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BAY  作者: 一真 シン
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08 なみだ

 ――インペンドの中では誰一人として言葉を交わすことはなかった。それぞれ、ダグラスが敵になった、という事実を受け止められずにいるのだろう。視線をどこか遠くに向けて、何かを考え込んでいた。

 コクピット内の床に座っているロックの隣で膝を抱えていたフローレルは、この重苦しい空気に段々と絶えきれなくなってきたのか、顔をパっと明るくしてロックを窺った。

「ねぇねぇっ。フローレル、たくさんの人間に囲まれるのって初めて! その……ケイティって所には、すごくたくさんの人間がいるみゅっ? みんなを紹介してくれるみゅ!?」

 フローレルのはしゃぐ声がコクピット内に響く。ロックは彼女を振り返ると、少し間を置いて苦笑気味に頷いた。

「ああ、そうだな……。案内ぐらいだったらしてやるよ」

「みゅー!!」

 フローレルは嬉しそうに笑うと、足をパタパタと上下に動かした。

「どんな所か楽しみだみゅーっ!」

 無邪気な彼女を見て、みんなが少し笑みをこぼした。

 フローレルが気を遣ってそうしているのか誰にもわからなかったが、しかし、この空気を変える切っ掛けにはなった。

 操縦席のクリスは、ロックを横目で窺うとニッと笑った。

「おい、いつの間に彼女なんか作ったんだ、お前」

「みゅー! 彼女だってー!!」

「彼女じゃねぇよっ」

 フローレルが頬に両手を当てながら嬉し恥ずかしそうに身体をくねらせるが、その隣り、ロックは眉をつり上げ、声を低くして言い切った。「ひどいみゅっ!」と、フローレルはすぐに反応して頬を膨らませる。

 そんな二人を見ていたタグーは、そろ……と、セシルの入っているパワーカプセルを背もたれにして座っているアリスを見た。疲れているのか、アリスはボンヤリと床を見つめているだけ――。

 フライスの搭乗するアポロンを先頭にして、宇宙船・ノアの空を飛ぶ。時々偵察機とすれ違うが、しかし、その後何かが起こるということもなかった。クリスが言うには、

「今まで散々破壊してやったからな。奴らも学習したんだろ。近寄ったら攻撃されるって」

 とのこと。

「つまり、ノアの番人にはあなた方の所在地が明確になっている、ということですか?」

 ガイの質問に、コントロール部のシートに座っているザックが頷いた。

「そういうことになるな。着陸してから一度も場所を変えていないし」

 ザックの答えに、ガイは何かを考えているようだった。微動だにしない彼を見て、隣に座っていたタグーは少し不安げに首を傾げた。

「……どうかした?」

「その割にはノアの番人があまりにも静か過ぎますね。何かを企んでいなければいいのですが……」

 タグーが戸惑うような目を向けると、その視線に気付いたザックは彼を振り返り苦笑した。

「心配するな。お前たちがいなかった間、俺たちも大人しくしていたわけじゃない。ちゃんとそれなりの対処法だってしてある。それがいい方法かは、ガイに確かめてもらえばいいんだ」

 「な?」と、相槌を問うザックにガイは頷いた。

「そうですね。あなた方が判断するよりも、ここに長くいるわたしやフローレルが判断した方がいいでしょう」

「フローレルはあてにならないよ?」

 タグーが顔をしかめて言うが、フローレルの鋭い視線を感じてその口を閉じた。

 ――エバーの村やノアコアから遠く離れた所、広大な原っぱにフライ艦隊群の姿があった。一部小艦隊は光の柱から逃れることができなかったため、その数は激減していたが、ケイティを始め、その他の中艦隊が寄り添うように固まっている。

 ケイティに入ってインペンドから降りると、大勢のクルーたちが「おかえり!」と笑顔で出迎えてくれた。まだ候補生の身分で、そんなにクルーの先輩たちと親しくなかった。だから特に、その出迎えがロックたちにはとても嬉しく、「帰ってきたんだ」と、心から実感できた。そんな中、待ち構えていた上官たちは、フライスがアポロンから降りるなり慌てた様子で駆け寄り、我先にと話を切り出した。おおよその見当が付いていたフライスは、戸惑う彼らに「話はあとで」と、一旦宥め落ち着かせ、ロックたちに近寄った。

「とりあえず、君たちはヘルスチェックだ。クリス、頼むな」

「了解」

「それと……アリス」

 フライスは、ガイに抱えられている虚ろなアリスに目を向けた。

「かなり弱っているみたいだな……。しばらく入院した方がいいだろう」

「……わかりました」

 アリスが吐息と共に小さく頷くと、フライスは次にガイとフローレルを交互に見た。

「君たちには後日、ロック・フェイウィン、タグー・ライトと一緒に会議に参加してもらうことになると思うが……いいだろうか?」

「みゅー! ロックと一緒ならどこでも行くみゅ!!」

 フローレルが笑顔で飛び跳ねると、ガイも「承知いたしました」と返事をした。

「それじゃ、君たちを交えた会議日程は決まり次第追って連絡する。今はゆっくり休むなり、候補生の仲間たちに会うなり、自由に動けばいいだろう。敵のことは心配しなくていいぞ。元気なクルーたちが常に待機しているからな」

 フライスはそうにこやかに言うと、クリスとセシル、そしてザックに「あとは頼んだよ」と告げ、背後で騒々しくしている上官たちを引き連れて歩いていった。その背中を見送ってクリスはため息を吐くと、「……さて、それじゃあ」と、ロックたちを医療施設へと誘導した。

 その後、三人はそれぞれ、クリスとセシルの手伝いによって健康状態をチェックされた。ロックとタグーは多少の怪我は目立ったものの至って健康そのもの。すぐに検査も終わり、候補生の制服に着替え、身を整えた。

 問題になったのがやはりアリスだ。外傷はないが、快復しきっていない身体での行動が祟ったのだろう。セシルが状態を確認している間に、気を失うように倒れてしまった。

 驚いたセシルはすぐにアリスを医療施設に運び入れ、集中治療室にて医務官たちに手当を任せた。その後、絶対安静ということで個人部屋に通されたアリスは、目覚めることなく、再び深い眠りに就いた――。

 それを知ったロックとタグーは「会いに行く!」と、いつものように駄々を捏ねたが、もちろん、誰も許してはくれなかった。

 医療施設から追い出されるように押しやられた二人は、ガイとフローレルを引き連れ、散々医務官やクリス、セシルの悪口を言い、ふて腐れていたが、クルーの先輩や、様子を見に来た候補生の仲間たちが再会を喜んでくれたことで、幾分、心が落ち着いた。

 ロックはフローレルに引っ張られ、パイロット候補生の仲間たちと一緒にフライ艦隊群の案内に行った。そして、タグーはガイのメンテナンスをしようと整備室へとやってきたのだが、やはりガイという人物が珍しく、みんなが整備室を覗き込んでくる。開発部の連中に至っては、許可を請うことなく、堂々と壁際から窺う始末。

 注目されるのは悪くないが、しかし、“見せ物”にされるのはご免だ。かといって冷たくあしらうこともできないタグーは、長方形の診察台のようなデスクに横たわっているガイの身体をチェックしながらため息を吐いた。

「……イヤんなっちゃうよね」

「そんなにわたしが珍しいんでしょうか?」

「珍しくないよ。全然。放って置いて欲しいよね」

 タグーは呆れるようにグチるが、そんな彼にガイは言葉を続けた。

「しかし、タグーも最初は彼らのようでした」

「……。そうだったっけ?」

「はい」

「気のせいだよ、気のせい」

 肩をすくめて受け流し、タグーは「……よし」と頷いてガイの顔を覗き込んだ。

「ここにある工具じゃ内部構造を確認することはできないから、とりあえず、関節部の埃を取って、身体を磨いてあげるね。綺麗にしたら、最後にオイルを入れ替えよう」

「了解致しました」

「ここを治して欲しいっていう所はない?」

「いいえ。全てタグーに任せます」

 首を傾げて問い掛けられたガイは、間髪入れることなく答えた。タグーはパッと嬉しそうに笑うと、早速、張り切ってガイのメンテナンスに当たる。時々開発部の人間が「……お、おい、そこは外したら駄目だろ」「そこは触らない方が……」と、戸惑いの声を上げるが、タグーは「うるさいなっ」とそれを一喝。彼らを蹴散らした。

 ――そして数時間後。

「どぅ!?」

 タグーが油にまみれた黒い顔で得意げに見上げると、綺麗に磨かれたガイは台から降り、身体の各関節を動かしながら頷いた。

「とても軽いです。動きもスムーズになりました」

「やったね!!」

 タグーは嬉しそうにガッツポーズを取った。

「痛んでる部分が多かったからねっ。よかったー!」

 満足そうな笑顔で、使った工具類を直していく。その傍で、ガイは不敏な所がないかをチェックするように、少し歩いたり、ジャンプしたり、いろんな動作を繰り返す。タグーは黒くなったタオルに手をくるみ、目で追った。

「少しは僕の腕を認めてくれた?」

 ガイは、笑顔のタグーを振り返って頷いた。

「大したものです。タグーの腕を認めます」

 タグーは嬉しそうに笑って、「んーっ」と、背伸びをするように腕を伸ばした。

「はあぁーっ。お腹空いたー!」

 一段落すると気が緩んで、身体の“SOS”に敏感になる。「早く片付けてご飯食べよう」と、再び工具類をまとめるが、ふと、脳裏にある光景が過ぎった。――ほんの数日だったが、暖かな食卓を囲んでいたことを。

 ……今頃、リタたち、何してるだろう……。

 タグーの手が止まったのに気付き、ガイはしばらく間を置いて近寄った。

「どうかしましたか?」

「ん? ……ううん。……リタたち、どうしてるかなーって思ってさ」

「今頃、夕食の時間ではないでしょうか」

「そうだね。キッドはきちんとした時間にご飯を作ってくれたもんね」

 タグーは笑みをこぼしながら再び工具を片付け出す。

 さすがに長時間のメンテナンスのせいか、もう誰一人として見物人はいない。やっと静かな時間を迎えることができる。

「……よし」

 タグーは最後に手や顔を洗い、油汚れを落としてサッパリするとガイを振り返った。

「これからどうしようか? 何か希望はある? なければご飯食べに行くけど」

 ガイはぐるりと見回し、答えを待つタグーへ目を戻した。

「アリスはどこですか?」

「うーん……、まだ病棟の方だと思うよ。……目を覚ましてるかな……」

「会えないのですか?」

「許可がないと入れないんだよ」

「許可を戴いては?」

「簡単にもらえるんだったら、とっくにもらってる」

 苦笑するタグーを見て、ガイは腕を組んだ。

「また眠りに就いているということは……以前キッドがしていたように介護する必要があるのではないでしょうか?」

 タグーはしばらく考え込むと、「……よしっ」と大きく頷いた。

「介護が必要なこと、言いに行こうか。クリスにたくさん頼んだら入れてもらえるかも知れないし」

「そうですね。頼んでみましょう」

 二人は頷き合うと、病棟へと足を向けた。

 その頃――

「……みゅ? ロックは?」

 フローレルはキョロキョロと辺りを見回した。

 候補生訓練艦デルガ内のパイロット候補生Aクラスの教室。

 ケイティやデルガを案内して回った後、同世代の女子生徒と会話をしていたフローレルは、ロックの姿が消えてしまったことに気が付くと、顔をしかめて辺りを見回した。

 女生徒の一人が、そんなフローレルを見て首を傾げた。

「ロックだったら、用があるってどこかに行っちゃったわよ。あなたのこと、今晩よろしくって言われたけど?」

 フローレルはムカっ……と頬を膨らませた。






 ――意識がボンヤリとしていた。夢うつつでまぶたを開けると、薄暗い電灯の明かりだけだったが、ここが病室だということはわかった。

 ……そっか。途中で倒れちゃったな……。

 そんなことを思い返しながら、アリスはゆっくりと身体を起こして室内を見回した。

 誰もいない、広くて静かな病室……。室内は綺麗に片付けられてある。花が飾られ、果物もある。セシルの気配が残っているから、彼女が全て整えてくれたんだろう。

 アリスは少し視線を落とし、白いシーツをじっと見つめた。

 昼間と比べたら体調もいい。きっと、薬や栄養剤や、いろんなモノを身体に流し込まれたに違いない。回復が早いのが自分でもわかる。「……しんどかったな」と、今になって反省にも似た気分を味わいつつ、虚ろな目をしていたが、気を取り直すように深く息を吐くとベッドから出て、揃えられているスリッパに足を入れて立ち上がった。一瞬立ち眩みがしたが、軽いものだった。動いても大丈夫だと認識してから何気に気が付いた。着ている服も、いつの間にか女性病人用の薄いピンクがかった上下セットのシャツとズボンに着替えさせられている。

 ズボンの裾が床にすれているのを見て、裾を数回捲り上げ、顔を上げると、窓辺に近寄った。

 ノアの夜景が広がるそこには、見回りのためのインペンドが数体立っている。

「……」

 アリスは窓に手を付いて、しばらくの間じっと外の景色を見つめていた。

 ――何かが急速に進んでいる。そのスピードに付いて行けそうにない自分がここにいる。ロックたちは、その波に乗っているのに……。

 目を伏せて小さく息を吐いた。……と、その時、「ガタッ」と天井から音が聞こえ、アリスは訝しげに顔を上げた。

 ……なに?

 息を忍ばせて、物音のする所を探り、近寄っていると、天井の片隅にある換気ダクトの蓋が動いた。

 アリスは咄嗟に何か武器がないかと辺りを見回したが、ガタっと蓋が開いて、戸惑い、そこを見上げた。

「……ロック!」

「しぃーっ」

 ロックは驚いているアリスを見下ろすと、一度顔を引っ込め、足を出してゆっくりと身体を下ろした。そして床に降り立つと、パンパンッ、と、服に付いただろうゴミを払う。

 一連の行動を見つめていたアリスは顔をしかめた。

「……何やってンのよ?」

「おぅ。どうだ調子は?」

「そうじゃなくて……なんで換気ダクトから出てくるの?」

 ロックは肩をすくめた。

「仕方ねぇだろ。出入り禁止だ、って、ここに入れさせてもらえなかったんだからよ」

「だからって、普通、換気ダクトから出てくる?」

「それしか道がなかったんだ。ギャーギャーうるせぇよ」

 アリスは、腑に落ちない、という表情で目を据わらせるが、そんな彼女を無視して、ロックは客人用の椅子を引っ張り勝手に腰掛けた。

「で、調子は?」

「見ての通り。大丈夫」

 ポーズを取るように、両腕を大きく伸ばして広げるアリスを見てロックは少し笑った。

「お前が倒れた後、面会させろって言っても許してくれなくてよぉ。すっげームカつくんだよな、クリスの奴ら」

「こういうのがバレたらもっとヤバイと思うけど?」

「バレなきゃいいんだろ、バレなきゃ」

 さらっと開き直られ、アリスはため息を吐きながらベッドに近寄って、ロックと対面するようにその片隅に腰を下ろした。そしてふと、何かを思い出して首を傾げた。

「そういえば、フローレルは?」

「あいつ? ああ、クラスの女子に預けてきた。隙を狙って逃げてきたわけだ」

 得意げに胸を張って答えるロックに、アリスは顔をしかめ、呆れて息を吐いた。

「逃げるって……。そういう言い方ってないんじゃない?」

「そうか?」

「あんたを好きになるなんて、貴重な存在なんだから……」

「うるせー。ほっとけ」

 と、ロックに睨まれたアリスは「ふん」とそっぽ向いた。

 また喧嘩でも始まるかという雰囲気になってきたが、そんな空気も、ロックが真顔で会話を変えたことで払拭された。

「明日、会議があるらしいんだ。お前は出れないだろうけどさ」

「……うん」

「その後は……どうなるかわかんないな」

「……うん……」

 アリスは小さく返事をしながら俯いたが、すぐに顔を上げてニッコリと笑った。

「大丈夫よっ。フライもいるし!」

「そうだな」

 ロックも同意するように、笑顔で頷く。

 アリスは笑みを絶やさないまま、天井を見上げて、床に届かない足をブラブラと揺らした。

「あたしはぁ……普段の候補生に戻って、今までと同じように勉強に励んで、そして……試験を目指すよ」

 ――ロックの笑顔が消えた。彼は少し浮かない表情で視線を斜め下に置き、間を置いて呟いた。

「俺は……無理だな」

「え?」

「俺は、このままじゃ終われない。……ただの候補生には戻れない。……今更、後に引けないだろ」

「……そう……」

 アリスは少し視線を落としたが、それでも笑顔を上げ、納得するように頷いた。

「うんっ。まぁ……さっ、……ほら、あんたたちはがんばってきたんだしっ。きっと、何かプロジェクトが立てられたとしても、それに参加できると思うよっ」

 励ますように元気よく言う、そんなアリスの態度にロックは眉を動かし、探るように、見透かすように目を細めると足を組んで首を傾げた。

「お前の言い方って、なんか引っ掛かるよな」

「そぉ?」

「ああ。……勝手にすればいい、みたいな、そんな感じのさ」

「そんなことないよ。あたしはちゃんと応援する」

「……。応援……、ね」

「うん。応援」

 ロックは笑顔のアリスから目を逸らした。苛立っているようにも見える。アリス自身にも何かしら、ロックが不愉快になったということは感じ取れた。けれど、彼女にはどうすることもできなかった。

 ――しばらくの間沈黙が流れ、ロックはため息を吐くなりアリスを睨み付けた。

「お前、絶対何か一人で抱え込んでるだろ」

 アリスはピクッと目を動かし、真っ直ぐ視線を向けるロックから顔を逸らして拗ねるように口を開いた。

「何がよぉ。……どういう意味よぉ」

「絶対そうだ。お前は何かを隠してる。ライフリンクじゃなくてもそれくらいわかるぞ」

 不愉快げに指を差されて胸がバクバクと高鳴ったが、なんとか平静を装い、アリスは頬を膨らませてフイッとそっぽ向いた。

「放って置いてくれます?」

「おう。放って置いてやる。あとで泣いたって知らないからな」

 ツン、と、そっぽ向いて憎まれ口を叩かれ、アリスは、ムカッ、と睨み付けた。

「なんであたしが泣かなくちゃいけないのよ?」

「ビービー言ったって、知らないからな」

「ビービーなんか言わない」

「メソメソしてたって知らないからな」

「メソメソもしない」

「じゃあ、なんのために俺やタグーっているんだよ?」

 睨み付ける目を直視して唐突な質問をするロックにアリスは動きを止め、躊躇うように視線を泳がし、目を合わせることなく、呟くように声を漏らした。

「……試験の……相方じゃない……。……それだけでしょ」

「……ふうん。そっか」

「そうよ……」

 アリスはそれ以上何も言うことなく、俯いた。いろんな感情が渦巻いているのはわかる。戸惑うように目を泳がし、苛つくように口を尖らせ、動揺している。だが、そんなアリスに対して深く探ることなく、ロックは大きく息を吐くと、椅子からスックと立ち上がった。

「そろそろ行く。ゆっくり休めよ」

 まるで見捨てるような口調。アリスはふて腐れた様子で「……わかってるわよ」と、目を合わすことなく小さく返した。

 ロックは椅子を持って換気ダクトの下に行くと、ダクトを見上げ、椅子に乗り、手を掛けて「よっ」と登った。彼の身体がダクトの中に消え、開けっ放しの蓋が閉められると、室内は妙な静けさに襲われた――。

 アリスはゆっくりと身体の力を抜いて小さく息を吐き、背中を丸めてボンヤリと床を見つめた。

 ……どう進んだらいいのかわからないのだ。彼らとは違って、中途半端な位置にいる。ここからどう進めばいいのかわからない。

 いや、きっと身体の不調が原因で、彼らと行動することをセシルから止められるだろう。それは目に見えてわかっている。そうなると、必然的に彼らとはもう会えなくなるのだ。

 だったら早いこと、自分の中で見切りを付けた方がいい。期待なんてしない方がいい。あとで辛くなるばかりだ。

 ……そう。……辛くなるんだ。

 鼻の奥が痛くなり、アリスは息を詰まらせて、膝の上、ギュッとズボンを握り締め、「……っく」と、息を詰まらせた。

 ……もう……辛いのはイヤだ……――。

「ほら見ろ。メソメソしてんじゃねーか」

 天井から声が聞こえて、アリスは咄嗟に顔を上げた。換気ダクトの向こうに、まだロックがいるらしい。

 アリスは慌ててゴシゴシッと目を袖で拭うと、顔を険しく歪めて立ち上がり、ダクトの下まで足を進めて見えない向こう側を睨み付けた。

「あんたねっ、どこかの変態みたいなマネはやめなさいよ!」

「おーおー。俺は変態だ。変態、変態。あ~変態」

 馬鹿にしたような言い方に、アリスは頬を引きつらせた。しかし、ダクトの向こうからロックが現れることはない――。

「ンもお! ……帰ってよ! 用はないんでしょ!?」

 アリスは拳を握り締めて、やけくそ気味に言葉を吐き捨てた。

「ないな」

「じゃあとっとと消えてよ!」

「そうだなぁ、どうすっかなあぁ」

 冗談交じりに焦らす声。

 アリスはムカ! っとして、一喝してやろうとお腹に力を込めた。が……

「俺たち仲間だろ?」

 ロックの問い掛けに、アリスは少し眉を動かし、息を止めた。途端にあらゆる感情が冷め、怒りも消えた。

「俺たち……、三人がいたから、ここに帰って来れたんだろ?」

 静かな口調に、アリスは悲しげに目を細め、俯いた。

「俺としては、今更一人欠けるなんてさ、……納得いかねぇんだよな」

「……」

「ンそりゃあ……、俺もタグーも頼りにならないかも知れないけどよ。でも……仲間だろ? ……それは変わらないだろ?」

 アリスはギュッと目を閉じ、爆発しそうな感情を抑えるように拳を強く握り締めた。

 ……ここで期待しちゃ駄目! ……見切りを付けなくちゃ……!!

「……、仲間じゃないっ」

 アリスは投げやりな態度で大きく首を振った。

「もういいっ。仲間じゃない! あんたたちのことなんか知らない!!」

「……。お前って、ホンット、かわいくねぇよなぁ」

 ため息混じりの、呆れるようなその声にアリスは顔を上げてダクトを睨み、大きく怒鳴った。

「もういなくなってよ!! 二度と現れないで!!」

「……わかってるだろ」

「なにがよ!!」

「……俺はもう、できるだけ……これ以上何かを失いたくねぇんだ……」

 アリスはダクトを見上げたまま大きく目を見開いて硬直した。

「俺は一人じゃ何もできねぇから……、お前が必要だし、タグーが必要なんだよ。……これから何をするにしても、俺は一人じゃ何もできないんだ。……俺は、そういう奴なワケ」

 自分に見切りを付けたような、静かで、軽い声――。だが、その口調から漂ってくる“感情”に、アリスは顔を歪めて手で口を塞いだ。何度も息が詰まり、目には涙が溢れる。

「俺には、お前らの力が必要なんだ。……力を貸してくれよ。優秀なライフリンクなんだろ? お前がいないと、インペンドも動かせやしねえんだぞ……」

 アリスはポロポロと涙をこぼし、奥歯を噛み締めた。

「……っ。馬鹿っ……、大馬鹿っ……!」

「はいはい、馬鹿で結構」

 いつもの冗談口調。だが、アリスは顔を歪めると、グッと息を止め、その場にしゃがみ込んで胸を押さえた。

「どうしてダグラス教官のこと黙ってるの!? ホントは泣きたいクセに!! ……わかるんだから!!」

 責めるように吐き出すと、しばらく間を置いてロックの言葉が返ってきた。

「……そっか。……わかるのか……」

「わかるわよ! ずっと知ってたんだから!! なのに……何も言わないで! 強がってばっかりでっ……! ……心の中、ずっと泣いてるじゃない!! 叫いてるじゃない……!!」

 言葉の最後が震え、アリスは息を詰まらせた。紅潮した顔が熱くなり、胸が痛む。

 ……しばらくして声が返ってきた。

 トーンの落ちた、震える声――。

「……じゃあ、お前が代わりに……泣いてくれ……」

「……っ!!」

 アリスは顔を歪めると、両手で顔を覆い、背中を丸めた。

 ――そのドアの向こう。

 タグーとガイ、そしてクリスの三人がドアの前で立ち尽くしている。

 アリスの泣き声が聞こえ、タグーはゆっくりと視線を落とした。そんな彼の肩をクリスはそっと抱き寄せ、タグーが目を向けると、悲しい表情をしながらも、それでも優しく微笑みながら頷いた。

 タグーはぐっと歯を食い縛り、何も言わずにしがみ付いて胸元に顔を押しつけた。クリスは、ポンポン、と、彼の頭を撫でるだけ。

 ガイは、ドアをじっと見て、顔を俯かせた。思考回路システムを“心”と言うなら、心の奥底で“見つからない答え”を探していた。

 なぜ、“胸が痛む”のか、と――。



 その日の夜は、それぞれが違う想いで痛んでいた……。

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