第四十三話「公開処刑」
トリア暦三〇一七年七月二十五日。
兄ロドリックの結婚式から五日が過ぎた。
兄たちは近隣の街や村にお披露目に行ったが、父を始め、ロックハート家の面々はウェルバーンに残り、のんびりと観光を楽しんでいた。もちろん、朝夕の訓練は欠かしていない。
四日前の七月二十一日から北部総督府軍第一騎士団長のマンフレッド・ブレイスフォード男爵と小隊長であるケネス・ダイアス、そして、結婚式当日に俺に斬りかかろうとした従士、フィリップ・イングリスの三人がロックハート家の訓練に参加し始めた。
騎士団長に聞くと、ラズウェル辺境伯から言い渡された罰だそうだが、よく続いていると思っている。毎日、朝と夕方にボロボロになりながらも最後まで立っているのだから、相当な覚悟でいるのだろう。特にフィリップは剣術士レベル二十とシャロンより僅かに高い程度だが、それでも根性で立ち上がっていた。憤慨していたメルとシャロンだったが、今では彼のことを認めている気がする。
昨日までの四日間で約束だったリディたちとのデートを終えている。今回は前回のような囮になることもなかったし、兄と辺境伯の娘ロザリンドの結婚ということでお祭気分の街に繰り出したのだが、これが結構楽しめた。
年末の賑やかな商店街といった感じで、特産の食材などを買ったり、屋台で麦酒と串焼きを頼んだりと、ここ最近のややこしい話を忘れられた。
ややこしい話と言えば、シーウェル家の嫡男ジョナスが起こした騒動の後始末も終わっている。
兄たちの祝宴の翌日、シーウェル侯爵家の当主、クレメント・シーウェル侯爵がロックハート家の部屋を訪れた。その後ろには二日酔いと事の重大さのため、真っ青な顔をしているジョナスもいた。
侯爵は父たちの前で、昨夜と同じく深々と頭を下げた。
「我が息子がロックハート卿の縁者に不快な思いをさせたこと、我が不徳の致すところ。ザカライアス卿、ベアトリス殿だけでなく、ロックハート家の方々に対して、今一度謝罪させて頂く。真に申し訳なかった」
後ろではジョナスが同じように深々と頭を下げている。
父は侯爵自らが自分たちに頭を下げることに慌てていた。
「頭をお上げ下さい。私も息子も、そして、ベアトリス嬢も気にしておりません……」
侯爵は頭を上げると、息子を前に出す。
ジョナスはもう一度頭を下げ、謝罪し始めた。
「昨夜のことは本当に申し訳ありません。何を言ったのかも覚えておらないのですが……ベアトリス殿、ザカライアス卿にご不快な気持ちにさせたこと、本当に反省しております……」
ジョナスと言う少年だが、昨日感じた傲慢な雰囲気は鳴りを潜め、侍女長のバーバラから聞いた通りの大人しい感じの少年だった。もちろん、廃嫡の話が出ているから猫を被っている可能性は否定できない。だが、少なくとも今は、言葉や態度から反省していると感じさせる。十六歳の少年に俺たちを騙すほどの腹芸ができるとは思えないから、本当に反省しているのだろう。
侯爵家の嫡男という重圧と父親の目が無くなったという開放感、そして、酒の勢いで溜まっていた鬱憤が噴き出しただけなのかもしれない。仮に昨日が本性であり、今が猫を被っているだけだとしても、俺にとってはどうでもいい話だ。まあ、この侯爵の目が黒いうちは本性であっても表すことはできないだろう。
俺はベアトリスに目配せし、了解の合図を受けてから話し始めた。
「私もベアトリスも、もう気にしておりません。ですから、これでこの話は終わりにしましょう」
俺の言葉に彼は安堵の表情を見せる。
だが、侯爵は納得しておらず、
「そう言って頂けることは真にありがたいが、それではシーウェル家としてのけじめが付けられぬ。我らの謝罪の気持ちとして、シーウェル家の最上級ワインを年に五樽贈らせてもらおう。これは私と、更には息子ジョナスが侯爵位にある限り続けるつもりでいる」
シーウェル家のワインは帝都プリムスでは高級ワインとして有名であり、伯爵家以上でなければ、樽単位で入手することは困難とされている希少なものだ。
ベアトリスは驚きの余り言葉を失っているが、俺は裏があるのではと考えていた。
(年間どのくらい生産しているのかは判らないが、最上級品が五樽というのは、かなりの割合なんじゃないのか? 暴言の謝罪としては破格過ぎる……)
提示された継続の条件だが、三十代半ばの侯爵と十代半ばの嫡男が当主である限りというところが曲者のような気がする。侯爵自身はまだ二十年くらいは当主の座にいるだろうが、ジョナスが跡を継ぐとは限らない。事実、廃嫡という言葉も使っているのだから。裏がある可能性が高い。
(何かあるんじゃないか……あるとすれば、やはり“スコッチ”だろうな……)
俺が不審そうな顔をしていると、侯爵は人好きのする笑みを浮かべ、
「代わりにと言っては何だが、あの“スコッチ”という酒の取引を考えてくれないだろうか」
予想通り、蒸留酒の取引を持ちかけてきた。
確かに銘酒であるシーウェルのワインと、名が売れ始めたスコッチとの交換は量にもよるが、それほどおかしな話ではない。
だが、スコッチの場合、他の酒と決定的に違うことがある。
それは政治に利用できる点だ。
正当な手段で手に入れたスコッチを帝都のドワーフたちに売る。ワインの価格が判らないから何とも言えないが、金銭的には大した損害は出ないはずだ。逆にドワーフたちに恩を売れると考えれば、十分に回収できる。
いつか上級貴族からこういう話が出ると思っていた。だから、断る方法は既に考えてあった。
「私としてもぜひお譲りしたいのですが……今でも品薄なのです。待ち望んでいる鍛冶師たちから、侯爵閣下が恨まれるかもしれませんが、それでもよろしいのでしょうか?」
俺は出来るだけ申し訳なさそうな表情を浮かべてそう答えた。
侯爵は想定外の言葉に笑みが凍りつく。
「年に数樽なら問題ないのではないかね。その程度でよいのだが」
俺は大袈裟に首を振り、
「ここウェルバーンの鍛冶師ギルドからも数ヶ月に一度でいいからと言われておりますが、それすら難しいのです……もし、閣下にお譲りすることになったら、いえ、そんな噂が流れるだけでも、この街から無事に出ることは難しいかもしれません……彼らは“酒には妥協しない”と宣言しておりますし……」
俺の言葉に侯爵の顔色が一気に悪くなる。恐らくカウム王国から光神教が排除された話――大司教が王都から追い出されるだけでなく、宿をとることすら出来なかったという話――を思い出したのだろう。
「そうか……鍛冶師たちの分を貰い受けるわけにはいかぬな。スコッチの件は無かったことにしてくれたまえ」
侯爵はその話を打ち切った。だが、謝罪のために贈りたいといった手前、年五樽というワインの話は引っ込めることはなかった。
(俺としてはどちらでもいいんだが、リディとベアトリスがあのワインをかなり気に入っていたからな。それにボトル詰めして寝かせてもみたいし……)
何となくジョナスの謝罪の話が有耶無耶になった気がするが、俺もベアトリスも元々気にしていなかったし、ワインをもらえるということで、ベアトリスは逆に喜んでさえいる。つまり、何の問題もないのだ。
父が一度断ったが、結局、今年の醸造分から贈るということで、来年の春頃には銘酒であるシーウェルのワインが手に入る。
輸送方法だが、シーウェルのワインはカウム王国に輸出されているそうで、帝都に近いシーウェル侯爵領から傭兵の国フォルティスを経由してカウム王国の王都アルスに輸送されている。その輸送の際にラスモア村に送ると提案してきた。
わざわざアルスから足を伸ばしてもらうのも気が引けるので、鍛冶師ギルドが雇っているスコッチの運搬を請け負う業者に依頼してはどうかと提案してみた。
この運搬業者なのだが、アルス街道では“蒸留酒定期便”――定期的に“線を引く”ように同じところを行き来するため付けられたあだ名――と呼ばれ、今では完全に蒸留酒専門の運搬業者となっている。
この“スコッチ・ライナー”には専属の優秀な護衛隊がついており、危険の多いアルス街道で最も安全な商隊と言われている。そのため、高価なシーウェルワインを輸送するのに適していると考えたのだ。ちなみにこの専属の護衛たちを街道の人々は“蒸留酒護衛隊”と呼んでいるそうだ。
だが、俺の提案は一部だけしか採用されなかった。
侯爵から、そもそも謝罪の意味で贈る物であり、輸送業者に任せればよいというものではないと断られたのだ。しかし、スコッチ・ライナーに同行する件についてはロックハート家に仲介してほしいという申し出があった。
鍛冶師ギルドとの関係を良くしたいという思惑があるのだろうが、最初から狙っていた可能性もある。アルスを通過する際に、シーウェル侯爵家はロックハート家と高級ワインを贈るほどの友好関係にあると宣伝するつもりなのだろう。
それで何が変わるというものでもないが、少なくとも正確な情報が伝わりにくい帝都では、シーウェル家がロックハート家と誼を結び、更には鍛冶師ギルドにも影響を与えられると見えなくもない。その辺りは帝都の事情に疎いので何とも言えないが、侯爵は意外と強かだから、この程度のことは最初から考えていたかもしれない。
そして、今日は七月二十五日。
辺境伯暗殺未遂事件の犯人、ハリソン・ガネルの公開処刑が行われる日だ。
公開処刑はウェルバーン城の西、騎士団本部との間にある広場で午後二時に行われる。ここは閲兵式などが行われる場所で、まだ正午過ぎであるにも関わらず、既に多くの市民が詰め掛けていた。
俺は父とともに騎士団関係者たちの後ろにいた。
この公開処刑を提案した手前、知らぬ振りをするわけにはいかない。俺たちから離れてはいるが、デズモンド・ゲートスケル准男爵も目立たぬ場所にいた。
公開処刑に先立ち、“実行犯”であるガネルがルークス聖王国の指示で暗殺を計画したと発表されており、更に辺境伯の嫡男の暗殺や光神の血なる麻薬の製造などを行ったことも公表されていた。そのため、市民たちの間では反ルークスの声が高くなっていた。
ルークスの工作員であるアウレラの商業ギルド所属の商人、オーラフ・オウレットについても関与が公表されており、市民の間では商業ギルドが裏で糸を引いていたのではないかという声が上がっていたが、ギルドの外交担当専務理事、ドナルド・ハッチングスが商業ギルドの関与を否定するだけでなく、ルークスを強く非難した上で経済制裁を行うと正式に発表したため、市民たちの怒りの矛先はほとんど向いていなかった。
商業ギルドが行う経済制裁には、“アウレラ”の商業ギルドに所属する商人によるルークス聖王国との“直接”取引の禁止と、ルークス国内にある商業ギルドの支部の“無期限”閉鎖という内容だった。商業ギルドは金融機関としての機能があり、各支部ではギルド所属の商人の為替による決済――現金を用いず債権・債務を決済する方法――が可能だ。支部が閉鎖されるとこの為替による決済が出来なくなるため、都市間で行われる取引の時に非常に大きな影響が出る。
但し、この経済制裁には抜け道があるように見える。
一つ目のルークスとの直接取引の禁止だが、一見すると“アウレラの商業ギルド”の商人と読めるが、実際のところは“アウレラ市”所属の商人であり、アウレラ市以外の都市の商人なら取引は可能だ。また、支部の無期限閉鎖だが、無期限というと“永久的”な措置に見えるが、単に期限を切っていないだけであり、いつでも閉鎖の解除が可能という解釈もできる。つまり、いずれの制裁案も商業ギルドにとって、大きな痛手にならない可能性が高い。
ハッチングス自身は商人としても政治家としても能力は無いそうだが、随行のギルド職員に優秀な人材がいたようだ。
この件については、辺境伯がかなり難色を示したそうだが、俺自身は問題ないと思っている。
今回、商業ギルドに反ルークスの声明を出させた理由はカエルム帝国の国内、特に帝都プリムスの貴族たちを意識している。つまり、実際に経済制裁が機能しなくても問題はない。要は商業ギルドが全世界に向けてルークスを非難したという事実が重要なのだ。
この点を辺境伯に説明するが、やはりあまり納得していなかった。
「これでは帝都の連中も納得せんのではないか?」
俺はその言葉に頷くが、
「それでも問題はありません。数ヶ月もすればルークスが勝手に結果を出してくれるはずです」
辺境伯は俺の言葉に首を傾げるが、少し考えたところで納得したようだ。そして、笑みを浮かべる。
「なるほど……聖王府で大きな人事があるということかな? 教団本部ということもあり得るな」
俺は大きく頷いた。
俺が、そして、辺境伯が思い付いたのはこういうことだ。
商業ギルドの経済制裁発動により、ルークスでは必ず混乱が発生する。これは実際に効力を発揮するか否かに関わらない。
ルークスの政治体制は世俗の行政府である聖王府と国教である光神教の教団本部の二重支配体制だ。そして、聖王府と教団本部は常に権力争いを繰り返している。
前回、鍛冶師ギルドと揉めて失態を演じてしまった教団本部にとって、今回の商業ギルドの経済制裁発動は反撃の絶好の機会なのだ。落ちた影響力を少しでも取り戻すために、聖王府の失態を必ず追及するはずだ。つまり、ルークス国内での権力争いを誘発させ、敵国の国力を低下させるという目的のためには、商業ギルドが全世界に向けて公表したという事実が重要であって、実際に効力を発揮するかはそれほど重要ではないのだ。
そして、ルークス国内で聖王府が力を失えば、商業ギルドにとっても不利益になる。アウレラの商人たちにとって、教団本部の聖職者たちが力を持てば、それだけ利益を失うことになるからだ。聖職者たちの商人に対する認識は金を運んでくる便利な存在というものであり、賄賂を渡さなければならない商人たちにとって、教団本部が力を持つことは迷惑極まりないことなのだ。だから、商業ギルドは聖王府を支援するはずで、益々権力争いに拍車が掛かることになる。
ルークスの国力自体を落とすためには、実際に機能する経済制裁を行う方が良いのだろうが、聖王国を存在させておきたい商業ギルドにとっては受け入れがたいはずだ。
ルークス聖王国はカエルム帝国を北方に目を向けさせないため、すなわち、アウレラを含む都市国家連合の独立を守るために存続させているのだから、経済制裁を強制したとしても抜け道を見付けて骨抜きにするだろう。
それならば、最初から抜け道を認めてやり、恩を売りつけておく方がましだ。もちろん、北部総督である辺境伯は経済制裁が骨抜きになっていることを知っていると商業ギルドに認識させる必要はある。このため、辺境伯はハッチングスと随行の職員を呼び付けた上で恫喝し、北部域への積極的な投資を商業ギルドに約束させている。
そして、午後二時になった。
ハリソン・ガネルが刑場となる広場に現れた。彼はかなりやつれており、両手を拘束されて引き摺られるようにして歩いていた。
これには理由があった。
彼は主君であるゲートスケルの助命を条件に公開処刑での茶番を引き受けた。その際に今回の一連の騒動に対して完全に吹っ切れており、清々しさすら感じさせていた。
だが、自らの役割について理解していた。彼は「今日から食事は一日一食で十分です。髭も剃らず、体も拭かないでおきましょう」と様子を見に来た辺境伯にそう言ったそうだ。そして、不思議そうな表情の辺境伯に対し、
「狂信者として処刑される者が小ぎれいではおかしいでしょう。薄汚れてやつれていた方が狂信者らしいのではないかと」
笑顔でそう話した。
辺境伯は「ガネルという男が惜しくなった。これほどの男を殺さねばならんことが悔やまれる」と腹心のフェルディナンド・オールダム男爵に語ったという。
ガネルが刑場に現れると、集まった民衆たちから非難の声が浴びせられた。
彼はその非難の声をものともせず、民衆たちに対し、そのやつれて落ち窪んだ眼窩から鋭い眼光を浴びせていた。
辺境伯と騎士団長のマンフレッド・ブレイスフォード男爵が現れ、騎士の一人がガネルの罪状を読み上げていった。
ゲートスケル准男爵に取り入り、光神の血なる麻薬を製造し、ゲートスケルを傀儡としたこと。辺境伯の嫡男パトリック・ラズウェルの暗殺に始まり、多くの敵対者を毒薬により暗殺したこと。そして、第四大隊に光神の血を飲ませ、辺境伯に対し反乱を起こさせたこと……罪状が読み上げられるたびに民衆の罵声がヒートアップしていく。
その間、ガネルは表情を崩さず、辺境伯らを睨みつけていた。
すべての罪状が読み上げられると、辺境伯が壇上に立った。
「我が息子パトリックのみならず、多くの罪のない者が殺された! ルークスの狂信者どもは……」
そこで感情が爆発しそうになったのか、言葉に詰まる。民衆たちにも嗚咽を上げる者がおり、同じように怒りを抑えていた。
「ガネルよ。最後に言いたいことがあれば聞いてやろう。貴様はゲートスケルに助けられた。だが、その恩を仇で返したのだ! 言いたいことがあれば申してみよ!」
ガネルは辺境伯を睨みつけ、そして、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「貴様に何が判る。道具のように使われ、その挙げ句に裏切られた……そして、家族を含めすべてを失ったのだ……」
民衆たちから「それはこっちも同じだ!」という怒号が上がる。
「……私は光神に救われた。その恩を返すのに何を躊躇う必要がある? 全ては神のため。それで全てが許されるのだ……」
淡々とした口調でガネルは語った。
辺境伯は眦を上げ、
「貴様らルークスの狂信者は人の命を何と考えておるのだ!……貴様は先ほど挙げた罪状を認めるのだな?」
ガネルは頭を振り、「認めぬ」と答えた。その言葉に辺境伯が驚きの表情を浮かべ、聴衆たちは「何を言っていやがる!」と罵声を浴びせていく。
ガネルは聴衆たちの言葉など耳に入っていないかのように淡々と自らの主張を繰り広げていく。
「やったことは事実だが、罪には当たらぬ。よって“罪状”ではないのだ。これは私に課せられた使命なのだ」
その言葉で聴衆たちは更にヒートアップする。
俺はガネルが思った以上に役者だったことに感心していた。
(確かに狂信者なら罪とは認めないだろうな。罪ではなく、義務なのだから……しかし、よく考えている。単純な軍人ではないと思っていたが、後方撹乱のような難しい任務をこなしていただけのことはある……)
辺境伯は怒りの表情を浮かべ、更に追及していく。
「アウレラの商人、オウレットはどこにおる! 奴が一連の指揮を執っていたことは調べがついておるのだ」
「知らぬよ。言っておくが、私はオウレットに使われていたわけではない。奴は教団本部からの指示を私に伝えるだけの伝令に過ぎぬ……」
そこで一旦言葉を切り、憎々しげな表情を浮かべる。
「……奴は、そして教団本部の無能なる者たちは失敗した。あやつめがもう少し有能なら、今頃貴様はこの世にはおらぬ。あの者のせいでアウレラでの拠点を失ったのだ……」
辺境伯は怒りのため言葉にならないという顔をし、騎士団長ブレイスフォード男爵に目で合図を送った。騎士団長は小さく頷き、「これ以上の問答は不要。直ちに刑を執行せよ」と進行役の騎士に刑を執行するように命じた。
騎士はピシリという音が出そうな敬礼を行った後、部下たちに準備を命じた。
ガネルは倒してある磔用の木に縛り付けられる。それは四mほどの柱の中ほどに足を置く台を付けられたもので十字架の横木がないような作りになっていた。
そして、十名ほどの兵士たちがゆっくりとその磔用の木を立たせていった。
完全に立ち上がると、槍を持った五人の兵士が囲み、ガネルの胸元に狙いをつける。
ガネルは自分の命を絶つであろう槍には一切目を向けず、空に向けて叫んだ。
「神よ! お導きに感謝いたします!……貴方にお仕えできたことこそ、私にとって最大の奇跡!……ただひたすら貴方とともに栄光を夢見ることができた!……惜しむらくは栄光を掴み得なかったこと、これだけが無念!……貴方の未来に光あらんことを!」
進行役の騎士はその叫びを無視して、兵士たちに処刑を命じていた。
五本の槍がガネルの胸に突き刺さる。その瞬間、広場は静寂に包まれた。
槍を突き立てられたガネルだったが、悲鳴やうめき声は一切上げなかった。ただ、ゴボッという血を吐き出す音だけが響いていた。
槍が引き抜かれると、聴衆たちから喝采が上がる。
俺はその場から逃げるように立ち去った。
(最後の言葉はゲートスケルに向けたものなんだろうな。止むを得なかったとは言え、あれほどの男を晒し者にする策が必要だったのか…………)
俺はガネルという男の死を汚したのではないか、そんなことをする資格が俺にあるのかという考えが頭に浮かぶ。
俺は一人になるため、城の庭園のベンチに向かった。
その間も今回の処刑について後悔し続けていた。
(確かに奴は敵だった……一つ間違えば、俺や仲間たちが命を落としていたはずだ。だから、同情する必要はない。それは判っている……だが、他に方法があったんじゃないか。安易な方法で奴の死を汚したんじゃないか……これは偽善だな。俺は操られていただけで何の罪もない騎士たちを何十人も殺している……)
ベンチに座り、ひたすらそのことを考えていた。だが、いくら考えても同じことを繰り返し、思考の迷路をぐるぐる回るだけで、一向に抜け出せなかった。
どのくらい時間が経ったのか判らないが、何とか自分の中で折り合いを付けることに成功した。
気付くと横にリディがいた。
そして、後ろにはベアトリス、メル、シャロン、ダンもいた。
「後悔しているの? でも、他に方法はなかったんでしょ。それにあの人は納得していたわ」
リディは淡々とした口調でそう言った。
「……確かに方法は思いつかなかった。だが、もう割り切れたよ……」
俺がそう言ったところで抱きしめられ、それ以上しゃべれなくなった。
「じゃあ、もうこれでお終い。これ以上考えては駄目……」
そう言って更に強く抱きしめてくる。
彼女の鼓動だけが聞こえ、心地良い香りに包まれる。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
リディは俺の目を見つめ小さく頷く。
「大丈夫なようね。でも、どうしてそんなに悩むのかしら? 敵だったのよ、彼は」
俺は自分の思いを吐き出していった。
「敵だったとはいえ、ガネルも、そしてゲートスケルも光神教に利用されたんだ。その黒幕、本当の敵にダメージを与えるとは言え、こんな手を使っていいのか……もちろん、俺たちに被害がなかったから言えることだとは判っている。もし、ここにいる誰かが傷付いていたら……こんなことは考えなかった……それは判っている……」
思いを吐き出すと、更にすっきりとした。
「さて、今からどうしようか? 中途半端な時間だし……」
そこでベアトリスが「夕方の訓練は止めだ」と言い、にやりと笑う。
「街に繰り出して宴会だよ!……ダン! 鍛冶師ギルドに行って、デーゲンハルトを誘うんだ。メルとシャロンはご領主様たちに外に出るって伝えてきておくれ。あたしはシーウェル侯爵様のところに行ってワインをねだってくるよ」
そこでリディが「私は?」と声を掛けた。
「あんたはこの子と一緒にいておくれ。一人にするとまた考え込むからさ」
俺以外の全員が笑いながら頷く。
(どうもメンタル面で一番弱いのは俺のようだな。まあ、自覚はあるが……)
そう考えながら、俺も彼女たちの気遣いに合わせることにした。
「落ち込んだら酒を飲ませておけばいいと思っていないか? それは違うと思うぞ」
リディが笑いながら反論してきた。
「本当に違うのかしら? あなたの場合、お酒さえあれば大丈夫だと思っていたんだけど?」
俺はしかめっ面を作り、「それは誤解だ」と首を振る。そして、すぐに笑みを浮かべ、
「ただの酒じゃ駄目だ。うまい酒と気の合う仲間がいないとな」
俺の言葉に一斉に笑い声が上がる。
(この笑い声を聞くことができるのなら、他には何もいらない……)
次話でウェルバーン編は終わり、ラスモア村に帰ります。
村に帰ると、○○が待っている……




