01.【ヴィジョン】を作ろう!
吉田ケイイチは走っていた。
ほんのり薄暗くなってきた空の下、吉田ケイイチは全力で走っていた。
腰に下げた【ユニオン】専用ケースが、ケイイチを急かすように揺れていた。
「――ケーチ! 【ユニオン】手に入れたから今から来いよ!」
親友のイッキから、驚くべき電話が入ったのだ。
心の底から欲しがっていた【ユニオン】が自分のものになると聞いたイッキの驚きも相当なものだったが、ケイイチの驚きもかなりのものだった。
親友だけに、相手は持ってないのに自分は持っていると思うと、色々と気が引けていたのだ。
イッキはいつもケイイチたちが遊んでいる時、すごく羨ましそうに見ていた。「え? 別に? 俺見てるだけで楽しいし。俺見てるだけで楽しいし!」と悔しそうに見栄を張るのが……まあ、一度大笑いしたらケンカになったので、それ以来は我慢していたが。
ケイイチも六年生に上がった時、ようやく親に買ってもらったのだ。思う存分遊びたかった。
だが持っていないイッキがいると、やはり気兼ねなく遊ぶわけにもいかなかった。……あまりに構わないとイッキは怒るし。恨めしそうな視線も嫌だし。
車道からはずれ、家と家の間の細い道に入る。
ケイイチとイッキの家は、走れば5分だ。自転車でかっ飛ばすより走った方が速いのだ。
この路地を出れば山本家は目の前だ。
「イッキ! 【ユニオン】買ったの!?」
「いや貰った!」
勝手知ったるなんとやら。ケイイチはかなり古い木造平屋の山本家の庭の窓をバーンと開き、居間に飛び込んできた。
そしてそんなことにはもう慣れ切っているイッキは、戸惑うことなくそう答えた。
神妙に正座しているイッキ。その正面のちゃぶだいの上に、それはあった。
「うわ、初期型だね! やったじゃん!」
現在、最新型は四代目である。ケイイチが買って貰ったのは三代目で、イッキが譲り受けたのは初期型――一番最初の【ユニオン】だ。
処理速度や対応アプリに若干の差があるものの、普通に遊ぶ分には何も支障はない。値段が値段だけに逐一買い換えているプレイヤーもそう多くはないので、初期型を愛好している者も少なくない。
「お、おう……初期型だよな……」
「……」
「……」
「……早く開けろよ」
「う、うーん……なんかいざとなると緊張しちゃってさ……」
直情型のくせにこの期に及んで何言ってやがる、と思う反面、ケイイチにもなんとなく気持ちはわかった。
恐れ多いというか、本当に触れてよいのか、触れたら壊れないか、このまま何時間でも眺めていたいような……などなど、夢にまで見た現実が目の前にあって、それが本当なのかどうかわからなくなって感情がついて来ていない感覚だ。
本当に夢にまで見た【ユニオン】だ。触れた瞬間に幸せな夢から醒めるんじゃないか。そんな不安もあったりするのだ。
ケイイチも【ユニオン】を前にした時は若干この現象に陥り、箱は当然として、丁寧に開封した後、パーツを包んでいた梱包材からビニール袋にいたるまで、捨ててもいいものまで全て大切に保管しているくらいだ。
まあ、繊細な心なんて一切持ち合わせていない、単細胞のイッキが同じような心理に陥っているのは、ちょっと意外だったが。
だがこのままでは埒が空かないので、ケイイチは荒療治に出た。
「なんだよケース開けるだけだろ! やんないなら僕がやってやるよ!」
「触るなクズ野郎!! てめえの部屋に爆竹投げ込むぞ!!」
「じゃあ早く開けろよ!」
「わかってるよ! うるせーな!」
と、イッキはようやくケースに手を伸ばした。――計算通り、とケイイチは内心笑う。だが「クズ野郎」呼ばわりは想定外だった。親友に対してまさかの「クズ野郎」呼ばわりである。
(ボッコボコにしてやろう)
後にやるであろう【ヴィジョンバトル】で圧倒的完勝を見せ付けてやろう、と復讐方法を決めた。
「えっと……え?」
イッキが貰った【ユニオン】には、説明書がなかった。本体丸のままとそれを入れるケースだけである。
ガラス細工以上に繊細なものを扱うかのようなスローにして丁寧な動きで、本体とケースとパーツをちゃぶ台に並べてみたところで、イッキは首を傾げた。
――なんだか言いたいことだらけではあるが、とりあえず自分が来た意味はあったな、とケイイチは思った。
「イッキ、そのネックレス付けて」
少し前に同じことをしたケイイチには、何をすればいいのか教えることができる。まあ説明書がないのは予想外だったが。
こんなに高価で精密かつハイテクな機器なのに。そのままポンと上げるイッキの従兄弟とはどんな存在なのか。
「え? これ?」
「そう、それ」
ちゃぶ台に並んでいるパーツの一つである黒い紐状のネックレスは、自分の周囲三百六十度に投影する3D映写機になっている。ケイイチはどんな仕組みになっているかは知らないが、髪の毛や服の中にあっても【ヴィジョン】を表に出すことができるのだ。
イッキがネックレスを首に掛けたのを確認し、ケイイチは同じくパーツに並べてあったリモコンを取り、操作した。
「おぉ!?」
途端、イッキのネックレスから【ヴィジョン】が映写された。
――この【ヴィジョン】こそ【ユニオン】の要である。
【ヴィジョン】は、いわゆるアバターである。
この玩具は、【ユニオン】を持つもの同士が互いの【ヴィジョン】で戦い合うのがコンセプトになっている。
己だけの【ヴィジョン】を作り、登録し、バトルする。
それが電脳操作ヴィジョン【ユニオン】の基本的な遊び方である。
そしてこの玩具には、もう一つ【ユニオン】の名にちなんだ機能があるのだが、今はまだ必要ない知識である。
【ヴィジョン】はよく見ると半透明ではあるが、リアルな構造をしている。
ちゃぶ台を突き抜ける素足はちゃんと人の足だし、過剰なフリル付きの藍色の制服は、縫い目一つ一つが見えるほど細かく光沢まで再現している。呼吸に合わせて胸はかすかに上下し、動けば髪や服も翻る。触ることはできないが、どこまでもリアルに、精巧にできているのだ。
イッキを見下ろす優しげな顔は人間そのもので――
「「……え?」」
イッキとケイイチの声は、綺麗に重なった。
イッキは思った――パンツ見えてんだけど! あとこれ……え? 魔法使いの女の子!? つか姉ちゃんにちょっと似てんだけど!
この【ユニオン】は、従兄弟に譲ってもらったものだ。つまりこの【ヴィジョン】は、前の持ち主である従兄弟が作成したものに違いない。
しかし。
しかしだ。
従兄弟はこれを、今年大学生になった従兄弟はこれを、己の【ヴィジョン】として使っていたのか? この、なんというか、オタク仕様丸出しの美少女で魔女っ子っぽいスカート短すぎる【ヴィジョン】を。
恥ずかしかった。
昨今ならばイッキは相当ニブい方に入るが、最近ようやく、なんとなく女の子を意識し始めた気難しい時期である。
そんなイッキには、これはもう完全NGものだった。
正直テレビでラブシーンが始まった時以上に恥ずかしかった。
「ケーチ」
「な、何?」
「このこと、みんなには言うなよ」
「……わかった」
イッキは単にオタク仕様の【ヴィジョン】が恥ずかしかったから口止めを頼んだのだが、ケイイチは違う理由で頷いていた。
何事もなかったかのように【ユニオン】の初期化を行い魔法少女の【ヴィジョン】を削除し、イッキの脳波を登録し直す。
「それで【ヴィジョン】を思い通りに動かすんだよ」
【ユニオン】――サングラス型モニターを掛けたイッキの目の前には、色々な数値やメーターが出ている。やたら難しそうでよくわからないが、これで思考を読み取り【ヴィジョン】を操作するらしい。
もっとも、イッキにとって一番重要なのは、「α」だの「the pulse」だのの数値ではなく、一番下のメーターだ。
「あと1時間とか出てんだけど……」
「初期型は結構掛かるからね。僕は三番型だから20分くらいで済んだけど」
「ほんとかよ。まあとにかく待ち遠しいな!」
「それまでにどんな【ヴィジョン】にするか考えとけば?」
イッキは歯を剥いて笑った。
「――もう決まってる。1年前にすっかり決めてるぜ」
何年も前からずっとこの時を待っていたイッキである。妄想の中でなら何十体、何百体と【ヴィジョン】を作ってきたのだ。
「そっか。じゃあ僕は帰るよ」
なんだかんだで、ケイイチが山本家に来て1時間以上が過ぎている。呼び出された時間がすでに夕方だったので、もう外はすっかり暗くなっていた。
「え、なんで? さっさと作るから待ってろよ。それで早速バトルやろうぜ」
「すぐにはできないよ。たとえ完成図が頭の中にあってもね」
イッキはまだ知らない。【ヴィジョン】を形作るパーツの数は、全部合わせて十万以上あることを。
自分が作りたいものを探すのも一苦労……と同時に、非常に楽しいのだ。ケイイチも三日くらいあれこれいじってようやく自分の【ヴィジョン】を組み立てたくらいだ。
どんなに早くても一晩は掛かるだろう。
それに、ここで待っていてもイッキを急かすだけだ。ようやく手に入れた【ユニオン】なのだ、じっくりやってほしい。
バトルも楽しいが、【ヴィジョン】を作るのも楽しいのだから。
「あとはガイドが出るから、それに添ってやればいいよ。わからないことがあったら電話して」
「おう! じゃあな!」
-―「あれ? ケイイチ君もう帰るの? 夕飯食べて行けば?」「いえ、家の方で用意してあるから。シズさんお邪魔しました」と台所に立っているイッキの姉に挨拶し、ケイイチは山本家を後にした。
春の夜は、肌寒い。
しかしそんなことは気にも留めず、ケイイチは呟く。
「……関東準優勝か」
さっき見た魔法少女の【ヴィジョン】は、一昨年の全国大会予選で関東地区準優勝を飾ったモデル――名は【十字架音】だ。
そう、ケイイチはイッキの「黙っててくれ」を、「オタ仕様が恥ずかしいから」ではなく「有名人だから誰にも言うなよ」という意味で捉えていた。
そう、あの魔法少女は有名なのだ。
インドア派で、好きなものは追求するタイプであるケイイチは、すでに【ユニオン】関係のオタクと呼んでもいいくらいの知識はある。だから一目見てわかった。
モデルネーム【十字架音】は、今や魔法使い型の始祖とも言える存在だ。
【ヴィジョンバトル】界において、魔法使い型は非常に弱かった。打たれればすぐ負けるし、スピードもパワーも並かそれ以下。メイン武器である【魔法】は、癖が強すぎてなかなか使いこなせる者がいなかった。
そんな万国共通の認識を覆したのが、【十字架音】だ。
パラメータ上どうしてもパッとしなかった魔法使い型は、あの【十字架音】の登場によって劇的な変化を迎えた。
超軽量型にして、扱いの難しい【魔法】をメインに戦う根っからの魔法使いモデルだった。その華麗なバトルスタイルに魅せられたプレイヤーがこぞって魔法使いタイプの【ヴィジョン】を組み立て、やっと遅咲きのメジャータイプとして【ヴィジョンバトル】界に浸透したのだ。
【十字架音】を組み立てたイッキの従兄弟は、間違いなく、強さこそを求めたのではなく、いかに魅せる戦いをするかを求めたのだろうとケイイチは思う。
それで強さが二の次になるなら「オタ仕様」が際立つのだが、イッキの従兄弟は強さもちゃんと両立させていた。
いや、むしろあの容姿だからこそ、戦いに華があったのだろう。
強さのみに着眼した無骨な【ヴィジョン】を魔法少女よろしく舞うように翻弄し、ド派手な【魔法】でなぎ倒す様は、ケイイチのみならず多くのプレイヤーを虜にしたのだから。
予選とは言え、関東で二番目に強い【ヴィジョン】とそれを操る者である。今や世界中どこにでもプレイヤーはいるが、一昨年だって相当な数のプレイヤーがいた。何せ一日では全試合を消化しきれなかったのだから。
イッキの従兄弟は、大が付くほどの大ベテランだ。
特に操作の難しい魔法使い型は、力押しはできない。技巧に凝らないとまともに戦えもしないのだ。それだけとっても知識の深さと熟練された動きを察することができる。
――僕にとってもアドバイザーになってくれたらいいのにな。
そんなことを考えながら、いかに初心者イッキをボッコボコにするか、楽しい想像をしながらケイイチは歩き出した。
ちなみに、イッキも自分の【ヴィジョン】を作り上げるのに、ほぼ三日ほどを費やしたりした。