第十一話「魔法の正しい使い方」
お酒の話が続きますが、ルナのことを忘れたわけではありません(笑)。
トリア暦三〇一八年三月十日。
カエルム帝国の上級貴族シーウェル侯爵家の名代、イグネイシャス・ラドフォード子爵のスコッチの貯蔵庫の視察に付き合っている。
蒸留責任者のスコットが簡単な説明を行い、ザックコレクションの試飲に移ることにした。
横で控えているスコットに「さっき準備していた物の味を見てもらおう」と言うと、僅かに訝しげな表情を浮かべた。しかし、すぐに「分かりました」と言って、俺たちを貯蔵庫の奥に案内する。
貯蔵庫の奥にある小部屋にはブレンド確認用のボトル――様々な情報が書き込まれたメモが貼り付けてある透明なガラスボトル――が並び、薄い琥珀色からタールのような真っ黒な液体まで個性豊かな酒が入っている。だが、俺たちはそのボトルには向かわず、別に置いてある樽に近づいていった。
子爵は怪しげな色の液体に「これが“あの”ザックコレクションなのだろうか」という訝しげな独り言を口にしていた。
俺はボトルを指しながら、「これはザックコレクションの原酒です。このままで出荷することもありますが、何種類か混ぜ合わせて出すこともあります」と答え、「これは後で味を見ていただきますが、まずはあちらの樽の物を」と目的の樽を指差した。
そこには三年熟成用のクォーター樽ではなく、倍くらいのサイズ――二百リットル強――のホグスヘッド樽が置いてあった。長期間保管していたため、樽の表面は埃でやや黒ずんでいる。
子爵は「これは?」と疑問を口にした。
「これは十年物のブランデーです。つまり、葡萄から作った蒸留酒です」
今回、シーウェル家の家臣がラスモア村を訪れると聞き、彼らが何を求めてくるのか考えてみた。シーウェル家は高級ワインの生産地として有名だが、農業以外、産業らしい産業がないそうだ。そこで新しい特産品として、蒸留酒の生産を考え、ラスモア村の蒸留技術を視察に来たと考えた。
そう考えると、ワインの搾りかすから作るマールタイプのブランデーはシーウェル家にとって最適だ。原材料である搾りかすは家畜の餌にする以外になく、ほとんど利用できていない。これを原料とするブランデーはシーウェル家の目的にマッチすると考えたのだ。
試飲する樽はこのままアルスに送る予定であり、ステンレスタンクに詰め替える予定はないが、品質の確認ということで、味を確認してある。まだ若く、尖った感じが残っているブランデーだが、味的には悪くない。
「作り方ですが、これはワインの搾りかすから酒精を抽出しており……」
スコットが説明を始めると、二人の文官が必死にメモを取り始めた。
文官の一人はリドリー・サザーランドと言い、白皙の顔に眼鏡といかにも文官という感じの三十代半ばの男性だ。今回の文官の代表ということで、蒸留酒の製造法に最も食いついている。
もう一人の文官はバーナード・ダルントンという二十代半ばの男性で、整った顔立ちだが、ほとんど表情を変えず、時折、細めた鋭い眼で見てくることから、第一印象は冷徹な官吏というものだった。後で話してみると、冷徹という感じはなく、真面目な性格で一言も聞き逃さないよう気を張っていただけだった。
二人の文官を横目に、俺は子爵の横に立ち、「シーウェル家のワインから作れば、素晴らしいブランデーが出来るはずです。うまくいけば、熟成も不要かもしれません」と囁いた。その囁きに子爵がガバッという感じで俺の方を向き、「まことであろうか」と目を輝かせる。
俺の中にあるイメージはイタリアのブランデー、“グラッパ”だ。
シーウェル家のことを知り、最初に思ったのが、濃厚な赤ワインで有名なイタリアの“バローロ”だった。シーウェル家も高級な赤ワインで有名であり、バローロのグラッパのことを思い出したのだ。
グラッパはマールとほぼ同じ造り方だが、熟成させずに無色透明のまま出荷することが多い。更にフルーツのフレーバーを付けたものは非常に飲みやすく、ドワーフ相手でなくとも帝都のような都会では十分に人気が出るはずだ。
もちろん、高級路線で行ってもいい。個人的にはフルーツフレーバも好きだが、琥珀色に熟成したグラッパの方が好みなので、シーウェル家で作るつもりがあるなら、積極的に支援しようと考えている。
当初はうちの村でもグラッパのような熟成させないマールを出せないか考えたことがあった。だが、ある理由で断念している。
蒸留酒造りを始めた初期は、原料である葡萄の搾りかすが安定的に確保できなかったため、大麦から作る“スコッチ”がメインだった。この“スコッチ”を熟成させない“ニューポット”、すなわち、“麦焼酎”を俺は世に出すつもりがなかった。
造り始めた当時も三年以上熟成させた葡萄の蒸留酒だけを出荷するつもりだったが、もし、この段階でグラッパのように熟成させないマールを世に出せば、それが蒸留酒の標準となる可能性があった。
そうなると俺が飲みたい、熟成させたスコッチが淘汰されてしまう。それを防ぐためにあえて葡萄の蒸留酒も熟成させたのだ。
スコットの説明が終わり、栓が開けられる。
ブランデー特有の甘い香りが微かに感じられる。スコットが器用に柄杓のような道具でブランデーをすくい、用意してあったグラスに注いでいく。ブランデーというにはやや薄めだが、美しい琥珀色の液体がグラスの中で輝いていた。
子爵と文官二人だけがグラスを受け取った。騎士たちは護衛ということで後ろに控えている。子爵はグラスを掲げ、色を矯めつ眇めつ眺めている。
「では、ゆっくりと口をお付けください。酒精が強いので鼻に刺激があるかもしれませんが、まずは香りを楽しんでください」
スコットの説明どおり、子爵たちはゆっくりとグラスを口に近づけていく。さすがにきついのか顔を顰めながら口を付ける。
「確かに強い酒ですな。しかし、香りが良い……これで十年か……」
グラスからちびりちびりと飲みながら、最後には独り言のように呟いていた。
「ゆっくりとグラスを回してみてください。香りが更によくなると思います……」
飲み方を俺がレクチャーし、スコットが造り方を説明していく。
サザーランドとダルントンは一言も聞き逃さないという意気込みで必死にメモをとり、子爵がその間に気になったことを質問していくという感じで試飲が進んでいく。
俺が「いかがでしたか?」と尋ねると、子爵は「鍛冶師たちが目の色を変える理由が分かりますな」と笑い、「これだけの酒精、それだけではなく、この芳醇な香りと味がドワーフたちを虜にしたのでしょう」と付け加える。
更に“スコッチ”側のザックコレクションを試飲する。
こちらの方は“ブランデー”より好みではなかったのか、それとも自領で作ることができる物の方がよかったためか、それほど評価は高くなかった。ただ、子爵だけは「これが大麦だけでできているのか……」と独特の複雑な香りに感心していた。
ここまで付き合ってみて、ラドフォード子爵はかなりの酒好きだと分かっている。シーウェル侯爵はドワーフたちやロックハート家とのパイプを太くしようと考えているから、その辺りを考慮した人選なのだろう。
試飲を終え、満足げな子爵たちに、「それでは浴場も空いているようですので、そちらに参りましょうか」と言って、公衆浴場に案内する。
自警団の訓練が終わるまで一時間以上あり、今は貸切り状態だ。もちろん、普段ならどこかの地区の割り当て時間になるのだが、今回は予め到着時間が分かっていたので空けてもらっている。
俺としては侯爵家の使者に対し、もう少し融通してもいいと思うのだが、父と祖父は厳しい訓練を終えた自警団員の楽しみを奪うつもりがなく、一時間という時間で切ることにしている。
歩きながら話を聞くと、さすがに子爵と上級貴族に仕えている者たちであり、風呂の入り方は十分に知っていた。「帝都には公衆浴場が多くある。それにシーウェルにも少し北にいけば温泉があるのだよ」と教えてくれた。古代ローマほどではないが、帝都プリムス付近では風呂文化が庶民にまで浸透しているらしい。
子爵たちが風呂に入っている間に、俺は宴の準備のため、再び貯蔵庫に戻っていく。スコットと彼の助手たちにシーウェル家のワインを用意してあった大型のステンレスタンクに入れ替えるよう指示する。
「このタンクに一樽分、入れておいてほしい。他の樽は二、三日落ち着かせるから、邪魔にならないところに保管を頼む……」
スコットの助手たちが揚重装置で樽を持ち上げ、ステンレスタンクにワインを流し込んでいく。大型のタンクを覗き込むと、やや紫掛かった鮮やかな赤ワインが芳醇な香りを貯蔵庫内に放っていく。
(さすがに香りはいいな……やはり濁っているか……)
荷馬車で移動していることと、ろ過が十分でないことから、沈殿物が撹拌され、濁りになっているのだ。
(ワインはそれほど詳しい方じゃないが、この状態は良くない。澱を落ち着かせる必要があるな……)
大型のタンクから二十リットル程度の小型のタンクに詰め替えていく。とりあえず、五つ分、約百リットルを収納魔法で時間を加速させて澱を落ち着かせる。インベントリの便利なところは時間の経過を調整できる点だ。
時間経過が千倍のインベントリに入れれば、十分ほどで七日分の時間経過となる。更にインベントリ内は振動もないので、澱はきれいに下に溜まっている。
これを用意しておいたボトルに詰め替えていく。
二十本ほどのボトルに静かに詰め、コルク――木属性魔法で作ったコルクもどき――でしっかりと栓をする。そして、もう一度インベントリに戻して熟成させるのだ。
三時間ほどでは四ヶ月程度の熟成期間にしかならないが、一日経てば三年近い熟成期間になる。
(今日はこの若い赤ワインと発泡ワインでいいだろう。明日以降で子爵たちを驚かせてみせる……)
シーウェル家のワインが贈られると知った時に考えたことは、ボトルでの熟成だった。この世界にはボトルで熟成させるという手法がなく、若いワインしかない。
これは大量にかつ安価にボトルを作る技術がないこと、割れ物を安全に輸送する手段がないこと、ボトルを密閉させる技術がないことが理由だと考えている。
一応、陶器製の壷はあり、それに詰めているが、熟成させるという考えはなく、あくまで樽から詰め替えるというだけの意味しかない。
収納魔法を使った熟成は、既に発泡ワインで使っているが、この魔法はワインの熟成用に作られたのではないかと思うほど適している。
まず、温度は十度強程度の適温で一定であり、持ち主である俺がどんなに動いても中身には振動が伝わることがない。光に関しては確認できていないが、覗き込んだ感じでは真っ暗なので光もないと考えられる。更に時間の加速ができ、短期熟成が可能な点が素晴らしい。
今回のシーウェル家の赤ワインは濃い色のフルボディに近い味わいのワインであり、長期熟成にも耐えられそうな高品質なものだ。事前に試してみたのだが、残念ながらラスモア村で作っている赤ワインでは五年程度の熟成でも味がヘタってしまう。
気候的なことが影響しているのか、それとも葡萄の品種の差かは分からないが、ラスモア村の赤ワインではボルドーやブルゴーニュの良いドメーヌのワインは再現できなかった。
ただ残念なことにボトルの数が圧倒的に足りない。バット樽の場合、一樽で五百リットルほど入っているので、フルボトルなら六百本以上取れる。これが五樽だから、三千本分以上あることになるのだが、今あるボトルはマグナムボトル――通常の倍の容量のボトル――を含め、二百本程度しかない。
だが、こんな時のために取っておいた素材がある。
そう、“チタン”である。ティリア魔術学院でラスペード教授の助手をしていた時にチタンを大量に入手し、インベントリに保管していたのだ。
チタンは古代遺跡のガラクタ――剥ぎ取られた建材や壊れた道具類など――から大量に抽出できているが、この世界ではチタンの存在が知られておらず、俺が抽出するまで“正体不明”として分類されていた。
俺が抽出した後も学院にあるのは、学術用のサンプルだけだ。今のところ、発見されて間もないことから使い道が決まっていないことと、この世界の技術ではチタンの加工が難しいことから、すべて俺が譲り受けている。教授は何に使うのか興味深そうだったが、魔道具関係ではなく“酒”に使うと言ったら、すぐに関心を失った。
このチタンを使ったタンクでワインの長期熟成に挑戦するのだ。
あまり定かではないが、日本酒の蔵元がチタンボトルを作り、海に沈めて熟成させたというニュースを見た記憶がある。その時にチタンは耐食性に優れ、酒類の貯蔵にも使えると言っていたと記憶している。俺自身、チタン製のスキットル――蒸留酒等を入れる小型の携帯用ボトル。フラスコとも言う――を持っていた。
既にチタン製のタンクは二十リットル用の物が百個ほど作ってあるし、更に素材もまだふんだんにあるため、増産も可能だ。
ちなみにチタンをワイン用にし、ザックコレクション用にしなかった理由だが、ザックコレクションは輸送すれば数日で消費されるため、ステンレスでもそれほど影響は出ないと考えられるが、ワインは年オーダーで熟成させるため、より耐食性の強いチタンとした。実際のところ、ステンレスタンクとチタンタンクのどちらが酒に対する耐食性に優れているか、俺は知らない。
シーウェルワインの熟成だが、売る目的で作るつもりはない。侯爵家から贈られた物を勝手に売るわけにはいかないということもあるが、製造の秘密が俺しか使えない魔法であることが最大の理由だ。
収納魔法を使わず、普通に長期熟成させてもいいが、ボトルやコルクの製造も俺の魔法がキーとなっている。更に言えば、ワインに関しては大した知識を持っているわけでもなく、人に教えることが難しい。一応、子爵たちには説明するつもりだが、シーウェル家でうまくいくかは微妙だろう。
ここラスモア村で俺が試行錯誤しながら、普通に長期熟成させてノウハウを蓄積させていけばいいのだが、ここ館ヶ丘にワインの貯蔵庫まで作ってしまうと、既にスコッチの貯蔵庫があることもあり、館ヶ丘が酒だらけになってしまう。
(地下にトンネルを掘ればいいんだが、そんなことをしたら、“館ヶ丘”じゃなくて、“酒ヶ丘”になってしまうからな……いや、既にそうかもしれない……)
今のところ、基本的には自家消費分を除けば、祭などのイベントで村人に提供しようと考えている。もちろん、本来の受取人であるベアトリスの分は別に大量に確保しておく。
(しかし考えてみると、この収納魔法は完全に“酒”用だな。リディの発泡ワインに、ベアトリスの赤ワイン……それだけじゃない。グラスにボトル、タンクもか……料理にも使っているしな……これを教えてくれた古代人が知ったら苦笑するんだろうな……まあ、苦笑されても、“これこそ正しい使い方だ”と主張するつもりだが……)
ワインの詰め替えを行い、更に明日の蒸留所の見学の手配などをスコットに依頼し、再び公衆浴場に戻っていく。子爵たちもちょうど風呂から上がったところだったようで、用意しておいた風呂上りの冷えたビールをうまそうに飲んでいた。
子爵はかなりご機嫌のようで、「なかなかのものですな。ここの風呂は。更に風呂上りに冷えたビールを用意してある配慮が素晴らしい。さすがは酒に拘るザカライアス卿ですな。ハハハ!」とご満悦な様子だった。
三月ということで吹きつける風はまだ冷たい。湯冷めしないうちに屋敷に戻っていく。
帰り道、子爵から「しかし、ザカライアス卿はどこでこれだけの知識を得たのですかな」と尋ねてきた。この種の質問はよく受けていたので、既に回答は用意してある。
「ドクトゥスです。魔術学院ではプラエタリア図書館に入り浸っていましたし、本に詳しい先生の指導も受けていましたので、魔法関係以外にも世界各国の本を読み漁っていました。それに有名な先生の助手もしていましたから、自然といろいろな知識がついたようです」
真面目な顔でそう言うと、子爵は「なるほど。さすがは千年に一人の天才と言われることはある」と感心する。
プラエタリア図書館は“大図書館”とも呼ばれる世界一の蔵書数を誇る図書館であり、様々な文献が保管されている。
ただし、どのような書籍が保管されているかはあまり知られておらず、大図書館の本で偶然見たと言えば、そこで働いている司書やキトリー・エルバイン教授のような古書に詳しい人以外は大抵信じてしまう。
更に変人として有名なラスペード教授の指導を受けていたことは知れ渡っているので、ラスペード教授の名を出すと、簡単に納得してくれるのだ。




