聖女様が忙しそうなので、雑用係の私が国を回しておきました【連載版はじめました】
気がつけば、異世界で王宮の雑用係になっていました。
しかもこの国、聖女様が優秀で優しいのをいいことに、あれもこれも全部押しつけて回っていないようでして。
浄化に祈祷に面会に許可出し。ついでに書類の山まで聖女様行き。
それ、もう奇跡でどうにかする範囲を超えていませんか?
派手な魔法は使えません。
でも、段取りと整理と「誰が何をやるか」を整えるのは得意です。
聖女様が倒れる前に、雑用係の私が国を回しておきます。
書類は、人を殺す。
前世の私は、かなり本気でそう思っていた。
会議室の予約表が一列ずれれば、三十人の予定が吹き飛ぶ。発注書の印鑑がひとつ足りなければ、必要な備品は届かない。確認の連絡が一本遅れれば、現場は止まる。
なのに、そういう仕事に限って、いつもこんな名前がついていた。
「ついでにこれもお願い」
「悪い、急ぎで」
「誰でもできるやつだから」
「雑用ね」
急ぎは、だいたい他人の口からやってくる。
私は会社の総務だった。目立たない席に座って、目立たないまま、職場が壊れないように穴をふさぐ仕事をしていた。
誰かが契約を取る。誰かが企画を通す。誰かが成果を語る。
その裏で私は、会議室を押さえ、資料を整え、備品を補充し、連絡を回し、遅れを埋めていた。
誰も見ていないけれど、誰かがやらなければ全部止まる仕事だった。
終電間際のホームで倒れたとき、最後に浮かんだのは、そんな取りとめもない考えだった。
雑用って、誰かがやらなきゃ、世界が止まるのに。
次に目を開けたとき、私は見知らぬ天井を見ていた。
石造りの部屋。粗い毛布。細い指先。小さな手首。鏡に映っていたのは、栗色の髪を肩で切りそろえた、十代半ばの少女だった。
名前は、レティア。
王都で働く、ただの下働きの娘。
そこまで理解した三日後、私は王宮と大神殿をつなぐ渡り廊下で、運命みたいに見覚えのあるものと再会した。
紙の山だ。
「薬の搬送許可がまだ出ていないの!?」
「聖女様の印が必要なんです!」
「でも聖女様はいま北塔で浄化、そのあとは祈祷、その次は面会で……!」
「待っていたら間に合わないわ、患者が増えるのよ!」
泣きそうな侍女が、書類の束を抱えて立ち尽くしていた。机の上には同じような依頼書が何枚も積み上がり、赤い紐と青い紐が意味もなく絡まっている。
それを見た瞬間、頭の奥で何かがぴたりとはまった。
前世の記憶が、一気によみがえる。
会議室。印鑑。差し戻し。急ぎの付箋。誰も全体を見ていない職場。
そして、目の前の書類の山。
ああ、これだ。
これは「優しい誰か一人」に仕事が集まりすぎて、全部が詰まるやつだ。
「……どれが本当に急ぎですか」
侍女が目を丸くする。
「え?」
「今日中ではなくて、今すぐ必要なものです。命に関わるものはどれですか」
彼女は慌てて束を見直した。
「これと、これと……たぶん、これも」
「同じ件名が二枚ありますね」
「神殿側と王宮側の控えで……」
「内容は同じです。なら、まとめます」
手に取った書類に、不思議な感覚が走る。
紙の重さとは別に、重要度の輪郭がうっすら分かるような感覚だった。
前世にはなかったものだ。
この世界に来てから、ときどき感じる。散らかった物の中から、優先順位や不足分が妙にはっきり見えることがある。たぶん、これが私に与えられた小さな祝福なのだろう。
派手な魔法じゃない。
でも、詰まりを見つけるには十分だった。
「聖女様ご本人でなければ判断できないのは、これだけです」
「えっ」
「残りは数量確認と搬送順の決定です。神官長か倉庫番でもできます」
「で、でも、いつも聖女様に……」
「いつもそうしているから、詰まるんです」
口にしてから、ちょっとだけ言いすぎたかと思った。転生して数日、しかも下働きの娘が言う台詞ではない。
でも、立場より先に順番がある。
「これは一番上。こっちは倉庫へ。これは伝令に持たせてください。今すぐ」
私は棚にあった麻紐を借りて、書類を三つに分けた。
今すぐ必要なもの。今日中に必要なもの。後でもいいもの。
たったそれだけで、机の上の景色は驚くほど変わった。
侍女は半信半疑の顔のまま走っていき、少しして息を切らして戻ってきた。
「通りました! 搬送、すぐ出せるそうです!」
廊下の空気が一瞬静まる。
背後から、低い声がした。
「お前、何をした」
振り向くと、若い騎士が立っていた。白銀の鎧、すっと通った鼻筋、灰青色の瞳。聖女護衛の騎士、アルフレッドだ。
私は麻紐でまとめた書類の束を持ち上げた。
「詰まっていたのを、ほどいただけです」
彼は私の手元を見て、侍女を見て、また私を見た。
「……どうやって」
「見れば分かります」
「分かっていなかったから、止まっていたんだろう」
「だから、分かるようにしました」
すると、アルフレッドの口元がほんの少しだけ緩んだ。
「変なやつだな」
「よく言われます」
そう返した直後、廊下の向こうがざわついた。
白い衣をまとった少女が、神官たちに囲まれてこちらへ歩いてくる。
金色の髪。水色の瞳。花びらのように整った顔立ち。遠目にも息をのむほど綺麗なのに、その足取りはひどく危うかった。
この国の聖女、フィリア・エルネスト。
瘴気を鎮め、病を癒やし、人々の祈りを受ける、国の要だ。
「聖女様!」
周囲が頭を下げる。その中でフィリア様は私たちの横を通り過ぎようとして、ふらりと身体を傾けた。
「危ない!」
気づけば駆け出していた。
細い肩を支える。近くで見た聖女様は、綺麗すぎて壊れそうだった。肌は白いというより血の気がない。手首は驚くほど軽い。
「……すみません」
「謝る前に、座ってください」
「でも、皆さんが困っていますから」
「困っている人を助けるために、倒れたら元も子もありません」
フィリア様は一瞬だけ、きょとんとした顔をした。
たぶん、こういうことを面と向かって言われ慣れていないのだ。
周囲が頼りすぎて、本人は断れず、ずっと無理をしてきたのだろう。
その笑顔の薄さを見たとき、私は確信した。
この人を休ませるには、奇跡では足りない。
流れを直さないとだめだ。
その日から私は、勝手に動き始めた。
許可は取らない。取っていたら、その許可書がまた一枚増えるだけだ。
まず、依頼書を三つに分けた。
今すぐ必要。今日中。後日でよい。
次に、同じ案件をまとめた。王宮と神殿から別々に上がっているだけで、中身が同じものが山ほどある。
さらに、「聖女本人でなければ判断できないもの」と、「そうでないもの」に印をつけた。
浄化の儀式。特殊な病の最終判断。加護に関する認証。そこは確かに聖女様の仕事だ。
でも、物資数の確認、伝令の走る順番、面会時間の調整まで全部持ち込むのは、ただの丸投げである。
私は物置から古い板を持ってきて、そこに案件の所在を書いた。
誰が今どれを持っているのか。
口頭伝達も減らした。短い伝言票を作って、用件と時刻と担当者だけを書かせるようにした。
三日後には、倉庫番のおじさんが不思議そうに頭をかいた。
「最近、探し物が減ったな」
「置き場所が書いてあるからです」
「書いてあるって大事なんだなあ」
「はい。文字はたまに奇跡より強いです」
薬師見習いの少年は目を輝かせた。
「前は半日待ってたのに、今日はもう返事が来た……!」
うんうん、と私は深くうなずいた。
整うって、気持ちがいい。
でも、整い始めると困る人も出てくる。
「勝手なことをしないでいただきたい」
「前例にありません」
「下働き風情が差配するつもりですか」
特にうるさかったのは、神殿書記官のバルドだった。
髪をつやつやに撫でつけ、袖口ひとつ乱れていない男で、口癖は「聖女様のご判断待ちです」。
「レティア、と言いましたか。あなたのやり方は秩序を乱しています」
「乱れていたので、直しています」
「それを決めるのは、あなたではありません」
「では、誰ですか」
「聖女様です」
「面会順も、倉庫の在庫数も、伝令の優先順も?」
「もちろん」
「それ、聖女様のお仕事ではなく、あなたのお仕事では?」
バルドの眉がぴくりと動いた。
廊下の空気が少し冷える。でも私は気にしない。死んで転生までしたのだ。今さら視線ぐらいで縮こまっていられない。
「必要のない確認まで聖女様に持ち込むから、全体が遅れます」
「必要がないと、なぜ分かる」
「読めば分かります」
「あなたごときが」
「ごときでも、読めます」
すると横から、小さな笑い声がした。
アルフレッドだ。壁にもたれ、面白そうにこちらを見ている。
「書記官殿。少なくとも、こいつが手を入れてから護送の遅れは減りました」
「騎士殿まで……」
「現場が助かっている。それが答えでは?」
バルドは苦々しい顔で去っていった。
私は息を吐く。するとアルフレッドが、板をのぞき込んだ。
「それは何だ」
「案件の所在表です」
「所在表?」
「誰が今、何を持っているか書いてあります。『さっき誰かに渡した』を減らすためのものです」
「……地味だな」
「地味です。でも、人は地味なことで一番困ります」
「覚えておこう」
それから数日後、フィリア様に呼ばれた。
大神殿の奥にある小さな応接室。窓辺の丸テーブルに、お茶が二つ。
フィリア様は前より少しだけ顔色がよく見えた。
「あなたのことを、最近よく聞くんです」
「悪い意味で、ですか?」
「半分くらいは」
「半分もあるんですね」
「残り半分は、とても良い意味です」
くすりと笑う。その笑顔がちゃんと柔らかいことに、私は少しだけほっとした。
「薬の搬送が早くなりました。北の修道院への支援物資も、予定通り届いたそうです」
「みんなが動いてくれたからです」
「でも、動けるようにしたのは、あなたでしょう?」
私はティーカップに視線を落としたあと、はっきり言った。
「聖女様は、何でもご自分で抱えすぎです」
「……私が確認しなければ、誰かが困るかもしれません」
「今も困っています」
「え」
「聖女様が悪いんじゃありません。聖女様に何でも持ってくる仕組みが悪いんです」
フィリア様の指先が、そっとカップの縁で止まる。
自分を責めることでしか状況を説明できなかった人に、別の原因を示したのだ。すぐには飲み込めないのも当然だった。
「私は……もっと頑張ればいいのだと思っていました」
「優しい人ほど、そう思います」
「でも、それでは足りないのですね」
「はい。頑張りは、仕組みの代わりにはなりません」
静かな沈黙のあと、フィリア様は小さく息をついた。
「……助けてくれますか、レティア」
「もちろんです」
「私の代わりになるためではなく、私が休めるようにするために」
「はい。それが一番大事です」
そこからは早かった。
フィリア様自身が動いてくれたことで、どこまでが聖女の判断で、どこからが各部署の責任なのか、線引きが一気に進んだ。
浄化の儀式に関わるもの。
特殊な病への加護判定。
神殿外への奇跡の使用許可。
それ以外は、各担当で処理する。
神官長には医療支援の一次判断を。倉庫番には在庫確認の責任を。騎士団には護送順の優先権を。役人には地方との報告形式の統一を。
最初はみんな渋い顔をした。でも、自分の仕事の範囲が見えた途端、人は案外動く。
逆に、動けなくなった者もいる。
「その件は、もう発送済みのはずです」
そう言ったのは、またしてもバルドだった。
けれど南の村から届いた報告には、届くはずの救援物資が一つも着いていないとあった。
私は机に紙を並べた。
発注票。倉庫記録。護送記録。確認印。
「書類上は発送済み。でも、護送命令が出ていません」
「それは騎士団の不備では」
「騎士団には依頼が行っていません」
「では神官側の手違いで」
「神官側は『聖女様のご判断待ち』で止まっていました」
「……」
「三日間、あなたの机で」
バルドの顔色が変わる。
「確認印の日付、ここです」
「そ、それは、たまたま忙しく……」
「忙しかったから仕方ない、では済みません。困るのは現場です」
声を荒げたわけではない。でも、その場にいた誰もが黙った。
前世でもそうだった。怒鳴るより、記録を並べた方が強い。
「『誰かがやったことになっている』が一番危険です」
「……」
「責任を持たない空気は、書類より人を殺します」
自分でも驚くくらい、言葉がまっすぐ出た。
たぶん私は、前世の自分のぶんまで怒っていた。
そして、改善がようやく回り始めた頃に限って、最悪の知らせは来る。
国境付近で瘴気が噴き上がり、近隣の村で病と魔物被害が同時に広がったのだ。
王都に救援要請が殺到する。
「聖女様をお呼びして!」
「東門の護送隊が足りません!」
「薬草の箱が足りない!」
「祈りの列が収まりません!」
神殿も王宮も、一気に熱を帯びた。
倉庫の扉は開きっぱなし。伝令は階段を駆け上がり、紙が飛び交い、怒声と悲鳴が混ざる。
私は喉の奥が冷たくなるのを感じた。
こういうとき、全部が崩れる。
でも、崩れると分かっていても、止めるわけにはいかない。
「優先票を持ってきて! 赤印だけこっちに集めて!」
「レティア、聖女様は?」
アルフレッドが駆けてくる。
「北礼拝堂で最終祈祷中です」
「無理をしている」
「知ってます」
言った直後、礼拝堂の方で悲鳴が上がった。
「聖女様が……!」
走った。石の床を滑りそうになりながら、私は礼拝堂へ飛び込んだ。
白い祭壇の前で、フィリア様が倒れていた。
金色の髪が床に広がり、周囲の神官たちは青ざめた顔で立ち尽くしている。
「寝台へ運んでください! ここは冷えます!」
「で、ですが、この後の浄化が……」
「今は人を寝かせるのが先です!」
思わず怒鳴っていた。
細い身体を支えた瞬間、胸の奥がひりつく。
やっぱり、間に合わなかった。
少し休めるようにした程度では、この人を守りきれなかった。
でも、泣くのは後だ。
礼拝堂の外に出ると、そこにはもっとまずいものが待っていた。
沈黙だ。
「聖女様が倒れたなら、指示を待つしか……」
「誰が責任を取るんだ」
「勝手に動いて失敗したら……」
みんな足を止めている。
止まるのは簡単だ。責任から逃げるには、一番安全だから。
私は深く息を吸って、壁際の板を引き寄せた。
「止めないでください」
自分でも驚くほど、声がよく通った。
「聖女様が倒れた今だからこそ、止めたらだめです」
視線が集まる。神官、騎士、役人、侍女。偉い人も、そうじゃない人も。
私は板を立てた。
「赤印。今すぐ必要なものはここ。東門護送、南の薬、北修道院への補充。青印は今日中。黄色は後回しです」
「だ、だが、お前に権限はない」
誰かが言う。
「ありません」
「なら」
「でも、今ここで全体が見えているのは私です」
ざわめきが走る。
「騎士団は東門優先。護送は二隊に分けません、一隊を確実に通してください。倉庫は薬草箱を先、毛布はその次。神官は軽症者の振り分けを。面会は全部止めます。祈りの列には番号札を配って、順番を見えるようにしてください」
「記録係は!?」
「俺がつく」
アルフレッドが、ためらいなく私の横に立った。
「俺はレティアに従う。今、一番国を見ているのはこの人だ」
その一言で、空気が変わった。
騎士が走る。倉庫番が叫ぶ。侍女が紙と板を運ぶ。神官長が軽症者の区分を始める。
人は、命令で動くのではない。流れが見えたときに動けるのだ。
「レティア、東門通過!」
「次は南へ! 箱の数、合ってますか!?」
「たぶん!」
「たぶんで送らないでください! 合うまで見て!」
「祈りの列、三十番まで案内完了!」
「休める人は交代で水分を取って!」
紙は飛び、声は飛び、足音が途切れない。
夜が来て、朝が来て、また夜が来た。
奇跡そのものは、聖女様にしか起こせない。
でも、奇跡が届く道を整えることはできる。
道があれば、人は助かる。
三日目の朝、ようやく大きな混乱が収まり始めた頃、フィリア様が姿を見せた。
まだ万全ではないだろうに、彼女は礼拝堂前の広場に立ち、整って動く人の流れを見渡して目を見開いた。
「……止まって、いない」
私は疲れで脚が笑いそうになりながら、なんとか笑った。
「少しだけ、仕組みを作っておいたんです」
「レティア……」
「聖女様が頑張ってくださった時間で」
フィリア様の目に、涙がにじんだ。
泣きたいのは私も同じだったので、危うくもらい泣きするところだった。
その後、王城で経緯説明の場が設けられた。
国王、宰相、補佐官ユリウス、神殿側の重臣、騎士団長。
そんな面々の前に、雑用係の私が立っている。場違いもここまで来ると芸術だ。
胃が痛い。前世でもここまで偉い人の前には立ったことがない。
でも、ここで言わなければ、また同じことが起きる。
「今回の働きは評価に値する」
ユリウス補佐官が整った顔で言った。
「しかし、聖女に権限が集中していたことが、そこまで大きな問題だったとは……」
「問題でした」
食い気味に返してしまった。でも止められなかった。
「聖女様は奇跡を起こせます。でも、奇跡に伝票整理はできません」
「……」
「物資の確認も、連絡の統一も、担当の振り分けも、誰かがやらなければなりません」
「それを、あなたは雑用と呼ぶのですか」
重臣の一人がやや鼻白んだ声を出す。
私はその人を真っすぐ見た。
「雑用とは、誰でもできる仕事ではありません」
「何?」
「誰もやらなければ、全部止まる仕事です」
広間がしんと静まった。
「聖女様は国を守ってくださっています。でも、国が聖女様一人に寄りかかっていては、聖女様が倒れた瞬間に国も倒れます」
「……」
「頑張る人の善意に甘える仕組みは、長く持ちません」
国王が静かに問う。
「では、どうすべきだ」
「役割を分けてください。責任を見えるようにしてください。誰が今、何を持っているか分かるように。聖女様が見るべきものと、そうでないものを分けてください」
「それで国は回るか」
「回ります。……いえ、回してみせます」
言い切ったあとで、少しだけ血の気が引いた。ずいぶん大きく出た。
けれど国王は、むしろ楽しそうに笑った。
「よい。大きな言葉だが、すでに一度やってみせたな」
その日のうちに、王宮・大神殿・騎士団をつなぐ新しい部署が作られることになった。
名前はやたら立派だった。国務整理局補佐官補。長い。絶対にもっと短くていい。
そして、そこに私が入ることになった。
「えっ、私、ただの雑用係なんですが」
「だからこそ、です」
そう言ったのはフィリア様だった。
もう立っていてもふらつかない。けれど前より少しだけ、ゆっくり話している。それがたまらなく嬉しい。
「この国で一番、『回る』ということを知っているのは、あなたでしたから」
「……褒められると、困ります」
「では命令です。困りながら受けてください」
「それはずるいです、聖女様」
広間に笑いが広がった。
処分もあった。バルドは左遷された。
極悪人ではない。でも、責任逃れで現場を止めた罪は軽くない。彼は最後まで「忙しかっただけだ」と言い張っていたけれど、それを聞いて胸が揺れることはもうなかった。
忙しいは、免罪符じゃない。
数か月後。
王宮と大神殿の間には、以前よりずっと多くの紙が行き来していた。
けれどそれは混乱の証ではない。整理された流れの証拠だ。
「レティア、南倉庫の在庫票が更新されてない!」
「先に数だけ確認して! 票は後でじゃなく、今!」
「東門の護送順、これでいい?」
「一番上の箱が薬なら。毛布なら逆!」
「聖女様の面会、二件追加!」
「赤印じゃなければ午後です。休憩時間は削りません!」
私は今日も走っていた。
肩書きは立派になったけれど、やっていることはそんなに変わらない。
ただ一つ違うのは、今ではみんなが最初から私の話を聞くことだ。
渡り廊下の窓から、春の光が差し込んでいた。
中庭ではフィリア様がお茶を飲んでいる。ちゃんと座って、ちゃんと休んでいる。
その光景だけで、少し泣きそうになる。
隣に立ったアルフレッドが、同じ方を見た。
「最近、聖女様がちゃんと眠れているそうだ」
「それは良かったです」
「お前のおかげだな」
「みんなが動いたからです」
「そういうところだぞ」
「何がですか」
「自分の手柄を半分以下にするところ」
私は思わず吹き出した。
アルフレッドは私の持っている板を軽く叩く。
「相変わらず、地味な板を持ち歩いているな」
「地味で結構です」
「いや、悪くない。今ではその板一枚で王宮中が静かになる」
「それ、ちょっと怖い言い方ですね」
「事実だ」
私はまた笑った。
たぶん私は、派手な魔法は一生使えない。瘴気を払う光も、誰かを癒やす奇跡もない。
でも、止まりかけたものをもう一度回すことならできる。
迷子になった流れに道をつけることならできる。
誰かが無理をしなくてもいいように、仕組みを組むことならできる。
それは小さい。地味だ。物語の主役には見えないかもしれない。
けれど私は知っている。
世界はたぶん、そういう小さな歯車で回っている。
「レティア! 急ぎです!」
「はい、今行きます!」
私は板を抱え直し、渡り廊下を駆け出した。
今日もまた、誰かの「困った」が動き出すように。
聖女様が忙しそうなら、そのぶん私が国を回しておけばいい。
雑用係の仕事なんて、だいたいそんなものだ。
そして、そんなものが一番、世界を止めない。
お読みいただきありがとうございます。
こちらの短編をもとに、
連載版『聖女様が忙しそうなので、雑用係の私が国を回しておきました』
の投稿を始めました。
短編で描いたお話を土台にしつつ、連載版では出会いの部分からあらためて描き、短編のその先まで広げていく予定です。
もし短編を気に入っていただけましたら、連載版のほうものぞいていただけると嬉しいです。




