと思うほどだった。
後ろから「折角だ。三年物の試飲をしてもらうか」と俺が言うと、ドワーフたちが一斉に振り向いた。相変わらず某独裁者の国のマスゲームかと思うほど、一糸乱れぬ動きだった。苦笑を浮かべるものの、すぐに気を取り直し、「グラスを用意してくれ。屋敷にあったはず……」とジョニーに頼もうとした。
しかし、その言葉をデーゲンハルトが「それには及ばん」と遮る。
一瞬、その言葉が理解できなかった。
ドワーフがスコッチの試飲を断るのかと、天変地異の前触れか、神の敵の襲撃が起きるのではないかと一瞬考えたほどだ。
しかし、デーゲンハルトの次の言葉と行動で納得する。
「用意する必要はない」と言いながら、腰に巻いたポーチからグラスを取り出したのだ。そして、彼と共にドワーフ全員が同じようにグラスを取り出していく。
そのグラスは昨年九月に俺が贈った物だった。
「いつも持ち歩いているのか? 何かにぶつかったら割れてしまうが」と疑問を口にすると、デーゲンハルトは「大丈夫だ」と言って、更にポーチからある物を取り出した。
それは木製のジョッキだった。
「こいつの中に布で包んでおるから大丈夫だ」とジョッキから柔らかそうな布を取り出す。
「いや、そうかもしれないが……わざわざ持ち歩かなくても」と言うと、「俺たちドワーフは常にジョッキとともにある。これが手元にないと落ち着かんのだ」と真剣な表情で説明してくれた。
俺はそれ以上何もいうことができず、「ああ」とだけ答えることしかできなかった。スコットも同じように言葉を失っていた。
(ドワーフは常に酒と共にあるとウルリッヒも言っていた気がするが……ベルトラムはそんなことはなかったと思うが……いや、いつもジョッキが手元にあった気がするな。ベルトラムと一緒の時は酒絡みがほとんどだから、持ち歩いていても違和感がなかった……そう言えば、ミーナ――ベルトラムの妻――やクルト――修行にきているデーゲンハルトの息子――も、いつもジョッキが手元にあったな……俺は今まで何を見ていたんだろう……)
俺がそんなことを考えていると、シャロンが「試飲の準備はどうしましょうか」と聞いてきた。
「ああ」とだけ答えると、「スコット、済まないが準備を頼む」と指示を出す。準備が始まったところでシャロンに「どうして、そんなに冷静なんだ?」と尋ねてみた。
「ドワーフの皆さんはいつもジョッキを持っていますし……それにジョニーさんからどうしましょうって相談も受けていましたから……」
話を聞いていくと、俺がアクィラの麓の偵察に行っている時にジョニーから、貯蔵庫を気にして何が起こるか分からないから、どうしたらいいのかという相談を受けていたらしい。
どう答えたか聞いてみると、「ザック様ならきっと見学と試飲のお話をされます。だから、準備をしておいた方がいいと思ったんです」と極自然な表情で答えてくれた。
(それなら言ってくれても……いや、俺に余裕がなかったからだろうな。ルナのこともそうだし、村の防衛計画でも……まだまだだな、俺は。十五の娘に気を使わせるとは……)
その相談を受けた際に、予め館ヶ丘に集まっておくことと、グラスを持ち込むことを提案したらしい。ジョニーがそれをキルナレックの街でデーゲンハルトたちに説明したようだ。見事な手回しに感心しながらも僅かに呆れてしまった。
「……そうすれば、時間も掛かりませんし、歓迎の宴の前にバタバタしなくてもいいと思ったんです……相談しなくて済みませんでした」
そう言ってぺこりと頭を下げる。
「いや、特に問題はないよ。こっちも助かったしな」と言って彼女の頭を撫でる。
そこでふと頭を過ぎったことがある。
「ちなみに他に相談を受けたことはないか」
シャロンは首を傾げながら、「大したことは……」と答えた後、「一つだけありました」と言って微笑んだ。俺は警戒しながら、どんなことかと聞くと、
「ビールやワインなんかは持ち込んだ方がいいですよと、お伝えしました」
それで荷馬車の数が多かったのかと今更ながらに気づく。しかし、シャロンの意図が分からなかった。
「うちの村にもワインもビールもあるし、キルナレックから買ってきてもいいが」
シャロンは「そうですね」と言うが、「ここのお酒はスコッチやブランデーの元になるので飲みすぎると造れなくなると思ったんです。違いましたか?」と不安そうに答えた。
俺はそこまで飲まないだろうと言い掛けたが、すぐに思い直した。
(確かにデーゲンハルトたちだけなら大丈夫だが、四つの都市から少なくとも十人ずつ、それにアルスからも十人以上……ジョニーの話だと帝都プリムスからも……シャロンの判断は妥当だな。村周辺から酒が消えることになる……)
「いや、助かったよ。そこまで気付かなかったから。それに俺に気を使って相談しなかったんだから、気にしなくていい」
俺の言葉にシャロンはニコリと笑い、「はい」と元気に応えた。
その後、儀式にも似た試飲が行われた。
数百の樽に囲まれた中での試飲は格別だったのか、デーゲンハルトらは満足げな笑みを浮かべながらもスコットの話を聞きながらゆっくりとグラスを傾けていく。
一通り試飲を済ますと、デーゲンハルトが礼を言ってきた。
「ここで飲むスコッチは格別だな。空気にもスコッチが含まれている気がする」
やはり、今日の天使たちは分け前にあずかれないようだ。




