34.山本流星! 帰!
昔は嫌いじゃなかった。
両親の離婚が決まる直前、山本姉弟は二週間ほど、母親の兄夫婦に預けられた。
山本リュウセイは母方の兄夫婦の息子だ。シズとは三歳、イッキとは六歳違いである。
預けられた以前から、リュウセイはよくイッキと遊んでくれた。よく外で運動もしたし、ゲームでも遊んだし、ケンカの仕方を教えてくれたのもリュウセイだ。
一時期は兄のように慕っていた、かもしれない。
だが、今は天敵だ。
イッキが昨日の予選を振り返って、3D動画を見て牛頭攻略の糸口を探していた頃、珍しく山本家のインターホンが鳴った。
「どちらさん?」
古き良き山本家には、セコ○的な防犯対策の強い味方が付いていないので、イッキも玄関を開ける前に相手を確認する。――実は庭側に面した窓は、だいたいいつも鍵が開けっ放しなのだが。
「おーイッキか? おれおれ。リュウセイ」
「帰れ!」
比較的穏やかな午前を過ごしていたイッキは、一気にテンションが上がった。
玄関のドア越しに聞こえた軽薄な男の声は、間違いなく、間違えようがないリュウセイの声だった。
「そう言うなよー。【ユニオン】やっただろー」
「ありがとうございます! 帰れ!」
天敵のリュウセイに、今やイッキの宝である【ユニオン】を貰ったことは……まあ素直に感謝している。自分を曲げてでもどうしても欲しかったから。
だが、礼は言った。
見返りが必要なんて聞いていないし、今更求められたところで応じる気もなければ、素直に返す気もない。なんだったら拳にモノを言わせてでも追い返すつもりだ。封印していた一騎神拳で葬るだけだ。
――まあ、イッキの知っているリュウセイなら、そんな小さいことは言わないが。もしそんな小さいことを言い出すようなゲスに成り下がったのなら、それこそ絶対許さない。
「おいおい……外あちーんだよ。早く開けてくれよ」
「断る! 帰れっつってんだろ!」
「コーラ買ってきてんだぜ? ぬるくなるぞ」
「……置いたら帰れよ」
山本家の堅い扉は、こうして開かれた。
「いやー、久しぶりだなイッキー。元気だったか?」
「触んな」
慣れ慣れしく頭を撫でる手を払い、リュウセイが持っていたビニール袋を奪うと、イッキはさっさと茶の間に引っ込む。
「おばさんとシズちゃんは?」
「帰れ」
狭い山本家である。母親と姉がいないことくらい、一目でわかる。
「お、動画見てたのか。昨日の試合か?」
「そうだよ。帰れ」
ちゃぶ台の上にある【ユニオン】と、テレビに映るバトルの動画。非常にゲーマーらしい組み合わせである。
「何しに来たんだよ」
「シズちゃんに会いにきた」
「帰れ!」
「冗談だよ。ついでにおまえの様子を見に来たに決まってんだろ」
「ついでかよ! 冗談じゃねえのかよ! 帰れ!」
「まあまあ、はっはっはっ。……あれ? イッキ、俺のコップは?」
「おまえんちにあるんじゃねーの? 帰れば?」
自分のコップに自分の分のコーラを注いでちゃぶ台に着くイッキ。リュウセイは「仕方ねーなー」と言いながら向かいに座る。
山本流星。
現在大学一年生の十八歳。猫っ毛で跳ねた茶色い髪が特徴的な、いつもヘラヘラしている軽い男だ。身長は170ちょうどで、身体は細い。イッキは今年の正月以降会っていなかったので、だいたい八ヶ月ぶりの再会になる。その間に高校生から大学生になったはずだが、特に変わりはなさそうだ。
「で、どうだ? 遊んでるか?」
「……まあまあ」
イッキは憮然と答える。
何があろうと貰ってしまった手前、イッキはその辺のことは素直に答える。同じゲーム好きとしても情報交換くらいはしてもいい。
「昨日の予選、出たんだろ? 勝ったか?」
「一応……リュウセイは? あれ? そういえばおまえ強いの?」
「あ? イッキさー、俺のこと知らねーの? おいおい、どんだけ素人だよ」
「知らねーよおまえのことなんて! 帰れよ!」
てっきり検索くらい掛けていると思っていたリュウセイだが、イッキは本当にリュウセイのことを何も知らないようだ。
現ランカーとしては、ちょっとショックである。
【ユニオン】のランカーと言えば、小学生辺りなら無条件で憧れられるくらいの存在なのだが。
堂々と自慢してもいいくらいのことではあるのだが、自分から自慢するのはやや格好悪いので、この話は出さないことにした。
「俺は今年は個人戦一本だ。もちろん本戦出場決定してる」
リュウセイ宅もこの辺に近いのだが、イッキらとは予選会場が違ったので、昨日は会えなかった。
「イッキはどうだ? 本戦出場決まったんだろ? 個人戦か?」
「サバイバルと団体戦」
「サバイバル出たのか!? 色物好きだったっけ? あ、色物の【ヴィジョン】にしたのか」
「色物じゃねえ!」
誰も得しない約束のせいで辞退しただけだ。笑われそうだから言わないが。
「で、おまえの試合は? 見せろよ」
「えー?」
「なんだよ、ダセー負け方でもしたのか? 笑わねーから見せろって」
「うるせー! 帰れ!」
「なんだよー。そう言うなよー。……ところでシズちゃんは?」
「買い物だよ! 帰れ!」
のらりくらりとイッキのペースを乱しながら、昨日イッキが出たサバイバル戦の動画を見る。奇しくも今テレビに映っている試合だ。
巻き戻して、カメラ位置を調整する。
「どれ? この白いのがおまえか? ほうほう……お?」
開始と同時に、見えないほど速い拳を放つ白いヒーローと、それを難なく受け止める引くほどリアルな牛頭の裸男。
初手でわかった。
どうやらイッキは境界線を越えているらしい、と。
リュウセイにとってのイッキは、生意気盛りの弟のようなものだ。なので弟としてナメていたが、たった二、三ヶ月でとんでもない伸び方をしているようだ。
――バカは【ユニオン】が得意だ、とはよく言うが、もしかしたら本当なのかもしれない。
「この牛、いい動きしやがるなー」
この辺の強いプレイヤーなら何人も知っているが、初めて見るこの牛頭は、リュウセイのデータベースになかった。
「そうだろ? おまえなんかじゃ勝てねーぞ」
「ふーん」
――イッキの期待には残念ながら答えられない。これくらいなら問題なく勝てる、とリュウセイは分析する。ランカーまでは行っていないだろう。もっと研磨する余地もある。
「うん……なるほどな」
なかなか面白いサバイバル戦は、最後は牛頭の、上から落とすパワーボムで決着がついた。
「イッキ、おまえには『引き』が足んねーわ」
「うるせー! 知ってんだよ!」
牛頭――萩野タツにも、試合中に同じことを言われた。タツに言われるのは納得できるが、リュウセイに言われると納得したくない。
「あとおまえさ、佐藤アマイと知り合いだったりするのか?」
「あ?」
「動きがそっくりだ。まああいつと比べりゃ甘いけどな。佐藤アマイだけに甘いけどな」
「帰れよ。マジで帰れよ」
…………
「佐藤アマイと知り合いなのか?」
「何事もなかったかのように流すなよ。今のシャレすげーつまんなかった。おまえを嫌いになる理由がもう一つ増えたくらいつまんなかったよ」
「そこまで言わなくていいだろー。歳食うと無性につまんねーことも言ってみたくなるんだよ」
「俺そんな歳の取り方したくねえ」
残念である。
おっさんに近づくとは、面白くないシャレでも平気な顔で言える人種になる、ということなのである。イッキもいずれそうなるだろう。悲しいがそれが真実なのである。
「佐藤アマイの動画とかよく見てたからだよ。手本にしてた」
「ああ、そうか。……いい師匠見つけたな」
「……おまえが言うなよ」
昨日、早乙女シキにも同じことを言われた。シキの言葉は信じられるが、リュウセイの言葉は胡散臭い。
「佐藤は本当に強いからな。特別なことなんて何もしないのに、ただただシンプルに強い」
「おまえこそ知ってんじゃねーか! 紹介して帰れ!」
「いや、戦ったことがあるだけだ。本人には会ってない」
すべてが懐かしい。
一昨年のWFUBで予選・本戦を勝ち抜いた日本代表戦二回戦目で、リュウセイは佐藤アマイと当たっている。負けはしたが、実力の伯仲した良い試合だった。
負けた身としては、いつかリベンジを果たしたいとは思っているのだが、フレ登録はおろかどこに住んでいるかもわからないプレイヤーなので、連絡の取りようがない。わかっているのは、この辺には住んでいないということだけだ。
「……おいリュウセイ、おまえ本当に何しに来たんだ」
「シズちゃんに会いに来たに決まってんだろ」
「帰れクズ野郎! ……会いたいだけならうちに来る必要ないだろ」
まあ、それはそうである。
リュウセイはシズの携帯番号を知っているし、……さすがにイッキのこの拒否反応を見て「こっそり会ってまーす」とは白状できないが、こっそり会っていることはたぶんイッキも薄々感づいているだろう。
「さっき言ったじゃねーか。ついでにおまえの様子も見に来たんだよ」
【ユニオン】を初めて二、三ヶ月。まだまだ初心者もいいところだ。
正直に言えば、イッキは昨日の予選でさっさと負けただろうと思っていた。
別に侮っているわけでもなんでもなく、むしろ勝てる方がおかしい。【ユニオン】は、遊んだ時間と遊ぶ内容で、少しずつ限界を超えていくものなのだ。
初心者と玄人、そしてランカーと、ステータス上は同じでもまったく違う動きができるのも、プレイヤーとして限界を超えた先にいるからだ。
いきなり十キロのダンベルは上げられないが、日頃から馴らして鍛えていけば到達できる。それと同じだ。
わかりやすく言うなら、一年間二年間と【ユニオン】で遊んだ者が、すんなり【百人組手】をクリアできたりする。
どちらかと言うとそっちの方が順当で、いきなり挑戦して一気に限界を超えるようなものではない。
言うなれば、後者は邪道だ。
だからイッキは「引く」なんて基礎的な選択肢を持たず、なのにやたら高度な見切りとカウンターを体得している。
基礎はすべての土台だ。
そこが傾いていると、綺麗に経験を積み上げられない。――実際その弊害として、イッキは【無色のレイト】に仕込んだギミックを使いこなせないまま成長し、置き去りにしている。
まあ、それはそれとして。
リュウセイは、予選敗退して悔しくて泣いているかもしれない従兄弟を、本戦会場に招待でもしてやろうかと思って誘いに来たのだ。見るだけでも勉強になるし、高レベルの試合となれば見ているだけでも面白い。
だが、どうやらいらない世話だったようだ。
「さて」
リュウセイは立ち上がる。
イッキは境界線を越えている。
境界線を越えているなら、それは一端のプレイヤーだ。もう過保護な子供扱いも身内扱いも必要ない。
「帰んのか? 早く帰れ」
「そうだな。帰るわ。……だがその前に」
リュウセイはイッキを見下ろす。
「プレイヤーが二人いるんだぜ? だったらやることなんて一つだよな?」
イッキなら確実に食いついてくるだろう誘いをかける。
しかしイッキは、渋い顔で視線を逸らした。
「……おまえとはバトルしたくねえ」
リュウセイは動揺した。
表には出さないが動揺した。
まさか本気で嫌われたんじゃないかと思った。確かにイッキはある事件が原因でリュウセイを遠ざけはしたが、そこまで嫌われてはいないと信じていたのに。
「なんだよ。負けるのが怖いのか」
更に挑発する。背筋に嫌な汗を掻きながら。
「負けるくらいどうでもいいよ。実際すげー負け越してるし。そうじゃなくて……それ以前の問題なんだよ!」
イッキは憶えている。
我が家に【ユニオン】がやってきた記念すべきあの日、従兄弟がどんな【ヴィジョン】を使っていたのかを。
リュウセイの【十字架音】は、魔法少女でスカート丈が短くてパンツが見えて、そして姉に似ていることを。
年頃の子供にはキツいオタ使用、言うなれば痛ヴィジョンだったことを。
あまり意味のない豆知識
ユニオンは、使用料が月額で掛かっています。イッキのユニオンの支払いはリュウセイがしています。
 




