44.夜想曲
静かな夜の校舎の廊下、窓を叩く大粒の雨音を覆い隠すように鳴り響く靴の音。
向こうに見える灯りから交じり合う音が微かに漏れていた。
段々近づくにつれ、靴音がクレッシェンドし早くなる。
──ガチャ
「花音、ちょっと話しがある」
「み、御神先生?!」
「エッ?」
「な、何で?」
突然現れた希少物体に、皆が驚き固まる。
「ぇ? なんで先生が?」
先生の顔を見上げたが、視線は天野先生に向けられている。
どういうこと?
「天野、ちょっと借りるぞ」
それだけ言い残し部屋から出た先生に、皆は何が起こったのか分からず微動だにしなかった。
「は? え?;えぇえ??」
天野先生も動かなくなっていた。
それは、あっという間の出来事だった。
ぇ?
ぃい今、せ、先生いた?
何?
何ごと?
ぇ?
頭が追いつかない。
一瞬の出来事で、驚きの声を上げるよりも呆気に取られ、静まり返っていた。
この空間だけ時間が止まっていた。
天野先生が私の顔を見る。
私も全く訳が分からず「聞いていない」の意で、首を何度も横に振る。
天野先生はそんな私に、早く行けと言いたげに入り口を何度も指差した。
ソレに我に戻った私は、走って部屋を出た。
「先生、何で?」
「逢いたかったから。他に理由がいるか?」
「ぇ?」
「車取りに一回戻るから40分後で。雨降ってるから校門のところでいいよ。制服なしな」
「ぇ?」
えぇえええぇえええ?
色々な情報が多すぎて、全く整理出来ないんですけど?
着替えろってこと?
その前に逢いたいって先生が?
何で今、日本に居るんですか?
聞きたいことが多すぎて、何から聞けば良いのか迷っていると。
「早く用意しろよ」
「ぇ?」
「飯食いに行く」
「は?」
「何? 嫌なのか?」
「い、いえ。滅相も御座いません。そのようなことは」
え?
どういうこと?
これからご飯を食べに? その為に、先生帰国したってこと?
「何?」
「ぃ、ぃえ? 夜お戻りに?」
「明日朝」
「ぇ? それって?」
「早くしろよ。置いていくぞ」
「え?」
「40分後に校門前で」
それだけ残して先生はスタスタ歩いて行った。
ぇ?
ど、どういう? こと??
何が起こっているのか全く分からないけれど、取り敢えず急いで寮に向かった。
先生に買って貰った服に着替え、誕生日に貰ったネックレスとピアスを付ける。
そしてクリスマスプレゼントに貰った赤いハートのバッグに、先生が買ってくれたリップをそっと入れた。
こ、これってデート? なの?
赤くなる頬に気恥ずかしくなり、咄嗟に乱れていた髪を整え、魔法の力を借りる。
ほんの少し背伸びして引いた赤いルージュに、大人な香りを身に纏う。
朝から降り続いていた雨が上がり、暗くなった空にぼんやり顔を出した月の姿に、何故だか分からないが涙が溢れきた。
暗くなってはいたが、見慣れた風景を足早に歩いた。
心拍数がどんどん上がってくる自分に驚き、早く鎮まるように胸に手を当てる。
校門の正面に堂々と、明るくライトを照らしたまま停まっている車に息が一瞬止まりそうになり、急ぎ走って近づきドアを開ける。
「お邪魔します?」
「行きたいところは?」
行きたいところ?
この時間から?
先生と一緒なら何処でも。
「先生と一緒なら何処でも嬉しいです」
無言の車内に低いエンジン音だけが鳴り響き、静かに車が走り出した。
「せんせ?」
先生の顔を見上げたが、何も言わず無言のまま手だけが繋がれていた。
何処に向かっているのかも伝えられず夜の街を走る車の中、でも握られた手だけはずっと離されなかった。
無言のままの先生に、何故か理由を聞くことが出来ない。
緑の大きな看板を抜け海の上に車が差し掛かった時、いきなり首に手を回され軽く唇を塞がれた。
突然の出来事で驚き、思わず聞いてしまう。
「せんせ?」
その問い掛けに応えてくれることは無かったが、静かな車内は居心地の悪い空間ではなく、幸せな時間だった。
右手前方に広がって来た光景に、思わず声が出た。
「綺麗……」
暗闇に浮かび上がる高い塔と、半月の建物。ピンクや青にキラキラ輝く観覧車の光が、海面に反射し光の渦が揺れている。
幻想的な光景に、私は思わず先生の顔を見た。
「彼処じゃ駄目か?」
「え?」
先生が半月型した建物を指さした。
どういう意味?
「どう言う意味ですか?」
「俺への誕生日プレゼント」
「え?」
ほんの少し笑った先生の顔をもう一度まじまじと見つめるが、それ以上は何も答えてくれなかった。
◇
「うわぁ~~綺麗~~」
遠くから見えた光景とは違い、目の前に飛び込んできた大きな観覧車を見上げる。
「今度な」
「本当に?」
「せんせ?」
「飯食いに行くぞ」
「え?」
先程見えていた、半月型建物の目の前で停車した車に驚いていたら、先生の手が離された。
「降りろ。着いた」
◇
綺麗な夜景が見えるレストランに案内される。
「肉と魚どっちがいい」
「へ?」
「どっちだ」
「じ、じゃぁ? お、お肉?」
給仕の方に先生が何やら話した後、会釈をされ去って行き、残されたテーブルには二人だけになった。
「せんせ? これって?」
先生の顔をじっと見つめる。
「飯食いに行くって言ったろ」
い、いやそうではなくてですね?
何故?
日本に居るんですか?
何の連絡もなかったですし?
「何で?」
「さっきその質問に答えたろ。逢いたかったから。それ以上必要なのかよ」
「ぇ?」
「今日ってオフだったんですか?」
「………」
暫くの沈黙が続く。
ぇ?
まさかとは思いますが……
いくらなんでもそれはないですよねぇ?
微妙な空気の中、先生が笑った。
「困ったお嬢さんだな」
「え? 何でそうなるんですか?」
ちょっと意地悪そうな顔をして笑った先生の表情は、先程までの何処か悩んでいる? 雰囲気とがらりと変わり、普段と変わらない柔らかな笑顔だった。
次々と運ばれてくる料理も終盤となり、最後のデザートが運ばれて来た。
目の前の幻想的に広がる光景を見ながら「今度」って言ってくれた小さな約束を信じて待つ気持ちと、夢のような魔法の時間がもうすぐ終わってしまう現実に、自然と冷たい雫が落ちた。
「今泣くなよ。ちゃんと後で受け止めるから」
「ぇ?」
「出るぞ」
無言のまま手を引かれ出口近くに着いた時、先生が優しく言った。
「待ってろここで」
「ぇ?」
「断るなら今だぞ」
優しく微笑む先生の顔は、眩しいぐらい格好良かった。
「え?」
え? どういうこと?
「誕生日プレゼントを貰いにきた」
「へ?」
「お前が欲しい」
「ぇ?」
え?
頭が真っ白になる。
思考も、時間も、動きも全てが止まり、行き交う人がスローモーションになって見えた。
強めに握られた手に引かれ、エレベータの中に吸い込まれるように乗せられた。
二人だけの空間。
互いに無言のまま強く握られた手は離されることなく、上がり続けるエレベーターの扉をじっと並んで見つめる。
「奪いにきた」
優しく触れた唇がそっと離れた時、エレベーターの扉が静かに開いた。
──パタン
扉が静かに閉まる。
嫌じゃない。
この瞬間をずっと待っていた。
先生と一つになれる時を。
ずっと憧れていた人。
それでも、恥ずかしさと不安で足に力が入らない。
どうすれば良いのか分からず、先生の顔を見上げる。
そっと抱きしめられた瞬間、視界が塞がれた。
恥ずかしさで、目を閉じることしか出来なかった。
確かめるように、優しくそっと先生の唇が下りていく。
恥ずかしくてその顔を見たくても、閉じた瞼により力が入る。
強張る身体を優しく包み込むように甘い口づけが全身に降り注ぎ、固く閉じた脚に手が触れた時、一瞬力が入るが、先生の手は止められることなく、上着を脱ぎ捨てた先生にしがみついた。
「ぃ、イタッ」
あまりの激痛で思わず漏れた声に先生が一瞬止まり、たずねるかのように優しく頭を撫でながらそっと口づけをする。その問いに応えるように再び先生の背に強くしがみついた。
突き上げる激しい痛みに堪えきれず、掴んだ背に力が入る。
その都度、先生が優しくそっと包んでくれた。
何度目かの激痛を超えた時、身体中の力が抜け、今まで感じたことがないくらいの幸せが全身を走り抜けた。
先生が優しく頭を撫でてくれたが、恥ずかしさのあまり先生の顔を直視出来ず、布団を頭まで被り隠れしまう。
「いつまでそうやってカタツムリになってるんだ?」
「カタツムリって……だって。恥ずかしいもん」
「風呂入るぞ」
「ぇ?」
「何だよ」
いやいや、無理無理。絶対無理。そんな拷問のような。
絶対無理ですううう!!
◆◆◆おまけ◆◆◆
クレッシェンド︰だんだん強くする
の指示記号。
逆は、デクレッシェンド(だんだん弱く演奏する)




