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BAY  作者: 一真 シン
18/19

epilogue 道は始まった-1

「……どれくらい経った?」

「んーと……。地球時間の一週間……、七日分くらいかな……」

 アリスは栄養ドリンクをコップに注ぎ、ベッドの傍の小棚に置くと、天井を見つめているロックの首もとに手を入れ、彼が起き上がるのを手伝った。

 ロックは包帯の巻かれた手でコップを受け取って、味を確認するように一口飲み、顔を歪めながらも飲み干すと深く息を吐いた。そして、改めて自分の身体をマジマジと見回し、うんざりするようなため息をひとつ。

「……くそ。オーバーに包帯なんかグルグル巻きやがって」

「重傷だったんだからそんなこと言わないの」

 「ったく……」と、アリスは腰に手を置いて呆れるような表情で睨み付け、空になったコップを受け取った。

 ケイティ内、医療施設の個人部屋――。

 部屋の窓から偽物の太陽の光が差し込んで、外が宇宙空間ではないことを認識させた。少し開いている窓から涼しい風が入ってきて頬を撫でる、その心地よさに、ロックはそちらをゆっくりと振り返って、ボンヤリと目を細めた。

 洗面台でコップを綺麗に洗い、片付けていたアリスは、タオルで手を拭きながらベッドの傍に戻ろうとして振り返ったが、外をじっと見ているロックに気付いて動くことができず、その場にしばらく突っ立った。

 ――何も会話が無く、ただ、無口な時間を数分過ごす。

 ベッドの横にある客人用の椅子へと向かい、腰を下ろしたアリスの気配にロックも気付いただろうが、彼女を振り返ることも、声を漏らすこともなかった。

 アリスは、窓の方を見ているロックの、表情を窺うことのできない、斜め後ろからの顔を見て静かに言葉を切り出した。

「……いろいろあったよ。敵本艦をシャイニングブレスで撃ち抜いた後は総攻撃をして……。途中で何体か逃がしたけど、クリスが追い掛ける必要はないって言ってね。……コアさえ破壊すれば、もう、誰もさらわれることはにだろうし、って……。それで、あたしたちが勝ったの。……その後はね、被弾したインペンドの回収をしたり……」

「俺は……どうしてた……?」

 窓の向こうを見つめたまま、アリスの言葉を静かに遮った。

「コアにミサイルを放って……。その後のことは全然覚えてないんだ……。……死んだって、思った……」

「……。そうね」

 アリスは視線を落としたが、それも少しの間だけ。すぐに目を上げて言葉を続けた。

「あたしとタグーとクリスでインペンドに乗って、アポロンの誘導で敵本艦に入ったの。……全部がメチャクチャでね、ホント、絶望的だったよ。もう駄目だって……そう思った。……なのにね、あたしたちが見つけたのは、機体を丸めたグランドアレスだったの。……ボロボロだったよ。装甲も剥がれてたし。……グランドアレス、外見はメチャクチャになってたけど、コクピットの内部まで被害が及んでなかったの。……装甲を強化していたっていうのもあったからなんだろうけど……、けど……なんだかね、……コクピットを護るみたいに機体を丸めてたんだ……。何かを抱き締めるみたいに……」

『おらおら。さっさと目を覚ませよ』

 ロックは少し瞼を動かした。――脳裏に浮かぶのは“夢の中”での、あの出来事……。

 視線を落とし、ゆっくり俯いて、細めていた目を閉じた。

「すぐにケイティに運んで解体してね……、そこから助け出したんだよ。……身体をたくさんぶつけたみたいで、大怪我してたんだから」

 ロックはそのままの体制で小さく息を吐いた。

「そっか……」

「……うん。……その後はね、多国籍軍の人たちの手助けで宇宙の大掃除をして。……敵艦の残骸とかは、地球連邦軍が来て引き受けてくれた。……ヒューマのことも、これから徹底追求するらしいよ。……それから、みんなでノアに戻ってきて」

 ロックは、アリスのその言葉で少し目を開けた。

「……みんなは? ……キッドたちは……?」

 こちらを見ることのない彼の質問に、アリスは少し笑みをこぼした。

「大丈夫。シェルターにずっと閉じ籠もってたんだって。怪我もしてなかった」

 ロックは深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出すと同時に肩の力を抜いた。

「そうか……」

「……みんなでノアに散らばった機体を集めたりして。最近、やっとかな、落ち着いてきたの。……この前は、闘いで命を落としてしまったクルーの宇宙葬があったよ。あと……ノアコアで死んでいた、たくさんの人たちの集団葬も……。……最初に光の柱に狙い撃ちされたときにさらわれたクルーの人たちも、そこにいたみたい……。……フライたちが、すごく悔やんでた」

「……」

「それと……タグーね、ノアコアに行って……ガイを見つけてきたよ」

 ロックの空気が変わった――。だが、アリスはそのことに触れず、視線を斜め下に置いて続けた。

「……ずっと泣いてたの。ずっと……。……けど、今はもう大丈夫みたい。絶対に復活させるって、すごく意気込んでるから。……平気なフリしてるだけなんだろうけど……」

「……」

「まだ、たくさんノアコアの片付けとか残ってるんだけどね……、それでも……なんとなく、落ち着いてる……」

 ロックは話しを大人しく聞いている。時々、窓から入ってくる風がそんな彼の髪の毛を揺らし、存在を知らせるよう――。

 アリスは一旦口を閉じると、顔色の窺えない、頬から後頭部に掛けてしか見えないロックをじっと見て、再び言葉を切り出した。

「……。……死ぬつもり……だった?」

「……」

「……最初からそのつもりで、グランドアレスに……」

 ロックは返事をしないが、アリスは何かを感じたのか、悲しげに俯いて目を細めた。

「……、そう……。……」

 小さく漏らしたその声を耳にし、ロックは目を見開いた。

『大事なモノを護るつもりで、お前は何をしでかした?』

 ロックは咄嗟にアリスの方を振り返った。だが、アリスは彼を直視することはせず、目を逸らしたまま、逃げるように、取り繕うように微笑んで椅子を立った。

「……タグーたち、呼んできてあげるね」

 ロックは少し顔を歪め、そこから歩き出そうとしたアリスの手を掴んだ。

 アリスは踏み出した足をそのままに、ゆっくりと、自分を見上げるロックを振り返った。

「……バカなことをした……。……俺……」

 戸惑うように、焦るように目を泳がす彼に、アリスは小さく首を傾げた。

「俺なんかがいなくなっても、って。……それでお前やタグーや、みんなが……。……」

 言い掛けて口を閉じ、軽く首を振りつつ、視線を段々落としていく。

「……違う……。ホントは全部不安で……。……終わらせたかったんだ……」

 アリスは、視線を落としたロックへゆっくりと身体を向けた。

 ロックは悲しげに俯いてアリスの手を離し、シーツを握り締めた。

「……終わらせたかったんだ。護りたいモノさえ護れれば、それでいいって……思ってた」

「……」

「けど、違うんだ。……違ったんだ……」

 ロックは顔を歪め、グッと奥歯を噛み締めると顔を上げた。何かを訴えるように、すがるように――。

「俺っ……お前がそんな風に悲しむことなんて考えてなかったっ。悲しそうな顔するなんてっ……思ってなかったんだ」

 アリスはじっとロックを見つめた。

「俺……まだ死ねない。やっぱ……終わらせちゃいけないんだ……。終わらせること、できないんだ」

「……」

「……俺……お前の悲しそうな顔も見たくない。だから……、……終わらせられない……」

「……」

「……終わらせたく、ない……」

 段々と顔を下に向け、それにつられて声のトーンが落ちていく。泣き出しそうな雰囲気の彼に、アリスはか細く微笑み、声を掛けた。

「わかってるよ。ちゃんと」

 ロックは赤くした目を見開き、顔を上げた。少し驚くようなその目と向き合い、アリスはニッコリと笑い掛けた。

「約束したでしょ、ずっと一緒だって。だから、あたしが傍にいてあげる」

 ロックは笑顔のアリスを見つめていたが、歯を食い縛り、顔を逸らして目を閉じると息を止めた。ゆっくりと深呼吸をした後、最初は口元に、そして少しずつ顔全体に笑みが戻る。

「みんなを呼んできてあげるから待っててっ。すっごく賑やかになると思うけど……その方が楽しいよねっ!」

 アリスは元気よく、笑顔を残して病室を出ていった。

 残されたロックは、顔を上げると穏やかな表情で窓の向こうを見た。

 涼しい風が入ってきて、彼を通り越す――。

 ロックはゆっくりと瞬きを一つして小さく微笑むと、どこか遠くを見つめて目を閉じた。






「ロック!!」

 ドアが勢いよく開くと、そこから「我先に」とタグーとフローレルが同時に入って来ようとし、ドアに引っ掛かった。

「痛いな!!」

「みゅーっ! タグー邪魔!!」

「フローレルが邪魔なんだよっ!」

 ベッドの鉄柵にもたれたままでそちらを振り返ったロックは、睨み合う二人の相変わらずさに苦笑した。そんな二人の足の間から、リタが「邪魔邪魔~」とすり抜け、笑顔でロックに駆け寄ってきた。

「ロック兄ちゃん!!」

「よぉ、リタ」

 リタはベッドの敷き布団に飛びつき、笑顔のロックを見上げた。

「お見舞いに来たよ!」

「サンキュ」

 ロックが頭をひと撫ですると、リタは嬉しそうに「えへへっ」と笑った。そして、「はい!!」と白い花を差し出した。……激しい戦いがあったのに、この花は無事だったんだ、そう知ると、少し心苦しさに襲われたが、ロックはリタの手一杯に握られたエバーラブを微笑みながら受け取った。

「……ありがとな」

「うん!!」

「ほらほら、早く入って」

 アリスの言葉で、タグーとフローレルの睨み合いが終わり、やっと室内にみんなが入ってくる。気を取り直したタグーは、にこやかな笑顔でロックに足早に近寄った。作業をしていたのだろう。服や顔の至る所が黒く汚れている。

「どう!? もう大丈夫!?」

「ああ。……心配掛けて悪かったな」

 申し訳なさそうな笑みをこぼすロックに、タグーは笑顔で首を左右に振った。

「目が覚めてよかった!」

「みゅーっ。フローレルもたくさん心配したみゅっ!!」

 タグーを押しやってフローレルが身を乗り出した。彼女も作業をしていたのか、少し顔の片隅が汚れている。

 ロックは、拗ねて頬を膨らませるフローレルに苦笑した。

「お前の方こそ、怪我は大丈夫なのか?」

「クロスは怪我の治りがロックたちより早いみゅーっ!」

 胸を張って得意げに言うフローレルに、背後からタグーが目を据わらせた。

「それって威張る程のこと? ……ただの特異体質なだけじゃん」

「みゅーっ!?」

 フローレルがギロリッ、と睨み付けると、タグーも負けじと睨み返す。そんな二人の間に、「まぁまぁ」とカールが苦笑混じりに入り込み、改めてロックを窺った。

「無事で何よりッス」

「お前もな」

「うッス」

 カールも作業途中だったのか、タグーと同じくらい服が汚れ、顔の汚れも目立つ。そんな彼らを見回して、ロックは少し申し訳なさそうに笑った。

「悪いな……。まだ忙しいんだろ?」

「大丈夫だよ、だいぶ作業も捗ってるしね」

 タグーは笑顔で腰に手を置いた。

「今、みんなで艦の修理をやってるんだよ。それさえ済めば、機動兵器なんか他の時間に修理できるし。もう、焦ってバタバタすることもないから」

「……そうだな」

 ロックは小さく頷くと、顔を上げて話を切り出した。

「……ここの、ノアの様子は?」

「機動兵器やガラクタの回収作業はほとんど終わってるッスよ」

 問い掛けにカールが答える。

「地表はかなり荒れてるッスけど、自然の回復力ってのはオレたちの想像以上にすごいッスからね。機械類の改善作業が終わったら、今度は大地の改善作業ッス」

「……ノアコアは?」

「まだ未定ッスけど、オレたちクロスでノアコアのコンピューターを制御していこうって思ってるッス。今は自動制御されてるみたいッスけど、ちゃんと監視しなくちゃ心配ッスからね」

 やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめるカールに、ロックは訝しげに眉を寄せた。

「別に制御の必要はないんじゃないのか?」

「? なんでッスか?」

「だって……みんな、地球に戻るんだろ? お前たちクロスも地球に行ったらいいんだよ。俺たちと何も変わらないんだしさ。わざわざ、こんな荒れ果てた所にいなくても」

 苦笑するロックに、カールとフローレルは顔を見合わせ、フローレルが少し寂しげに口を尖らした。

「みゅー。フローレルもそうしたいみゅー。……けど、フローレルたち、ここに残るみゅー」

 いかにも、仕方がない、という雰囲気のフローレルに、ロックは少し顔をしかめた。

「なんでだ? ここに残る必要なんて……」

「……みんなが、ここに残ってるから……」

 フローレルは、寂しげに笑った。

「仲間のみんな、ここに眠ってるから……」

 ロックは、彼女のその言葉に少し目を見開いた。……そうか。今まで何度となくノアの番人たちとやり合った彼らは多数の犠牲者を出しているのだろう。そして、その仲間たちは今も、この偽物の大地の下で眠っているんだ……。……ヴィンセントも……――

 フローレルは、少し視線を落としたロックを見て、気を取り直すように笑って見せた。

「フローレルたち、ここが好きだから! だから、ここに残るみゅ! ここは結構居心地いいみゅっ!」

 元気よくピョンッとひと跳ねする無邪気な彼女に、ロックは数回小さく頷きながらか細く微笑んだ。

「……そっか……」

「なんならロックもここに残るみゅっ!?」

 フローレルが目を輝かせて身を乗り出した。

「そうするみゅっ! そしたら離れなくて済むみゅーっ!!」

 楽しげに布団を引っ張るフローレルに、ロックは苦笑した。

「そりゃ無理だ。俺はフライ艦隊群のパイロットなんだぞ。それに……地球で待っている人がいるからな」

「みゅーっ!! 誰みゅーっ!! フローレルとどっちが大切みゅーっ!!」

「地球で待ってる人の方」

「みゅーっ!! どうして即答みゅー!!」

 フローレルは悔しそうにその場でジダンダする。ドッタンドッタン! と暴れるフローレルを横目でうっとうしそうに見ていたタグーは、ロックへと、残念そうな顔で切り出した。

「フローレルたちだけじゃなくって、……エバーの村の人たちも、ここに残るらしいんだよ」

 ため息混じりに告げられ、ロックは驚きを隠せず目を見開き、リタを見下ろした。

 リタは、「本当なのか?」と目で問うロックに口を尖らした。

「リタ、お兄ちゃんたちと一緒に行きたいのに、ママが駄目だって言うの。ママもみんなもね、ここに残るんだって」

 ロックは寂しげに拗ねるリタからアリスへと目を向けた。その視線の意味を感じたアリスは、ため息混じりに、無力さを露わに首を横に振った。

「記憶が戻らないの……。セシル教官とフライが説得してたんだけど、全然地球に戻る気はないみたい」

 ロックは、ここにはいないキッドの姿を探すように目を動かし、布団に視線を落として真顔で考え込んだ。

「……フライはそれで納得してるのか?」

「……仕方ないよ……」

 タグーはため息混じりに俯いた。

「そりゃ……もし不幸な生活してるンなら、フライだって力尽くでもここから連れ去るだろうけど。……でもさ、……幸せなんだよ。ここでの生活が好きなんだ。……幸せな生活を営んでいる人を、ここから連れ去る理由はどこにもない。……フライにだって、できやしないさ」

 タグーは一息吐くと、少し寂しげに笑った。

「……フライらしいよ。ホントに……大切なんだと思う」

「……。バカか」

 そう呟いたロックに、みんなは「……え?」と少し目を見開いて首を傾げた。

 ロックは不愉快げな表情で布団を捲り、ベッドから足を下ろした。立ち上がろうとして、一瞬、足の踏ん張りがきかなかったが、それも最初だけ。身体の節々が痛むのを感じつつも、それを表には出さず、グッと背筋を伸ばして「……うっしっ!」と気合いを入れた。

「俺の服は? タグー、持ってこい」

 命令されたタグーは、文句を言うことなく衣装棚から制服を持ってきて、ロックに差し出しながら顔をしかめた。

「どうしたの?」

 そう尋ねるタグーから制服を受け取ると、ロックは医療服を脱ぎ出した。アリスは「っ!?」と慌てて背を向け、カールがすかさずフローレルとリタの目を手で塞ぐ。

「フライはどこだ?」

 着替えながらロックが問うと、タグーは思い出すように視線を上に向けた。

「外かな……。ケイティの外装修理の手伝いをやってたはず」

「よし」

 ロックは制服に着替え終えると、ベッドの下に隠れてある靴を引っ張り、それを履いた。

 肩や首を回して身体をほぐすロックに、タグーは益々顔をしかめた。

「……何するつもり?」

「大したことじゃねぇよ」

 曖昧に答え、ロックは傷の痛みに耐えつつ足を踏み出し、背を向けたままでいるアリスの後頭部にポンと手を当て、「行くぞ」と声を掛けた。

 アリスはキョトンとした顔をしていたが、病室を出ようとドアを開けたロックの後を慌てて追い掛けた。

「大したことって……何っ?」

 タグーはロックの横に並びながら彼の顔を見上げた。――なんだかとても嫌な予感がする。しかし、ロックは無愛想な態度で「別に」と返事をするだけで、まともに取り合おうとしない。

 外に出るべく通路を進む彼らを見掛けたクルーたちに「もう大丈夫か?」「元気になったのか?」と苦笑気味に問い掛けられ、ロックは「ありがとうございます」と、笑顔で応えながら足を止めることなく歩き続けた。タグーは、そんな愛想のいいロックの周りをウロウロしながら、焦りを露わに彼を見上げた。

「フライはフライなりにちゃんと考えたんだよっ。僕たちが口出しできるようなことじゃないんだからっ」

「誰も口出ししようなんて言ってないだろ?」

「絶対そのつもりだ! ケンカ売るつもりだろっ!?」

「買う方が悪いんだ」

「駄目だってばーっ!」

 サラッとした態度のロックに、タグーは「あぁっ、もうっ!」と呆れ気味に首を振った。

「僕たちが今更どーのこーの言ったって、フライが何をしたってキッドの気持ちは変わらないンだよっ!?」

「ママ?」

 背後を歩きながら話しを聞いていたリタは、手を繋いで一緒に歩くアリスを見上げた。

「ママがどうかしたの?」

「ん? ママのことを大切に想う人たちが、これからケンカするんだって」

 笑顔で答えるアリスに「キミまで何を言うの!!」と、タグーは振り返り睨み付けた。アリスは「へへ」といたずらっぽく舌を出し、リタは首を傾げた。

 タグーは、「とにかく!」と、知らん顔をしているロックに目を戻した。

「フライだって辛いんだから! 火に油を注ぐのだけはやめて!」

「消化器でも用意してろ」

「駄目だってばっ!!」

 しつこくタグーから怒やされながら、ロックはケイティ艦の外に出た。

 青草など見えない、土色の大地が広がる青空の下、修理に当たっているクルーや候補生たちが彼らを振り返り、何か言葉を掛けようとするが、眉をつり上げたタグーがロックに向かって怒鳴っているので、その隙が窺えない。

「大体、キミに何がわかるって言うんだ!? 何もわからないだろ!」

「だから?」

「何を言ったって無駄なんだよ!?」

「わかんないだろ」

「やっと諦め掛けてるのにっ!」

「ふうん」

「ふうんって何!?」

「ふうん、だよ。ふうぅーん」

 ムキになるタグーとやる気なさげなロック。この二人のやりとりを見て、リタは不可解げな表情でアリスを見上げた。

「お兄ちゃんたちって、ホントは仲が悪いの?」

 アリスは首を傾げたリタを見下ろして笑った。

「ううん。仲良しよ」

「僕、ロックみたいにデリカシーないの奴は嫌いだよ!!」

 アリスを振り返ってタグーが不愉快げに強く言い切ると、ロックは「あっそ」と目を据わらせ、アリスは少し吹き出し笑った。

「おっ、悪ガキ共」

 聞き慣れた声に、ロックたちは足を止めた。

 エンジニアたちと同じ作業服を着込んだクリスが、スパナを手に、黒く汚れた顔で微笑み近寄ってくる。その姿格好に、ロックは少し笑った。

「似合ってるなぁ」

「俺は何を着ても似合うワケよ」

 クリスは自信満々に「ふふん」と鼻で笑って、ロックの前で立ち止まるなり、少し肩の力を抜いて穏やかな笑みで見つめた。

「で、……もう大丈夫なのか?」

「ああ。……いろいろ悪かった」

 すまなそうな笑顔で謝るロックに、クリスは苦笑した。

「お前の覚悟を無駄にしちゃいけないとは思ったけど、……さすがにアレはきつかったぞ。……フライもしばらくずっと落ち込んでて、手に負えなかったくらいだ」

 ロックは表情を消したが、クリスは微笑み頷いた。

「ま、今はちゃんとこうしてここにいる。それで相殺ってことかね。……よく帰ってきたな、ご苦労サン」

 ポンポン、と、肩を叩かれ、ロックは少し恥ずかしそうに笑って頷き、辺りを見回した。

「……フライは?」

「ん? ああ、あいつなら……」

 見上げるクリスの視線を追って、ロックたちも顔を上げた。彼らの上、ケイティ艦の周りに作った足場に数人の人影が見える――。

 クリスは「おーい! フライ!!」と大きく声を上げた。すると、5段上のそこからヒョコっと、クリス同様作業服を着込んで真っ黒に汚れているフライスが顔を覗かせ、ロックたちを見下ろすと変わらずの笑顔を向けた。ロックはその顔を見て、なんとなく、心の奥底のどこかが落ち着くのを感じた。なんだかんだ言っても、何があっても、やっぱりこの人の存在は大きいんだな、と、そう思った――。

 周りのエンジニアたちが顔を覗かせ、そしてロックを見ると「大丈夫かーっ?」と笑顔で問い掛けてくる。ロックは「はい!」と少し申し訳なさそうに返事をした。

「調子はどうだ!?」

 フライスも笑顔のまま、周囲の作業音に掻き消されないよう大声で問い掛けてきた。ロックは彼を見上げると、「……はい!」と笑顔を返した。

「ご心配をお掛けしました! ……もう大丈夫です!」

「調子が戻るまでゆっくりしてたらいいぞ!」

 フライスは朗笑して作業に戻ろうと顔を引っ込めたが――

「フライ!! お前はそれでも男か!!」

 突然のロックの罵声に、うるさく響いていた作業音や飛び交う声が消えた。

 しーん……と、辺りが静まり返る中、タグーは恨めしそうにロックをゆっくりと見上げ、フローレルとカールとリタ、そしてクリスはキョトンとし、アリスは「知ーらない」とそっぽ向いた。

 一旦顔を引っ込めたフライスは、ゆっくりと顔を覗かせた。……目を据わらせ、不愉快そうな表情をしている。ロックはそんなフライスを睨み付けた。

「タグーたちから聞いたぞ!! 諦めるのかよ!?」

 タグーは慌てて飛び付いて口を塞ごうと手を伸ばしたが、ロックはそんな彼の首に腕を巻き、逆に締め上げた。ロックの腕の中で、背中を丸めたタグーが「く、苦しい!!」と、彼の服を引っ張りながらもがき暴れる。

 周囲の人間たちは作業の手を止めて、フライスとロックを見守るように窺った。

 ロックはタグーの首を縛り上げたまま、フライスをギロリと睨み上げ、怒鳴るように言葉を続けた。

「このままでいいのかよ!? やっと会えたのに、またさよならするのか!?」

 ロックが何を言いたいのか、ようやくその真意がわかってきたフライスは、ムカッ! と、全身から不愉快さを露わにして眉をつり上げた。

「うるさい黙ってろ!!」

 “普通の”フライスの怒鳴り声に、周囲の人間たちが彼から一歩、二歩と離れていく。

 クリスは吹き出し笑い、「放っておいてみるかね」と、腰を下ろしてケイティにもたれ、胸ポケットからたばこの箱を取り出した。

 ロックはムッとした顔でフライスを睨み続け、軽く地面を蹴った。

「そんなの納得行かないぞ!!」

「お前になんの関係があるんだ!!」

「ある!! 俺はあの人の幸せを願ってる!! 口出しして当前だ!!」

「何様のつもりだ!!」

「うるせぇ!!」

 二人の怒鳴り合いに、リタは耳を塞いで顔をしかめると、少し笑っているアリスを見上げた。

「ロック兄ちゃんとあのおじちゃんは仲が悪いの?」

 アリスはリタを見下ろすとニッコリ笑った。

「ううん。とっても仲良しよ」

「お前はなんのためにここに来たんだよ!! 探してたんじゃなかったのか!?」

「無事は確認できた!! それだけで充分だ!!」

「ンなワケあるか!! カッコつけんなよ!!」

「なんだと!?」

「ロック、やめなよーっ!」

 ロックの腕の中でタグーが暴れながら情けない声を出す。しかし、ロックはタグーを離さず、睨み下ろすフライスに向かって更に怒鳴り声を上げた。

「こんだけの艦を築いたのはなんのためだよ!! 闘ってきたのはなんのためだよ!! なんのためにあんたはここに来たんだよ!!」

 ロックの言葉に、足場から身を乗り出していたフライスはグッ!! と拳を握り締めた。

「このガキ……!!」

「無事だったらそれでいいのか!? ……そうじゃないだろ!! あんたはそれだけを望んでたんじゃないだろ!!」

 怒鳴るロックの足下、クリスは火を付けたたばこを吸い、「ふぅーっ」と、笑みを浮かべる口から煙を吐き出した。

 ロックは睨むフライスを、彼以上に睨み付けた。

「ホントに大切だったら終わらせられないはずだ!! このまま終わらせられないだろ!!」

「コレで終わりじゃない!! お前は何を言ってるんだ!!」

「あんたの方こそ何言ってンだよ!! 終わりじゃない!? あんたが何かを諦めたと同時に終わってしまうんだよ!!」

 暴れていたタグーは動きを止め、ロックの腕の中で大きく目を見開いた。

「ここであんたが何かに見切りを付けたとしても、長い間追い掛け続けてきたモノがそう簡単に消え去るモンか!!」

 アリスは表情を消し、ロックから、彼の腕の中で首を絞められ背中を丸めているタグーに目を向けた。

「カッコ付けるなよ!! そういうのが一番カッコ悪いんだよ!!」

 怒鳴るたびに力が入るロックの腕を両手で掴みながら、タグーは目を細めた。――彼の脳裏に浮かぶのは、斬り裂かれ、名前を呼んでも応えてはくれない鉄の塊……。バラした途端、見たこともない仕組みに戸惑い、頭を抱え込んだ自分……。

 ロックは「はぁっはぁっ」と、息を切らしながらフライスを睨み付けた。フライスも、彼を睨み続けている。

 周囲の人間たちはヒヤヒヤしながら二人を窺っていた。「ひょっとしたら、ここで新たな戦いが勃発してしまうのか?」という恐怖さえ感じられた。

 だが、ロックは呼吸を落ち着けながら、少しずつ視線を落とした。

「……俺、一つわかったことがあるよ」

 静かな声に、みんながロックへと目を向けた。

「俺……死んでも構わないって思ってた。全てを終わらせるつもりだった。……こんな俺なんかいらない。……こんな俺なんか……」

 その言葉にフローレルもカールも、タグーもクリスも、そしてフライスも表情を消す。だが、アリスだけは、じっと真顔でロックを見つめた。

「けど、わかったんだよ。終わり掛けた時に気が付いたんだ。……このまま終われないって」

 周囲の視線を集めながら、ロックはゆっくりとフライスを見上げた。

「……ダグラスに……夢の中で言われました。今はもがくだけもがき暴れろって。そしたらいつか見えてくるからって。……そう言われたンですよ、……クソオヤジから」

 フライスはゆっくりと瞬きをすると、少し穏やかな表情を見せるロックをじっと見つめた。

「……俺、何もわからないし、何もできないし、ムチャするし、……今は何も見えていないけど、でも……もがき暴れ続けますよ。クタクタに疲れるまで。……例え悪あがきでも、カッコ悪くても、もがき暴れ続けるつもりです。……終わらせたくないから。……いつか何かが見えるなら……それまでずっと」

 真っ直ぐな目で見上げるロックをフライスはじっと見ていたが、何かを考えるように視線を逸らし、間を置いて身体を引っ込めた。足場にいる人たちがフライスの行動を見ているのだろう。みんなして同じ方を見つめている。その無数の視線の動きを探ると、どうやらフライスは下に降りてくるらしい。

 ロックは腕の力を緩めてタグーを解放した。タグーは首を回して骨を鳴らすと、何も言わず、無表情で顔を上げた。

 足場の階段を下りてきたフライスは、身体の至る所に付いた汚れをそのままにロックの傍に立った。しかし、彼の方を見ることはない。

「……彼女の記憶を呼び戻す方法が、一つだけある」

「……」

「本当にそれで呼び戻せるかはわからない……。……呼び戻した所で、何も変わらないかも知れない……」

 視線を落としながら呟くように言うと、フライスはどこかに向かい歩いて行った。行き先も告げずに遠離る彼の背中をみんなが見送り、そして、少しどよめきながら顔を見合わせた。

 クリスは短くなったたばこを地面に押しつけて火を消すと、肺の中の煙を全て吐き出し、そして吸い殻を手に持ったままで「……よいしょ」と立ち上がってズボンに付いた埃を払った。

「よーし! ほらほら、作業の続きだ!!」

 パンパン!! と手を叩いてみんなを作業へと促す。クルーたちは何かを気にしながらも、クリスの指示通りに再び作業を開始した。

 段々と作業音が響き出し、ロックは見えなくなったフライスを探すのを止め、クリスを見上げた。

「……記憶を呼び戻す方法って?」

 クリスは小さくため息を吐き、何かを思い起こすように目線を上に向けた。

「たぶん、あのことかなあ……」

「あのこと?」

「昔、パイロット時代にさ、フライとケイティはノバを見つけたんだよ」

「……新星のことか?」

「ああ。……あの二人、いつも展望室に行ってコソコソしてたんだ。何かあるのかって訊いても教えてくれないし。だから、こっそり後から付いて行ってさ。んで、二人の話を盗み聞きしたら、なんてこたぁない。ただ、ノバになんて名前を付けようかって話しで。……呆れたね、あの時は。どンだけプラトニックなんだよ、お前らって、って」

 呆れて首を横に振るクリスに、

「速攻直球なのはクリスだけだって」

と、ロックが方眉を上げていやらしく笑うが、クリスは不愉快げに鼻であしらった。

「男たるもの、それでいいのだよロック君。躊躇ってどうするよ。な、アリス・バートン?」

 微笑みとウインク混じりで話しを振られたアリスは、顔をしかめただけ。

 クリスは肩をすくめた。

「その後フライに説教したよ。お前そりゃないだろって。二十も超した大人が子どもみたいなコトしてどうするんだって。……けど、ケイティがノバを見つけてすごく喜んだんだって。今まで見たことがないくらい喜んでいたから、フライも嬉しかったらしくてな。……多分その時のことだろ、鍵になるのは」

 クリスは懐かしそうな笑みを浮かべている。

 ロックは顔をしかめ、興味なさげに周りを見回しているリタを見下ろし、小さく訊いた。

「……つまり……」

 ロックがリタに目配せすると、クリスは首を振った。

「いや、それはない。あいつが本気で狙った女は俺が片っ端から横取りしたから」

 自信を持って告げるクリスにロックは目を据わらせたが、訝しげな表情でチラっとリタを窺った。

「……てっきりそうかと思ったんだけどな……」

 呟く声に、アリスは少し視線を逸らした。

 恐らく、真実は誰も知らないだろうし、気付かないだろう。

 けれど、もし、キッドの記憶が甦ったら――。

「……俺は嫌な予感がするよ」

「え?」

 クリスはため息を吐くと、恨めしそうにロックを横目で睨んだ。

「総督の席はお前に譲るって、言われそうな気がするんだ」






「総督の席はお前に譲る」

 クリスはガックリと頭を落とした。

 その日の夜――。

 辺りが暗くなり出し、作業を一時中断。みんなが夜食を済ませ、疲れ切った身体を休めてのんびりと過ごしている。

「……裏切り者」

 クリスはそう吐き捨てて目を据わらせた。

 ケイティ艦の甲板の端に腰を下ろし、夜風を浴びながらフライスは苦笑した。

 フライスはこのノアの地に残ることを決意した。艦隊群をクリスに託して――。

「お前の方が総督向きだよ」

「……いつかここに総攻撃を仕掛けてやるぞ」

 真顔で更に目を据わらせるクリスに、フライスは少し笑った。

「悪いと思ってる。許せよ」

「許せないぞ。絶対に許せないぞ。……一人だけ幸せを掴もうとしやがってっ」

「何言ってるんだ、ノアは今からが大変なんだぞ?」

「……。顔が笑ってる。くそ」

 フライスは笑顔のまま、隣でふて腐れるクリスの肩をポンポンと叩いた。

 昼間、ロックたちと離れた後、彼はキッドと会った。そして彼女と二人っきりで話ができる場所に向かい、そこで切り出したのだ。

 キッドは過去の記憶がないことは自分自身で理解していたが、フライスたちと同僚だったということだけは信じ切れず、そして思い出すこともできなかった。

 そんな彼女に、フライスは最終的に言った。

「艦内天体観測所で君とノバを見つけた。君は俺と一緒に名前を付けたんだよ。……トラスト。……永遠にこの時間が続くようにって、君はそう思いを刻んだんだ……」

 ――その後、キッドはケイティに運ばれた。

 フライスの言葉に大きく反応した彼女は、記憶の回復に心が付いていけずに倒れてしまったのだ。一時錯乱状態に陥り、このままでは精神的に保たないと誰もが思った。だが、フライスが懸命に名前を呼び続け、そしてそこに駆け込んできたリタが彼女にしがみつき泣き出したと同時に、キッドはやっと落ち着き、意識をはっきりと取り戻した。

 そして改めて、フライスに笑顔を向けた。

「……久し振り」

という、優しい声と共に。

 フライスはその時に決意した。彼女がノアに残るなら、自分もここに留まることを――。

 クリスは「……っはぁーっ」と深くため息を吐いた。

「なんて勝手な奴なんだよ、お前は……」

「自分でもそう思うよ」

「……。反省してないだろ?」

「いや、ちゃんと反省してる」

「顔が笑ってンだよ! か、お、が!!」

 眉をつり上げ、笑顔のフライスの頬をつねって引っ張ったが、フライスは「いたた」と苦笑しつつも無抵抗。クリスは「くそっ」と吐き捨てると、フライスの頬から手を離し、太々しくたばこを取り出して火を付けた。

 吐き出した煙が風に乗って消えていく――。

「こんなことなら、お前なんかノアの奴らに殺されてりゃあよかったんだっ」

「ひどいこと言うなぁ」

 フライスは空を仰いで苦笑したが、膨れっ面でいるクリスへと、少し躊躇うような笑みを向けた。

「……ホントに、お前には悪いと思ってるよ」

 どこか申し訳なさそうな、小さなその声に、クリスは間を置いて大きくため息を吐いた。それと同時にたばこの煙も出てくる。

「もういい。お前はそういう奴なんだ。初めっからわかってる」

 無愛想に突き放すクリスの言葉に、フライスは寂しげに笑いながら視線を落とした。

 ――しばらくの間、沈黙が続いた。どこからかクルーたちの笑い声が聞こえて、煙と共に風に乗って消えていく……。

「……やって……いける、よな……?」

 フライスの躊躇いがちの問い掛けに、クリスはたばこをくわえながら夜空を見上げた。

「……ああ。お前なんかいなくても充分やっていける」

「……」

「お前が好きになった女を奪い尽くすっていう俺の野望はなくなるけどな」

 フライスは目を据わらせ、クリスは少し笑った。そして、二人は遠い夜空の向こうを見つめた。

「……楽しかったよ。……今までさ」

「……。ああ……」

 フライスは夜空を見渡し、目を細めた。

「……もう、……バカなこともできなくなるな」

「……ああ……」

「……もう、一緒に酒を飲むこともなくなるな……」

「……。ああ……」

 クリスは深く息を吐き出した。

「いつかはこうなることだったんだろうけど、いざってなると、相手が煙たい奴でも……、ハッ、ちと……嫌なモンだなぁ」

 冗談っぽく、鼻であしらいながらクリスは笑う。

 フライスはボンヤリとした目で夜空を見つめた。

「……。ありがとな、今まで……」

 クリスは、フライスの横顔を見つめた。

「お前にはお前の……、セシルもアーニーもザックも、……ダグラスもそうだった。お前たちの道があったのに、俺に付き合わせてしまった。……みんなを引っ張ってきたつもりで、俺は自分のことしか頭に入ってなかったんだ。きっと……」

 寂しげに目を細めるフライスを見て、クリスは少し苦笑した。

「なあに言ってンだ。お前がそんな奴だって、俺たちはわかってンだよ。わかってる上でお前に付いてきたんだ。それに……俺たちの道はお前と同じ道に繋がってて、たまたま一緒に進んでただけだ。……ま、これから分かれ道に入るってワケだな。……お前が本当に身勝手な奴なら、艦隊はここまで大きくならなかっただろうよ」

「……」

「お前の人徳だよ、人徳。……裏の顔を見せりゃ、誰も近寄っちゃ来ないだろうがねえ?」

 意地悪く言われても、フライスは笑うだけ。

 クリスは短くなったたばこを床にこすりつけて火を消した。

「……お前は今までよくがんばった。……そろそろ、長期休暇を与えてやるよ」

 フライスは少し視線を落として、か細く微笑んだ。

「……ありがとう……」

「ま、艦隊のことは心配するな。俺が宇宙一の艦隊群に仕立ててやるから。そしていつか、お前に見せびらかしに来てやるよ」

「……ああ。……楽しみに待ってる」

「その時までには、ケイティと、ガキの一匹二匹でもこしらえとけ」

 フライスはクリスを睨み付けた。その視線にクリスは肩をすくめて笑う。

「そういうことでいいだろ」

「……お前に言われると、なんか腹が立つ」

「今まで散々俺に奪われてきたからか?」

「……。俺は知ってるんだぞ。お前の本命は」

 フライスが不意に言葉を止め、クリスは「ん?」と彼の視線を追った。

 二人は、目の前に立つ“その人”を見て、少し首を傾げた――。






「……頭の中がスッキリしたような……けど、重いような感じ」

 ベッドの上、枕にもたれてぼんやりと言う。そんなキッドの傍では、泣き疲れたリタが微かな寝息を立てて眠っている。

 ケイティ艦内の個人病室――。

 様態を気にしたセシルとアリスが見舞いに訪れ、キッドは二人を笑顔で出迎えてくれた。

「そうよね。思い出したのはスッキリしただろうけど、その分、記憶の容量が増えちゃったってことだものね」

 セシルが苦笑すると、キッドも「ふふっ」と笑った。

 一時はどうなることかと思ったが、二人の和んだ空気にアリスはホッと肩の力を抜いた。

「けど……思い出してよかったです。このままセシル教官たちとさよならしちゃうのって、やっぱり寂しいし」

「そうね……、私もそう思うわ」

 いつもと変わらない笑顔で頷くキッドにアリスは微笑み返し、ここぞとばかりに、興味津々な顔で身を乗り出した。

「で、キッドさん。セシル教官って、昔どんな人だったんですか?」

「こらっ、変なこと訊かないのっ」

 セシルに睨まれ、アリスはいたずらっぽく舌を出して肩をすくめた。

 キッドは少し吹き出し笑い、思い出すように視線を上に向けた。

「そうねぇ……、やんちゃで、怒りっぽくて。……ああ、そう。私たちの言うことを全然聞いてくれなくてマイペースで」

「どうして悪い所しか出てこないの?」

 セシルが顔をしかめると、キッドは苦笑し、「……あ」と、思い出したように朗笑した。

「あと、友だちをとても大事にする人。ね」

 セシルはキョトンとした。

「……そぉ?」

「うん、そう」

 首を傾げるセシルにキッドは頷く。

 アリスは「へえ……」と、憧れるような目でセシルを見つめていたが、再び目を輝かせてキッドに訊いた。

「セシル教官って、恋人とかいたんですか?」

「こ、こらっ。なんてことを訊くのよっ」

「恋人ねー……」

「余計なことは言わなくていいのよっ」

 大きな声で非難したい所だが、リタがスヤスヤと眠っているのでそれが適わない。思い出そうとするキッドを慌てて制止するセシルの、その焦った表情がおかしくて、アリスは少し笑った。

 キッドは「ああ」と、目を見開いてセシルを窺った。

「クリスとはどうなの? もう結婚した?」

 セシルはギョッ!! と目を見開いて身を引き、アリスは顔をしかめて数回瞬きをした。

「……結婚?」

「違うわよ!! クリスとはなんの関係も!!」

 セシルは慌てて首をブンブン! と振りながら思わず叫んだが、リタが「ううん……」と眉を寄せたのを見て、すぐに口を閉じた。

 キッドは「おかしいわね……」と小首を傾げた。

「プロポーズされてるはずよね?」

「……ケイティ?」

 セシルはギロッと、恨めしそうにキッドを睨む。

 アリスは胸の前で両手を組み、零れそうな笑顔でセシルの顔を覗き込んだ。

「そうだったんですかっ? そういうことになってたんですかっ? ホントですかっ?」

「……ア、アリス、いい? このことは決して誰にも言っちゃいけないのよ? ……ロックとタグーには特にねっ」

「で、いつ結婚するんですかっ?」

 話など聞いていないのか、アリスは楽しげに身を乗り出して問い掛ける。

 分が悪そうに身を引くセシルの様子に、キッドは首を傾げた。

「じゃあ、まだ結婚してないの?」

 キッドが訝しげに問い掛けると、セシルは「……はぁ」と深くため息を吐いた。

「してないわよっ。してないっ」

「あれから何年経った?」

「十年よ!」

「……まだ待たせるつもりなの?」

「……。だってあいつったら未だに女の子を追っ掛け回してるのよ!! しかも候補生にまで手を出して!!」

 セシルがうっぷんを晴らすようにキッドに向かってバフバフッ、と布団を叩くが、それでさすがにリタも目を覚ました。

「うるさぁーい……」

 ぼんやり眼で非難され、セシルは慌てて笑顔を向けた。

「ご、ごめんなさいねっ、静かにするわねっ」

 リタは大きく欠伸をすると、苦笑するキッドに背中を撫でられて再び眠りに就く。

 セシルはドッと肩の力を抜いてため息を吐いた。

 アリスは顔を逸らしてクスクスと笑っていたが、不意に、艦内放送がスピーカーから流れ、顔を上げた。

【デルガ、ライフリンクAクラス、セシル教官。至急、ケイティ艦総督執務室へ】

 繰り返されるクリスの声に三人は顔を見合わせた。

「プロポーズの続きかしら?」

 キッドは何気なく言うが、ギロリッ、と、セシルに睨まれ、その目つきが怖かったのか、「冗談よ……」と、ぎこちなく笑ってみせた。

 アリスはニッコリと笑って手を振った。

「いってらっしゃい。セシル教官♪」

 セシルは目を据わらせ、二人の様子をチラチラと窺いながら渋々病室を出ていった。

 ドアが閉まると、アリスは「……プッ」と、吹き出して笑った。

「あははっ。セシル教官っておかしいっ」

「けど、怒らせると怖いの……」

「……。そ、それはわかる気がします」

 アリスは笑うのをやめて「うんうん」と大きく頷き、そして、気を取り直すように小さく息を吐き出すと、キッドに笑い掛けた。

「でもホント……思い出してよかったです」

「ありがとう」

 以前と変わらぬ優しい笑みを見せるキッドに、アリスは足を振りながら視線を上に向けた。

「……きっと楽しかったんだろうなぁ……キッドさんたち。いいなぁー……」

「アリスたちだって、同じでしょ?」

 にっこりと笑い掛けるキッドにアリスはキョトンとしていたが、「……へへ」と、照れ笑いで応えた。

 キッドは優しい笑みを浮かべたまま、遠くを見つめた。

「昔は楽しかったし幸せだった。……けど、今も私は楽しいし、幸せよ」

 キッドは、時々小さく動くリタを見下ろすと、引き寄せ、小さな身体を数回撫でた。アリスはそんな彼女を見て微笑んだが、無意識のうちに、“隠していた感情”が出てしまった。キッドはそのことにすぐに気が付き、寂しげな笑みを浮かべるアリスに首を傾げた。

「……どうかした?」

「え? あ、……いえ。なんでも……」

 誤魔化すように笑って首を振り、視線を逸らして俯いた。

 キッドはしばらくの間、俯いたままのアリスを見つめていたが、何かを感じ取ったのだろう。苦笑しつつ、言葉を切り出した。

「……あまりにもひどかったの」

 アリスは目を見開いて顔を上げた。

 キッドは、何かを思い出すような、遠い目をしてどこかを見つめている……。

「人が無惨に殺されていく姿なんて、見たことなかったし。……愛した人だったから余計に……彼の悲鳴が痛くって。……彼の仇を討ちたかった。どうしても……許せなかった。……逃げ出せなかった私に、彼のお父さんが私の記憶を消してしまう機械を作って……。私はそのまま、エバーの近くまで運ばれてしまったのね」

 アリスは何も言わなかった。だが、心の中で一つ問い掛けたいことがあった。

 ――問い掛けるには残酷過ぎる言葉。しかし、その問い掛けに答えるように、キッドはか細く微笑んだ。

「……リタがガイに懐いていたのは……無理もないわね」

 アリスは大きく目を見開いた。

 キッドは、微かな笑みを浮かべたまま、眠っているリタの背中を優しく撫でた。

「……不思議ね。……リタがガイを見つけて、ガイは私たちの傍にいて、私たちを護ってくれていた。……ガイはロボットだから私たちの言うことを聞いてくれているモノだとばかり思っていたわ。……けど、今思えば……」

「……」

「……ガイには自由意志がないって、タグーに言ったことがあるの。……タグーは悲しそうな目をしてた。……今なら……わかる気がする……」

 目を閉じたキッドを見てアリスは少し視線を落とし、間を置いて小さく問い掛けた。

「記憶……戻らなかった方が、よかったですか……?」

 キッドは静かに目を開けると、彼女を見て微笑んだ。

「ううん。……もう、ケイティとしては生きていけないとは思う。……でも、セシルのこともクリスのことも、フライのことも思い出せた。私にとっては大切な仲間よ。……そして彼のことも。……辛い思い出も多いけど、幸せな思い出も多いから。……思い出せてよかったって思ってる」

 アリスは微妙な笑みを向けた。

 キッドの今の気持ちはわからない。だが、彼女の言葉に嘘はない。それは感じ取れる。

 しかし――。

「……ねぇ、キッドさん……」

「ん?」

 アリスは少し困惑気味に目を泳がした。

「タグー、……ガイを復活させるつもりでいると思う。……いいの、かな……?」

 キッドは心配そうに訊くアリスに苦笑すると、ニッコリと笑って頷いた。

「もちろん。ガイはガイだもの。リタやタグーや、みんなが慕っていた。ガイが復活すればみんな喜ぶし、私も嬉しいわ」

「けど……もし、ガイが……」

 アリスは言葉を切った。

『……キッドとリタを……迎えに。……二人ヲ……』

 ガイが全ての“心”を甦らせたら――。

 キッドはそんなアリスの気持ちを感じたのか、少し悲しげに微笑んで見せた。

「……ガイは、彼じゃないわ」

 アリスは少し目を見開いて顔を上げた。

「リタにとっても、タグーにとってもそう。……ガイは彼じゃない。……悲しいけど……彼は死んで、もう、戻らないの……」

「……」

「……それはロックも同じでしょ?」

 アリスは俯き掛けた顔を上げて、微笑むキッドを見つめた。

「ロックはロック。昔誰だったかは知らないけど、でも、今の彼をみんなが慕っている。……昔のロックは、もういない。残っているのはロックだけよ。……それと一緒……」

 アリスは少し視線を落とした。

「……悲しいですね……すごく。……彼らに昔の記憶が戻ったとしても……誰も昔の自分を受け入れてもらえなくなっちゃうなんて。……それが本当の姿なのに……」

「……。けどね、例え今が二度目の姿だとしても、最初の姿でいた時より楽しくて幸せなら、二度目のこの今が、本当の姿になっちゃうんじゃないかしら?」

 アリスは顔を上げて、微笑むキッドを見つめた。

「私は、ガイにも、そしてロックにもそうあって欲しいって思ってる。……みんな過去には戻れない。……だったら、今のこの時を幸せに生きて欲しい。……過去を振り返って、寂しく笑わなくていいように……」

 ふと、遠くを見つめるキッドの目がアリスに向いた。

「そのために、私たちがいるんでしょ?」

「……え……?」

「そのために、ロックの傍にはアリスがいて、タグーがいる。……ロックだってそれがわかってるから生き続けているのよ。……あなたたちと一緒にいる時間が好きだから。楽しいから」

 ね? と、相槌を問うように微笑み掛けるキッドを見て、アリスは間を置き、微笑み返した。

 キッドは深く息を吐いて、ニッコリと笑い掛けた。

「私たちはこれからも生きていくんだから。目一杯、楽しく過ごさなくちゃね」

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