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BAY  作者: 一真 シン
9/19

09 猛撃

 ケイティ艦内・特別会議室――。

 続々と集まってくる各艦艇の艦長や上官たちの表情は、皆、重々しい。

 通路の壁際、会議室に入っていく彼らの背中を見つめるロックに、フローレルは眉をつり上げ拳を振り回した。

「ひどいみゅー! フローレル、放っておくなんて、ひどいみゅー!!」

「はいはい。悪かった悪かった」

「全っ然、反省してないみゅ!!」

「反省してるって~」

 昨夜、帰ってこないロックを待ちくたびれたフローレルは、パイロット候補生の女子生徒の部屋で一夜を過ごしたらしい。今日の会議の情報を受け、ここにやってくると、すぐにパイロット候補生の正装を着こなしたロックの姿を探し、こうして詰め寄っている。

 ロックは、ギャーギャーとうるさいフローレルに空返事をしながら、会議室の前で誰かを待っていた。

「おはよう」

 エンジニア候補生の正装姿のタグーの後に、ガイ。そして、

「おはよ」

 アリスは、クリスが押す車椅子に座った状態でにっこりと笑った。会議に出席するつもりはなかったが、突然「どうしても出席する!!」とわがままを言い、フライスやセシルには内緒でクリスに連れて来てもらったのだ。

 ロックは、「よぉ」と手を上げて笑顔で応えた。

 ――みんなが再び集結した。なんの合図があるわけでもなく、輪を描いてそれぞれ向かい合い、互いの顔色を窺う。

「昨日は眠れたか?」

 ロックが問い掛けると、アリスは、ツン、と、高飛車な雰囲気で顎を上げて肩をすくめた。

「そーね。誰かさんのおかげでぐーっすり」

 “泣き疲れた”という意味合いが含まれているのだろう。ロックは突っ込むことなく苦笑すると、次にタグーへと目を向けた。

「お前は? ガイを連れて遊び回ってないだろうな?」

 タグーは少し笑って首を振った。

「ガイを連れて歩いてたらみんなが珍しがってうるさいんだ。だから、もう部屋に戻ってすぐ眠っちゃったよ。久し振りのベッドが気持ちよかった」

「だな。俺も爆睡した」と、ロックは納得するが、

「あたしはもう、寝るのはいい」と、アリスは睡眠生活にうんざりとでも言いたげに目を据わらせた。

 ロックは笑って、タグーの横に立つガイを見上げた。

「今日は頼むな。みんなからいろんな質問が飛ぶかも知れないけど」

「はい。わかりました」

「お前も頼むぞ」

 と、まだ膨れっ面をしているフローレルに目を向けると、彼女は「ふんっ」とそっぽ向く。

 彼らの様子を見ていたクリスはため息混じりに苦笑すると、アリスの車椅子を押しながら会議室のドアへと向かった。

「さぁ、蛇の巣に突入だぞォ、悪ガキ共」

 覚悟しろよ、と言わんばかりの、冗談交じりのクリスと、そしてアリスを先頭に、それぞれが後から付いて行く。

 重そうな自動ドアが開き、中を見渡すと、豪華な装飾が施された壁四方に囲まれ、その中央、何十人という大人たちが、白いクロスの掛けられた長テーブルに向き合い座っていた。圧迫感のある空気に、真剣な面持ち。それぞれがもうすでに指定された席に付いて待ち詫びていたらしい。静まり返った室内で、彼らに対して無数の視線が向けられた。

 長テーブルの中央席にはフライスが鎮座し、緊張して立ち竦む彼らを見ると少し笑みをこぼしたが、アリスの姿を見つけるなりキョトンとした。「どうして来たんだ?」と言いたげな表情だ。その数人隣に腰を下ろしていたセシルも、アリスの姿を見ると顔をしかめ、ギロッとクリスを睨み付けた。クリスはその視線と目を合わさないように、車椅子を押しながらロックたちを誘導する。彼らは、フライスと対面するような形で椅子を勧められた。

 ロックを中央にして、その左右にタグー、アリス、タグーの横にガイ、アリスの横にフローレル、そしてクリスは予め自分の席を用意していたので、そこに向かった。

 クリスが着席すると、フライスの隣に座っていた副総督が皆の顔色を窺いつつ、会議を開始するための堅苦しい言葉を並べようと口を開いたが、それをフライスが片手で制止した。

 静まり返った室内、フライスは緊張を解くことのない彼らを見て優しい笑みをこぼした。

「こんなエライ大人たちに囲まれてちゃ息も詰まるよな。遠慮はいらない。普段通りにしてくれて構わないから」

 フライスの申し出にロックとタグーは顔を見合わせた。そして、本当に遠慮することなく、軽く挨拶を済ませ、二人で今まで体験したことを交互に話し聞かせた。彼らの話を聞いていた大人たちは時にざわめき、顔を見合わせた。

「僕たちはこれからもいろいろ調べていこうと思ってます。このまま大人しくしてるなんて、できないっスから」

 ロックが真顔で告げると、彼に合わせてタグーも不安げに身を乗り出した。

「エバーにも戻りたいんです。みんなの無事を確認しなくちゃ心配で……」

 彼らの様子を終始大人しく窺っていた副総督は、じっと考え込むフライスに何かを耳打ちした。ほんの短い言葉だったようだが、フライスは黙したまま考え、テーブルの一点を見つめていた目をロックたちに向けた。

「君たちの想いを酌みたい所だが……、しかし、これ以上の行動は控えた方がいいだろうな……」

 静かな口調に、ロックたちの表情が曇った。

「君たちがこの戦いに最後まで挑みたいという気持ちはわからんでもないさ。……けれど、挑む戦いがあまりにも大き過ぎる。君たちはまだ候補生だ。もしもの時、君たちの命に関わる問題が生じた時、君たちを助けられるかどうか……。君たちはその覚悟ができているかも知れない。しかし、わたしはその覚悟は認めない。許さない」

 真っ直ぐな目に射抜かれ、ロックたち、それぞれが重みを感じていた。彼の言葉は嘘じゃない。自分たちのことを本当に心配して言っている。フライスはそういう男なんだと、よくわかっている。

 ロックは言葉に詰まり、太股の上で両手を握り締めた。

 フライスの視線から逃げられない。ダグラスの時のように、反発することができない。――と、その時、同時に左右の手に何かが触れた。両手を置いている太股へと目を向けたロックの視線の先に、タグーの手、そしてアリスの手が重なっている。

 ロックはじっとそれを見つめ、顔を上げた。

「……フライの言う通り、いざって時、俺たちはどうなるかわからない。けど……このまま大人しくしてるつもりはない」

 “僕”じゃなく“俺”と言葉を直して話す、そんな彼に対して大人たちは明らかに不快感を露わにした。だが、当のフライスは冷静沈着。

「駄目だ」

 サラッと交わされ、ロックはキョトンとしたものの、すぐにムッと目を据わらせた。

「はいわかりました、って言えるかよ」

「駄目だ」

 表情を変えることなく、ただ繰り返すフライスの冷めた態度に、ロックは更に目を据わらせた。

「フライが俺たちのことを心配してくれるのはありがたいし嬉しいけどっ、でも、俺たちだってやればできるんだぜっ?」

「わたしたちが助けに向かった時、君たちはどんな姿だった?」

 睨むような厳しい目で見返され、ロックは言葉を詰まらせた。

「そ、それは武器がなかったからだよっ」

 フライスに楯突くなんて今まで想像したこともなかっただけに、身を乗り出して意見するタグーの表情が強張っている。

「ぼ、僕たちは素手の状態だったっ。でも今ならインペンドもあるしっ」

 精一杯の反論だが、フライスはため息を吐いて首を振った。

「試験に合格してたか?」

 痛い所を突かれ、タグーは「うっ……」と頬を引きつらせてガックリと身を引いた。

「……あたしは眠っていたから、全てのことについてはわかりません……」

 テーブルの一点を見つめたまま語る、アリスの静かな口調にみんなが目を向けた。

「……皆さんがあたしたちのことを心配してくれていることには本当に感謝しているんです。あたしはライフリンクですから、皆さんの思いがわかります。……けれど、それ以上にロック候補生、そしてタグー候補生の気持ちが大きいんです。……二人は何もわからない所からスタートした。けど……まだゴールしていないんです」

 アリスは顔を上げてフライスを見た。

「……エバーの村には待っている人もいます。必ず迎えに行くって、約束しました。あたしの手でそれは叶えます。……彼らもそうです。ノアの番人と戦った。その戦いに決着も付いていない。……ダグラス教官とのことだって、終わってない……」

 ロックとタグーが見つめる中、一瞬視線を落としたはアリスは、再び顔を上げて、フライスに真っ直ぐな目を向けた。

「……二人には、やり遂げなくちゃいけないことがあるんです。……力不足なのはわかっています。強がりません。だから……力を貸してください。このままじゃ終われないんです。……お願いします。二人に力を貸してください」

 フライスに深々と頭を下げる、そんな彼女を見ていたロックは、ガタンっと椅子から立ち上がるなり、顔を真っ赤にして食って掛かった。

「何言ってんだよ! 俺たちに力を貸せだ!? お前も一緒だろーが!! なに人を庇うようなこと言ってンだよ!! 行く時はお前も一緒だからな!!」

 その言葉に今度はセシルが椅子から立ち上がって身を乗り出し、ロックを睨み付けた。

「何を言ってるのっ。アリスが今どんな状態かわかってるでしょっ。その子を連れて行くことは絶対に許しません!」

 ロックは逆にセシルを睨み付けた。

「こいつは俺たちの仲間だ!」

「仲間なら身体の心配をなさい! あなたたちが頼りないからアリスはそうなったんでしょ!?」

 アリスは、怒鳴るセシルに向かって焦るように首を振った。

「違います教官! こうなったのは自分が望んだことで!!」

「望んでやったの!? そうなることを知ってたの!? 確信犯なの!?」

 タグーが愕然と、ロックを間に顔をしかめてアリスを見る。

 ロックは飛び交う言葉を振り払うように「あぁー!!」と、大きく腕を振った。

「とにかく! 行く時は三人でインペンドに乗る!!」

「ムチャ言うんじゃないわよ! 今のアリスがインペンドを起動できるわけないでしょ!?」

 セシルもロックに負けず、険しい表情で怒鳴った。

「で、でも休めば……」

 タグーが控えめに口を挟むが、鬼の形相のセシルに睨まれ、肩を震わせて身体を縮めた。

「あなたたちは大人しくしてなさい!!」

 セシルにビシッと指差されたロックは、ムカ!! と眉をつり上げた。……と、その時――

「みゅー……。フローレル……怖いみゅー」

 フローレルが首を縮めて、怖々と上目遣いでみんなを見ている。

「ここの人間、怖いみゅー……。怒鳴ってばかりみゅー?」

 拗ねた子どものように、悲しげに俯く。そんなフローレルの隣、アリスは心配げに顔を覗き込み、彼女の肩に手を置いた。

「エバーのみんな、ロックたちの心配たくさんした。でも、がんばれって言ってくれたみゅ。励ましてくれたみゅ。……笑顔で見送ってくれたみゅ。……嬉しかったみゅ。……ここ、窮屈。フローレル、エバーに帰りたい……」

 フローレルは半べそを掻くと、アリスに寄り添い、肩元に顔を埋めた。アリスは戸惑うように目を細め、それでもフローレルの背中に腕を回して優しく抱きしめた。

 何か言おうと思ったが、何も言えず、ロックはそんな彼女たちを見て視線を落とした。他のみんなも――。

 フライスは一言も口を開くことなく、何かを考えるようにテーブルをじっと見つめていたが、

「わたしはあなた方の言い分がわかります。彼らは頼りのない子どもですから」

 様子を窺っていただけのガイの声が部屋に行き渡り、みんなは瞬時に、彼へと目を向けた。

 フライスもゆっくりと顔を上げ、他のみんな同様、ガイの様子に注目した。

「しかし……本当にそうなのでしょうか?」

 ガイは少し顔を俯かせ、元に戻した。

「一人一人では力が無くとも、合わせた三つの力は大きい。彼らの実績を本当に認めることができるのならば、その実績に伴う信頼も必要なのでは?」

 大人たちが、チラ、と、互いの顔を見合わす中、タグーは隣のガイをじっと見上げた。

「上官という立場上、彼らの身の安全を保証するのは当然のこと。しかし、それは押さえ付けることではありません。幼くとも、彼らにも自ら選ぶ権利はあり、あなた方はそれに耳を傾ける義務があります。互いが譲歩できない状況は、誰のためにもなりませんし、なんの益にもなりません。……彼らが子どもで、未熟であるならば、その成長を促すのは大人の務め。そして、彼らがいつまでも子どもで在り続けるのは、大人の怠り。……彼らの歩む道を綺麗にし、危険のないようにと思いやることは、本当に彼らのためになるのでしょうか」

 じっと話を聞いていたフライスは、ガイが静かになると目を閉じた。

 タグーは言葉を切ったガイを見つめ、「……ありがとう」と小さく言って微笑んだ。

 ロックは、アリスとフローレル、そしてタグーとガイを見て、俯き、グッと拳を握って顔を上げた。

「……俺たちにも戦わせてください」

 フライスは目を開けてロックをじっと見つめた。威圧的ではないが、真っ直ぐ過ぎる程の視線にロックは何かを決意したのか、真剣な表情で彼を見据えた。

「どうしても無理だと言うのなら……俺はこの艦を下ります。……候補生をやめます」

 タグーとアリスは大きく目を見開いた。周囲の大人たちも驚きの表情を隠さない。

 フライスは目を鋭く細め、真顔のロックを睨んだ。

「それがどういうことか、わかって言ってるんだろうな?」

「……。わかってます」

「甘ったれるな」

 フライスが低い声で吐き捨てた。

 怒りを押し殺すような、今まで見たことがない様相に、ロックの身体が一瞬に硬直した。

「誰がどう言おうとお前はまだガキだ。自分でもわかってるだろ。半人前で大した力も持ってないくせに粋がるのも大概にしろ」

 フライスの刺すような言葉に、ロックは唾を飲み、身動きできずに立ち尽くした。

 そんな彼らの様子をただ遠くの席から眺めていたクリスは、ため息を吐いて、口元に笑みを浮かべた。そして、「やれやれ、フライも大人になったモンだねぇ……」と、そんなことを考えながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「フライス総督閣下、彼らを信じてみてはいかがですか? ガイの言うとおり、彼らが未熟だと言うのなら、それをバックアップするのも我々大人の務めでしょ」

 苦笑するクリスに向けられた視線の多くが「何馬鹿なことを言っているんだ?」という、蔑むような色が強かった。しかし、丁寧に名指しされたフライスは、クリスを見て、怒りで一面だった顔をキョトンとさせた。

 みんながフライスの出方を窺う中、オペレーターのアーニーはテーブルに視線を落として微かに笑った。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、“あの時”のこと――。

 彼らが若きパイロット時代、“消えた親友”を探していたフライスが、「特殊な人体を提供せねば総攻撃を仕掛ける」との脅しを受けていたという情報を隠蔽していた艦隊に腹を立て、上官に辞表を叩き付けた時、当時、直属の上司だったダグラスが「甘ったれるな、このガキ!」と、フライスを呼び出して殴り飛ばした。

「お前みたいな非力な若造に何ができるってンだ!! 粋がるのも大概にしやがれ!!」

 そう言って――。

 その時、クリスがフライスの盾になってダグラスに食って掛かった。

「だったら力を貸してくださいよ! こいつが非力だってわかってンなら、こいつを助けるのがあんたの役目でしょうが!!」

 普段はクールで、おちゃらけていたクリスが、その時、初めてダグラスに盾突いたのだ。

 アーニーは思い出しながら寂しく笑った。

 ……その後、ダグラスもすぐに辞表を出してフライの力になってくれたのよね――。

 フライスは、試すように笑っているクリスを見て、分が悪そうにガシガシ……と頭を掻き、ため息を吐いた。

「……条件として」

 その言葉にロックたちみんなが顔を上げる。

「絶対に交信を怠らないこと。無謀な行動はしないこと。危機を感じたなら退避すること」

 言い終えたフライスは、顔を上げてロックを真っ直ぐに見た。

「守れるか?」

 ロックは目を見開いて、笑顔で背筋を伸ばした。

「はい! 守れます! ありがとうございます!!」

 セシルはドスっと不愉快げに椅子に座り込んだ。それを見たフライスは「……今度はこっちか」と、小さく息を吐いてアリスに目を向けた。

「アリス・バートン。君は完全に体力を回復することが条件だ」

「……はい。……ありがとうございます」

 アリスは笑みをこぼし、セシルに目を向けた。セシルは彼女の視線に気が付くと、大きくため息を吐き、「……もういいわよ」と言うように頷いた。

 タグーは嬉しそうにロックを見上げた。

「やったねロック!」

 ロックはグっと拳を作ってタグーに応える。

 フライスは「やれやれ」と肩の力を抜いてガイを見た。

「彼らのことを頼む。ムチャをしないように見張っていてくれ」

「はい。常にそうしています」と、ガイは頷いた。

 フライスははしゃいでいる彼らを見て苦笑すると、気を取り直すように大きく息を吐き、顔を上げた。

「……それじゃ、本題に入ろうか」

 その出だしにみんなの顔が引き締まり、立ち上がっていたロックとクリスは大人しくイスに腰掛けた。

 フライスは真顔でガイに目を向けた。

「まず……ノアコアという敵地のことだ。ノアの番人と呼ばれる彼らが我々と同じく人間なら、話し合うことができるだろうか?」

 フライスの問い掛けにガイは考えることなく首を振った。

「それは不可能かと思われます。彼らと話し合う切っ掛けがあったのならすでに行われているのでは? 彼らノアの番人にとって、あなた方は仲間や同志、家族ではないのです。それを心に留めて置いてください」

 フライスは、「うんうん」と頷いているフローレルを見て、小首を傾げながら口を開いた。

「君は、ノアの番人が何かを企んでいる、と言っていたね。……支配、か。……しかし、それだけだろうか? 真の所を、君は知っているか?」

 フローレルは口を噤んでしまった。視線を落とし、何か、言葉にすることを躊躇っている。

 ロックはテーブルに身を乗り出し、アリスを挟んだ彼女を窺った。「どうした?」と言わんばかりに眉をひそめられ、フローレルはソロ、と、彼を横目で見て、分が悪そうに身を縮めた。

「……あいつらが言ってたみゅ。……すべてを、元に戻したい、とか……みゅ……」

 言葉尻を濁すその言葉に、上官たちが互いの顔を見合わせてざわめき出す。だが、ロックたちはワケがわからずに、俯くフローレルを見つめた。

「――元に戻したい、というのは」

「みゅっ、みゅみゅっ、必要ないみゅっ」

 真顔で繰り返したフライスの言葉を遮り、フローレルは顔を上げて、訴えるように身を乗り出した。

「元々を目指したって、ちゃんと元には戻らないみゅっ。そうみゅっ? だったら今のままでもいいと思うみゅっ? ……でも……フローレルの仲間の中には、ノアの番人の意見に賛同する人もいるみゅ。……わからないでもないみゅ。……ううん、言いたいことはわかるみゅ。けど、罪のない人たち、巻き沿いになる。それだけはイヤ。だからフローレルたち、戦ってるみゅ……」

 意味がわからずに、ロックとタグーは互いに顔をしかめて見合わせた。

 フライスは小さく息を吐くと、テーブルに置いた手を組み、そこをじっと見つめた。

「……そうだな。罪のない者が死に行くのは耐え難いな……」

 呟くように言うと、間を置いて顔を上げ、ガイを見た。

「どちらにせよ、我々はノアコアに出向かなければならないだろう。まず、ノアコアに潜入して内部調査に当たりたい。可能か?」

「潜入は可能だと思います。ただし、ノアコア内にはIDがないと潜入はできません。クロスの方々に頼めばどこかからチップを流通してくれるでしょうが……。しかし、例え潜入できたとしても彼らに見つかってしまうでしょう。不審なものに対して慎重な体制を整えているようです。ノアの番人に逆らおうとして、ノアコアに潜入し、誰一人としてそこから戻ってこないのは、内部潜入に成功したとしても、簡単に見つかってしまう何かがあるからなのだと思います」

 フライスは少し視線を斜め下に置いて考え込み、フローレルに目を移した。

「その情報について、君たちは何か掴んでいないか?」

「みゅー……」

 フローレルは視線を上に向けて顔をしかめた。

「フローレルたち、元々ノアコアにいたからIDは体内に埋め込まれてるみゅ。だから、持ってない人のことなんか考えたこともなかったみゅ」

「そうか……」

 フライスはテーブルへと視線を落とした。

「しかし……どちらにせよ、ノアコアという所に潜入し内部調査をせねば話は進みませんよ」

「話のできる相手なら、それに越したことはありませんがね……」

 大人しく話に耳を傾けていた上官たちが口火を切る。

「ノアの番人という奴らに、これ以上、好き勝手させるわけにもいかんでしょう」

「偵察部隊を徴集して、身の危険がない程度に、時間を掛けゆっくりと内部に潜入してみてはいかがかと」

「一度、宇宙に発って、世界政府に協力を要請しては? この場所から地球への通信が不可能なのは、地球からの援軍を恐れてのことでしょうから」

「しかし、一度宇宙に出てしまったら再びこの地に受け入れられるかどうか……」

「現在地さえ特定できれば、あとは宇宙警察の手も借りることができるでしょう。なんにしろ、あらゆる重要電波障害で手も足も出せん」

 次々と意見を出し合う上官たちの言葉に耳を傾けながら、フライスはガイに目を向けた。

「協力してもらえるか?」

「はい」

 ガイが間を置くことなく頷くと、何か思い付いたのか、ロックは勢いよく身を乗り出してテーブルに手を付いた。

「俺っ、偵察部隊に入れてくださいっ!」

 彼の言動に大人たちは静まり返り、「……またか」と言わんばかりの冷めた目をジロリと向けた。今までのことに加えて、更に悪印象を与えてしまっているのだが、そんな空気を感じることなく、ロックの隣のタグーも慌てて椅子から立ち、挙手した。

「ガイやロックが行くなら僕もっ!」

「フローレルも行くみゅ!!」

 と、フローレルまでも、タグーのマネをして手を挙げて立ち上がった。

 意気込む彼らを目の前に、フライスは呆れるようなため息を吐いた。

「ガイとフローレルには協力してもらわなければならないが、君たち二人を連れて行くわけには」

「ロック行かないンなら行かないみゅっ。フローレル、ロックと一緒にいるみゅーっ!」

 口を尖らして、フローレルがわがままな子どものように駄々を捏ねる。

 フライスは「まったくこいつらは……」と言わんばかりに、更に呆れて脱力し、額を掻いた。

 上官たちが「遊びではないんだぞ!」「偵察部隊は用意してある!」と非難するように睨むと、ロックたちはロックたちで、「俺たちの方がこの土地は詳しい!」「ガイもフローレルもいる!」と、候補生の立場を忘れて猛反発をした。

 収拾がつかないほどの騒々しさに、どちらにも賛同しないクリスは、「やれやれ」と、呆れんばかりの態度でテーブルに肘を突いてそこに顎を乗せた。セシルもうんざりするような表情でそっぽ向いている。

 フライスはため息を吐くと、みんなを宥めるように手を挙げた。

「まぁ、待ってくれ」

 彼の一声でピタリと怒号が止んだ。

 じっくり意見を伺おうと息を潜める、そんな空気を感じながらも、しかし、それに流されることなくフライスは苦笑した。

「ロック・フェイウィン、タグー・ライト。君たちに何かできることがあるかを考えてみよう。それまでこの話は保留だ」

 つまり、また別の話し合いの場で決める、ということなのだろう。ロックたちが不服そうな顔をしたが、彼は話を続けた。

「それに、君たちはお世話になったエバーに行かなくてはいけないんだろう? どちらかを、とは言わないが、それと平行して事を進めるのはどうかと思うが」

 ――もっともな話しである。ロックとタグーは渋々ながら少し身を引いた。「じゃあ、みんなを迎えに行ったその後で!」と、内心言いたかったが、雰囲気から、そんなことを言える立場じゃないことを悟った。

 二人が大人しく席に着いたのを見て、フライスは上官たちを見回した。

「今まで通り厳戒令を掛けたまま、油断のないように。偵察部隊の徴集は、後程クルーリストを見ながら打ち合わせをすることにしよう。そして……ロック・フェイウィン。君たちもエバーの村に向かうのなら早いほうがいい。小型機と保護戦闘機を用意するから、出発予定を立て、報告するように」

 フライスの言葉に、ロックは真顔で「わかりました」と声に出した。

「その保護戦闘機には私が搭乗してもいいでしょうか?」

 セシルが軽く挙手をして腰を浮かすと、周囲の誰もが「なぜ?」と、不可解な表情で顔を見合わせた。もちろん、フライスも同様に。

「セシル教官、何もわざわざ君が出なくても、他に優秀なパイロットは」

「訳があるんです」

 首を傾げるフライスの言葉を遮ると、セシルは制服の胸ポケットから何かを取り出して、テーブルの上に置いた。みんなの視線が集中する中、アリスは「……あっ」と声を挙げた。――キッドから預かったペンダントトップだ。

 フライスは少し身を乗り出してそれを見つめ、訝しげに眉を寄せた。

 セシルは椅子を引いてちゃんと立ち上がると、困惑げな表情のアリスに対し、少し申し訳なさそうに笑みをこぼした。

「勝手に持ち出してごめんなさいね……。昨日、あなたが着ていた服を片付けていたら見つけたのよ」

 ロックとタグーは、驚きにも似た表情で目を見開いているアリスを振り返った。彼女は何も言葉を発さず、ただセシルを見つめている。

 セシルは、ペンダントトップから目を逸らさないフライスへと真っ直ぐ目を向けた。

「見覚えは?」

 問い掛けに、フライスは少し目を泳がして、ゆっくりと、何かを思い出そうと椅子にもたれた。

 ――確かにどこかで見たことがある。じっくりとではないが、何か引っ掛かっている。

 じっと黙し、ペンダントトップを見つめていると、彼の脳裏、埋もれていた記憶の底から何かが蘇ってきた。途端に、彼は「まさか……」と大きく目を見開いた。

 セシルは息を飲むフライスの表情に何かを確信したのか、ペンダントトップを手に取って、それを胸の高さまで上げるとアリスに問い掛けた。

「これを持っていたのは、エバーの村に住む、あなたたちを保護してくれたキッド、という女の人?」

「……はい」

 アリスは頷いて答える。

「エバーの村は、ノアコアから逃げてきた人、私たちのように光の柱に飲まれ、脱出し、ここに不時着した人、だったわね?」

「……はい」

「あなたは彼女に会って、何かを感じなかった?」

 真顔で問うセシルにアリスは一瞬戸惑ったが、視線を彼女から逸らすと、小さく声を漏らした。

「……よくわかりません、けど……、でも……絶対に、迎えに行って、ここに連れてこなくちゃって、……そう、感じました……」

 躊躇い、言葉尻を濁すアリスにセシルは頷くと、ペンダントトップの蓋を開け、それをロックたちに見せるようにテーブルに置いた。

「ここに映っているのは、10年近く前、当時戦闘員パイロットだった私と、クリス医務官、フライス総督。そして、光の柱に飲まれたもう一人の仲間、ケイティ・カミエールです」

 ロックとタグー、そしてガイとフローレルは身を乗り出して、そのペンダントトップに映し出された笑顔の四人を見つめた。――確かに、あどけなさの残る見覚えのある顔が……。

「……キッドだ」

 タグーが確かめるように声に出した。

「あれ、キッドだよ。……え? どういうこと?」

 タグーはキョロキョロと、答えを求めるようにロックとガイを交互に見た。

 ロックはロックで、ガイを見て顔をしかめた。

「キッドは昔の記憶をなくしてるって、俺はアンダーソンさんからそのことしか聞いていないぞ?」

 ガイはロックに顔を向けて頷いた。

「わたしもそのことしか聞いていません。重度の記憶障害のようですが」

 彼らの言葉のやりとりを聞いていたフライスは、今までの冷静さをなくし、焦るように身を乗り出した。

「そのっ、キッドという名の女性はっ……、確かにその写真の人かっ?」

「間違いありません」

 ロックが頷き答えると、タグーはロックとフライスを交互に見ながら、ふと、何か思い出したように顔をしかめた。

「キッドのこと、フライが知ってる? ってコトは……リタは? え? フライの子ども?」

 そのセリフにみんなの視線が一斉にフライスに向けられた。セシルも「はぁっ?」と驚いた表情でフライスを見ている。

 フライスは、「お、おい……」と挙動不審に狼狽えてロックたちを交互に窺った。

「そ、その女性に……子どもが?」

「……はい。女の子です。名前はリタ。5、6歳ぐらいだと思います」

 フライスはロックの言葉に不可解げな表情をしていたが、ハッと何かに気が付いて、ゆっくりとクリスを振り返った。アーニーも彼を睨むように見ている。クリスは二人の視線に「……俺?」とキョトンとした顔をしていたが、フルフルと首を横に振った。

 フライスは疑い深い目つきでクリスを見ていたが、気を取り直し、みんなの様子を窺うだけのアリスへと目を向けた。

「どうしてこのペンダントトップを?」

「……エバーを発つ前に、キッドさんに持ってて欲しいって言われたんです。どうしても、私に持たせなくちゃいけない気がするって。それで……」

「……」

 フライスは安心したように脱力して、ゆっくりと椅子の背もたれに深く座り込んだ。

 セシルは、どこか遠くを見つめているフライスへと身を乗り出し、訴えるように胸に手を当てた。

「私に行かせてください。どうしてもこの目で確かめたいんです。本当に彼女が記憶をなくしているのなら……なんとか力になってやりたいんです」

 切実なセシルの要望に耳を傾けるだけで、彼女の方を見ることはなかったが、フライスは深く息を吐いた。

「……ああ。頼む……そうしてくれ。……一刻も早く……エバーの村人たちを連れてきてくれ……」

「はいっ!」

 セシルは笑顔で力強く頷いた。

 ――その後、魂でも抜けてしまったかのように、脱力しっ放しでボンヤリとしたフライスに誰も突っ込めず、会議は副総督の手によって締め括られた。

 上官たちが話し合いながら会議室を後にする中、クリスは笑いながら、椅子に深くもたれたままのフライスに駆け寄った。

「ケイティが生きてるのかっ! そりゃよかったなっ!!」

 嬉しそうに背中を叩かれ、フライスはゆっくりとクリスを振り返った。

「……。白状しておけよ」

 無表情な上に冷めた視線――。

 クリスはそんなフライスを見て戸惑うように、はぐらかすように笑った。

「まさか、俺を疑ってるわけ?」

「……。お前以外に誰がいるんだ?」

「お前だっているでしょーに」

「……。全部お前が取っていく」

「ケイティは別だって」

「……。いつもそうやって言ってたな」

「俺を信じろ」

 不信感を募らせて睨むフライスと、真顔で言い切るクリスのやりとりを見ていたロックたちはボー然としていた。なにしろ、つい先日まで一緒にいた人は、フライスたちと昔の同僚だった人だ。しかも、このケイティ艦の名前の由来となる女性。

「……信じられないね。キッドがフライと知り合いだったなんて……」

「ああ……」

「……リタはどっちの子どもだと思う? 僕としてはフライの子どもであって欲しいんだけどな」

「……。確かに」

「けど、あのリタのやんちゃっぷりはクリスかなあ……うーん……」

 ロックとタグーが悩む中、アリスは一人、考え込んでいた。

 ――確かにリタからはあたしが知っている人の気配が感じられた。……けれど、フライやクリスの表情からすると……あの二人じゃないのかしら? ……それじゃ、いったいリタの父親って……。

「ありがとうね」

 みんなの元に、セシルが笑顔で近寄ってきた。

「偶然とは言え、親友が生きているってコトがわかった。すごく嬉しいわ」

 本当に嬉しいのだろう。今まで見たことのないようなあどけない笑顔のセシルに、タグーは椅子を立って近寄った。

「キッドの子どものリタって、父親はどっち?」

 訝しげに、それでも興味津々な視線にセシルは「んー……」と、視線を上に向けて腕を組み、考えた。

 確かに過去の記憶を辿ると、ケイティの身近にいた男性といえばフライスだ。恋人同士だったとしてもそれはおかしくない。けれど、フライスの証言通り、彼が想いを寄せた女性は片っ端からクリスが横取りしていたのも事実。

「……。難しいわね」

 セシルはそうため息混じりに答えると、苦笑しつつ肩をすくめた。

「ンとにかく私も一緒に行くから。そしたら何かわかるかも知れないし。ね」

「……フライの方がいいなあ。それならまだ、リタの将来も安心できる」

 ブツブツと言いながらガイの傍に戻るタグーにセシルは首を傾げたが、「……それじゃあ」と、気を取り直してロックたちを見た。

「いつ向かう? 用意は?」

 急かすように伺われ、ロックはアリスを窺う。その視線に気付いたセシルは、彼が口を開く前に手を伸ばして二人の間に割り入れた。

「アリスは駄目よ」

 見抜いたセリフに、ロックは目を据わらせてセシルを睨んだ。

「けど、こいつだって迎えに行くって約束したんだ」

「身体の方が大事よ」

「違う。想いの方が大事だ」

 自分の左胸に右手を置くロックと、腕を組むセシルが睨み合う。

 アリスは二人を交互に見ていたが、少し視線を落とし、それでも顔を上げて言った。

「あたしも行きます」

 セシルは片眉を上げ、上から目線でアリスを窺った。

「アリス?」

「だ、大丈夫ですっ。絶対無茶しないしっ。……ンほらっ、セシル教官が一緒なら、もう全然怖いモノなしですっ!」

 煽てるように口走る、そんなアリスを見てセシルは益々目を据わらせたが、ガイが近付いてきて、その巨体に少し身動いだ。

「危険のないよう、わたしが傍に付いています。ご心配なく」

 大きなガイに見下ろされ、「うっ……」と、セシルは息を詰まらせた。そして、ガイには勝てないと判断したのか、諦めて、ため息混じりに肩の力を抜いた。

「……わかったわよ。……けど、今度何かあったら絶対病室から出さないわよ」

 目を細めて忠告するセシルに、アリスは「はいっ!」と、元気よく頷いた。

 タグーは嬉しそうにアリスの車椅子の後ろに回って、背後から彼女を窺った。

「よかったねアリス! またキッドたちに会えるよ!」

「一番嬉しいのはお前だろ」と、ロックが苦笑気味に突っ込みを入れる。

 タグーはムッとロックを睨み付け、そして、何か反論しようとした、その時、突然、艦内に警報が鳴り響いてみんなは顔を上げた。

《艦内乗組員に告ぐ! 繰り返す! 艦内乗組員に告ぐ! 北緯35度方向より敵機確認! インペンド搭乗手続きを終え、至急艦内機動兵器格納庫に集合せよ!!》

《お呼び出しします!! フライス総督!! 至急司令塔までお越しください!! フライス総督!! 至急司令塔までお越しください!!》

 けたたましく鳴り響く警報とオペレーターの焦るような艦内放送に、会議室に残っていた上官たちが取り乱したようにザワつき出した。

 ノアに来て初めての敵機確認だ。きっと、今までのような偵察機ではないだろう。

 フライスは舌を打ち、駆け足で会議室を出ようとしてロックたちを振り返った。

「君たちはセシル教官の指示に従って安全区域内に避難しておけ! いいな!?」

 言うだけ言うと、彼らの答えを待たず、上官たちを従えてフライスは駆けて行った。

 ロックが険しい表情で振り返ると、セシルは、対面から走って来たクリスを見上げた。

「地下ブロックに行った方がいいわっ。あそこならまだ衝撃が少ないから!」

 クリスは真顔で頷き、みんなを誘導しようとしたが、

「待ってくれよ!」

 ロックが足を踏み出したみんなを止めた。

 警報と、繰り返される艦内放送が鳴り響く中、ロックはセシルに腕を広げた。

「ノアの奴らだろ!? 俺にも出撃させてくれ!」

「何を言ってるの! ろくにインペンドの操縦もできないでしょ!」

「小型機でもいい!!」

「ダメです!!」

「なんでだよ!!」

「身分を弁えなさい!!」

 セシルとロックの言い合いが続く中、強化ガラスを越えて、遠く、低い音が聞こえ出した。ノアからの攻撃が開始されたという合図には違いない。

 ロックは焦って身を乗り出し、祈るように顔の前で両手を組んだ。

「頼む!! ……頼むから!!」

「ダメったらダメ!!」

 セシルは頑として首を縦に振らない。

 せっかく下手に出たのに! そう言わんばかりにロックはグッと拳を握り締め、歯を食い縛ると、ダッと駆け出した。タグーはその背中を途中まで追って、慌てて声を掛けた。

「どこに行くの!?」

「司令塔に行く!! フライに頼んでくる!!」

 振り返りもせず、大声で返事だけをしたロックの突拍子もない行動に、タグーは「えぇ!?」と驚いたが、彼の背中が見えなくなると、「……ああーっ、もう!!」と、呆れ半分に言葉を吐き捨て追い掛けた。もちろん、その後をガイとフローレルも付いて行く。

 セシルは司令塔へと向かう彼らに「こらぁ!!」と怒鳴り声を挙げ、他人事のように立っているクリスを振り返った。

「なにボサッとしてるのよ!! 早くあの子たちを止めて!!」

「無駄だと思うけどねぇ?」

 クリスは肩をすくめて苦笑したが、セシルの恐ろしい程の形相に、「わ、わかりましたよ……」と、すぐに彼らを追った。

 残されたアリスは、すがるような目でセシルを見上げた。

「教官……っ」

 セシルはアリスを見下ろし、少し困ったような表情を見せていたが、「……ンもぅっ!」と、苛立ち気味に司令塔へと車椅子を押した。

 ――耳障りな程、警報音が辺り一面に鳴り響き、廊下の壁に一定距離にて設置されている赤いランプが点滅する。慌ただしく走る戦闘員たちとすれ違い、大声で指示を出す大人たちの間を潜り抜ける。

 ロックは、ケイティ艦の最上階にある司令塔を目指した。そう簡単に出入りできるような所ではないが、今はみんなが混乱状態だ。候補生の一人や二人が走り回っていても、注意を飛ばす者はいない。

 ロックは司令塔の入り口、自動ドアの前で足を止め、それが完全に開かれる前に中へと駆け込んだ。

「敵機確認! 機動兵機三体! 小型機五機!」

「武装兵士の確認も取れました!!」

「インペンド出動!」

「光弾狙撃手、配置完了!!」

 騒々しく女性オペレーターたちの声が飛び交う。

 ロックは息を切らしながら、その中央を陣取るフライスの姿を見つけて、駆け足でそこに向かった。

「フライ!!」

 上官やアーニーと険しい表情で話をしているフライスに声を掛けると、彼はすぐにロックを振り返った。だが、すでに総監としての顔に戻っている。ロックを見るなり険しさを露わにした。

「こんな所で何をしてるんだ!!」

 フライスの怒声にロックは息を飲んだが、それでも一歩前に出て胸を押さえた。

「俺に出撃させてください!!」

 必死な申し出に快く答えてくれるはずはない。フライスは眉をつり上げ、腕を振った。

「お前の出る幕じゃない!! 下がってろ!!」

 そう吐き捨てると、再び上官たちに顔を戻す。

 ――ロックは戸惑った。無理な願いだということは百も承知だ。……けど!!

 司令塔一面に張り巡らされた強化ガラスに目映い閃光が走ってみんなが目を伏せた。一歩遅れて、爆音と激しい振動が伝わり、ロックは目を伏せながら、足下がグラ付いて体勢を崩しそうになり近場のコンピューターデスクに掴まった。

「艦隊前方5キロ範囲内、着弾!! ガトリング攻撃開始します!!」

 強化ガラスの向こう、ロックは空に向かう無数の光弾を凝視した。それと同時にタグーとガイとフローレル、そしてクリスが司令塔の中に駆け込んできてロックの横に並んだ。

 タグーは、オペレーターや上官たちと忙しなくやりとりをしているフライスを見て、何を言っても聞いてもらえないだろうことを自分の中で確認するとロックの服を引っ張った。だが、ロックはタグーには目もくれずにフライスを睨み付け、食って掛かった。

「行かせろよこのクソヤロー!!」

 「ウゲッ!」と、タグーの顔から血の気が引いた。

 上官たちが不愉快な表情を見せる中、フライスはゆっくりとロックを振り返ると、

「クソガキは黙ってろ!!」

と、売り言葉に買い言葉か、そう一喝した。

 ロックはムカッ! と、眉をつり上げ、握り締めていた拳に力を入れた。

 アリスとセシルがやってきて彼らの背後に立つと、アーニーは勢揃いした彼らを見て大きくため息を吐き、「あなたまでなんなのっ?」と言わんばかりにセシルを睨み付けた。セシルは困った表情で彼女を見返す。そんな彼らを交互に見ていたクリスは、警報音や、遠く響く爆音、オペレーターたちの甲高い声に掻き消されない程度の声でフライスに言った。

「行かせてやれ! 死んだら死んだでいいんだよこんな奴ら!」

 呆れ気味に、見放すように言うが、フライスは反応しない。クリスはため息を吐いて再び何かを言おうとしたが、

「総督!!」

 オペレーターの一人が悲鳴に近い声を挙げ、フライスは顔を上げた。

「どうした!?」

 オペレーターの顔が青ざめ、その目は外部モニターを凝視して動かない。

「グ、グランドアレスが接近中です……!!」

 震える唇でやっと彼女が声にした言葉に、みんなの視線がモニターへと集まった。その場の空気が一瞬、止まったかにも感じた。

 ――グランドアレスが出てきた、ということは……。

 セシルは愕然と目を見開いて、無意識にフライスを振り返っていた。

 フライスは自分の目の前にある外部モニターを凝視していたが、そこに映し出されたモノを確認すると、顔を上げ、歩き出した。

「総督!!」

「どこに行かれるんです!!」

 真剣な表情で席を離れる彼を、上官たちが慌てて追い掛ける。

 フライスはロックたちの元に近寄ると、彼らには声を掛けず、クリスの前で足を止めた。

 何も告げずにじっと見つめる目を、クリスは真顔で見返した。

「……、行くのか?」

「……もしもの時は、お前に総てを託す」

「……。わかった」

 冷静な口調のフライスに、クリスは頷き答えた。

 セシルはその言葉のやり取りの意味を察すると、ガイにアリスを任せてフライスの前に出た。

「私も行くわ!」

「……悪いな。あいつの相手ができるのはアポロンだけだ」

 フライスは口々に叫く上官たちには見向きもせず、小さく笑ってセシルの肩を叩いた。そして司令室を出ようと足を進めたその時、ロックの手がフライスの服を掴んだ。

「頼みます! ……俺にも行かせてください!!」

 フライスは、すがるような目を向けるロックに穏やかな表情を見せた。

「外部モニターを見ていろ。グランドアレスがどれ程のものか、しっかりと把握して、次の戦闘に役立てるんだ」

 ロックはまだ何か言いたげな表情を見せたが、フライスは朗笑し、彼の手を離してその場から歩いて行った。後から付いて行こうとした上官たちに「来るな」と、一言だけ残して――。

 立ち尽くす彼らの中、セシルはすぐにフライスの後を追った。

「フライ!!」

 司令室を出て歩いていくフライスの前に立ちはだかって足を止めると、警報音と艦内放送に掻き消されない声で食ってかかった。

「わかってるでしょうね! ケイティが戻ってくるのよ!?」

「……ああ。わかってるよ」

「ダグラスが暴れたらどうなるかってこともわかってるわよね!?」

「……ああ。……わかってる」

「じゃあ私もディアナを出すわ! ……ダグラスにパイロット時代の恨みを全部ぶつけてやる!!」

 ドスッドスッ、と、力強く足を踏み出し歩いて行くセシルの背中に、フライスは小さくため息を吐き、後を追った。

「――クリス!!」

 ロックは焦るように詰め寄った。みんなも彼へと視線を向けている。

 クリスはフライスが出て行った後、今までとは打って変わった真剣な様子で周囲を見回し、ロックへと目を向けた。

「……お前たちは外部モニターの見える所で大人しくしているんだ」

 そう言うと、フライスがいた総督席に赴き、そのデスクの前に立った。そして、白衣を脱いで顔を上げるなり、室内を見回して言う。

「グランドアレス到着、アポロン出撃までに敵機類は全て我々で仕留める。インペンド搭乗クルーに伝達しろ。アポロンとグランドアレスが対峙し次第、敵機の動きがない限り巻き添えを喰らわぬよう警戒し、怯まぬように」

「……了解しました!!」

 オペレーターたちがそれぞれ出撃中のクルーたちに通達する。

 ロックたちはクリスの変貌ぶりにボー然としていたが、タグーに「……行こう」と背中を押され、指示された外部モニターへ向かった。

 ロックは悔しげに唇を噛みながら、インペンドと対戦する見たことのない機動兵器を睨み付けた。飛び交う敵戦闘機を追い掛けるように、光弾の光が上下左右から放たれ、爆音が強化ガラスを越して耳に届いてくる。

 鳴り止まない警報音。そして、口々に対応するオペレーターたち――。

 ロックは拳を握り締めた。その場にいるのがもどかしくて、苛立ちを押さえ切れない。今にも爆発しそうな気持ちでいたが、ふと、拳を包まれ、柔らかくも冷温な感触に目を向けた。アリスが何も言わず、諭すように彼を見つめている――。

 ロックはグッと奥歯を噛み締め、モニターへと目を戻した。

「グランドアレス接近!! アポロン出撃します!!」

「敵機減少! インペンド1機被弾! 破損状況左腕肩部! 乗員生命反応異常なし! 退避させます!」

「武装兵士撤退! 追撃しますか!?」

「いい! 逃げたいヤツは放っておけ!!」

 クリスはオペレーターに答えると外部モニターを凝視した。

 炎と煙が所々で上がり、砂埃が風に揺れる。そのモニター内にスピード重視の細身の機体、アポロンの姿が映し出された。

 ロックたちが身を乗り出してモニターに食い入ると、アポロンの後からもう一体個人機が姿を現した。セシルが搭乗している特殊機動兵器、ディアナだ。その姿に、アリスは祈るように両手を組んだ。

 ――すっかり荒れ果ててしまった地表。機体の残骸や、折れて転がる木々。渦巻く煙に、空を飛び交う小型機の影。

 アポロンとディアナはフライ艦隊群の盾になるように降り立ち、背を伸ばした。彼らの視線の先、何かが低い唸り声をあげて近寄ってくる。それはボンヤリとした黒い影になり、そして、はっきりと姿を現した。

 ――ドスンッ! と、グランドアレスは砂埃を上げて地面に仁王立ちした。

 彼らの間で言葉が交わされることはない。……と思っていたが、

《くくっ……。誰かと思ったらお前らか》

 聞き覚えのある声に、フライスやセシル、そしてクリスたちも顔を上げた。オペレーターの一人が「エレウェーブジャックです!!」と叫ぶ。

《総督自らがお手合わせとはなぁ。ワシの腕も、まだ見くびられてないらしい》

 鼻で笑うような、小馬鹿にした言葉にみんなが息を飲む。

 そこにフライスの声が飛び込んできた。

《ダグラス、何を企んでいる? ……話し合いはできないのか?》

《ふははは!! ……おい、若造。お前のその甘ったれた考えにゃあウンザリだ。話し合いで解決か? ……残念だが、問題はそんなに簡単なモンじゃぁねぇぞ》

 ダグラスの含み笑いの声――。

《お前たちが思っている以上に事態は深刻だ。本当なら、ワシゃお前たちと遊んでいる暇はねぇんだよ。わかるか? ……今なら見逃してやる。とっとと離れろ。ここはお前らのようなバカ共が戯れる所じゃねぇ》

《訳を教えろ。いったい何が起こっているんだ?》

《何が? ……そうだなぁ……。差詰め、部族間戦争って所かねぇ……》

《……部族間?》

《よぉ、聞こえているか? ヒヨっ子。ロック、聞こえているか? お前のことだ、どうせクリスにわがままブッ扱いて聞いてるだろ》

 名指しされたロックは目を見開き、顔を上げた。タグーやアリス、みんなが驚いて彼に視線を向けている――。

《……お前はなぜ戦っている? なんのために戦う? 考えたことがあるか? 闘争本能が人間の持つ本能の一部だとしても、だ。お前はなんのために戦う? なんのためにパイロットになろうとした?》

 神妙なダグラスの問い掛けに、ロックは顔をしかめただけ。こちらから何かを言葉にした所でダグラスには届きはしないのだ。

《ロック、お前はヒヨッ子だが、パイロットとしての素質はある。失くすには惜しいヤツだ。……どうだ? こっちに来るか?》

 タグーは目を見開いてロックを見た。彼は訝しげに眉間にしわを寄せ、戸惑うように目を泳がせている。

《……お前はいつか生き地獄を味わうことになるんだぞ。そうなる前にこっちへ来い》

 ロックはピクッ、と眉を動かした。

 ――……生き地獄?

 どこかで聞いたことのある言葉だが、それを思い出すことができず、ロックは落ち着きなく狼狽えた。そんな彼の様子をじっと見て、クリスは回線のスイッチを入れた。

「これはこれは、ダグラス教官。ご無沙汰で」

《……ほぅ、クリスか。どうした? ……まさか、お前ら全員、こっちに来たい、って話じゃあねえよな?》

「生憎ですがね、俺もロックもみんなも、誰一人としてあなたには共感できないようで」

《……ケッ》

「部族間戦争、……そう言いましたね? では、ロックはあなた方に必要ないのでは?」

 みんながクリスを振り返った。――その言葉の意味がわからない。

 だが、ダグラスは笑って答えた。

《ヘヘッ……。そいつはどうかねぇ?》

 ロックは戸惑いを露わにモニターを見つめた。

 砂埃が舞い上がる大地に、佇む三体の機動兵機――。

「話し合いを選びますか? それとも……戻って来ますか?」

 クリスの真剣な問い掛けにしばらく間を置いて、ダグラスの声が返ってきた。

《どちらも却下だ。まずは、この若造共を血祭りに上げてやる》

 ――ダグラスは言ったことをやり遂げる。

 みんなの間に緊張が走った。

《実力の差ってのを見せつけてやるぞ、若造》

 ダグラスの微かな笑い声が聞こえ、グランドアレスがグンッ! と動き出した。それに併せてアポロンとディアナが左右に分かれる。

 グランドアレスの機体背後に装着されている連動小型弾道ミサイルが顔を覗かせ、ドン!! と、激しい音と同時に放たれアポロンとディアナに突進した。

「シールドパワーアップ!!」

「了解!!」

 クリスが叫ぶと、オペレーターがすぐに応えた。

 外部モニターでは、アポロンが機敏性を活かして弾道ミサイルを避け、帯刀していた光剣ライトソードでミサイルを直前に切り裂いた。その瞬間、爆音と爆風が辺りを包み込み、アポロンの姿を消す。ディアナも同様に、アポロン程の動きはないがそれでもミサイルの動きを読み、それがぶつかる寸前で避けた。ミサイルは瞬時の動きに付いていけず、地面に激突し、爆発を起こして砂埃を天高く登らせる。

 グランドアレスは次々にミサイルを発射。小型の虫が群を成して空を舞うように風を裂き、アポロンやディアナだけでなく、フライ艦隊群そのものに襲い掛かった。シールド越しとはいえ、ミサイルを受けるたびに衝撃がみんなの身体を襲う。

 ――ミサイル爆破による砂煙で視界が悪い。しかし、アポロンはミサイルを放ち続けるグランドアレスに果敢にも光剣ライトソードで斬り掛かった。グランドアレスはすぐにその攻撃に気付き、左腕部に装備してあるシールドで刃先を受け止めた。アポロンの光剣ライトソードと、グランドアレスのシールドとの間で火花が散る。

 その隙を付いて、今度はディアナが間合いをはかってグランドアレスの背後から斬り掛かるべく飛び出してきた。グランドアレスはアポロンをシールドで押し飛ばすと、ディアナに身体を向け、斬り掛かろうとしてきたその腕を掴み取って地面に叩き付けた。外部回線スピーカーから小さい悲鳴が聞こえ、アリスはギュっと目を瞑り、組んでいた両手に力を込めた。

 地面に叩き付けられたディアナは、右腕を振り上げ殴り潰そうとしてくるグランドアレスに気付くとすぐさまそこから身を引いた。その瞬間、グランドアレスの右拳がドォォーン!! と、地面にめり込む。

 砂埃が上がり、すぐに風が連れ去ると、アポロンが再び剣を構えてグランドアレスの背後から襲い掛かった。だが、グランドアレスは地面から右拳を引き抜いて、素早く弾道ミサイルをアポロンに向け放出。しかし、ディアナの肩から背に向かって伸びている左右の大型ミサイルポッドが開き、追尾型ミサイルが発射されて一瞬にしてアポロンに襲い掛かろうとしたミサイルを破壊し尽くした。

 すかさず、グランドアレスはアポロンの光剣ライトソードの倍はあると思える重そうな鉄斧アイアンアックスを引き抜き、飛び退いていたアポロンに突進。そして、その鉄斧アイアンアックスをアポロンの頭部目掛けて振り下ろした。しかし、ディアナがグランドアレスの背後に降り立ち、その巨体に回し蹴りをお見舞いして体勢を崩させる。

 ――休む間もなく、三体の機動兵器は外部モニターから目を逸らせずにいるみんなの予想以上の猛攻を繰り返していた。

 ロックはこの状況に愕然として、唾を飲んだ。

 「充分戦える」――。そう頑なだった心がほんの数秒で砕けた……。

 アポロンとディアナの、二体同時攻撃にも関わらず、グランドアレスはその巨体と武装重量もなんのその、彼らの攻撃など軽々と交わしていく。これがダグラスの実力なのだ。

 アポロンの振り下ろしてきた光剣ライトソード鉄斧アイアンアックスを持つ右片手で受け止めたグランドアレスは、空いた左手で身体を殴り飛ばした。アポロンは激しい音と共に地面に叩き付けられ、装甲の薄い胸部から微かに火花を散らせた。

 ディアナはインペンドが使っていたと思われる光剣ライトソードを拾うと、そのまま勢いよく斬り掛かった。グランドアレスは左腕部のシールドでそれを受け止め、右手の鉄斧アイアンアックスをディアナの脇腹目掛けて振りかざす。立ち上がったアポロンがその寸前、ディアナの脇腹を斬り裂こうとする鉄斧アイアンアックス光剣ライトソードで受け止めた。

 ――三体が力の競り合いを始める。

 シールドの力が弱まれば、グランドアレスは力を込め続けるディアナに斬り倒される。アポロンの力が負ければ、グランドアレスの鉄斧アイアンアックスはディアナを腰部から斬り裂くだろう。

 しかし、すでにこの時点で力の差が歴然としていた。グランドアレスは片手で彼らの攻撃に耐えているのだ。フライスとセシルは両手を使って必死に対抗しようとしている。

 金縛りに遭ったようにモニターから目を離せないでいるクリスは、額に汗を浮かべ、ググッと拳を握り締めた。

 ダグラスの力を見くびっていたわけではない。しかし、いくら武装強化したグランドアレスに搭乗しているからって、これ程までに実力がはっきりと分かれるものなのか。

《くく……。くくっ……》

 ダグラスの、鼻で笑う声が微かに聞こえる――。

《くだらねぇ……。くだらねぇなぁ、おい。二人掛かりでこんなモンか、えぇ?》

 いつもの、バカにしたような雰囲気の声……。

《これでノアの奴らに刃向かおうってんだから笑わせてくれるよなぁ。フライス総督よぉ》

 ダグラスの話は止まらない――。

《人間なんてなぁ、所詮こんなモンなんだよ。わかるか? ちっぽけなモンさ。どんなに粋がってたって、これだけのことしかできやしねぇ。……くだらねぇなぁ》

 アリスは少し眉をひそめた。

 ……なぜだろう。「くだらない」と言うダグラスの言葉、その節節に漂うモノ。何か悲しいような。寂しいような……――

《これでお前らは完全にノアの敵になった。今まで好き勝手やらせていたが、もう手加減はしねぇぞ》

《ダグラス、ワケを教えてくれ……》

 ダグラスの言葉を遮るように、フライスの震える声が小さく聞こえてくる。

《なぜこんなコトになってしまったんだ? ……なんで俺たちはこんなコトをしてるんだ?》

 訴えるような、そんな雰囲気のフライスの言葉にみんなが固唾を飲む。

《どうして俺たちがこんなコトをしなくちゃいけないのか、わからない。……お前はセシルを殺そうとしているんだぞ? ……セシルはお前を殺そうとしている。……俺たち何をやってるんだ? ……仲間じゃなかったのか……?》

 アリスは愕然とした表情で目を見開き、微かに震え出した手を強く組んだ。

 ――試験に落ちた日のレストラン。あの教官たちの楽しそうな笑顔や会話。……あれは偽りじゃなかった。……偽りじゃなかった……。……何か……何かが“崩れて”しまう……――

 しばらくして、「……へっ」と鼻で笑う声がスピーカーから漏れた。

《……ワシはお前らを殺せるぞ》

 そう言うなり、ディアナへと刃を向けるグランドアレスの手に力が入ってアポロンの腕がギギッ……としなった。その光景はモニターを見ていても充分にわかる。アリスは悲痛な表情で身を乗り出した。

「セシル教官!!」

《ダグラス……!!》

 歯を食い縛るようなフライスの声が響いた。彼が必死にグランドアレスの刃を受け止めている。少しでもその力を抜けばディアナが……。

 どちらも一歩も引けない。引いてしまった時、それは“終わり”になる――。

《……ああ、そうだ、教えてやる。……エバー、だっけな。今頃、何されてっかなあ……》

 ダグラスの言葉にロックたちの目が大きく見開かれた。

《ガキ共を匿った罪、だそうだぞ。……ガキ供、聞いてるか? お前らが居た所は、もう用無しだとよ》

 ロックは拳を握り締め、ダッ! と駆け出して司令塔を出ていった。

「ロック!!」

 タグーは彼を振り返り、焦るようにガイを見上げた。ガイは小さく頷く。

「方向は南南西です。お気を付けて」

「……。うん!」

 タグーはガイに頷くとアリスを見た。

 アリスは困惑した表情で彼を見返し、間を置いて力強く頷いた。

「大丈夫。あたしも行くわ」

「み、みゅーっ。フローレルも行く!」

「フローレルはガイと一緒にいて!」

 タグーはアリスの車椅子の背後に回ると、フローレルを厳しく睨み付けた。その表情が怖かったのか、フローレルは黙り込んでしまう。

 タグーはクリスを振り返った。クリスは何も言わず彼らを見つめ、またモニターへと目を戻した。黙認、ということだろう。お互い言葉を掛け合うことなく、タグーは車椅子を押し、急いでロックの後を追った。

「――ロック!!」

 途中、エレベーター前でロックを捕まえ、タグーは息を切らした。

「……インペンドを出そう!」

 ロックは険しい表情でタグーを見て、アリスを見下ろした。

「お前は大丈夫なのか?」

「平気。それより……キッドさんたちが心配。早く行かなくちゃ……」

 ロックは心の中で頷き、唇を噛み締めた。

 自分たちを匿った罪。ノアの番人たちからの報復が本当なら――。

 機動兵器格納庫までの階へとエレベーターで移動し、エンジニアのクルーにすぐに事情を説明するが、そう簡単にインペンドを貸してくれるはずもない。

 ロックたちは「司令塔に連絡をするから待ってろ!」と言うクルーに反して、出動準備が整っているインペンドへと向かった。

「おい!! お前たち!!」

 クルーが慌てて三人を止めようと振り返ったが、すでにロックはアリスを背中に担ぎ、タグーと一緒にコクピットへと向かっていた。

「急げ!!」

 ロックはアリスをパワーカプセルの中に入れると操舵席へと飛び込むように座り、タグーはシートベルトを掛けることなく、コクピットのハッチを閉じると素早くインペンドを起動させた。

「燃料確認OK! インペンド機動!!」

「アリス!! お前はあまりパワーを掛けなくていいからな!!」

「わかった!」

 ロックの言葉に後部のアリスが大きく頷いた。彼女はすでに、手早くカプセル内のパワーコードを自らの身体へと通している。

 ロックが操縦桿を握り締めると、インペンドが一歩、二歩と歩き出し、外部モニターではクルーたちが必死にそれを止めようとしている姿が映し出される。

 内部ハッチ手前まで来るが、当然のように開けてもらえない。

 ロックは舌を打って操縦桿を動かした。

 インペンドはハッチへと手を掛け、左右の扉の間に指を入れるとググッ……!! と、力尽くで開けようとする。それを見ていたクルーたちは、慌ててハッチの扉を開けるように指示を促し出した。

 軋む音を響かせながら内部ハッチは開いたが、その後も外部ハッチを開けてもらえず、再び力尽くで開けようとした彼らに観念したのか、ハッチは完全に開けられた。

「エバーは南南西の方向にある!!」

 タグーが外部モニターやインペンドの状態をチェックしながら言うが、ロックは何を思ったのか、出撃させたインペンドを別の方へと移動させた。

「ロック!?」

 タグーは驚いて彼を振り返った。ロックの目指している所、そこには……――

「クソオヤジィー!!」

 ロックは、三体の機動兵器が絡み合っているそこへと、グランドアレス目掛けて飛び込んだ。いち早く気付いたグランドアレスは瞬時にその場から離れ、ディアナの剣が地面に突き刺さり、アポロンの剣は空を切るように空振りした。

《お前たち……!!》

 フライスの怒り口調と同時に、アポロンがインペンドを振り返った。

 ロックは機体の体制を整えると、遠く佇むグランドアレスをモニター越しに見つめた。

 ――……ダグラス……。

 しばらくして、ロックは口を開いた。

「俺たち、エバーに向かいます!」

《大人しくしていろ!! 何が起こるかわからないんだぞ!!》

「エバーじゃその何かが起こってるんだ!!」

 ロックが身を乗り出して怒鳴った。

「あそこにはみんなを守ってくれるヤツがいない!! 俺たちが行かなきゃ!!」

 ロックはそう言うと、インペンドのジェットエンジンに火を灯した。

「みんなを連れて帰ってきます!! 絶対に!!」

《待て!!》

 フライスの言葉が終わらない内に、ロックはインペンドを空高く飛び上がらせた。

 アポロンがその後を追おうとしたが、

《余所見すんじゃねぇぞ、若僧》

というダグラスの声と同時に、足下にミサイルが撃ち込まれ、アポロンとディアナ、フライスとセシルは互いに舌を打つとグランドアレスに向き直った。

 ――エバーへと急行するインペンドにノアの小型戦闘機が何度となく接触してきた。しかし、インペンドの出現が予想外だったのか、動きも空回りして、ミサイルを撃ち放ってもそれらのほとんどはロックの操縦によって避けられ、逆に電剣ボルトソードで切り裂かれた。そんなことを数回繰り返しながら、ロックはインペンドを全速力で飛ばす。

「……無事だよねっ……?」

 タグーの焦りに似た言葉に誰も返事をしない。しかし、心の中は不安で一杯だった。

 南南西を目指すロックの目が、外部モニターを凝視した。

 ――遠い森の中で煙が上がっている。

「……まさか!!」

 タグーが愕然と目を見開き、身を乗り出して叫んだ。ロックは「……くそ!!」と、苛立ちと焦りを含んだ一言を吐き、すぐにそこに降り立つべくインペンドを急降下させた。

 森の木々を蹴り倒し砂埃を上げながら、滑り込むようにインペンドを地表へと降り立たせると、ロックはエンジン停止もそこそこに、すぐにコクピットのハッチへと駆け足で向かった。それと同時に、タグーはハッチの扉を開けるスイッチを入れた。

 ――焦臭い風が、ブワッ、と、コクピットの中に入ってくる。

 ロックは身を乗り出してすぐに地上を見下ろした。タグーも、インペンドのエンジンを止め、ロックの横へと駆け寄って彼同様地上を見下ろしたが、「……なっ……!」と、言葉にならない声を発して大きく目を見開き、今にも泣き出しそうな表情で地上へ降りるための足掛けの付いたワイヤーを引っ張ると、ロックを放って一人降り立った。森の中を走り抜け、息を切らしながら愕然とした表情で村を見回した。――鉄で作られたはずの家々が無惨に倒れ、曲がり、そして中から煙を上げている。……視界に映る家全てが同じような状況と化していた。

「……キッド!!」

 タグーは大きく名前を呼んだ。

「リタ!! ……キッドォ!!」

 叫ぶように名前を呼びながら、タグーは煙と炎の立つエバーを駆け回った。

 所々、機械の部品や、そして、血痕が残っている。呼んでも呼んでも、誰一人として姿を現さない。

 タグーは村中を駆け回っていた足を止め、息を切らし、顔を歪めると、ガクンッと膝を地面に落とした――。

 インペンドのコクピットから見下ろしていたロックは、目を見開いたまま、唇を震わした。

 ……俺たちの……せいで?

「……遅、かった……?」

 不意に背後から声が聞こえて、ロックはゆっくりと振り返った。

 パワーカプセルの中、アリスが悲しげに目を細めている。

「……キッドさん、たち……、……」

 アリスは言葉を切らし、俯いた。

 ロックは、肩を震わせるアリスから目を逸らし、足下へ視線を落とした。

 ……焦臭い風だけが辺り一面を覆い、そして結局、誰一人として生存を確かめることはできなかった。どうすることもできず、これからどうしたらいいのかもわからず、落胆した三人はケイティへと帰還することに――。

 すでに戦闘は終わっていて、グランドアレスも、ノアの戦闘機の姿も消えていた。あの戦いの結果はどうなったのか、やっと少し気になり出すが、モニター上では確認できない。

 インペンドの姿に合わせてケイティの出撃用ハッチが開き、ロックは機体をスムーズにケイティ内に納め、定位置へと戻すために足を進めていたが、ふと、それを止めた。

 彼らのモニターに映っているのはインペンドの視線の先。――アポロンとディアナが壁際に立っている。

 いつもの光景だが、普段と違うのは、二体とも胸にぽっかりと穴が開いていることだ。

 ――三人は息を震わせた。

 あの穴の開いた所には、確か……。

【インペンド、スタンバイポジションに着いてください】

 オペレーターの声が響き、ロックはハッ……とインペンドを動かした。その間も誰一人として口を開かず、ただ、頭の中で考えていた。

 ……あそこは、コクピットが――。

 インペンドを元の位置に着かせ、ロックとタグーはそれぞれ機動を停止させた。

【……お帰り】

 外線スピーカーからクリスの声だ。

【……どうだった? ……エバーは?】

「……、誰もいなかった……」

 タグーとアリスが俯いて黙り込む中、ロックが静かに答えた。

 しばらく間を置いて「……そうか」と小さく声が聞こえ、そのまま交信が途切れると思っていたが、クリスから再び言葉が――。

【……お前たちから見えるだろう? ……アポロンとディアナ……】

 三人は顔を上げると外部モニターを見た。……そう。胸に穴を開けたアポロンとディアナがいる。

【……やられちまった……】

 どこかボンヤリとした、呟くようなクリスの声に三人は少し顔を歪めた。

 「やられた」という言葉の意味が掴めない。考えようとしたが、頭がそれを拒否している。

 クリスの言葉は途切れたまま――。だが、ロックとタグーの背後からすすり泣く声が聞こえ出した。声を殺して、何かを耐えるような泣き声――。

 それで封を切ったかのように、タグーは崩れるようにコントロールパネルの上に両腕を置き、そこにうつ伏した。少ししてから彼の肩が震え出し、ロックはただ、じっ……とどこかを見つめた。

【……ガイとフローレルが待っている……。……。落ち着いたら出てこい……】

 そうクリスは言い残し、外線を切った。

 ――インペンドから出てきた時、誰一人として彼らに声を掛けては来なかった。みんなが黙したまま、アポロンとディアナを取り囲んでいた。

 インペンドの足下で待っていたガイとフローレルが、俯く彼らに事の状況を説明してくれた。

 三人がエバーに向かった後、アポロンたちは再び激しく戦闘を開始したのだが、重機武装していたグランドアレスが、突然、担いでいた重機を投げ捨てると同時に、身軽になったその巨体で素早くディアナに攻撃。その素早さに気付くのが一歩遅かったディアナの胸部に、グランドアレスは手を――。すぐにアポロンが猛撃した。インペンドも同時に攻撃に入り、辺りは一時混戦。倒れたディアナを背に、アポロンは冷静さを失っていた。無我夢中な攻撃をものともせず、冷静に対処したグランドアレスは再び手を……。

 淡々と事の顛末を話すガイとフローレルに、三人は口を挟むこともなかった。

 そして、そのままそれぞれ別れた――。

 アリスは医療部のクルーに連れて行かれ、ガイとタグーはザックの元へ。フローレルはロックの後を付いていたが、何か居たたまれなくなって、彼の後を追うのをやめた……。






 アリスは、病室の窓から空を見上げた。

 医務官たちから再検査を受け、異常がないことを確認された後、また個人病棟へと閉じ込められた。それから時間が過ぎ、外はもう夜景色と化している。

 クリスからの厳戒令で、誰一人として表に出ている者はいない。見回りで出ていたインペンドの姿も。

 ――所々、窪み、盛り上がった地面。焦げた木々。散乱している機材……。

 アリスは冷たいガラス窓に両手を付けると、そこから星を見上げた。

 無数の星屑の下……。フライは星に何を刻んだんだろう? キッドは何を刻んだんだろう? ……セシルは? ……ダグラスは……?

 ――脳裏から離れない。フライたちが楽しく過ごしていた時間。あの光景がどうしても頭から離れない。思い出したくないのに、思い出して……。離れないから、悲しくて……。

 ……怖い。信じ合った人間同士、簡単に壊れてしまうモノなの? ……もし、……もしこれがあたしたちだったら……。……あたしは……――



 エンジニアのスタッフルーム――。

 数人のクルーたちとザックを傍に、一人用の椅子に腰掛けたタグーとガイが向き合っている。

 タグーがエバーのことを話し終え、ザックは俯きっ放しの彼を見て腕を組み、小さく息を吐いた。

「俺たちエンジニアはここからが正念場なんだ。これ以上の犠牲が出ないように努めるのも俺たちの仕事だ。わかるな?」

「……」

「これから至る所、外部強化、兵器強化に追われる。悲しんでいる暇もないんだぞ」

「……」

「タグー」

 返事をしない彼に、ザックはため息を吐いた。

 ガイは俯いているだけのタグーを見下ろしていたが、ゆっくりとザックに顔を向けた。

「少々、お時間を頂けませんか?」

 ガイの申し出に、ザックは素直にクルーたちと一緒に少し離れた。

 その背中を見送り、ガイはまだ俯いているタグーを見下ろした。

「タグー」

「……ごめん。ガイ……。……ごめん……」

 タグーはグッと拳を握り締め、声を振り絞った。だが、ガイはカクンと首を傾げた。

「なにがです?」

 いつもと変わらない問う声に、タグーはギュッ! と、目を閉じ、背中を丸めた。

「ガイを連れてこなかったら、キッドたち、助かっていたのかも知れない!! 僕がガイを連れて来ちゃったからっ……。キッドたちを護ってくれる人、いなくなっちゃったから!」

 半泣きに近い震える声に、遠く、ザックたちは彼を振り返って目を見合わし、俯いた。

 息を詰まらせて、顔を紅潮させるタグーの目からポタ……と、一粒涙が零れ、ガイは、床に落ちた涙の粒を見つめてタグーに顔を戻した。

「誰もタグーを責めていません」

「けど……!!」

「タグー」

 ガイはタグーの前に腰を下ろして片膝を付き、握り締めるタグーの拳に手を置いた。

「あなたがわたしに教えてくれたんです。意志を持つようにと。わたしは自分の意志であなたに付いてきたんです。そしてキッドもまた、彼女の意志であなたに付いて行くことを許したんです。あなたのどこに非があるのでしょうか?」

「……っ」

「タグー。忘れてはいけません。キッドたちは長くこの地で生活してきたのですよ? わたしより長く、この地で生きてきたんです。あなたよりも更に長く。……彼らはノアの番人の怖さも知っている。そんなノアの番人たちがいるこの地で過ごしてきた彼らが簡単にやられてしまうと、あなたは思いますか?」

 タグーはゆっくりと、真っ赤になっている顔を上げてガイを見た。それと同時に、頬を伝っていた涙がタグーの拳を包んでいたガイの手に零れ落ちた。

「わたしの目でエバーの状況を見ていないので確信はありませんが……。フローレルがあの近辺にいたのですから、もしかしたらクロスの方々が状況を察してキッドたちを助けているかも知れません。その可能性もあるんです」

 タグーは少し目を見開いた。

 ガイは、緩んだタグーの拳から手を離し、彼の肩を優しく叩いた。

「過去を振り返るな、とは言いません。しかし、あなたにはまだ未来がある。丈夫な身体もある。……あなたは進むべきです。……クロスの方々を探しましょう。わたしも彼らに会って確かめたいことがあるんです」



 ――時々慌ただしいクルーたちとすれ違うが、声を掛け合うことはない。今がどんな状況か、彼らを見ていればわかる。

 それもそうだ。フライスとセシル、そしてダグラスがいなくなってしまったのだから……。

 ロックは足早に歩きながら探していた、その足を不意に止めた。

 司令塔から少し離れた場所に位置する、ケイティ内休憩室の片隅のテーブル。大きな特殊ガラスが張られた窓際の席にいる、その姿。今までの彼からは想像も付かないような、その姿……。

 いつも背筋を伸ばし、冗談交じりの笑顔を振り撒いていたクリスは、力無く腰を曲げて椅子に深く座り込み、たばこをくわえたまま、ぼんやりと外を見つめている。ロックはしばらくその姿を見ていた。

 探していたのは彼だ。確かに彼なのだが……。

 ロックはゆっくりと足を踏み出して近寄り、そして、何も言わずに対面の椅子へと腰掛けた。だが、クリスは外を見つめ、口と鼻から白い煙を上げているだけ。

 ――二人の間に会話はない。

 クリスがくわえていたたばこの灰が長くなり、ポロ……と、服の上や床に落ちた。

「……燃えるぞ」

 見ていたロックが小さく注意すると、クリスはフッと、口元に笑みを浮かべた。

「……燃えやしないさ。灰は……火が通った後のゴミだ」

 クリスは、短くなったたばこを手に取ると灰皿の上でもみ消し、肺の中に溜まっているだろう煙を一気に吐き出した。そして、大人しくしているロックへと目を向け、ニッコリと朗笑した。

「どうした?」

 クリスの質問にロックは少し眉を動かし、呆れるようなため息を吐いた。

「どうした、じゃねぇだろ。……そりゃこっちのセリフだ」

「そうか?」

「そうだ」

「……そうか」

「ああ……」

 ――二人の間に再び沈黙が流れた。

 しばらくして、クリスは大きく背伸びをし、息を吐くと同時に肩の力を抜いて白衣の左右のポケットに手を突っ込み、天井を仰いだ。

「もう少ししたら会議だよ。……総督任命式ってヤツだろうなあ」

 ロックはクリスをじっと見ている。

 クリスは天井を見つめていたが、何かを思い出すように、口元に笑みを浮かべた。

「ケイティができ上がった時、どっちが総督になるかってフライとケンカしてねぇ……。あいつは総督になんかなりたくないって言ったんだよ。けど、俺だってそんなのお断りだ。……だからジャンケンで決めたんだ」

 ロックはポカンと、呆れ顔で口を半開きにした。それを視界の隅で捉えたクリスは、笑って肩をすくめた。

「セシルもそんな顔したよ。後で散々怒やされたっけなあ、総督って席を馬鹿にしてる、って。……けど」

 クリスは笑みをこぼしたまま、小さく息を吐いた。

「そんなのどうでもよかったんだ。誰が総督でも、誰が医務官でも誰がパイロットでも。……目的は、“ここ”だったんだから」

「……」

「……あいつらは飛び出した。……。飛び出した――」

 ロックはまだ薄笑いを浮かべているクリスから少し視線を逸らした。

「……ジャンケンをした時、決めてたんだ。どちらかが命を落とすようなことになったら、その時は諦めて次の総督として務める、ってね。……あいつがジャンケン負けて泣く泣く総督に就いた時、俺は胸を張って応えたよ、お前が死んだらそン時ゃ任しとけって。……バカなコト言っちまったかなぁー……。……めんど臭いよなぁ、こんな仕事……」

「……」

「……仕方ない、……か」

 ロックは何かいたたまれない気持ちに襲われると同時に、顔を上げて、真っ直ぐクリスを見た。

「あのさっ」

「……ん?」

「……。無理、……しなくていいと思うんだ」

 ロックはクリスと目が合うと、再び視線を逸らした。

「そう……思うんだ……」

 呟くように言いながら俯く、そんなロックに、クリスは間を置いて微笑んだ。

「ああ。わかってるよ」

 ロックはクリスのその一言を聞いて少しムッとした。――わかってねぇだろ、くそっ……。そう思いながらも露わにすることはない。

 クリスは「……よいしょ」と椅子から立ち上がった。

「さて、と……。行こうかね……」

 独り言のように言いながら歩き出す。ロックは椅子から立ち上がると、「クリス!」と、背中を呼び止めた。クリスが「ン?」と振り返ると、ロックは躊躇い、それでもグッと拳を握って真っ直ぐ顔を上げた。

「俺っ……、力になるからさっ。だからっ……。だから……ノアを叩き潰そうっ!」

 意気込んで、力強く言うロックを見つめていたクリスは、ニッコリと笑った。

「……ああ。そうだね」






「……みゅ、みゅ、みゅ……」

「……。それで何ができるの?」

「みゅー……」

 ケイティ内司令塔にて――。

 オペレーターの女性たち、数人に囲まれて、フローレルが何やら手を動かしている。彼女の目の前のコンピューターデスクには、常備してあった工具と、細かい部品が散乱している。

「……何か作りたいんだったらエンジニアに頼んだ方がいいんじゃない?」

 危なっかしい手つきを見ていて不安になったオペレーターがそっと勧めるが、フローレルは口を尖らすばかりで耳を貸さない。

「みゅーっ。フローレル、作るっ。みんな、バタバタしてるから、フローレル、がんばるっ」

「……けど……使えるものなの?」

「フローレル、ちゃんと作れるみゅーっ!」

 不愉快そうに頬を膨らませる彼女に、オペレーターたちは顔を見合わせて肩をすくめた。

 フローレルは「フンーッ」と鼻息荒く、意気込んで服の袖を捲った。

「絶対、作るっ! フローレル、みんなを呼んでみせるみゅっ!!」

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