第一話「ラズウェル辺境伯領へ」
第三章スタートです。
トリア暦三〇一七年七月二日。
俺とシャロンはティリア魔術学院を卒業し、今日、五年間過ごしたドクトゥスを出発する。
ドクトゥスを離れるにあたり、既に身辺の整理を終えていた。
隣家のリトルフ家、ノヴェロ家に挨拶した際には別れを惜しまれた。俺としても両家とは良い付き合いができ、特に引っ越してすぐに幼いシャロンに気を使ってくれたことなど、感謝しきれないほどだ。
更に、情報屋のサイ・ファーマンや二級冒険者のジェラルド、鍛冶師のゼルギウス、革職人のリュファスとラシェル。他にも付き合いのあった人たちに街を離れることを報告し、皆に別れを惜しまれた。世話になった人たちと別れの挨拶を交わした時には、五年間過ごした街を去るという寂しさが込み上げ、目頭が少し熱くなった。
そして、この家を引き払うのだが、俺が風呂を設置したため、その撤去が必要となる。撤去前に家主であるマクラウド商会に、どの程度の原状回復が必要か確認を取りに行った。
商会の建物に入ると、名前を告げていないのに事務員らしき男性が慌てて商会長のダグラス・マクラウドを呼びに行く。そして、マクラウドも慌てた様子でやってきた。
俺が風呂の撤去の話をすると、彼はそのままで構わないと言ってきた。俺が理由を問うと、
「あの家はあのまま貸し出そうと思っているのですよ。天才と名高いザカライアス・ロックハート様、シャロン・ジェークス様が過ごされた家なのです。既に引き合いも来ておるのですよ、今年の受験生から」
「なら、余計にすぐに使える状態にしないといけないんじゃないか?」
俺がそう言うと、マクラウドは首を大きく横に振り、
「魔法で風呂を沸かす。氷を作って物を冷やす。ここドクトゥスでもこのようなことを魔法で行う方はおられません。半ば伝説となっているのです、ロックハート様たちは。ですから、あなたにあやかりたい者にとっては、そのままの状態のほうが都合がよろしいのです……」
どうやら、有名な文豪が過ごした家のような扱いになっているらしい。マクラウドは更に家具類もそのままの状態で引き取らせてほしいと言ってきた。
俺としては荷物になるだけであり、処分しようと思っていたので渡りに船だったが、周囲の俺に対する評価が過大すぎて、正直居心地が悪い。
必要なもの以外、すべて引き取ってもらうことにしたのだが、ほとんどの物が引き取りの対象となった。そして、査定された金額に驚かされる。
「千Cでいかがでしょうか?」
「千? 百Cの間違いじゃないのか? 大して価値のあるものなど残っていないが」
元の値段は大したことがなく、五年間使い続けた品だ。
正直なところ、家具を売ったとしても大した金にはならないと考えていた。しかし、マクラウドはそれを千C、百万円ほどの値を付けてきた。
「いえ、千で問題ございません。それだけの価値はございますので」
俺が首を傾げていると、マクラウドは揉み手をしながら、話を続けていく。
「その代わりと言っては何ですが、一つだけお願いがございます」
俺は思わず、「願い?」と聞き返していた。
彼は大きく頷くと、
「ロックハート様がお過ごしになられたという証拠を残していただきたいのです。例えば、不要になったノートや、修行でお使いになられた木剣などを……」
よくよく話を聞くと、受験生や学院生相手に縁起の良い物件があると言って、付加価値を付けるつもりのようだ。
(確かに五年間、首席と次席を譲らなかった者が住んでいた家だ。縁起は良いのかもしれないが……確か月五十Cだったはずだ。どれくらい上乗せするつもりなんだろうな? まあ、双方が納得しているなら問題はないが、商売のネタにされるとはな……)
興味を持ったので、どのくらい上乗せするつもりか聞いてみると、五十上乗せし、月百C、つまり倍の値段で貸し出すとのことだった。
「それでも借りたいという方が多いのですよ。ロックハート様に千Cお支払しても、二年とかからず回収できます。もちろん、あなた様のように値切ってこられることもありませんし」
マクラウドに笑いながらそう言われると、俺は苦笑するしかなかった。
(逞しくなったものだ。商会が大きくなっていくのも頷けるな……)
出発の朝、俺は使わなくなった木剣や魔道具作成に使った作業台などに自分のサインを入れ、マクラウドに渡す。
喜ぶマクラウドを他所に、俺は五年間住んだ家の中をゆっくりと見回した。同じようにシャロンも感慨深げに家の中を見ている。リディ、ベアトリス、メル、ダンも同じように一緒に過ごした時を思い出しているようだ。
五分ほどそうした後、俺は五人に「そろそろ行くか」と声を掛ける。
五人は皆笑顔で頷き、荷物を手に家を出ていった。
俺たち六人は商業地区の宿に泊っている父たちと合流するため、新市街に向かった。
街には昨日の夏至祭の興奮が未だに残っているが、それでも祭の後のやや寂しげな雰囲気も感じられる。
宿に着くと、すぐに双子のセオフィラスとセラフィーナが「ザック兄様!」と言って、飛びついてきた。二人とも俺によく懐いてくれ、夏休みに帰省すると二人の相手をすることが多かった。
二人は今年で十歳。
二人とも祖父に師事し、剣術を学んでいる。妹のセラは途中でやめるかと思ったのだが、未だに修業を続けている。本人に聞いてみると、メルの影響が大きいようだ。
ラスモア村ではセラだけでなく、若い女性たちも剣術や槍術を学び始めている。村が豊かになるに従い、自分たちの村を守ろうと考える少女たちが増えているのだ。
母と双子のセオとセラ、そして一番下の妹ソフィアが馬車に乗り、父と護衛の従士たちは騎乗で移動することになる。
俺たち六人も馬車の護衛ということで、冒険者ギルドで借りた馬に乗っていく。
馬車は母たちが乗る二頭立ての黒塗りの物の他に、四頭立ての大型の物があった。
父に話を聞いたところ、ラズウェル辺境伯への土産が積まれているとのことだった。
具体的には三年物のスコッチが二樽と、同じく三年物のマール――ワインの搾りかすから蒸留したブランデー――が一樽、そして、アップルブランデーが三樽。更に香りのよい石鹸が木箱一杯分あった。
父に「十年物でも良かったんですけど」というと、
「今回はロックハート家として贈るものだからな。ならば、普段出している三年物の方が良いと思ったのだ。それにそもそも、あれはお前のものだ」
「別に手紙でお伝えいただければ、私に異存はありませんでしたよ」
父は小さく首を振り、深刻そうな顔で、
「正直なところ、あれを出していいと分かるのはお前だけだ。それにな、あの“ザックコレクション”を出すのは躊躇われたのだよ。まずはアルスに持っていかねば、何が起こるか分からん。そんな恐ろしいことができると思うか?」
俺が確かにその通りだと頷くと、父は大きく噴き出して、「冗談だ」と笑う。
俺には冗談に聞こえなかった。
ドワーフたちの怨嗟の声が聞こえたような気がしたのだ。
そう思ったのには理由がある。
父はここドクトゥスの鍛冶師ギルドの支部にスコッチを一樽贈っている。ロックハート家の当主が通ると知ったドワーフたちのことを考え、彼らを鎮めるために贈ったのではないかと考えていた。
念のため、父に理由を尋ねると、
「ペリクリトルのノートン商会の者から聞いたのだが、ドワーフにはスコッチの匂いが分かるそうだ。もし、大きな街でスコッチを置いていかないと、街のドワーフたちが馬車の後をゾロゾロとついていって街からドワーフが消えるかもしれんと言われたのだ」
俺はやはりそうかと思い、再び頷く。
ラスモア村からペリクリトルにスコッチを運んでいるノートン商会が言うのならありえる話だ。
父は俺の深刻そうな顔を見て、「これも冗談だ」と言いながら、再び大きく噴き出していた。
「ゼルギウスという鍛冶師に、お前たちは世話になったのだろう? ならば、礼の代わりに一樽くらい置いていっても良いかと思ったのだ。しかし、ドワーフたちのことになると、お前は面白いくらい過剰な反応をするな」
再び父に担がれたようだ。
だが、鍛冶師ギルドの騒動を思い出すと、ありえないことではないと思ってしまう。これは仕方がないだろう。
俺は話題を変えるために、リンゴ酒の蒸留酒、アップルブランデーのことを聞いた。
「リンゴ酒の蒸留酒の割合が多い気がするのですが?」
「ああ、リンゴ酒なんだが、意外と飲みやすくてな。少し悩んだのだが、ドワーフはともかく、飲みなれない人間ならこちらの方が喜ばれると思ったのだよ。あとはご婦人方にニコラスが特別に作った石鹸を用意した。未だに香りの出し方はうちの村が一番うまいそうだからな」
(改革プランを始めて十年ちょっとか。何とか特産品らしいものが出来たし、成功と考えてもよさそうだな)
出発前、三人の従士、ガイ、バイロン、イーノスが揃い、バイロンが野太い声で自警団の若者、ブレット、シド、マーク、ジム、ケビンの五人に準備を命じていく。
今回の従士たちの指揮は領主である父が執るのだが、このような雑事はバイロンが仕切っていた。
本来なら、先任に当たるガイが担当するのだが、これについては彼が自ら辞退したそうだ。
彼にしては珍しく自信無さげな表情で理由を教えてくれた。
「戦いだけならいいんですが、お偉いさんを前に私が指揮を執るのはちょっと。やはり、慣れているバイロンのほうが適任かと思ったのですよ」
確かに街道での護衛や戦闘の指揮なら、ガイでも十分に務まる。だが、今回は上級貴族であるラズウェル辺境伯領での行事もある。
彼は元冒険者であり、森の中での実力はともかく、辺境のラスモア村で従士になったことから、貴族相手に正しい儀礼を守れるか自信がなかったようだ。
そのため、カウム王国の元守備隊指揮官、バイロンにその任を譲ったそうだ。
ガイはウォルト――従士頭のウォルト・ヴァッセル――に礼儀作法を叩きこまれたことが、トラウマになっているようだ。
そのバイロンだが、彼は二メートル近い体躯を誇る偉丈夫であり、祖父に鍛えられ、古強者然とした雰囲気から一介の従士には見えない貫禄がある。
実際、十年ほど前まで百人の部下を率いていたから、当たり前と言えば当たり前なのだが、こういった行事には従士頭のウォルト以上に適任かもしれない。
話は変わるが、バイロンは従士に取り立てられた翌年、村の若い娘、彼より二十も若い娘と結婚している。そして、二年前に長女を、昨年長男が生まれている。
そのせいか、以前より表情が柔らかくなり、今では荒くれ者を率いていた傭兵隊長という雰囲気は微塵もない。
彼にそのことを言うと、無骨な顔に照れ笑いを浮かべながら、
「まさかこの年で結婚できるとは思っていませんでした。不安定な傭兵稼業では家族を養うなど考えられませんでしたからな」
実際、街道で護衛をやっているような傭兵は独身者が多い。短くても一ヶ月は家を空け、なおかつ、危険の多い仕事であり、魔物を狩る冒険者より未婚率が高いそうだ。
逆に村に定住している農民たちの婚期は早く、同行している自警団の若者のうち、三人は既に結婚している。村の若者なら、二十歳そこそこで二、三人の子持ちというのは珍しくない。
バイロンやガイとそんなことを話しているうちに、イーノスたちは出発の準備を整え終わっていた。
そして、出発の準備が整ったことを確認した父が馬に跨り、「騎乗!」と命じる。
すると、先ほどまで穏やかな表情をしていたガイとバイロンは、一気に表情を引き締め、自警団の若者たちと共に紋章入りのマントをなびかせながら馬に跨った。
その姿は一糸乱れず、精鋭の騎兵部隊と言っても良いほどだった。
ちなみに礼装用のマントは黒地にロックハート家の紋章入りだが、通常装備は迷彩柄になっている。夏用のウッドランドパターンと、冬用の白っぽいタイガーストライプの二種類が正式装備として採用されている。
俺たち六人も合図と共に騎乗し、父の出発の合図を待つ。
そして、父の「出発!」という短い合図で、五年間過ごした学術都市ドクトゥスを後にした。
俺たちは西行きの商隊と共に行動することにしていた。




