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御神先生の秘蔵っ子  作者: 蒼良美月
第二章 誓い

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14.春の調べ ーツィゴネルワイゼン(3)

 ──それだけ言い残し、先生が消えて行った。


「やっと会えた」


 私は今になって、その喜びをやっと実感していた。

 突然の登場に驚いたが、あの時はそれよりも「ちゃんと最後まで演奏する」それだけに集中した。

 そうじゃないと泣いてしまいそうだったから。


 演奏中も少しでも違うことを考えたら、直ぐに先生に置いて行かれると思い、全神経を指先に向けるよう努めていた。



「待たせたな帰るぞ」

「は、はい?」


「お前、もしかしてその格好で今日来たのか?」

「……はい」


「……着替え持ってきてないのか?」

「すいません……」


 先生が呆れ顔で私を見た。だって高科先生に連れてきてもらったんだもん。

 校内で着替えた方が良いって言われてそのままに。


「取り敢えずこれ着ろ」


 先生が自分の着ていたスーツの上着を脱いで私の前に差し出した。


 あ、そう言えば楽譜とバイオリンしか持って来てなかったんだ。ずっと会場の中にいたから分からなかったけれど、外寒いわよねぇ。


「有り難う御座います」

「裏口分かるか? 高科と来たんだろ?」

「あ、はい。多分大丈夫だと思います」

「そこの出口で待ってろ」

「ぇ?」


「阿呆か、この状況で一緒に出れるわけないだろ」

「……」

 そうでした。高科先生に言われていたことが、明日から現実になる。

 覚悟はしていたが……


 怖い……


 先生を頼ることは今後一切出来ない。

 それでもついてくるかと言う言葉に私は、ついて行くと約束した。

 もう逃げれない……


 指定場所で待っていると、先生? が運転する車が目の前で停まった。


「乗れ」


「先生この車は?」


「幸造の」


 ほんの少し不快な表情を浮かべる。

 確か先生って……


「趣味悪い車だろ?」


 大きな黒塗りで、素人の私でも一目みて分かる高級車だった。


「どうせ知ってるだろ、愛人の子だ」


 やっぱり……

 明るい髪の色と薄茶色の瞳。

 昔からあった噂。

 幼少期から才能があった先生を、父親の幸造氏が無理矢理日本に連れ帰ったって噂。


「あ、金の為にこっちも最大限利用させてもらったから別に気にしてない。だからそんな顔するな」


 由紀様が言っていたことだ。

 純粋に音楽を趣味としてだけ、やっていくなら問題ない。

 ただプロとなりその上、世界をとなると莫大なお金を要する。


 学費だけが免除になったとしても、それ以外にかかる費用がとんでもない金額だ。


 先生が言った意味。

 楽譜や教本を買うだけで湯水のようにあっと言う間に飛んでいった。


「あーー出世払いにしてやるから、金のことをは気にするな。それなりに蓄えはあるから。有り難いことにお前を養う程度の仕事はあるから。まだ俺にも」


 先生のそれなりの金額を怖くて聞けなかった……


「まだって……世界一忙しい音楽家が……」


 そう言えば、私考えてなかった! 先生ってこのまま日本に居てくれるはずがなかった!


「えっと……つかぬ事を伺いますがいつお戻りに?」

「ん? どっちにだ?」


「あ、フランス? そして日本には??」


「……」


「ぇ? もしかして一週間もいないんですか?」


「……」


 嘘? もっと短い? 嘘よねえ?


「神のスケジュールは把握しているんじゃなかったのか?」


先生がちょっと悪戯そうな顔をしながら笑う。


「ニューヨーク! ぇ? あれって。え? えええ?」


「明日の最終の便で日本を発つ」


「……う、嘘。ぇ? 今日って何処から?」


「NY。お前の為に往復300な。しかも今日の伴奏ギャラ無しな。しっかり学べよ?」


「す、すいません」

「まぁ金のことはいいや。お前には関係ない。それよりちゃんと練習しなさい」


 明日には帰っちゃうのか……

 また暫く会えないのか……


「月1なんとか帰る努力する」


「その後また居なくなるんですか?」


「ちゃんと考えているから、もう少し待ってろ」


 先生が苦笑いした。

 あ! それでずっと連絡が無かったのかしら?

 そんなことより! あと数時間したらまた会えなくなっちゃう!


「その格好だしなあ。寮帰るか?」

「一緒に居たいです……」


 今日ぐらい我儘を言っても良いですか?

 無言になった先生の顔を見る勇気が今の私には無かった。


「あと一年か。結構長いな」


「ぇ?」


「いや。何でもない。仕方ない実家帰るか。あそこ出来れば行きたくないんだけどな」


 先生がまた苦笑いした。






 ◇





 まさか二回も「御神家」に足を踏み入れることになるとは……

 しかも先生の部屋。



 広! 

 部屋の中にピアノあるし。

 さすが御神家のお坊ちゃん。


「あーー何もないぞ。ここ何年も使っていないから。ちょっと待ってろ。由紀の服、借りてくる」

「すいません。いつもいつもご面倒を……」





「うわ。凄い数のトロフィー!」


 大きな棚に所狭しと並んでいるトロフィーの数の多さに驚いたが、それ以上に書庫? にぎっしり並んでいる楽譜や教本、音楽史などの関係書籍の量に驚いた。


「あ! これ見たことある! ハノン! ピアノ科の子達がみんな持ってた青い表紙の!」

「同じ? 表紙のがこんなにあるんだ!」

「ブルグミュラー? へぇ色々あるのね」


 その中の一冊を手に取る。


 これって先生の字?

 うわ! ちびっ子の頃の先生の字だ!


「か、可愛い!」


 そこには、平仮名だけで「ゆっくり」とか「つよく」と書かれた当時の「御神 貴志」の鉛筆書きの文字が沢山書かれていた。


 いくつか書いてある大人が書いたと思われる? 文字とは明らかに違うので、先生本人が自分で書いたと確信出来た。



「お前、人んちの勝手に見るなよ?」


「はっ! すいません……つい」


「懐かしいな」


「これって、いくつぐらいの時ですか?」


「小学校入る前だろ? 多分な? 汚ったねぇ字だなしかし」


 先生が自分で書いた文字を見ながら笑った。


「英語?」


 楽譜の所々に書かれてある英語の文字に気になって先生の顔を見る。


「俺の母親だ」


 それ以上先生は語ることはなかったが、こんな古い、しかも初心者向けの教本を大事にとっている意味が分かった気がした。


「あっちで着替えてこい」


「あ、有り難う御座います」



 うわ。由紀様って意外と……

 お借りした服のある一部分が余っていることに、悲しい気持ちになった。


「お待たせしました」


「……まあ」


 まあの続きは何で御座いますか? 


「客間で俺寝るから、お前そこのベッド使って良いぞ。じゃあな。明日朝、寮に送ってもらえ」


 淡々と言う先生のその言葉に、我慢していた何かがプツンと切れた。


「酷いです。ずっと会えなくて、ずっと我慢してたのに……」


 我慢していた気持ちが溢れて止まらなかった。

 言ったところで先生を困らしてしまうだけ。


 あのまま置いて帰られても当たり前だったのを、こうして嫌な実家にまで。

 ましてや自分の部屋にまで連れてきてくれた。


 それでも、傍にいたかった。

 いて欲しかった。


「ここでお前を抱いたところで、それだけの関係だ。それより世界を抱きに行く。な?」


 優しく頭を撫でられた瞬間、それでも離れたくない! と思う気持ちが勝ってしまい、無意識のうちに先生の胸に飛び込んでいた。


 怒られる? 拒絶される?

 と、思った瞬間だった。


 先生の唇がほんの少しだけ頬に触れた。


「お前知ってるのか? うちの学校、教師と生徒の恋愛御法度なんだぞ。俺クビになるぞ?」


 先生がニヤニヤ笑っている。


「ぇ? そんなぁあ」


「まぁちゃんと卒業しなさい。それからだ話しは」


「ぇ? それってちゃんと卒業したらお嫁に貰ってくれるってことですか?」


「ゲホッ。な、何でいきなりそうなるんだよ」


「えええ? 駄目なんですか?」


「……まぁその時にまた」


 そう言って先生がタバコに火を付けた。


 でも否定しませんでしたよねえ? 

 駄目って言わなかったですよね?

 私、ちゃんと卒業しますからね?

 待ってろよ! 御神 貴志!


「あ、卒業認定の最後、落とすかどうか決めるの教科担当だから」


「ぇ? それってもしかして」


 魔王が、楽しそうに笑った。

 酷すぎる……


「寝なさい。もう」

「えーーやだぁ」

「一緒がいいー」

「無理です」


「明日、飛行機の時間まで付き合ってやるから、今日は寝ろ」


「本当に?!」


 はぁ……


 目の前でキラキラと瞳を輝かせながら、一心に自分を見上げ、見つめてくる少女の姿に、数ヶ月振りにやっと取れた唯一の夕方までの休日が、飛んでしまう虚しさよりも、側にいてやりたい、いや自然と自分からその言葉が出ていたことに男は、少し呆れていた。


◆◆おまけ◆◆

ハノン:指使いを中心とする「指練習教本」初心者(幼児含め)からプロを目指す者に至るまで絶対に通る門とも言える「魔王」の教本。ハノンが楽しい人尊敬します。ガチな訓練本です。


ブルグミュラー:25の練習曲。「アラベスク」は最初の憧れの一歩ですね。そこからが全てのスタート。それをサポートするのが「ハノン」や「バイエル他」になります。

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