13.春の調べ ─ツィゴネルワイゼン(2)
──私の声に、高科先生も天野先生も驚いた顔で振り向いた。
「貴志!」
「御神先生!」
「待たせたな」
サングラスを外しながら優しく微笑んだ先生の顔を見たら、涙が溢れて来た。
「主役が泣くな。掻っ攫いに行くぞ」
「ぇ?」
「は?」
「代われ」
「はああ??」
一番驚いたのは、私ではなく天野先生だった。
天野先生が手にしていた、スコアを取り上げ私の頭を軽く撫で、私の目を一旦見た後、私の背中に片手を添える。
そしてそのまま光輝くステージを真っ直ぐ指差しながら、力強い声で言った。
「彼処はお前の為に用意された場所だ」
その声に私の不安は消え去った。
「行くぞ」
その声に私は静かに頷いた。
先生が私の為に忙しい中、ほぼ丸々と言っていいぐらい一から書き直した作品。
「ツィゴネルワイゼン舞曲」まさにこのタイトルが相応しい。
変調、転調を繰り返しながらどんどん速さが増して行く。
御神 貴志にしか描けない作。
『31番 ツィゴネルワイゼン変奏曲 サラサーテ 編曲 ぇ み 御神 貴志 バイオリン 桜井 花音 御神音楽学校 伴奏 あま、ぇ 御神 貴志さん?』
でしょうね。うん、私が驚いてますもの。そりゃあ知らされてない他の人はもっと驚くでしょうよ。
「御神 貴志」のアナウンスに会場がざわつく。
でしょうねぇ。
当の本人は涼しい顔をしておりますが。
「出るぞ」
「はい!」
先生がピアノに向かって歩き出す。その後ろを転けないようにだけ気をつけて、ついて行く。
会場のざわつきが止まらない。
この中で始めるの?
その時だった。
先生が最初の音を押さえた瞬間、会場が静まり返った。
バイオリンを構える。
周りの声や、人の動き、時間すら全てが止まった。
無の世界の中で、先生のピアノの音だけが聴こえてきて、それを引っ張っていくことだけに魂を込める。
この心地よい感覚。何これ!
天野先生とは全く違う、音が共鳴し合っている感覚!
──無の中で二人だけの共鳴。
何も言わなくても欲しいところにピアノの音がきて、追いかけてくる。
そして次の旋律へと押し出してくれる。
寄り添うかと思えば、直ぐにすり抜け、引き離すように。
まさにジプシーの旅路へと。
ラストへ向けて、もう一段ギアが上がる。
全神経を指先だけに集中する。
──ジャン
お、終わった……
「はあ、はぁ、はぁ」
何とか先生について行けた……
──静まり返る会場。
ツィゴネルワイゼンが、酒場の踊り子達の舞踊音楽のように編曲されていたのだ。
驚くのは無理はない。
「ブラボー」
会場から一人の声が上がる。
その瞬間だった。
──会場が揺れた。
鳴り止まない拍手の中先生がピアノから離れ、そっと私の手を取った。
「ほら。応えろ」
先生に手を取られ、観客に会釈をする。
足の震えが止まらない。何とか倒れないように立っているだけが精一杯だった。
最後に先生が私の手を取ったまま、中央で深くお辞儀をする。
それを真似るように私も深く頭を下げた。
「あーーあ。全部持って行ったなぁ」
「本当ですよ。俺達の苦労を。だから御神先生嫌いなんですよ」
「え? 天野って貴志のこと嫌いだったの?」
「当たり前でしょう! 同年代にいたお陰で常にコンクールは一位になれなかったんですよ?」
「良かったぁあ、俺バイオリンで。歳違うし、あいつバイオリン遅かったし被らなくて」
「さて邪魔者は退散しますかね?」
ちょっとだけ可哀想になった天野に声をかける。
「大丈夫ですか? 二人きりにして……」
天野のその顔が全てを物語っている。
無いとは思うが、それでも周りは必ずそういう目で見るようになる。
これを境に。
奴には関係ないだろう。
そんなことで潰れるような、いや既に頂点まで登りつめているアイツにそんなゴシップなど問題にしない。
あの容姿ゆえ、新しいソリストを指名する度に、色々な噂が毎回踊っていた。
ただ彼女は違う。
その全てを、奴が支えてやるとは到底思えない。
あいつの頭の中にあるのは常に「音楽」が最優先だ。
それについて来れない者「御神音楽」を邪魔する者はいずれ排除するだろう。
高科は、一ヶ月間毎日付き添った少女、最初は口から出任せで「姪っ子」と言ったが、今では本当の「妹」のような気持ちで彼女を思っていた。
そんな「妹」が目の前で、潰されて行く姿は見たくない気持ちと、心配で胸が締め付けられていた。
天野にしても同じだった。高科同様、突然預けられた「お荷物」最初はとんでもない素人を押しつけて! と憤慨していたが、彼女の熱心さと真面目さ、学びたい気持ち、叫びとも言える熱い思いに、久しぶりに自分も本気になっていた。
どれだけ時間を費やしても、どれだけ練習しても決して超えられなかった壁「御神 貴志」に対して、自分の思いを彼女に託す気持ちもあった。
「明日からが大変になるな」
「だから御神先生嫌いなんですよ」
「言葉と顔が一致してないよ? 天野君?」
「はぁ……」
「お互い苦労が絶えんな……」
明日からの「後始末」の面倒事が、全て自分達にまた回ってくることが分かっている二人は、深く溜息を吐いて会場を仲良く後にした。
◇
「先生。来てくれないかと思ってました!」
「約束は守る主義だ」
「本当にですか?」
「時と場合によるがな?」
「……」
「高科?」
『先に帰る。手、出すなよ。俺の姪っ子に』
「あの、やろう……」
高科先生から? 何って言ったんだろう? 先生が笑っている。
「高科先生からですか?」
「お前いつからアイツの姪っ子になったんだ?」
「色々ありまして……」
「これからもっと風当たり強くなるぞ。それでも俺について来るか?」
先生が真っ直ぐ私の目を見て言う。
その顔に笑顔や優しさ、親近感は一切無くまさに「先生」の顔だった。
「はい!」
私の答えは決まっている。
もう走り出した足は止めないって決めたのだから。
「守ることはしない。守られる女は要らない。一人で立てる音楽家に育てる。俺を信じてついて来い!」
「はい! 世界を取って見せます!」
この日を境に、私達は夢を実現するパートナーになった。
「帰るか。あーー俺、空港からタクシーで来たからなあ。ちょっと待ってろここで」
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