20.理由は「気に入らない」だけで充分! 拳!
こうして向かい合うのは、何度目になるだろうか。
イッキのやることなすこと、全てを上回ってきた元1000番以内ランカー。
バカのイッキにもさすがにわかる。
一戦一戦をこなしてイッキが強くなるのと同様に、早乙女シキも強くなっている。一年間のブランクが埋まってきているのか、それとも今再び成長を遂げているのかはわからないが。
互いが同じスピードで走っているのなら、同じスピードで成長しているのなら、追いつけるわけがない。追い抜けるわけがない。
だから、あの時シキは言った。
「本気でやれ」と。
【ユニオン】越しでもわかるくらい、イッキの相貌に力がこもっている。
それに呼応するように、投射された映像である【無色のレイト】から、これまで感じたことのない力強さのようなものを感じる気がする。
どうやらそれなりの準備をしてきたようだ、とシキは安堵した。
正直に言えば、これほど「勝ちたい」と思えない勝負はない。賭けているものが面倒臭すぎる。勝っても負けても因縁やらしこりやらが残りそうなのだ、気が進むわけがない。
もちろん加減しようなんて考えていない。
全力で潰すつもりで、シキはここにやってきた。
――イッキに勝ってほしいと思いながらも。
だが、シキはそこらの初心者ではない。いざ勝負となれば一切迷わない。師匠が教えてくれた「ランカーとして憧れられる存在であれ」という言葉を信じている。だから負けない。
こうなってしまえば、イッキには実力でシキを超えてもらうしかないのだ。
イッキが勝つだけの条件は、もう揃っている。
これまで何度も何度も戦ってきたのだ、イッキは【斬斬御前】の戦い方を熟知している。何ができて、何ができないかも知り尽くしている。イッキに攻め込ませるような失態はまだ犯していないが、シキに対してもっとも効果的だろう狙うポイントも定まっている。
足りないのは、動きだ。
神速と言われた【斬斬御前】の攻撃スピードに、【無色のレイト】は付いていけない。むしろスピードで劣るのに三、四回は回避して見せるイッキの反射神経に脱帽する。
恐らく、ステータス上の数値の差で、【無色のレイト】は【斬斬御前】の速度領域には届かないのだろう。
何度もやっている今、それはイッキも知っているはずだ。
だからこそ、知っていればこそ対策も思い浮かぶというもの。
今のイッキを見る限り、それなりの策を用意してきているのがわかる。
無策であそこまで自信満々に構えることはできないだろう。――案外プレイヤーの微妙な心境まで【ヴィジョン】には現れるのだ。思考で動かすものであるがゆえに。
雨音が消えた。
周囲の音が聞こえなくなるほどの集中力で、相手に注視する。
些細な動きも見逃さない。
地を踏み締めるわずかな動きこそ――
「くっ!」
やっぱり速い。
間を空けていたはずの【斬斬御前】が消え、すでに【無色のレイト】の目前に迫っていた。
無音。下駄の音など完全に置き去りにしている。
「――うおおおおっ!」
斜め下から切り上げるような一閃は、【斬斬御前】が刀を抜く前にすでに回避している。この段階で回避できないようではすでに斬られている。
白木柄の刃が頬をかすめて死の残光を輝かせるとほぼ同時に、【無色のレイト】は危険な一歩を踏み込み拳の届く距離に入る。ここで入れなければ、斜め上に駆けた刃がすぐに戻ってきて簡単に斬られるのだ。
入ると同時に、踏み込みと同時に動作は完了している。
自然と攻撃は成立している。
コンマ一秒に放てる限界、両手の六連拳は空を貫いた。
虚空を燃やす白い炎の視覚エフェクトが、拳の威力を物語る。
だが寸分違わず人体急所を狙った拳は、【斬斬御前】がわずかに身を逸らしただけで、一つも触れることは叶わなかった。
――ゴッ!
【無色のレイト】のサングラスが割れ、吹き飛ぶ。
【斬斬御前】のかわす動作と一体化した攻撃――カウンターのように顔面を真横から一文字に駆け抜けたのは、振り抜いた右手の刃ではなく、左手の鞘である。
だが、揺らがない。
【無色のレイト】も、それを操作しているイッキも、今の攻撃に微塵も動揺しない。
怖いのは刀だ。
【斬斬御前】の攻撃は、すべてが刀に収束している。
全ての動作が、刀で斬るためのものだ。それ以外の攻撃はフェイクだと思っていい。
3秒もなかった死のやり取りは、ここでまた時を止める。
拳から放たれた炎は消え、「刃が届かない」というだけの至近距離で【斬斬御前】はゆっくりと抜いた刀を鞘に戻した。
このくらいは二人にとっては挨拶代わりである。
ここからが本番だ。
時間がないし、何よりこの挨拶は、イッキにはまだハードすぎる。こんなのを続けていたら身がもたない。
チャンスは一度きりだ。
こういうのは、何も知らない相手に使うからこそ、効果がある。
「行くぞ早乙女!」
イッキは吠えた。
【無色のレイト】は腰を落とし、半身に引いた右拳を震わせる。
キィンキィンと音がするのは、仕込んであるギアが高速回転し、どんどんスピードを上げているからだ。
内臓されたピストンが高速で熱を発し、流れ込むエネルギーを圧縮していく。
手の甲に埋め込まれている水晶から白い炎が吹き出し、右手を覆う。
【無色のレイト】は人型ではなく。
――半機械型だ。
生体パーツと機械パーツの比率は8・2。厳密に言うなら人型に近い半機械型。
両腕と両足が機械パーツで構成されており、吹き出す炎はただの視覚エフェクトではなく、本当にエネルギーを注いで威力が増した演出効果である。
【無色のレイト】は武器を持っていないのではなく、最初から装備しているのだ。
機械手甲……いわゆる「鉄拳」のようなものを。
今ここにはいないイッキの親友は、その知識の深さから繰り返し戦うことで若干気づいたようだが、バトルでここまであからさまに使用するのは初めてだ。
果たしてシキは――もちろん、当然のように気づいていた。
どこがどうとか言葉にするのは難しいが、強いて言うなら勘で。
人型にしては攻撃が強く、だが機械型にしては身体が脆い。だから漠然と、その両方の性質を持つ半機械型ではないだろうか、と。
確証はなかったし、拳から吹き出す炎は視覚エフェクトにも見えたのだが、この動作を見て判明した。
エネルギー内蔵型だ。
体内に備え付けているエネルギー缶を利用し、エネルギーゲージを消耗してこのように攻撃力を増す、という使い方ができる。これは機械パーツにのみ使用できるギミックだ。
機械型なら何をするにも使用する燃料代わりに消耗するものだが、半機械型は動作を生体パーツに任せ、機械パーツにのみ燃料を投入するという使い方ができる。――ちなみに使用したエネルギーは、エネルギー使用動作を取らなければ自然と回復していく。
今やイッキは瞬時に、拳を振るうのと同時にエネルギー充填をこなせるようだが、最大までとなると、このように溜めなければいけないようだ。
――だが、拍子抜けである。
確かに威力は高かろう。
軽量型にしてまともな防具さえ装備していない【斬斬御前】なら、どこに当たっても致命傷になるだろう。
だが、当たればの話だ。
こうして「今から何かしますよ」と宣言されているような状況である。
当たるわけがないだろう。
ジャブほどのスピードの隙がない攻撃にさえ、シキはカウンターで併せられる。
今から発せられるであろう【無色のレイト】の拳は、確かに凶悪までの威力があるのだろう。
もしかしたら、拳にエネルギーを集中しているのはフェイクで、こっそりエネルギーを身体に巡らせて、一時的にスピードを上げたりもしているかもしれない。……構成上できるかどうかはわからないが。
だが、どんなに速かろうと、真正面からの一撃なんて入らない。
どれだけ強化しようと、【無色のレイト】のスペックでは【風塵丸】の速さを超えられない。
【斬斬御前】は【風塵丸】より遅いが、攻撃速度だけなら更に上を行く。
だから拍子抜けした。
もしこれがイッキの切り札なら、もう勝負は見えている。
――もちろん、シキは手加減なんてするつもりは一切ない。
結論から言うと。
イッキの例のギミックは、間に合わなかったのだ。
一応形にはした。
日々の訓練で形にはしてきた。
だがやはり、とてもじゃないがこのレベルの実戦に投入できないと判断した。使用しても隙が生じるだけだとしか思えなかった。
そこらのプレイヤーなら充分使えるだろう。しかしシキは、そこらのプレイヤーとは桁違いだ。
だから、違う方法を編み出した。
チャンスは一度きり。
はずせば絶対に負ける。
というか、この一撃さえ通用するかどうかもわからない。
だが、これしか勝機が見えなかったのだ。
あとは信じて放つのみ――
【ユニオン】に表示されているエネルギーメーターが空になる。
限界まで力を込めた右手からは、今や白い炎が肩まで燃え上がっている。
(気合入れろよ、【無色のレイト】……!)
心の中で相棒に叫び、イッキは右手を振るった。
――ボォン!!!
ものすごい爆発音が響いた。
高速で虚空に放ったエネルギー全開の一撃は、【無色のレイト】と【斬斬御前】を別つかように、二体の間の空間に大爆発を起こした。
白い炎が壁のように視界を覆う。
目くらまし――シキの判断は速かった。
というより、それも予想できていた、というべきだろうか。
となれば、あとはイッキがやることなんて予想がつく。
炎を超えての突撃。
それを切り伏せて終わりだ。
この時点で、ようやく、イッキはシキの予想を超えた。
案の定、炎を貫いてくる拳にシキが反応し、
「っ!? しまっ――」
己の失態に声を上げた。
抜き掛けた刃を止め、身を逸らして、飛んできた右拳を緊急回避する。本当にギリギリで、ゴリゴリと狐面を掠めて抜けていった。
右手が飛んできた。
そう、文字通り右手が飛んできたのだ。
パーツの分離――【無色のレイト】の仕掛けの一つだろう。機械パーツならできるものがある。【機構破壊拳】というものを代表に。
狙うべき身体がそこにないことに気づいた時、次の本命の奇襲に対応するため、刀を抜かずにやり過ごす。並の相手なら返す刃で充分間に合うが、すでにこの攻撃スピードに浸りきっているイッキにはそれでは間に合わない。
一歩ではなく、半歩の遅れ。
むしろ反応できたシキの技量こそを誇るべきだろう。
だが、それでも間に合わない。
ギィンと鈍い金属音がしたのは、残った左拳を刃ではじいたからだ。
間髪入れず炎を超えてやってきた【無色のレイト】は、ようやく、やっと、【斬斬御前】に一瞬だけ追いつくことができた瞬間だった。
「……へへっ、どうだ」
これでイッキの負けが確定した。
右手を失い、唯一の策もシキには通用しなかった。もう勝機はない。
だがイッキは満足だった。
今まで触れることさえできなかった【斬斬御前】に触れることができた。直撃じゃない、かすり傷一つ負わせていない、面にかすって防御させただけだ。
でもそれで充分だった。
超えられないんじゃないかと思っていた壁の頂上が見えたのだ。イッキにとっては大会に出るのと同じくらい価値があるように思えた。
「…………」
脱力して笑うイッキに対し、シキは憮然としていた。
いつになく不機嫌な顔をしていた。
「……まったく」
小さく呟いて、シキは【ユニオン】を外した。
「あ、おい! 何してんだおまえ!」
バトル中に一方的に【ユニオン】をはずすという行為は、途中棄権を意味する。
イッキの装着している【ユニオン】に「You Win!!」の文字が浮かんだ。
「何してんだよ!」
イッキも【ユニオン】を外し、なんか不機嫌そうな顔のシキに詰め寄る。
「何って別に何もないけど。負けたから外しただけだし」
「負けてねーだろ! どう見ても俺の負けじゃねーか!」
「……」
シキは、まだそこに残っている【斬斬御前】を見る。
「……刀は私の命だから」
「はあ?」
釣られるようにイッキも【斬斬御前】を見る。……と、心なしか寂しげで、だらりと下げている右手には、半ばで折れた刀をぶら下げていた。
イッキの奇襲でぶつけた時に折れたのだろう。いつもは聞こえない金属音がしていた。
「もし刀を手放して勝てる勝負なら、私は刀を手放さずに負ける方を選ぶ」
むしろ負けることより、刀を折られる方が屈辱なのだ。刀好きとしても、「刀娘」のメンバー候補だった身からしても。
「おまけに――」
おまけに、面に触られたのも、ショックだった。
何の意味もないが、シキのこだわりである。【斬斬御前】の狐面に触られるなんて冗談ではないし、取られるなんてもってのほかだ。そんな自分ルールの美学である――覆面レスラーが覆面を死守するようなものだ。
設定した当初はそんなこと全然考えていなかったが、バトルを繰り返していく中、自然とそう思うようになった。
「……なんかよくわかんねーけど、気に入らねーな。どう考えても俺の負けだった」
「気に入らないのは私の方だけど。目くらましなんて山本くんらしくない。卑怯なんじゃない?」
「な、ひきょ……なわけねーだろ! ケーチとかよくやってんだろ!」
「彼は忍者。あなたはヒーロー。忍者は暗躍する。ヒーローは表舞台で身体を張る。……いいのかな? あんなことして。私はヒーローの準備時間には仕掛けなかったのにな。ちゃんと溜めさせてあげたのにな」
「たっ、頼んでねーけど! 待ってろなんて頼んでねーけど!」
「特撮マニアや子供が見たらさぞがっかりしただろうね。私がそうなんだから。山本くんのヒーローはみんなの夢を壊すよね。それでいいのかな? ねえそれでいいの? いいと思う? 本当に?」
「…………」
「…………」
「バーカバーカ! このっ……バーカ! おまえ絶対いつかボッコボコにしてやっからな! 憶えとけよ!」
そんな捨て台詞を残して、口で負けた六年生は去っていった。
パラパラと続く雨音に包まれ、六年生が消えたドアを見ながら、
「…………しまった」
残された五年生は、ガラにもなく子供みたいに駄々をこねたことを、後悔した。
己の禁忌に同時に二つも触れられたのは初めてで、だから自分でも驚くほど怒りが湧いてきてしまった。もちろん感情の半分以上が、未熟な自分の不甲斐なさに向いている。
正直言って、八つ当たりだった。
――いくら大人しかろうと、落ち着いていようと、しょせんシキもまだ子供ということだ。
今逃げるように行ってしまった六年生よりは、はるかに大人だが。
やはり、大方の予想通り誰も得しない一戦が消化され。
WBUF予選は目の前に迫っていた。




