16.あの時の早乙女!
イッキらが【百人組手】の攻略に熱中していたある日、早乙女シキは最寄の駅前にいた。
よく待ち合わせ場所に使われる百貨店前の小さな噴水の近くで、座る場所が埋まっていたなので立っていた。
少子化に歯止めが利かない高齢化社会がなお進んでいる昨今だが、繁華街付近はやはり若者が多い。この辺は関東ではあっても都会とは言いがたい地だが、それでも歩くだけで大変という人込みが目の前に広がっている。東京辺りはやはりもっと栄えているのだろうか。
目の前を過ぎていく人の川をぼんやり見ているシキは、やや緊張していた。
一年ぶりに手にした【ユニオン】を持ち、これから会う人を想い、緊張していた。
――急に音信不通に文句を言われるだろうか。
――落ちた腕を罵倒されるだろうか。
――可能性が高いのは、両方かな。
「シキ!」
約束の時間より10分早かった。
喧騒を貫き通す己を呼ぶ声に、ビクッと肩が震えた。
来た。
ついに来てしまった。
「ちょっ、ヨーカ! 待ってって!」
連れの声など聞こえないのか、シキの姿を見出した相手は、流れに逆らうように早足で一直線にやってくる。足を止めたり避けたりする人込みも目に入らないのか、迷惑そうに振り返る彼らを微塵も気にしない。
ついに来てしまった――神代陽花が。
「刀娘」というギルドがある。
【ユニオン】にて刀という武器を愛用し、古来より連綿と続いている日本刀の文化に魅せられている女子が集まり形成されたコミュニティである。一応ギルドなどと言われてはいるが、実際は全国で数えても十人にも満たない、よくある極小サークルだ。
リーダーが相当な物臭で、新メンバーを迎えると面倒が増えるので絶対イヤ、という妙なポリシーの下、まあメンバーは結構自由にやっている。
本当にその辺にある極小サークルなのだ。週一で生存報告を義務化していること以外、決まりごとみたいものもないし、基本的にやることもない。ただ同好の士が集っている程度のものである。
ただし、このサークルの半数以上が現役1000番以内であることを除けば、だ。
そのことから異様な高さの知名度と注目度を誇り、ギルド参入希望者が後を絶たない。そして男なのに女と偽って参入しようとする不届き者も後を絶たない。
神代ヨーカは、そんな「刀娘」メンバーの一員である。
そして、早乙女シキの師匠のようなものでもある。
今ヨーカの目の前に、音信不通だったシキがいる。
約一年ぶりの再会だった。
どんなに連絡を取ろうとしても取れず、ネット上からも【ユニオン】のランキングからも消え、消息が途絶えた弟子。
そんな弟子がほぼ一年経った頃、突然【ユニオン】に戻ってきた。なかなか返してこないメールにイラついて、もはや嫌がらせに近い勢いで百通近くメールを送信し続けたのも、ひとえに心配の裏返しである。
「……」
「……お久しぶりです。ヨーカさん」
シキから見たヨーカは、一年前とほとんど変わらない。
いつも不機嫌そうに見える厳しさを感じる鋭い瞳、女性にしてはスラリと高い身長、額もサイドも後ろもきっちり切りそろえた黒髪の少し長めのボブカット。「前世はきっと武士だ」と、初めて会った時に思った印象そのままである。
「……」
ヨーカの目が、更に険しくなる。
ああやっぱり怒られるな、とシキは思った。この人は見た目通り厳しく、そして優しい人だ。
「……なんか、病気とか?」
よく通る低い声も、ややぶっきらぼうな口調も変わらない。
「いえ、家庭の事情で」
「…………なら、いい」
次の瞬間には、シキは抱きしめられていた。
大きいとは言えないが安心できる胸と、懐かしい匂いが心に広かる。
「心配した」
「……ごめんなさい」
正直、怒られるより堪える対応だった。
泣きそうになるくらい、堪える対応だった。
「あのさー。いいかげん構ってくれないかなー」
人込みの中で抱き合ってても特に珍しくないこの時代、こんな光景くらいでは誰も注目なんてしない。
ただし、ほったらかしにされているツレは困る。非常に困る。
二人でおっ始められて一人ほったらかしなんて放置プレイで喜べる性癖は、彼女にはなかった。
「ああ、そうだ。紹介する」
とりあえず再会の挨拶と抱擁をそこそこに済ませて、ヨーカは一緒に来ていた女を紹介する。
「川島三鳥。君のいない間にギルドに入ったメンバー」
「ミドリだよ。よろしくね」
川島ミドリ。気の強そうな瞳と眉毛、明るい茶髪を無造作なショートカットで遊び、落ち着いたヨーカの隣にいると元気さやはつらつさが際立って輝いていた。
「刀娘」に参入できるという時点で、相当な実力者である。
あのギルドへの参入条件は『ギルドメンバーを一人か二人くらい倒すこと』である。現在メンバーは半数以上がランカーで、ランカーじゃない者もかなり強いのだ。
条件の厳しさゆえに、未だ少数ギルドである。実力だけならそこらの大型ギルドにもまったく引けを取らないのだが。……リーダーの物臭のせいで相変わらず拡大する気がないのだろう。
「学校の友達なんだ。同級生」
というと、中学二年生だ。高校生と言われても違和感のない大人っぽく見えるヨーカだが、現在満十四歳である。ミドリの外見は年相応だろうか。
「早乙女シキです」
「うん、知ってる。最年少メンバーでしょ」
「いえ、候補でした」
参入試験を目前に迎えて、まさかの音信不通となった。
実力的にはかならず通るだろう、とは言われていたが、結局すっぽかした。段取りを組んだヨーカの顔をおもいっきり潰した形になった。
とりあえずゆっくり話せる場所に移動しようということになり、近場のファーストフード店に向かうことにした。
昔と比べると少々値上がりしてしまった、それでも安い有名ファーストフード店にて、上手いこと空いていたボックス席を占領した。
まず話すことは、シキの音信不通の原因である。両親の離婚のことを述べ、改めて頭を下げた。
「そうか……」
ヨーカの言葉はそれだけだった。ミドリは何も言わなかった。初対面でこんな話題である、さすがに上手い言葉が見つからない。
それで、だ。
「ヨーカさん、【崩】をお返ししたいんですが」
【崩】。シキの【斬斬御前】が今使っている刀の銘だ。
あの白木柄の刀は、デザインも機能もヨーカが作り、シキに与えたものだ。「シキは刀の使い方が下手だから、これでよく練習しろ」と。
切れ味と軽さのみを追求し、装飾も鍔もそぎ落とした耐久力ほぼ0の刀。刃同士を併せることはおろか、肉以外に刃を向けたら一発で折れるという相当な玄人仕様の一振りである。
相手の防具や盾、剣、その他のものをかいくぐり、正確に肉体を狙うための一撃必殺の刀。どんなに肉体強度が高かろうと、切れ味に特化した刃は止まらず、確実に相手を仕留めるためのものだ。
あの無茶な刀のおかげで、苦労はしたが強くもなれた。狙いをはずせば最悪刀が折れるのだ。腕を磨かないととてもじゃないが扱いきれるものではなかった。
「もういらない?」
傍目にはわからないかもしれないが、シキはヨーカが若干悲しそうなことを察した。
だが、けじめである。
あの刀は、いずれ入るであろう弟子に向けて、師匠が与えたものである。ただのデータと言えばそれまでだが、気持ちまではデータで割り切れない。
「私はもう『刀娘』のメンバーにはなれませんから」
いきなり参入試験は受けられない。対戦相手との段取りもある。ヨーカが揃えた段取りや約束諸々を、シキはすっぽかしたのだ。今更もう入ることはできないだろう。
「……持っていればいい。ギルドとか関係ないから」
「そういうわけにも」
「いいじゃん持ってれば。気に入らないなら使わなければいいでしょ」
シキとヨーカ、双方真面目なだけにミドリは奮起した。「こりゃ私が回さなきゃ話が進まないぞ」と。
「それより、今日はシキちゃんの錆び付いた腕を磨こうって話だったでしょ?」
かなり無理やりな話の進め方だったが、シキもヨーカもそれでいいと思った。けじめはちゃんとつけたいが、あの刀は二人の絆のようなものである。それを望んで失いたいわけではない。
今は無理でも、その内ちゃんと手打ちにできる時が来るだろう。互いの気持ちが同じなら。
「そうなんです。実は――」
シキは、久しぶりに【ユニオン】を操作してみた感覚で、一年のブランクが決して軽くないことを悟った。
今度のチャレンジイベントで助っ人を請われ、手を貸そうとしていること。
正式なアレではないが、師匠みたいなものであるヨーカの顔を潰すような恥ずかしいバトルはできない。もちろん元1000番以内としてもだ。
そんな理由を並べ立てた。ミドリは元から来る予定じゃなかったので話には入らないが、まあいても別に不都合もない。
「私が簡単に負けていいのはヨーカさんだけですから」
一年前、シキはヨーカにそう言った。あなたに勝てないのは仕方ないけど他の奴には簡単には負けない、と。
だから今日、神代ヨーカをこうして呼び出したのだ。
一年も不義理を働いた不肖の弟子のくせにわがままで勝手だとは思うが、かつてそう言ってしまったのだから仕方ない。
もちろん、怒られてフラれる可能性も考えている。そうなったら悲しい。でもそれも仕方ない。それだけのことをしたと自覚している。
「はあ、つまり鍛えなおしてくれと。でもヨーカ以外の相手はしたくないと」
「手っ取り早く強くなるには、強い相手と戦うこと。強い相手とギリギリの勝負をして、勝負勘を戻したいんです。だから何度かは負ける覚悟です」
「私でよければ協力するけど?」
さすがは「刀娘」のメンバーだ。かつての「刀娘」最年少メンバー候補に会う、という友人についてくるだけのことはある。
好戦的にして挑戦的である。
それくらい貪欲じゃないと強くなれないことを、ミドリはよくわかっている。
「ありがとうございます。でもまだミドリさんとは戦えません。私の準備が整ってからでよければ。その方が楽しいですよ」
「わかった約束だよ。今度はやろうね」
「ええ。今度こそ」
「刀娘」メンバーとの約束は、二回目だ。次こそは果たしたい。
「わかった。シキの訓練に付き合う」
ヨーカの答えは簡潔だった。小言もなかった。
女子が集まれば、話が弾むものである。
「刃渡りがどうの」だの「反り返りの角度の微妙なバランス」だの「波紋が美しい」だの「三日月宗近とかもうよだれ出ちゃうよね」だの「刀にだったら斬られてもいいわー」だの、かなり偏ったトークではあるが、三人とも同好の士であるため、話題が偏るのは必然である。
「そういえば、さっきチャレンジがなんとか言ってたよね」
ぼんやりしている目の文学少女が、それこそ目の色を変えて「長曾根虎徹は最高ですよ!」とはぁはぁ言いながら力説する様に仲間意識と頼もしさを憶えずにはいられなかった。
さすがは「刀娘」最年少メンバー候補だ、と唸らざるを得ない。小学生にしてこれとは、将来が恐ろしいくらいだ。
だがしかし、盛り上がってきたところではあるが、若干周囲の視線が気になってきたミドリは、いったん刀トークの矛先を変えてみた。
――もちろん本音ではどこまでも付いていけるし、どこまでも付いていきたいくらいなのだが。だがこのまま話し込んでいると私服警官や私服補導員に補導されかねないと思ったのだ。内容的に。
「そんなことより物干し竿が刀として正道か邪道か話し合いましょうよ」
なにそれ超興味あるんですけど――刀に魅せられた者として聞き捨てならんとばかりに食いつきかけたものの、ここは年上としてこらえるべきであろう。「あの備前長船長光にまさかの一石を投じるというのか……シキめ、やはり異端児か……」とゴクリと喉を鳴らすヨーカと、気持ちは同じであっても。
「まあまあ落ち着いて。――ほら、チャレンジイベント……『ブレイカーズ・ハント』だっけ? あれが終わったら、夏じゃない」
夏。
そのキーワードは、すっかり頭が沸いている少女たちを現実に引き戻した。
そうだ。夏が来るのだ。
「シキちゃんはどうするの? 私たちは今年も『刀娘』で出場するらしいんだけど」
夏。
それは【ユニオン】プレイヤーにとっては、どうしても意識せざるを得ない季節である。
【ユニオン】が発売されたのが三年前で、その一年後……現在から数えれば二年前から始まったのだ。
WFUB。
今や世界中にプレイヤーがいる【ユニオンバトル】の、世界大会予選が始まる季節である。




