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凄まじき哨音

「ハァ、ハァ……っ、クソが……!」

肺が焼ける。冷たい夜気を吸い込むたびに、喉の奥が切り裂かれるような感覚。 逃げ込んだのは、学園の北端にある「廃工廠区」だ。

何十年も前に封鎖されたはずのこの場所は、錆びついた巨大な歯車や、用途不明の太いパイプが血管のようにのたうち回っている。

背後、旧時計塔の探照灯が、夜の帳を暴力的に切り裂いて俺を追ってくる。

(……足音が消えない。あいつら、俺を完全に『異物』としてロックしてやがる)

視界が歪む。 左目の奥で、脳細胞が沸騰しているような熱を感じる。

壁に手をつくと、指先に伝わってくるのは石材の冷たさじゃない。微弱に拍動する、不気味な魔力の「ノイズ」だ。

この工廠そのものが、何か巨大な魔力回路の上に建っている。そう確信した瞬間、頭上の鐘楼から凄まじい風切り音が響いた。

「――いたぞ。逃走経路、遮断完了」

見上げれば、蒸気と魔力の混合煙を吐き出しながら、数名の憲兵特殊部隊員たちが空中を滑走してきた。

背中の推進ユニットから放たれる青白い光が、石畳を青く染める。

あいつらが手にしているのは、ただの魔導銃じゃない。

銃身が短く、厚みがある。近接制圧用のカスタムモデルだ。

「レイジ、そこまでだ。……大人しく消えろ。その方が痛みは少ない」

「……消えろ、ね。お前ら、それしか語彙がないのかよ」

俺は笑った。自分でも驚くほど、冷めきった声が出た。

逃げ場はない。

背後は、底の見えない巨大な縦穴――「零号共鳴艙」へと続く廃棄口だ。

前方は、最新の魔導兵器を構えた六人の処刑人。

俺の左目は、彼らの銃口がわずかに震え、引き金に力が込められる「0.1秒後」を冷徹に予見している。

ドクン。

心臓が跳ねる。

左目の視界が、一気に暗金色に染まった。

単なるデータの羅列じゃない。空気中の魔力の流れ、相手の筋肉の収縮、そして、足元の廃棄口から立ち上る「紫色」の不気味な気流。 それらすべてが、複雑な因果律の糸となって俺の脳に突き刺さる。

「……計算、終了。生還率は、限りなくゼロに近いが……」

俺は足元に転がっていた、錆びたボルトを一つ拾い上げた。

憲兵たちが銃口を光らせた、その刹那。

俺はそいつを、あえて自分たちの足元にある「不安定な魔力導管」の接合部に向けて叩きつけた。

「……ここなら、ロジックが狂ってるんだろ? だったら、最後まで狂わせてやるよ!」

次の瞬間、凄まじい哨音とともに、紅晶爆震弾が俺の目の前で起爆した。

排山倒海のような衝撃波。

視界が白熱に塗りつぶされる直前、俺は自ら、背後の深い闇へと体を投げ出した。

「――ッ!?」

鼓膜が、内側から爆ぜるかと思った。

身体が宙に浮き、完全に自由落下の軌道に入った瞬間、あの「紅晶爆震弾」が頭上わずか数メートルの位置で炸裂した。

ありきたりな爆発音じゃない。空間を無理やりこじ開けるような、耳障りで、生理的な嫌悪感を呼び起こす――そう、あの「凄まじい哨音」だ。空気が悲鳴を上げているような、あの甲高い音が脳漿を直接かき回す。

直後、視界が真っ赤に塗りつぶされた。

火球なんて生易しいもんじゃない。猛烈な熱波が、巨大な鉄槌となって俺の胸板をブチ抜いた。

肺の中の空気が一気に絞り出され、肋骨が軋む嫌な音が背骨まで伝わってくる。衝撃で意識が飛びそうになるが、左目の激痛がそれを許さない。

(……落下速度、秒速九・八メートルから指数関数的に加速。気圧変化、正常値を逸脱)

視界が、ぐちゃぐちゃだ。

暗金色のノイズが網膜の上で暴れ回っている。

眼窩から溢れ出した血が、風圧でこめかみの方へぶっ飛んでいく。熱いのか冷たいのかも、もう分からねえ。

でも、目は閉じなかった。いや、閉じられなかったんだ。

上空では、俺を追い詰めた憲兵たちの黒いシルエットが、急速に小さくなっていく。

代わりに、俺の身体を包み込み始めたのは、底の方から這い上がってくる「毒」のような気配だ。

暗闇のはずの縦穴の底から、粘りつくような、どす黒い紫色の光が滲み出していた。

星脉せみゃくエネルギー。

それも、精製も希釈もされていない、ナマの、狂暴な魔力だ。

共鸣舱の底部に溜まったそれは、もはや空気じゃなかった。まるで重厚なコロイド状の液体――熱い水銀のプールにでも飛び込むような感覚。

「が、はっ……げほっ!」

息を吸おうとするたびに、針を仕込んだ粉塵を吸い込んでいるような痛みが走る。

帝国の教義ドグマじゃ、男がこの濃度の魔力に触れたら、細胞の一つ一つが共鸣に耐えきれずに崩壊するはずだ。

「男性は絶縁体であり、同時に魔力の可燃物である」

教科書の最初のページに書いてあるクソッタレな常識。


なのに、俺は壊れない。


身体中が万力で締め付けられるような激痛はある。でも、ロジックは死んでいない。

むしろ、左目が狂ったように拍動し、視界に映る紫色の濁流を片端から「整理」し始めていた。

暗金色の細い算式が、スパイダーウェブのように空間に張り巡らされる。

狂暴な魔力の波を、ただの「数値」へと強制的に変換し、俺の肉体を破壊するはずの因果律を書き換えていく。

(……論理再構築。エラーコード、遮断。……権限アクセスを、よこせ……!)

もがく指先に触れたのは、もはや空気の抵抗じゃない。

濃縮された魔力の、不気味な手応えだ。

意識が遠のき、あの凄まじい哨音も聞こえなくなった頃、俺の耳の奥に届いたのは――ドクン、という、巨大な心臓の音だった。

重くて、冷たくて、百年の重みを湛えた、あの「銀色の心臓」の鼓動。

「……見つけたぞ」

掠れた声が、魔力の咆哮に掻き消される。

墜落の衝撃が来る直前、俺の手は、確かに掴んだんだ。

この世界の「正解」から弾き出された、銀灰色の、冷徹な金属の感触を。

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