49.乗っ取った!
混乱の中、事を起こした悪ガキ三人だけが状況をきちんと理解していた。
一年生も先輩たちも驚いている中、注目して見ればわかっただろう、一人だけ騒いでいない女性がいた。
――二年生、今年の春から電脳部副部長を務める鮫島八重だ。
電脳部屈指の実力者で、現ランカー候補である。常に刺すようなキツい視線と、首の後ろで結わえただけの黒髪がしっぽのように見えるのが特長だ。
「帰れ」
浮き足立った部員たちを戒めるような声を発し、鮫島ヤエはゆっくり立ち上がる。
そして、ジャングルジムの頂上を制してはしゃいでいるガキを見上げた。
「ガキの遊びに付き合っているほど暇じゃない。おまえは家じゃなくて小学校に帰ってやり直してこい」
「ふーん」
ガキはニヤリと笑うと、腰を屈めて眼前まで迫り睨む。
「強そうだな。あんたがランカーか?」
「答える必要はない。早く帰れ」
すげもない返答である。大人の対応と言えばそれまでだが。
挑発的な笑みを浮かべたままのイッキと、氷のような眼差しで見上げる鮫島ヤエ。
独特の緊張感が広まり、シンと静まる中。
「なんや逃げるんか?」
事を見守っていたレンは、思わず「なにい!?」と言いかけた口を塞ぐ。――そう、言ったのは「気が合いそうだな」と思い始めていたあの萩野ナトリである。
「そいつにケンカ売ったんは、先輩らが先やろ。人の戦歴笑ったんやから怒って当然や。せやからそいつはケンカ買う言うとるだけやないの。――まさか逃げへんよな? 第九中学校の電脳部はこの前まで小学生やっとったガキが怖いか? 大したことあらへんな」
しかも止めるどころか挑発した挙句に互いの退路まで絶った。なんという策士……!
「そうだそうだ!」
カイジはいらない合いの手を入れた。
「俺たちが勝ったらこの電脳部を貰うぜ!!」
だが彼は新たな爆弾を投下してしまった。
勝ったら、電脳部を、もらう?
耳を疑うような宣言である。
「あ? いらねーだろこんな部」
机に乗りっぱなしで一人偉そうな高みにいるイッキは、カイジの爆弾に異を唱えた。本当に不必要なアドリブだったらしい。……まあどこまで考えてこんな大それたことをしているのか甚だ謎だが。
「いいじゃねーか。遊び半分で笑われたんだ、遊び半分で奪っちまおうぜ」
「マジで? ……よし、じゃあ貰っとくか」
(軽いノリで決まったーーーー!)
レンは心の中で叫んだ。もう大声でツッコミを入れたい衝動が抑えきれなくなりそうだ。
「うんうん」
(なんかうなずいてるーーーー!)
さすがにこれはナトリも止めるだろうと思えば、「あの子も成長したわね」と言わんばかりの我が子を見守る母親のような穏やかな笑顔でそこにいた。
殺伐とし始めたこの空間で、あれほど穏やかな表情でいられるとは……イッキとカイジの友達らしく、彼女もやはり何かが変わっているのだろう。
「――わかった。やってやる」
このまま帰るつもりはさらさらないことを悟った鮫島ヤエは、英断を下した。誰かが「副部長」と呼ぶ。こんなのに付き合う必要はない、という非難めいた響きがあった。
「おまえらは部に入れない。餞別代わりに戦ってやるから、終わったら帰れ。二度と来るな」
「それでいいぜ。よろしくな、副部長」
望み通りの返答を聞き、イッキはいたずらの成功した子供のように笑った。
電脳部副部長・鮫島八重の操作するヴィジョン【弾丸のホルン】は、ひざ下丈の重そうなスカートを履いたメイド服の少女で、両腰に銃を吊り、ワンポイントの模様が入った眼帯をしている。
本人と同じく厳しそうな顔立ちで、メイドというよりは殺し屋という雰囲気が強い。
対するのは、イッキの【無色のレイト】である。相変わらずサングラスに変身スーツに赤いマフラーで、一年前に作ってから一切イジッていない。
一年生と先輩たちが見守る中、イッキと鮫島ヤエは【ユニオン】を装着し、部室の中央にあるコートを挟んで対峙した。
カウントダウンが始まる。
「へー。副部長は銃使いか」
「なんなら使わなくても構わない。それくらいのハンデはやる」
「いらねー。早撃ちでもなんでもしろ、待っててやるから。ほら、構えもなしでいいぜ」
「……本当にムカつくガキだな」
プレイヤー同士【ユニオン】越しで睨み合い、火花を散らす。
――5 4 3 2 1 決闘!
開始の合図とともに、【弾丸のホルン】は右腰の銃を抜いた。
愛銃【カナビス】。鉄筒を木材で補強したようなアンティーク調の単発銃だ。よく見るサイズのハンドガンと比べるとやや銃身は長めで、ハンドガンとショットガンの中間にあるような形である。
構えからショットまでの時間に1秒も掛からない。
無名のプレイヤー相手なら、その速度は速攻にして必殺の凶弾になりえる。
パン、と軽い銃声がして――弾丸が消えた。
「……」
【弾丸のホルン】が伸ばす右手の先の銃口は、まっすぐ【無色のレイト】を捕らえ、弾丸を撃ち出した証拠のように硝煙を上げている。
――弾丸はどこに行った?
目にも止まらない速さの小さな飛行物質がどこへ行ったのか。
行く先が見えていたのは、この場の数名だけである。
カイジとナトリは当然として、その他は――
「終わりか?」
イッキの声を聞いて我に返ったのは、対戦相手である鮫島ヤエと、観戦しているレンである。
鮫島ヤエとレンは、同じ気持ちを抱いていた。
冗談じゃない、と。
あんなこと、負けが込みすぎている無名プレイヤーができることじゃない、と。
弾丸は、【無色のレイト】が取った。棒立ちのまま左手だけ素早く、見えないくらいの速度で動かし、弾丸を取って握った。
見間違えじゃなければ、消えた弾丸は白いヒーローの左手の中にある。
「これで終わりなら、俺の勝ちだぜ?」
その言葉ははったりじゃない。
今の動き一つ見ただけで、この2000敗の悪ガキの実力が垣間見えた。避けるだけならまだしも弾丸を取るなんて芸当、そこらの無名プレイヤーには不可能だ。
「……なめるなよガキ」
【弾丸のホルン】は焦りのない動きで右手の単発銃を折ると、弾丸を装填した。懐かしいブレイクアクションである。趣味と嗜好が色濃い武器だ。
再び右手を伸ばし、白いヒーローに狙いをつける。
――今度は本気だ。
鮫島ヤエは、切り札を使うことを決めた。
出し惜しみを考えないところにランカー候補としての優れた判断力が光る。
使いたくはないが、この悪ガキが本気を出す前に仕留めておかないと、かなりまずいことになる――鮫島ヤエの直感がそう告げていた。
「――【模写】」
銃を構える【弾丸のホルン】の左右に、4丁の【カナビス】の模造品が生まれる。撃ち手と連動したそれは宙に浮いたまま、本体が狙いを定める標的にピタリと銃口を向けている。
「お、魔法か。それ初めて見るな」
イッキはそれを見ても呑気な声を上げるだけで、動かない。
「――【鏡写】」
模造品を鏡に写したかのように複製する。
「――【三重奏】
一度だけ飛び道具による攻撃を三倍にする。
「――【破壊の法則】
一度の攻撃で武器が壊れる代わりに、威力または掛かっている魔法効果を五倍にする。
気がつけば、121丁もの銃が【無色のレイト】を狙っていた。アンティークガンに囲まれた【弾丸のホルン】は、まさに無情な殺し屋のようだった。
「――銃撃」
121丁の銃が一斉に火を吹いた。
「で? 終わりか?」
唖然としていた。
先の戦歴を聞いた時と同じで、驚くというより、目の前の現象が信じられなかった。
「次はないんだな。てっきり次の大技の繋ぎか目くらましだと思ったんだが」
【無色のレイト】が煙を上げる両手を開くと、121個の弾丸がガラガラと床に跳ねて転がった。
「っ……おまえ!!」
鮫島ヤエは怒りに震え、【ユニオン】を外してイッキに詰め寄った。眉を釣り上げ胸ぐらを掴み、ともすれば本気で殴りかねない勢いだった。
「おまえランカーだろう!? 戦歴は嘘だな!?」
「あ? 何言ってんだ?」
そんな状況になっても焦ることなく、イッキは【ユニオン】越しに鮫島ヤエを睨みつけた。
「さっき二度も言ったぜ? 俺は試合総数2451回で、119勝2332敗だ。……あ、今勝ったから120勝な」
バトル中に【ユニオン】を外したので、鮫島ヤエは記録上負けとなっている。
「ふざけるなよ! 無名のプレイヤーにあんなことができるか!」
「疑うなら調べろよ。――つーかよ、ゲームで負けたからって手ぇ出すのはゲーマー失格だろ」
そう、これはゲーマーとして恥ずべき行為である。いくら頭に血が上ったとしてもやってはいけない行為である。
鮫島ヤエは「くそっ」と言葉を吐き捨てると、近くにあった椅子を蹴飛ばした。
「よーし勝負ありだな!」
成り行きを見守っていたカイジが、ここぞとばかりに口を出した。
というか身体まで出した。
何が何やらという雰囲気で状況がよくわかっていない窓際の先輩たちに……というかさっきまで偉そうにしていたボーダーシャツにノッポの前に歩み寄ると、わざとらしくキョロキョロと周囲を見る。
「あれ? ついさっきここは俺たちの部室になったのに、先輩たちはいつまでいるの? 邪魔なんだけど」
「なんだと!?」
さっきのおかえしとばかりにイラつかせた。性格の悪い。
「ここからとっとと出て行けっつってんだよ! 今からこの電脳部は俺らのモンだからな!」
大変なことになった。
入部希望で来ていただけの一年生は当然として、その一年生の前で大恥を掻かされた挙句に部室まで取られた先輩たちが戸惑うのも当然だ。
「副部長、どうするんだ?」
本当にどうしていいかわからなくなってしまった先輩の一人が、悔しさに拳を握り締めている鮫島ヤエに問う。
今ここにいる電脳部の責任者は副部長の鮫島ヤエで、この状況を作ってしまったのも彼女だ。
あんな悪ガキの悪ノリでしかない口約束に従う必要なんてないが、しかしまだ入部していない部外者である一年生という第三者に思いっきり見られていた勝負で、誰の目から見ても明らかに負けたのだ。
なんらかの落としどころがないと、誰も納得しないし、納得できない。
「……私は退部する」
とんでもないことを言い出した。
「電脳部と私は関係ない。私が勝手に勝負して、……負けただけで、電脳部には一切関係ない。それで……部室は許してくれ……」
断腸の思いが目に見えるような声で、鮫島ヤエは責任のすべてを己のクビで補うと宣言した。
さすがのシリアス展開に、悪ノリが過ぎていたカイジが凍りついていた。
別に誰かを追い込みたいわけではなかった。誰も望んでいない退部なんて求めるつもりもなかった。ただ本当にランカーと勝負しに来ただけなのだ。
しかし、バカにもわかる。
何かしらの責任の取り方をしないと、本当に誰も納得しない。ここで悪ガキどもが「やっぱいらね」と言って部室を出て言っても、「無名のガキどもに負かされた電脳部」という事実はそのまま残ってしまう。
副部長の退部なんて受け入れられるわけがない。さすがに絶対受け入れられない。
だが相応の代案がないと、もう言ってしまった鮫島ヤエも納得できない。
この重い沈黙をやぶったのは――このバカだった。
「ごちゃごちゃうるせーな。負けた奴はさっさと出て行けよ」
イッキである。【ユニオン】を外しながらさらりと暴言を吐いた。
「あんたのクビなんていらねーよ。部室の方がいい」
「お、おまえ……!」
まったく気持ちを汲まない悪ガキに、鮫島ヤエは、今度こそ本気でブン殴るつもりで詰め寄った。もうゲーマーのマナーだのなんだのどうでもいい。とにかくこのガキを一発殴らないと気が済まない。
本気で右手を振り上げ、……振り下ろすよりイッキの口撃の方が早く、そして正確だった。
「ゲームで取られたものならゲームで奪い返せばいいだろ。噂のランカー連れて来いよ。なんならあんたが俺より強くなりゃいいだけの話だしな」
考えもしなかったが、まさしくその通りだった。
責任を取るというなら、自分が辞めるのではなく、自分の手で奪い返せばいい。
「どいつもこいつも諦めるのが早いんだっつーの。少しくらいがんばれよ」
こうして、電脳部は一年一組の悪ガキに占領された。
あまり意味のない豆知識
実は後半部分は、相川レンと一緒に萩野ナトリもハラハラしながら状況を見守っていました。




