03 光の柱-2
【何もしゃべってくれないから】
地球時間の翌日午後――。
デルガの管制塔にて、予めフライスから許可をもらっていたクリスは空いているスタッフデスクに古びた交信機を設置して、試験的にサブレットにいるセシルへと交信をしている。
クリスが白衣のポケットからたばこを取り出し火を付けると、すぐに離れた所にいたオペレーターが空気清浄機付き灰皿を持って苦笑気味に差し出した。クリスは笑顔でそれに答えると、交信機に目を戻した。
「挨拶くらいはするんだろ?」
【挨拶って言っても、朝、おはようございますってだけ。それからは全然……】
スピーカーからのセシルの不安げな声にクリスは鼻から煙を吐いた。
【質問しても、頷いたり首を振ったりするだけで……。食事は今朝少し摂ってたわ。後はずっとどこかを見つめて……。やっぱり心を壊してしまったのかしら……】
クリスはまだ長いたばこを灰皿に押しつけ火を消し、大きく息を吐いた。
「まだそうと決まったワケじゃない」
【あの子、すごく痩せた気がする。……どうしよう。一度地球に戻した方が】
「やめろって」
【だって】
「君まであの子を見捨てるようなことを言ってどうするんだ?」
【……】
「昨日の今日なんだから、もう少し様子を見てみないと。それに、ガキ共と話ができたら様子も変わるかもしれないだろ?」
【……うん】
「アリスの元に交信機は置いてるか?」
【ええ。ロックたちと交信できるって言ってあるけど……】
「OK。それじゃ、奴らが来たら呼び掛けるよ」
【うん……】
「あまり気を落とすなよ」
【……わかってる。それじゃ……よろしくね】
……“地位”が付くと大変なモンだ。医務官の道を選んで正解、ってヤツかねぇ。そんなことを思いながら、交信が切れて、クリスは深く息を吐いた。
「セシルさん、どうかしたんですか?」
背後のデスクで少し窺っていたオペレーターが問い掛けてきて、クリスは苦笑した。
「かわいい教え子に問題が起きてね。気を揉んでるんだ」
「そうですかぁ……。セシルさん、しっかり者だから自分を追い詰めなければいいけど。生徒思いだし」
「そうだね」
クリスは少し笑みをこぼして交信機へと目を戻した。
しっかり者、か。……痛い言葉だな――。
その後、オペレーターたちと談笑しながらしばらく待つと、授業を終えたタグー、そして今日一日まだベッドに横になっていたロックがゆっくりとやってきた。クリスは「お」と顔を上げるが、二人の背後から付いて来たダグラスを見てキョトンとした。
不愉快そうなロックとタグーの後ろ、ダグラスは腕を組み、大きくため息を吐いた。
「何かの時、こいつらの暴走を押さえられるのはどーせワシだけだろーが」
嫌々そうに言うダグラスに、クリスは苦笑した。確かに、この二人を沈められるのはダグラスとフライスくらいのモンだ。
ロックはケッ……と、態度悪く後ろを軽く振り返ってダグラスを見上げた。
「自分の生徒を信じろってンだよな。ただ交信するだけだろ」
「お前というヤツが信じられないからここにいるんだ」
サラリと言い切るダグラスにロックはムッとしたが、傷が癒えるまでは大人しくしているのが賢明だ。
タグーは睨み合う二人を放ってクリスを見上げた。
「アリスは? どう?」
「ん? ああ、準備はできてるがね……」
クリスは軽く肩をすくめた。
「どーも、ちょっと様子がおかしいらしい」
「お前、それでも医者か?」
ロックが目を据わらせて言った後、ダグラスの腕が伸びて彼の頬をギュッとつねった。
「いてててて!!」
「ゲンコツはできんがこういうコトはできるんだぞ、このバカモン」
ロックは赤く腫れた頬を手で押さえながら目にうっすらと涙を浮かべ、恨めしそうにダグラスを睨み挙げた。ダグラスは「ふふん」と方眉を上げ、しめた顔で笑っている。
タグーは何かを探すように辺りをキョロキョロと見回していたが、クリスの側にある古びた“鉄の箱”を見て顔をしかめ、嫌な予感がしてクリスをソロ……と窺った。
「……コレ、……モニターは?」
「音声のみ」
「嘘!! なんでそんな古いモノ!? マニアは喜ぶかもしれないけどこれくらいなら僕でも作れるじゃんっ!!」
ゴンッ! と、ダグラスのゲンコツが落ち、タグーは頭を押さえてうずくまった。
「話ができるだけでもありがたいと思え。バカ共が」
タグーは「うぅー……」と半べそをかいて口をへの字口に曲げ、ダグラスを見上げた。いつもの光景に、周囲にいるオペレーターたちが小さくクスクスと笑う。バカにされているような気がして、ロックはほっぺたから手を離し、タグーもスックと立ち上がって涙を堪えた。
クリスは苦笑すると、交信機から出ている“ON・OFF”のスイッチを入れ、軽く腰を屈めた。
「ハロー? こちらはデルガ。フライ艦隊群一の色男だけど?」
話しかけてしばらくすると、「カカッ……」と引っ掛かるような音が一瞬スピーカーから漏れた。
【ハロー、フライ艦隊群一の女の敵、クリス。準備はできてるわよ】
聞き慣れた声が返ってきてクリスは少し笑い、腰を伸ばしてタグーとロックを振り返った。
「好きに話せばいい。答えが返ってくるかどうかはわからないけどね?」
道を空けるように一歩下がってから言うクリスの言葉に二人は顔を見合わせ、交信機に近寄った。
……しばらく沈黙が続く。
いざ交信機を目の前にしたら何を話していいのかわからない。
ダグラスは少し離れた壁際に行き、そこに背もたれた。オペレーターが「どうぞ」と笑顔で空いている椅子を勧めるが、「いや、いい。職務中にガキ共がすまんな」と軽く断って、だんまりを決め込むロックとタグーに目を戻した。クリスも灰皿を手にゆっくりと壁際に向かい、近くのデスクに置くと、白衣のポケットからたばこを出してダグラスに勧めた。ダグラスは少しクシャった箱から一本拝借すると、ライターを取り出したクリスに顔を近付けて火を着けてもらった。ダグラスが深くたばこを吸うのと同時に、クリスは自分のたばこにも火を着ける。
「……アリス?」
やっとタグーが口を開くが、躊躇うような小声でダグラスにもクリスにも聞き取り難かった。
「……僕だよ、タグー。……ロックもいるんだよ」
ロックを促すが、彼はじっと交信機を見つめているだけで話し出す気配がない。タグーはため息混じりに一息吐くと、気を取り直して交信機を見た。
「調子はどう? クリスから怪我をしたって聞いたんだよ。……大丈夫?」
……何も返ってこない。
無音の交信機だが、タグーはそれでも話しかけた。
「突然いなくなっちゃったからさ、ホント、ビックリして……。ロックと心配してたんだ」
ロックがギュッ! とタグーの足を踏みつけた。「余計なことを言うな!」と言わんばかりの形相で。タグーは一瞬顔を歪めたが、彼をひと睨みすると、気を落ち着けて再び口を開いた。
「そっちの状況とか全然わからないんだ。アリスがどこにいるのかもわからなくて……。誰も教えてくれないんだよ」
……返答なし。
「試験に向けてがんばってたのにね。アリスたちが帰ってくるまで試験は延期だってさ。せっかくインペンドも調子よく整備できてたのに」
……返答なし。
「……ねぇ、聞いてる?」
……返答なし。
本当に起動しているのか、と、交信機をチラ、と見るが、電源ランプはちゃんと灯っている。機械的な問題ではないようだ。
と、いうことはつまり――
タグーは少し視線を落とし、間を置いて交信機に目を戻した。
「……アリス。……せめてさ、一言でもいいから……声、聞かせてくれない? ……ホントに心配なんだ。だってさ、僕たち……仲間でしょ?」
やはり返答はない。
静かな交信機を見つめていたタグーの目が細くなり、悲しげに顔が下に向いていく。
様子を見ていたダグラスとクリスは目を見合わせた。これ以上やっても無駄かもしれない、そう感じて、どちらからでもなく二人に近寄ろうと灰皿にたばこを押しつけて火を消した。
「こンっのボケオンナァ!!」
その大声に、ダグラスとクリスだけでなくオペレーターたちもビクッと肩を震わして硬直した。黙していただけのロックが、交信機を睨み付けている。
「お前のせいで俺まで怪我したんだぞ!!」
喧嘩腰のロックに、タグーは「ウゲッ!」と目を見開いた。顔から血の気が引いて、脳みそが「それ以上はやめて。それ以上は言わないで」と繰り返すが、ロックの勢いは止まらない。
「くっそーっ! どれだけ痛かったと思ってンだ!? 今だってな、痛いんだよ! 耳の、う・ら・が!!」
八つ当たり気味に身を乗り出して言うロックに圧倒されてか、管制塔内も静まり返っている。
タグーは「んもーっ!」と、ロックの腕を掴み引っ張ってそこから離そうとした。だが、ロックは踏ん張ってそこから動こうとしない。それどころか、タグーの手を簡単に振り解き、更に形相を険しくして交信機のマイクに口を近付けた。
「お前はバカか!? お前はバカだ!! 大馬鹿野郎!!」
「ロックってばーっ! なんでそういうこと言うのーっ!」
タグーが焦って再度ロックの腕を掴み引っ張った。しかし、ロックはやはりそこから動こうとはせず、交信機を睨み付けた。
「助けに行こうにも場所わかんねぇのにどうしろってんだよ!! どーせなら居場所を教えろ!! それぐらいできるだろうがこのバカ!!」
ダグラスとクリスは顔を見合わせた。
「お前に何があったのかわかんねーんだよ! 全っ然わかんねぇ! 何もかもわかんねぇことだらけでっ……! でもお前がちゃんとわかるように、伝わるようにやりゃあ何かができるんだ!! 何も始められない状態で助けだけを求めるな!! お前が開くモン開けばいつでも行く!! ダグラスのオヤジが邪魔するなら殺してでも行ってやる!! わかったかこのバカオンナ!!」
ダグラスは眉をつり上げてズンッズンッと彼らに足を向けたが、クリスが服を掴み、「まぁまぁ」と苦笑気味にそれを押さえた。
ロックは言いたいことを言い終えたのか、ゼェゼェ……と息を切らす。タグーはそんな彼をじっと見つめ、腕を放した。
言葉は荒いけど、でもその中身は優しい。……ロックはこういうヤツなんだ。
ロックは数回大きく深呼吸をすると、遠くに目を向けた。
――強化ガラスの向こうの宇宙。無数の星が広がっているそこを、穏やかな表情で見つめた。
「そういやぁ……前に言ってたな。試験落ちた日、星に刻むとかどうとか……。じゃあ、今日のことを星に刻むか……。そうだな……名付けて……ロックってサイコー、カッチョイイ記念」
【ふふっ……】
交信機の向こうから聞こえる微かな笑い声――。
タグーとロックは顔を上げた。
「アリス!?」
セシルは少し目を見開いた。
医務室のベッドの上。交信機を枕元に置いて、それに耳を傾けながら横になっていたアリスの顔に笑みがこぼれた。
少し離れた所で椅子に座って窺っていたセシルは、今まで無表情だったアリスに絶望を感じていたが、笑顔が戻ったことでやっと肩の力を抜いた。
……重い空気が一掃された。
【アリス!?】
交信機のスピーカーからタグーの声が繰り返される。アリスは視線を天井に向けたままで一息吐いた。
「やぁね。なんだかすごく……陰気臭くない?」
あっけらかんとしたアリスの口調に、
【誰のせいだと思ってンだ、この!!】
【ロック落ち着いて!】
という言葉と同時に「ドタンッ、バタッ!」と暴れる音が聞こえる。アリスは「ふふふっ」と再び笑った。そして、気を取り直すように表情を落ち着かせ、天井をじっと見つめると、小さく言葉を切り出した。
「……ロックも、怪我したの? ……あたしと同じ所?」
【おう! どう責任取ってくれんだよ!?】
怒鳴り口調のロックに、アリスはあっけらかんと方眉を上げた。
「元気なんだからいいじゃない」
【おい! そういう問題か!?】
「うん」
【くそぉーっ!】
悔しそうな雰囲気が交信機から伝わってくる。アリスは愉快そうに笑って、微笑みに変えた。
「あたしは、もう平気……。……ごめんね、タグー、心配掛けちゃって……」
【……ううん。いいよ。元気ならいいんだ】
「ロック、……怪我させて、ゴメン」
【……。別にっ】
ツン、とそっぽ向いたような口調にアリスは小さく笑ったが、その表情も段々と曇っていく。
「……無意識だった。……無意識に名前を呼んでた。まさかロックにまで……。……あたしの力は、怖いね……」
悲しげに微笑むアリスに、セシルは何か言葉を掛けようと身を乗り出した。
【お前なんか怖かねぇよ! ダグラスのゲンコツのほうが数倍こえーや!!】
生意気なセリフにセシルはキョトンとして、苦笑すると腰を椅子に落ち着ける。
「……ありがとう」
微笑んだアリスの一言に、しばらく沈黙が流れた。
シーンと静まり返った室内。互いの息遣いも聞こえない空間――。
【……、……今、……どこにいる?】
小さく問い掛けるロックの言葉に、セシルは真顔でアリスを見た。アリスは無表情でじっと天井を見つめている。
【……どこにいるんだ……? 今……どこにいるんだよ?】
繰り返すロックの静かな言葉に、アリスの目から涙が零れた。
――枯れたと思っていた涙。それが溢れて、目尻を伝って枕に染み込んでいく。
アリスはグスッと鼻をすすり、腕を布団から出して袖で目を拭うとニッコリ笑った。
「教えないよっ。大切な任務に就いてるからっ。それに……あたしは本当にもう大丈夫だしっ。ロックやタグーの声聞いて元気になったっ。もう……挫けないっ」
【そういう問題じゃないだろ】
「そういうもんなのっ」
【……もういい。こっちに戻ってきたらお前には試験までの間、ずっと授業終わった後に飲みモンおごってもらうから】
「ヒドイ! 候補生の“お手伝い賃”いくらか知ってるでしょ!」
【慰謝料だ、慰謝料】
「あたしだって怪我したのにっ!」
【知るかボケぇ】
生意気な声にアリスはムッと頬を膨らました。
タグーは交信機に向かって「べぇ~っ」と舌を出しているロックを見ながら少し笑って、交信機に顔を近付けた。
「アリス、なんの任務か知らないけど、早くこっちに帰ってこれるようにね。また試験のための調整を一緒にやっていこうよ」
【うんっ】
交信機から力強いアリスの声。ライフリンクじゃなくてもわかる。もう大丈夫だということ。
壁際にいるクリスは深く息を吐いて、笑みをこぼした。ダグラスも口の端にうっすらと笑みを浮かべている。
【……あ、そうだ。ねえタグー? ……ちょっと訊きたいことがあるの】
何か思い出したかのように問い掛けられ、タグーは「ん?」と首を傾げた。
「なに? どうかしたの?」
【うん。……コンピューターで感知できないものって、あるのかな?】
「感知できないもの?」
タグーは顔をしかめて腕を組んだ。すっかりエンジニアの顔になっている。
「たとえばどんな?」
【あのね、ちょっとよくわかんないンだけど……変なものを見たの。宇宙で】
「変なもの?」
【うん……。光が真っ直ぐ伸びて……。見たことないような光だった。レーザーとかじゃないの。……上手く言えないけど。気になったからコンピューターでちょっと調べたんだけど何も感知してなくて。目の錯覚……じゃないと思うんだけど】
独り言のようなアリスの言葉を聞いていたクリスとダグラスは無意識のうちに交信機に近付き、そして、タグーとロックの間に割って入ると会話に飛び込んだ。
「アリス?」
【……あ、クリス?】
「突然ゴメンよ。……何を見た?」
【何って……よくわからないけど、遠くの方で光の柱を見たの。すぐに消えちゃった。戦争でも始まるのかと思ったけど……そうでもなかった。……なんか変でしょ?】
クリスとダグラスは顔を見合わせた。と同時にダグラスは近場のオペレータに「ケイティに繋げてくれ!」と要請する。
クリスは真顔で再び交信機のアリスに問い掛けた。
「時間は?」
【ハッキリとは……。ただ、みんな寝静まってたからだいぶ遅い時間だと思うけど……】
クリスは聞こえない程の小さな舌打ちをした。ダグラスはダグラスでオペレーターに手渡されたイヤーマイクでせっつくように何か話している。
尋常ではないダグラスとクリスの様子に、オペレーターたちだけではなく、ロックとタグーも顔を見合わせた。
【それが事実ならまた誰かが……!】
交信機からのセシルの大声にクリスは鋭く目を細め、ダグラスを振り返った。
「フライは?」
「今会議中らしいがすぐコンタクトできる」
ダグラスがイヤーマイクをオペレーターに返しながら答える。
タグーは顔をしかめ、クリスを見上げた。
「どうしたの?」
「……、機密事項ってヤツだよ」
クリスは小さな笑みを浮かべてそう答えると、再び真顔に戻って交信機に顔を近付けた。
「セシル、そっちのコンピューターを調べてみてくれ。サブレットの艦外センサーメインコアキーコードはTHK5309だ」
【了解。至急調べて折り返し連絡するわ】
クリスは交信機から離れるとダグラスに近寄った。
「フライは上層部の連中につつかれてテンヤワンヤになるだろうから……」
「無能はとりあえずフライに任せりゃいい」
ダグラスは真剣な表情でクリスを見て腕を組んだ。
「早々に調べねぇと厄介だな。……チッ、まさか近場で起こるたあ」
「近辺艦隊に連絡を入れてみたほうがいいかもしれない。レーダーで捉えきれているだけでも……確か89艦隊、か……」
「手分けするしかねぇな」
ざわつくオペレーターたち、そして訝しげなロックとタグーの存在を無視して、二人は真剣な顔つきで何か話しながら歩いていく。
クリスは途中、思い出したようにロックとタグーを振り返った。
「お前らは早くスバルに戻って休めよ」
それだけを告げ、ダグラスと共に早々に消えた。
煮え切らないような、有耶無耶なまま放ったらかされた管制塔内、オペレーターたちがざわつく中、ロックとタグーは顔を見合わせ、そして交信機を抱えると片隅に行ってオペレーターたちに聞こえないようにとコソコソ身体を縮めた。
「アリスっ……?」
【……セシル教官、どこかに行っちゃった。……あたし、なんかやばいこと言った?】
不安げなアリスの口調にロックと目を見合わせたタグーは交信機に目を戻し、眉間にしわを寄せた。
「いったいなんなの? 光の柱って」
【……わかんないよ。宇宙を見てたら遠くの方にね、光の柱が見えたの。エネルギー放射かレーザー放射かと思ったんだけどコンピューターは何も感知してなくて……。距離も換算100㎞内で調べたけど】
「100㎞!?」
「そんなものが存在したら大変なことになるぞ!?」
タグーとロックの大声に一瞬、オペレーターたちの視線が集まった。二人はソロ……と彼女らを振り返ると、「……ははっ、なんでもないッス!」と笑顔で誤魔化し、再び身体を縮めて交信機を見た。
「……マジか、それ?」
ロックが小さく問い掛けると、【うん……】とアリスも小さく返答する。
【けど……ホントに何も感知してなかったし。……目の錯覚かな、とも思ったんだけど。……なんか釈然としなくて】
タグーは訝しげにロックを見た。
「ひょっとして、外に出られないのって……」
「その光の柱が原因か?」
言葉尻を捉えたロックの後に続き、アリスが【……あ】と声を漏らした。
【……そういうこと、か……】
意味ありげな言葉にロックは顔をしかめた。
「なんだよ? 何か知ってるのか?」
【う……ん……】
「言えよっ」
躊躇うアリスに、ロックが苛立ち気味に交信機に顔を寄せた。
「今、ダグラスたちもいねぇからっ」
【……けど】
「どうせすぐバレるだろっ?」
アリスは言葉を切った。考えているのか、それとも話す気がないのか。
ロックとタグーはオペレーターたちの視線を感じ、スピーカーの音量をギリギリまで下げてじっと耳を澄ませた。
【……あのね】
アリスの声に、二人はスピーカーへと耳を近付けた。
【数年前から、パイロットが突然姿を消すっていう事件があるらしいの。そのターゲットになっているのが、あたしたち、ライフリンクかもしれないんだって。それであたしたち、特殊なバリアを張り巡らした艦に身を潜めてるの。狙われないように。……どこの誰の仕業かもわからないらしくて。全然情報がないんだって言ってた】
アリスの言葉が終わり、ロックとタグーは顔を見合わせ、再び交信機に目を戻した。頭の中で状況を把握しようとしても、やはりよく理解できない。特にロックはそんな表情。シワになるんじゃないかと思われる程眉間を寄せて、カク、カク、と首を左右に傾けている。
タグーはじっと交信機を見つめていたが、真顔でロックを見た。
「……けどさ、数年前からそうなってて未だ情報がないなんて……おかしいね。そんなコトって、あり得るのかな?」
タグーの問い掛けに、ロックは「ハ?」と顔を突き出して首を傾げた。
「どういうことだ?」
「……内部の人間が絡んでるとか、そういうことだって考えられるよね」
突飛な発言にロックは目を見開き、すぐにタグーを睨み付けた。
「ここに仲間を売るようなヤツがいるってコトかっ?」
「情報が掴めないなんて、そっちの方がおかしいじゃんかっ。言っとくけど、現代工学で成し得ない技はほとんどないだろうってトコまで僕らの技術は来てるんだよっ? なのに、手立てがないなんて考えられるっ? 相手が頭の切れる地球外生物か、身内にスパイがいるかしかないでしょっ」
睨みに負けないくらいの目つきで見返し言うタグーに、ロックは何か言いかけて、しかし、口を閉じた。言い返す言葉が見つからず、戸惑うように、苛つくように視線を斜め下に向けてモゴモゴと口を動かし、段々と表情を曇らせた。
「けど、だとしたらフライは……すげぇショックだぜ? 誰のことも疑わない、全部を受け入れる人だ。ホントにそんなヤツがいたら……」
独り言のようなロックの小さな声に、タグーも視線を落として「……うん」と頷いた。
「フライがいい人だってみんなが知ってるから。そこに漬け込んでる可能性だってあるよね……。……フライ、大丈夫かな……」
深刻な雰囲気になってくる、そんな二人の様子を察したのか、スピーカーから【……ねぇ】と、会話を聞いていたアリスが口を挟んだ。
【とにかく……今はあたしたちが何を言ったって仕方がないと思うの。憶測だけで考えを膨らませちゃいけないわ。……フライたちがいい答えを見つけてくれるわよ】
諭すように、穏やかな口調で言うアリスに、交信機に向かってロックは拗ねるような視線を向けた。
「……待つしかない、ってことか?」
【……、ないでしょ?】
「納得いかねぇっての」
ロックはムスっと頬を膨らませた。
「なんかシャクだよな。上の奴らばっかりが慌てて、行動して、俺らは何も知らないままでさ」
【だって何もできないじゃない。それに、フライは常にあたしたちのためにってコトを優先に考えてくれてる】
「ああ。フライのことは信じてる。……けどさ、なんかさぁ……」
次の言葉が見つからないのか、ロックは黙りこくってしまった。タグーはそんな彼に再び視線を落とした。
「……僕たちができるコトって、ないのかな……」
呟くように言った後、【アリス】と、突然セシルの声がスピーカーから聞こえ、ロックとタグーは顔を上げて耳を傾けた。
【今からケイティに行くわよ。みんなの前で見たことを話してくれる?】
話が聞こえたタグーは咄嗟に交信機に顔を寄せた。
「セシル教官!」
タグーの呼び掛けに、【まだ話してたの?】という不愉快そうな言葉が微かに聞こえ、しばらくして声が返ってきた。
【なに? タグー候補生】
「ケイティに行くの!?」
“タメ口調”に一瞬セシルの反応が止まったが、間を置いて【……そうよ】と答えが返ってきた。
【それがどうかしたの?】
「だったらアリスの送り迎え、僕らでしちゃ駄目っ? 試験用のインペンドでそっちに行くから!」
タグーの提案に「そうか!」とロックも心の中で大きく頷いた。
アリスとも会えるし、現状がもっとよくわかるかもしれない。チャンスだ!
【ダメです】
間髪入れずあっさりと断られ、ロックは「はぁ?」と顔をしかめ、タグーはすがるように交信機に向かって身を乗り出した。
「そんなこと言わないでよ!」
【あなたたちは大人しくしてなさい】
冷静な教官口調のセシルにロックは目を据わらせ、タグーはグッと奥歯を噛んだ。
「……僕たちこのまま会えなくなったらどうするの!?」
タグーは見えない相手に向かって訴える。
「ケイティに行った後、アリスはまたそっちに行っちゃうんでしょ!? アリスから話しは聞いたよ!! 僕、もし移動中に何かが起こったらって心配なんだよ!!」
交信機の向こうで【しゃっべったのっ?】というアリスを責める、半ば呆れ返ったようなセシルの声が聞こえた。
「お願い!! 僕たちにも何かの役に立たせて!!」
管制塔内に響くタグーの声。
ロックは、力を入れているタグーの身体を解すように、肩を抱いて交信機を睨むように見つめた。
セシルのことだ。どんなに訴えても聞き入れてはくれないだろう。……これがクリスならやりやすいのにっ。
しかし、間を置いて【……はあ】と大きなため息がスピーカーから漏れ、二人は不意に表情を消した。
【……待ってなさい。フライと相談してみるわ。事情を知ってしまったのなら、あなたたちが口外するとも限らないし】
ロックとタグーは笑顔で顔を見合わせた。
「ありがとう! セシル教官大好きだよ!!」
タグーの嬉しそうな声に、スピーカーから再び【……はあ】と大きなため息が聞こえた。
「……大体お前らときたら……」
ケイティ内、機動兵器格納庫。
フライスからの許可を得た二人は早速戦闘服に着替えここにやってきたのだが、そこにはダグラスが腕を組み、仁王立ちで待ち構えていた。
タグーはゲンコツを二つもらった頭の痛みに耐えながら、せっせとインペンドがライフリンク無しで起動できるよう、予備パワー初期設定準備を進めている。
ロックは両頬を真っ赤にして、不愉快そうにダグラスを見上げた。
「……で、なんで教官がここにいるンすか?」
「お前らの監視役だ」
ギロリ、と睨み下ろされてロックは目を据わらせた。
ダグラスはそんな“不良候補生”と対等にやり合うつもりはないのだろう、タグーが整備している試験用インペンドへと目を向けた。
「……、アリス・バートンから聞いてるならわかってるだろ」
ロックは、真顔で話し出すダグラスを見上げた。
「相手が何者かわからん。目的も所在地も含めてな。長年調査をしているが、わかっているのはライフリンクのような力を持つ人間が狙われているということ、あと、放出されている物質の一部程度だ。……シールド研究を進めてはいたが、それも本当に効果があるか、誰にもわからん」
「……、ああ……」
ロックもいつしか真剣な表情で聞いていた。そんな彼に、ダグラスは目を向けた。
「突然襲い掛かってくるってことを忘れるな。何かを察知したら、インペンドのパワーを極限まで上げて回避するんだぞ」
ロックは真面目に言うダグラスを見つめた。
今まで一度もこんな表情は見たことがない。いつもどこかしら余裕があった。授業中も、試験中も。初めてダグラスという人間の“本当の姿”を見た気がして、ロックは「……はい」と、やはり初めて真面目な返事をしていた。
「用意できましたー!!」
インペンドのコクピットからタグーが大きく手を振る。そんな彼を見上げ、ダグラスは、「すぐに行く」と、タグーへと手を挙げたロックへと目を戻した。
「ワシは小型機でお前らを誘導する。後に付いてこい」
「はい」
「ロック」
話が終わったと思ったロックは、小さく首を傾げた。ダグラスは、普段と変わりのない、余裕のある表情で言った。
「お前は腕のいいヤツだ。それはワシが認めてやる。何もないとは言えん。しかし、何かあった時はお前ならそれを回避できる。そうだな?」
今まで聞いたことのないようなセリフに、ロックはしばらく間を置き、ニッと笑った。
「ああっ、任せとけって!」
ダグラスは少し笑って「傷に気を付けろよ」と、耳の傷を指差して歩いていった。その背中を見送ったロックはメットをゆっくりと被った。さすがに耳の裏の傷に響いたが、そんなものは我慢すればいい。
その後、インペンドのコクピットから下がっているワイヤーロープに足を掛けて掴まると、ワイヤーから出ているボタンを押し、コクピット目指して上昇した。
「アリスに会えるねっ」
タグーが嬉しそうに出迎えた。楽しみだ、という雰囲気が溢れている彼に、ロックはメットを整えながら顔をしかめた。
「お前、あいつにホレてんの?」
メット越しの曇った問い掛けに、タグーはワイヤーロープを所定位置に括り付けながら目を据わらせた。
「その冗談って、笑えない」
「そうか?」
「それに」
タグーはニッコリと笑った。
「アリスに惚れてるのはロックの方でしょ。だから、アリスと会えるの嬉しいんじゃない?」
ゴン! と、ダグラス並のゲンコツをお見舞いされ、タグーはまだダグラスからもらったゲンコツの痛みが残っていただけに、頭を押さえてその場にうずくまった。
「アリス、コレを持ってて」
サブレット軍艦内の格納庫――。どの艦の格納庫も同じ匂いがする。エンジニアでない限り、この匂いを好む人間はいないだろう。アリスはあまり息を吸い込まないように気を整え、待機スペースで足を止めて、振り返るなり持っていた鞄を差し出すセシルを見、そしてスーツケース型のジュラルミンケースへと目を向け、またセシルに目を戻した。
「……なんですか?」
小型だが、傷一つないシルバーの材質が重量を感じさせる。差し出したままの体制でいるセシルに気遣ってアリスはそれを受け取った。やはり軽くはない。5キログラム程か。
両手で鞄を持ち直し、アリスは再びセシルを見た。
「何が入ってるんですか?」
「必要になるかわからないけど……今回に限らず、ずっと持っていて欲しいの」
中身を明かすことのないセシルにアリスは小首を傾げたが、追求することはしなかった。セシルの穏やかな表情で、中身が危険な物ではないと理解できたからだ。
セシルは、遠く、二階の観閲室から見下ろしている他のライフリンクたちを見上げ、アリスに目を戻した。
「ここに来る前、フライが言ってたでしょ、知り合いの一人が姿を消したって。……私たちの親友だったのよ」
切り出した言葉にアリスの表情が少し曇ったが、セシルは優しく微笑んで首を振った。そしてそのまま、か細い笑みを浮かべたままで足下へと視線を落とした。
「目の前で消えてしまったわ、一瞬のうちに。……助けることも、どうすることもできなかった」
「……教官」
「……、後悔したの。すごく。……今でも後悔してる」
「教官のせいじゃないでしょっ?」
いたたまれなくなって詰め寄るが、セシルは笑顔で小さく首を振った。
「その時、私は一緒にいた。一緒に宇宙に出てて……。ちょっとふざけててね。その子の機動兵器を押したの。冗談を言われてムキになっちゃって。……その時、消えた……」
セシルは何かを思い出すように、細めた目で遠くを見つめた。
「本当にあっという間。……何が起こったのかわからなかった。爆発音も発光もなくて、ただ……光に飲まれて消えた。……探したけど、見つからなかった。……どこかから放たれた光線で事故死って記録されて……。でも、私は諦めきれなかった。……フライも、クリスも。……ダグラスとアーニーがずっと協力してくれたけど……、わかったのは、“裏で何かが起こっている”ってことだけ。……親友の生存はわからないまま……」
アリスは悲痛な表情で目を泳がせた。
セシルはゆっくりと視線を足下に落とし、弱い笑みを浮かべた。
「……私が押しやらなかったら、助かっていたかも知れない。……せめて、私も一緒に」
アリスはセシルの手をギュッと力強く握り締め、真っ直ぐな目で見つめた。
「あたしがここまで来れたのは、教官が傍にいてくれたからです」
「……」
「教官がいなかったら、あたし、どうなっていたか……わからない。……もう、ここにはいなかったかもしれない。……ううん、……生きてたかもわからない……」
段々と顔を俯かせ、悲しく目を細めて語尾を小さくした。だが、アリスは何かを振り払うように軽く首を振ってすぐにセシルへと目を戻した。
「いなくなったら、なんてこと言わないでください。絶対言わないでください。あたしは教官に救われた。他の子だって、きっと教官に救われてる。だから、……そんなこと、言わないでください」
すがるような目で言われ、セシルは間を置いて少し微笑んだ。
「そうね、……ごめんなさいね」
「……。あたし!」
アリスはグッと力強く顔を上げ、笑顔を向けた。
「あたし、がんばって試験合格して、一番のライフリンクになります! そして、絶対悪者を感知してみせます! そしたらお友だちも見つかりますよ絶対!」
自信満々で力強く言う、そんなアリスにセシルはやっといつもの笑顔を取り戻した。
「期待してるわ。いつか私が操縦するインペンドにライフリンクとして同乗して」
「はいっ。任せてくださいっ!」
大きく頷くアリスに、セシルは優しく微笑んで彼女の腕を撫でた。
《第一出撃口ハッチオープン、エアー放出。第二出撃口ハッチオープン、エアー放出。エアー率100%。格納庫内部ハッチが開きます。格納庫内部ハッチが開きます》
オペレーターの艦内放送が聞こえる。
アリスとセシルは、鈍く低い音を放つハッチの方を見た。内部ハッチが開くと、ジェットエンジンを切った小型機が第一出撃口からゆっくりと姿を現す。次に第二出撃口からインペンドが入ってきて、足を踏み出すたびにズンっと身体に振動が伝わってきた。
セシルは二機を見つめるアリスに目を向けた。
「私はここに残ってみんなに事情を説明しなくちゃいけないから!」
エンジン音に掻き消されないよう、大きな声で、聞こえるように言うセシルの言葉を聞いて、アリスは格納庫内の二階の観閲室、強化ガラスの向こうにいるライフリンクや候補生の仲間たちを振り返った。アリスの噂を聞きつけて集まってきたのだろう、そこにはメリッサの姿も見える。じっと、強化ガラスに手を付いてアリスの方を見ている。アリスもしばらく彼女を見つめていたが、すぐにインペンドに目を戻した。
小型機とインペンドの機動が止まると、まずは小型機のコクピットハッチが開き、そこからダグラスの姿が現れた。彼は小型機から降り立つと二人の元に近寄り、アリスを見るなり頭の包帯を見て苦笑した。
「ホントに同じ所を怪我してるのか」
その言葉にアリスはキョトンとし、「……あ、そうか」と思い出してインペンドを振り返った。インペンドのハッチから伸びるワイヤーに掴まって、ロックとタグーが降りてくる。そして、床に降り立つとすぐにタグーが笑顔で駆け寄ってきた。
「アリスー!! 元気ー!?」
まるで嬉しさを隠せない子犬のよう。急いで走り寄るとアリスの前で立ち止まり、ピョンピョンと何度も軽くジャンプした。
「ずっと一緒だったから、ちょっとでも離れるとすごく久し振りに感じちゃうよーっ!」
口調も雰囲気も変わらない。そんなタグーになんとなくホッとして、アリスは「……うんっ」と笑った。
「ホントだねっ。タグー、すごく元気そう!」
「うんっ。……と、怪我、大丈夫?」
突然思い出し、心配そうに頭の包帯を見るタグーに、アリスは苦笑して首を振り、肩をすくめた。
「大丈夫。この包帯オーバーだと思うモン」
「同感」と言う声に振り返ったアリスは、近寄ってきたロックを見るなりケラケラとお腹を押さえて笑った。言葉を交わすことなくいきなり笑われたロックは「んぁ?」と顔をしかめた。
「なんだよ?」
「だって、ロックって包帯似合わない!」
「ほっとけ!」
ムカッ、と眉をつり上げるが、「ププッ」と小さく吹き出して笑うタグーを目敏く捉え、ロックは素早くゲンコツを落とした。タグーは「いて!」と声を上げて首をすくめ、ムスッと頬を膨らませて頭のてっぺんを撫でた。そんな、どこか和気藹々な三人の様子に微笑んでいるセシルの隣、ダグラスは大きく一息吐くと、ゴホン! と咳払いをし、彼らを睨み下ろした。
「おい、悪ガキ共、わかっているとは思うが、今回お前らのやったことは」
「ああ、そうか。早くケイティに行かなくちゃいけないんだな」
ロックがポン、と手を打つと、
「そうそう。フライたちが待ってるんだよね」
タグーは笑顔で頷き、
「お話かー、ちゃんと話せるかなー」
アリスは面倒臭そうな顔をする。
ダグラスは目を据わらせた。
「おい、聞け」
三人の態度に説教を喰らわそうかと考えたが、クスクス笑うセシルから、ポンポン、と腕を軽く叩かれた。まるで「無理無理」と言うように。
「さあ、行こうぜーっ!」
三人は逃げるようにダグラスから離れ、インペンドに乗り込むべく歩いて行く。その途中、アリスはセシルを振り返って鞄を軽く持ち上げた。
「ちゃんと持ってますねー!!」
セシルは笑顔で手を振った。
ダグラスは「アイツら~……」と眉をつり上げ、手を下ろしたセシルを横目で見た。
「甘やかしやがって」
「あら、ダグラス教官に言われるとは思ってなかったですけど?」
「どういう意味だ?」
「……、いっつもフライかわいがりだったくせにっ」
ふて腐れるようなセシルの目は、昔の言うことを聞かない部下の目に戻っている。
ダグラスは「……ケッ」と軽くあしらって深く息を吐き、インペンドのコクピットへ登る三人を目で追った。
「これ以上、関わらせねぇようにしねぇとな」
ダグラスの真面目な言葉に、セシルも三人を見上げて「……そうですね」と小さく答えた。
「あの子たちの行動には注意しないと……。何をやらかすかわからないし、暴走し出したら止められるかどうか。特にロックなんて」
「……ま、そん時ゃ力ずくで押さえるがな」
ダグラスはニヤリと笑ってそう言うものの、思い出したように顔をしかめ、考え込み、ガックリと肩を落として深くため息を吐いた。
「あぁくそ。イチから教育し直しは必要だな……。クソババアなんて呼んだらマズい……」
ブツブツと小声で言うダグラスの意味ありげなセリフに「……え?」とセシルは顔を上げたが、問う前にダグラスは「行ってくる」と、軽く手を挙げて小型機へと進んでいた。
セシルは軽く首を傾げたが、インペンドのエンジンが掛かり、退避するようにそこから離れた。
「お前、なにしてんだよ?」
パワーカプセルに入ろうとしたアリスは「え?」と顔を上げ、一歩突っ込んだ足を止めた。
「なにって? ここがあたしの場所じゃない」
「そうじゃなくて。今、予備パワーしてるからライフリンクはいらないんだ。試験じゃないんだから、んなトコに入るこたーないだろ」
「……あ、そうなんだ?」
アリスは納得げに足を引いたが、しばらく考えて、結局パワーカプセルの中へと進んだ。
「やっぱりいいよ。なんか、ここ落ち着くし……。タグー、パワーカプセルを起動させて」
言いながらパワーカプセルの中、足下にセシルからもらった鞄を置く。
タグーはアリスの言葉通り、コンピューター制御にてライフリンク無しで起動させていたインペンドを再び元の状態に戻した。
【ロック、聞こえるか?】
スピーカーからダグラスの声が聞こえ、ロックはコントロールパネルをチェックしながら「うぃっす」と軽い返事をした。
【お前らが先に行け。ワシは後ろから付いて行く】
「了解」
【真っ直ぐケイティに向かうんだぞ? いいな?】
疑い深い声にロックは目を据わらせ、メットを被ると「りょーかい!」と大きく答えた。
《内部ハッチが開きます》
オペレーターの声が響き、ハッチがゆっくりと開く。それぞれが再び第一出撃口と第二出撃口に入ると内部ハッチが閉じ、出撃口ハッチが開くと同時に宇宙へと飛び出した。
「各エンジン異常なし。パワーゲージ60%」
タグーが言いながらインペンドの状態をチェックする。
ロックは操縦桿から手を離すことなく、モニターで外部の状況を確認しながら視界を少し背後へと動かした。
「アリス、傷は痛くないか?」
アリスはパワーカプセルの中から、メットの後ろしか見えないロックを見て微笑んだ。
「痛くないよ」
「ならいい」
「ロックは? 痛くない?」
「こんなの屁でもねぇよ」
「何言ってンの。いてぇって騒いでたくせに」
笑いながらそう口を挟んだタグーを、ロックはメットの中からギロリと睨み付けた。タグーはすぐに視線を逸らして、「えーと、外部装甲は……」と逃げる。
しばらくの間沈黙が続き、ロックはモニターで宇宙空間を見つめながら「はぁ……」とため息を吐いた。
「このまま散歩したい気分だよなぁー」
気の抜けた声に、タグーも頷いた。
「ホント。気晴らしになるよ」
「いつになったら自由になるんだか……」
「その前に試験だよ、試験。まずは合格しないとさ。合格したら天下だね」
「天下取って何を破壊するつもりだ?」
「失礼だな! みんないつも僕のことなんでも壊すって思ってる! ちょっと失敗してるだけなのに!」
「ちょっと……、ねえ?」
「なんだよその目はっ!」
シートの向こう、そんなことを話す二人を背後から見ていたアリスは少し微笑んだ。
……なんとなく、この空気が心地いい。
ゆっくりとしたスピードで母艦を目指す。段々と距離が縮まり、出撃口が見えると、微妙な逆噴射で出撃口のハッチにインペンドを合わせた。
「僕たちも会議に参加できるかな?」
「当然だろ。このまま引き下がれるか?」
「だよねー」
二人の会話が続く中、アリスはふと、顔を上げた。
――突然、奇妙な感覚が……。
訳がわからず、何かを探すように目を泳がせていたが、それでも“それ”を見つけることができない。だが、それは確実に“迫ってきている”。指先が、麻痺するように段々と冷たくなっていくのがわかる――。
アリスは戸惑いながら「……タグー」と名前を呼んだ。
「ん? なに?」
呼ばれたタグーは視線だけを後方に向けた。もちろん視界にアリスの姿が映るわけではないのだが。
アリスは目をウロウロと泳がせながら、顔を左右上下に動かした。
「何か……感知してない?」
躊躇いがちに問い掛ける声にタグーはキョトンとした。
「感知?」
「何か……変な感じがする。誰かに見られてるような……。……なに……これ……」
心音が自分でもわかるくらいに上昇している。息苦しくて、段々と呼吸も荒くなってきた。異様な雰囲気が強くなり出し、アリスは焦るように宇宙空間を映している外部モニターを確認した。
「……待って。なんだか……おかしいよ。……おかしい。……なんなのこれ。……なに……やだ……」
怯えるようにアリスの声が震え出し、タグーとロックは顔を見合わせ、急いで状況を把握するべく動き出した。タグーはインペンド自体と外部を。ロックはすぐに交信のスイッチを入れた。
「教官っ、ダグラス教官!」
ダグラスに声を掛けると、すぐに交信が繋がった。
【なんだ? どうした?】
「アリスが何か感じるらしいんだ! タグーが状況見てるけどそっちは!?」
何かを調べ出したのだろう。しばらく間を置いてダグラスからの返事がきた。
【こっちのモニターには何も映し出されてないが……。外部のシステムセンサ……も……】
そう言い掛けて、ダグラスは大きくロックに声を掛けた。
【くそ!! 急いでケイティに入れ!!】
ダグラスの焦り声に事の重大さを感じたのか、ロックは舌を打って操縦桿を握り締めた。同時にインペンドがガクンッ! と振動する。
アリスはカタカタと震え出す手を押さえようと、グッと拳にして力を入れた。――呼吸が落ち着かない。心臓の鼓動が増していく。
今まで感じたことのないような雰囲気だ。誰かに見られ、……そう、狙われているような。恐怖にも似た心情がどんどん膨らんでいく。目に見えない何かに身も心も奪われ、束縛されてしまったかのような苦しさ。打ち震える身体をなんとかしようと腕をクロスしたが、突然、目を大きく見開くと、冷や汗を流して震える唇で叫んだ。
「何かが来る!!」
彼女の言葉が終わるか終わらないかのその時、それぞれのモニターに閃光が走った。暗闇だったモニターが突然明るくなり、三人は「!」と驚いて目を伏せた。そして目を開けると、モニターに映し出されている光景に息を飲んだ。
――光の柱だ。一本や二本どころじゃない。数えることのできないくらい、無数の光の柱が無差別に放たれている。
タグーとロックは目を大きく見開いた。こんな光景、今まで見たことがない。フライ艦隊群が戦略戦争に巻き込まれた時、候補生のクラスメートたちと一緒にデルガの地下、避難区画で窓越しからクルーたちの活躍を見たことがある。あの時、初めて見た双方の攻撃に心から驚いた。飛び交う光、行き交う機体、爆破の衝撃も閃光も、何もかもが衝撃的だった。しかし、今はそんな記憶が霞んでしまう程。
光の柱の群れが音もなく近付いてくる――。
【ロック逃げろ!!】
ダグラスの声にロックは、ハッ……! と我に返り、操縦桿を強く握り締めて光の柱を避ける体制を取った。
「タグー、アリス!! 少し揺れるぞ!!」
タグーは愕然とした表情でデスクに掴まった。アリスは両手で頭を押さえ、ガクガクと震えてモニターから目を離せないでいる。
ロックは近付いてくる無数の光の柱を睨むように見た。そして……
音も衝撃もなく、光の柱たちが無防備なフライ艦隊群を襲う。光の柱に打たれた小艦隊が一瞬のうちの姿を消し、その後には痕跡すら残さない。
「なんだよこれ!!」
外部モニターを見ていたタグーが身を乗り出し、大きく目を見開いて怯えながら叫んだ。だが、恐怖に駆られている暇はない。光の柱が今度は彼らを射抜こうと迫ってくる。
ロックは奥歯を噛み締めて操縦桿を動かした。エンジンの噴射に合わせてインペンドが光の柱の命中を避け、新たな光の柱も素早い動きで避ける。だが、光の柱は次から次へと放たれているのか、治まる気配もなくフライ艦隊群を襲う。
ここで飲み込まれるわけにはいかない……!
インペンドは、消えていく艦に気を取られることなくどこからか放たれては消える光の柱の間を縫うように素早く避け続けた。試験のためにとタグーが機敏性を高めてくれていたおかげでその行動がとれた。ロックの手荒な操縦で三人の身体が激しく左右上下に揺さぶられるが、一切の小言はない。
ダグラスの小型機も、無駄のない、ギリギリの間合いで光の柱を避けていく。その姿をモニター上で捉え、「ダグラスがやるなら!」と勇気を与えられていたが、しかし、停滞していた艦の影に入り込んで状況が掴めなくなったのだろう。……ほんの一瞬の隙だった。艦を狙った光の柱はダグラス諸共、その場から消えてしまった。それを目の当たりにしたロックは大きく目を見開き、グッと身を乗り出した。
「ダグラスー!!」
叫ぶように名前を呼ぶ、その声がコクピット内に反響する。タグーも焦りながらすぐさまダグラスの小型機に応答を求めた。
「ダグラス教官応答してください!! 教官!!」
ロックは止むことのない光の柱を避けながら、メットの中、荒々しく呼吸を繰り返し、汗を流した。
……嘘だ。……嘘だろ!!
インペンドを動かしながらも頭の中が真っ白になっていく。何も理解できない。
――ダグラスが……消えた……。そんな……。
アリスはハッと顔を上げた。大きく見開かれた目の先、モニターに映し出されていたサブレット軍艦が光の柱に飲まれ、アリスは「いやあぁー!!」と悲鳴を伴う声を上げた。
「教官ー!!」
涙が一気に溢れて頬を伝う。
タグーは懸命に状況を把握しようと手を動かし、目を動かしていたが、コンピューターは一切の危険を感知していない。全てに置いて“安全な環境”だ。
何をどうしたらいいのかもわからず、タグーは、「……クソォ!」と吐き捨てるとガンッ! とデスクに拳を振り落とした。
――止むことのない光の柱の攻撃。それに飲まれ、一つ一つと消えていくフライ艦隊群……
「……くっ……そおぉ!!」
ロックはグッと怒りにまかせて操縦桿を握り締めた、その時、カッ……! と、いきなり眩しさに襲われ、視界がなくなった……――。




