15 BAY-2
「……目を上げてわたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主の元から」
――荒れた大地の上。せめて青草の残る場所を選び、みんなが集った。
死者一名……。
ケイティに安置されていた木製の綺麗に磨かれた棺桶が用意され、そして花が敷き詰められたその中央には……。
正装姿のクリスが一歩前に、彼の背後には多くのクルーたちが整列している。背筋を伸ばし顔を上げ、じっと前を見据えている。
クリスは聖書を片手に、しかし、それを目で追うことなく静かに言葉を続けた。
「……どうか、主があなたを助けて足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。主が全ての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。……今も……、……そしてとこしえに……」
棺桶に掛けられていたフライ艦隊旗を、クルー数名がゆっくりと綺麗に折り畳み、そして棺桶の中へとそ……と置く。
クリスはゆっくりと近寄ると、彼の顔を見つめ、微笑んだ。
「……お疲れ様でした。……あんたはすごいヤツだったよ……」
穏やかな表情のダグラスにクリスはそう言うと、しばらくの間じ……と見つめ、そこから離れた。
クルーが棺桶に蓋をし出すと、どこからかすすり泣く声が漏れてくる。
戦いで折れ曲がった木々の間から差し込む光が、閉められた棺桶の蓋に金色に刻まれたフライ艦隊群章紋を輝かせていた。
クリスは大きく息を吸い込むと、棺桶を見つめ、そして……
「フライ艦隊群、歴戦の雄志、ダグラス・ウォールに……敬礼!!」
ザッ! と、足並み揃える音が響く。
棺桶の周りのクルーたちはゆっくりと棺桶を持ち上げ、敬礼を続けるみんなを背に静かにケイティへと向かった――。
――誰も口を開かない。涼しい風がたまに焦臭い匂いを運んでくる。
ケイティ艦の影、リタはガイの膝の上でみんなを窺いながら子猫のように身体を丸めた。そんな彼女をガイがゆっくりと包むように腕を回す。
ガイの横にいるタグーはただ地面を見つめるだけ。そしてアリスも……。
葬儀が終わり、みんなが脱力していた。彼らだけじゃない。フライ艦隊群のクルー、みんながそうだった。
昨日の戦い――。
グランドアレスがケイティに襲い掛かった時、ミサイル弾は全てケイティに直撃したのだが、バスターレーザーのエネルギー砲だけはケイティを直撃しなかった。全然違う所にそれは放たれていたのだ。チャージ時間によって威力が変わるバスターレーザーを、チャージ率不充分でいきなり放ったとしてもその威力は充分。その時の衝撃の強さに、一時フライ艦隊群内の通信が途切れてしまっていた。
しばらくの間、気を失っていたタグーたちがロックの身に何が起こったのかを知ったのは……彼の叫び声の後だった。
グランドアレスは、ケイティ内の格納庫でアポロンやディアナと肩を並べている――。
「……ひまわり畑、なくなっちゃったね……」
アリスが呟くように言う。タグーは彼女を振り返ると、その視線を追った。
あんなに綺麗にたくさん咲いていたひまわり畑。何があったのかわからない程、そこはもうただの空き地と化している。
――空き地? ……いや、“ただの大地”だ。永遠に残り続けるモノなんて、ない。
タグーはゆっくりと視線を逸らした。
……頭の中が混乱している。インペンドへのグランドアレスの攻撃は、すべてコクピットを外し、クルーたちは軽傷を負いながらも命に関わるような怪我は負わなかった。そして、ケイティを壊滅することなく、ロックに“殺されに行った”――。どうしてダグラスはそんなことをしたのか……。
「よぉ。ここにいたか、悪ガキ共……」
クリスが苦笑しながら、ケイティの機体に手をつき、やって来た。だが、タグーたちは彼に返事をすることもなくゆっくりと視線を逸らす。暗い雰囲気に、クリスは肩をすくめると鼻からため息を吐いた。
「どいつもこいつもすっかり塞ぎ込んで。まったく……。今がどういう時かってのはわかってるでしょうに」
冗談っぽい言い方にも、誰一人として反応しない。
クリスは再びため息を吐くと、彼らの近くに腰を下ろし、ゆっくりと辺りを見回した。
「……荒れ果てたモンだな……」
呟いて目を細め、しばらく沈黙に身を委ねた。しかし、それも少しの間だけ。
クリスは深く息を吐き出すと、対面側、リタの背中を撫でるガイに目を向けた。
「……ロックは?」
「いいえ。ここにはいません。……昨日の戦闘後から、わたしたちの傍にあまり寄ろうとはしないので」
「そうか……」
クリスは少し視線を落として考え込み、顔を上げると、俯いているタグーとアリスを交互に窺った。
「……君らに大事な話があるんだ。ちょっと聞いてくれるか?」
二人は顔を上げ、クリスに目を向けた。ガイもリタも、同じように言葉を待つ。
みんなの視線を集めながら、クリスは少し躊躇うように目を泳がしていたが、観念して言葉を続けた。
「なんて言うのかねぇ……。……俺は気が付いてたんだよ。あいつはよく怪我してたし。ただ、決定的なモノがなくってね。ほとんど見た目もわからなかったから、なかなか確かめることはできなかったんだが……」
言っている意味がわからずに、タグーとアリスは顔をしかめた。クリスは少し視線を逸らし気味に話していたが、顔を上げて二人を見ると、間を置かずに言った。
「あいつは人間じゃないんだよ」
その言葉に、タグーもアリスも無表情になった。もちろん、大人しく聞いていたリタも。
「耳の裏を怪我した時にみんなが知った。フライも、……ダグラスも。そこで初めてわかったんだ。そういう……人造人間を作る組織が存在する、ってことを。だから、ここのことを聞いたとき、ひょっとしたらあいつが人間じゃないことに何か関係あるのかなって……予想は付いた」
「そんな!!」
タグーは愕然とした表情で目を見開き、身を乗り出した。
「どういうことだか全然わかんないよ!!」
「そりゃ……ロックも同じだろうけどな」
タグーは更に大きく目を見開いた。微動だにできずに硬直する彼を見ることなく、クリスは静かに言葉を続けた。
「昨日……戦いに出ていたクルーたちが言っていた。……ケイティはしばらく交信ができなかっただろ? ……その間に、ダグラスがロックに言ったそうだ。人間じゃないんだってことを」
タグーもアリスも、困惑げに視線を泳がして息を震わせている。クリスはそんな二人から目を逸らし、地面へと視線を落とした。
「あいつが今どんな気持ちでいるのかわからないけど……。ただ……、お前たちはあいつを見捨てないでくれ……」
「何言ってンのさ!! どうしてロックを見捨てるの!?」
怒鳴るように身を乗り出して言う、そんなタグーの顔が紅潮し、目にはうっすらと涙が浮かんだ。
だが、クリスは悲しくも、真顔で小さく首を振った。
「……いいか? 人間じゃないってことは……ガイ、お前にはわかるだろ?」
話を振られたガイは、しばらく間を置いて小さく頷いた。
「いつ生命維持装置が切れるとも限りません」
タグーはその言葉にガイを振り返った。愕然とする彼を見て、ガイはそれでも冷静に、鉄の表情を変えることのないまま言葉を続けた。
「人間に寿命があるように、機械にも寿命があるんです。鉄は錆び、いずれ動かない塊となる。メンテナンスを心掛けておけばその問題は防ぐことは可能でしょうが、しかし、わたしたち純粋なる機械と違ってロックのようなアンドロイドタイプとなると、体内の一部が故障を来せば取り返しのつかないことになります。そして、その命も。どのように設定されているのかはわかりませんが」
「設定ってなんだよ! それ!!」
言葉を遮り、タグーは眉をつり上げ顔を真っ赤にした。
「命を設定するなんてあんまりじゃないか!!」
責めるように身を乗り出すタグーに、ガイはそれ以上何も言葉を発さない。
クリスは小さく息を吐いた。
「人間だっていつ死ぬかわからんだろ? ……ロックも同じさ。あいつに仕組まれた時間は、俺たちだって持ってるんだよ」
タグーは唇を噛み締め、顔を逸らした。表情から、何か悔しげな雰囲気が感じ取れる。
「ただ……、あいつがどうだからって、お前らは変わらずにいて欲しいんだよ。それだけなんだ。……あいつのことだから、きっと何かとんでもないことを考えると思うんだ。その時……お前たちがあいつを止めてくれ。……あいつを見捨てないでくれ」
紅潮したタグーの顔が歪み、目から涙が零れた。
大人しくしていたリタは顔を上げ、ガイから離れると、タグーの傍に寄って小さな手で涙を拭った。
「お兄ちゃん、泣いちゃ駄目なんだよ」
「……」
「ママが言ってた。泣いちゃうとね、目が無くなるんだって。だから泣いちゃ駄目。ね?」
リタは相槌を問うように、笑顔で首を斜めに向ける。
タグーはあどけない彼女を見つめ、ぐっ……と服の袖で涙を拭い、小さく頷いた。
「……そうだね……。リタ……」
「うんっ。それにね、リタ、ロック兄ちゃんがあんどなんとかでも、ロック兄ちゃん好きっ。タグー兄ちゃんもアリス姉ちゃんも、ガイも好き!」
リタは明るい笑顔でそう言うと、ガイの元に戻って彼にしがみついた。
クリスは苦笑すると、大きく息を吐き出し、再び彼らを見回した。
「そういうこったよ。だから……早くロックを呼んでこいっ。次の任務は決まってンだからなっ」
「……なに?」
目を赤くしたタグーの問い掛けに、クリスはニッコリ微笑んだ。
「フライたちの救出だ」
――段々と周囲が暗くなってきて、微かにフライ艦隊群の周りに明かりが灯る。
そこから少し離れた場所。折れないで済んでいた大木の上、ロックは頭上に登った満天の星を見上げた。彼の手には、「形見に……」と、クリスにもらったダグラスの軍章が握られてある――。
何も考えず、ボンヤリと星を見つめ続けていたが、ドン!! という鈍い音が聞こえ、ロックはビックリして地上を見下ろした。
……木の根元で、アリスが足の裏を押さえてうずくまっている。
ロックは彼女を見下ろしながら顔をしかめた。
「……、何やってんだよ?」
「ゆ、揺れると思ってたのに……」
「……?」
ロックは更に顔をしかめた。
余程痛かったのか、アリスはズルズルと足を引き摺りながら立ち上がり、訝しげに彼を見上げた。
「そんなトコで何やってるの?」
「べっつにぃー」
「夜食の準備、できてるんだよ? キッドさんも待ってるのに」
「あ……。もうそんな時間か」
「夜になってるんだから、それくらいわかるでしょ?」
腰に手を置いて呆れるように息を吐くと、ロックは笑って誤魔化し、ダグラスの軍章を胸ポケットに入れて座っていた枝に掴まりブラ下がった。そして、パッと手を離してドスン! と地面に着地する。突拍子もない行動に、アリスはヒョッ……と、背筋を伸ばして少し身を引いた。
「お、驚かさないでよ……」
怖々した声に、ロックは「してやったり」と言わんばかりのいたずらな笑みを浮かべる。
アリスは「ったくもう……」と、胸を押さえながら呆れて肩の力を抜くと、「……あ」と気を取り直して顔を上げた。
「そうそう。明日、ノアコアに行くんだって」
「そうなのか?」
「うん。……フライたちを助けに行くのよ」
「……え?」
「クリスがね、フライたちは絶対に生きてるって言ってた。自信満々に」
「……そっか……」
ロックは少し笑みをこぼし、大きく息を吸い込むと、「……よっし!」と、拳を作って気合いを入れた。
「ってことは、俺もメンバーか!?」
「どーだろうねぇ?」
意地悪っぽく首を傾げるアリスにロックは目を据わらせ、「くっそー」と拗ねて口を尖らせ足下の土を軽く蹴り上げた。
「いつになったら正式に呼ばれるんだよ」
苛立ち気味なその言葉に、アリスはあっさりと肩をすくめた。
「そりゃあ、試験にちゃんと合格できたら、じゃないの?」
「チェッ。……少しは俺らの力を信じろってんだよな。ムカつくんだよ、あいつら。特にウエの連中なんかさ。口ばっかで」
そうブツブツ小言を漏らしながらケイティへと向かい歩いて行く。アリスはその場から動くことなく、背中を振り返った。
「……ロック」
「おぅ?」
呼ばれたロックは数メートル先で立ち止まって振り返り、首を傾げた。
「なんだよ? どうした?」
「……もう、大丈夫?」
少し声のトーンを落とした問い掛けに、ロックは間を置いて頷き、笑顔で応えた。
「もちろん」
「違う」
アリスは少し俯いて首を振った。
「それは答えになってないよ」
「……? なんでだよ?」
「もちろんっていうのは、元から大丈夫な人が言う言葉。……ロックは違うでしょ?」
ロックは考えていたが、ようやく意味がわかってきたのか、ため息混じりに苦笑した。
「もう大丈夫。……これでいいのか?」
「駄目だってば」
「ン今度はなんだよっ」
再度首を振られてロックは苛立ち気味に口を尖らしたが、そんな彼に向かってアリスは寂しそうな顔で拳を握った。
「大丈夫って言葉は、本当に大丈夫な人が口にする言葉なのっ」
――ロックから一瞬表情が消えた。
「あたしはライフリンクなんだからねっ」
「……。一応、な」
「一応でも!!」
ムカっ、と、頬を膨らませるアリスにロックは少し苦笑すると、ケイティに向けていた身体を彼女に向け、両腕を軽く広げて見せた。
「まぁ……な。あんなことになっちまったんだし……。平気って言えばそりゃ嘘になるだろうよ。……けどさ、だからってグスグスやってらんねぇだろ? そういうことだよ」
言い聞かせるように、「な?」と笑顔で相槌を問う。そんなロックに、アリスは不安げな目を向けた。
「……。それでいいの……?」
「いいんじゃねぇの?」
「……よくないと思うけど」
「そっか?」
「そうよっ!」
「……怒るこたねぇだろ」
突然怒鳴られて、そっと上目遣いに窺う。
アリスはフルフルと首を振り、拗ねるように、胸に手を置いて身を乗り出した。
「なんのためにあたしやタグーっているのよっ?」
「……それ、前に俺が言ってなかったか?」
顔をしかめるロックに、「いーじゃないっ!」と、アリスは頬を膨らませて腰に両手を置いた。
ロックは、教育ママ風の彼女から視線を逸らし気味に、口を尖らせた。
「そりゃ……仲間だから、だろ」
「本当にそう思ってるっ?」
「……、なんだよ、急に」
不愉快げな彼を、アリスは責めるような目で見つめた。
「急だよっ。だって、急にロックの気持ちも変わったから!」
ロックはキョトンとしていたが、しばらく間を置いて、不愉快げに目を据わらせてため息を吐いた。
「……あのな。……お前、人の感情読んだりするのやめろ」
「読んでないっ。感じるんだから仕方ないっ」
「仕方ない、じゃないだろ」
「仕方ないよっ。心配なんだからっ……!」
ダンッ、と、怒りを込め、地面を力一杯ひと踏みする。
怒っているのか、悔しがっているのか、心配しているのか――。
何がなんだかさっぱりわからない、と、ロックはガックリ項垂れると、脱力してその場にドサッと座り込み、胡座をかいた。まるで、「煮るなり焼くなり好きにしてくれ」という、観念した雰囲気で。
「どーしたいんだよお前わぁー」
「……。どう、って……」
言葉に詰まって戸惑い俯くアリスに、ロックは再度ため息を吐いた。
「とにかくさ、大丈夫だとかどーとか、そういうのはどっちでもいいじゃんか。明日は来るんだぜ? そっちに向かわないと。な?」
そうだろ? と苦笑して相槌を問われ、アリスは意気消沈気味に地面を見つめた。
「……どっちでも、よくないよ……」
そう小さく呟くと、寂しげに目を細めた。
……そのまま、しばらくの間沈黙が流れる。
互いに目を合わすことのない時間。遠くから、確認することの出来ない無数の音が混ざり合い、耳に届く。
寒いくらいの涼しい風が吹き抜け、アリスは背後の木にもたれてゆっくりと星空を見上げた。
夜空一面に広がる星――。
名も知らない星たちをぐるりと見つめ、大きく息を吸い込むと楽しげな笑みをこぼした。
「何か刻もうか!」
突然の申し出に、ロックは「……はぁ?」と顔をしかめ、胡座をかいた状態で軽く身を乗り出した。
「ンなんだよ、急に……」
「何を刻むっ? あたしはねぇっ……」
アリスは笑顔で夜空を見上げたまま、言葉を続ける。
「そうだなーっ。……よしっ。んじゃあ……ロックが無事だったことっ。はい次っ」
「……へ?」
「次っ。ロックの番っ」
アリスが「ほらっ」と顎で星の方をしゃくると、ロックは顔をしかめつつも星を見上げた。
「……んじゃあ……まぁ……うまくクロスの機体を動かせた、ってこと……かな」
「じゃあ、あたしはねぇ、……ふふっ。ひまわり畑を見れたこと!」
「それのどこがいいんだよ?」
「うるさいわねっ。次っ、ロックっ」
「まだやンのかよ?」
「つーぎっ!」
「うーん……ナンパに出掛けて成功したこと」
「……。あんた、そういうことしてたの?」
「して悪いのか?」
じっと睨み合い、しばらくして気を取り直し、同時に星空を見上げた。
「あたしはねぇー、……偽物だけど、久し振りに大地の匂いを嗅げたこと!」
「んじゃあ俺は……。ああ、キッドの料理が旨いこと」
「それあたしも! おいしいよねぇー、キッドさんの手料理っ」
「ありゃコックになれるぜ。腕は一流だな」
「うん、そう思うっ……あっ、宇宙から地球を見たこと! 覚えてる!?」
「見た見た! アレは絶対みんな見るよなーっ!」
「窓の取り合いにならなかった!?」
「なったなった! 下から割り込んできたヤツに顎とか頭突きされンの!」
二人して身を乗り出し笑い合うと、「ホゥ……」と生温い吐息を漏らして空を見上げた。
「綺麗だったよねぇ……すごく……」
「何度見ても飽きないよなあ……」
「ンじゃ……次、ロック」
「んー……まぁ……デルガでAクラスに行けたってこと、かな」
「あたしはねぇ、それよりもフライ艦隊群に入れたってこと!」
「あ、それ俺も!」
「すんごく感動しなかった!?」
「したした! 絶対乗れないと思ってたんだよ! 競争率高いだろ、ここ! それがさっ、結構っ……簡単、に……」
不意にロックは言葉を切らした。
笑顔だった表情が段々と消えていく。そんな彼の異変に気付いたアリスは、真顔で首を傾げた。
「……ロック?」
ロックはしばらく間を置いて苦笑すると、背中を丸め、地面へと視線を落とした。
「……なんでもねぇや」
何かを逸らしているような仕草を見せるロックに、アリスはムッと目を据わらせた。
「嘘を吐くな」
ロックは腰に手を置いたアリスを見て、また少し視線を逸らし、そして突然、顔を上げて笑って見せた。
「ははっ……、フライ艦隊群に乗れたのはなんでだろうなぁ、って!」
「……、え?」
「俺がさ! 望んだことなのかなぁ……って!!」
ロックはそう元気よく言うと、また「はははっ」と少し笑って見せた。
アリスは戸惑うような微妙な笑顔で首を傾げた。
「どういう……意味?」
「だから……さっ。つまりっ……」
ロックは言葉に詰まり、目を泳がしたが、それでもなんとか笑顔を取り繕った。
「なんか……いきなり入ってた、ような……気が……して、さっ……」
言い終わると、少し間を置いて「だははっ」と笑った。
「んなわきゃねぇか! 忘れちまったんだな! きっと!」
アリスは、とぼけるように笑う、そんなロックから少し視線を逸らし、目を細めて足下を見つめた。
「……ねえ、ロック?」
「んっ?」
「……星に刻めること、一杯あるね」
優しい声に、ロックは笑顔を消した――。
アリスは少し微笑んで、ゆっくりと空を見上げた。
「あと一つ……どうしても刻みたいことがあるんだ」
「……」
「ロックやタグー……。みんなとね、……離れないように……」
「……」
「約束、したもんね……。ずっと仲間だ、って……。簡単には切れない、って……」
ロックは、穏やかな笑みで星空を見つめるアリスを見て、視線を地面に落とし、頬を引きつらせて笑った。
「……は、だはは……。そんなこと、言ったっけな?」
「……。言ったよ。……言った」
「……はは……。覚えてねぇや……」
「……約束したよ。……したでしょ?」
ロックは「はは……」とカラ笑いを続けていたが、頭をぎこちなく、ゆっくりと左右に振って俯いた。
「……はは。……だ、駄目だ。それ……守れね……」
「……。どうして?」
「……守れねぇんだ。……守れ、ねぇんだ……」
アリスは見上げていた夜空からゆっくりとロックに目を向けた。……途端、息を止め、目を見開いた。
俯いているロックの顔から、数粒、涙が零れ落ちたのが見えた――。
「……ロック……」
「……守れねぇんだ……。……。ごめん……」
「……」
「……ごめん……。……ごめん……」
「……」
アリスはもたれていた木から背中を離し、ロックに近寄ろうと足を踏み出したが、
「来るな」
と制するロックの言葉で足を引っ込めた。
「……、ロック」
「……来、るな……」
ロックは肩を震わせると、背中を大きく丸め、身体を強張らせた。
「――俺は自分が誰なのかもわからない!! ……なんでフライ艦隊群に入ったのかもわからない!! 全部わからないんだ!! ……何もわからないんだ!!」
ロックは胡座をかいたままで前のめりになって、グッ……と地面の土を握り締めた。
「ガキの頃に見たモノも! ここまで来た道のりも成長の記憶も!! はっきり過ぎるくらい覚えてる!! 気持ちが悪いくらい覚えてる!! なのにっ……フライ艦隊群に入った時のことは全然わからない!! ……なんでフライ艦隊群に入ることを希望したのかもわからない!!」
「……」
「なんでなんだ!! なんでこんなことになったんだ!! 俺はいったいなんなんだァ!!」
悲痛な叫びに、アリスは息を止めて大きく目を見開いた。
ロックは前のめりに身体を倒したまま、土を握り締めたままで身体を震わせている――。
「……俺は、いったい……誰、なんだ、よ……」
「……」
アリスは悲しげに目を細め、しばらく間を置いてゆっくりロックに近寄ると、彼の前に跪き、土を力一杯握り締めるその手を取った。そして、手を広げさせると静かに持ち上げ、自分の頬に当てた。
ザラ……と、土がアリスの頬を撫でる。
ロックが驚きを露わに涙で濡れた顔を上げると、その目と向き合い、アリスは微笑んだ。
「ほら。あたしが温かいこと、わかる?」
「……」
「あたしは、ロックの手が温かいこと、わかるよ」
ロックは目を見開いた。
「……お前……」
「ロック」
アリスは彼の言葉を遮り、手を離すことなくニッコリと笑い掛けた。
「あたし、ロックが誰だっていいよ。タグーだって同じ。ロックはロック。そうでしょ?」
「……」
「約束、……破れないように、あたしが傍にいてあげるよ」
ロックは顔を歪め、目を閉じると俯いた。すぐに頬に当てていた彼の手が震えだし、吐き出す息が詰まるのが聞こえ出す。
アリスはロックの手をそっと離して膝の上に置くと、震える頭に腕を回して胸に引き寄せ抱き締め、目を閉じた。
「……あたしたちが知っているロックはここにいるロックだよ。だから……絶対諦めたりしないで。……全てを投げ出さないで」
『……人間ってのはなぁ……くだらねぇんだよ。ロック……、くだらねぇんだ……。だからよぉ……羨ましがるンじゃぁねぇぞ……。お前にゃ……お前のいいトコがある。……タグーもアリスも……へっ……フライの奴らも知ってる……』
ロックは息を詰まらせると、アリスの身体に腕を回し、背中の服をギュッと握り締めた――。
「……アリス、大丈夫かなぁ……」
タグーはスパナを持ったまま、革手袋をはめた手の甲で汗を拭った。
ケイティ艦内機動兵器格納庫。
この数日、エンジニアたちは大忙しの日々を送っている。インペンドはもちろん、アポロンやディアナの修理も残っている。そして、新たにグランドアレスも。
異人からも手伝いに来てもらい、更に修理は進むが、そろそろみんなの疲労も心身共に限界に来ていた――。
エンジニアたちが声を張り上げながら右往左往する中、小型機の修理を手伝っているタグーは、一息吐いて顔を上げた。
「任せて、って言ってたけど……心配だな」
「大丈夫です」
タグーの手伝いをしながら、手を止めることなくガイが言う。
「アリスもロックに励まされてここまで来たのですから。ロックも同じようにアリスに励まされ、また元気になるでしょう」
「……うん……」
タグーは頷きつつも、少し視線を落とした。
「……僕……ちょっと役立たずだね……」
寂しく言いながら苦笑するタグーに、ガイは手を止めて首を傾げた。
「どうしてですか?」
「だってさ……ロックが大変なことになってるのに、僕はこんな所で作業して、アリスに任せっきり。……アリスの時もそう。ロックに任せっきりだった……」
タグーは話しながら、再び手を動かす。
「ン……僕たち三人の試験の時もそうだった。……ロックとアリスは協力しようって感じで……。けど僕は違うことを……。……今と同じだ」
作業をしながら話をするタグーをじっと目で追って、ガイは言葉を発した。
「どのような経緯があったのかはわかりませんが、タグー、あなたは自己嫌悪が好きな人間なのですね」
タグーは目を据わらせてガイを睨み付けた。
「別に好きじゃないよ。好きじゃないけど……嫌になる時ってあるじゃん。……僕の場合はそれが多いだけだよ。ああすればよかった、とか、こうすればよかった、とか。……後悔が多いんだ」
「しかし、失敗しているわけではないのでしょう?」
「……」
「あなたが何かをして、その行動に置いて失敗を伴っているのなら後悔するのはわかります。しかし、ただ自己嫌悪で後悔をしているだけなら、何も失敗をしていないのならそれこそ無駄なんじゃないでしょうか?」
タグーはキョトンとした。そんな彼に、ガイは尚言葉を続ける。
「今回、あなたには作業という使命がありアリスに任せるしかなかった。アリスはきっとロックを立ち直らせることができるでしょう。ここであなたがどうして後悔するんです? アリスもロックも元気になって帰ってくる。何も失敗は起こっていません」
「……うん……。僕の気持ちの問題……だろうね……」
言いながらタグーは手を下ろした。
「……何かの時に、ロックやアリスの傍にはいない気がして……」
その目は目の前に注がれてはいるが、視点は定かではない。
ガイはそんなタグーを見て、いつもと変わらぬ調子で言葉を発した。
「けれど、彼らはあなたの傍に帰ってきます」
タグーはパチパチと瞬きをしてガイを見上げた。
「それが答えなんじゃないでしょうか?」
タグーは、じ……とガイを見つめ、そして苦笑した。
「……。そうだね」
「はい」
タグーは「へへ……」と笑うと、再び作業を開始する。
「……と、ガイ」
気分が楽になると同時にタグーは何かを思い出し、首を傾げるガイを見上げてすまなそうな口調で小さく切り出した。
「さっき……怒鳴ってごめんね」
「なんのことですか?」
「ロックのこと……。命の設定、って……」
「はい」
「ガイに怒鳴るコトじゃなかったんだ。……ごめん」
「いえ。気に留めることではありません」
ガイはサラリと答えると、再び作業を手伝う手を動かす。タグーは必要部品を並べ置いていくガイを見つめていたが、意を決し、真顔で声を掛けた。
「あのさ、ガイ。ちょっと……訊いてもいい?」
「はい」
手を止めて見下ろすガイに、タグーは視線をウロウロとさせながら、躊躇いがちに口を開いた。
「その……ずっとさ、ここに来てからキッドたちの傍にいるじゃない? ……どうかしたの?」
「どうか、とは?」
「うーん……つまりさ、……何か心配事でもあるのかな、って」
タグーの問い掛けに、ガイはしばらく身動きしなかった。機械のガイが身動きしなくなると、壊れてしまったのかと感じてしまう。タグーは心配になって顔を覗き込んだ。
「ガイ?」
ガイはしばらく間を置いて顔を動かした。
「わたしには心配というものがわかりません」
いつもと変わらぬ声色にタグーは少し動きを止め、そして躊躇いがちに、何かはぐらかすように笑って見せた。
「……そう。……そうだね」
「何か気に掛かることでも?」
「ん? ……うん……」
タグーは少しガイから視線を逸らしていたが、工具類を置くと彼を見上げ、話を切り出した。
「僕、ガイと一緒にいてさ、その……機械だっていうことをすっかり忘れてたんだよね。……ううん。むしろ、ガイが機械だなんて信じられないくらいだよ」
「しかし、わたしは見ての通り、金属でできています」
「……そうだね。ロックは……アンドロイドだから、きっと僕たちにもわからなかったんだ。どの部分を機械化されてしまっているのかわからないけど、それでもほとんど僕たちと変わらないはず。……ガイはロックとは違う。なのに……何かが引っ掛かるんだ。ガイの、その……人間臭さ」
「……」
「ロックが人間を主に残されて造られているとしたら……ガイは機械を主として、ひょっとしたら人間の何かをまだ残しているんじゃないのかな、って……。だからキッドたちのこと心配したり……。心配って意味がわからなくても、ガイの行動の全てがそれをちゃんとわかっているような気がするんだ」
話を大人しく聞いていたガイは微動だにしない。タグーは少し首を傾げると、彼の腕を撫でた。
「ガイ?」
少し間を置いて、ガイはゆっくりと顔をタグーに向けた。
「やはり理解できません」
「……そっか……」
タグーは少し視線を落としたが、気を取り直すように笑顔を上げた。
「けど、ガイはきっとなんらかの進歩を遂げてるんだと思うよっ。いいことだよ、それってっ。これからもさっ、僕が一緒に見届けていくからねっ。僕、一杯勉強してさっ、そのうちガイを見た目人間と変わらないように作り替えてあげるよっ」
嬉しそうに、楽しそうに笑顔で言うタグーを見て、ガイは無表情の鉄の顔で小さく頷いた。
深夜……。ケイティの資料室――。
クリスはコンピューターのキーボードを叩きながら、モニターに浮かぶ文字を目で追った。その隣にはロックがいる。……アリスの姿はない。
クリスは数回パスワードを入力して、データがロードされるのを待った。
「……本当にいいんだな?」
真顔で問い掛けられ、ロックは間を置いて頷いた。その目はじっと画面を見据えている。その視線の先、しばらくして画面が切り替わった。
――ロックの個人データだ。
クリスは再びキーボードを叩きながら話をし出した。
「……お前のことがわかった後、フライやダグラスとも少し調べていた。……この艦隊群内でのお前の実績や、行動、成績。……お前がこの艦にやって来てからのデータは全てコンピューター内で熟知してあるから。……けど、問題は過去だな……。入隊する時に提出されたお前の個人データや市民番号……それらから深く過去を探ろうとしても、詳しいことは出てこなかったんだよ。表面上のデータを基に親元へ連絡を取っても、どこか形式張った答えしか返ってこなくて。……本当の親なのか問い詰めると……実はお前は養子なんだと言われた。……もっと問い詰めると、実は養子縁組の途中で、孤児なんだと言われた。……お前が何者なのか、本当にわからなかったんだ」
ロックが少し寂しげに目を細め、クリスはその姿を気に留めながらも更に続けた。
「……ダグラスはひどく悩んでいたよ。生徒一人一人を理解していたはずだったのに、手に負えず何度となく衝突を繰り返してきたお前のことを一番理解していなかったんだから……」
ロックは少し視線をモニターから逸らし掛けたが、それをグッと耐えると、険しい表情を浮かべた。
「その後も地球からのデータを転送したり、ありとあらゆる裏情報を探ってみた。市民番号からもう一度洗い流して……。……それでわかったことがある」
クリスは、キーボードのENTERキーの所に指を置いてロックを窺った。
「……この先に、お前が何者なのかを表す情報がある。……この情報を提供してくれたのは国家機密情報員の医学チームの奴だ。……ヴィンセントが言っていたM2は、この時にはすでに医科学班として活動していたらしい。ただ、その活動はまだ公になっていないために、お前の個人情報も改善されないまま……」
クリスは言葉を切らすと、目で「……見るか?」と尋ねた。ロックは一瞬躊躇いを見せたが、意を決して、間を置いて頷いた。少し遅れてクリスの指がENTERキーを押すと、パッ……とモニターが変わった。
「……これが、お前の本当の姿だったんだよ」
モニターの左上、一人の少年の顔写真がある。……ロックとは若干違う。とても愛想のいい笑顔の少年だ――。ロックは無表情でそれを見つめた。
「……彼の名前はオズ。……18歳に他界。……地球にて、歩行中に頭上から鉄筋が落下。……頭から左腰に掛けて損傷。……即死だ」
「……」
ロックの視線がゆっくりと動き、モニターから逸れた。目を細め、どこかを見つめている、そんな彼に目を向けず、クリスは静かに話を続けた。
「……富豪だったご両親の願いで、オズは医科学班の手に掛かることになった。……腰から上の上半身は、損傷が激しく、人工的な医療機械を使ったようだ。……脳も、心臓も、内臓も。……できるだけオズに似せようと、最善を尽くしたらしいが……、外見上は誤魔化せても、内面で誤魔化すことはできなかった。……復活したオズは一時期ご両親の元に戻ったが、数日で、ご両親は受け取りを拒否した。……オズじゃない、って。……医科学班はご両親を説得した。彼には学習能力がある。オズの過去や行動パターン、癖や趣味、すべてを覚えさせれば、いずれはオズと同じようになるって。……けど、その後、両親はオズの死亡届を出してしまった。……復活した少年は、身の拠り所もないまま、しばらくの間医科学班で保護されていたらしい。……しかし、せっかく復活したんだ。人造人間だが、それでも普通に生活できる。見分けが付かない程、人間としても生きていける。医科学班は、少年の新たな才能を活かせる場所を探し出し、そこでの少年の活躍を望んだ。もう少年は誰でもない。いずれ、人造人間もれっきとした市民権を得られるようになる。それまでの間、偽りの市民番号をあてた。……医科学班は国家にも絡んでいたから、すべて裏で工作し尽くしていたんだ。……少年の記憶からオズを消し去り、そして、新たな名前と記憶を埋め込み……、……ここに送り出された。……フライスの人望と、お前の身体能力を買って、な」
「……」
「……俺たちがこのことを知った時、お前は、仮の市民番号ではまだ孤児のままだったよ。……けど、新しい市民番号ができた」
クリスはキーボードを叩く。違う画面に切り替わり、ロックは目を向け、少し顔を上げた。
そこにはロックの顔写真が映し出されている。そして――
「お前の新しい市民番号。そして……新しい名字だ」
ロックはグッと目を閉じると顔を逸らし、息を止めて紅潮させた。太股に置いていた両手を拳にして強く握り締め、震わせる。
“ロック・F・ウォール”――
クリスはモニターをじ……と見つめた。
「事情を知ったダグラスがすぐ地球にいる婦人に連絡を入れた。……婦人は快く了承してくれたらしい。……ダグラスからいろんな話を聞かされてたんだろうな。あなたの分身が増えるのねって言われたって、そう笑ってたよ。……子どももいなかったし、婦人には何よりも家族が増えたっていうことが嬉しかったみたいだな。……すぐに、養子手続きをその場で済ませたんだ」
――ロックの目から涙が落ちた。呼吸する息が乱れて、クリスの存在を気にすることなくポロポロと大粒の涙を零す。
「いつこのことをお前に話そうかと、フライとも話し合ってた……。できるだけお前にショックがないように、って。……ダグラスは、試験の合格の時にでも紛れて話してみるかって笑ってたけど……。……このザマだ……」
「……」
「……なんだかんだ言ってても、お前のことがかわいかったんだよ、あの人は。けど……お前を本気で殺そうとした。……養子縁組みした後だったのに。……きっと、ノアで何かを聞かされたんだ……。そうじゃなきゃお前を殺そうとはしないし……お前に殺されようとも思わないさ……」
ロックの頬を大粒の涙が伝い落ちる。それを拭おうとも、隠そうともしないロックに身体を向けたクリスは、しっかりと彼の肩を掴んだ。
「……お前はオズじゃない。お前はロックだ。……オズじゃないお前を、みんな慕っている。オズじゃないお前を、ダグラスは息子として迎えた。……忘れるな。……お前はお前なんだよ。……この先、戦いを続けていけば……ノアに行けば、お前のことで何らかの情報を聞くことになるかも知れない。……ダグラスが知った情報と同じコトを知ることになるだろう……。……けど、それでもお前はお前なんだよ。……みんなには、タグーやアリスにはお前は必要なんだ。……それだけは忘れるな」
……その頃――
「……」
――ケイティ内のクルー休憩室でタグーが眠ってしまったことを確かめると、ガイは一人、そ……と部屋を抜け出し、開発研究室のドアを開けた。深夜の時間帯で、もちろんそこには誰もいない。
ガイはドアを閉めると、外の明かりが差し込む窓辺に近寄り、辺りを見回した。その顔が、タグーがいつも使う工具箱に留まる――。
灯りがない室内でも真っ直ぐそこに近寄ると、それを近場の作業台の上に運び、蓋を開けて中から必要な工具類を取り出し自分の胸元を見下ろした。視覚センサーが左胸の微かな隙間を見つけ、その位置を人工知能に知らせると、ガイはマイナスドライバーを持ち、その隙間に差し込み入れて何かを探すように動かした。
――彼は記憶回路にある過去の情報を呼び起こしていた。……そう、自分が造られた時のことを。ノアコアから追い出される前のことを。
白衣を着た白髪交じりの男が、悲しげに言っていた。
『ガイ……。向かうべき所へ向かえ。……もし、いつかなんらかの疑問が浮かび、思考回路で答えが見つからない時は、左胸のこの鉄板を剥がしてみるといい。……ただし、開けた時、お前の思考回路ではその情報に耐えられんかも知れん……。……つまり、お前の回路は完全に破壊されてしまい、お前は再起不能になる』
「……」
ガイは、ピタ、と、マイナスドライバーを動かしていた手を止めた。
『……ガイは、僕の傍にいてくれるよね……?』
不意に記憶回路に浮かんだのは、寂しそうな笑顔を見せたタグーの顔……。
しばらくの間、そのままピクリとも身動きしなかったが、胸元からマイナスドライバーを抜くと工具箱に直し、それを元に位置に戻してタグーの眠っている休憩室へと戻っていった。
「……どうしたッスか?」
小さく声がして、アリスは少し顔を上げた。
異人の宿泊施設の近く。キッドたちの部屋から抜け出して、独り、倒れた大木を背に膝を抱えて座り込んでいると、カールがやってきた。
「……まだ起きてたの?」
「うッス。機体の整備とか残ってたんで。今夜中に終わらせないとやばいッスからね」
苦笑気味に油で黒くなった革手袋を手から引っ張り取ると、それをズボンの後ろのポケットに入れ、アリスの横に腰を下ろした。そして、「ふぅーっ」と大きく息を吐き出し、夜空を見上げる。そんな彼の行動を見ていたアリスも、ゆっくりと夜空に目を戻した。
「……ロックさんのこと、聞いたッスよ」
言葉の出だしに、アリスは彼を振り返ることなく、ただ小さく「……うん」と声を漏らした。
「オレたちはなんとなく気が付いてたんスよね……。フローレルさんも、ヴィンセントさんも」
カールは言い終わった後、しばらく間を置いて笑みをこぼした。
「けど、ロックさんは幸せッスよ。アリスさんもタグーさんもいるし。こんなに心配してくれる人が居るンスからね」
「……本人はそういうの、わかってないと思うけど」
アリスが拗ねてため息を吐くと、カールは「ハハハ」と笑い、笑顔のままで遠くを見つめた。
「……アラニスが羨ましがるわけッスよ」
「……え?」
思いもしなかった名前が出てきて、アリスが少し目を見開きカールを窺うと、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま夜空を見上げ、言葉を続けた。
「アラニスの奴、ロックさんのことが羨ましくて仕方ないんだと思うッス。……あいつの場合、ここに墜ちて来た時には仲間はみんな死んでたし、その上、自分が人造人間だってわかって、……ノアの番人に闘うために造られたんだって聞かされちゃったわけですからね。……慰めてくれる相手も、話を聞いてくれる相手も、何かを教えてくれる相手もいなかったんですから……」
表面上は笑顔だが、言葉の節々から悲しみが溢れている。
アリスは爪先に視線を落とし、目を細めて抱えている膝をギュッと強く抱いた。
「これからもきっと、ロックさんはアラニスの目の敵にされるっスよ。……気を付けてください」
カールの警告に、アリスはコクリと頷いただけ。
――しばらくの間、沈黙が続き、カールは辺りを見回して小さく息を吐いた。
「……戦いが終わったら、ひまわりの種を撒かなくちゃいけないッスねぇ……」
力なく呟く声に、アリスはふと、カールを窺った。
「その……ひまわりを育てた人って……ジャッカルさん?」
そっと問い掛けられ、カールはアリスに首を横に振った。
「違うッスよ。ジャッカルさんの話によると、ジャッカルさんの息子さんだったみたいッス」
答えながら、カールはひまわり畑のあった方に目を向けた。
「ジャッカルさんの息子さんが、ひまわりを育てたらしいッスよ。……オレたちの教えの多くは、その息子さんが言っていた言葉で、それをジャッカルさんがオレたちに教えてくれるッス」
「……その息子さんは? ノアコアにいるの?」
首を傾げたアリスに、カールは目を向けることなく、ただ首を振った。
「死んだらしいッス。……ジャッカルさんが言ってました。……争いごとが嫌いだった息子さんのことをヒューマはあまりいいように思っていなかったみたいで。……反発心の強かった息子さんを、ヒューマは見せしめとして殺したそうなんスよ……。ズタズタに引き裂いて」
アリスは大きく目を見開いた。
……あの時、ひまわり畑の中で最後に感じたひまわりたちの思いは、ジャッカルの息子を、主人を亡くしてしまった……悲鳴――。
「それからみたいッス。ジャッカルさんがオレたちクロスに手助けをしてくれるようになったのは……」
「……。そう……」
アリスは俯くと、目を細めた。
言葉を切らしたカールは、ボンヤリとした目で遠くを見つめ、小さく息を吐いた。
「……なんでこんなことになってしまったんでしょうね……」
「……」
「……ワケ、わかんなくなるッスよね……ホント……」
切ない声に、アリスはゆっくりと目を閉じた。
……みんなが、悲しみに向き合ってる……――。
「……眠れないの?」
声がして、アリスもカールも振り返った。
宿泊施設の中からキッドが顔を覗かせている。
カールは少し笑みをこぼすと、「……よいしょ」と、立ち上がり、そして、見上げるアリスにニッコリと微笑んだ。
「そろそろ行くッス。……早く眠った方がいいッスよ」
「……うん。……カールも。無理しないでね」
「うッス」
カールはニッコリと笑い掛けると、キッドに軽く手を上げて歩いていった。
キッドは微笑みながらカールを見送り、冷たい風に身体を丸めているアリスへと近寄って、手にしていたカーディガンをその背中に掛けた。
アリスは小さく笑みを浮かべると、カーディガンを少し引っ張り、腕を隠す。
キッドは隣りに腰を下ろして星空を見上げた。
「……少し冷えるわね」
「……はい……」
「……眠れなかった?」
「……。ちょっと……」
アリスは躊躇いがちに返事をすると、少し視線を落とした。
キッドは星空を見つめたまま、しばらく間を置いて言葉を切り出した。
「……リタから聞いたわ。ロックのこと……」
アリスはボンヤリと地面を見つめ、何も言葉を返さなかった。
二人の間にそれ以上の会話はなかった。……が、
「……ふふ……」
キッドの小さな笑い声に、アリスは顔を上げて彼女を振り返った。
キッドは星空を見上げながら笑っている――。
「……どうしたんですか?」
「ん? ……うん、……思い出してたの。あなたたちと最初に会った時のことや……過ごした時間……。全部、星に刻んで置いたから……」
「……」
アリスはキッドに倣って星空を見上げた。
「ロックはいつもあなたたちのこと心配して。何かある度にタグーを怒ったり……。ふふっ。おもしろいわよね、あの子。とても素直だし」
クスクスと笑うキッドの話を聞きながら、アリスはじっと星を見つめた。その脳裏に、不意に思い出す。
『お前がそうしたいって言うなら付き合ってやるぜ。なんたって、お前やタグーの相手をできるのは、この俺様ぐらいだろうからな』
『そういやー……前に言ってたな。試験落ちた日……、星に刻むとか、どうとか……。じゃあ、今日のことを星に刻むか。そうだな……名付けて……ロックってサイコー、カッチョイイ記念』
『……みんなの無事を祈ろう……。……この想いを星に刻むか。フライたちも見上げてるかも知れない……。届くといいな、みんなに……』
『俺、お前のこと好きだから、それを星に刻む』
アリスは少し笑みをこぼした。そんな彼女の様子を察して、キッドは小さく息を吐き、ゆっくりと星空を見渡した。
「……たくさん想いが溢れ過ぎてて、星の数が足りないくらいね。……きっと……」
「……」
「……そうだ。一人一人が思いを込めた星、……その星たちを一つにしちゃうの。……そしたら星に空きができるわ。そして……想いを一つにした星は、もっと輝きを増す。……今度から一人で見上げることもなくなる。……一つの星を見て、感じるモノはみんな同じ……」
キッドは、自分を見ているアリスに目を向けると、優しく微笑んだ。
「……大丈夫よね?」
アリスは問い掛けるキッドに、笑顔で大きく頷いた。




