37.本戦開始!
予選から一週間。
各々、更に腕を磨く時間に宛てがい、ついに本番がやってきた。
本戦。
いわゆる県大会である。
この大会の次は全国大会で、ランカー辺りの常連組は、この本戦を「全国大会の予選」と呼んだりもする。
「すごい……」
トーナメント表を見て、ケイイチの全身から冷や汗が吹き出す。
そこにずらりと並ぶ名前のほとんどがランカーか、ランカー候補だ。無名のプレイヤーなんて自分たちを含めても十人もいない。
「そんなにすごいのか?」
「うん。すごい。……あ、転送するね」
イッキ、シキ、ダイサクは個人戦に出ないので、トーナメント表が届かないのだ。
ここは本線会場……ではなく、いつものカード販売店の奥。いつも遊ぶ場所にして、一週間前はここで予選もやった。
そしていつもの五人が集まり、出入り口付近でいつも通りお菓子を買ったり食べたりしつつ適当に過ごしている。客入りは、先週と比べれば圧倒的に少ない。いつも遊ぶ時よりは少し多いくらいだろうか。本戦会場はきっとごった返しているだろうが。
単純に、本戦会場が遠いので、行かなかったのだ。
交通費の工面が厳しいイッキに、ただでさえ大会というだけで緊張しっぱなしのケイイチも、現場に行けば確実に場の空気に飲まれるだろうと判断して会場へ行くのは遠慮したかった。もちろん出場選手じゃない見学でなら喜んで見に行きたかったのだが。
ダイサクとシキは過去に本戦会場に行ったことがあるので、殊更行きたいとも思わなかった。
……カイジはちょっとかわいそうだが。
なにせ県大会出場である。それなりにすごいことなのだ。それに会場にはきっとランカーがたくさん集っている。大好きなランカーのサインとか欲しかった。
だが、仕方ない。
カイジも、イッキが行けないだろうとは思っていたので、こうなることも覚悟していた。
全国大会まで駒を進められれば、交通費やホテル代など、運営が負担してくれる。日本代表を決める全国大会なだけに、さすがに遠方の端末で参加、というのはできるだけ避けたいのだ。
全国大会は規模も大きいし、資金も相当掛けられている。ネットTVは当然入るとして、最大の目玉はあの「ユニオン亀岡」が司会として立つことだ。
生である。生亀岡である。しかも試合前にはちょっとしたインタビューもあったりして、話すチャンスまである。想像するだけでテンションはマックスだ。
「……? ……わかんねえ」
ランカー方面の知識に疎いイッキは、トーナメント表を見てもよくわからなかった。
「確かにほとんどランカーだな。特に強いのが三、四人いる。これが優勝候補だ」
ざっと見たダイサクは、そこに並ぶ100番以内の名前に目を止める。
1000番以内でも充分強いのだが、その上を行く存在は当然のようにもっと強い。普段は観られない試合だけに、やはり注目も集まるだろう。
「げ……」
同じくトーナメント表をチェックしていたカイジが、嫌な声を上げた。
「おいおい……俺、初戦100番以内とだぜ。どうすんだよこれ……」
どうやらカイジには運が足りなかったようだ。
「来年がんばろうぜ」
「団体戦があるよ」
「泣くな」
「……確かに勝てる気はしねえけど、負ける前提で言われるとムカつくわ」
少年たちが一触即発の険悪ムードになる中、我関せずとばかりにガ○ガリくんをガリガリかじっているシキは、トーナメント表ではなく店に入る人を見ていた。
今日は三階と四階の二フロアで本戦試合を消化するので、一階、二階は通常運行だ。夏休み真っ盛りなので、コートを借りようとやってくる子供たちが多い。本戦の試合を見学したいだけならネットTVで自宅でも見られるし、熱心に見たいなら本戦会場へ行く。本戦会場もそれなりに盛り上がっているはずだ。
たとえば、シキのライバルである滝川ショーリは、今回本戦会場でインタビュアーの仕事をやるらしい。公式発表の後、冷やかしにも取れる激励メールを送っておいた。
ほかにも【ユニオン】関係で有名になったプレイヤーが、タレントだかアイドルだかになったりという現象も起こっているのだが、それはまあいい。
シキは、ここらで一つ、少年たちに見せておきたいのだ。
試合の前の試合、舌戦というものを。
舌戦は、意味のないことではない。むしろ【ユニオン】ではプロのアスリートよりも顕著に効果が現れる。
相手がランカークラスでは、ちょっと声をかけられたり仕掛けられたりしただけで簡単に相手に呑まれる。すでにカイジが引っかかっている通り、肩書きという実力の裏付けでビビッてしまった。
そして実力が出せないまま負ける、ということも多々ある。というか通過儀礼とさえ言えるかもしれない。
【ユニオン】は思考で操作するのだ。
そこに雑念が含まれれば、動きが鈍るのはあたりまえのことだ。
大きな大会にはこういう戦いもあることを、ちゃんと教えておきたい。
無名選手同士ならまだしも、ランカークラスやランカー候補は、トーナメント表が配られた時から調整に入るのだ。それは自分の平常心を保つことだったり、対戦相手をまず見ることだったり――試合前にちょっとかましてみたり、ということをするのだ。
イッキやカイジ辺りは、むしろ感情が高ぶると集中力が増す直情タイプなのであまり気にしない。というか、こういう連中が始めたのだ。はた迷惑なプレッシャーを掛ける方法を。
だが、ケイイチは繊細だ。少し威圧されただけですぐ萎縮してしまうタイプである。上がりやすいし、緊張しやすい。性格だからどうしようもない。
ただ、気の持ちようである。
舌戦は、仕掛ける方もリスクはあるのだ。
ぶっちゃけ口で勝てれば、相手の戦意を削げるのだ。そしてケイイチみたいなタイプは、それで心情的に有利になったりする。有利になれば余裕が生まれる。結果実力を出し切れる。
大会に慣れていればあまり効果はないのだが、こればっかりは経験がものをいうので、初出場ではどうしようもない。
「……来た」
ケイイチの対戦相手が。
カイジは運がなかったが、ケイイチは少し運が良いらしい。対戦相手が本戦会場へ行かず、しかもシキが知っている相手だ。
「吉田くん」
「あれ? 今呼んだ?」
【ユニオン】を装着していたケイイチは空耳かと思ったようだが、確かにシキは呼んだ。
「あそこにあなたの対戦相手がいるよ」
「え?」
指差す先に、女子高生風の二人組がいる。缶ジュースを片手にこちらへやってくるところだ。
ランカー候補、【魔法人形師】。
本名は知らないが、この辺で強いプレイヤーとしてシキは憶えていた。一、二回ほど、この店で野良試合をやったこともある。
「挨拶に行こう」
「え? ……えっ!?」
戸惑うケイイチの腕を掴み、シキは歩き出した。
「――こんにちは」
シキが挨拶すると、女子高生風の二人がシキを見た。
「あ、久しぶりだね」
相手は年上らしい余裕を見せて、かつて一緒に遊んだプレイヤーに笑いかける。――優しそうな人でよかった、と無理やり連れてこられたケイイチはホッとした。
のだが。
「これ、あなたの初戦の相手です」
ケイイチを紹介した瞬間、悲鳴を上げたくなるほど表情が激変した。
「あ? 何? この弱そうなのが私の初戦相手?」
睨む眼光。
身長差を使った上からの威圧。
いぶかしげに寄せた眉。
しぼんだ餅のように萎縮するケイイチ。
さすがである。【ユニオン】歴一年以上のベテランは、軽く舌戦もこなす。
「……」
「あ? やんの? リアルファイトでも余裕だけど? 血の雨降らせてやっか?」――とでも言い出しそうな表情でケイイチを威圧しまくる横で、シキは残った○リガリくんをガリガリ食べきった。
「――怖いからってそんなに脅さないでくださいよ」
先ほどにこやかに挨拶したのが嘘のように、女子高生としてはもうギリギリな、危険すぎる視線がシキを見る。
「なんだって? 聞こえなかったんだけど」
「耳も悪いんですか? 悪いのは顔だけにしてくださいよ」
禁句をつらつら述べる隣の下級生に、隣の上級生の顔が、さーっと青ざめた。
――やはり経験させておいてよかったな、とシキは思った。
自分の、いや、味方が誰もいないところでこんなものを経験していたら、ケイイチはもう試合どころではなかっただろう。
「わざわざ挨拶に来てあげたのに、年下相手にみっともない。せいぜい試合ではみっともない姿を見せないでくださいね?」
これで言いたいことは終わったとばかりに、シキはケイイチの腕を掴んで引き返した。
途中、シキが肩ごしに振り返り目礼すると、般若のごとき恐ろしい顔をしていた女子高生は苦笑して手を振った。
ベテランである。
相手はこれが通過儀礼であることを、ちゃんとわかっていた。
「何してるの早乙女さん!? ねえ何してるの早乙女さん!?」
恐ろしい女子高生から離れ味方の中に戻ったところで、すでに半泣きのケイイチにがしと肩を掴まれた。
「何って、挨拶だけど」
悪びれもせずに、淡々と答えるシキ。――あの手の舌戦を何度も経験し、乗り越えてきたシキの度胸は、並ではない。
「よかったじゃないか」
こちらもベテランのダイサクが言う。
「試合前に向こうからあんな挨拶をされていたら、まともに戦えなかっただろう」
「……あ」
察しのいいケイイチは気づいた。
そうか、これも試合の一部なのか、と。
確かに、あんなものを試合直前にやってしまったら、もうパニックだ。まともに操作できないし、そもそもバトルどころの話ではなくなってしまう。
「これからも大会に出るなら、一人でしなきゃいけない時もあるから。慣れてね」
ケイイチは思った。
一人で大会に出るのは控えよう、と。
舌戦云々は別として、女同士のケンカっぽいものを間近で見てしまったことそれ自体が、すでにトラウマとして胸に刻まれてしまったから。
あまり意味のない豆知識
舌戦は、因縁があるならともかく、そうでもなければ後腐れはありません。が、口で負けて勝負にも負けると、ものすごい敗北感を味わうことになります。




