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BAY  作者: 一真 シン
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07 すれ違い…

「アリスが目を覚ました?」

「はい。はっきりとってワケじゃないンすけど、でも、意識が戻ったんです」

「そうかそうか、そりゃあよかったなぁ」

 夕食後――。アンダーソンとロックが食卓で向き合いながら話をしている。

 タグーは食事が終わるとすぐにガイを連れてアリスの元へと向かった。リタも、アリスが目を覚ましたということが嬉しいのか、いつもは誰よりも食べ終えるのが遅かったのに、今日に限っては掻き込むように食事を終え、タグーたちに付いて行った。

 ロックは、キッドが持ってきてくれた果実を口にしながら続けた。

「しばらくの間はまだ身動きが取れないだろうから、とにかくリハビリに付き合ってやろうかと思います。その後、あいつが元気になり次第、また、ここのことについていろいろ調べようと」

「そうじゃな。まずはあの子が元気にならんとな。しかし……本当によかったのぉ」

 アンダーソンは目尻のシワを増やしながら、本当の身内事のようにニコニコと喜んだ。

「あれだけ深く眠っていたら、もう少し目覚めが遅いかと思っていたよ」

「はい。俺も少し安心しました」

「よくがんばったものね」

 片付けを終えて一段落付いたキッドが、エプロンを外し、アンダーソンの隣りに座って会話に参加した。

「ロック、時間があればずっと傍にいたから。だからアリスも早く目を覚ましたんだと思うわ」

 微笑み言われたロックは「とんでもない!」と首を振った。

「俺は別にそんなっ」

「きっとそうよ。自分に話し掛けてくれる人がいたら、意識のどこかで早く目覚めたいって気持ちも強くなるんじゃないかと思うの。アリスがこんなに早く目を覚ましたのは、ロックが毎日言葉を掛けていたからよ」

 キッドの優しい言葉に、ロックははにかみながら頭を掻いた。何しろ、今まで誰かに誉められるなんてコトはなかったのだ。こうも「あなたのおかげだ」と言われると照れくさい。

 ……そんなロックを、彼の横で大人しく話を聞いているフローレルが横目でじっと見ている。

「完治するまでまだ時間が掛かると思うから。無理はしないように、優しく接してあげてね」

「はい」

 ロックが頷いたのを見て、キッドは再び微笑んだ。

「さぁ、行ってあげなさい。タグーたちだけじゃ、きっとアリスを囲んで大騒ぎしてると思うから。彼女が疲れちゃうわ」

「……そうだった」

 ロックはため息混じりに椅子から立ち上がった。

「じゃ、ごちそうさまでした」

 愛想よく椅子を戻すと、キッドはニッコリと笑い、「ゆっくりね」と言葉を掛けた。ロックが笑顔でアリスのいる部屋へと足を向けると、フローレルもすぐに椅子を立って、アンダーソンとキッドに「ごちそうさまでした!」と、早口で告げて後を追った。

 二人の背中を見送ったキッドは、一息吐いて小さく微笑んだ。

「あの子たちの前向きな姿勢って、好きだわ」

「うむ。そうじゃな」

 アンダーソンも笑顔で頷くが、ゆっくり息を吐くと同時に視線をテーブルに落とし、目を細めた。

「彼らのような若者が、この先、未来を築いて行けたらいいのじゃが……」

「……そうね……」

 しばらく二人の間に沈黙が流れたが、しかし、キッドの吐息と笑顔でそれも終わった。

「私、あの子たちを見ていると、とても楽しくなるの。心の奥で何かが溢れるような、そんな感じ。そういうの、ずっと忘れてたわ」

 どこか遠くを見つめて笑みをこぼす、そんなキッドにアンダーソンは優しく笑い掛けた。

「彼らと似たような経験をしておったのかもしれんな。頭の記憶はなくても、心の記憶は覚えておるんじゃろう」

「……うん」

「楽しくなるということは、お前の過去は……きっと素晴らしかったんだな」

「今でも充分に楽しいわよ? お父さんもいるし、リタもいる。私は今の生活に充分満足しているわ。過去の記憶がなくても、私はとっても幸せだから」

「そうか。そう言ってもらえるわしも、幸せ者じゃな」

 キッドに笑顔で言われ、アンダーソンは嬉しそうにシワを増やした。

「――ロックっ」

「んぁ?」

 アリスの部屋に向かう途中、呼ばれたロックは足を止めて振り返った。フローレルはトトトッと足早に寄ると、首を傾げている彼を見上げ、少し視線を逸らしながら躊躇いがちに口を開いた。

「……みゅ、その……。今日、……助けてくれてありがとう」

 ロックは「何のことだ?」と顔をしかめた。しかし、そんな彼の仕草はフローレルの目には映っていないのだろう。更に言葉を続けた。

「あのね、フローレル、その……がんばって力になるみゅ」

「……は?」

 言っている意味がわからず、訝しげに首を傾げると、フローレルは「鈍いみゅっ」と言わんばかりに口を尖らした。

「だからっ、ロックの力になりたいみゅっ」

 睨むように顔を上げて拳を振られ、一歩身を引いたロックは、顔をしかめつつも「……お、おぅ」と小さく頷いた。

 フローレルは少し安心したようにホッと力を抜き、そして、いつものように無邪気に笑い掛けた。

「みゅー、ところでぇー」

「ん?」

「アリスは恋人?」

 唐突な質問に、ロックは少し目を据わらせた。

「なんだよ、それ」

「だから、アリスのこと、好きみゅ?」

「……。なんでお前に答えなくちゃいけないんだよ。関係ないだろ」

「みゅー! あるある! オオアリみゅー!」

 強く言い切られ、ロックは顔をしかめながらも心の奥底で「まさか……」と何かの答えにぶつかり、顔には出さず頭の中で焦った。そんなことなど知らず、フローレルは再び強く言った。

「だってフローレル、ロックのことが好きなんだみゅー」

 アッケラカンとして楽しげに告げる彼女に、ロックは少し、心の動揺が落ち着くのを感じた。

 これならやり易い。照れながら言われると「どうしようか」と悩んでしまうが、こうもスパッと言われると、こっちも気持ちよくスパッと言い切れる。

「俺、お前には興味ないから」

 ――フローレルの笑顔が消えた。

 一瞬、頭の中で「ヤバイ! 泣くのか!?」という言葉が浮かんだのだが、当のフローレルはそんなロックの予想など覆した。

「フローレル、諦めないーっ!!」

 まるでケンカでも売るように、睨み付けるように見上げられ、ロックは目を据わらせた。

 人に好意を持たれるのは悪くない。むしろ嬉しいものだ。しかし……なぜかあまり嬉しくない。

 ロックは大きくため息を吐いて、構うことなく「じゃあな」と歩き出した。バイバイ、と手を振られ、放り出されたっぽいフローレルは、「み、みゅ、みゅっ」と慌ててその後を追った。

「アリス、おいしい?」

 タグーの問い掛けに、アリスの口元が微かに動き、その表情が笑顔になった。少しずつではあるが、段々と回復していることは見ていてもわかる。

 ガイに身体を支えてもらいながら、タグーがスプーンでグアバのジュースを飲ませている。そのタグーの横で、リタは目を輝かせてアリスの顔を覗き込んだ。

「リタがエバーラブのお花をあげたから、お姉ちゃんが目を覚ましたんだ!」

 いつものように得意げに、けれど嬉しそうに声を上げるリタに、タグーは苦笑しながらも頷いた。

「そうだね。リタの願いが通じたんだね。ありがとう、リタ」

「うん!」

 リタは素直に喜んで、とびきりの笑顔で頷く。タグーはそれに応えるかのように彼女の頭を撫で、アリスに目を戻し、安堵のため息と同時に口を開いた。

「ホントに目を覚ましてよかったよ。……インペンドに乗ってた時はありがとうね。アリスがいなかったら、僕もロックも、きっと死んでた。すごく感謝してる。……けど、もう二度とあんなコトはしないでね。僕たちが助かってアリスだけがいなくなるなんて、僕は絶対イヤだよ」

 アリスは小さく笑うだけ。それを見たタグーは少し顔をしかめた。

「ホントにわかってる? ロックと一緒で、大事なことは聞き流してるように見えるんだけど」

「誰と一緒だって?」

 フローレルを連れて、ロックは少し目を据わらせながら彼らに近寄った。

「調子はどうだ?」

 ロックがガイの横に腰を下ろし、窺うように覗き込むと、アリスの顔が少し歪んだ。何かを訴えたいような、そんな表情だ。それにいち早く気が付いたタグーは首を傾げた。

「どうしたの、アリス?」

 アリスの唇が微かに開いた。何かを話そうと懸命に口を開くのだが、声が微かに漏れる程度で聞き取れない。ロックたちからしてみれば、顔の筋肉が衰えているせいか、彼女ががんばって何かを話そうとする、その唇が震えているのを見るのは辛い。

 ロックは、何か微かに言葉を漏らすアリスに首を振って見せた。

「もういいって。元気になったら好きなだけ話せばいいだろ? 焦ることはねーって。な?」

 言い聞かすような、それでもどこか優しく言った後、アリスはその表情を曇らせながらもゆっくりと口を閉じた――。











 アリスが目を覚ましてから五日が過ぎた――。その間、ロックとタグー、そしてガイにフローレルはアリスに付きっきりでリハビリを手伝った。霊力を使い果たしたことが影響しているのか、たった数日意識がなかっただけなのに、彼女の肉体は極限まで弱くなっていた。固くなっていた筋肉を解すように身体を少しずつ動かし、キッドに頼んで柔目の食事を作ってもらい、それを食べさせた。ようやく不自由なく生活できるようになると、彼女に自動言語翻訳機を渡し、フローレルの言葉がわかるようにした上で、ここがどこなのか、どういう状況なのかをロックたちが話して聞かせた。

 アリスは、ただ大人しく耳を傾けていた。時々、目を伏せるような場面もあったが、表情を変えることはなく、全てを受け入れた様子だった。しかし、ロックもタグーもダグラスのことだけは口に出せなかった……。

 一通りの話を終えると、ロックは一息吐いて、壁にもたれながら太股辺りに視線を落としているアリスを窺った。

「元気になったら一緒に行動しよう。それまで、お前はリハビリに専念しろよ」

 その提案にゆっくりと顔を上げたアリスの、見るからに不満げな表情に、ロックは目を据わらせた。

「お前、何様のつもりでそんな顔をするんだ? 大体、そんな身体で何ができるってんだよ」

 憎まれ口を叩きながら睨み付けると、アリスは更に不満げな表情をする。二人を見ていたタグーは、「まぁまぁ」と、間に入って苦笑した。

「ほらほら、アリスはアリスでリハビリがんばって、ロックはロックでまだノアについて調べなくちゃいけないし。いろいろやることあるんだから」

 和やかに場を取り繕うつもりだったのに、「あんたはどっちの味方よ?」と言わんばかりの視線でアリスに睨まれ、タグーは「うっ……」と、息を詰まらせてサササと退いた。

「ジュースでーす!」

 険悪な雰囲気を掻き消すように、リタが元気よく、人数分のジュースを乗せたトレーを持ってヨロヨロとした足取りで現れ、振り返ったタグーはすぐに近寄ってトレーを受け取った。

「ありがとう、リタ」

「うんっ」

 リタは笑顔で頷くと、タグーが受け取ったトレーの上から何かを取り、アリスの元へ駆け寄った。

「これっ、ジジに頼んで取ってきてもらったのっ」

 差し出されたエバーラブをじっと見ていたアリスは、少し照れているような笑みを浮かべるリタに目を移し、ゆっくりと手を挙げて受け取った。

 ……とても柔らかくて、優しい感じがする。

「……ありがとう」

 微笑みながら礼を言うと、リタは「えへへっ」と嬉しそうに笑い、少し離れた所に座っているガイの元に行ってその横にちょこんと大人しく座った。

「エバーラブっていう花みゅ」

 ロックの傍に座っていたフローレルが、花びらを撫でるアリスに声を掛けた。

「それを贈られた人にはいいことがあるっていう言い伝えがあるみゅ。だから、あなたにはきっといいことがあるみゅー」

 アリスは微かに笑みをこぼした。フローレルはフローレルで、「フローレルも欲しい」とロックに視線で訴えるが、彼はそんなことなど気にも留めずに、ただ花を見つめているアリスに顎をしゃくった。

「俺たち、またこの辺を歩いてくるからな。お前はここで大人しくしてろよ」

 アリスは不意に顔を上げ、口を開いた。

「……あたしの……は?」

「なんだって?」

 聞き取り難い声に、ロックは顔を突き出して耳を傾けた。

「あたしの……荷物」

 ロックは顔をしかめた。

「荷物?」

「……インペンドに、鞄が……」

「鞄? ……そんなものあったのか? 全然気が付かなかったけど」

 ロックが首を振ると、アリスは少し困った顔で目を泳がした。

「……大切なモノなの。……取りに行かなくちゃ……」

「ちょっと待て」

 今にも動き出そうとするアリスを、ロックは訝しげな表情で制止した。

「行くなら俺が行く。お前はここで留守番だ」

 肩を押さえられたからか、不満げな目をするアリスにロックは大きくため息を吐き、言い聞かすように睨み付けた。

「お前、ロクに歩けないんだぞ? 奴らに襲われたらどうするんだよ?」

 アリスは何か言いたげに少し身を乗り出した。反抗したいとか、文句を言いたいとか、そういう感じではない。むしろ心配そうな、悔しそうな表情で――。

 二人を交互に見ていたタグーはロックに苦笑した。

「大丈夫だよ。ガイだっているしさ。僕もインペンド見たいし……。アリスも連れて行こうよ」

「駄目だ。こいつは置いていく」

「……。頑固モノ」

 なかなか首を縦に振らない彼にボソっと小声で言ったが、バッチリその言葉が耳に届いていてギロっと睨み付けられた。タグーは蛇に睨まれたカエルそのまま、ビクっと肩をすくめると逃げるようにガイの傍へと後退りした。

 不愉快げなロックをじっと見ていたアリスは俯き、持っていたエバーラブに視線を落とした。どことなく悲しげな様子を察したフローレルは、小首を傾げ、顔を覗き込むように身を乗り出した。

「そんなに大事なモノみゅ? ロックが取りに行っちゃ駄目みゅ? 自分で行かなきゃ駄目みゅ?」

 アリスは視線を落としたままでしばらく何かを考えていたが、小さく首を振ると笑顔で呟くように言った。

「……ううん……。わかった。……ここで待ってる」

 か細い声が、なぜかそれぞれの心に突き刺さる。ロックも同じように何か痛みに襲われたが、それでも平然を装ってアリスに頷いた。

「よし。じゃあ、すぐ取りに行って戻ってくっからよっ」

「……うん」

 アリスがぎこちなく笑いながら頷くと、ロックは立ち上がってタグーを見下ろした。

「お前、どうする? ここに残るか?」

「ううん。一緒に行くよ。インペンドを見たいし」

「フローレルも行くっ」

と、立ち上がったタグーの後に付いてフローレルも立ち上がる。

 タグーはズボンのお尻を伸ばしながらガイを振り返った。

「ガイも行く?」

 ガイはタグーを見上げると、しばらく無口になり、言葉を発した。

「いいえ。わたしはここに残ります」

 ガイのその言葉にロックたちはキョトンとした。タグーは特に。

「……え。どうして?」

「思考回路システムを働かせた結果、ここに残ることが賢明だと判断しました」

「でも、インペンドの場所、俺たち覚えてないし」

 ロックが訝しげに眉を寄せると、ガイの横に座っていたリタが「はいはーい!」と手を挙げて立ち上がった。

「リタ! リタが連れて行ってあげる!!」

 ロックたちは少し不安げな顔をした。リタはそんな彼らの心情など察せず、まるで「今から遊びに行く」というノリで、楽しげに、キッドにお出掛けの報告をしに行った。

 ――それから間を置くことなく、ロックたちはインペンドの元へ出向き、窓際の壁を背もたれに座っていたアリスは、遠くなっていくリタのはしゃぐ声を耳にしながらゆっくりと目を閉じ、静かに足を抱えて膝の中に顔を埋めた。そんな彼女と向かい合うように対面の壁にもたれて座っていたガイは、しばらくの間、微動だにすることなくアリスを窺っていた。

 完全にみんなの声が聞こえなくなり、村人たちの声や、隙間風の音だけが部屋の中に小さく聞こえてくる。

「何か気掛かりなことでも?」

 ガイが問い掛けると、アリスは膝の中に顔を埋めたまま、少し首を横に振った。ガイは、それ以上声を発さない。

 それから再び沈黙が訪れ、数分、時間が過ぎた――。

「……ガイ……」

 膝に顔を埋めたまま、小さく声を漏らすアリスを見つめていたガイは、やはり微動だにせず、何も答えようとはせずに次の言葉を待った。

「……なんだかね、……悲しいね……」

 ――アリスの肩が震えている。

 じっと見ていたガイは音もなく立ち上がると、近寄り、傍に胡座をかいた。

「……ここは、悲しい想いで溢れてる……。悲しい想いで一杯……。……みんなが悲しみを隠してる。……みんなで隠し合ってる……。怯えてるのに、何も言わない……」

「ロックのことですか?」

 問い掛けるが、アリスは返事をしなかった。

 再び静かな時間が訪れ、しばらく間を置いてからガイが口を開いた。

「彼らは前を向いています。……いいえ、そうしようと敢えて努めているだけなのかもしれません。しかし、それは決して弱さではなく、確実に進むための強き意志の表れです」

「……」

「あなたも強い意志を持たなければなりません。そうでないと、あなたは自身の手によって滅することになりますよ」

 アリスは顔を下に向けたままで膝を抱えていた腕を解くと、ガイにしがみつくように腕を回し、彼の冷たくて固い胸元に頬を付けた。


 その頃――


 楽しげに話をしながら歩き続けるリタの後を、ロックとタグー、そしてフローレルは、辺りに注意を払いながら歩き続けた。時々、小動物に出逢い驚くが、彼らの方が大きく驚いて逃げてしまう。

 タグーは、並んで会話を楽しむリタとフローレルから、隣で辺りを見回すロックへと目を移した。

「……アリス、連れてきた方がよかったんじゃないの?」

 小声で伺うが、ロックは呆れるように深く息を吐いた。

「何かあった時、どうするんだよ?」

「それは……そうだけど……」

「確実に護れるって自信がなきゃ、俺は無謀なマネはしないぞ」

「……」

 タグーは黙りこくってロックを横目で見た。……今までの彼だったらどうだろうか? 無謀? その言葉は彼のためにあるようなものだった……。

 タグーは、視線を歩き続ける地面に向けた。

 いつからか保守的になってしまった。それはそれで仕方ない。そういう時なんだ。……けど……――

「ここだよっ」

 リタの明るい声に、タグーは顔を上げた。

 見え隠れするそれをちゃんと間近で見るために、ロックとタグーは木々の影から出た。倒されっ放しの木や、折れて地面に落ちている枝に足を捕らわれないよう注意しながら、彼らは目の前の巨体を見上げた。

「……インペンド……」

 タグーが視線を逸らすことなく小さく呼んだ。

 足を曲げ、頭を下に向けたインペンドは見るも無惨な姿と化していた。このノアに墜ちてくる際の衝撃、そして大気圏突入の時にコールドシステムが80%しか利かなかったということ、全ての要因が原因なのだろう。綺麗に磨き上げていたはずの身体は鉄板が所々細かく剥がれ凹み、黒く焦げ、そして足下から蔓草がその巨体を這うように伝い登っている。天高くそびえる木々の影から伸びてくる偽物の太陽の光が、動く気配のない、その巨大な鉄の塊を自然の中に溶け込ませるかのように浮かび上がらせていた。

 誰も言葉を投げかけず、ただ、下から上までゆっくりと顔を動かしながらインペンドを見つめた。

 タグーが静かに足を踏み出すと、枯れ葉や小枝を踏みしめる足音が小さく響いた。インペンドの足下に辿り着くと、そこから機体を見上げ、俯き、大きく両腕を広げて抱きしめるように身体をくっつけた。

「……ありがとう……」

 エンジニアとして、誰よりも長く傍にいた。仕上げの調整を自分で手掛けてきた。試験という大きな目標に向かって、インペンドの力を最大限まで引き出すため、自分の持てる能力の全てを注ぎ込んだ。

 ――自分たちの身代わりに、インペンドは死んだ。

 ロックは、インペンドの足を抱きしめたままのタグーの背中をじっと見つめていたが、ゆっくり近寄ると、彼の肩に手を置いた。

「……タグー」

「……」

「……今度の試験の時、コイツと同じもの、用意してくれな」

 タグーはグシっと鼻をすすると、小さく頷いてインペンドから離れ、そして服の袖で目元を拭うとゆっくりコクピットの方を見上げた。

「……僕、行ってくるよ」

 「どうする?」と視線で問うと、ロックは小さく首を振った。

「俺はこいつらを見とかなくちゃいけないからな。アリスの荷物、頼む」

 インペンドの足をペタペタと触るフローレルとリタに目配せしたロックに頷くと、タグーはインペンドをよじ登りだした。ロックはその姿を見送りつつ、フローレルとリタの元に行くと、「座って待っていよう」と、二人を連れて木陰へと足を向けた。

 インペンドのことを全て理解しているタグーは簡単にコクピットへと足を進めていった。いざという時のため、こうしてコクピットへの道をちゃんと彼なりに把握していたのだ。

 コクピットの出入り口に着くと、一応、何もいないことを確かめてから中に足を踏み入れた。――逆光のせいか、中は薄暗い。一歩一歩足を進めると、ここを住処として決めた住人たちが物音に顔を出し、そして逃げるように飛び出していった。それに驚いたタグーは、恐る恐る、改めて中を見回した。大きく動く生き物がいないことは確かだ。

 ホッとして、まずは操縦席の方に行った。

 ロックが脱ぎ捨てた、血の付いたメットが転がっている。操縦桿は動かしても何も言わないし、コントロール部のスイッチを入れてみても何も言わない。配線の部分を覗き込んでみても、回線を触ってみても、もう何も反応しない。

 ――タグーは、コントロール席に座って、じっとモニターを見つめた。何も映らない真っ暗なそこに、何かを探すように……。

 しばらく間を置いて小さく息を吐くと、ゆっくり立ち上がり、パワーカプセルに近付いた。開いたままの扉からそっと中を覗いてみると、いろんな所からコードが出ていて視界の邪魔をしたが、確かに、下の方に鞄がある。

 タグーはコードに足を取られないように中に入ると、鞄を持ち上げ、そこから出た。

「……」

 ……あれ? この鞄……。

 見覚えのある鞄に、タグーは少し首を傾げた。

 ……どこで見たんだっけ? 確か……――

『ちゃんと持ってますねー!!』

 ……そうだ。サブレット軍艦でアリスが持ってたんだ。セシル教官に向かって、「ちゃんと持ってる」って……。

 タグーは鞄を両手で持ち、胸の高さまで上げて見つめた。

 ……そうか。セシル教官からもらった、大切な鞄だったんだ……。

 少し目を細めながら、ふと、ここに来る前のアリスの様子を思い出した。「……きっと、自分で取りに来たかっただろうな……」と、そう思いながら、コクピットの出入り口へと足を進め、鞄を落とさないように腰のベルトに縛り付けると、再び、コクピット内をゆっくりと見回した。

 もう二度とここには来ないかも知れない。いや、多分もう二度と来ないだろう……。

「……。さよなら」

 そう小さく告げると、タグーは、躊躇うことなくそこから姿を消した。

「戻ってきた!」

 いち早くタグーの姿を発見したリタが、座っていた青草の上に立ち、彼を見上げた。

 タグーは、地面が近くなるとインペンドからジャンプして降り、近寄ってきた三人に鞄を見せた。

「パワーカプセルの中にあったよ」

「そうか……」

 ロックは、タグーに手渡された鞄に、「……ん?」と、顔をしかめた。

「これ……どこかで見たことが……」

「うん……。サブレット軍艦だよ。アリスが持ってた。……多分ね、セシル教官にもらったんだよ。ちゃんと持ってるからって言ってたじゃない、あの時」

「……。ああ。そうだったな」

 ロックは両手で持ちながら鞄を見つめた。どこか悲しげに目を細める、そんな彼を見ていたタグーは、自分を見上げているリタに気が付くと、彼女を見下ろし笑い掛け、

「さぁ、アリスのトコに帰ろうかっ?」

と、元気よく小さな手を握った。

 それからリタとフローレルの明るい声に包まれながらエバーに戻り、寄り道することなく家に入ってアリスの元に行くと、

「……あ、おかえり」

 室内から、キッドが「シー……」と、唇に右手人差し指を当てた。

「眠っちゃったのよ……」

 苦笑しながら小声で言うキッドの視線の先には、ガイにもたれるように眠っているアリスがいた。彼女の身体には薄い布が掛けられている。

「さっき来てみたらね、眠ってて」

 キッドは、ドアの所で足を止めているロックたちに近寄ると、微笑み、囁くような小声で続けた。

「アリスだけじゃないの。……ガイも眠ってるみたい」

 ロックとタグーは「え?」と、壁にもたれて頭を下に向けているガイに目を向けた。見た目は普段と変わらないが……。

「いつもなら誰かが来ると反応するんだけど……。きっと眠ってるのね」

 キッドは、「起こしちゃかわいそうだから」と、彼らを連れて部屋を出た。

「……ガイって、眠るんだね」

 新たな発見に感心するタグーに、キッドは彼らを食卓へと誘うと、飲み物を用意しながら苦笑した。

「そうね。時々眠ってるわよ。……眠ってるって言うのかしら? 多分、休めてるんだと思うけど」

 キッドは食卓の椅子に着いた四人の目の前にジュースの入ったコップを置いて、ロックの膝の上の鞄へと目を向けた。

「それがアリスの大切なモノ?」

「……はい」

「アリス、目が覚めたら喜ぶわね」

 キッドはニッコリと微笑み、そして、ジュースを一気に飲み干すリタの頭を撫でた。

「ちゃんと大人しくしてた?」

「うんっ」

「そう。偉いわね」

 キッドに優しく頭を撫でられたリタは、「えへへっ」と嬉しそうに笑う。ロックたちも「いただきます」と、リタに続いてジュースで喉を潤した。その間、ロックもタグーも特に言葉を切り出すことはなく、その後はそれぞれバラバラに行動した。リタとフローレルはキッドの家事の手伝いをし、タグーはバラしていたビットをもっと詳しく解体し出し、そしてロックは眠っているアリスの傍に鞄を置くと、村外れの大木に登って、太い枝の上に座り、そこから空を見上げた。

 ――段々と日が暮れていく。一番星が姿を現し、空が紫色に染まっていく。

 ロックはボンヤリと空を見上げていた。時々、木々の枝に鳥が止まって小さく鳴き、優しい風が吹き抜けるたびに青葉が揺れ、心地いい空間が彼を包み込む。じっと空を眺める彼を見つけた村人が下から声を掛けてくると、笑顔で返事をし、また空に目を戻した。

 ……村人たちの日常会話にも慣れてきた。最初、単語単語が何を示しているのかわからなかった。知らない動物の名前、知らない植物、知らない食べ物……。そういうものも、今ではすっかり名前と物が一致する。少しずつ、ここでの生活に慣れてきた証拠だろう。

 キッドに言われた、「ここにいれば、少なくとも普通の生活ができる。人間として」その言葉の意味がわかるようになってきた。確かに、ここにはビットの攻撃もない。何一つとして不自由なこともない。ノアという名の宇宙船の中、敵陣の中だというのに、不思議なくらいに平和だ。

 ロックは、一番星を見つめた。

 ……地球にいた頃、子どもの頃に聞いたな。「一番星に願いを掛けると、その願い事が叶う」って……。……アリスの“星に想いを刻む”と一緒だな。

「そこにいるのはロックか?」

 下の方から声が聞こえて、ロックは「?」と地面へと顔を向けた。木の根元にアンダーソンがいて、こちらを見上げている。

「そんな所でどうした?」

 ロックはアンダーソンの問い掛けに答えることなく、身体を伸ばすと、「よっ」と木にぶら下がり、そのまま地面にドスンッと降り立った。じーん……と足の裏が痺れたが、それを顔に出すことはない。

 アンダーソンは、ロックが突然“落ちてきて”少し驚いていたようだったが、それも束の間、すぐにいつものように笑顔を取り戻した。

「どうした、あんな所に登って」

「なんでもないっスよ」

 笑って首を振るロックに、アンダーソンは深追いすることなく「……そうか」と小さく数回頷いた。

「そろそろ食事時だろう。一緒に戻るか?」

「はい」

 頷いたロックは、アンダーソンの仕事道具の斧に手をやり、「持ちますよ」と言って、それを肩に担いだ。アンダーソンは笑顔でロックと肩を並べ、家へと向かう。途中、村人たちと数回会話のやり取りをし、また二人でのんびりと歩き出した。

 アンダーソンは丸くなり掛けた腰を伸ばすと、肩の骨を鳴らした。

「アリスの様子は? どうじゃ?」

「……あ、はい。……まだ眠ってるかな……」

「ん? 傍におらんかったのか?」

「はい。ここに落ちてくる時に乗っていた機動兵器の中にアリスが大切なモノを置いてて、それを取りに行ってたんで」

「そうかそうか。大切なモノなら、ちゃんと持っとかんとな」

「……ですね」

 一番星の他に、段々と星が増えていく。ロックは歩き保ってそれを見上げた。何かを探すようにじっと空を見ている、そんなロックを横目で窺っていたアンダーソンは遠くを見つめた。

「キッドは」

 不意にアンダーソンが言葉を発して、ロックは横を歩く彼を見た。

「キッドはわしの本当の娘じゃない。森の中で倒れているのを見つけて、わしが保護したんじゃよ」

 思いもよらなかった内容に、ロックは「……え?」と目を見開き、足を止めた。それに合わせるように、アンダーソンはゆっくりと歩いていた足を止め、ロックを見ることなく、ただ、普通の会話のように、いつもと変わらぬ笑顔で話を続けた。

「あの子は全ての記憶をなくしていた。多分、ノアコアから逃げてきたんだろうな。キッドをここに連れて帰るとみんなが非難したよ。ノアコアから逃げてきた者を庇ったら、そのうちノアの番人の報復に遭うってな。けれど、わしはあの子を放ってはおけなかった。あの子はリタを身ごもっていた。二つの命が掛かっている。見捨てることはできんかった。……しかし、見ての通り、わしは老体だ。何かあった時、キッドたちを護れるかどうかわからん。……いや、きっと護れんだろうなぁ」

 アンダーソンは苦笑しながらのんびりと歩き出した。ロックは、先を進むその背中を追った。

「……けれど、護れないからとそれで諦めたくはなかった。……いや、護れないと決まったワケじゃない。わしにも、ひょっとしたら護れるかもしれん。確率的にはかなり低いが、しかし……強い想いがある。例え、ノアの番人の報復に遭い、命を落とすことになったとしても、それはそれで本望だろう……。ただ、村人たちに迷惑は掛けられんから、しばらくの間、ずっとこの村を離れてはいたが」

 ロックは大人しくアンダーソンの後ろを歩いていたが、アンダーソンが足を止め振り返ってきたので、自分もその足を止めた。

「……さて、ロック」

「……」

「お前には護るべきものがたくさんあるようだな。正義感も強いようだ。行動力もある。しかし、そのために何かを忘れてはいないか?」

「……」

「その想いが強過ぎるあまりに、お前は本来あるべき姿を失くしているかのように見えるがのぉ……」

 アンダーソンは微笑み、再び歩き出した。表情をなくしたロックは、立ち止まったまま、歩いて行くアンダーソンの背中を見つめた。

 ――本来あるべき姿?

 ロックは頭の中で繰り返しながら少し視線を落とした。

 ……本来……?

 落とした視線の先に、何かが輝いた。――リタからもらったペンダントだ。各家々から漏れる微かな灯火に、ペンダントが反射している。

『みんなでお揃い!!』

 リタが嬉しそうに言った言葉……。

『ロックやアリスは力を合わせてやろうって、一致団結みたいな感じでっ……。けど僕、なんか一人で突っ走って!』

『ロック、訊いたでしょ? 一ヶ月後、どうするかって。あたしね、あたし……そういう風に誘われたことなかったの』

 試験後のタグーとアリスの言葉……。

 ロックは顔を上げた。

『……怖いのは俺だけじゃない』

 試験後、一人、寮の部屋に閉じこもって考えていた言葉……。

 ――そうだ。俺だけじゃない。タグーもアリスも怯えていたんだ。だからわかり合えると思ったんだ。あいつらとだったら、目指す所目指せると思ったんだ。あいつらのためなら、俺はなんだってできる。その強い想いはどこに行った? いつから俺……あいつらのこと護れそうもないって、思うようになった? ……この村に住み着くのもいいかなって……思うようになって……。

 ロックはグッと息を止め、吐き出すと同時に駆け出した。

「すんません! 先、帰ります!!」

 通り過ぎてから、アンダーソンを振り返って大きく言う。アンダーソンはキョトンとしていたが、走っていくロックの背中を見送ると、ため息混じりに笑みをこぼした。

 ロックは、ただひたすら家に向かって走った。

 あいつらを引っ張った俺がここで立ち止まってどうするんだ!? 俺はバカだ!! あいつらと協力してやって行かなくちゃいけないことを、俺は自分から投げ出してた!! 自分に自信がないからって……それをタグーやアリスのせいにして……!!

 家に駆け込むなり、ロックはキッドたちにあいさつ無しにアリスの部屋に向かった。

 部屋に行くと、アリスとガイはまだ眠り、その傍ではタグーが大人しくビットの解体……をしているかと思えば、彼もガイの足を枕にして眠っていた。

 ロックは息を切らして三人に近寄り、胡座をかいた。声を掛けることなく、静かにそれぞれを見ていたが、顔を両手で押さえて前のめりに身体を倒した。

 「何事なの?」と気になったキッドたちが、部屋の様子を窺っている。前のめりに顔を伏せているロックを見てフローレルが声を掛けようとしたが、キッドがそれを止めた。

 ……何かの気配を感じて、ロックはゆっくりと顔を上げた。

 ――アリスと目が合った。

 アリスはガイの身体に頬を付けたままで、ボー……とロックを見ている。

 ロックは顔を押さえていた両手を下ろすと、少し視線を下に向けたが、顔を上げてアリスを見るなり、笑顔で言った。

「もう大丈夫だからな」

「……」

「この先、俺、お前らのこと見捨てないし、絶対護るから。お前らは、俺と唯一タッグ組める奴らだからな。俺、お前らを失くさないぞ。絶対に」

 アリスはキョトンとしていた。最初は「いったい何を言ってるの?」と言いたげな顔つき。しばらくして、何か考えるような、少し視線を逸らし気味の表情。しかし、それも段々と穏やかな顔になり、そして、最終的には小さく頷いた。

「……うん」

 久し振りの笑顔にロックはニッと笑うと、ガイの足を枕に心地よく眠っているタグーを見下ろして、その顔に手を伸ばした。

「……ひはひ!!」

 突然ギューっと頬を引っ張られ、ガバっ!! と起き上がったタグーは、「ケケケ」と笑っているロックを睨みながら頬を押さえた。

「何すんだよ!!」

「お前、ビットの解体はどうしたんだ。何寝てンだよ」

「……!!」

 タグーはまだ何か言いたそうに口を尖らしたが、クスクスと笑うアリスに気が付いて、「……へ?」と、二人を交互に見た。

 ――……この雰囲気は……。

 アリスは苦笑してタグーの顔を指差した。

「あははっ。今のタグーの顔、ヘンっ。おっかしいっ」

 タグーは目を据わらせた。

「アリスだって、ガイに頬を付けて眠ってた時、顔が歪んでた」

「……。あんた、そんなこと言う?」

「ちなみに言うと、顔に赤く跡が残ってるよ」

 タグーが指差すと、アリスはガイにひっつけていた方の頬を手で隠した。

「もう遅いって」

「……。覚えてなさいよ……」

 互いに恨めしそうに睨み合う。ロックは二人を交互に見て小さく吹き出した。

 ……この雰囲気だ。……“戻ってきた”――。

 ロックはガイを間に睨み合う二人を見続けていたが、思い出したように、「あ」と小さく声を上げた。

「おい、鞄」

 ロックが鞄を指差すと、アリスは「え?」と彼の差した方を見て、目を見開いた。ゆっくりと鞄の方を向いた彼女の身体から、薄い布がハラリと落ちた。

 鞄を両手で持ち上げ、太股の上に載せてじっと見つめると、段々と目頭が熱くなってきた。だが、それが零れ落ちることはない。

 ロックとタグーは物思いに耽る彼女をただ見つめた。声を掛けることはしない。いや、どう声を掛けたらいいのかわからないだけなのかも知れない。しかし、ロックがその空気を破った。

「……それ、セシル教官からもらったモノか?」

 ロックの問い掛けに、アリスは小さく頷いた。

「……悪かったな。タグーの言うとおり、自分で取りに行きたかったよな」

 アリスは少し顔を上げて、寂しく笑うロックを見るなりすぐに何か言おうと口を開いたが、しかし、結局何も言えず、浮かない表情で首を振った。

「ううん。……ロックの言うとおり、あたしが行ったって足手まといになるのはわかってるし。それに……こうして今、ちゃんとここにあるんだから。……ありがとう、取ってきてくれて」

 言い終わって、アリスは小さく笑みをこぼしながら鞄を抱きしめた。

 タグーは二人を交互に見ていたが、ふと、何かの異変に気が付いていた。

 ――……まさか……。

 今までのアリスの様子を思い出す。最初、目を覚ました時のロックを見たアリスの表情。そして、鞄を取りに行く時のアリスの表情。……そして今。

 ……アリスはダグラスのことに気が付いてるんじゃないのか!?

 可能性はある。アリスには不思議な力があるんだ。耳の裏を怪我した時、同時にロックとフライスにも怪我を負わせたように自分の思いを誰かに伝えられるんなら、人の思いだって感じることぐらいできるだろう。……アリスが目覚めたのは、ダグラスが自分たちを襲ったそのすぐ後……。

 ひょっとして、アリスはその異変に気が付いて無理に目を覚ましたんじゃ? ロックは何かとアリスに色々話をしてた。アリスはロックの気持ちを感じ取って、それで……。だとしたら、アリスが伝えたかったのは自分自身のことじゃない。ロックのことが心配で……。最初の時も、ロックにダグラス教官のことで何か訊きたかったのかも知れない。鞄を取りに行く時のあの表情、もし、ダグラス教官と遭遇したらってことで心配だったのかも知れない。……セシル教官の鞄をアリスが持っていることで、ロックがダグラス教官のことを思い出すかも知れないって……、今、気にしてるかも知れない……。

 タグーの顔色が変わったことに気付かないロックとアリスは鞄に注目した。そしてアリスが鞄のカギを外す。その音で、タグーもハッ……と鞄に注目した。

 ――中に何が入っているのかはわからない。だが、しばらく間を置いて蓋を開けた、その中身が明らかになった。

 三人は身を乗り出して鞄の中に視線を向けた。

「……嘘!!」

 最初に驚いたのはタグーだった。

 タグーは大きく目を見開くと、鞄の中に向かって身を乗り出した。その時、ガイの足を「ガン!」と蹴ってしまい、ガイの頭が動き出す。だが、タグーは謝ることもせず、無我夢中で鞄の中を見回した。

 ロックとアリスは顔をしかめた。

「……なに、これ」「……なんだ、これ」

 同時に疑問を呈す二人に、タグーは興奮しきったままで鞄の中身を物色した。

「すごい!! すごいよ!! これ!! ……これ!!」

「……落ち着け」

 ロックが更に顔をしかめた。

 足を蹴飛ばされて起きたガイは、タグーが何やら騒いでいることに気が付き、彼が物色している鞄の中を見た。

「交信機ですか」

 ガイの言葉に、タグー以外のみんながガイを見る。キッドたちも、知らず知らずのうちにロックたちを取り囲んでいた。

 ロックは嬉しそうにしているタグーを見て彼の腕を掴んだ。

「おいっ、タグーっ!」

 タグーは笑顔で鞄の中を指差した。

「すごいよ、これ!! 見て見て!!」

「見てもわかるか! 説明しろ!!」

 不愉快げに怒鳴ると、タグーは「なんでわかんないの!?」と言いたげな表情を見せたが、とりあえず、深呼吸して自分を落ち着けると、一通りの説明をし出した。

「いい? これが交信機。今はバラバラだけど、この一つ一つを組み立てたら大きくなるんだよ。これが交信機用の広範囲外部アンテナ。動体感知センサーに光弾銃、電磁波探知機、簡単なトラップでしょ、圧縮酸素ボンベに医療品に栄養剤、不時着する際に必要なモノが全部揃ってるって感じだね。しかも、一部の幹部しか持ってない貴重なモノばかり。ケイティの交信機でもここまで高性能じゃないんだよ。こんなにスゴイものがたくさん揃ってるなんて……。これならフライたちに交信できるよ!」

 タグーは楽しそうな表情で、更に機材を物色し出す。ロックやキッドたちも彼の言葉の意味を理解したのか、パッと明るい顔をした。しかし、そんな中、アリスだけは少し目を細めて鞄の中身を見つめていた。

 ……セシルがこれをくれた。つまり、こうなることを前提として、彼女はこれをアリスに託したのだ。タグーが言うように、一部の幹部しか持っていないということは、それだけ貴重な物のはず。それを……。

 アリスは、ギュッと目を閉じた。

 ……無事でいて……――。

 もし、セシルがフライスたちとはぐれていたら……。これをアリスに渡していなければ、セシルは助かっているかも知れない。セシルが無事にフライスたちと合流していることを、ただ祈る。

「大丈夫ですよ」

 みんなが嬉しそうに鞄の中身を覗き込んでいる中、そんな彼女に気が付いたガイが声を掛けた。その言葉に、アリスは目を開け、みんなも「え?」とガイを見た。

「あなたにこれを渡したということは、そのご本人もこれと同じ物を持っている確率が高いのではないですか? 人間は自らを尊重する生き物です。その方とて例外ではないでしょう。これ程の高性能な物を所持しているとは限らなくても、同等な物を所持し、その上であなたにこれを授けたのではないでしょうか? 平等にして危険を伴うのですから、当然のことです」

 淡々と語るガイの言葉に、アリスは目を閉じて頷いた。セシルが「同じ物を持ってるから、これはアリスにあげよう」と、そう思ってこれを託したとは思えないが、しかし、ガイの言うことも一理ある。愛想のない言い方だが、現実的に考えると、その言葉はどんな慰めよりも強いモノがあった。

 目を開けたアリスは、みんなが自分のことを見ているのに気が付くと、少し間を置いて笑い掛けた。

「そうだよね。……きっと同じ物を持ってる」

 そう力強く言うモノの、まだロックとタグーが心配そうな視線を送っている。アリスは苦笑すると、鞄の中から交信機の一部を手に取った。

「これでフライたちと交信できるね! やってみようよ!」

「……え? あ、ああ。そうだな」

 アリスに急かされ、ロックも思い出したように返事をすると、キッドを窺った。

「使ってもいいっすか?」

「そうね。……ただ……」

「わかってます。ここには迷惑が掛からないように、使うなら遠く離れた所で使うつもりだから」

「……ごめんね」

 少し悲しげに微笑むキッドに「気にしないで」と首を振ると、ロックはガイに目を移した。

「どこか、これを使えそうな所はないか?」

「ここから遠く離れた距離であれば、どこで使っても同じだと思います」

「……。よし」

 ロックは頷くと、アリスを見た。その目が「……どうする?」と聞いている。

 そう。使うのはいいが、アリスはまだ完全に復活していない。

 アリスはロックと目を見合わせ、「……うん」と大きく頷いた。

「やろう。すぐにでも」

 アリスの力強い返事に、ロックは口元に笑みを浮かべた。

「よしっ。お前は俺が護ってやっから心配すんなっ」

 その言葉にフローレルがヒクッと頬を引きつらせ、身を乗り出した。

「フローレルも手伝うみゅっ!!」

 拗ねるように、頬を膨らませて睨まれたアリスはキョトンとした。ロックは「わかったわかった」と、顔をしかめるアリスからフローレルを押し退けた。

「……ガイは……どうする?」

 タグーはソロ……と、窺うような視線で小さくガイに問い掛けた。

 ――交信機を使うということは、言ってみれば別れでもある。

 ガイは視線を逸らしたタグーを見てしばらくの間ピクリとも動かなかったが、ゆっくりと、キッドを振り返った。しかし、何も言わない。

 様子を察したキッドは、ガイに優しく微笑んだ。

「行っていいのよ。元々、あなたがいなくても私たちは生活できていた。あなたがいなくなったからと言って、私たちの生活は何も変わらない。ただ、昔に戻るだけのことよ。それ以上に、この子たちの方があなたを必要としているんだから」

 懐広く、理解を示すキッドにガイは小さく会釈した。

「申し訳御座いません。では、そうさせていただきます」

 ガイの決断にタグーは嬉しそうに顔を上げたが、キョロキョロと様子を見ていたリタがキッドの服を引っ張った。

「……リタは? リタも行ってもいい?」

 キッドは、悲しそうに見上げるリタの頭を優しく撫でた。

「リタはお留守番。今からみんなは大変な道を進むのよ? リタ、ちゃんとわかってあげなくちゃ」

「……リタも行きたい」

 べそを掻いて涙を浮かべるが、しかし、キッドは容赦なく首を振った。

「駄目。リタはここに残るの。みんなの邪魔になるから」

 “邪魔”を強調すると、リタは「……うっ」と顔を歪め、泣き出す前に走ってどこかに行った。

「リタ!」

 タグーが慌てて追い掛けようとしたが、キッドが「いいのよ」と声を掛け、それを止めた。

「あの子もわかってるの。ただ、あなたたちと離れるのが悲しいからわがまま言ってみただけ。気にしないで。あの子はそんなにヤワな子じゃないから」

 「仕方のない子よね」と苦笑されたが、タグーは困惑し、それでもどうすることもできず、少し浮かない表情をしながら腰を下ろした。

「では」

 ガイが気を取り直すように、タグーに切り出した。

「遠くに行くのなら、ビットが乗り捨てていったキッカーがありますから、それを有効に活用してはいかがでしょうか」

「キッカー?」

「ただ、どれも故障しているので修理が必要ですが」

「修理なら任せてよ! 久し振りに腕が鳴るなー!!」

 嬉しそうに袖をまくるタグーに、ロックとアリスが同時に「壊すなよ?」「壊さないでよね?」と忠告した。






「ほお、交信機が?」

「はい」

 夕食後、胃休めついでの散歩に出掛けたロックとアンダーソンは、家から近い木の根元に座って肩を並べた。

「それじゃ、これで別れになるかもしれんなぁ……」

「そんなことないっスよ。仲間と出会ったら、絶対またここに戻ってきます。……みんなで地球に戻るために」

 笑顔で頷くロックに、アンダーソンは「……楽しみにしてるよ」と、少し寂しげに笑った。

「ただ、ガイを連れて行くことになってしまって……。ホント、すんません」

 苦笑しつつ、それでも申し訳なさそうに謝るロックに、アンダーソンは笑顔で首を振った。

「いやいや構わんよ。むしろ、ガイがそう自分の意志で決めたということがわしは嬉しい。……今までは誰かの言葉を忠実に守ってきただけだった。そんなガイが、やっと自分の意思で判断するようになった。君らには感謝してる」

「そうやったのはタグーっスから」

「そうじゃな、そうじゃな。ガイはいい友人を見つけたな」

「友人って言うか……。いつかバラされるんじゃないかと、ガイの身が心配なんスけど」

 アンダーソンはロックの何気ない言葉に大きく笑った。

 和やかな空気が辺りを包み、一息吐いたアンダーソンはゆっくりと夜空を見上げた。

「……そうか。……この時が来たか……」

 どことなく寂しげな表情で遠くを見つめるアンダーソンに、ロックは少し首を傾げた。

「……どうかしたんですか?」

「うん? ……いや……な」

 アンダーソンははぐらかすように少し笑ったが、真顔で心配そうに窺うロックに思いを隠しても無駄だと感じたのか、小さく息を吐いて足下の地面に視線を落とした。

「……今まで何人もの人間がノアの番人に立ち向かっていった。その度に多くの犠牲が出た。……結果、命を惜しんだわしらはここでの生活を選んだ。……戻りはしない者がどうなってしまったかはわからん。臆病者の末路がどうなることかわからん。……ただ、時々思うんじゃよ。……正しき道とはなんなのか、己の勇気とはなんなのか」

 アンダーソンは、じっと耳を傾けるロックを見た。

「……何が起こるかはわからんが……、しかし、自分を見失うな。……わしらは何の力にもなってやれんが、君らには生きていて欲しいと願うよ。君ら若者が、これからの未来を作り変えていくよう、そう願いたい。そして変えて欲しいんじゃよ。この、すれ違った悲しい世界を……」

 目を細めて遠くを見つめるアンダーソンに、ロックは少し顔をしかめた。

 ――すれ違った悲しい世界……?

 アンダーソンは夜空を見上げ、微かに笑みをこぼした。

「今夜辺り、キッドがまた星に願掛けをするな」

「……え?」

「キッドの癖でな、ひとつひとつの星に想いを刻むんだと。大切な想いを星に刻めば、どんなことがあっても、顔を上げて星を見上げれば俯かないでいられると、そう思っておる。昔の記憶はないが、そうして生きていたのだろう。心の記憶は覚えておるんだな」

 ロックは笑顔でそう言うアンダーソンから、家の方を見た。

 ……どういうこった? アリスも同じことを言ってたぞ?


 その頃――


「……うひー」

 偽物の月明かりとランプの明かりに照らし出され、それを見たタグーは嫌そうに声を上げた。

 夕食後、ロックとアンダーソンが家を出るのと同時にガイに案内されてきた所は、村の裏手にある山の中。木を伐採され、広く敷地を作られたそこには、なにやら機械が無造作に積み上げられている。それを下から上まで見たタグーは顔をしかめて、大きめのランプを持っているガイに目を向けた。

「ひょっとして、この中にその……キッカーってものが?」

「はい。ビットが残していったものは全てここに集めていたんですが、いつの間にかこんなに収集できていました」

「……つまり、それだけビットを倒した、ってことだね」

 ため息混じりに、タグーは山積みの機械の周りをぐるりと回った。

 ガイは、ランプをタグーのいる場所に向けて光を大きく放つよう調節して置くと、機械の山に向かい、そこから何かを掘り起こしてタグーの前に持って行った。

「これがキッカーです」

 ガイが数台まとめて地面に置くと、タグーはその中の一台を掴み持ち、ランプの明かりに照らすように動かしてじっくりと見た。物としては、地球上にあるキックボードのような物。ただ、それにエンジンとブレーキ、そして振り落とされないために身体を固定するロープ等が取り付けられてあるだけ。しかし、“タイヤ”がない。

「これくらいだったら手間を掛けずに直せそうだね……」

 キッカーを一通り見ながら、タグーは独り言のように呟いた。

「部品も大していい物はいらないみたいだし……。まあ、ミニバイクってところかな」

「バイク?」

 タグーの言葉を繰り返したガイは首を傾げると、また機械の山に向かって何かを掘り起こし、タグーの前に置いた。「ドスン!」と言う大きな音と同時に、少し砂埃が上がる。

「これのことですか?」

 タグーはガイが持ってきたそれを見て顔をしかめた。前に置かれたのは大型のバイクだが、どう見てもスクラップ寸前の代物だ。見ていたキッカーをひとまず置いてバイクに近寄ると、まずはぐるりと見回し、そして隅々のチェックを入れた。タイヤを触り、ハンドルのアクセルを回したり、ブレーキを掛けてみたり。そして、一通りのチェックが終わるとため息を吐いた。

「クラッチのシリンダもサスペンションも曲がってるし、マフラーとタンクには穴が開いてるし、キャブレターも……ああ、こりゃ修理するのは大変だよ。部品だってないと直せないし」

「部品ならあります」

「え? どこに?」

 キョトンとした顔を上げてキョロキョロすると、真っ直ぐ機械の山の方を指差され、タグーは「うへぇー……」と、嫌そうに眉間にしわを寄せた。






「身体は大丈夫?」

「はい」

 一人になったアリスの元に、キッドが様子を窺いに来た。

 フローレルは膨れっ面のリタのご機嫌取りで大忙しだ。リタ曰く、「フローレルが行くならリタも行く!」とのこと。名前を出されたフローレルとしては説得するしかない。心の中で「キッドの嘘吐き。リタ、全然わかってないみゅ!」とボヤきながら――。

 アリスは少し身体を動かして筋トレに励んでいたが、キッドに「無理をしないで」と優しく言われて、壁を背もたれにして腰を下ろした。その横に座ったキッドは、笑顔を絶やさず、それでも心配げな目でアリスを見つめた。

「ちょっとでも疲れたり、窮屈だと感じたら、その時はちゃんとロックに言わなくちゃ駄目よ?」

「はい。……いろいろ、ホントにお世話になりました」

「とても楽しかったわ、あなたたちがいて。……また顔を出してね。……いつか」

 寂しげに笑うキッドに、アリスは「ううん」と首を振った。

「必ず戻ってきます。このままさよならなんかじゃないですから」

「……。そうね」

 キッドは目を伏せがちにそう言うと、顔を上げていつもと変わらぬ笑顔を見せた。

「早く仲間の人たちに会えるといいわね」

 アリスは笑顔で頷いたが、少しキッドを見つめ、視線を逸らし、躊躇いがちに口を開いた。

「……キッドさん?」

「ん? なぁに?」

「……すごく、その……唐突な質問なんですけど……。……リタのお父さんって、誰ですか?」

 本当に唐突な質問だったのだろう。キッドはキョトンとした。その様子に気が付いたアリスは慌てて首を振った。

「あっ、別に話したくないならそれでよくてっ」

 焦るアリスに苦笑したキッドは、小さく首を振った。

「誰だかわからないの」

 アリスは「……え?」と表情を消したが、キッドは気にする素振りもなく言葉を続けた。

「私ね、過去の記憶がないの。気が付いたらここにいて、そしてリタを身ごもっていたから。……リタの父親が誰なのか、私は誰だったのか。……なにもわからない」

「……。そう、なんですか……」

 アリスは申し訳なさそうに上目遣いで彼女を見た。

「……すみません。……嫌なことを聞いてしまって……」

「ううん。いいのよ。私は全然気にしてないから。今、とっても幸せだから、過去の記憶がなくても平気」

 ニッコリと、いつもと変わらない笑顔を見せるキッドに、アリスは少し目を伏せた。

 ――……ここは悲しい想いで溢れている……。

 深く息を吸い込んで気を落ち着ける、無口になったアリスに、キッドは少し首を傾げた。

「どうかした?」

 アリスは、自分の顔を覗き込んでいるキッドになんとか笑顔を取り繕って首を振った。

「……いえ。なんでもないんです……」

 そう答えた頭の奥、何かが引っ掛かっていた。

 ライフリンクとしての能力――。何かを感じる。

 ――リタ……誰かと同じ気配がする……。あたしの知っている誰かと……。











 翌日――。

 徹夜明けで眠たそうなタグーが戻ってきて、少し仮眠を取り、そして数時間後、用意の調ったロックたちがエバーの住人たちに見送られながら、ここを発つことになった。

「気を付けてね」

「ムチャをするんじゃないよ」

 村人たち全員が集まってくれているようだ。大して話もしていないような人までもが声を掛けてくれて、なんとなく、名残惜しさに襲われた。だが、ここから旅立たなければいけない――。

 ロックはみんなに挨拶をしてまわり、アンダーソンの傍に寄った。

「ホントにお世話になりました」

「いや。……こんな言い方はしちゃイカンのだろうが……いつでも戻っておいで。わしらは待っているよ」

 アンダーソンは笑顔で腕を伸ばし、ロックを抱きしめた。初老とは思えない程の力強さに頼り甲斐を感じる。ロックは笑みをこぼして目を閉じ、同じく抱き返した。

「……リタ?」

 タグーは、一人ふて腐れて俯いているリタに近寄ると、彼女の視線に合わせるように腰を下ろした。

「……嫌いだもん」

 フン、とそっぽ向かれてしまった。

 タグーは微妙な笑みを浮かべたが、それでも、気を取り直して顔を覗き込んだ。

「……またここに来るから。その時は、一緒に僕たちの艦に乗ろう。だから、ここで待ってて。絶対に戻ってくるから」

 リタは拗ねるように口を尖らし、上目遣いでタグーを窺った。

「……絶対に戻ってくる?」

「うん。約束する」

「絶対?」

「うん」

 リタは「……ぐしっ」と涙ぐむとタグーの首に抱きついた。タグーは苦笑して、ポンポンと、優しくリタの頭を撫でる。――が、ドスッ! と、いきなりお腹に膝蹴りを喰らって、タグーは「うっ……!」と呻いてお腹を抱え背中を丸めた。リタは「ざまーみろ」と言わんばかりにそっぽ向いている。

 ガイは、「う、うぅー……」と、背中を丸めたまま不愉快そうに呻るタグーを見下ろしていたが、「なんてことをするの、この子ったら……」と、呆れ気味に吹き出し笑うキッドに顔を向けた。

「大丈夫ですか?」

 キッドはガイを見上げて微笑んだ。

「私たちのことは大丈夫。それより、……あの子たちのこと、よろしくね」

「承知しました」

 キッドは笑顔でガイの腕を撫でると、一人、タグーが直したバイクに座っているアリスに近寄った。

「問題はないわね?」

「はい。座り心地もいいです」

 笑顔で答えると、キッドは安心したように頷き、「これを」と、何かを手渡した。アリスは受け取ったそれを手のひらに置いて見た。ペンダントトップらしい。ロケットになっているようだ。

 キッドはアリスの手の中のペンダントトップを見ながら話し出した。

「それはね、唯一、私の過去を証明するものなの」

「……え、ちょっ、そんなものあたしにっ」

 慌てて返そうとするが、そんなアリスの手を握って押し返し、キッドは首を振った。

「持ってて。お願い。……なぜだか、あなたに持たせなくちゃいけない気がするの。……お願い」

 訴えるような目に、アリスは困惑しながらも、視線を落とし、小さく頷いた。

「……わかりました……」

「……。ごめんね。こんなこと……」

 キッドは一瞬、悲しげに少し目を伏せたが、顔を上げるなりにっこりと微笑んだ。

「何か……いいことが起こりそうな気がするわ。あなたたちにも、……私にも」

 キッドの言葉にアリスは少し笑って見せた。

「よしっ、行くか!」

 ロックの声が聞こえてそちらを振り返り、アリスはキッドに目を戻した。

「キッドさん」

「ん?」

「……必ず、戻ってくるから」

 固い決意にも似た言葉に、キッドは少し間を置いて微笑むと、頷いた。

「……」

 リタはアリスの元に向かうロックの背中を見て、ゆっくりと立ち上がったタグーを見上げた。

 タグーはお腹を撫でながら目を据わらせてリタを見下ろし、そして、ため息を吐いた。

「ほんっとに……。少しは女の子らしく」

 ガンッ! と、スネを蹴られたタグーは「!!」と再びしゃがみ込み、足を押さえる。

 ガイは「ううーっ……」と呻るタグーを見下ろし、リタに目を向けた。

「リタ、いい子にしていてください」

 リタは腕を組んでフン、とそっぽ向いた。

「タグー、情けないみゅー」

 横を通り過ぎたフローレルに言われ、タグーはムカッと顔を上げて立ち上がり、痛みを堪えながらリタを見下ろした。

「今度会ったら仕返しするからねっ」

 捨て台詞を残し、逃げるようにロックたちの元へと走っていく、その背中をリタは振り返り、少し視線を落とした。

「……リタ!」

 名前を呼ばれて顔を上げると、タグーはペンダントを軽く引っ張って見せた。

「お守り! 今度、僕も作ってあげるからね!」

 笑顔で手を振って走っていく、そんな彼の背中を見ていたリタは、グッと歯を食い縛った。

 ガイは腰をかがめてリタの頭を撫で、「……それでは」と、軽く声を掛けてロックたちの元へと歩いた。

 アリスの乗ったバイクはガイが、そして三台のキッカーはロックとタグーとフローレルがそれぞれ担ぎ上げる。タグーによると発進場所があるらしく、少し歩かなくてはいけないらしい。

 ロックたちはキッドたちを振り返り、そして、「行ってきます!」と元気よく挨拶をして、彼らに見送られながら森の中へと消えていった――。

 残された村人たちは名残惜しそうにしていたが、ロックたちの姿が見えなくなると、また普段の生活に戻り出す。

 リタは悲しげに森の方を見ていたが、彼らの姿が消えると顔を歪め、キッドの足に抱き付き、スカートに顔を埋めた。

 キッドは苦笑して軽く腰を屈めて、震えるリタの頭を優しく撫でた。

「……待ちましょうね、リタ。きっと迎えに来てくれるから……」






 先頭を歩くタグーが電磁波探知機を手にしながら足早に歩き続ける。そして、何かを確認しながら、後方を歩くみんなに現状報告をし出した。

「そのキッカーをバラしててわかったんだ。そいつはね、磁力で動いてる」

「磁力?」

 ロックが繰り返すと、タグーは振り返らずに頷いた。

「そう。ビットもそうなんだよ。ビットの足の裏とキッカーの裏の構造は一緒だった。ビットって、歩いてくるって言ってたでしょ? あれは磁力の力で進んでたんだよ。ノアコアからは螺旋状のように磁力が流れてる。その上をビットやキッカーは自動的にメモリーされて動いてるんだ。だから、その軸道を外れればそれらは動かない。エバーの村はね、ちょうどその軸道を外れてるんだよ。だからビットが来ないんだね。……ただ、ビットは何か動体物質を感知した場合、自動制御を解除して探索システムが働くようにメモリーされてるんだ。だから、敵だと見なした相手に襲ったりできる。それでだね……、これからの予定。今からこのキッカーを使うんだけど、時間との戦いになる」

「……なんで?」

 ロックが訝しげに問い掛けると、タグーは少し振り返った。

「キッカーはビットが使ってた物だよ? しかも、僕らは今からノアコアから伸びている磁力を利用しようとしている。ノアの番人もバカじゃないだろうから軸道に感知システムぐらいは設備してると思うんだよ。ということは、僕らがキッカーを使おうとすると、感知システムが作動して僕たちの居場所がわかる。そうなると、今度は近場にいるかも知れないビットが様子を探りにやってくる。ってことは必然的にそこでバトルってワケだね」

「……そりゃ……大変だな」

「うん。大変なんだよ」

 理解してもらえてよかった、と、タグーは電磁波探知機に目を戻した。

「この探知機で磁力の流れている所を見つけ、その通りに進む。バイクでキッカーを猛スピードで引っ張ってもらって、できるだけ早くエバーから離れて、すぐに交信。運がよければ、ビットに見つかる前にフライたちと交信できるかも知れない」

「……。運が悪かったら?」

 ソロ、と尋ねるとアリスにギロっと睨み付けられ、ロックはすぐに「ジョーダンだって」と肩をすくめた。

「……よし、この辺だね」

と、タグーの足が止まった。

「ガイ、バイクをそこに置いて」

 タグーが指差す方にガイがバイクを運んで、スタンドを立てて固定する。タグーは、バイクの後方部分に予めきつく結び付けておいた長いワイヤーロープを手に取って、そのロープ上に一定距離に着いてある何かの鉤針のような物をそれぞれ三台のキッカーに順番に取り付けた。引っ張ってそれが外れないことを確認すると、今度は持っていた電磁波探知機をバイクのメーター横に付けた。

「ロックはバイクをお願い。この探知機を見て軸道上を走って。僕らのキッカーは軸道上じゃないと動かないからね。最初はゆっくりとしたスピードで感覚を掴んで、それから、スピードを上げていく。ここから……10キロぐらい先を目指そうか」

「10!? ……えらく遠いな」

「あっという間だよ。そのためにバイクのエンジンも積み替えたんだから。木や、何かの障害物があったらそれは避けてもらって構わないからね。磁力の軸道は幅で言うと1メートルぐらいはあるんだ。だから障害物があったとしても避けられると思う。後は僕らがキミの操縦通りに合わせてキッカーのハンドルを切る。目的地に着いたり、ブレーキを掛ける時は手を挙げて合図。じゃないと僕たち、バイクに突っ込んで事故っちゃうからね」

「了解」

「バイク、ちょっとじゃじゃ馬だけど、キミならなんとかできるだろ」

 最後の言葉にキョトンとしたが、タグーは「じゃ、次はキッカーね」と、フローレルを連れてキッカーの元へ歩いていく。ガイは不可解げなロックに顔を向けた。

「完成時にわたしが試乗してみました。巨体の上、バランスが悪く、スピードを出すとハンドルがブレます。更に砂地を走ると滑ります。発進時には注意してください」

 ロックは「はぁ?」と顔をしかめ、何かを言おうとしたが、「ご武運を」と、一言残してタグーたちの元に行くガイの背中を見送り、数回瞬きをして、じっとりと目を据わらせた。

 タグーはバイクの後ろにつくキッカーの側に立つフローレルを前に、キッカーに繋いであるロープを手に取った。

「さて、次はこれだけど。このロープで身体を固定して、これがブレーキに、アクセル、エンジンを掛ける時はこの」

「知ってるみゅーっ」

 タグーの説明を途中で遮ったフローレルは、「ふふん」と鼻で笑った。

「フローレル、乗ったことあるっ。すごいみゅ~っ?」

 得意げに窺う彼女に、タグーは顔を上げて「別に」と、無愛想に吐き捨てた。

「ここに住んでるんだから乗ってて当たり前だし。じゃあ、説明はいらないね。良かった。余計な時間を使わなくて済んで」

 ムスっ……と頬を膨らませるフローレルを放って、タグーはキッカーに乗った。フローレルも、「アイツ嫌いっ!!」と心の中で思いながら、後ろのキッカーに乗って機体から出ているロープで自分の身体を固定し、最後尾についたガイは、ロープで身体を固定することなく、じっと時を待った。

 ロックは、後部シートに着いているアリスの前に跨ると、彼女を振り返った。

「辛くなったら大声で叫ぶんだぞ」

「わかった」

「よし。掴まってろ」

 アリスはどこを掴んだらいいのかわからず、とりあえず、彼の背中の服を掴んだ。

「違う。そんなとこ掴んでどーすんだよ」

「……どう、って」

 躊躇っていると、ロックはため息を吐き、振り返るなりアリスの両手を掴んでグイッと引っ張って、腹部にある自分の腰のベルトを掴ませた。

「絶対離すなよ」

 アリスは腕を伸ばして硬直していたが、それもすぐに疲れて、結局、ダランとロックの背中にもたれた。――それを見ていた背後のフローレルの顔が険しくなっていく。

「……行こうか!」

 ロックは、タグーの言葉と同時にバイクのエンジンを入れた。一瞬、激しく振動して「ガオン!!」と爆音を上げたが、その後は一定に低く呻る。ロックはスタンドを上げると、バイクの重さに堪えながら足を踏ん張った。……なにしろ、交信機の機材やら何やらと、バイクの左右に積んであるのだ。かなりの重量だ。

 タグーたちも、ロックのバイクのエンジンが入ったことを確認すると、それぞれのキッカーにエンジンを入れた。「ヒュウゥーン」という高い音が聞こえると同時に、それが地面から浮き上がる。

 タグーは顔を上げた。

「ロック! GO!!」

 ロックはタグーの声と同時にアクセルを回した。だが、それと同時にギュワン!! とバイクの後部が地面をなぞるように半回転した。突然引っ張られたキッカーは、磁力の軸道から逸れ、バランスを崩し、声を上げる間もなかったタグーたちを地面に叩き付けた。ガイに至っては危険と察知して、すぐにキッカーから飛び降りていたが。

 倒れそうになったバイクをなんとか支えながら、ロックは愕然とした表情で冷や汗を流した。その顔は紅潮して、目も大きく見開いている。彼は心臓をバクバク言わせながら、「いてて……」と起き上がるタグーを睨み付けた。

「タグー!! これのどこがじゃじゃ馬だ!! バカバイクだろ!!」

「パイロットでしょ!? それぐらい扱えなくてどーすンのさ!!」

 生意気な言葉が返ってきて、ロックはムカ!! と眉をつり上げたが、自分の腰にしっかりとしがみ付いている存在に気付くと、そぉー……とアリスを振り返った。

「……、だ、大丈夫か?」

「……。もう二度と怖いコトしないで」

 腸煮えくり返る程の形相で言われたロックは、「……俺が言いたい」と、泣きたい気分でバイクを元の位置まで運ぶ。タグーたちも、地面に打ち付けられた身体をさすりながら定位置に着いた。

「ロック、頼むよー」

 タグーの情けない声に、ロックは大きくため息を吐きながら、再びバイクのエンジンに火を着けた。先程と同じように振動と爆音があり、低い唸り声が続く。タグーたちもキッカーのエンジンを入れた。

 ロックは数回深呼吸をした。……よし!!

「行くぞ!!」

 ロックは大きく言うと同時に少しずつアクセルを回す。が、

「……!!!!」

 今度は急発進。しかし障害物がないため、そのまま突っ切った。突然引っ張られた後ろの三人も驚いたことだろうが、今は文句を言ってる場合ではない。体制を整え、ハンドルを握り、前を見据えた。――そう、走り出した。

 ロックは安定しないバイクに気を遣いながら、バックミラーで後方を確認し、とにかくスピードを上げた。しばらく時間が経てば、じゃじゃ馬バイクも乗りこなせるようになる。そうなると、更にスピードを上げて走った。

 ――エバーから離れなくちゃいけない。できるだけ遠くに。

 電磁波探知機を見ながら軸道を逸れないように走り、そして走行距離メーターを確認しつつ交信場所を探す。タグーの言っていたとおり、すぐに10㎞地点に辿り着くことができた。あまりにも早過ぎて「ひょっとしたらまだエバーからそんなに離れていないのかも知れない」という錯覚に陥ったが、ロックは手を挙げてブレーキを掛ける合図をし、少しずつブレーキを掛けながら、バックミラーで後ろのキッカーもブレーキングをしていることを確認して徐々にブレーキを強く掛けた。完全にタイヤが止まって地面に足を下ろすと、決められていたわけではなかったがそれぞれが手早く動き出す。

「さぁ! 急いで!!」

 タグーがバイクに付けていた電磁波探知機を取り外している間に、ロックとフローレルでバイクに括り付けてある機材道具を外し抱え、駆け寄ってきたガイが歩けないアリスを抱き上げた。タグーが先頭を切って「こっちだ!!」とみんなを従え、ビットの道筋である磁力のある所から離れながら入り組んだ森の中に入り、そしてできるだけ広く開いた原っぱを探した。

 電磁波探知機をチェックしながら走り続けていたタグーは顔を上げた。ちょうどいい広さの敷地が目の前に広がっている――。

「ここにしよう!!」

 タグーはロックから機材を受け取ると、それを地面に並べ出し、アリスを木陰に下ろして足早に近寄ってきたガイを見上げた。

「できるだけ高い場所に付けてきて!!」

 外部アンテナを手渡されたガイは言われたとおり、それを手に素早く木に登り出した。

「フローレル! キミはビットが来ないかを見てて!!」

「みゅ!」

 フローレルはタグーから動体感知器を受け取ると、慎重に辺りを見回す。

 タグーとロックが一緒に交信機を組み立てていくその間に、ガイはアンテナを装着し終え、フローレルと一緒に辺りの気配を窺い始めた。

 木陰に下ろされたアリスは困惑気味にそれぞれを見守っていたが、ふと、何かの気配を感じて顔を上げた。――嫌な予感がする、そう感じたのも束の間、フローレルが動体感知器を凝視し、焦るような表情でタグーを振り返った。

「何かがいるみゅ!! 近寄ってくる!!」

 ロックは目を見開いて舌を打った。

 ……早過ぎる!!

「タグー!!」

「待って!! ……もうすぐだから!!」

 息を吐く間もない程、手早く組み立てていく彼らを見ていたフローレルは再び動体感知器に目を戻し、目を見開いた。

 ――感知器の小さなモニターに、数体の反応が次々と現れ出している。

 動揺の空気が覆う中、ガイは落ち着いて辺りをゆっくりと見回していたが、何かに気が付いたのだろう、しばらくして帯刀していた剣を抜いた。鉄が擦り合うような音にアリスはビクっと肩を震わせ、同じくその音に反応したロックは愕然とガイを振り返った。

「どうした!?」

「……最悪、囲まれているかも知れません」

 どこかに顔を向けたまま、静かに言葉を発したガイにロックは舌を打ち、交信機の組み立てに集中しているタグーに「がんばれ!」と言うと、顔を青ざめているアリスの元に行って彼女支えながらタグーの元へと運んだ。

「ロック!!」

 座り込んだままのアリスが、ガイの元に行こうとしたロックのズボンを掴んだ。

 ロックは不安げに目を泳がすアリスを見下ろすと、焦りの色を浮かべながらも口元に笑みを浮かべた。

「大丈夫だ。俺たちゃやられねって。それより、お前は力を絶対に使うな。わかったな?」

 ロックは、まだ何か言いたげなアリスの手を解くとガイの元に駆け寄った。

 ガイは、隣に立ったロックを振り返ろうとはせず、ただ辺りの気配をじっくりと窺っている。

「……ひょっとしたらノアの番人もいるかも知れません。……運が悪いですね」

 その言葉にロックは目を見開いた。まさか……ダグラスが……!

「ノアの番人が現れた時はわたしが相手をします。……ロック、あなたにビットを任せたい。大丈夫ですか?」

「……心配すんな。俺だってやりゃあできる」

「来る!!」

 急かしちゃいけないとわかっていても、この状況に置いてもはや一刻の猶予もない。フローレルが顔を強張らせて叫び、振り返った。

「タグー早くして!!」

 フローレルの甲高い声が森の中に響いたその時、ガキィィーン!! と金属音の触れ合う音が聞こえて、アリスはビクッと肩を震わし顔を上げた。ガイが森から現れたビットを相手にしている。ビットが振りかざしてきた剣を受け止め、それを弾き返すと素早く胴体を斬り裂いた。

 フローレルは小さく悲鳴を上げてタグーとアリスの元へと駆け寄った。だがその背後、油断していたフローレルを狙って草むらからビットが飛び出してきた。

「フローレル!!」

 アリスが身を乗り出して咄嗟に名前を叫んだ。その声を耳に、フローレルが「キャ!!」と怯えて座り込むと、駆け寄ってきたロックが剣を抜いて立ちはだかり、襲い掛かろうとしたビットの腹部目掛けて奮った。しかし、威力がないためにビットを斬り裂く程の攻撃を加えることができない。ロックに腹部を斬られたビットは、火花を散らしながらも尚、襲い掛かろうとする。一歩引いていたロックは「チッ……!」と舌を打った。

「できたぁ!!」

 タグーは笑顔で叫んで用意していたヘッドマイクを頭に装着し、交信機の電源を入れた。ピ、ピ、ピ、と始動音が鳴り、交信状態、受信状態を示すモニターに明かりが灯る。タグーはマイクのスイッチをオンにすると、交信機に付いてある、電卓のような数字キーしかないキーボードで素早く番号を打った。

「575.6328.4.77!! ケイティ! ケイティ応答願います!! こちらタグー!! エンジニア候補生Aクラスのタグー・ライトです!! ケイティ!! ケイティ応答願います!!」

 タグーの交信が始まるが、それと同時にビットたちの数も増えていく――。

 フローレルは、タグーと交信機を交互に見て焦るような表情をしていたが、ビットの数が増えつつあることに気が付くと、何かを決心したのか、唇を強く噛み締め、機材道具の中から光弾銃を握った。その様子を見たアリスが「フローレル!」と、泣き出しそうな顔で呼ぶと、彼女は力強く頷いた。

「大丈夫! フローレル、こいつらには負けないみゅ!!」

 そう言い切るなりビットに狙いを定めた。次の瞬間、パアァーン!! と発砲音が響き、頭に光弾を受けたビットが煙を上げて倒れ込んだ。

 ガイはガイで挑んでくるビットを次々と斬り倒していたが、不意に何か別の気配を感じ、ハッと顔を上げた。――森の影から何かが近付いてくる。ガイは自分の周りにビットがいなくなったことに気が付き、その近付いてくる者が“ただ者ではない”ことを察した。その通り、姿を現したのは人間ではない。自分に、ガイに近い人型ロボットだ。表情はもちろんない。

 ガイは剣を構えて背筋を伸ばした。

「ノアの番人ではありませんね。わたしがお相手しましょう」

 そのロボットは同じように剣を抜くと、ガイに向かって突進してきた。

「くそ!!」

 ロックが汗を流して吐き捨てた。斬っても斬っても、止めを刺されていないビットは起き上がり襲い掛かってくる。彼らが銃を構える前にロックが剣を奮い、その後、フローレルがビットを撃ち抜く。それを繰り返し、繰り返していた。

 そんな状況の中、タグーは胸の奥で焦りながら、汗を流し、大声で交信を続けた。

「575.6328.4.77!! ケイティ! ケイティ、応答願います!! ケイティ!! ケイティ応答願います!!」

「これじゃキリがねぇぞ!!」

 苛立ち気味に叫んだその時、「ロック危ない!!」とアリスの声が聞こえ、ロックは何か頭上に気配を感じて無意識のうちに剣を頭上に構えていた。ガキィーン!! と、空気を裂くような、鋭く大きな音が響くと同時に、剣を構えていた両手に痺れが走った。

 ロックは少し顔を歪めながらも、自分を押さえつける相手を見上げた。

「……お前!」

 以前、現れたことのあるノアの番人の少年だ。剣を押さえつけたまま、ロックを見下ろしてニッ……と笑っている。

 ロックはカッと目を見開いて、少年の剣を弾き返した。

「お前……!!」

 少年はロックに剣を弾き返されてもすぐに体制を整えて斬り掛かってくる。ロックは舌を打つと、その剣を受け止めた。

 絶対的に彼の方が攻撃力が強い。そしてこういう戦闘に慣れているのだろう。どんなにロックが避けても、攻撃しても、いとも簡単に無駄なくそれに対処する。それを見たタグーはグッと奥歯を噛み、愕然とした表情で唇を震わせているアリスを見た。

「代わって!!」

「え!?」

 タグーはアリスに交信機のヘッドマイクを渡すと、持ってきた機材道具の中からロックが使っている物と同じ剣を取り出して手助けに入った。

 アリスはパニックに陥りながらも、ヘッドマイクを頭に着け、懸命にマイクに向かって叫んだ。

「ケイティ! ケイティ応答してください!! あたしはアリス!! ライフリンク候補生のアリス・バートンです!! 敵に襲われてる!! 助けてェ!!」

 アリスの交信が始まる中、ガイは自分と同種族を相手にしながらタグーたちを見た。相手が相手なだけに、彼らに加勢する隙が窺えない。ロックはロックで、何度となく襲い掛かる少年を相手にするが、ついさっきまであのじゃじゃ馬バイクを相手にしていたせいか、段々と体力が落ちてくる。そんな彼にタグーが加勢に入ろうとするが、すぐにビットが襲い掛かってきて邪魔をされた。

 フローレルは半泣き状態で、それでも懸命にビットを撃ち抜いていたが、「キューン!!」と、どこからか高い銃声音が聞こえ、それと同時に誰かが倒れたのが見え、すぐに振り返った。

「タグゥー!!」

 フローレルの叫び声にロックは目を見開き、すぐに駆け寄ろうとしたが、その前に少年が立ちはだかり剣を向けてきた。あからさまに邪魔をする少年に、ロックは彼を憎憎しく睨んだ。

「そこをどけぇ!!」

 怒りに任せて剣を奮うが、それではなおさら通じない。

 その間に、フローレルが倒れているタグーに駆け寄って彼を抱き起こした。彼はぐったりとして、すでに意識がない。どこを撃たれたのか、傷口を確認した目が止まるなり、顔から血の気が引いた。

「タグーが撃たれたぁ!! ガイィ!! タグーがラディオで撃たれたぁ!!」

 フローレルの涙声に、ガイはすぐそちらを振り返った。フローレルは涙を流しながら、自分の服を歯で噛み切り破くと、ドクドクと血が溢れるタグーの左腕、心臓に近い脇の下をきつく縛った。

 ガイはすぐさま、敵を勢いよく斬り倒した。しかし、止めを刺すに至らず、何度となく起き上がって襲ってくる。

 フローレルはハッと顔を上げた。

 ――ビットたちに囲まれ、ジリジリと、窺うように近寄られている……。

 彼女は震える身体をそのままに、絶望的な表情でペタンと地面に座り込むと、ピクリとも動かないタグーを護るようにギュッと抱きしめ、背中を丸めた。

「……ケイティ!!」

 中心で周りを見ていたアリスは、大粒の汗を流し、交信機に向かって怒鳴るように叫んだ。

「何やってるのよ!! 早く来て!! 助けてェ……!!」

 もはや焦りも恐怖もない何もない。――みんながやられてる。このままじゃ……!! しかし、助けが入る気配はどこにもない。

 アリスはグッと息を止め、キッ……と、睨むように顔を上げた。

 ……何ができるかはわからない。何もできないかもしれない。けれど……――

 ヘッドマイクを外して大きく息を吸い込むと、アリスは地面に両手を付き、ビットの気配を感じてそれに集中すると全身に力を入れた。その様子に気付いたロックは、斬り掛かってくる少年の剣を避けて振り返った。

「やめろオォ!!」

 彼の声が響いたと同時に、一瞬、地面がドンッ! と激しく揺れた。足下がぐら付いて、ロックたちがバランスを保つその間に、なぜかビットたちだけが次々と地面に膝を付いていく。アリスは手を付いたままで激しく息を切らし、ゆっくりと顔を上げた。――ぼやける視界に、タグーを抱きしめたまま唖然とするフローレル、そして、それでも倒れないビットたち、数体が映った……。

 アリスは息を切らしたまま、虚ろに目を細めて地面に顔を向けた。そんな彼女に、一番近いビットが手を伸ばした。

「アリス!!」

 斬り掛かってくる少年を相手にしながら、ロックは視界の片隅に映ったアリスを振り返った。ビットの手がアリスの腕を掴み、無気力な身体を引き摺ろうとしている。まるで、どこかに連れて行こうとするかのような行動にアリスも気付いていたが、もう、抵抗するだけの力は残っていなかった。

 ロックは目を見開き、「アリス!!」と彼女の名を呼び、助けに行こうと走り出した。

 ザシュッ……!!

 ――何かが背中に走った。

 踏み出した足が、一歩、二歩進み、そして、膝から力が抜けるように地面に倒れ込んだ。背中に段々と痛みが走り、剣を放した手が地面の土を握り締めていた。

 震える視界に、こちらを見て叫んでいるアリスが映った。同時に、自分の名前を呼ぶ声が複数、耳の奥で響く。頭上からは、少年の高笑い……。

 ……アリス……、タグー……。……フローレル、ガイ……。……みんな……――。

 心のどこか、遠のく意識の中、自分の中のもう一人の自分が「……もう終わりだ」と言った。

[……もう、終わりだ。これで終わりなんだ……。……終わりにしよう。……そう。“生き地獄”に気付かない、今のうちに……――]






「……そうか。そういうことだったのか……」

「あなた方が思っている以上に、彼らは手強い相手です。それを認識していないと命取りになります」

「……そんな中を、よく生き続けてくれたな」

「彼らは逞しいです。何もできない人間かと思っていましたが、それはわたしの大きな間違いでした」

「ああ……。わたしも認めている」

 ――……誰だ? 誰かがしゃべってる。……誰だろう。……聞いたことのある声だ。一人は……ガイだ。もう一人は……懐かしい声だな……。

「とにかく、彼が目を覚ましたら一度ゆっくり話をしよう。君たちには本当に感謝してる。わたしのクルーを助けてくれて」

 ……懐かしい声だ。俺……、この人に憧れてケイティのパイロットになろうって思ったんだ。……なんで声が聞こえる? ここは……どこだろう? 目を覚まそうか。……けど、目を開けた途端、全部が消えたらイヤだな……。

「……あ!! 動いたよ!!」

 ……タグーの声。……。……ちょっと待てよ。あいつ……撃たれたんじゃなかったのか!?

 ロックはゆっくりと目を開けた。最初に飛び込んできたのは夕暮れ時の赤い空。少し眩しくて目を細めるが、自分の顔を覗き込むタグーの嬉しそうな顔に眉を寄せた。

「よかった! どうっ? 大丈夫!?」

 ロックは笑顔で問い掛けるタグーを見て、少しの間ボー……としていたが、何かに気が付いたのか、ガバ! と起き上がるなり彼の腕を掴んだ。

「お前!! 撃たれただろ!!」

 タグーは今にも食って掛かりそうな勢いのロックに、少し身を退きながら「うんうん」と頷き、傍にいるガイに目を向けた。

「ガイがすぐに治してくれたんだよ」

 ロックはキョトンとしてガイを振り返った。

「早期に治療すれば大丈夫です。フローレルが傷口を縛ってくれていたので、命にも別状はありませんでした」

 と、ガイはロックの横に座っているフローレルを視線で差す。

 フローレルはロックと目が合うと笑顔で首を傾げた。

「大丈夫みゅ?」

「……」

 ロックは更にキョトンとした顔でそれぞれを見た。タグーに、ガイに、フローレルに、フライスだ。みんなが集まっている。

 ロックはハッとして、タグーを睨むように振り返った。

「アリスは!?」

「だ、大丈夫だってば。ほら」

 と、タグーが指を差すそこには、アリスとセシル、クリスにエンジニア教官のザックがいた。

 ロックはホッと肩の力を抜いたが、それと同時に何かを思い出し、顔を上げて自分の背中を手で触り、愕然とした表情でガイを見た。

「お前!! また荒治療やったのか!!」

「はい。傷が深かったもので」

「痛いだろ!! そんなこと勝手にするなよ!!」

「……気を失ってたんだから痛くないでしょ」

「そういう問題じゃねぇ!!」

 ボソっと言ったタグーに顔を赤くして怒鳴るが、その視界に苦笑しているフライスの姿が映って、ピタ、と動きを止めた。

 ……。なんでフライがここにいるんだ? ……そういえば……さっきからいたな。……???

 ロックは辺りを見回した。インペンドと、フライス専用機のアポロン、そして――

 ……なんでセシル教官やクリスやザック教官もいるんだ……?? ……???

 顔をしかめて首を傾げると、様子を察したタグーが笑った。

「フライたちが助けに来てくれたんだよっ。ちゃんと交信ができてたんだ! ビットたちはすぐ逃げちゃったっ!」

「……。ふうん……」

 そう感心なさげに小さく鼻で返事をした後、「……ハッ!」とした。

 ……フライじゃないか!!

 ロックは何を思ったのか、突然立ち上がるとフライスに向かって背筋を伸ばし、ビシッと敬礼した。

 突然の行動にフライスは驚いて身を退いたが、すぐにお腹を抱えて「あはははは!」と大笑い。タグーは「……遅いってば……」と、恥ずかしそうに顔を赤くして目を逸らした。

 ――その頃、ケイティ艦、機動兵器格納庫……。

「……あれ? 外部ハッチが開いてるじゃないか。……ったく、誰だよ。閉め忘れか……?」

 内部ハッチと外部ハッチが開けられ、外の空気が入ってくる。エンジニアのクルーは、ブツブツと独り言を漏らしながら手動でハッチを閉めようとした。が、

「いい、そのままにしてくれ」

「え?」

 声が響いて振り返ると、薄暗い柱の影の部分からダグラスの巨体が現れた。

「大丈夫なんですか? 身体の調子が悪いって聞きましたよ?」

「ああ、もう大丈夫だ。ワシは見回りに行ってくる」

「……え? けど……そろそろロックたちが戻ってくるんじゃないですか? あいつらも早く会いたいでしょうし」

「いや、なぁーに」

 ダグラスはニィッと口元に不敵な笑みを浮かべた。

「今会えなくてもすぐに会えるさ。……ヒヨっ子共にはな」






 ――広い原っぱで涼しい風を浴びながら、それぞれがしばしの間、再会に喜び合う。やっと正気を取り戻したロックも、みんなと言葉を交わした。

 その時の話でわかったこと。

 まず、光の柱に飲まれた後のことだ――。

 ケイティ、そしてサブレット軍艦や主要艦隊は、特殊バリアを張っていたおかげで難なく光の柱から逃げることができたらしい。小艦隊に置いては、なんの対策も取られていなかったため、離れることになってしまったが……。

 光の柱に飲み込まれた瞬間、コンピューターでガンマレイ反応とタイムゲート、瞬間移動反応を捉えた。そして光の柱から逃げた後は、ロックたちと同じようにこのノアに不時着したのだ。このノアに瞬間移動させられたとわかり、ここが敵地だと判断したフライスたちは、すぐにノアの偵察機と接触。すべてを破壊し尽くしたらしい。ビットとも接触をしたが、インペンドを出動させ、一挙に叩き潰した。その後、地球へと交信を試みたが、通じなかった。宇宙への交信が全て遮断されてしまい、孤立した状態になり、その後は、なんの音沙汰無く、この土地で身を沈めていたのだ。

 そして、突然の通信に彼らはすぐに反応した。

 フライスは一人突っ走り、後先考えずにアポロンに搭乗して飛び出した。彼の無鉄砲さを知っている“元同僚たち”は慌てて、パイロットにクリス、エンジニアにザック、ライフリンクにセシルと、誰がそう命令したわけでもなくインペンドに乗り込み後を追った。そして、猛スピードでここまで来てくれたのだ。

 ここに辿り着くなり、ガイに攻撃していた人型ロボットはすぐに危険を察知したのか、その場から素早く姿を消し、ロックに止めを刺そうとした少年も、ビットを引き連れ、慌ててその場から逃げ出した。残されたみんなは、ガイがまず、すぐにタグーの傷の治療に掛かり、その間にフローレルがロックの背中の止血を、アリスは苦しみながらもフライスたちを誘導してみんなの元へと案内した。

 慌てて飛び出してきたフライスたちの目には驚愕な光景が残されていた。所々で斬り倒されているビットたち、血を流し、意識のない候補生の二人。そしてガイという人物を見るのも、フローレルという異人クロスを見るのも初めてだったのだから。

 ガイがタグーとロックの傷を癒している間に、フローレルは所持していた自動言語翻訳機をフライスたちに渡し、少しだけ、現状況を説明した。エバーという名の村にいたこと、交信機を使うために、村を離れたこと。

 アリスはアリスで、セシルに支えられながら、自分が体力を消耗してしまった訳をすべて話した。セシルは少々怒り気味だったが、「とにかく無事でよかった」と何よりもそれを喜んでくれた。もちろん、クリスもザックも同じだった。

 そして、今――。

 空に一番星が見え出し、フライスは談笑するみんなを振り返った。

「そろそろケイティに戻ろうか」

 その声で、みんなも楽しんでいた会話を中断して腰を上げる。

「アポロンは個人機だから、悪いが、みんなインペンドに乗ってくれるか?」

「了解」

 返事をして、それぞれインペンドに向かって足を進める。

 タグーはそんな彼らの背中を見つめて、立ち止まっているガイを見上げた。

「……一緒に来る、よね?」

 フローレルは何も気に留めずにロックの後から付いて行っているが……。

 タグーのすがるような視線に、ガイはじっと彼を見下ろしている。

 フライスは苦笑すると、気のいい笑顔でガイを見上げた。

「うちに来て身体のメンテナンスをしたらどうかな? いい部材は置いてないかも知れないが、気晴らし程度にはなるだろう」

 フライスの申し出にガイはしばらく黙り込んでいたが、自分の手を握るタグーを見て、フライスに頷いた。

「では、そうさせていただきます」

 タグーはパッと、嬉しそうに笑ってガイの手を握り締めた。

「じゃあ僕がメンテしてあげるよ!!」

「壊されないように注意しろよー!」

 と、ロックとクリスとザックに同時に言われ、タグーはムッと頬を膨らました。

 クリスは笑いながらロックの肩を抱き、顔を覗き込んだ。

「どうだ? 操縦してみるか?」

「いいのか!?」

 その申し出にロックの目が輝くが、

「やめてよ、墜落したくないわ」

 と、アリスに肩を貸しているセシルに冷静に却下されてロックは目を据わらせた。信用度ゼロらしい。

 クリスは肩をすくめると、一息吐いて言葉を続けた。

「ホントなら、ダグラスがここに来るべきだったんだろうけど」

 ロックは少し目を見開き、しばらくして視線を地面に落とした。

 ……そうか……。みんなはまだ知らないんだな……。ダグラスが洗脳されたこと……。もう戻ってこないこと……。

「突然身体の調子が悪いって言ってな、代わりに俺が来たわけだ」

 クリスが苦笑すると、ロックはため息を吐いた。

 ……そうか。ダグラス、身体の調子が悪いのか……。

「……なに?」

 セシルに支えられて歩いていたアリスが立ち止まって、愕然とした表情で大きく目を見開き、クリスを見た。

「……ダグラス、教官が……なに?」

 アリスの震える声に、フローレルはハッと顔を上げた。ダグラスって名前は、確か……!!

 ロックはゆっくりと目を上げた。

 ……ダグラス……だって……?

 その言葉が脳裏に浮かぶと同時に、ロックはクリスの腕を掴んでいた。

「ダグラスがなんだって!?」

 クリスは、険しい形相のロックを見て少し驚いたが、苦笑すると再び言った。

「だから、ホントならダグラスがここに来るはずだったんだけどな、突然、身体の調子が悪いって言って寝込んじゃったわけだよ。なんだ? そんなに会いたかったのか?」

 クリスは「かわいい奴だねえ」と笑いながら、冗談っぽくロックの頭を撫でた。だが、ロックは困惑げに目を泳がし、息遣いを荒くした。

 ……ダグラスが……!? ダグラスが……!!

「……う……そ……」

 アリスは悲しげに目を見開いて呟いた。

 ロックは唇を震わせていたが、頭を撫でるクリスの手を払い落とすと、顔をしかめた彼の胸元の服を掴んで引っ張った。

「何言ってンだよ!! ダグラスはダグラスじゃないんだぞ!!」

 ロックの大声に、みんながビクッと肩を震わす。後ろを歩いていたタグーも、何事かとすぐに駆け寄った。

 クリスは、躊躇うような怒りを見せるロックに引っ張られるまま、更に顔をしかめた。

「なに訳のわからないことを」

「ダグラスは敵に洗脳された!! 俺たちを襲ったんだ!!」

 ――クリスたちの表情が変わった。

 タグーも事情がわかったのか、ロックに合わせるように身を乗り出した。

「ダグラス教官は僕たちに攻撃してきたよ!! 僕もロックも大怪我したんだから!!」

「おい、ダグラスとは四日前にやっと合流できたんだぞっ?」

 ザックが訝しげにタグーの肩を掴むと、タグーは振り返り、ザックの服を掴みながら悲しげに見上げた。

「僕たちはその前にダグラス教官に会ってる!! ダグラス教官は別人だった!! 僕たちのことを殺そうとっ……!」

 そう言った後で、タグーは息を詰まらせた。……一番言いたくなかったことを、言ってしまった――。

 ロックはロックで、興奮しているのか、顔を赤くして荒々しく呼吸をしている。

 彼らの言葉を聞き、その表情を目にした教官たちの視線がフライスに向けられた。

 ガイは、険しい表情で自分を見上げるフライスに頷いた。

「間違いありません。殺害のためではないと思われますが、ロックとタグーは、そのダグラスという人間に襲われ、傷を負いました。その人間があなた方の元に戻っているのなら、彼には何らかの目的があり、それを遂行していることでしょう」

 ガイの言葉が終わるなり、フライスはアポロンに向かって走り、そのまま閉じ籠もった。そしてその数分後――。困惑しているみんなの元に、ゆっくりとした足取りでフライスが戻ってきた。

 無表情だが、何を見ているのかわからない目が曇っている……。

「……フライ」

 クリスが神妙な面持ちで声を掛けると、フライスは地面に向けていた顔を上げた。

「……ダグラスが姿を消した。……グランドアレスに乗って」

 フライスの言葉にクリスとセシル、そしてザックが大きく目を見開いた。

 グランドアレスとは、ダグラス専用の重武装機体だ。

「ち、ちょっと待って、なんのことっ。グランドアレスってっ……もし……、……」

 不安げに口走ったセシルは、途中で言葉を切った。

 ……もし、今ダグラスがグランドアレスで戦闘を開始したら……――

 フライスは俯いていたが、ゆっくりと顔を上げると、困惑した表情のみんなを見回した。

「……とにかく、ケイティに戻ろう。……ロック、タグー、アリス。君たちは、今はゆっくり休むといい……」

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