57.VS笠原シロウ! 雷!
二回戦目が終了すると、戦場はとても静かになった。
部長が負けた。
心のどこかでは「勝てる」と、根拠はないが信じていた電脳部一同が、先の顛末に「まさか」という恐怖と緊張、そして少しの期待と歓喜に心を満たした。
一ゲーマーとして打算なく強者を歓迎する気持ちと、絶対に負けられない試合に臨んでいる現状。
折り合いが付けられず、何も言えなくなってしまった。
「――おい、やっぱ部長すげーな」
「――おう。ありゃシャレになんねー」
イッキとカイジは、こそこそとそんな言葉を交わす。
たった数秒のバトルだが、電脳部部長・中村シュウジの腕が相当なものであることがよくわかった。
はっきり言えば、想定以上だ。
攻め手を間違えなければナトリは負けていただろう。いや、ナトリが相手じゃなければイッキとカイジには勝てたかもしれない。
「ガチでヤバイで、山本くん」
戻ってきたナトリは、ニヤニヤ笑いながらプレッシャーをかけた。
「次出てくるチャラ男、あの部長より強いんやろ? 勝てるかなー? んー?」
「勝つに決まってんだろ! つか部長も俺なら楽勝だったし!」
「ほー? ふーん? 内心『もし自分がやってたら負けてたかも……』とか考えとったんちゃうか?」
「かかかかかか考えてねーよ! バーカバーカ! バーカ! 考えてねーよ!」
非常にわかりやすい虚勢である。
「萩野さん、まだ出番が」
微妙にレンの背後に隠れつつ熱心に観察しているカネツグが、まったくもってあたりまえのことを指摘した。
そう、この団体戦は勝ち抜き戦である。勝利したナトリは連戦することができるのだが――
「あかん。もう戦えへんから」
ナトリのヴィジョン【焔魔】の胸に突き立てられた銀の槍は、筋肉に阻まれ心臓まで到達せず、急所突きが成らなかった。
しかし、槍を抜いたら、恐らく【焔魔】は戦闘不能になる。
一撃必殺にはならなかったが、致命傷ではあるのだ。
(本当に危なかった)
ナトリの勘だが、あと2、3センチも押し込まれていれば、負けていた。
それはナトリが中村シュウジに読み勝った結果ではあるが、予想や予測を裏切るカードという存在がある。
中村シュウジのヴィジョン【呀流】の外観で、「勢いのない突きなら大丈夫」と予想した。力で押すタイプではなく、スピードと技巧を利用したタイプだろう、と。
しかしそこにカードによる【強化】という要素は省いていた。
もし筋力を強化するカードをセットしていたら、今頃中村シュウジは笑っていただろう。
――まあ、カードのことまで予想に加えて考えたら切りがないので、やはりナトリが読み勝ったというのが全てである。
致命傷を負ったあの有様で連戦なんてできやしない――と考えて、すでにナトリは己の【ヴィジョン】を引き上げている。なので今更つっこまれてもナトリの棄権は撤回が利かない。
「でも」
あと一息でやられようとも、その一息は電脳部最後の一人が押し込まねばならない。
つまり、最後の一人が繰る【ヴィジョン】の外見や動きなどの情報を、後続のイッキに伝える役目は果たせる。どんな状態であれ棄権するより続行した方が絶対に有利である。
カネツグの言っていることは合理的で正しい。何一つ間違っていない。実際、電脳部はイッキらのことを調べてきている。その分だけ部室占領組は不利であることは明白。
だが、あえて言おう。
「多少知ってるより、なんも知らんままやった方がおもろいやろ? なあ山本くん?」
「ったりめーだろ! 何が飛び出すかわかんねーから楽しいんだ!」
まったくもって同感である。ナトリもそうだし、イッキはもっとその気持ちが強い。
相手のことを何も知らないままの一戦は、とても怖くて、とても楽しいのだ。それは新作ソフトでも対人戦でも同じである。
まるで初めて【ユニオン】に触れた時のような心の高ぶりが、長く触れている今でも感じられる瞬間でもある。
「いいよなー。相手ランカーだろー? いいよなー」
カイジもそうだし、レンもわからなくはない感覚だ。――残念ながら、カネツグはまだそこまで深く楽しめていないのだろう。
いずれわかるはずだ。
「ほな、あとは任せたで」
と、ナトリは右手を上げた。
「おいカネツグ、俺が勝つとこちゃんと見とけよ!」
――パン!
その右手を、イッキはすれ違いざま思いっきり殴った。
「行ってくる!」
ナトリが棄権して引っ込むと同時に、中村シュウジも引っ込んだ。
「いや、まいった。まさか負けるとは思わなかった」
全幅の信頼を寄せていた部長が、負けた。
この事実は電脳部部員全員に衝撃を与えるとともに、やはりどこか喜びに似た感情が湧き起こさせた。
中村シュウジは、近辺の中高生と比べても強い方である。
そんなプレイヤーが、【ユニオン】を初めて2、3ヶ月という初心者に負けた。
人間の脳の構造上、男性より女性の方が【ユニオン】の操作に優れているという風説もあったりするが、それを差し置いても萩野ナトリのセンスが並外れているということだ。
この時点で、中村シュウジの気持ちは固まった。
――この生意気な連中は、絶対に逃がさない、と。
今後どんな関係になってどんな形になるかはわからないが、関係は断たない。せいぜい電脳部のレベルアップに利用してやろうと決めた。
「部長……」
心配げな副部長は、続けるべき言葉が見つからなかった。
強さを知っているがゆえに負ける心配なんてしていなかった部長が負けた。そしてこの厄介事の原因のようになってしまったヤエの心中は、穏やかではいられなかった。罪悪感で胸がいっぱいだ。
そんな副部長に対し、当人は本当に平気なのだが。
「気にすんな。俺も気にしないし」
久しぶりに完敗したものの、別に負けたからって何があるわけでもない。むしろ嬉しいくらいだ。これだけ強ければ一緒に遊ぶだけでも勉強になるだろう。
「部室を半分返上」を約束している今、中村シュウジにとってこの団体戦は消化試合である。――むろん、責任感が強く真面目な鮫島ヤエが気にするから勝つつもりではいたが。手を抜いたりなんかしていないし、現状考えうる最高の戦いをしたとも思っている。
まあ、強いて敗因を上げるとすれば。
ヤエ同様に、中村シュウジも、全幅の信頼を寄せる三人目がいたから、その分だけ気が楽だったかもしれない。
「笠原、あと頼むな」
「ういっす」
軽薄な笑いを浮かべたままの笠原シロウが、座っていた机から立ち上がる。
「――ヤエちゃん、君のためにがんばるよ」
真剣勝負を直前に控えても、ニヤニヤ笑いながら軽い気持ちで女を口説くこの男の軽口。
いつもなら、唾でも吐きたくなるほどイライラがこみ上げてくるのだが。
今だけは、これほど頼もしいものなのか。
3対3の勝負で、内容はともかくほぼ互角の結果で最終戦を迎えることができた。
不足なくこの笠原シロウに繋げることができた。
ランカーの称号は伊達ではない。圧倒的な強さを誇る笠原シロウなら、なんの心配もいらない。
……まあこんな後がない状況でも、基本イラッとすること自体は、あまり変わらないようだが。
一週間前に突如起こった、電脳部部室乗っ取り事件。
その決着が、この一戦に掛かっていた。
「おい小僧」
【ユニオン】を装着する笠原シロウの顔は、半分隠れた。
イッキはすでに【ユニオン】を装着し【無色のレイト】も呼び出し、準備は完了している。
遅刻してきてやたらニヤニヤしている噂のランカーが今、【ユニオン】越しに強い視線で睨んでいるのが、イッキにはなんとなくわかった。
なんだかヘラヘラして真面目さの欠片も感じられない態度が嘘のように、視線はまっすぐに向けられている。
「おまえには個人的な恨みがある」
「あ? なんで?」
イッキの記憶が確かなら、見覚えもなければ戦ったこともない、一学年上の兄ちゃんだ。恨まれる憶えはない。
というよりだ。
「いいから早くやろうぜ」
そんなことはどうでもいい。話ならあとでいいだろう。
これから念願だった噂のランカーと戦えるのだ、気が逸って仕方ない。
「まあ男相手に手加減なんてするつもりはないが」
笠原シロウがパチンと指を鳴らすと、白いヒーローの前に見たことのない【ヴィジョン】が現れた。
――名前は【四谷来明】。細身の身体を黒の学ランに包み、表情が伺えないほど目深にかぶった学帽。同色の外套を羽織り、腰に刀を吊った學徒……というより、昔の軍人に近いかもしれない。
「……えー?」
笠原シロウのヴィジョン【四谷来明】を見て、イッキの上がりっぱなしだったテンションが急降下した。
「マジかよこれ……」
「あ? なんだ? ビビッたのか?」
「いや、なんつーか」
イッキは溜息をつきつき、溜息混じりに答えた。
「あんた結構運が悪いだろ?」
「運?」
急に何を言い出す。笠原シロウには意味がわからない。
だが、次の言葉の意味は嫌でも理解できた。
「悪い。俺、刀使いにはもう負ける気しねえんだ。どんなに強くてもな」
やる気が失せたイッキに反比例し、燃え上がったのは笠原シロウである。
「おもしれーな。そこまで言うなら、負けたら土下座くらいしてくれるよな? 謝るだけの理由もあるだろ。こんだけ色々迷惑かけてくれてんだしよ」
もちろん己にではなくこの生意気な小僧が傷つけた愛しの副部長に対して――なのだが、イッキはそこまで言わせなかった。
「いいよ。それで。動物園やりたいし早く済ませようぜ」
あまり意味のない豆知識
笠原士郎のヴィジョン【四谷来明】の吊っている刀は、正確には軍刀と呼ばれるものです。オリジナル武器なのでモデルはありませんが、使用されている金属が違う以外は普通の刀と一緒です。




