12.春の調べ ─ツィゴネルワイゼン(1)
緩やかな坂の両側に連ねた薄紅色の小さき花びらは既に緑だけとなり、何か取り残されたかのように風に儚く揺れていた。
枝の隙間からのぞく蒼空は、霞かかりまるで泣いているかのように見えた。
──坂の頂きには、変わらず今日も美しい調べが漏れ響いている。
◇
「やるだけのことはやった。今日は明日に向けて無理はしないようにね」
「はい……」
二人の顔は少しばかり細っそりしていた。
約二週間の地獄のような毎日を終え、今日は明日に向けて最終確認の打ち合わせ中だった。
「貴志から連絡あった?」
「……いえ」
あの悪魔的指令が届いてから二度程メールが来ただけで、それ以外は何もない。
4日前に先生からのプレゼントとして、明日のステージで着るドレスと靴が届いただけだ。
お礼のメールを送ったが返事はなかった。
何かあったのだろうか?
毎日大きな事件や事故のニュースがないか? 何かトラブルに巻き込まれてないか? 心配でつい調べてしまう。
「まぁもうここまで来たら、何も考えずに最後まで演奏することだけを考えて今日は早めに休みなさい」
「はい……」
「大丈夫か?」
「はい」
高科先生の言う通りだ。出来る精一杯はやった。例え先生が来れなくても、胸張って言える演奏を最後までしたい。
「バイオリン」
「はい。お願いします」
高科先生に、神から預かったバイオリンを託す。盗難や破損防止の為だ。
流石に「御神 貴志」のバイオリンに手を出す勇気あるものは居ないだろうが、念のために毎日授業後は高科先生が保管していた。
「ちゃんとマッサージして寝るんだよ?」
「はい……」
何故だか今日の高科先生がとても優しく感じる。
「あ、明日此処にじゃあ17時ね。着替えこっちでするだろ?」
「はい。そのほうが安全かなと」
「だな」
ドレスと靴も保管庫に一緒に先生が入れてくれていた。
「そんな顔するな。大丈夫、貴志は絶対くるから」
「はい……」
しかし連絡ぐらいよこせよ。あれからプッツリ連絡が途絶えたままだ。
やっぱりあの噂は本当なのか?
先日パリに居る後輩から聞いたが、まさかと思って放置していたが。
貴志が契約しているフィルと揉めているって。
あいつ本当に、帰ってくるつもりなのか……
桜井の為に、自らの栄誉を捨てるつもりではないよなぁ……
◇
ついに、この日を迎えることになってしまった。
『御神音楽学校=Mアカデミー学園 春のコンサート』毎年「御神音楽堂」で開催されるクラッシックコンサートだ。
学生やセミプロのアカデミーの生徒達によって行われるコンサートだが、演奏者は成績優秀者と教師の推薦によるもので全員が舞台にあがれるわけではない。
13時開演で最初は声楽科から始りピアノ科、最後が弦楽器科になる。
私の出番は21時。御神先生が最後無理やり入れた形で一番最後の奏者となった。
あっと言う間に時間が過ぎてしまった。
16時40分。
寮からは直ぐの距離だが、落ち着かなくて早めに部屋を出た。
「先生……」
先生に貰ったピアスを今日初めて自分の耳につけた。
「考えても仕方ない。きっと何処かで見ていてくれる!」
◇
「桜井~~何か食べときなよ? お腹空いたら良い音でないよ? はいこれお茶」
「ありがとうございます高科先生」
母か……
ずっと約一ヶ月一緒に居たからか? 最初は凄い厳しい先生だなと思って怖かったけど、高科先生が居てくれたから頑張れたのかもしれない。
辛い時や淋しい時も。何も聞かなかったけれど先生が心配して色々気遣ってくれていた。
そんな高科先生への恩返しの為にも、今日は悔いのない演奏をしたい。
「桜井、テンポちゃんと守ってよ? いきなり飛ばしたり絶対無しだからね?」
「分かってますって天野先生」
「これ以上早くされたら……」
「何? 天野ちゃん? 弾けないってか? ジュリアノ音楽院卒だったよなあ?」
「弾けます!」
「ぇ? 天野先生って御神先生と同期ですか?? 確か歳一緒でしたよねえ?」
「……」
「あ、それ禁句桜井」
「ぇ?」
「向こうは飛び級でさっさと卒業してヨーロッパ行ったの! だから一緒には通ってません!」
「……ぇっと。ジュリアノって凄いですよねえ? 先生」
「……」
「桜井、止めなさい」
「元々は高科先生が言い出したんじゃないですかあ!!」
「ハハハハハハッ」
「ちょ、シィ」
周りに居た人達に睨まれた。
うん。そうですよね。
私は本番までまだまだ時間ありますが、皆さん出番前の方には騒がしかったですね。
すいません……
「これ、御神先生チョイス?」
天野先生が私のドレスを見ながら、真面目な顔で聞いて来た。
「一応……」
「あいつこういうのが趣味なんねぇ」
高科先生がジロジロ上から下まで舐めるように見る。
「ちょ、ちょっと、何処見てるんですか!!」
夕焼け色の空に星が散りばめられたような小さな金の刺繍がライトに当たってキラキラ光る。
裾にいくほど淡い色になり裾は白いグラデーション。
ツィゴネルワイゼン自体夜のイメージで濃い色が選ばれることが多い中、先生は敢えて夜になる前の夕焼け色を選んだ。白から夕焼け色に段々と染まって行く。
あと出番まで30分。
入口のドアに視線を移す。
これで何回目だろう。
無いと思っていても、つい奇跡を期待してしまう。
そんな私に対して何も言わないけれど、高科先生と天野先生の気遣いが痛いほど胸に突き刺さる。
「そろそろだ。行くよ」
天野先生の声によって、三人で手を出し静かに重ねる。
「大丈夫。練習通りに弾けば何ら問題ない」
高科先生が私の両肩に手を置き、真っ直ぐに目を見て言う。
その力強い言葉に私は勇気を貰えた。
独りじゃない。
こうして私の為にどれだけの時間を二人が割いてくれたことか。
「じゃぁ行くよ?」
「はい」
「頑張れ!」
──バンッ
突然控え室のドアが開いた。
白いスーツに身を包み、ダークブラウンのサングラスをして息を切らせている男性に、私は思わず声をあげた。
この時をどれだけ待ち焦がれていたことか……
「先生!」




