02.初バトル!
完全週休二日になって久しい土曜日、「【ヴィジョン】ができたから来いよ!」とイッキに呼ばれ、ケイイチは午前中から山本家の居間にいた。
「イッキー?」
「まだ待てって! 最後の調整中だ!」
姉と兼用で使っている子供部屋に閉じこもり、イッキは「最後の調整」を行っている。普段は開けっ放しの部屋なのに、わざわざふすままで閉めて。
ケイイチはかれこれ1時間は待っているのだが、イッキはまだ出て来る気配がない。
変色した畳が敷き詰められた居間。置いてあるものはちゃぶ台と小さな食器棚と一昔前の薄型液晶テレビ。
山本家は質素である。
今イッキがいる子供部屋も似たようなもので、掃除が行き届いている以外は、どうしてもボロ屋にしか見えない。
でもなぜだろう。
ケイイチは初めてここに来た時から居心地が良く感じていた。基本的に人見知りするし、始めて行く場所なんて言われたらそれだけで緊張もしてしまうほどの小心者で上がり症なのに。
「ごめんねケイイチ君」
「イッキが僕を待たせるのはいつものことだから」
イッキの姉であるシズは、すっかり昼食の準備も終えて、ちゃぶ台を挟んでケイイチと向かい合っていた。
「最近、イッキはずっとこんな調子なんだけど……そんなに【ユニオン】って楽しいの?」
「はい、えっと、……中学でも流行ってるんじゃないですか?」
「そうだね。女子を含めても全校生徒の三割くらいは遊んでるかもね」
「シズさんはやらないんですか?」
「うん。どうせ【ユニオン】もないしね」
来年はケイイチ君も中学生になるんだね、なんてことをだらだら話すこと更に1時間、ついに開かずの扉がバーンと開かれた。
「待たせたなケイイチ!」
「本当に待ったよ」
呼び出しておいて2時間以上も待たせるのだからたまらない。正直ケイイチは一度帰ろうかと思っていたくらいだ。昼食に出されたカレーもすっかり食べてしまったし。
「まず謝りなさいよ。それからカレー冷めるから早く食べちゃいなさい」
「それより見てくれよ、俺の【ヴィジョン】!」
姉の忠告を無視し、イッキは妙なポージングで叫んだ。
「出ろ! 【無色のレイト】!!」
音声登録を済ませてあれば、特定のキーワードを呼べばそれは現れる。
空間にノイズが走る。
人型のノイズが走る。
立体のノイズが走る。
それは一瞬の視界の雑音で、ジジッと空間が軋むわずかな音を経て――ほんの一秒足らずで【それ】はちゃぶ台と冷めたカレーにめり込んでいた。
白いスーツの変身ヒーロー、それが率直な感想だった。
レザー質感の硬くしなやかな全身スーツに包まれた本体は細身ながらも締まった身体をしている。背はさほど高くなく170センチくらいを設定しているようだ。飾り気はほとんどなく、精悍な顔立ちの青年がサングラスを掛けているだけのフェイスタイプに、特徴のない茶色の短髪が風もなくたなびいている。両足の赤いブーツと、赤いグローブの両手の甲に埋め込まれた大きな水晶玉のようなものが、特徴と言えば特徴か。
モデルネーム【無色のレイト】は残像の見えるエフェクト使用で右手を上げる。拳を握ると、手の中で白い炎が弾けた。そしてその右手をへその辺りに滑らせる――と、何かが足りなかった変身ヒーローの腰に黒いベルトが巻かれる。黒いプレートの上に張られた銀色のベルトのバックルには「010」の文字。なるほどあれで「0・10」と読むらしい。
しげしげと見詰める姉とケイイチに、イッキは得意げな顔で胸を張る。さあ早く褒めろ、という期待の顔で。
ケイイチは言った。
「普通の兄ちゃんみたい」
「な、なんだと!?」
「うん、普通だね。白い変身スーツ着た普通の人だね。ヒーローショーやってる休憩中のバイトの人みたいだね」
再現しようとすれば【リザードマン】や、それこそ人型を外れた【竜型】まで、千差万別のキャラクリエイトが可能なのに。
イッキは何を考えたのか、ただの人に等しいキャラを組み立てていた。ケイイチだって姉だって、それなりに期待していたのに。待たされた分だけ期待していたのに。
こんなに待たされた挙句、まさか普通の兄ちゃんを見せられるとは思わなかった。
演出とか小細工に凝るよりキャラに凝れよ、というのが二人の密かな本音だった。真面目に作った冗談抜きのキャラクターであることがわかっているので、さすがにそこまでは言わないが。
「普通じゃねえよ! こいつは……まあちょっと見た目は普通かもしれないけど、中身はすげーんだよ! 超すげーんだよ!」
言われて見ると、イッキも「わりと普通にまとまったな」という印象は確かにあった。夢中でパーツを漁り組み立てていた間は「これしかない」と思っていたが……少し距離を取って完成形態を見てみると、ケイイチや姉の言う感想も、わからなくはない。
だが、自分ではやはり、これでいいと思った。
「いいからそれ引っ込めてカレー食べなさい。こんな普通の人がちゃぶ台にめり込んでると邪魔でしょ。カレーに足も刺さってるし」
「人って言うな! つか普通じゃねえよ! 俺の【ヴィジョン】だよ!」
姉は「はいはいわかったから早く食べなさい」と取り付くシマもなかった。
二人のリアルな反応にちょっといじけたイッキは、ちまちまカレーを食べ始めた。
普段なら「噛んでるのか?」って不安になるくらいの早食いなのに。なんだか本人作の【ヴィジョン】と同じように小さくまとまってしまった。
「そういえば、ケイイチ君の【ヴィジョン】はどんなのなの?」
「忍者です」
ケイイチが「【風塵丸】」と呼ぶと、背後にびゅうびゅうと突風の音が聞こえる。どこからか舞い上がる枯れ葉に紛れ、【それ】はそこにいた。
冷たい青の瞳を持つ、白狼の頭部が印象的だった。二足歩行のできる銀の毛並みの狼、というのが率直な感想だ。身に着けているのは動きを邪魔しない、赤い帯で留めたファイヤーパターンのプリントが入った黒の短パンくらいだ。
アニメなどの忍者がやるように手を組み印を結んだ形でそれは現れ、すぐに消えた。
ただしまだそこにいるのは、止め処なく枯れ葉が舞うことが実証している。もちろん枯れ葉もただの特殊効果だ。
「狼男の忍者?」
人とは違う骨の関節、曲がった背とつややかな毛並み、そして揺れていた尻尾。どれを見てもそれそのままである。
「ケーチの【風塵丸】、結構強いんだぜ」
なぜかイッキが自慢する。
「【獣型】っていって、単純な運動能力なら【人間型】より優れてるんです」
悩みに悩んで組み立てた【ヴィジョン】だ。ようやく自分が納得できる、見た目も能力も両立させた集大成だ。ケイイチの密かな自慢でもある。
そしてそれは、【ユニオン】をあまり知らないシズにも、「一所懸命に作ったんだろうな」ということはちゃんと伝わっている。
「それに比べてイッキは……なんで普通の人作ったの?」
「うるせーな普通じゃねえよ! ……ちょっと普通に見えるだけだよ!」
と、イッキはカレーを掻っ込んだ。
電脳操作ヴィジョンは、思考に併せて【ヴィジョン】を動かせるのが肝だ。
二人は【ユニオン】を装着し、【ヴィジョンバトル】さながら自分の【ヴィジョン】を呼び出していた。
しかし、
「う、動かねえんだけど……」
今まで使ったことのない脳の働きを必要とするので、慣れるまでは自由に動かせない。見ている分には簡単だが、実際は慣れるまで難しいのだ。
【ヴィジョン】に実体はない。
だからこそ必要に応じてスケールダウンした縮小投影もできる。イッキとケイイチの【ヴィジョン】は今30センチほどの人形のような大きさとなって、ちゃぶ台の上に立っていた。ちなみにある程度なら拡大投影もできる。
自分も通った道である。ケイイチは根気強く、初めて操作をするイッキの練習に付き合った。その間、シズは子供部屋で勉強したり買い物に出たりしていた。
「なあケーチ、おまえどれくらい練習してあれだけ動けるようになった?」
「えっと……丸四日かな?」
購入して【ヴィジョン】を組み立てるのに三日掛かって、購入から一週間後には学校でバトルデビューしたのだ。だから四日くらいは練習しただろう。
学校に行っている時間と寝ている時間を抜かせば、ずっと練習していたように思う。
――ちなみに【ユニオン】連続使用時間は最長2時間で、2時間ごとに10分以上の休憩を義務付けられている。これは【ユニオン】使用上の注意で、脳への負担の軽減という安全性のためで、時間が来れば強制シャットダウンするようになっている。10分前にはアナウンスが入るので、ギリギリまで粘らずその段階でやめるのが一般的だ。
更にちなみに、【ヴィジョン】を出すだけならその限りではない。【ヴィジョン】を操作し、バトルするのに【ユニオン】が必要なだけだからだ。
「結構大変なんだな……」
「自転車みたいなもんだよ。慣れるまでは大変だけど、慣れたら手放しだってできるだろ」
疲れた顔をするイッキに、ケイイチは笑いながら【風塵丸】をバク宙させて見せた。【ユニオン】プレイヤーだったら誰もができるような簡単な動きなのだが、実際やらせるとなるとそれがどれだけ難しいか、今のイッキは心底思い知っている。
「……ケーチ、おまえには負けてらんねえからな。やるか!」
「君のはまだ10分経ってないよ」
気が付けば陽が落ちていた。
外が真っ暗になるまで練習は続き、
「へへっ、どうだ!」
イッキの操る【無色のレイト】は、全力疾走から側転バク転後方宙返りと、所狭しとちゃぶ台を駆け、飛び回る。
ケイイチは唸った。
「単純な奴は覚えが早いってほんとだったんだ……」
強い奴に対する悪口の定番のようになっていた「バカほど上手く【ヴィジョン】を操る」という風説が、今ここで実証されたのだ。そこには呆れではなく小さな感動があった。
ケイイチがここまでできるようになるまで、軽く丸一日は掛かったはずだ。なのにイッキは数時間で到達している。
先の俗説が当たっているかどうかはともかく、イッキの思考回路は【ヴィジョン】と相性が良かったのだろう。「イッキは強くなるだろうな」とケイイチは思った。
「うるせーな! それよりケーチ……そろそろよくね?」
イッキはそわそわしていた。
「トイレなら早くいけよ」
「便所じゃねえよ! そうじゃなくて……その、アレだよ! そろそろいいだろ!?」
「…?」
いつもいつもストレートな単細胞なのに、何を言いよどんでいる。
いまいち要領を得ないケイイチは、ふと外を見て、なるほどと思った。
「わかった。そろそろ帰るよ」
「ちげーよ! つかもう泊まってけよ! 来たり帰ったりめんどくせーな!」
「無茶言うなよ。てゆーかはっきり言えよ。なんだよ」
「そろそろ帰れ」とは言いづらいのかと気を回したら違うと言う。まあそもそもイッキはそのくらいのことははっきり言うが。
「その……バ、バトル、やろうぜ……」
「……なんで照れてるの?」
「照れてねーよ!」
どう見ても照れてるが……まあいいか、とケイイチは頷く。
「まだ早いと思うよ」
「そんなことねえだろ。こんなに動けるんだぜ?」
「動ける=戦える、ってわけじゃないよ。技とかもちゃんと練習しとかないといざって時に出せないよ。熟練者ならその時その時で色々考えて動けるんだろうけど、初心者にはそんなことできないんだから」
「大丈夫――俺は本番に強い!」
びしっ、と親指で己を指すイッキ。
意図してかどうかはわからないが【無色のレイト】も同じ動きをしていた。なかなか器用である。意図してやっていれば。
「イッキ、【ヴィジョンバトル】の戦歴って【ユニオン】の記録に残って、初期化しないと消せないんだよ。それでもいいの?」
初心者だろうが練習だろうが、バトルをやれば結果が戦歴として残ってしまう。満足に戦えもしない内に黒星なんてケチが付くのを喜ぶ人は少ないだろう。
「構わねー! 最終的におまえに勝ち越せばいいだけだしな! サービスで一勝くらいくれてやるよ!」
「ふーん。なら別に断る理由もないけど」
「じゃ、また明日」
「……]
返事はなかった。
相当ショックだったのだろう。
さすがに負けることは覚悟していたイッキも、人生初の記念すべき【ヴィジョンバトル】が、わずか2秒で終わるとは思っていなかったのだろう。
風となった【風塵丸】の爪の一撃が、【無色のレイト】の急所――喉をまともにえぐって一撃必殺だ。
――まあ初戦はボロボロに負けるものだ、とケイイチは知っている。それも自分が通った道だからよくわかっている。
猫の額ほどの山本家の庭に出たところで、今通ってきた窓がバーンと開いた。驚いてケイイチは振り返った。
「ケーチ!」
イッキが叫んだ。
「明日は負けねーからな!」
ケイイチは小さく息を吐く。
この程度でヘコむような繊細な奴じゃなかったな、と。
「また明日」と手を振った。
これから楽しくなるだろう。
春の夜、月が輝く空の下、二人とも同じことを考えていた。