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妖怪画家と雇われ妻、そして狸 〜大正広告結婚はあやかしの色〜  作者: 平本りこ
第一話 その面影を忘れぬように、妖怪画家は彼女を描く

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4 忌まわしき痣

 その後、露景(ろけい)那子(なこ)に屋敷内を案内すると、以降はたぬ子の部屋で寝起きするようにと言い置いて、家の奥へと去った。どうやら仕事があるらしい。


 砂川露景は幅広い注文に応じる妖怪画家だ。雑誌や新聞に子どもの手のひらほどの大きさの挿絵を描くこともあれば、個人の依頼で屏風や絹本に大作を生み出すこともある。


 四六時中家にはいるが、抱えている仕事は多様であり、依頼が立て込めば夜通し画材と向き合うし、熱中してしまい食事をとらない日もあるのだとか。


 そのようなことで身体が持つのかと心配になるのだが、座敷で対面した露景は健康体そのものだったので不思議である。


 たぬ子の部屋は離れにある。昨日までたぬ子はここではなく、露景の部屋で過ごしていたらしい。新しい部屋に興味津々といった様子で隅々まで匂いを嗅いで回っている。


 那子は畳の上に正座して、子狸がうろうろとする様子をぼんやりと見守り物思いに耽った。


 果たしてこれからの生活はどうなるのだろう。


 伯父には二人の娘がいる。那子よりもそれぞれ三つと九つ歳下だ。それゆえ、幼少期より子守には慣れている。だがそれは当然、人間の子ども相手の話。料理屋であるみさわ亭では犬猫の類は飼っていない上、帝都の中心部に店を構えているので、山の獣に出くわした経験もほとんどない。


 たぬ子は、露景の子だという。そして喋る。ならばその母親はおそらく、ただの狸ではないのだろう。いわゆる妖狸(ようり)。古くから日本に暮らす妖怪だ。


 近代化の波が押し寄せて、科学が発展し洋装の男女も増えてきた昨今だが、未だに妖怪は出るし、新聞の紙面を騒がせもする。


 妖狸と人間の夫婦というものはあまり聞かない話だが、まあ、あり得ないことではない。何せ、砂川露景は妖怪画家。仕事の縁で、妖狸の女性と出会い恋に落ちた、のかもしれない。


「ねーえ?」


 ぴょこん、と茶褐色の毛に覆われた愛らしい顔が視界を占領する。いつの間にかたぬ子に接近されていた。那子はたぬ子を抱き上げて、どのように扱うべきか束の間躊躇してから、結局人間の子にするように尻と背中を支えて抱いた。


「どうしたの。もうお部屋の探検は飽きてしまったの?」

「ねーえ、ここ、なあに?」

「え?」


 たぬ子は那子の右腕に鼻面をこすりつける。心臓の辺りがひやりとした。


 ちょうど、誰からも不気味がられ那子の縁談を幾度も破談にさせてきた、忌まわしいものがある場所だ。普段は着物の下に隠れているので、誰の目に留まることもないはずだが、何かの拍子に袖口から覗いてしまったのだろうか。


(こんな幼い子にまで奇妙がられてしまうのね)


 那子は重苦しい心を抱えながらも努めて明るく装い、たぬ子の顔をやんわりと腕から押しのける。


「何にもないわ……って、え、ちょっと」


 諭している側から、無遠慮な鼻面が袖口から侵入してきた。振り払うわけにもいかず、那子は当惑しつつもなされるがままである。


 やがて、興味惹かれたものの正体に触れたたぬ子は全身の毛をぶわりと膨らませて、動きを止める。しばらくして硬直が解けると、那子の腕を、ざらざらとした舌で舐めた。


「あ、あの。お嬢、様?」


 実質的には子守女中である身で何と呼びかけるべきか迷い声を出してみるが、反応はない。


「たぬ子さん?」


 先ほどつけたばかりの名を呼べば、たぬ子はぴたりと動きを止めて後退する。無邪気な丸耳が袖口から露わになる。続いて那子を見上げたつぶらな瞳は、きらきらと輝いていた。


「いい匂い」

「え?」


 たぬ子は短い前足で、着物の上から那子の右腕を軽く叩く。


「たぬ、これ好き」

「好き?」

「うん!」


 元気に頷きもう一度潜り込もうとするので、那子はたぬ子を抱き上げて右腕を持ち上げ眼前にかざした。


 するりと上腕側に流れた袖の内側から、さらし布で覆った肌が覗く。たぬ子が前足で掻いたからだろうか、布が乱れて赤黒い素肌が垣間見えている。


 醜くて、禍々しい。那子は諦めを抱きながらも心中で嘆息した。


 さらし布で隠した下には、何か縄状のもので絞めつけられたかのような痣がある。伯母によれば、赤子の那子がみさわ亭に引き取られた頃にはすでにあったという。


 生まれつきのものなのか、それともどこかで負った怪我なのかはわからない。実の父母であれば知っていただろうが、ずっと昔に山の事故で亡くなってしまい、もはや確認することができないからだ。


 この痣は、まるで捕縄のように、那子を孤独の中に縛りつけてきた。


 過去、伯父が纏めてくれた縁談はいくつかあったのだが、最初は「目立たぬ位置にある痣くらい」と受け入れる姿勢を見せてくれたお相手でも、実際にこの歪な文様を目にすると、何かの呪いではないかと不吉がり、ことごとく破談になってきた。


 小料理屋であるみさわ亭に悪評を流さないためにも、那子はこの痣を常に布で隠して生きてきた。本当ならば、後からいらぬ騒動を起こさないよう、露景にも初対面時に見せるべきだったのだろうが、すでに機会は逃してしまった。


 そうこうしているうちに、なぜか先に、たぬ子に発見されてしまったのだが。


「いい匂い。好き!」


 たぬ子は「好き好き」と繰り返し、四肢を突っ張り那子の腕の中から抜け出した。畳へ身軽に着地すると、鼻をひくつかせながら那子を見上げた。


「いい匂い、するかしら」


 さらし布に、みさわ亭の料理の匂いでも染みついているのだろうか。試しに嗅いでみたがわからない。嗅覚は一般に、人間よりも動物の方が優れている。たぬ子はおそらく妖怪だが、身体的特徴は獣のそれと同等なのかもしれない。


 いずれにしても幼いたぬ子には、何かに執拗に巻きつかれたかのような痣の不気味さなど、思いもよらないのだろう。


 その純真さが、愛おしい。


 那子はふっと頬を緩め、柔らかくて温かい子狸を抱きしめた。


 この子を愛して、この子と絆を結ぼう。たとえ、期限つきの母代わりであっても、家族の真似事だと嘲笑われても、それでいい。


 那子にはどうせ、戻る場所などないのだから。


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