35.山本流星! 宅!
十代前半とは思えないほど微妙な、感情とも理屈とも取れない渋いしぶり方で嫌がる小学生を半ば無理やり、家の前まで連れ出す。
「イッキ、【魔法使い】と戦ったことはあるか?」
小学生を連れ出した大学生は、山本家の前の、車進入禁止の狭い道路で向き合う。今日も夏真っ盛りで、命を燃やして蝉が鳴いている。
「いや、ねえな……あ、この前のチャレンジイベントで戦ったぜ」
あまり気は進まないが、これも高価な玩具を貰った側の付き合いとして渋々やる気になっているイッキは、さっさとバトルしてリュウセイには帰ってもらおうと気持ちを切り替える。
「この前のっつーと、『ブレイカーズハント』だな?」
「そうそう。耳の長い、エルフっつーの?」
「【エーテルウィンド】か」
――【エーテルウィンド】は、先のイベントから壁紙から、それとネットでの人の良さそうなプレイヤーの性格から、今や時の人と言えるほど人気が高まってきている。
というのも、あのイベントの彼女は堂々と、そして悪びれもなく乱戦時には魔法・弓矢を味方に誤射するという理由で「ショボテルさん」――しょぼいエーテルさんやら、「誤射テルさん」――誤射専門のエーテルさんなどと親しみを込めて呼ばれるようになってしまった。彼女の誤射で勝負が決まるという決定的な動画が投稿され、一日十万アクセスをオーバーしたことは記憶に新しい。動画のあとに全プレだった壁紙のドヤ顔を見るとまた笑える。
もちろん運営の調整ミスのせいである。
ランカークラスで誤射などありえない。飛び道具専門なら、それこそ針の穴を通すくらい平気でやってのける連中ばかりだ。
いわれのない「しょぼい」呼ばわりである。
リアルで【エーテルウィンド】を知っているランカーや友人知人ライバルは大笑いしているが、本人はたまったものじゃないだろう。
「あれは【魔法使い】ではあるが、――その前にひどかっただろ」
「ああ」
チャレンジイベント全般が、境界線を越えていないプレイヤー向けに調整してある。なので今のイッキらには、あの辺のイベントは物足りないどころの話ではない。
近くにいる元ランカーには未だに勝てないのに、あれで「ランカーをモデルにした」なんて謳われてはたまらない、とさえ思う。
「悪い動きはしてないんだけどな、あれでも。……まあいい。じゃあこれがおまえにとって初めての魔法使い型とのバトルになるな」
イッキは知らないが、多くのプレイヤーが知っている。
魔法使い型は、この山本リュウセイが発端となって、メジャーに普及した。
それまでの【ユニオン】には、「魔法使い」というジャンルは、テクニカル過ぎて扱える者が少なかったのだ。ステータス上、魔力を高めるとどうしても身体能力は落ちる。身体能力と魔力を両立させるなら、そこで「なぜ魔法にこだわる必要があるのか」という根本的な疑問に触れる。
中途半端にどっちも使えるくらいなら、どっちかに絞った方がはるかに強い。
だが魔法を使いこなせないから身体能力を上げるのであれば、魔法を外した方がよっぽど合理的だ。
イッキではないが、魔法を使うより、単純に近づいて殴ったり蹴ったり剣を振ったりした方が、はるかに速いし強い。そう結論を出す者が多かったのだ。
【ユニオン】が発売されて半年で、「魔法使い」というジャンルがほぼ壊滅した。
近接、遠距離、豊富にして扱いやすく強力な武具の数々の中、魔法という武器が淘汰されたのだ。
一昨年のWFUBで、山本リュウセイと【十字架音】が現れるまでは。
「――【架音】」
呼ぶとそれは現れる。
眼前に黒い粒子が広がり、まるで影のように人型に集まる。そして次の瞬間には弾け、中から黒を基調にしたフリルいっぱいの黒衣……イッキが前に見たのとは違う服を着た少女が地に降り立つ。
【十字架音】。
シキの【斬斬御前】を超える、【ユニオン】でも珍しいくらいの超軽量型の魔法使い型――【魔女】だ。
そしてイッキは爆発した。
「だから姉ちゃんに似てんだよこの野郎! もう我慢ならねえ!」
「うわなんだ!? やんのか小僧!? てめえにケンカ教えたの俺だってこと忘れアォゥ!?」
【魔女】の映像を突っ切って特攻してきた、小学生の放つ封印されし神拳は、大学生の股間を容赦なく殴り抜いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ……この歳で股間パンチ喰らう未来とか想像してなかったって……」
山本流星十八歳、中学以来の感じさせる男の痛みにうずくまった。
夏。
蝉の鳴き声。
じりじり身を焦がす太陽の下、額に浮かぶ汗が滴り落ちた。
懐かしい痛みに、往年過ごした夏を思い出す。
そう、それは走馬灯のように脳裏を巡る――
「何やってるの?」
小学校の時、スカートめくりの報復に股間キックを食らった淡い思い出に浸っていたリュウセイは、涼しささえ感じた通る女性の声を聞き現実に戻ってきた。
「やあシズちゃん。久しぶり」
「あ、リュウセイくん……」
ついに二人は会ってしまった。
大きめのエコバッグを肩に掛けた姉・山本シズが、近所のスーパーから帰還したのだ。姉が買い物から帰るその前に、なんとしても従兄弟にはお引き取り願いたかったイッキは舌打ちした。
「……もしかしてイッキに何かされた?」
今うずくまっていた現場を、少し見てしまったのだろう。姉の目がギラリと光り、リュウセイの傍らにいるイッキに向けられる。
しかし弟は姉から受ける罰的なものにはすっかり慣れているので、構わず視線で従兄弟に「早く帰れ」と訴えている。
「はっはっはっ、まーさかー。俺たちはいつでも仲良しだよ。だよねイッキ?」
シズの前でカッコ悪い姿を見せるつもりのない男・リュウセイは、腰にこみ上げ響く男の痛みを押して立ち、傍らの小学生の頭をぐりぐり撫でた。
「平気ならもう一発だな」
「やめろ。俺を本気で泣かせたいのか」
リュウセイには珍しい、マジのトーンだった。
正直泣かせてやりたいくらいだったが、姉の目の前ではさすがにできない。手を出すだけならまだしも、泣かせてしまうまでやると面倒なことになる。
この状況になってしまえば、もう諦めるしかないだろう。イッキはリュウセイの手を払うと傍から離れた。
「イッキ! その態度は何!?」
「いいからいいから。子供はそれくらい元気でなくちゃ」
「――もう一発欲しいって意味か?」
「やめろ。……シズちゃんの前で泣かせたら許さないからな」
この大学生、小学生相手にマジである。
「……コホン。久しぶりシズちゃん」
堂々とした仕切り直しだが、シズは不肖の弟と従兄弟をこれ以上関わらせるのはまずいと判断した。
「来るなら言ってくれればよかったのに」
「いやー、用事があったわけじゃなくて急に思い立っただけだからさー。シズちゃん元気? 変わりない?」
「全然。何も変わらないよ」
「でも受験生でしょ?」
「もう推薦で行けるところに決めているから」
――イッキに黙ってこの二人は会っているが、イッキが嫌がるのでそこまで頻繁には会っていない。
会えば積もる話もあるのだが……
誰が見てもわかる通り、リュウセイはシズが好きだし、シズもリュウセイが好きだ。
特別付き合っているわけではないが、お互いの気持ちははっきりしている。
イッキは絶対に認めたくないが、一万歩くらい譲って妥協すればお似合いの二人に見えなくもないとは思う。――まあそれと同じくらいには、弟して断固リュウセイに姉を任せるつもりはないが。
「おい、俺もういいか?」
こうなってしまうと、バカなイッキにもさすがにわかる。自分が限りなく邪魔であることに。
姉が望まないなら全身全霊で追い返すが――残念なことにリュウセイと会うことは姉も望んでいることだ。リュウセイの邪魔は好んでしたいが姉の邪魔はしたくない。
イッキも、来年は中学生だ。バカなりにいつまでも子供やってられないことくらいわかっている。
「あ? ああ……いや、やろう」
「別にやんなくていいぞ。俺はおまえに連れ出されただけだしな」
「いいや。おまえに勝ってからゆっくりシズちゃんと話すことにする」
「なんだとこの野郎。そりゃつまり、俺が勝ったら帰るってことだな?」
「おう。シッポ巻いて帰るわ」
イッキはようやくやる気になった。
「じゃあさっさと帰宅させてやるよ」
「勝てると思ってんじゃねえぞイッキ。俺はうおっと! てめえ直で来んのやめろ! 卑怯だぞ!」
その光景を見ていたシズは、大学生が小学生に言うセリフじゃないな、と漠然と思った。
あまり意味のない豆知識
運動神経の差か、貧乏という環境が強くしたのか、イッキは本当にリュウセイよりケンカが強いです。




