第十一話「鍛冶師ギルドウェルバーン支部:前篇」
ギルド職員の視点です。
私の名はジョナサン・ウォーター。
鍛冶師ギルドウェルバーン支部の職員だ。
鍛冶師ギルドは鍛冶師たちの雑用を捌くためにある組織で、いつも様々な仕事が舞い込んでくる。と言っても、弟子の斡旋や原料価格の交渉、騎士団との契約の代行などがほとんどで、親方たちの手を煩わせないことを目的としている。
ここウェルバーンには約三十の工房があり、ドワーフが親方をやっていない工房は五つほどしかない。つまり八割以上の工房がドワーフに率いられているということになる。
ドワーフと言えば、世間では頑固者で融通が利かないイメージがあるが、意外と物分かりのいい人が多い。
ギルド職員の仕事に苦情を言ってくることはほとんどなく、多少の失敗も笑って許してくれる。但し、「次から気をつけろよ」と言いながら、あのゴツイ腕で背中をバシンと叩かれるのは体罰と言えるかもしれないが。
私がギルドで働き始めてから早いもので五年ほど経つ。
ここで働く前には、商業都市アウレラの大手の商会で働いていたのだが、地元であるウェルバーンに戻ることになり、働き先としてギルドを紹介されたのだ。
最初は戸惑ったが、いい働き先だと満足していた。数分前までは……。
今日七月十一日は特に行事も無く、いつも通りギルドの事務の仕事をするだけのはずだった。今日は輪番制である受付担当の日で、一階のロビーにあるカウンターでいろいろな申し出の処理をするはずだった。
しかし、今日は朝からいつもと様子が違っていた。
普段ギルドに来ることのないドワーフたち、それも親方や一流と呼ばれるベテラン鍛冶師たちが何人も集まってきたのだ。
親方連中は総会などの重要な行事でも集めることが難しい人たちで、いつもは総会を夜にセッティングし、酒を用意することでようやく集めることができる。
その親方たちがギルドから特に連絡もしていないのに、朝から、それも酒の用意もないのに集まってきた。
私は疑問に思い、既に二十年以上ギルドに勤めている先輩にこんなことがあるのかと聞いてみた。
「いや、私も初めてだよ。親方たちが朝から集まってくるなど……総督閣下が召集しても、この時間にこれだけの人数は集まらないよ。悪いことが起こらなければいいんだがね……」
先輩は不吉なことを呟くと、そのまま事務所の奥に消えていった。
残された私だが、受付の仕事を放棄するわけにもいかず、カウンターに座り続けていた。
途中でどうしても気になり、顔見知りの親方に聞いてみたのだが、「特に何もありはせん。だが、デーゲンハルトが呼び出すような気がしただけだ」と言うだけだった。
支部長であるデーゲンハルトさんから我々職員には何も伝えられておらず、結局理由は分からなかった。
午前十時、ロビーには三十名ほどのドワーフの鍛冶師が集まっていた。この数はウェルバーンにいるドワーフの鍛冶師の三割に当たる。よく見るとウェルバーンだけでなく、近隣の町の鍛冶師もいるようだ。
更に続々とドワーフたちが建物の中に入ってくる。普段は広いロビーに数人しかいないことが多いのだが、今日は祭の会場のような賑わいになっている。
それから三十分ほど経った頃、冒険者らしい格好をした一人の若者、まだ少年と言っていいほど若い男が現れた。黒一色の装備に使い込まれたバスタードソードらしい大型の剣を腰に吊るしており、素人の私が見ても腕のいい剣術士に見えた。
その若者はドワーフたちの多さにやや困惑したようだが、私がカウンターにいることに気付き、近づいてきた。彼は冒険者らしからぬ礼儀正しい口調で名を名乗った。
「ザカライアス・ロックハートと申します」
彼の声がロビーに響き渡る。
次の瞬間、鍛冶師たちが一斉に、そう、ピシッという音が聞こえそうな勢いでカウンターに顔を向けた。そして、若い冒険者、ザカライアス・ロックハートに視線が集中する。
それだけではなく、鍛冶師たちの口から「ロックハートだと」とか、「ザカライアスと聞こえたが」という声が上がっていたようだ。
その場にいたのに伝聞のような言い方だが、その時、私には彼らの声が聞こえていなかった。なぜなら、その名、“ザカライアス・ロックハート”と言う名に戦慄に似た強い衝撃を受けていたからだ。
そして、この状況は危険だと私の生存本能が警告を発し、他のことに気を取られる暇がなかったのだ。
ザカライアス・ロックハートと言えば、鍛冶師ギルドではどんな新人でも知っている最重要人物だ。鍛冶師ギルドの職員になると最初に教えられる事項、ドワーフたちとの付き合い方で必ず出てくる名前だからだ。
ザカライアス・ロックハート……幻の銘酒、ザックコレクションの所有者にして、ラスモア村の蒸留所の持ち主、更にスコッチなる蒸留酒の名付け親……彼に匹敵する重要人物は、ラスモア村の蒸留責任者スコット氏しかいない。
その重要人物がこんなに若いとは思わなかったが、それも一瞬頭をよぎっただけだ。今はそんなことより、何をすべきかを考えねばならなかったのだ。
そして、出た結論は直ちに支部長に報告すべきというものだった。
彼が名を名乗ってから一秒と掛からずに、私はそう判断し行動を起こすことを決断していた。
私は本能に従い、飛ぶようにカウンターから走り出す。
後ろから「あの……」という当惑した声が聞こえてきた。
私は走りながら「少々お待ちください」と叫んだ。だが、彼がいなくなることを恐れ、「すぐに戻りますから、絶対に待っていてください」と懇願した。それでも足を止めることは無かった。
私は二階にある支部長室に向かって、そのまま駆け続けた。
私は元商人であり、武芸の嗜みは無い。
その訓練を受けていない私にしては、戦場の武人もかくやと言うほど瞬時に判断を下し、更にその後の行動の迅速さは自分を褒めてもいいと思うほどだ。
支部長室に着くと、ノックすらせず、バタンとドアを開き、そのまま中に入っていく。普段なら絶対にそんなことはしない。だが、その時はそれが最善であると信じていた。
中にいたデーゲンハルト支部長は「何事だ!」と私を咎める。私は謝罪の言葉すら端折り、「ザカライアス・ロックハート様がお見えです!」と叫んだ。
普段は落ち着いた雰囲気のある支部長だが、その時ばかりはかなり慌てた。
「も、もう来たのか! すぐにここへ通せ!」
私は返事をすることなく、再び走り出した。
すれ違う同僚たちは何が起きたのかと顔を出しているが、今は構っている暇はない。
階段を飛ぶように下り、ロビーに戻る。体感時間では一分も掛かっていないが、実際にはその倍は掛かっているだろう。
そんな短時間でいなくなることはないのだが、その時の私の精神状態では彼がいなくなっていないか気が気ではなかった。そして、ロックハート氏がいてくれたことに心から安堵した。
すぐに支部長室に案内しようとしたが、荷物があるからと言って動いてくれない。私は焦りながら、すぐに手配するので一緒に支部長室に来てほしいと再び彼に懇願する。
ロックハート氏は若いながらも出来た人物なのだろう。私の懇願に少しだけ困った顔はしたが、すぐに支部長室に行くことを了解してくれた。
客人を連れているため、走るわけにはいかないが、出来るだけ歩幅を大きくし、早足で歩を進めていく。
もどかしい思いをしながら、ようやく支部長室に到着すると、ノックすら省略し、すぐに中に入っていく。
ここでようやく私の肩から、重すぎる荷が下りた。
しかし、私には次の仕事が待っていた。
彼の連れと荷物を何とかしなければならない。それに一階にいる鍛冶師たちにも説明が必要だろう。
気合を入れて再び走り出す。私は走りながら、頭の中でやるべき仕事の優先順位を付け、それを元に顔を出していた同僚たちに指示を飛ばしていった。
「ザカライアス・ロックハート様が来られている! 集会室に荷物を運びいれるのを手伝ってくれ! それから鍛冶師がたへの対応も頼む!」
本来なら若輩者の私が指示を出すべきではない。それに先輩たちに対して命令口調ではなく、いつも通り丁寧な対応が必要なのだが、今はそんなことに構っていられない。第一、先輩たちもロックハート氏の名を聞いて驚き、咎めるどころではなくなっている。
私と同じように職員たちがバタバタと一階に降りていく。だが、それに逆行するように鍛冶師たちは二階に上がっていった。
私はその分厚い人波を掻き分け、外で待っているというロックハート氏の同行者のところに向かった。
外に出てみると、そこには一台の荷馬車があり、周りには所在無げに待つ五人の冒険者らしい男女がいた。
私は最もベテランだと思える虎獣人の女性に声を掛けた。
「ザカライアス・ロックハート様の御一行でしょうか?」
虎獣人の女性は「そうだが、何かあったのかい?」と中々出てこないロックハート氏のことを気にしているようだ。
「特に何も……ロックハート様からのご指示で、荷馬車の荷物を一階の集会室に運び込みます。どれを運んだら良いでしょうか?」
私の問いに「全部運んでくれればいい……あたしたちで運ぶから場所だけ教えてくれ」と答える。だが、既に同僚たち十数人が辿り着いており、私の後ろで指示を待っていた。
「それには及びません。皆さん、全て運びこむそうです。手早くお願いします!」
同僚たちはすぐに荷馬車から荷物を取り出していく。
その様子に虎獣人の女性を含め、ロックハート氏の仲間たちは呆気に取られていた。
入っていた荷物だが、剣や槍、防具類が数十人分ほどあった。
そして、その奥に、やや小さめの酒樽が一つ、どっしりと鎮座していた。
私は“これが今回の原因だ”と直感し、「樽は慎重に運んでください! くれぐれも慎重にお願いします!」と叫んでいた。
だが、私の警告は不要だった。
鍛冶師ギルドの職員なら、ロックハート家の紋章がついた酒樽がどれほどの価値を持つか知らぬ者はいない。
酒樽は慎重に台車に乗せられていく。
樽に手を掛けていた職員たちの顔はみな蒼白で、ベテラン職員ですら手が震えていた。
私はもう一度、「慎重に! ここだけはゆっくりでも構いません!」と掠れた声で指示を飛ばした。
もし、樽を運ぶ者の数が四、五人程度なら、樽を落としていたかもしれない。それほど、手が震えていたのだ。だが、鍛冶師ギルドの職員たちは樽だけは落とすまいと、近くの者が次々と手を貸していく。
最後には樽の下に入り、自らの体をクッションにしようとする者さえいたのだ。もし、樽を落としたら……その瞬間、私の背中に冷たいものが流れる。私は頭を軽く振り、その考えを振りはらった。
そして、樽は無事に台車に載せられた。職員全員がホッと息を吐いた後、台車はゆっくりと建物の中に運び込まれていく。
気付かぬうちにドワーフたちの人垣ができていた。
私は知らぬうちに「どいて下さい! ロックハート様の酒樽です! 万が一があっては困ります!」と叫んでいた。
私の叫びが届かなかったのか、一人の鍛冶師が樽の進路上に立っていた。
「そこ! 邪魔です!」
私は大声でそう叫んでしまった。
普段なら鍛冶師たちに対して、このような命令口調になることは絶対にないし、このような口を聞けば、鍛冶師たちはともかく先輩から大目玉を食らう。
その時ばかりは誰も咎めず、プライドの高い鍛冶師ですら「す、すまん」と素直に謝り、道を開けてくれた。
武具とともに酒樽を集会室に運び込み、次に宴会用のジョッキの準備を近くにいる同僚に命じた。
「総会で使う、いつものジョッキの準備を! 大至急でお願いします! あと、おられないとは思いますが、まだ来られていない親方たちがいらっしゃったら、すぐに連絡を!」
私は同僚の返事を聞くことなく、二階の支部長室に向かうため、走り出していた。
支部長に荷物の運び込みを報告した。
これで私のすべきことはすべて終わったと、その場にへたり込む。
へたり込み続けるわけにはいかなかった。なぜなら、私の周りには鍛冶師たちが十人以上おり、支部長室の中の様子を窺っていたからだ。
私には聞こえなかったが、彼らには“スコッチ”と言う単語が聞こえたようだ。そして、私が止める間もなく、あっという間に支部長室に入っていった。
私は不味いと思いながらも、これ以上の混乱を防ぐため、手を打つことにした。
部屋に入りきらない鍛冶師たちに対して、私は独断で集会室に向かうよう指示を出したのだ。
「先ほど酒樽を、ロックハート家の紋章のある酒樽を、集会室に運び込みました! 恐らく支部長からも集会室に集まるよう指示があるはずです! 皆さん、先に集会室に向かって下さい!」
鍛冶師たちはロックハート家の紋章という言葉に目を輝かせる。そして、私の言葉に素直に従って、一階に下りていった。
緊急避難的な行動とは言え、私は今の言葉に後悔していた。
もし、あの酒樽が開けられなかったら、私のギルド職員としての生命は、ここで終わるだろう。
ドワーフの鍛冶師たちは弟子以外に手を上げることはほとんどないが、酒が絡むと人が変わると聞いたことがある。
アルス――カウム王国の王都、鍛冶師ギルドの総本部がある――では、スコッチの輸送を妨害した光神教関係者を放逐しただけでなく、ルークス聖王国の最高指導者、光神教の総大司教の首まですげ変えているのだ。一介の職員に過ぎない私が、このギルドで仕事を続けられるはずがない。
それだけならいいが、ドワーフたちに恨まれるということは商売人としても致命的だ。傭兵や冒険者ならともかく、商人として生きていくなら、大都市での生活は諦めなければならないということだ。もちろん、このウェルバーンからも出ていかなくてはならないだろう。
気が付くと、支部長がロックハート氏を伴って集会室に入っていく姿が目に入ってきた。
そして、しばらくすると、中から怒号のような歓喜の声が響き渡った。その瞬間、私は賭けに勝ったと確信した。
その後、私は集会室の前で座り込みながら、ぼんやりと考え事をしていた。
一度だけ、怒号を聞きつけてきた巡回中の騎士が、事情を聞きに来たりしたが、それ以外は何も問題は起きていない。そして、親方たちの真剣そうな声が聞こえた後、宴会に突入したようだ。彼らが中で何を話し合ったのか、私には分からないし、興味もなかった。
私は先ほどまでの自分の仕事ぶりについて考えていたのだ。
私は集会室から漏れてくる鍛冶師たちの陽気な声を聞きながら、困難な仕事をやり遂げた達成感を噛み締めていた。
明日も投稿します!




